1 くわぁまん

悪口大王

三国志には魅力的人物が星の数ほど出てきますが、ヘソ曲がりの自分は特に変わり者が好き。                 皆様は、悪口大王こと、禰衡どう思います?
(SH900i/FOMA)
2 天草
私も彼には興味あります!

何か知っている事があれば、どんな事でも教えてください!
(PC)
3 天草
禰衡

気になったので、挙げてみました。しかし曹操配下の武将かと思ってたら、違うんですね。
黄祖に殺されたと知って、少しウケました(謎)
(PC)
4 くわぁまん
禰衡のマブダチの孔融も偏屈者で、やはり曹操に斬られています。彼等は今の何処かの批評家にも似てますが、果たして真価は如何に?  
(SH900i/FOMA)
5 エイ
余談ですが、ワタシが日記に書いた『黄祖を祠の神様』と罵った人物こそ、正平くんです(^^)v
(P2102V/FOMA)
6 たかひろ
豆知識を一つ。デーコーは道教の神様になりました。
家にデーコーネ申の置物がありますが彼女が気味が悪いと片付けられました(笑)
(F2102V/FOMA)
7 天草
エイ殿、そうなんですか!?どういう意味なんだろ?祠に家があったとか?引きこもりって意味かな?

たかひろ殿>禰衡の置物ウケマシタ(笑)ある意味見てみたいなぁ。
(PC)
8 エイ
<禰衡のエピソード 〜黄祖編〜 >

曹操に続いて、劉表から厄介払いの様に黄祖の元へいく事をを紹介された禰衡は、江夏へ。

黄祖とは、暫く仲良くしていたが、ある日……

『あんたは、祠の神様と一緒だ。供物だけ受取って御利益が無い。』

この言葉に激怒した黄祖は遂に禰衡を殺してしまったとさ……。
(PC)
9 大伴
そもそも何故彼が劉表を訪ねたか、それは彼に腹を立てた曹操が、殺せば自分の株が下がると、騎兵につきそわせ送り付けた……という話も残っています。では何故黄祖の所へ送られたか。それは劉表配下の者達が、彼が劉表の欠点を指摘していると、虚偽の報告をした為である様です。これに劉表は腹を立てたのですね。

先程調べましたところ、通俗演義で彼の活躍が読める回は、第二十三回です。皆さんここでこの禰衡を好きになるのですよね。
(F2102V/FOMA)
10 たかひろ
デーコー人形はピエトロのおいさんみたいな顔です(笑)
(F2102V/FOMA)
11 大伴
良く見たら……事典に追加されていましたね(汗)
(F2102V/FOMA)
12 大伴
「文若は、その顔を拝借して弔問に行かせるのが適任(苟イク伝の注より)」

禰衝という人の思考は、「紙が宿っているように霊妙(苟イク伝の注より)」といいます。苟イクは顔だけの男だという意味の様ですが、何の根拠も無く、この様な事をいう人が、神の様に霊妙と言われるとは思えません。又それでは只の罵倒になってなってしまいます。故に、これを私は根拠ありと位置付け、「苟イク無能説」の証拠の一つとしたいと思います。

