3 大伴
カク昭は陳倉城の攻防(孔明の第二次北伐)で坑道戦までやる防城のエキスパート。野戦での実力は不明ですが、優れた人物だったのでしょうね。
戦時には、墓を暴いてまで木材を調達した合理主義者でもあります。
私は、
・防城のエキスパート
・合理主義
・墓を軽視
の三点から、墨家の流れを汲んでいたのでは無いかと想像しています。
戦時には、墓を暴いてまで木材を調達した合理主義者でもあります。
私は、
・防城のエキスパート
・合理主義
・墓を軽視
の三点から、墨家の流れを汲んでいたのでは無いかと想像しています。
(F2102V/FOMA)
4 天草
さすがに討論場の質が上がれば、面白いスレが出てきますね!
さて、私が気になるのは、城防御のエキスパートの条件です。
どういう武将がそれに相応しいとおもいますか?その条件を皆さんが思いつく程度で!!
さて、私が気になるのは、城防御のエキスパートの条件です。
どういう武将がそれに相応しいとおもいますか?その条件を皆さんが思いつく程度で!!
(PC)
7 C
この場合だと
将、仁ならざれば…のような将軍の資質(判断力や人格、知識)という広義のものを排除して
坊城という具体的な場合にのみに特化した能力を考えるべきかと
とりあえず、坊城は一般に守る方が有利ですよね補給の必要せいなどしてとなるとやはり下準備が一番大切ですよね
となると将軍の資質を持つ前提では政治力が意味を持ってくるかと
将、仁ならざれば…のような将軍の資質(判断力や人格、知識)という広義のものを排除して
坊城という具体的な場合にのみに特化した能力を考えるべきかと
とりあえず、坊城は一般に守る方が有利ですよね補給の必要せいなどしてとなるとやはり下準備が一番大切ですよね
となると将軍の資質を持つ前提では政治力が意味を持ってくるかと
(F900i/FOMA)
8 大伴
>>7はもっともですね。墨子でも、防城技術の一番最初に備える事を説いています。
人物の資質としては、後退戦もそうなのですが、進攻とは違い、追い詰められた状態でモラールは低下します。逆境に耐える精神と、鼓舞して人々の意気を上げる技術は特に必要かも知れませんね。
人物の資質としては、後退戦もそうなのですが、進攻とは違い、追い詰められた状態でモラールは低下します。逆境に耐える精神と、鼓舞して人々の意気を上げる技術は特に必要かも知れませんね。
(F2102V/FOMA)
9 C
反対に進行時にもモラル低下は見られより悪化する事もあります。これら、略奪という形で顕著に表れるかと思います
ここまでで考えますと
優秀な将=坊城が得意
となりますが、確かに坊城に特化した将がいたのも事実となりますと、単に優れたとは違う風変わりな将軍にそれはあったのではないでしょうか。
ここまでで考えますと
優秀な将=坊城が得意
となりますが、確かに坊城に特化した将がいたのも事実となりますと、単に優れたとは違う風変わりな将軍にそれはあったのではないでしょうか。
(F900i/FOMA)
11 大伴
モラールを上げやすい攻撃側に対して、下がりやすい防衛戦でいかにモラールを維持するか。
逆境への強さは確かに進攻時にも必要とされる資質でしょうが、私は防衛戦や後退戦の方により必要とされると主張しているのです。
逆境への強さは確かに進攻時にも必要とされる資質でしょうが、私は防衛戦や後退戦の方により必要とされると主張しているのです。
(F2102V/FOMA)
12 郭煕
防御側が士気をただ維持するのは困難です。それならどうすればいいか。しばしば外に打って出て勝利し、士気を上げる事です。
これの代表は唐の李光弼です。彼は地道を掘って積極的に奇襲を仕掛け、最終的には攻撃側より高い士気を有していたと言われます。
同じく唐の張巡も奇襲で城外に出たことがあります。
援軍が来るのが確実で予期できるのならともかく、そういった見通しが無い場合にはこれらの手段が重要です。
