1 魏骨

曹操を誉めちぎるスレ☆

ごめんなさい無問題さん!パクっちゃいました(笑)
(P505iS)
2 無問題
いえいえ、気になさらずに…。(笑)なかなか粋なはからいですね。曹操ずきの自分としてはたまらんスレです。彼の特筆すべきてんは、やっぱり戦争ですかね?三国志で彼の軍事手腕の右にでるものはいないと思います。後、軍事だけではなくすべてを極め尽したところもすごいですよね。かと言ってお高く構えるわけではなくなかなかきさくな1面もみせてますよね
(W21K/au)
3 郭嘉
私も大の曹操好きです!!たまらず飛んで来てしまいました。私も無問題さんの意見と同じですが、曹操は孫子兵法に注釈をつける程、軍事面にも秀でていました。大敗もしますが…(汗)また合理主義で時には残酷に見える事もあるかもしれませんが、その一方で冗談を言ってみたり詩を吟ずのが好きだったり…そんな多面的でどこか人間味溢れる曹操が好きです。もしかしたら曹操に付き従った人の中にもそんな風に感じる人が居たのかもしれませんね…??
(EZ)
4 無問題
郭嘉さん・彼の人間味にとんだ1面は大好きです。あと徹底した合理主義者でもありますよね。私怨で人材を殺すのをよしとしない考え方で(徐州の大量虐殺は弁明の余地がありませんが)陳淋や魏チュウとか並の君主だと確実に極刑になっていますよね。
(W21K/au)
5 赤龍
やはり私が注目したいのも文化的素養です。当代随一の詩人にして、孫子の注釈者と文化面でも後世に多大な影響を残してます。その他、種々の学問、芸に通じ、戦乱にあけくれた王朝創始者で、これだけの文化人は中国史上でもそうそういないですよね。
(J-SA05)
6 無問題
確か、『曹操、曹丕、曹植はトホ(漢字が…)が現れるまでの詩聖』とまで言われてますよね。『苦寒行』という詩がありますが、自然の雄大さと行軍の辛さを表した曹操ならではのスケールの大きさを感じさせます。
(W21K/au)
7 朱家
現在、伝わってる孫子のほとんどが曹操の記したものであり、注釈者というのが寂しい気がします。後世の影響を考えると曹操の孫子はもっと評価されるべきと思います。関係ないですが、以前中国へ行った時、若いガイドさんが陳寿、司馬遷を知らなかったのは驚きました。歴代皇帝の説明はスラスラ出てくるんですけどね。文化人にもっと光を!
(A1304T/au)
8 さくら
曹操は誉めなくてもともと凄いので、十分だと思いますが。(;^_^A


私は凄すぎてあまり好感ないです。頭悪くてすみますん。
(N900iS/FOMA)
9 三三
曹操誉めちぎる
ですか
難しいですね
誉めても誉め切れません
赤壁で勝ち、統一していたなら歴代皇帝の中でも不動の名君になっていたと思います
(PC)
10 あばばば
ん?トホじゃなくて、ドヨじゃないの?
(SH900i/FOMA)
11 赤龍
杜甫であってますよ。唐代杜甫、李白が現れ、それぞれ詩聖、詩仙と称され、中国最高の詩人の地位を不動のものとしましたが、この両者登場以前は曹植が最高の詩人といわれていました。
(J-SA05)
12 天晴
おじゃまします♪私も曹操大ファンです(^^ゞ
曹操さま素敵!男は外見じゃないです!!文武に優れていて、気さくで、筆まめで…8(*^^*)8
士大夫(儒教)との対立がなかったら、天下統一できたのかも…惜しい。
(P504i)
13 ストラップ
>>8確かにこのスレッドの存在意義は、>>>245とは比べ物にならない位低いですね。嫌いという人は沢山いますが、無能という人は先ずいませんから。

中学生の時まで、孫子の正体曹操説を信じていました。
僕は魯迅ファンなので、曹操は好きですね。
彼の一番の魅力は、その万能性ではないでしょうか。車に例えれば、ツーリングワゴンのような。
(PC)
14 天草
大伴サン》その書き方は誤解を生みますよ(汗)

