6 しす
もしかしたら有名な話なのかもしれませんが、たまたま別スレで麋竺、孫乾、簡雍について調べていたら許靖の伝で面白い記述を発見しました。
許靖は華歆、王朗、陳羣ら魏の元勲と交流があって、手紙のやりとりもし、その友愛は変わることがなかったと。
実は個人的にノーマークだった人物だけに新たなる発見。
許靖は華歆、王朗、陳羣ら魏の元勲と交流があって、手紙のやりとりもし、その友愛は変わることがなかったと。
実は個人的にノーマークだった人物だけに新たなる発見。
(PC)
7 赤龍
呉の張昭も、北方の名士と手紙のやりとりがあったなど、天下に名高い名士同士は、陣営をこえた交流がしばしばあったようです。
蜀で全国レベルの名声の名士といったら、許靖ぐらいかな?
蜀で全国レベルの名声の名士といったら、許靖ぐらいかな?
(J-SA05)
9 きいち
会社からなので(仕事しろっ!)資料が厳しいですが、外戚と宦官が争いの中で郷挙里選を縁故者を採用する事で権力を固めようとしたのに対し、名士はそのような背後関係無しに選ばれた人々−清流と呼ばれる−が反発し改革をしようとして弾圧(党錮の禁)される事で仲間意識が強くなり、陳寔(陳羣の祖父)などを中心にして派閥を作った。潁川と汝南が活発な地域で曹操が許昌を本拠地にしたのも何かあるかも!?私のイメージでは中央につてを持たない地方有力者、という感じです。呉はちょっと事情が違いそうですが(^o^;
家でもう一度確認しよっ☆
家でもう一度確認しよっ☆
(PC)