1 寿君
赤壁での劉備軍
皆様、初めまして。私、寿君と申します。よろしくお願いします。
私も小学校高学年の頃から三国志にはまり20年になります。今まで、この掲示板は皆さんの意見が非常に見識が高いので、中々カキコできなかったのですが、楽しそうなので我慢できずカキコしました。
さて、本題ですが、赤壁戦における劉備軍は本当に何もせず後方で傍観していたのでしょうか。「江表伝」にその記述がありますが、この記述をみていると、妙に周瑜や魯粛がよく書かれ、周瑜に対面した時の劉備の姿等は、やけに卑屈な小人物っぽく映ります。確か、「江表伝」の執筆時期はそれほど三国時代から後ではありませんよね?。私はこの書物の逸話をどうも鵜呑みにはできません。それに、魏書武帝紀には劉備と戦って負けたとあります。戦場に劉備が居ないなら、こうは書かれないと思います。
いったい、劉備は何をしていたのでしょうか?。
私も小学校高学年の頃から三国志にはまり20年になります。今まで、この掲示板は皆さんの意見が非常に見識が高いので、中々カキコできなかったのですが、楽しそうなので我慢できずカキコしました。
さて、本題ですが、赤壁戦における劉備軍は本当に何もせず後方で傍観していたのでしょうか。「江表伝」にその記述がありますが、この記述をみていると、妙に周瑜や魯粛がよく書かれ、周瑜に対面した時の劉備の姿等は、やけに卑屈な小人物っぽく映ります。確か、「江表伝」の執筆時期はそれほど三国時代から後ではありませんよね?。私はこの書物の逸話をどうも鵜呑みにはできません。それに、魏書武帝紀には劉備と戦って負けたとあります。戦場に劉備が居ないなら、こうは書かれないと思います。
いったい、劉備は何をしていたのでしょうか?。
(P900i/FOMA)
3 寿君
漢魏の風骨さん>確かにそうですね。その史書の中にある食い違った色々な話を自分なりに分析して答えを導きだす所に、正史を読む醍醐味があるんですよね。
私の推論では、普通に劉備・周瑜連合軍は赤壁で曹操軍と戦い、黄蓋がその連合軍陣中において火攻めを提案して実行し、これを戦機として水上から周瑜軍が陸上から劉備軍が攻めかかった。しかし、疫病で戦意が低下していた曹操軍は連合軍が攻撃に出た時に病人を置き去りにして、素早く退却したのだと考えてます。
私の推論では、普通に劉備・周瑜連合軍は赤壁で曹操軍と戦い、黄蓋がその連合軍陣中において火攻めを提案して実行し、これを戦機として水上から周瑜軍が陸上から劉備軍が攻めかかった。しかし、疫病で戦意が低下していた曹操軍は連合軍が攻撃に出た時に病人を置き去りにして、素早く退却したのだと考えてます。
(P900i/FOMA)
5 寿君
天草さん>どうぞ、よろしくお願いします。
なるほど、天草さんがおっしゃってるスレでの天草さんの劉備軍に対する意見は卓見だと思います。確かに何もしていなければ、戦後の処遇が劉備にとって美味しすぎますよね。
魯粛もどうせ勝っても荊州の人士が劉備についてしまうだろうから、劉備と同盟するように勧めたのかも知れませんね。
なるほど、天草さんがおっしゃってるスレでの天草さんの劉備軍に対する意見は卓見だと思います。確かに何もしていなければ、戦後の処遇が劉備にとって美味しすぎますよね。
魯粛もどうせ勝っても荊州の人士が劉備についてしまうだろうから、劉備と同盟するように勧めたのかも知れませんね。
(P900i/FOMA)