魏骨サン》大伴サンはスレ自体が駄目だと言ってる訳ではなく、曹操という人物は褒める以外ないという意味ですから、勘違いしないで下さいねm(__)m

スレ趣旨と違うかも知れませんが、あえて彼に苦言を呈します。
彼が人を許したり、許さなかったりして、ことごとくこれが成功したかの様に書かれてるのは、あくまでも結果論に過ぎないのでは?という気もしませんか?
強引な独裁と強いリーダーシップは紙一重です。
曹操の場合、ただ褒めちぎりよりもこの辺りの事を討論するのも一興だと思いますが、いかがでしょう?
(N900i/FOMA)
15 赤龍
くらべものにならない存在意義=くらべものにならない曹操、孫権の存在感の差ということですよね。一般的に孫権は必死にアピールしてあげないと、あまり関心ももたれないですが、曹操の場合好きな人にも嫌いな人にも強烈な印象を残してますからね。
(J-SA05)
16 郭嘉
確かに紙一重ですよね。合理主義だから臨機応変なんでしょうが…彼はその時その時で判断が違うので、周りに不満を抱く者はいた筈ですよね?何故うまくまとめ上げる事が出来たのでしょうか?三国志初心者の私には大した意見が言えませんf^_^;是非皆さんの意見を拝聴致したいです。
(EZ)
17 魏骨
天草さん、ぜんぜん大丈夫ですよ☆私が思うに強いリーダーシップをもったいい意味の独裁者なのだと思います。赤龍さんの言う通りあれだけの顔を持った絵になる王はいませんよね。現代の日本の阿瞞よ!でてこい!
(P505iS)
18 ストラップ
皆さんフォロー有難う。

曹操自身のスレッドって無かった事もあり、僕はこのスレッド自体を認めてはいるのですよ。

しかし曹操無能論とかの方が、張り切ったんだけどなぁ(笑)
(PC)
19 無問題
ストラップさん・はじめまして、よろしくお願いします。曹操無能説ですか…。う~ん、難しいですね…。そもそも無能と判断する要素が少ないですから…。彼の立ち振る舞いは良くも悪くも非凡ですから…。故に彼を好きなひとも嫌いなひともかなり印象に残るのではないでしょうか?
(W21K/au)
20 ストラップ
>>19だからですよ(笑)難しくなければ張り切らないのです(たはは)本当に無能かどうかよりも、無能と思える証拠を探す過程で、思わぬ発見があるかも知れませんよ。

昔コミックトムで、曹操無能論を見た事がありますが、論証があまりしっかりとしていなかった為に、あまり面白くはありませんでした。それに反論する方が酷く、「私の曹操様の悪口は許せない」でしたから。まぁこれは悪い見本。

自分の本来の主張とは別に、わざわざと(無理矢理)新しい視点を用意する事は、なかなかに楽しいものですよ。
逆を主張する事によって、定説を強護にする事もありますし。
(D505iS)
21 ストラップ
証拠があって、仮説を立て論証する。

これが本来の研究者かも知れません。

しかし我々には、
論証をする(というか、話題を作る)為に仮説を立て、立てた仮説を立証する(というかこじつける)為に証拠を探すというスタイルが許されるのではないでしょうか?結論があった後に証拠を探すという。

結局我々アマチュアのの楽しみは、知識を得るという事なのですが、素人にはこの様な方法も許されると思いますよ(笑)
(D505iS)
22 赤龍
それもまた、面白いやり方ですね。特に「討論」を盛り上げるためには。以前の大伴さんとの「荀イク無能説」についても盛り上がりましたし。こじつけぽい論を明確に論破できないことで、通説の根拠の弱さが露呈することも考えられますね。
(J-SA05)
23 赤龍
参考までに、私は反対にできる限りニュートラルな視点で史料を読むよう心がけています。先に結論があると、それに引きずられた史料の読みになったり、都合のいい点だけ目についたりする危険性があります。固定観念や、演義等の創作の印象を排除する意味もあります。心がけてるだけで、なかなか難しいんですけどね(笑)これまた一つの方法と思って下さい。
(J-SA05)
24 無問題
ストラップさんって大伴さんだったんですか!?初めてしりました。大伴さんも赤龍さんもレベルが高いですね。自分はまだ仮説を立てるほどの知識を持ち会わせていません。まだまだ勉強不足なのだなと思いました。歴史っていろんな見方がありますよね~…。そこが面白いところなんですが
(W21K/au)
25 ストラップ
>>24
たはは(汗)赤龍さんの横に名をのせられると恥ずかしいですよ(滝汗)

