評伝ザッヘル=マゾッホ
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【No.37 Res.0】
はじめに
1
鈴木♂
これは以前あるサイトかブログに載っていたザッヘル=マゾッホの評伝です。
おそらくは種村季弘氏の著作「ザッヘル=マゾッホの世界」をまとめたもの
なのではないかと思われますが、その上手い要約ぶりに鈴木♂はこれを全文
コピーしてずっと保存していました。
しかし今現在、いくら検索してもそのサイトが出てこないのでそのサイトが
たぶん無くなってしまったのか、それともこの評伝が削除されてしまったみたい
なのでここにそれを全文載せてみる事にします。
19世紀の後半という帝国主義と近代化が巻き起こっていた頃の激動のヨーロッパで
オーストリア・ハンガリー帝国の才能ある貴族が自分の性的嗜好からとんでもない
波乱万丈の運命を辿るという傍から見たら極めて面白いお話なのですが、現在
web上では日本語によるザッヘル=マゾッホの評伝が殆ど無いという状態なので、
ここに載せた評伝が色んな意味で皆様方の参考になれば幸いです。
鈴木♂
※たぶん参考文献: 平凡社 ザッヘル=マゾッホの世界 種村季弘 著
http://www.heibonsha.co.jp/book/b160709.html
2018/4/17(火)23:23
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【No.36 Res.0】
その1
1
鈴木♂
マゾッホの話が出たので、以前に書いたマゾッホ伝をここにも載せてみたい。
レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ
オーストリアの作家。1836〜1895。代表作「毛皮を着たビーナス」で
女性に鞭で叩かれる被虐性愛を描いた。
その1.マゾッホの家系
レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ。
なんだってこんな長い名前かと言うと、親が長命に育つようにと‥‥って、
それは落語の「寿限無」だろう。
名前はレオポルトで、苗字がザッヘルとマゾッホ。
これは、父方の姓がザッヘルで、母方の姓がマゾッホだったということ。
ザッヘル家は代々の貴族でオーストリアの官僚の家柄。レオポルトの父も警察官僚
としてオーストリアの皇帝に仕えていた。一方のマゾッホ家も田舎の貴族ではあるが
代々続く名家である。母方の祖父は医者でたいへんに立派な人物だったそうだ。
ガリチアにコレラが流行した時、祖父は献身的に治療に当たったそうで、祖父の
おかげで多くの人たちの命が救われた。この祖父に唯一の悩みがあった。
男の子がいなかったので由緒あるマゾッホの家名がとだえてしまうことだ。
そこでレオポルトの両親がマゾッホの家名も引き継ぐこととなり「ザッヘル=
マゾッホ」と両家の姓を名乗ることとなった。
家名を残したいという祖父の願いは叶ったわけだが、レオポルトという孫の
おかげで、被虐性愛の代名詞として、「変態」呼ばわりされその名が残って
行くとは、じいさん考えてもいなかったろうに。
2018/4/17(火)23:22
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【No.35 Res.0】
その2
1
鈴木♂
1836年1月27日ガリチアの首都ルヴォフで、レオポルトは誕生する。
祖父にとってはマゾッホの家名を継ぐ待望の男の子の誕生だった。
しかし、またもや祖父の頭を悩ませることが起こる。レオポルトは体が弱かった。
体の弱いレオポルトが死んでしまっては大変。医者の祖父は細身の母親では
育児は無理である、たくましくて乳のわんさか出る乳母に育てさせねば駄目だと
判断した。幸いルヴォフ郊外に住むウクライナ人の農民の女に適当なのがいた。
豊満な肉体、はちきれそうな乳、すなわちダイナマイトボディ。ブロンドの髪で
威風堂々とした女だ。このウクライナ人の農民の女がレオポルトの乳母となった。
たくましく堂々とした女王様のような女の乳を飲み、体臭を嗅ぎ、レオポルトは
育ったため、たちまち元気になったが、同時に生涯に渡り、理想の女性のイメージ
