3 天草
(PC)
6 きいち
では私は何ギョウ 伯求を。
張嶷 伯岐も捨てがたいですが、まぁまぁ知名度ありそうなので。
袁紹,曹操,荀イクとの関わりがある人。清流派の代表的な人物で、党錮の禁を生き延びた重要人物として影響力があった。袁紹に人を集めたのはこの人の力!?
張嶷 伯岐も捨てがたいですが、まぁまぁ知名度ありそうなので。
袁紹,曹操,荀イクとの関わりがある人。清流派の代表的な人物で、党錮の禁を生き延びた重要人物として影響力があった。袁紹に人を集めたのはこの人の力!?
(PC)
11 大伴
鍾ヨウ>>>156もそうですが、劉馥>>>53-26もそうですね。世間での評価が低い様な気がします。
毛カイなどもそうですが、軍政家というものはあまり目立って無いというか(汗)
軍政家自体は>>>28-34に数名上げています。いづれも地味な印象を受けますね。
軍政家……軍部中枢にあって、人事や会計、書類の発行等、事務処理のを担当する(後方勤務の)責任者。軍制家の一種。軍制には他にも、軍令、軍律等がある(但し曹操軍では、近代の軍隊の様な明確な区別はされていない)。
毛カイなどもそうですが、軍政家というものはあまり目立って無いというか(汗)
軍政家自体は>>>28-34に数名上げています。いづれも地味な印象を受けますね。
軍政家……軍部中枢にあって、人事や会計、書類の発行等、事務処理のを担当する(後方勤務の)責任者。軍制家の一種。軍制には他にも、軍令、軍律等がある(但し曹操軍では、近代の軍隊の様な明確な区別はされていない)。
(F2102V/FOMA)
12 しす
確かに劉馥は演義やその他の小説やコミックにもまず滅多に出てくるキャラじゃないから印象薄いですよね。
後世「遼来々」と言えば子供も泣き止むほどの活躍をした張遼にしても、生前の劉馥の働きあったればこそですから。
もう少し長生きしてくれればもうちょっとメジャーになって、評価も上がっていたのだろうなという気がします。
後世「遼来々」と言えば子供も泣き止むほどの活躍をした張遼にしても、生前の劉馥の働きあったればこそですから。
もう少し長生きしてくれればもうちょっとメジャーになって、評価も上がっていたのだろうなという気がします。
(PC)
13 大伴
>>11-12
そうなのですよ。
彼等は直接戦場では活躍しませんからね。
>>>178(棗祗)
>>>156(鍾ヨウ)
位しか軍政家のスレッドはありません(夏侯惇>>>107も厳密には軍政家かも知れませんが)。
もっと彼等の功績を見直すべきかも知れませんね。
劉馥が合肥を整備していなかったら、赤壁の大敗に付け込まれていた可能性も高いですし。
そうなのですよ。
彼等は直接戦場では活躍しませんからね。
>>>178(棗祗)
>>>156(鍾ヨウ)
位しか軍政家のスレッドはありません(夏侯惇>>>107も厳密には軍政家かも知れませんが)。
もっと彼等の功績を見直すべきかも知れませんね。
劉馥が合肥を整備していなかったら、赤壁の大敗に付け込まれていた可能性も高いですし。
(F2102V/FOMA)
14 赤龍
三国志演義は、結局は戦争メインのお話。内政官は活躍できない仕組みになってますよね。諸葛亮も、劉備存命中は主に内政担当だったはずが、活躍の場をつくるため戦争にかりだされ、軍師役をつとめさせられてますし。制度史方面に疎い疑惑のある陳寿の責任もあるかも。
(J-SA05)
15 大伴
通俗演義のイメージは強いですからね。彼等の様な人々は地味に扱われてしまい、後世の我々は彼等の功績を見落としがちです。
このサイトから、彼等に光を当てていきたいですね。
このサイトから、彼等に光を当てていきたいですね。
(F2102V/FOMA)
16 李克用
文官も良いですが、私は野に隠れていった人々も、またよいと考えます。
結局、時節にあわずに埋もれていった人々なんでしょうが、その中でも名声の顕れた人は敬意を表したいですね。
後、皇甫嵩なんかも、再評価してもいい人かもしれませんね。
結局、時節にあわずに埋もれていった人々なんでしょうが、その中でも名声の顕れた人は敬意を表したいですね。
