1 諸葛豊

劉備は、漢室の末裔?

劉備は、自称漢室の末裔と名乗っていますが実際はどうだったんでしょう?私は嘘臭いと思うんですが…
(N900iS/FOMA)
2 李克用
とりあえず、末裔である根拠は無し(姓ぐらいか)。
どちらとも言えないのが、実情だと思います。
(P900i/FOMA)
3 赤龍
よく言われることですが、劉備の先祖の中山靖王劉勝といえば、子供が120人もいたと言われている子沢山。それだけいれば、その子孫も沢山いるだろうし、血を引いててもおかしくはないかなと思ったりします。あんまし価値は無さそうだけど(笑)孫武の末裔を称している方よりかはまだましかな。結局は李克用さんの言われるように、よくわからないというとこで落ち着くしかないですけど。
(PC)
4 名無しさん
血縁が薄くてもようは大義名分があればいいわけですね。
しかしこの時代劉備みたいに末裔を自称した人物は他にいたんですかね?
(P900i/FOMA)
5 たろう
劉備の旗揚げの頃はそれしかなかったですからね…
劉表・劉ヨウあたりの方が血縁である可能性が高かったんですよね?彼等は自称してたんでしょうか…
(W21SA/au)
6 李克用
自称した人もいると思いますが、それは名声の無い人(庶民などなど)でしょう。

劉表などは自称と言うより、本当に血族だったはずです。言わなくても認識されてたんでしょう。
(P900i/FOMA)
7 赤龍
ちょっとまた違うタイプですが、匈奴の劉豹、淵等は、かつて漢の皇室と婚姻関係があったことを理由に、姓を劉氏を称し、建国時に国名を漢としました。演義の前身『三国志平話』では、こうした事情を知ってか知らずか、劉備の子孫の劉淵が北に逃れ漢を再興し、晋を滅ぼしてめでたしめでたし、という結末らしいです。
(PC)
8 ストラップ
曹操は曹参の、夏侯惇は夏侯嬰の荀イクは荀子(荀況)、孔融は孔子(孔丘)の子孫という事になっていますね。孔融等はしっかりした系図があったのでしょうが、他の三氏は怪しいのではありませんか?
(PC)
9 ストラップ
>>7
そうそう。強引に漢の再興という結末になります。しかも光武帝の時代から物語が始まるところも凄いですね。
>>>36-12参照
(PC)
10 無問題
少し話がずれますが、なんかの三国志をとりあげている番組で、三国時代の英傑達の子孫探しをやっていて曹操や孫権の子孫は見付かったんですが、劉備の子孫は見付からなかったそうです。しかし、例の天使の車の屋根のような桑の木は実在していたようです。
(W21K/au)
11 李克用
>>8
たぶん、姓からしか取ってないんだと思いますが。
曹操ではなく、祖父の曹騰なら解りますが、曹操が曹参なのは微妙。

馬超などは馬援や馬服君の子孫、諸葛亮は諸葛豊とも言われますね。馬超は、間違いないんだろうけど。
(P900i/FOMA)
12 赤龍
曹氏、夏侯氏は、沛の豪族ということなので、本当に末裔だった可能性が高いんじゃないかと思います。
(PC)
13 親指傷
この前、謀NH?の番組で孔明の子孫の村があるってやってました(^O^)/
(P900i/FOMA)
14 ストラップ
彼の家系って‥‥‥
漢景帝子中山靖王勝之後也。勝子貞、元狩六年封タク県陸城亭侯、坐酎金失侯、因家焉。先主祖雄、父弘、世仕州郡。
つまり、
漢の景帝の子供で、中山靖王に封じられたマサルさんの子のサダさんは、元狩六年(BC.117年)にタク県で爵位を失い、そのままタクに住みました。劉備の祖父はユウさんといい、父はヒロシといいました。
って、景帝の孫のサダから劉備の祖父のユウまで訳二百年位すっ飛ばし(汗)
やっぱり胡散臭過ぎる!!
(PC)