4 ストラップ
>>>136(黄忠スレ)
曹操の軍にいた様ですね。
スレッドが乱立すると、何処に何が書いてあるかを把握するのが難しくなります。又、過去の議論は無視というのも悲しいものです。流れあってのスレッドですから、なるべく過去スレを読まれるよう、お願いします(笑)
曹操の軍にいた様ですね。
スレッドが乱立すると、何処に何が書いてあるかを把握するのが難しくなります。又、過去の議論は無視というのも悲しいものです。流れあってのスレッドですから、なるべく過去スレを読まれるよう、お願いします(笑)
(PC)
5 李勣
スイマセンm(__)m
過去レスあったんですねというわけで少し変更して、黄忠みたく演義ではよく描かれているが、実際はそれほどでもないっていう人物は他にいますか?諸葛亮は明らかにこの例に当てはまりますよね。
過去レスあったんですねというわけで少し変更して、黄忠みたく演義ではよく描かれているが、実際はそれほどでもないっていう人物は他にいますか?諸葛亮は明らかにこの例に当てはまりますよね。
(N2701/FOMA)
6 朱家
とりあえず、孔明はその例にあてはまりません。政治家の孔明は歴史上屈指の人物です。「民はこれを恐れ、これを愛す」演義は小説なので内政を描いても仕方がないため、神のごとき虚構が生まれた。軍事的な事を言われてるのだと思いますがそれほどでもないとの評価は…話を戻します。演義は蜀贔屓なため蜀の人物は大抵良く描かれてますね(特に孔明派の人物)。自分が驚いたのは夏候覇ですね。正史にほとんど記述がないのに演義では活躍します。魏から寝返ったからなんでしょうけど。
(A1304T/au)
7 天草
むむむ…。
皆さんとは違う意見になるやも知れません。
私は黄忠が>>5に書かれてるように、評価が低いとは思いません。
ソースは意外と趙雲伝です。
陳寿曰く…
「関羽・張飛はいずれも一騎当千で虎の様に強い臣家だと言われた。
関羽は曹操に手柄で報い、張飛は義によって厳顔を釈放し、共に国士の風格を備えていた。
しかし、関羽は剛情で自意識が強すぎ、張飛は乱暴で思いやりの情に欠けていた。両名ともその欠点ゆえに身の破滅を招いたが、これは当然である。
馬超は武力と勇猛をたのんで、その一族を滅亡に導いた。惜しいことである。だが、良く窮地を脱し安全を保つことが出来たのは、それなりの結末であった。
黄忠と趙雲は、その勇猛さと果敢さで、共に武臣となった。カン嬰・トウ候(いずれも漢の高祖の偉大な武臣)に連なる人物と言えよう」
つまり陳寿の評価は…
黄忠・趙雲>馬超>関羽・張飛
なんですよね。
まぁ彼個人的な意見ですから、分かりませんが、少なくとも決して評価の低い人物ではないのでは?と私は最近思っています。
皆さんとは違う意見になるやも知れません。
私は黄忠が>>5に書かれてるように、評価が低いとは思いません。
ソースは意外と趙雲伝です。
陳寿曰く…
「関羽・張飛はいずれも一騎当千で虎の様に強い臣家だと言われた。
関羽は曹操に手柄で報い、張飛は義によって厳顔を釈放し、共に国士の風格を備えていた。
しかし、関羽は剛情で自意識が強すぎ、張飛は乱暴で思いやりの情に欠けていた。両名ともその欠点ゆえに身の破滅を招いたが、これは当然である。
馬超は武力と勇猛をたのんで、その一族を滅亡に導いた。惜しいことである。だが、良く窮地を脱し安全を保つことが出来たのは、それなりの結末であった。
黄忠と趙雲は、その勇猛さと果敢さで、共に武臣となった。カン嬰・トウ候(いずれも漢の高祖の偉大な武臣)に連なる人物と言えよう」
つまり陳寿の評価は…
黄忠・趙雲>馬超>関羽・張飛
なんですよね。
