1 天草
情報を制するもの
パソコン復活記念スレ(笑)
この時代は情報を正確且つ迅速に収集した者が、優位に立っていたと思われます。
日本なら、忍者や早馬なんてのがありましたが、三国志の時代の中国はどのようにして情報を収集していたと思いますか?
また最も諜報能力に優れていた人物は誰だったと思いますか?
この時代は情報を正確且つ迅速に収集した者が、優位に立っていたと思われます。
日本なら、忍者や早馬なんてのがありましたが、三国志の時代の中国はどのようにして情報を収集していたと思いますか?
また最も諜報能力に優れていた人物は誰だったと思いますか?
(PC)
2 ユウキ
シバイなんてどうでしょモウタツの反乱時とかコウメイの仕事ぶりを聞いて寿命を予測したりクーデター起こして見事に奪うあたりはやっぱ情報収集がなければ成功しないと思います 病気のフリの話からして収集だけじゃなくて欺くのもうまかったのかなあとモウタツの話は情報とゆより行動力なのかもしれません
(P900i/FOMA)
3 飛
情報収集はやはり間者を多用したのでは?
孫子の兵法とかにもありますよね。状況に応じて多種の間者を使う。中には敵方の情報攪乱して自害させる、といった凄まじい間者がいたようです(>_<)
孫子の兵法とかにもありますよね。状況に応じて多種の間者を使う。中には敵方の情報攪乱して自害させる、といった凄まじい間者がいたようです(>_<)
(W11K/au)
7 天草
やはり孔明はそういうイメージが強いですね。
私は郭嘉や程cの官渡くらいまでの諜報能力は群を抜いていたと思いますね。彼らのお蔭で曹操は自分やり強大な相手に勝利する事が出来たのでは…と思います。もちろん荀イク・荀攸もそうでしょう。つまり、曹操軍の大躍進は諜報能力でのし上がってきたと感じてます。
気になるのは間者を利用していたのか?彼らはスパイみたいな感じだったのか?それとも忍びのような感じだったのか?それを広い中国で伝えていく方法は?
う〜ん…気になりますね。
私は郭嘉や程cの官渡くらいまでの諜報能力は群を抜いていたと思いますね。彼らのお蔭で曹操は自分やり強大な相手に勝利する事が出来たのでは…と思います。もちろん荀イク・荀攸もそうでしょう。つまり、曹操軍の大躍進は諜報能力でのし上がってきたと感じてます。
気になるのは間者を利用していたのか?彼らはスパイみたいな感じだったのか?それとも忍びのような感じだったのか?それを広い中国で伝えていく方法は?
う〜ん…気になりますね。
(PC)
10 C
使者と言えば
五丈原で孔明の情報を司馬イが使者から得たのもある意味、情報戦では?
現代のそれとはまたことなる意味合いもありますかと、また情報収集以外での情報戦全体を考えると司馬イもかなり卓越した能力かもと
五丈原で孔明の情報を司馬イが使者から得たのもある意味、情報戦では?
現代のそれとはまたことなる意味合いもありますかと、また情報収集以外での情報戦全体を考えると司馬イもかなり卓越した能力かもと
(F900i/FOMA)
13 大伴
曹操は使者を殺していますよ。
キョウ奴の使者が来た時、魏王であった曹操は催エンを王座に座らせ、自分は侍立しました。引見の後、使者に魏王(つまり催エン)の印象を聞かせたところ、「それよりも側で侍立していた人物こそ、尊貴な相を持つ」と言われ、この使者に刺客を放ちました。まぁ使者の眼力を危険と判断したのでしょうね。
キョウ奴の使者が来た時、魏王であった曹操は催エンを王座に座らせ、自分は侍立しました。引見の後、使者に魏王(つまり催エン)の印象を聞かせたところ、「それよりも側で侍立していた人物こそ、尊貴な相を持つ」と言われ、この使者に刺客を放ちました。まぁ使者の眼力を危険と判断したのでしょうね。
(F2102V/FOMA)
15 エロハシ
お久しぶりです(;^_^A
えっと、使者斬りじゃないですが、陸抗と羊コの逸話も戦時下に相対する国にあっての話としては面白いかと… 謙信と信玄を彷彿とさせる…(∇〃)。o〇○
えっと、使者斬りじゃないですが、陸抗と羊コの逸話も戦時下に相対する国にあっての話としては面白いかと… 謙信と信玄を彷彿とさせる…(∇〃)。o〇○
(P900i/FOMA)
18 C
基本的に、使者を殺すと反対に知られたくない事があって自分の不備を感づかれる可能性もありますよね
応用だと、わざと殺して攻めさせるとか
五丈原だと双方相手に効かないのが分かっているからあえて殺さなかったのかも
応用だと、わざと殺して攻めさせるとか
五丈原だと双方相手に効かないのが分かっているからあえて殺さなかったのかも
(F900i/FOMA)
19 ずわい
間者は当時、相当数使われてたと思います。
ただ失敗すると自国の情報も知られてしまう危険があるのでどのように潜んだかは謎ですよね。国境には警備もいただろうし。
話は変わりますが、当時の中国って人数はどれくらいいたんでしょうね?簡単に100万の軍を率いたとか過大なような気もします。
ただ失敗すると自国の情報も知られてしまう危険があるのでどのように潜んだかは謎ですよね。国境には警備もいただろうし。
話は変わりますが、当時の中国って人数はどれくらいいたんでしょうね?簡単に100万の軍を率いたとか過大なような気もします。
(N900i/FOMA)
20 天草
人口については、大伴殿や李殿が詳しいのかな?私は…(汗)
さて間者に関しては、まさに謎ですよね。
中国の城は日本のそれと違って、町自体が城になっていたと思われます。と、言う事は一般市民に扮していたのか?でもそれじゃぁ軍事の情報なんて分かるはずもなく…では兵に成りすまして、もしくは兵を買収して情報を得ていたのでしょうか?それも町がそういう造りである以上、町を出るのも困難のような気もします。
話に出てくる数々の名軍師達は間違いなく知る由もない情報を手に入れていたりしますよね?スパイのような人物がいたのは間違いないのでしょうが…日本の忍者達の様にれっきとした証拠みたいなものはないんですかね?