後、皇甫嵩なんかも、再評価してもいい人かもしれませんね。
(P900i/FOMA)
17 大伴
私は、作家自体のノンミリタリーな視点が、彼等(軍政家達)の活躍に注目していないのだと思います。
戦争とは前線のみにて行うものではありません。かならず支援部隊があり、後方があり、それを支える人民がいます。多くの作家がこの事を知らぬからこそ、彼等が描かれる事は少ないのでしょう。
三国志小説は多くありますが、作家がそれを軽んじるからこそ、多くの人々は、劉馥や毛カイといった人々の功績を知らないのでしょうね。
軍事を政治と切り離して考えたり、軍事と戦闘の区別のついていない人は多い気がします。
ここではより、彼等の様な人々に光を当ててもらいたいものです。
以後の益々の発展を祈念致します。
戦争とは前線のみにて行うものではありません。かならず支援部隊があり、後方があり、それを支える人民がいます。多くの作家がこの事を知らぬからこそ、彼等が描かれる事は少ないのでしょう。
三国志小説は多くありますが、作家がそれを軽んじるからこそ、多くの人々は、劉馥や毛カイといった人々の功績を知らないのでしょうね。
軍事を政治と切り離して考えたり、軍事と戦闘の区別のついていない人は多い気がします。
ここではより、彼等の様な人々に光を当ててもらいたいものです。
以後の益々の発展を祈念致します。
(F2102V/FOMA)
18 舎烙
はじめまして…舎烙と申しますm(_ _)m呂布の配下で、地味かもしれませんが、張僚と行動してた高順はなかなかの名将だとおもいます。あの夏侯淳と一騎打ちをしたし…。
むしろ、文官よりも戦争時代分…武将のほうが有能でも消えていってしまうように思います。
むしろ、文官よりも戦争時代分…武将のほうが有能でも消えていってしまうように思います。
(AirH)
19 天草
舎烙さん>初めまして!よろしくお願いします♪
高順は確かに良将ですね。
しかし、残念ながら夏侯淳との一騎打は演義の創作だったと思います。
それどころか、夏候惇は正史では…(汗)
まぁ高順が良い武将である事に間違いはないんですけどね。
ちなみに高順スレ(>>>4)にも是非参加を!
人物については高順です。
高順は確かに良将ですね。
しかし、残念ながら夏侯淳との一騎打は演義の創作だったと思います。
それどころか、夏候惇は正史では…(汗)
まぁ高順が良い武将である事に間違いはないんですけどね。
ちなみに高順スレ(>>>4)にも是非参加を!
人物については高順です。
(PC)
20 エロハシ
捨烙さん>初めまして、よろしくお願いしますm(__)m
確かに武官のほうが、戦争で討ち取られれば終わりですから、そういう印象を受けられるのもわかります。が、小説等ではやはり戦争について語るものが多いのではないでしょうか?第二次世界大戦についての映画は多く見かけますが、冷戦について語られる映画は少なく感じます。そういった点で、前線で活躍していたものより、地味に書物と格闘していた文官のほうは着目される時が少なく、優秀な人物でも私たちの目に触れない。ってことではないでしょうか?ねぇ、大伴さん?(早めのレスキボン・笑)
確かに武官のほうが、戦争で討ち取られれば終わりですから、そういう印象を受けられるのもわかります。が、小説等ではやはり戦争について語るものが多いのではないでしょうか?第二次世界大戦についての映画は多く見かけますが、冷戦について語られる映画は少なく感じます。そういった点で、前線で活躍していたものより、地味に書物と格闘していた文官のほうは着目される時が少なく、優秀な人物でも私たちの目に触れない。ってことではないでしょうか?ねぇ、大伴さん?(早めのレスキボン・笑)
(P900i/FOMA)
23 大伴
>>20
歴史は、軍事の専門家が記す訳ではありませんから、私は軍事に携わる人々は、大きな前線での功績(戦功)や政治的側面がなければ名は残らないのだと思います。
私が述べているのは、軍事に携わる人で、前線に立たない人達の功績を忘れてはならぬという事です。
