1 黄漢升
偽帝の最後を看取った男その名袁胤
最近、私がものすごい興味がある、袁胤について語りましょう!いいですね、最後まで、偽帝袁術を見捨てずに付き添う!まさに漢ですね!さぁ、袁胤について語りましょう!
(N900i/FOMA)
2 無問題
黄漢升さん、はじめまして無問題という者です。なんか意外な人のスレですね。彼はたしか蜜皇帝袁術様(笑)の甥かなんかでしたかな?袁術の屍の入った棺をかなり離れた部下の劉勲の元に届けるという偉業(笑)を成し遂げていますよね。彼は三国志ゲームでは能力がボロボロです(苦笑)昔の三国志ゲームでは魅力だけ高かったような気がしましたが…。
(W21K/au)
3 符
なるほど、それほどの忠臣でしたか♪ 昔、三国志ゲームで袁術やった時、コムなのにいきなり初日一緒に同都市独断移動してきてビックリした経験あります。
当時、危ねぇ武将だなぁ・・汗っと思ってましたが・・離れたくなかったんですね。感涙
当時、危ねぇ武将だなぁ・・汗っと思ってましたが・・離れたくなかったんですね。感涙
(PC)
4 闘莉王
黄漢升さん、はじめまして!一応袁術の従弟とされてますが、記述が曖昧ではっきりしないみたいです。
袁術の死後の話。彼は劉勲の元に身を寄せますが孫策によって江東を追われてます。袁胤はそれを恨み、丹陽の祖郎らに謀反をさせようとしますが、失敗してます。皮肉ですね…一時は下についていた孫策にやぶれるなんて(哀)…まあ自業自得ですが(汗)
袁術の死後の話。彼は劉勲の元に身を寄せますが孫策によって江東を追われてます。袁胤はそれを恨み、丹陽の祖郎らに謀反をさせようとしますが、失敗してます。皮肉ですね…一時は下についていた孫策にやぶれるなんて(哀)…まあ自業自得ですが(汗)
(F900i/FOMA)
5 赤龍
闘莉王さん、祖郎の件は袁術存命中の話ですよ。袁術は袁胤を丹陽太守に任じていたが、孫策が江東平定の際これを追い払い、自分の部下を太守とした。袁術はこれを恨み、丹陽の宗帥祖郎に反乱を起こさせたという事件です。
(J-SA05)
6 闘莉王
赤龍さん、ご指摘感謝です!祖郎の一件は袁術存命中でしたか〜!私の見た本は時期までは書かれてなかったので、てっきり袁術死後かとおもってました。
ところで失敗したというのは、祖郎らが討伐されたってことなんでしょうか?それとも応じなかったんですか?
ところで失敗したというのは、祖郎らが討伐されたってことなんでしょうか?それとも応じなかったんですか?
(F900i/FOMA)
7 赤龍
祖郎は反乱を起こしましたが、孫策はこれを討伐し生けどりにします。孫策はこれを赦し、祖郎を取り立て、凱旋の際は祖郎は太史慈と共に軍の先導をしたとあります。残念ながらその後の活躍は記録されてません。
(J-SA05)
8 闘莉王
赤龍さん、ありがとうございますm(__)m
一応反乱は起こしたんですね!しかし意外ですねぇ〜!激情家の孫策が反乱者を赦すなんて…祖郎という人物に何かを感じたのでしょうか?厳白虎の弟厳興を打ち殺した時とはエライ違いですね。
一応反乱は起こしたんですね!しかし意外ですねぇ〜!激情家の孫策が反乱者を赦すなんて…祖郎という人物に何かを感じたのでしょうか?厳白虎の弟厳興を打ち殺した時とはエライ違いですね。
(F900i/FOMA)
9 赤龍
祖郎と孫策の戦闘は、祖郎が切りつけた刀が孫策の鞍にあたることがあった程の激戦だったようです。同じく孫策に降った太史慈と似た話ですよね。彼も孫策好みの武人だったのかもしれません。丹陽郡でかなりの勢力を持った土着の豪族と思われるので、この地の円滑な支配のための懐柔ということも考えられます。
(J-SA05)