2 ストラップ
pcのみですが、私のwebloghttp://www.mojika.com/flog/archives/2005/05/post_20.html#moreに、弓矢と利き目についての話を少しだけ書いておきました。
(PC)
3 天草
弓矢についての皆さんの知識を拝見致しました。
そこで初歩的な疑問を少し…。
@短い弓というのが、イマイチイメージできないのですが、どの程度の長さだったのでしょうか?またあまり短すぎると殺傷能力に疑問が残りますが…。
A持ち手が中央と言う意味が少し理解できません。
胸の辺りで構えて…という意味でしょうか?
B当時の弓は騎馬上で使われたという事ですが、どう考えても普通に構えて何人かで固まって射った方が効率が良い気がします。騎馬上で利用するのに何か意味があるのでしょうか?
そこで初歩的な疑問を少し…。
@短い弓というのが、イマイチイメージできないのですが、どの程度の長さだったのでしょうか?またあまり短すぎると殺傷能力に疑問が残りますが…。
A持ち手が中央と言う意味が少し理解できません。
胸の辺りで構えて…という意味でしょうか?
B当時の弓は騎馬上で使われたという事ですが、どう考えても普通に構えて何人かで固まって射った方が効率が良い気がします。騎馬上で利用するのに何か意味があるのでしょうか?
(N900i/FOMA)
4 赤龍
短い弓は70〜90センチ程度だったようです。騎上では、扱いやすいように短い弓を使ったという事で、歩兵はもっと長いもの(平均140センチくらいかな?)を使ってたと思われます。当然騎射は熟練した技量が求められ、歩兵での弓の使用の方が多かったと思われます。
(J-SA05)
5 しす
>天草殿
急場凌ぎのイラストで恐縮なんですが…
http://al.kutikomi.net/chinkyu/5/?nu=7
短弓はイラスト右側くらいのものではないかと。
それと持ち手が中央というのは左側イラスト参照してもらうと解りますが…
和弓は握りの部分より上部が下部より長いのが解ると思います。
これが日本独特のスタイルで、中国や諸外国で使われた弓は握りの部分がほぼ中央に位置しているという意味です。
急場凌ぎのイラストで恐縮なんですが…
http://al.kutikomi.net/chinkyu/5/?nu=7
短弓はイラスト右側くらいのものではないかと。
それと持ち手が中央というのは左側イラスト参照してもらうと解りますが…
和弓は握りの部分より上部が下部より長いのが解ると思います。
これが日本独特のスタイルで、中国や諸外国で使われた弓は握りの部分がほぼ中央に位置しているという意味です。
(PC)
7 ヤスシ
>>6
小さくても殺傷能力はあった様ですよ。
日本の物より強い素材、強い接着剤を使用していた様です。また、矢の取懸け(これが良く解らない。詳しい方説明願います)が蒙古型といわれる威力の出るものだった様です。
この蒙古型の弓が現在のアーチェリーより強力であったとの事。
因みにアーチェリーの飛距離が200〜300mだそうです。
小さくても殺傷能力はあった様ですよ。
日本の物より強い素材、強い接着剤を使用していた様です。また、矢の取懸け(これが良く解らない。詳しい方説明願います)が蒙古型といわれる威力の出るものだった様です。
この蒙古型の弓が現在のアーチェリーより強力であったとの事。
因みにアーチェリーの飛距離が200〜300mだそうです。
(PC)
8 郭嘉
矢の取懸け…はっきりとはわかりませんが、弦への矢のつがえ方かなと思ったのですが…。弓道での取懸けは、主に引く側の手を弦にかける動作の事を言いましたので。きちんと知っている方、いたらお願いしますm(_ _)m
(EZ)
9 しす
取懸けの説明は郭嘉さんの説明であっていると思います。
私も弓道経験者ではないので詳しいことは解りませんが、現在の日本の弓道は「蒙古型」のようですね。
具体的にどんなものかは知りませんが。
ただ現在の弓道とアーチェリーの射方の違いを見れば解りやすいのですが、アーチェリーは弦を顔付近まで、弓道は耳の後ろまで弦を引いていますので、これが取懸けの違いによる見た目の差だと思います。
現在においてこれだけ射法に違いが生じているのは、的の中心近くに当てること競うアーチェリーと、的に何本命中させたかで競う弓道の競技スタイルの違いからだと思いますが、間違ってたら申し訳ない。
私も弓道経験者ではないので詳しいことは解りませんが、現在の日本の弓道は「蒙古型」のようですね。
具体的にどんなものかは知りませんが。
ただ現在の弓道とアーチェリーの射方の違いを見れば解りやすいのですが、アーチェリーは弦を顔付近まで、弓道は耳の後ろまで弦を引いていますので、これが取懸けの違いによる見た目の差だと思います。
現在においてこれだけ射法に違いが生じているのは、的の中心近くに当てること競うアーチェリーと、的に何本命中させたかで競う弓道の競技スタイルの違いからだと思いますが、間違ってたら申し訳ない。
(PC)
10 郭嘉
現在の弓道の矢の取懸け方は「蒙古型」なんですか。初めて知りました。弓道の矢の取懸け方は、矢に筈(漢字あってたかな)という溝のあるものを取り付けてあるのですが、その溝に弦をはめ込みます。実物を持っているので見せれたらよかったのですが…。
(EZ)
11 しす
>郭嘉さん
「はず」は漢字では「弭」ですよ。
余談ですが、日本の戦国時代には矢を撃ち尽くしたり、弦が切れて予備もない時などには弭に携帯式の槍穂を装着して近接用の武器として再利用なんかもしてたようです。
「はず」は漢字では「弭」ですよ。
余談ですが、日本の戦国時代には矢を撃ち尽くしたり、弦が切れて予備もない時などには弭に携帯式の槍穂を装着して近接用の武器として再利用なんかもしてたようです。
(PC)
12 赤龍
私も弓道未経験でよくわかりませんが、中国では弓の両端の弦をとりつける箇所が弭(ビ、ゆはず)矢の端の弦をつがえるための溝を筈(はず)というようです。辞書によると日本では、弓の両端も筈というようです。日本では「ゆはず」も「やはず」も筈と書くということでしょうか?そこで郭嘉さんとしすさんの「はず」の字の違いが起きたのでは?