歴史は、軍事の専門家が記す訳ではありませんから、私は軍事に携わる人々は、大きな前線での功績(戦功)や政治的側面がなければ名は残らないのだと思います。
私が述べているのは、軍事に携わる人で、前線に立たない人達の功績を忘れてはならぬという事です。
(D505iS)
24 ストラップ
棗祗スレッドでさんざん名前だけは出した人物を一人。
任峻などはそうなのでは無いかと考えます。
古来より、こういう役目の人々は、一級の戦闘員では無い為に軽視されがちですが、何度も物資の不足に悩まされ、又、孫子の研究家であった曹操は、これの重要性を理解していたと思うのです。
任峻などはそうなのでは無いかと考えます。
古来より、こういう役目の人々は、一級の戦闘員では無い為に軽視されがちですが、何度も物資の不足に悩まされ、又、孫子の研究家であった曹操は、これの重要性を理解していたと思うのです。
(PC)
27 無問題
では、カク昭に一票。圧倒的不利な状況で孔明率いる蜀軍の大軍にに一歩も譲らず善戦。援軍がくるまでもちこたえています。かなりの名将だと思われますが、この戦い以前のかれの功績って聞いたことないですよね。
(W21K/au)
28 たろう
このサイトの辞典で見つけた劉馥がいいですね。私は張遼好きなんですが劉馥がいなければ合肥の活躍なかったかもしれません。なのに私は最近存在を知りました。個人的にはまさに隠れた名将です。
(W21SA/au)
31 闘莉王
私は賈逵に一票。司馬懿が見破れなかった周魴の偽降を看破し曹休の危機を救った功臣。また刺史としても高い評価を受けております。曹操死後兵を率いて都に来た曹彰を論破したのも賈逵。かなりの名将だと思います。あれ?…スレ違いになっちゃいますかね?(^_^;)
(F900i/FOMA)
32 くわびん
ちーす!(^_^;
あちしは二人推薦します。一人はハンシュン(字が出ない)と張エイです。
ハンシュンは関羽の死後呉に降り、以後孫権、陸遜の相談役となりました。また、張エイは孔明の補佐役としてショク後期の重鎮として活躍。
あちしは二人推薦します。一人はハンシュン(字が出ない)と張エイです。
ハンシュンは関羽の死後呉に降り、以後孫権、陸遜の相談役となりました。また、張エイは孔明の補佐役としてショク後期の重鎮として活躍。
(F901iC/FOMA)
33 赤龍
劉馥、演義では赤壁の戦いの際、曹操の詩(有名な短歌行)を不吉だといい、酔っていた曹操は怒って矛で刺し殺す、という場面のみの登場です。当然この事件は演義の創作ですが、劉馥の死んだのはちょうどこの年。そこら辺もふまえてこの役割に劉馥をもってきたとも見られています。
(J-SA05)
37 しす
>阿〜斗さん
はじめまして
その3人は隠れた名将というよりも、既に名将として認知されてる気がしますよ。
>習禎さん
初めまして。
私も詳しいことは解りませんが、他の兄弟に関しては名は伝わってはいないと思います。
良、謖の字から、他の三人の字を推測することはできますけど。
はじめまして
その3人は隠れた名将というよりも、既に名将として認知されてる気がしますよ。
>習禎さん
初めまして。
私も詳しいことは解りませんが、他の兄弟に関しては名は伝わってはいないと思います。
良、謖の字から、他の三人の字を推測することはできますけど。
(PC)
39 黄龍
李厳を上げます。劉備入ショクの際、綿竹関で黄忠と一騎打ちをして互角に戦ってます。また、既に名将として名の上がっていた陸遜がショクに攻め入る話が上ったときにも、孔明に、「呉国境に李厳がいるので大丈夫」と評価されてます。そのクセ、イマイチメジャーじゃない気がしませんか?
(F900i/FOMA)
40 ヤスシ
陳到なんかはどうですかね?
演義に登場しないのがマイナーな理由ですが。
趙雲に次ぐ武功があった位ですから相当な人物だったのでは?
もっと評価されても良い人物かなと思います。
…ってか、どんな武功があるのだろう…?
陳倒スレでもたててみるかな…。
演義に登場しないのがマイナーな理由ですが。
趙雲に次ぐ武功があった位ですから相当な人物だったのでは?
もっと評価されても良い人物かなと思います。
…ってか、どんな武功があるのだろう…?