が決定された。
この乳母は、幼いレオポルトを寝かしつけるために、ウクライナの民話を語って
聞かせた。その話というのが、北方の国の残酷な女王の話だとか、女吸血鬼の話、
ポーランドの大王を鎖で繋いだユダヤ女の話、勇敢なアマゾネスの女戦士の話など。
東欧の昔話にはおしなべてこういう話が多いんだそうだ。女は強く、男はみじめな
もの。女は自然そのもので、母は大地。そして、男はすべからく大地で働かされる
奴隷だ。自然は人間に対して時に厳しく時に優しい。鞭を打つ試練を与えつつ、
優しくその胸で抱きやすらぎを与える。それが自然の摂理である。
その摂理ゆえ、たいていの女は、夫や恋人に対して、厳しく優しい女王として
ふるまう、男は妻や恋人の前に奴隷として跪く、それがこの地方の慣習であり、
自然というものなのである。ホントかどうかは私は知らんが、レオポルトは
そういう話を聞かされてそだった。
2018/4/17(火)23:22
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【No.34 Res.0】
その3
1
鈴木♂
レオポルト10歳の時、もうこの時はすっかり元気なワンパク小僧で。父方の叔母、
ゼノビアX伯爵夫人の家へ遊びに行く。この時は、弟、妹も生まれており、伯爵家の
子供たちとカクレンボをして遊んでいたが、レオポルトは伯爵夫人のクローゼットの
中に隠れて、とんでもない光景を見てしまう。
テンの毛皮を着た伯爵夫人が青年を部屋に招きいれ抱擁をはじめる。そこへ伯爵が
飛び込んで来た。すわ修羅場か、なんて子供のレオポルトは思わんだろうが。
なんか大変なことだというのはわかる。しかし夫人は少しもあわてず、伯爵に
平手打ちを食らわせた。伯爵は鼻血を流しながら部屋から出て行き、青年も驚いて
退出してしまう。
するとしばらくして伯爵が戻って来た。伯爵は泣きながら跪いて婦人に謝った
という。その後、伯爵夫人が鞭を手にしたかどうかはわからないが。
この一幕は、「毛皮を着たビーナス」の主人公の回想場面でも出て来る。
こんな光景をホントにレオポルトが目撃したのか、乳母から聞かされた昔話の一つ
なのか、それとも彼の妄想(創造)なのかはわからない。
12歳の時、ザッヘル=マゾッホ一家はプラハへ引っ越す。父がプラハの警察署長に
栄転したためだ。こうしてプラハでの生活がはじまる。ここでレオポルトはある
女性から人生最大の苦痛を与えられるのであるが、それは次回。
2018/4/17(火)23:22
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【No.33 Res.0】
その4
1
鈴木♂
ザッヘル=マゾッホ一家がプラハへ引っ越したのは、1847年。
翌年の1848年にはフランスで二月革命が、それに影響されてドイツ、オーストリア
周辺の各地で三月革命が起こる。自由主義革命に加えて、ハンガリーの独立反乱
など民族独立運動的な革命でもあり、しかし、すぐに沈静化する‥‥、
世界史得意じゃねえからナァ、これでいいんだろうか。
当然、プラハでも市民の暴動は起こったがオーストリア正規軍が出動し、すぐに
鎮圧された。
この時に、市民軍に皮のジャケットを着て拳銃を腰にさした女戦士がいて、
レオポルトは彼女に憧れて市民軍に入って戦ったとする評伝があるそうだけど‥‥。
時にレオポルト13歳、しかも警察署長の息子で、それはないだろうな。
いっくらなんでも作り過ぎだ、と思う。
しかし、レオポルトの父というのも警察署長でありながらもルヴォフの田舎育ちで
のんびりした人物で、どっちかというとリベラルな考え方の持ち主だったという。
こういう市民革命や民族革命の時は微妙な立場にあったようである。
さて、この頃、レオポルトは両親から人形劇のセットを買ってもらった。
レオポルトは自分で台本を作り、弟や妹や友達を集めては人形劇を見せていた。
人形劇の台本がどうやらレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホの処女作らしい。
この台本がどんな内容のものかはわからないが、多分、子供の頃、乳母から
聞かされたスラブの昔話を脚色したのだろう。