「苟イク無能説」に関しては、近日中に>>>28で行います。
(F2102V/FOMA)
13 赤龍
禰衡を「思考は神が宿っているように霊妙」と評したのは、数少ない理解者の孔融。しかも推挙するための文章です。美辞麗句で誉め称えるでしょう。しかし一方で「才能を鼻にかけ傲慢、他人への批判は度をこし」という評もあります。記述からも性格に問題がある事が窺えます。そんな人物の罵倒は、荀イクを無能とする根拠にはならないと思われます。
(J-SA05)
14 赤龍
禰衡に罵倒された荀イク、陳羣は、曹操政権中枢に位置する穎川グループ。一方孔融は、曹操に批判的な態度も見られ、さらに『汝穎優劣論』で陳羣と対立し、穎川グループの批判も行っています。そんな孔融と親交のある禰衡ですから、やはり穎川グループに悪意のようなものを持っていた可能性もあります。
(J-SA05)
15 ユウキ
孔融と言えば孔氏20代目の子孫。類い稀な才能の持ち主として何進の推挙を受け38才で北海国の相まで昇進。孔融は博識であっても政治的才能には欠けていたと言われていますよね。
(P900i/FOMA)
16 大伴
確かに度は超していたでしょうが、その言葉が効果的な悪口である為には、ある程度の真実を含んで無いといけなうと思います。彼は全くの出鱈目を述べたのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
17 赤龍
そのある程度の真実というのが、秀でた容姿ということでは。「政治的社会的立場を異にする者が相手を誹謗する言葉は激烈」とも言われます。この類の罵倒を根拠に荀イクを無能とするなら、陳羣、司馬朗、曹操もまた無能としなければなりませんが、どうでしょうか?
(J-SA05)
18 大伴
曹操という人は、冗談が好きだったり、愉しい時は大笑いして、頭巾を落として膳の肴で汚したりしています。
彼のさっぱりとしたエピソードだと評価して良いと思いますが、
「威厳に欠ける」
という評価も又、同時にできたと思います。
禰衝の言う
「たいした人間では無い」
に、ある程度の真実が含まれているとは言えませんか?
(F2102V/FOMA)
19 赤龍
曹操の「たいした人物じゃない」の根拠がその程度なら、荀イク評の根拠も自ずとその程度のものと言えるのでは?しかも、威厳が無いという話の出展は『曹瞞伝』曹操に対する悪意が前提にある書で、軽薄さを誇張した記述とも見られます。
(J-SA05)
20 大伴
私が>>18に書いた内容は、

「たいした人物じゃない」

の根拠を私なりに述べただけで、禰衝自身がそれを根拠としたかどうかはわかりません。ただ、そういう見方をしても良いところがあったのでは無いか、という事を示しています。
禰衝に太鼓を叩かせたエピソードでは、曹操自身が負けを認めて笑っています。そういう茶っ目気ももちあわせた人物は好まれますが、誰しもが評価する訳ではありませんから。


禰衝がああ言ったという記述には、曹操は誰もが立派だと思った訳では無い、という読み方も出来るのでは無いでしょうか?
(F2102V/FOMA)
21 赤龍
大伴さんの意見は、才能云々でなく、人格、人柄としての評価もありうるということですよね。荀イクは宦官の縁者との婚姻を避難されており、前述のように孔融等が曹操ひいては穎川グループを快く思ってない事を考えると、荀イクの場合もそうした非難を込めた可能性があり、無能とする根拠にはあたらないかと。
(J-SA05)
22 赤龍
つまり、「誰もが立派と思う訳ではない」というのは、荀イクらにもあてはまりますよね。禰衡、孔融達には、曹操に尻尾をふる「身を殺して仁をなさない者」とうつったのでは?
(J-SA05)
23 大伴
なるほど。
このあたりで折れましょう。