陳倒スレでもたててみるかな…。
(PC)
41 くわぁまん
いたいた、隠れた名将が。その名は閻行(艶行)でゃんすょ☆
彼は韓遂配下で馬騰との戦いであわや馬超のクビを取るとこまで追い詰める強さを見せたと言う…
若い頃の馬超を追い詰めたのだから力量は相当なものやね。(^^;;
彼は韓遂配下で馬騰との戦いであわや馬超のクビを取るとこまで追い詰める強さを見せたと言う…
若い頃の馬超を追い詰めたのだから力量は相当なものやね。(^^;;
(F901iC/FOMA)
43 くわぁまん
此処に書いて良いものやら、正史や演義には出て来ないと思われます。
多分後漢書にはあるかなぁ?
三国時代同時期にいた張仲景(漢字合ってるかな?)なる名ドクターの事を知りたいのでゃんすが、どなたかご存知出ですか?
多分後漢書にはあるかなぁ?
三国時代同時期にいた張仲景(漢字合ってるかな?)なる名ドクターの事を知りたいのでゃんすが、どなたかご存知出ですか?
(F901iC/FOMA)
45 赤龍
張仲景、人物辞典で「張機」で検索すると簡単な説明はあります。
著作を残し、後世の医学に与えた影響を考えると、華ダよりも医学史上はるかに重要な人物と言ってもよいのではと思います。残念ながら『後漢書』にも記述が無く、『傷寒論』自序や後の説話に記述が見えるだけです。
参考として『中国名医列伝』(吉田荘人著、中公新書)に華ダと共に記述があります。
著作を残し、後世の医学に与えた影響を考えると、華ダよりも医学史上はるかに重要な人物と言ってもよいのではと思います。残念ながら『後漢書』にも記述が無く、『傷寒論』自序や後の説話に記述が見えるだけです。
参考として『中国名医列伝』(吉田荘人著、中公新書)に華ダと共に記述があります。
(J-SA05)
46 ストラップ
政治に優れた軍人は、>>31。なかなかに渋みを感じます。不肖の息子が、司馬氏の皇位簒奪に関与する事が唯一の汚点でしょうか。
もっとこの人物に注目しても良いかなとは、最近思います。
もっとこの人物に注目しても良いかなとは、最近思います。
(PC)
50 翔赤
初めましてm(_ _)mこの討論は初めてですが私も参加させください↑↑私はデイ衡がすごい人物だと思います(←みなさんの知識からじゃ全然隠れた人物じゃない!?)あの曹操をもバカにするような毒舌を聞いてみたいと思いました
(W22H/au)
51 朱家
呉最後の丞相、張悌。晋の呉討伐で唯一勝利した人物。そのまま進軍したが守りが堅く、進退極まる。降伏を薦める将に「国難に殉ずる者がいないのは恥ずべき事である」と言って戦死する。孫皓のような人物に忠義をつくす姿に惚れた。襄陽の人で諸葛瑾の推挙で孫権に仕えたとある。正史の注で、瑾殿の恩に報いるとあり、裏付けしている。司馬炎が統一後、最初の行いは彼の子孫を高位に取り立てたとされている。政治的なものもあるだろうが敬意を示したと思われる。しかし、呉最高の精鋭を率いての出陣で、勝ち目がなかったとはいえ、この敗戦により呉の戦意が著しく低下したのは事実で名将かどうかは疑問が残る。
(A1304T/au)
53 赤龍
諸葛瑾、陸遜、朱然、程普、潘シュン、裴玄、夏侯承、衛セイ、李粛、周条、石幹の11人です。ただ、程普はこの時既に死んでいるため、彼の名前が入っていることについては、誤記の疑いもあるようです。
(PC)
56 朱家
杜襲の名が…渋すぎる。有名なとこだと淵の死後、張コウ、郭淮と共に軍をまとめた人物ですね。陳寿は「純粋で温和、人を統率する術に優れていた」と評してます。劉表が攻めてきた時に数十人を掻き集めて戦う。勝ち目のない戦いで必死に抵抗する姿を見て、皆彼に従う。ほとんど討ち死にし、残りを率いて脱出するが、一人として降る者はいなかった。少数とはいえ短時間で掌握してしまう彼は恐ろしい。和洽とごっちゃになるのが欠点(笑)どっちの言葉か忘れてしまう。
(A1304T/au)
61 赤龍
ストラップさん、ここでは高順人気高いですが、世間一般ではやっぱ知名度そんなに高くないと思いますよ。張遼の影にかくれちゃってますし。
てなわけで、高順を「隠れた名将」とみなす方がいてもいいんじゃないでしょうか?