これの代表は唐の李光弼です。彼は地道を掘って積極的に奇襲を仕掛け、最終的には攻撃側より高い士気を有していたと言われます。
同じく唐の張巡も奇襲で城外に出たことがあります。
援軍が来るのが確実で予期できるのならともかく、そういった見通しが無い場合にはこれらの手段が重要です。
(W11K/au)
13 C
なるほど失礼しました(汗)
つまりは、進行時とくらべ準位で上ということですね
進行時ならば部下に与える報償を得ることが出来るために兵卒は報償の期待が可能であるので士気も上がりやすいが、坊城においてはえるものがないため士気を上げるファクターが少ないために、そこをいかに補うかという点ですね
つまりは、進行時とくらべ準位で上ということですね
進行時ならば部下に与える報償を得ることが出来るために兵卒は報償の期待が可能であるので士気も上がりやすいが、坊城においてはえるものがないため士気を上げるファクターが少ないために、そこをいかに補うかという点ですね
(F900i/FOMA)
14 赤龍
異色の守城として、官渡の戦いの際の程イクのケン城守備。増援を送るという曹操に、兵が少ないからこそ敵は無視して通過するだろう、と増援を拒否。結果は程イクの推測どうり。的確な状況判断と胆力は見事というしかありません。
(J-SA05)
15 大伴
(F2102V/FOMA)
16 大伴
陳宮が進攻して来ると聞き、官吏は震えたとあります。東阿も例外では無いでしょう。にも拘わらず、棗祗が防備を整え、官吏を統率していたという事を、ここに報告しておきます。
只今キャンペーン中ですので。
只今キャンペーン中ですので。
(F2102V/FOMA)
20 しす
>八苦さん
アレ?演義にその話ってありましたっけ?
文聘の空城の計なら一応正史の注には「魏略」からの引用で記されていますよ。
ただ本伝の方では「文聘は堅く守って動揺しなかったので、孫権は二十日余りもすると包囲を解いて去った」と記されており、記述の違いもしっかり指摘されています。
アレ?演義にその話ってありましたっけ?
文聘の空城の計なら一応正史の注には「魏略」からの引用で記されていますよ。
ただ本伝の方では「文聘は堅く守って動揺しなかったので、孫権は二十日余りもすると包囲を解いて去った」と記されており、記述の違いもしっかり指摘されています。
(PC)
23 八苦
ゴメン、文聘の空城の計は演義には無いんみたいです。昨日探しちゃいました。史実の方だけだったみたいですね。空城の計は一か八かの計ですね。この計を用いた防城戦はギリギリの戦いを強いられてるという事で、これを成功させたから凄いとかいう事とは別次元の話かもしれないですね。背水の陣やら空城の計のような生死を賭けた作戦はどこかドラマチックなので、ついつい印象に残ってしまいます。
(P2102V/FOMA)
24 どら
初めまして。空城の計についてなのですが、仕掛ける方が攻撃側の指揮官の性格(積極型、消極型、現状維持型)や撤退要因を考察したうえでの理論的な戦術の様に思います。相手の撤退に理由を与える的な駆け引きもあるのではないでしょうか?
(N2701/FOMA)
29 ストラップ
すっかり、霍峻を忘れていました。
劉備が劉璋を下し、益州を手に入れる事が出来たのは、葭萌関を霍峻が死守したからに他なりません。
劉璋配下の扶禁、向存が閬水を遡って攻撃してきた時、数百人で一万の軍を防ぎました。しかも攻勢に出て、向存の首を斬っています。もしこの時、葭萌関が陥落していたならば、劉備の軍は背後に大軍を抱える事となり、大変危険な状態となっていた事でしょう。
劉備が劉璋を下し、益州を手に入れる事が出来たのは、葭萌関を霍峻が死守したからに他なりません。
劉璋配下の扶禁、向存が閬水を遡って攻撃してきた時、数百人で一万の軍を防ぎました。しかも攻勢に出て、向存の首を斬っています。もしこの時、葭萌関が陥落していたならば、劉備の軍は背後に大軍を抱える事となり、大変危険な状態となっていた事でしょう。
(PC)