根拠とするには弱過ぎるという事ですね。


私としても、可能性を示唆したかっただけ。こころ残りではありますが、根拠として以後取り上げる事を控えます。


尚、当面の目標は、
「苟イクは有能では無い」
であります。
(F2102V/FOMA)
24 黄漢升
あげー!
(N900i/FOMA)
25 無問題
ぶっちゃけこの人は何が優れていたのでしょうか?あまり、才能の事にはふれられてないような気がしますが…。あと、孔融が推挙したのになぜ登用されなかったんでしょうか?やっぱり彼の毒舌が災いして任官されなかったんでしょうか?
(W21K/au)
26 くわぁびん
天ぷら揚げー!
(F901iC/FOMA)
27 無問題
三国志10でこの人と交流するとストレスばっかりたまるんですよね(笑)
(W21K/au)
>>27
ゲームの話は、基本的に禁止になってますので、言いたくても、こちらでは勘弁してくださいm(__)m
(P900i/FOMA)
29 無問題
李克用さん・はじめまして、よろしくお願いします。すみません、ついついゲームの話題をだしてしまいました。これから気を付けます。
(W21K/au)
30 プリン
いつも討論場見させてもらってますm(__)m
ここはゲーム話禁止だったんですか?知らなかった…(;^_^A
危なく無問題さんの話にレスしそうになってしまいました(汗)
(P900i/FOMA)
31 ストラップ
>>>152-50より。
こちらも宜しく(笑)
(F2102V/FOMA)
32 削除済
33 削除済
34 巫俊(ふしゅん)
毒舌age
(PC)
35 皇澪桜
正史を購入し色々とよんでました所、荀イク伝ハイ注に現在に至るまで『漁陽参過(嘘字失礼)』の打法が伝わっているがこれはデイ衡が始めたものであると記載されています。
この業界においてデイ衡の評価はどういったものなのでしょうか?
ご教授願いますm(__)m
(W52CA/au)
36 朱家
中国の鼓を全く知らないけど(笑)、所詮(語弊があるが)、技の一つですし、生業としてた訳ではないし、鼓を愛してるような記述もなく、むしろ、芸能を低く見る知識人の一員でしょうからね。
技の起源として、禰衡の名が残っていても、鼓の歴史(貢献)としては残ってないと思いますよ。
(PC)
37 巫俊(ふしゅん)
>>36
禰衡が芸能を低く見ていたとは限らないのでは?華陀が医者を「低く見る士大夫の一員」と括れないように、禰衡のようなすぐれた能力を持った人に世間の士大夫の判断基準を採用すべきではないでしょう。
(PC)
38 巫俊(ふしゅん)
『新唐書』李綱伝に、

帝 以 舞 工 安 叱 奴 為 散 騎 常 侍 , 綱 諫 曰 : 「 周 家 均 工 楽 胥 不 得 預 士 伍 , 雖 復 妙 如 師 襄 , 才 如 子 野 , 皆 継 世 不 易 業 . 故 魏 武 使 禰 衡 撃 鼓 , 衡 先 解 朝 衣 , 曰 : 『 不 敢 以 先 王 法 服 為 伶 人 衣 . 』
斉 高 緯 封 曹 妙 達 為 王 , 以 安 馬 駒 開 府 , 有 國 家 者 , 可 為 鑒 戒 . 今 新 造 天 下 , 開 太 平 之 基 , 功
臣 賞 未 及 ■, 高 才 猶 伏 草 茅 , 而 先 令 舞 胡 鳴 玉 曳 組 , 位 五 品 , 趨 丹 地 , 殆 非 創 業 垂 統 、 貽 子 孫 之 道 也 . 」 帝 不 納 .

とありますね。
ここでは列伝の主人公李綱が士大夫の一般化された理想に沿って、皇帝の寵愛する芸能民に散騎常侍の高位を与えることを反対しているのですが、皇帝は李綱の説を採用しませんでした。

ここでは魏武の世の変人禰衡でさえ、公の場で鼓を撃った際は朝衣(朝廷で謁見する際の服)を脱いだと主張されています。
変人の禰衡だって我々のマナーに従ったんだと言ってるんですね。

それはともかく、鼓を愛してるとしか思えんのですがw
(PC)
39 皇澪桜
ご教授感謝ですm(__)m
私も口が悪く人からよく疎まれてるんでデイ衡には共感できるところがあります♪
(W52CA/au)
40 朱家
>>37
>>36は、鼓を愛してない事を、証明するものではないので、説明しますが、「鼓を愛していたら、士人の枠から弾かれる」という、重い意味で『愛してる』との表現を使ってます。

『新唐書』は、知りませんでしたが、私は禰衡を変人と思ってないです。例えば、左寄りの人が、全ての事に左寄りな訳ではないですから。
(PC)