どこまでが有名、無名と思うかは、割と個人の主観にもよりますし、あまり自分の価値観を押し付けるのは、ちょっと感じ悪い印象うけますよ。
てなわけで、高順を「隠れた名将」とみなす方がいてもいいんじゃないでしょうか?
どこまでが有名、無名と思うかは、割と個人の主観にもよりますし、あまり自分の価値観を押し付けるのは、ちょっと感じ悪い印象うけますよ。
(PC)
64 ストラップ
う〜ん。
高順って、マイナーだとは全く思いませんし、充分評価されている様に感じているのですが。
呂布配下でいえば、騎将の侯成などは如何でしょうか?武力に優れ、又呂布の軍の要を陳宮と知っていた男。曹操に下った後の記述は確か何も無いですよね?
高順って、マイナーだとは全く思いませんし、充分評価されている様に感じているのですが。
呂布配下でいえば、騎将の侯成などは如何でしょうか?武力に優れ、又呂布の軍の要を陳宮と知っていた男。曹操に下った後の記述は確か何も無いですよね?
(F2102V/FOMA)
65 くわぁまん
高順ネタは他の方に任すとして、アッシ一人めっけました。(笑)
その名は閻忠。涼州の反乱の首謀者辺章の二番目の後任者で安平郡信都の令。若き頃の賈クを「張良や陳平の奇略がある」と評価したり、皇甫嵩に漢に代わり自立するよう勧めたりタヌキ親父パート2です?あれ…?3かな?(爆)
その名は閻忠。涼州の反乱の首謀者辺章の二番目の後任者で安平郡信都の令。若き頃の賈クを「張良や陳平の奇略がある」と評価したり、皇甫嵩に漢に代わり自立するよう勧めたりタヌキ親父パート2です?あれ…?3かな?(爆)
(F901iC/FOMA)
67 しす
牽昭なんかまさに隠れた名将ではないですかね。
対蜀、対呉戦線には参加してないのでマイナーですが、対烏丸、対鮮卑で活躍した人物。
小説やコミックの類ではまず登場しませんがもっと評価して然るべき人物だと思います。
>>66
楽進はどうでしょう?
確かに一時期は隠れた名将でしたが、最近は「蒼天航路」のお陰で知名度、評価共に上がっていると思います。
私は五将軍ならむしろ于禁の方が不当な評価を受けてしまってる感がありますね。
対蜀、対呉戦線には参加してないのでマイナーですが、対烏丸、対鮮卑で活躍した人物。
小説やコミックの類ではまず登場しませんがもっと評価して然るべき人物だと思います。
>>66
楽進はどうでしょう?
確かに一時期は隠れた名将でしたが、最近は「蒼天航路」のお陰で知名度、評価共に上がっていると思います。
私は五将軍ならむしろ于禁の方が不当な評価を受けてしまってる感がありますね。
(PC)
68 ストラップ
>>67
確かに牽昭は地味ですよね。列伝までちゃんとあるのに。
>>66
楽進はどう考えてもメジャーどころでしょう。三国志ファンで知らない人は先ずいないと思いますよ。今一つ地味ではありますが。>>46が楽進スレッドです。
>>67
于禁は関羽に下った後の評価がありますからね。
確かに牽昭は地味ですよね。列伝までちゃんとあるのに。
>>66
楽進はどう考えてもメジャーどころでしょう。三国志ファンで知らない人は先ずいないと思いますよ。今一つ地味ではありますが。>>46が楽進スレッドです。
>>67
于禁は関羽に下った後の評価がありますからね。
(PC)
69 朱家
有名だが評価されてない、虎殺し孫礼を!