私がスレ趣旨を変えた様なので軌道修正。
曹操の優れた部分は多くありますが、僕がもっとも評価するのは、 彼は賭博的要素の高い勝負を何度もやったという事です。それで何度も大敗していますが、この精神がなければ大勝ちも生まれません。計算高いだけで無く、時には大勝負が打てた事。ここを評価します。ギ延スレッドで語られる内容とも繋がるのではないでしょうか?
(D505iS)
26 赤龍
諸葛瑾について調べてたら目についた、孫権が諸葛瑾に語ったことより「曹操が行ったところは、容赦無く人々を殺したという点でいささか過ちがあり、肉親の間を引き裂いたという点で残酷であるとされるにすぎない。彼が部将たちをまとめ率いる手腕にいたっては、古今に稀なものがあって、曹丕は曹操の万分の一にも及ばぬのである」英雄は英雄を知るといったとこでしょうか。
(J-SA05)
27 ヤスシ
全然話は変わりますが(汗)

曹操の生涯戦績と言うのがありましたので書いておきます。

※指揮官として参戦
67戦
勝率.865
(PC)
28 たろう
凄い勝率ですね…曹操が指揮をとって負けた戦ってのはどんなのがあるんですか?徐栄の伏兵・宛・赤壁・漢中・以外にありますかね…
(W21SA/au)
29 天草
>>27
それは面白いデータですなぁ。
>>28
出典が正史なら、たぶん賊討伐やら反乱討伐も入っているのでしょう。
もちろん袁術や官渡もお忘れなく。
官渡後の袁残党排除北伐なんかも入ってるかな?
(PC)
30 ヤスシ
>>27
出典は正史の様です。
…が、どこまでが指揮官としての戦いなのか解りませんm(__)m
(W22H/au)
31 しす
>>27
もしかしてヤスシ殿が参考にされたのがログイン&アスペクト編集部編著「三国時代スペシャル」ですか?
>>>210-9
で七星殿がお勧めされてますが、残念ながら絶版のもよう。
(PC)
32 ヤスシ
>>31
いや、別冊宝島412よみがえる三国志伝説です
スレ違い失礼m(__)m
(PC)
33 天草
捜索依頼スレにも書きましたが、曹操の個スレが見当たりません。。。


先主伝を読んでいたら、気になる記述を発見しました。

霊帝の末年、劉備は最初は都にいたが、後に曹公と一緒に沛国へ戻り、兵を募集して軍勢を糾合した。折りしも霊帝が崩御し、天下は混乱におちいった。劉備もまた兵を挙げて董卓討伐に従った。(英雄記)

英雄記の信憑性は私には分かりませんが、もし額面通りに解釈すれば、劉備と曹操はかなり前に知り合いだった可能性がありますよね?
しかも訳次第でしょうが、一緒に兵を挙げた可能性もありそう。

胡散臭い話ですが、真意のほどは?
(PC)
34 巫俊(ふしゅん)
曹公というのは別の曹氏のことかもしれないかな~と提起してみます。

ご存知そこの英雄記の記述は、先主伝の注という形式で引用されている訳ですが、
劉備が高唐の県令になってから、賊に敗走させられて公孫瓚のもとに走り、 公孫瓚配下の別部司馬になるところ、、、
具体的には、高唐の県令になった直下に注があるんですよね。

ということは、これは異説として注に載せられているわけですが、何か理由があるのかな、と。
(PC)