しかし、それを聞いたからと言って弟がマゾに妹がサドに目覚めることはなかった。
弟も妹も友達もお兄ちゃんのちょっぴり怖いけど面白い人形劇だとしか思って
いなかったようだ。彼らは目覚めなかったが、レオポルトが目覚めた。
何に目覚めたかというと、演劇に目覚めてしまった。虚構を演じて観客から
喝采を得る、この快感に目覚めてしまったようだ。
2018/4/17(火)23:21
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【No.32 Res.0】
その5
1
鈴木♂
そうそう。前回予告した「ある女性から人生最大の苦痛を与えられるのである」
の話をしなくては。
レオポルトに人生最大の苦痛を与えた女性とは、妹のローザである。
レオポルト17歳の時、ローザは流行病で亡くなってしまう。最愛の女性(妹として
だが)がある日突然自分の前から姿を消して二度と現われることがない‥‥。
このことがレオポルトに深い悲しみと苦痛を与えた。
レオポルトにとって最愛の人がいなくなってしまうというのが鞭で叩かれるよりも、
刃物で切り裂かれるよりも苦痛であるのだ。
「毛皮を着たビーナス」の主人公はラストではワンダに捨てられてS転してしまう
が、彼は決してワンダの奴隷になったことを悔いているのではない。
ワンダに永遠に去られてしまったことを嘆き悔いているのだ。
そして、新たに現われた愛する女を自分のもとにとどめるために、あえてS的に
ふるまっていたのである、それが「毛皮を着たビーナス」の悲劇的なところ
ではないかと私は勝手に思ってるんだけど、間違ってたらごめんなさい。
レオポルトが育ったルヴォフはガリチアの首都ではあったが、実際には劇場もない
田舎町だった。12歳の時に父の栄転で引っ越したプラハは大都会。
大小さまざまな劇場や寄席があった。
弟や妹に見せた人形劇で演劇に目覚めたレオポルトは、青年になるとますます
演劇熱がヒートアップし、それらの劇場や寄席に通い、演劇やコメディやダンスを
見てまわり過ごした。
贔屓の女優はチェコ国民劇場の看板女優コーラル夫人。
憎む男は殺し、愛する男は奴隷にする、スラブ的な鋼鉄の女をやらせれば
右に出るものはいないといわれた役者だ。
17歳の時には素人劇団を作ったりもし、ホンキで演劇の道へ進もうとも考えたが、
官僚の父に反対され断念した。
2018/4/17(火)23:20
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【No.31 Res.0】
その6
1
鈴木♂
妹のローザが死んだすぐ後、一家はふたたび父の転勤で引越しをする。
今度も都会で、学問の都グラーツだ。
レオポルトは大学へ入る。入学試験はすこぶる優秀で、ドイツ語の論文では
教授から満点以上の評価を得た。
大学に進んでからは、手当たり次第本を読んだ。化学、錬金術、歴史、天文、
哲学、その他色々な雑学本……。シェイクスピアを読み、セルバンテスを読み、
ゲーテを読み、イスラムのコーランを読んで、動物図鑑や医学書も読んだ。
ちょっとでも心を魅かれ手にした本は読んで読んで読みまくった。
勉学だけが、妹のローザの死の悲しみを忘れさせてくれた。
父の意思に従い、法律も勉強し、19歳で法学博士になった。
20歳で大学の教壇に立った。
歴史や文学に興味を持ち、ドイツ史の勉学に力を入れた。
ところがレオポルトが発評した論文「ガンの叛乱」は学界から無視されてしまった。
「ガンの叛乱」は、1539年ネーデルランドで起こった市民叛乱を鎮圧した
カール五世の妹マーリアについての論文。マーリアは強靭で残酷な意志を持ち、
軍事に関する知識、能力に優れ、屈強の男たちを従えて敵と戦い勝利した。
反乱軍兵士の処刑の書類には眉一つ動かさず署名をしたという。
なんのことはない、今度は歴史上の人物の中に自分の理想の女性を見つけ、
それを熱く語ったのだ。
論文が認められず、学者としての道も断念したレオポルトだが、貴族の家の子
だから生活に困るということはない。好きな勉強をしたり、素人演劇を楽しんだり
といった日々を過ごしていた。
2018/4/17(火)23:20
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