まぁ彼個人的な意見ですから、分かりませんが、少なくとも決して評価の低い人物ではないのでは?と私は最近思っています。
(PC)
8 赤龍
天草さん、その引用趙雲伝ではなく、『蜀志』巻六の全体の評ですよ。中国の史書の形式の一つです。
あくまで、各自に対する評を述べていったのであり、五人の評価の上下を指すものでは無いと私は思っています。それに、どちらかというと趙雲、黄忠に対する評が味気無い印象も受けます。
あくまで、各自に対する評を述べていったのであり、五人の評価の上下を指すものでは無いと私は思っています。それに、どちらかというと趙雲、黄忠に対する評が味気無い印象も受けます。
(J-SA05)
9 李勣
確かに孔明はすばらしい政治家ですが、戦術家としてはいまいちだと思います。演義では孔明を戦争の天才として描いていますよね。そこのところが、黄忠伝のときみたいだなぁと思った次第です。(確かに孔明は戦略家としてはすばらしいと思いますが。)
黄忠が夏侯淵を斬ったのはある程度評価できますが、それ以外の目立った活躍は聞きません。確か五虎将軍は演義の虚構ですよね?
黄忠が夏侯淵を斬ったのはある程度評価できますが、それ以外の目立った活躍は聞きません。確か五虎将軍は演義の虚構ですよね?
(N2701/FOMA)
10 しす
黄忠の功績に関して定軍山のことしか触れられていませんが、益州攻略において正史では「常に先登して敵陣を陥れ、勇武豪毅は三軍でも随一だった」と記されており、これは立派な功績とは言えないでしょうか?
それに劉備が彼を後将軍に任命しようとした時に孔明が反対してますが、その中でも「馬・張は近くにいて彼の武功を自分の目で見ておりますから、お考えを納得させられましょうが」と言っています。
これは言い換えれば馬超や張飛も納得するだけの活躍はしているということですよね。
それに夏侯淵敗死というのは蜀にとっても魏にとっても一大事であったはず。
特に蜀にしてみれば、これに勝る戦果はないわけですから劉備の評価はもちろん陳寿の評価が高くなるのも当然な気がします。
それに劉備が彼を後将軍に任命しようとした時に孔明が反対してますが、その中でも「馬・張は近くにいて彼の武功を自分の目で見ておりますから、お考えを納得させられましょうが」と言っています。
これは言い換えれば馬超や張飛も納得するだけの活躍はしているということですよね。
それに夏侯淵敗死というのは蜀にとっても魏にとっても一大事であったはず。
特に蜀にしてみれば、これに勝る戦果はないわけですから劉備の評価はもちろん陳寿の評価が高くなるのも当然な気がします。
(PC)
12 しす
演義で
黄忠=弓の名手
にされた理由はやはり、彼が夏侯淵を討ち取った人物だからではないですかね。
弓の名手である夏侯淵を、同じ弓の名手である黄忠が破る。
多分に演出的匂いがします。
正史に年齢の記載のない厳顔が老将になったのも、やはり定軍山の戦いを印象づけるための演出かもしれませんね。
そういえば厳顔も張飛相手に弓の腕前を披露してましたね。
演義の厳顔は全てにおいて、黄忠の副将を務めるための演出が施されている気がします。
黄忠=弓の名手
にされた理由はやはり、彼が夏侯淵を討ち取った人物だからではないですかね。
弓の名手である夏侯淵を、同じ弓の名手である黄忠が破る。
多分に演出的匂いがします。
正史に年齢の記載のない厳顔が老将になったのも、やはり定軍山の戦いを印象づけるための演出かもしれませんね。
そういえば厳顔も張飛相手に弓の腕前を披露してましたね。
演義の厳顔は全てにおいて、黄忠の副将を務めるための演出が施されている気がします。
(PC)