曹爽の補佐を命じられ、司馬懿、曹爽に次ぐ人だったが、誠実な彼は疎まれ左遷される。多大な功をあげるが、さらに疎まれ禁固刑を受ける。
その後復帰し、任地へ赴く前に司馬懿に会い「あなた様は、魏を助けて活躍すると思ってました。それが今、国は危機に瀕し、民は怯えています」つまり、才を隠して何を考えてると皮肉ってます。しかし曹爽排除後、彼を呼び戻し、司空に出世させる。司馬懿もさすがだ…
曹爽が彼を用いていれば…と思わせるほどの人物だった。ちなみに明帝を虎から守ってるが殺してはいない。
曹爽の補佐を命じられ、司馬懿、曹爽に次ぐ人だったが、誠実な彼は疎まれ左遷される。多大な功をあげるが、さらに疎まれ禁固刑を受ける。
その後復帰し、任地へ赴く前に司馬懿に会い「あなた様は、魏を助けて活躍すると思ってました。それが今、国は危機に瀕し、民は怯えています」つまり、才を隠して何を考えてると皮肉ってます。しかし曹爽排除後、彼を呼び戻し、司空に出世させる。司馬懿もさすがだ…
曹爽が彼を用いていれば…と思わせるほどの人物だった。ちなみに明帝を虎から守ってるが殺してはいない。
(A1304T/au)
70 ストラップ
意外に仲長統は重要人物かも知れません(笑)
「三国志」では「劉劭伝」に付した形で立伝されていますし、「後漢書」でも「卷四十九 王充王符仲長統列伝第三十九」に立伝されていますから。「三国志」と「後漢書」の両方に立伝されている人物って少ないですよね?何進、王允、張超といった人達でさえ、三国志には伝が立っていませんし。
尤も「三国志」本文での記述は以下のとおり。
「襲友人山陽仲長統、漢末為尚書郎、早卒。著昌言、詞佳可觀省」
「三国志」では「劉劭伝」に付した形で立伝されていますし、「後漢書」でも「卷四十九 王充王符仲長統列伝第三十九」に立伝されていますから。「三国志」と「後漢書」の両方に立伝されている人物って少ないですよね?何進、王允、張超といった人達でさえ、三国志には伝が立っていませんし。
尤も「三国志」本文での記述は以下のとおり。
「襲友人山陽仲長統、漢末為尚書郎、早卒。著昌言、詞佳可觀省」
(PC)
(PC)
77 劉
それは失礼いたしました。ただ最後に笑いがついてたり、門弟さんの時もそのような口調だったので。大変みなさま失礼いたしまし↓まだ高校生なものなのでどうしてもすぐに喧嘩ごしになってしまいます。失礼いたしました。
(W21SA/au)
86 元歎
やはり顧雍を挙げときます(笑) 孫邵のあとを継いで丞相・平尚書事となった呉の人です。江東を代表する豪族。陸遜は大将軍で、同じく江東を代表する豪族。孫権の最盛期、文武の頂点に立った大豪族の二人。ですから、陸遜と同じくらい注目され、もっと評価されるべき人物だと思います^^
(PC)
87 へろへろ改
こんばんわぁ。
初投稿です。
隠れた名将は、曹真ですかな?
諸葛亮の第1・2の北伐を退けた司令官。部下にも自分のフトコロから、恩賞を与えた部下思い。
ただ、対北伐の守勢から攻勢の失敗。息子がなければ、諸葛亮を苦しめた名将になっていたはず。
演義では、魏の無能組の1人…。
初投稿です。
隠れた名将は、曹真ですかな?
諸葛亮の第1・2の北伐を退けた司令官。部下にも自分のフトコロから、恩賞を与えた部下思い。
ただ、対北伐の守勢から攻勢の失敗。息子がなければ、諸葛亮を苦しめた名将になっていたはず。
演義では、魏の無能組の1人…。
(N901iS/FOMA)
88 ストラップ
>>87
演義では無能として描かれているんですよね。これは珍しい、有名なのに隠れた名将の例ですね。
しかし注に引く「魏略」の記述を信用するならば、彼の本姓は「秦」ですが、彼の父の名は「秦邵」で良いのでしょうか?
演義では無能として描かれているんですよね。これは珍しい、有名なのに隠れた名将の例ですね。
しかし注に引く「魏略」の記述を信用するならば、彼の本姓は「秦」ですが、彼の父の名は「秦邵」で良いのでしょうか?
(PC)
91 無問題
お久しぶりです、皆さん。自分は隠れた袁紹軍のつわもの麹義に一票あげたいですね。もし、彼が官渡の戦いの時にいたらと思いますね…。蒼天では喋ってる途中に趙雲にまっぷたつにされてますよね…。
(EZ)