1 無問題

三国時代のお茶

はじめまして、無問題というものです。初心者中で初心者(一応正史は知ってますが)なので話についていけないことがありますが、この場を借りて勉強ができればと思ってます。さて、三国志演技の冒頭で母の為に高価なお茶を買いに行く劉備の姿が描かれてますが、ふとあの時代お茶と言うものはどれほど広まっていたんでしょうか?やっぱり高価なものだったんですかね?
(W21K/au)
2 たろう
あの時代の茶はエキシュウでしかとれなかったと聞いたことがあります。ホントかどうか分かりませんがもしそうだとしたら数やエキシュウと都の距離からして高級だったのかもしれませんね。
(W21SA/au)
3 漢森
当時は現在の様に茶葉を煎じて飲むのではなく、料理と一緒に煮込んで、 つまり嗜好品ではなく薬として用いてたそうですから、稀少性も高く代価もそれ相応なものだったんでしょうね
(P900i/FOMA)
4 無問題
たろうさん・はじめまして、よろしくお願いします。お茶って益州だけでしかとれなかったんですか?となると劉備や劉禅はけっこうのんでいたのでしょうか?
漢森さん・はじめまして、よろしくお願いします。お茶を料理にですか?へぇ〜、はじめて聞きました。昔は薬だったんですね。そういえば、今のように飲まれるになったのはいつからなんでしょうか?
(W21K/au)
はじめまして将将と申します。いつも楽しく読ましてもらってました。お茶はマリファナの親戚みたいな植物だそうです。なのでごく弱いですが麻酔のような沈痛・沈静作用があるそうです。お茶を飲むと落ち着くその関係です。いつごろ一般にも広まったかはよく知りません
(A5506T/au)
6 天草
将将サン>初めまして。これからもよろしくお願いします♪
こういうスレは意外と好きです(笑)

演義で劉備が茶を買いに行ったのはどこまでいったんでしたっけ?

今、私たちが飲んでる茶とは少し違うんでしょうね。
(PC)
7 無問題
中国のお茶って日本みたいにきゅうすみたいなものを使わず、茶葉をそのまま湯飲みにいれているそうです。高校の頃の先生がすごく飲みにくかったといっていました。
(W21K/au)
8 赤龍
大学の時、中国人の先生はやはりそうやって飲んでました。沈みやすい葉っぱなのかな?中国の映画では、湯飲みに蓋をのせてて、飲むときは蓋をすこしずらし、その隙間から飲んでるようなシーンもありますよね。あの隙間で葉をこしてるのだろうか?
(J-SA05)
9 ストラップ
茶壺に入れて、茶海に移して、茶杯に注ぐ。

この手順の飲み方もあるでしょ?
(PC)
10 胡蝶
大伴さんがおっしゃる飲み方が確か一番手間がかかり礼儀正しい飲み方だったかと思います。工夫(クンフー)茶と言ったかな?
実は私、烏龍茶が好きでお茶を飲む時は茶壺(チャフウ)を使って飲んでいます。一煎目は聞香杯に入れ、お茶を茶杯に移し聞香杯に残った香りを楽しみます。その後、茶杯に移したお茶をいただきます。
工夫茶は色々と手間がかかるので私は省略して飲んでいますが(汗)
(EZ)
11 ストラップ
>>10
中国茶って、舶来物しか無いですよね?茶器も国内で買えば高価だし。胡蝶さんは上流階級のお嬢様?

茶海はチャーハイ、茶杯はチャーベイと発音してるみたいですね。

茶海に直に葉を入れて湯を注ぐ飲み方も有りませんでしたか?
(PC)
12 胡蝶
茶器は安いものもありますよ。私が使っている茶壺も安物でニ千円程度です(笑)茶葉も中国産でもピンからキリまでで、安いのを使用してます。日本茶よりは少しだけ高い程度ですね。
茶海に茶葉を入れて飲む方法、ありますよ!茶海を透明のガラス製の物を使用して、茶葉が開いていくのを見て楽しむ事も出来ます。