さて間者に関しては、まさに謎ですよね。
中国の城は日本のそれと違って、町自体が城になっていたと思われます。と、言う事は一般市民に扮していたのか?でもそれじゃぁ軍事の情報なんて分かるはずもなく…では兵に成りすまして、もしくは兵を買収して情報を得ていたのでしょうか?それも町がそういう造りである以上、町を出るのも困難のような気もします。
話に出てくる数々の名軍師達は間違いなく知る由もない情報を手に入れていたりしますよね?スパイのような人物がいたのは間違いないのでしょうが…日本の忍者達の様にれっきとした証拠みたいなものはないんですかね?
(PC)
21 李克用
魏は400数十万、蜀が100万足らず、呉が200万とちょっとで、700万をこえるぐらいですね(正確な数字ではないと思われる)。
前漢の平帝(元始二年だったかな)の時の調査では、5959万4678人
この後、赤眉の乱があるのでかなり減る。
三国時代より後なんですが、五胡十六国の前燕だけで1000万近く居たらしい(ちょっと正確にはわからないので、これはあてにしないでください)
隋の初期は、400万戸あったらしいので、一戸五人として2000万ぐらいですかね。
前漢の平帝(元始二年だったかな)の時の調査では、5959万4678人
この後、赤眉の乱があるのでかなり減る。
三国時代より後なんですが、五胡十六国の前燕だけで1000万近く居たらしい(ちょっと正確にはわからないので、これはあてにしないでください)
隋の初期は、400万戸あったらしいので、一戸五人として2000万ぐらいですかね。
(P900i/FOMA)
22 ユウキ
人口についてはまったくの無知なんですが三国の人口約700万人なんですよねでも後漢の157年の人口が5406万人だった事を考えるといかに後漢からの戦乱が激しくても4700万人近くの人が死んだとは思えないですね実際に280年の人口は1600万人ですからわずか17年の間に二倍近くの数になってるのは不自然要するに戸籍にのらないほかの種類の人々がいたと考えられませんか僕はそれが屯田民だと思うんですけど…屯田民は戸籍にはのらずにいたみたいですが西晋の時代に戸籍に載るようになったようです急激に減った理由と増えた理由が説明つくと思いますつまり三国時代には戸籍に載っていないだけで実際にはもっと人はいたんじゃないでしょうか長文失礼
(P900i/FOMA)
23 李克用
それでは、一つおもしろい話を。まあ、本当なのかは調べてないので、聞き流す程度に。
清の康煕帝は何回も減税を繰り返し、即位五十年を記念して、確かその時点の税を定額として、それ以後に人口が増えても、一切課税しないと定めました。
その年の人口が二千万ぐらいだったと思いますが、六十年後には二億、百年後には三億になったそうです。
清の康煕帝は何回も減税を繰り返し、即位五十年を記念して、確かその時点の税を定額として、それ以後に人口が増えても、一切課税しないと定めました。
その年の人口が二千万ぐらいだったと思いますが、六十年後には二億、百年後には三億になったそうです。
(P900i/FOMA)
24 C
孫子にある間諜は、五通り
郷間:村里の間諜
内間:敵方からの内通間諜
反間:こちらのためにはたらく敵の間諜
死間:死ぬ間諜
生間:生きて帰る間諜
郷間というのは敵の村里の人々を利用して働かせる
内間というのは敵の役人を利用して働かせる
反間というのは敵の間諜を利用して働かせる事
死間というのは偽りの事を表し味方の間諜に知らせ敵方に告げさせるのである
生間は帰ってそのつど報告するもの
というのが、魏武注孫子にあるということから三国時代にも使われていたと思われます
郷間:村里の間諜
内間:敵方からの内通間諜
反間:こちらのためにはたらく敵の間諜
死間:死ぬ間諜
生間:生きて帰る間諜
郷間というのは敵の村里の人々を利用して働かせる
内間というのは敵の役人を利用して働かせる
反間というのは敵の間諜を利用して働かせる事
死間というのは偽りの事を表し味方の間諜に知らせ敵方に告げさせるのである
生間は帰ってそのつど報告するもの
というのが、魏武注孫子にあるということから三国時代にも使われていたと思われます
(F900i/FOMA)
25 天草
さすがは李殿!ここぞという時には必ず頼りになる情報を提供してくれますね★
恐るべし高校生!
C殿>恐れ入りました。意外なところに疑問のヒントがあるものですね。孫氏に載っているって事は三国志の時代どころかもっと前から諜報合戦が行われていたってことなんでしょうね?
恐るべし高校生!
C殿>恐れ入りました。意外なところに疑問のヒントがあるものですね。孫氏に載っているって事は三国志の時代どころかもっと前から諜報合戦が行われていたってことなんでしょうね?
(PC)