いつの時代だったか忘れてしまったのですが、昔は茶葉と引きかえに異民族から馬を手に入れていた事もあるとTVでやっていたような…(記憶が曖昧なので定かではありませんが)確か益州の話でしたよ。
(EZ)
13 李克用
>>12
それは、チベット系の騎馬民族との交易ですね。秦の時代から行なわれていたようです。
(P900i/FOMA)
14 胡蝶
あぁ!そうです。李さんありがとうございます。
馬は広い中国では移動手段としても欠かす事のできないもので、チベット系の騎馬民族によって育てられた屈強な馬を、交易でお茶と交換していました。
馬と交換出来たんですから、当時お茶がどんなに高価だったか想像できますよね。
(EZ)
15 きいち
ちょっと話がそれますが、茶の発音は、中国で“チャー”、インドで“チャーイ”、日本で“チャ”、ヨーロッパで“ティー”、と、明らかに同じ語源に感じられます。このことからすると、お茶の栽培が出来たのは、昔はものすごく限られた地域だったのかもしれないですね。日本でも新潟の村上あたりが茶を作れる北限とされていたと記憶しています。
現代の中国では一般の人は皆ペットボトルに茶葉をそのまま入れて、葉っぱごと飲む!といってました。私も試しましたが・・・まぁ慣れれば飲めなくもない。薬として認識しているならOKかな、と。お店では“ホアン”というお湯を入れると花のように開くお茶を出してもらえました。売ってもらったら1個2元(30円くらい)だったので、結構高級?
(PC)
16 きいち
さらに話がそれるのですが、モンゴルでは未だに茶が貴重なようです。肉食中心の生活をしている遊牧民にとって、ビタミン不足による壊血病の予防の為にもお茶は不可欠なものであり、特に20世紀初頭はわずかなレンガ茶(磚茶)を買うために、命からつぎに大切なはずの羊を何頭も手放すという例が多かったと 司馬遼太郎が書いていた記憶があります。
実際私がモンゴル人のテントに泊まった時も、お茶と呼ぶものはほとんどただのホットミルク、という状態で、それを夜中に飲みほしたら次の日“あららー”と悲しそうな顔をされました。チーズとかはいくらでもどうぞ、なのに比べると凄い差です。
(PC)
17 無問題
随分と懐かしいすれがあがってますね(笑)やっぱりお茶は当時も高級品だったんですね。
(W21K/au)
18 胡蝶
初期のお茶は南方で始まったと考えるのが定説で、特に雲南一帯辺りではないかと考えられているようです。
最初、お茶は飲用ではなく煎じ薬として食されていました。名医華陀もお茶の効能について「食経」という本で触れているみたいです。
日常の飲み物として中国全土に広まったのは7〜8世紀の唐代からですが、後漢時代にはすでに喫茶の風習が四川省辺りから揚子江下流に広まり、上流階級の間では酒宴と同じく茶菓でも客をもてなしていたようです。
三国志にも「以茶代酒」(お茶を酒にみたてて飲む)という記述があるようですね。
(EZ)
19 ストラップ
緑黄色野菜として評価するならば、茶葉は非常に栄養価が高いですからね。
「一服」という数え方から考えても、内服薬であった事がわかりますね。
(PC)
20 無問題
飲料用として飲まれ始めたのは唐の時代からですか。日本にはいつごろわたってきたのでしょうか?
(W21K/au)
21 胡蝶
お茶が飲料として用いられた最古の記録は紀元前59年の前漢時代というのが一番有力で、唐代になって一般の人達にも広まったようです。
いつ日本に伝わって来たかというのは確証はまだ無いようですが、奈良時代か平安時代には宮廷等で飲まれていたとされてるみたいですよ。
(PC)
22 胡蝶
漢代にどのような茶が飲まれていたか、それを示す文献は現在のところ発見されてないようです。
が、三国時代の魏の張揖の著書、「広雅」に当時の茶のことが記されていて、それによるとこの時代の茶は「茶葉」ではなく固形茶の一種「餅茶」だったみたいです。
茶はこの時代、貴重なものだったので「餅茶」にして売買しました。
この方が持ち運びも簡単で、米の糊を使って固めてあるため湿気にも気を使わなくて済むのです。
(PC)
23 無問題
胡蝶さん・ご丁寧にありがとうございます。さすが、大学で歴史関係のことを学ばれているだけはありますね。三国時代から飲料用として飲まれる事があったのですね〜。
(W21K/au)
24 ストラップ
当時の茶はどんな茶だったのかな?

プーアル茶みたいな発酵茶(黒茶というのかな?)は飲んでいましたか?
(F2102V/FOMA)
25 胡蝶
色々調べてみましたが、当時のお茶がどのようなものか詳しくはわかりませんでした。

ただ張揖の「広雅」に『刑巴の間、葉を採り、餅と作す、葉の老いたるものは、餅成するに米膏を以って、茗を煮て飲まんと欲すれば、先ず炙りて赤色ならしめ、末に搗きて瓷器の中に置き、湯を以って澆覆し葱・薑(しょうが)・橘子を用いてこれを混ぜる』とあるようなのですが……。
これから察するに、飲料用として飲まれてはいましたが、この頃は餅茶を粉状にすり潰し、それを鍋で他の材料と煮るスープみたいなものだったんではないでしょうか。

う〜ん……あまり大した事はわかりませんでした(汗)
(PC)
26 巫俊(ふしゅん)
プーアル茶ははるか後代に創作された製法のお茶のようです。
たしか、戦乱で倉庫に放置された茶葉が、長い時間の間に発酵したものが起源だとか。

茶は中国南方の少数民族に起源があると考えられているようです。
史料がないことと、名前は茶ではないが茶に近い飲み物があった可能性は捨てきれないことから、不透明ですが、
南北朝時代に、南人は茶を飲み、北人はミルクを飲むようになっていたということです。
(PC)
27 巫俊(ふしゅん)
三国時代の楊州の山越や荊州の蛮の風習が、漢民族のあいだに移植されていったものと考えられます。
ただし、茶自体は漢代からあるという解釈もあります。
(PC)