(J-SA05)
13 赤龍
とりあえず>>10で郭嘉さんの言われる「はず」は「やはず」の事なので「弭」では無く「筈」の方が妥当かと。>11ではしすさんは「ゆはず」の弭の方の話をされてますね。
弭に槍先をつけて戦うって、戦国無双の稲姫の弓のようなイメージでしょうか?
弭に槍先をつけて戦うって、戦国無双の稲姫の弓のようなイメージでしょうか?
(J-SA05)
14 ストラップ
弓道経験者の私からも(笑)
洋弓と弓道の射方は、一見似ていますが、筋肉の使い方が大きく異なります。
洋弓は、前方にある弓から弦を後方に引く弾き方で、使われるのは主に胸筋と右の上腕筋です。
それに対し弓道では、体の中心に上げた弓を下ろしながら、左手で前方に突き出す様に引きます。ここで主として使われる筋肉は、左手の下筋と、胸筋です。
後漢の時代にどちらの射方が用いられていたかは知りませんが、二つは別の技法だと思います。
洋弓と弓道の射方は、一見似ていますが、筋肉の使い方が大きく異なります。
洋弓は、前方にある弓から弦を後方に引く弾き方で、使われるのは主に胸筋と右の上腕筋です。
それに対し弓道では、体の中心に上げた弓を下ろしながら、左手で前方に突き出す様に引きます。ここで主として使われる筋肉は、左手の下筋と、胸筋です。
後漢の時代にどちらの射方が用いられていたかは知りませんが、二つは別の技法だと思います。
(PC)
15 赤龍
なるほど。だから弓の名手と言われた鎮西八郎為朝が、左手の方が何寸か長いという伝説が生まれたわけですね。そういえば漢の将軍李広も生まれつき猿のように臂が長く、射術に長じたのは天性によるものといわれてますね。
(J-SA05)
17 しす
>赤龍殿
訂正ありがとうございます。
やはり実経験のない者ゆえの恥ずかしい勘違いをいたしました(汗)
それと弭槍ですが、弓は弦がなければちょっとしなった棒状になりますので微妙に曲がった素槍みたいな感じになるようです。
ただし飽くまで急場凌ぎの武器なので威力は通常の武器に比べて威力はだいぶ落ちたようです。
訂正ありがとうございます。
やはり実経験のない者ゆえの恥ずかしい勘違いをいたしました(汗)
それと弭槍ですが、弓は弦がなければちょっとしなった棒状になりますので微妙に曲がった素槍みたいな感じになるようです。
ただし飽くまで急場凌ぎの武器なので威力は通常の武器に比べて威力はだいぶ落ちたようです。
(PC)
24 天草
某所で中国の武器についてのお話を見ました。
非常に興味深かったのですが、三国志時代に通ずる記述を一応引用しておきます。
漢代には、騎馬戦が発達し刀は次第に剣に取って変わり、当時の主要兵器になる。当時比
較的広まっていた刀は「環首刀」「環柄刀」で鉄製の刀である、短い柄、長い刀刃、刀背
と刃ともに真っ直ぐで、刀柄と刀身の幅には差が無く、護手は無い、刀柄の後には平らな
環状の物が付く、長さは1メートル以上の物が作られていた。
漢代では刀を作る技術は大変優れており 30煉、50煉そして100煉と相次いで作られるよ
うになった。
100煉とは刀を作る時、何度も鋼を折り畳み、鎚で打ち鍛えあげることによって不純物を
取り除き純度の高い鋼を作り出す技術です。
非常に興味深かったのですが、三国志時代に通ずる記述を一応引用しておきます。
漢代には、騎馬戦が発達し刀は次第に剣に取って変わり、当時の主要兵器になる。当時比
較的広まっていた刀は「環首刀」「環柄刀」で鉄製の刀である、短い柄、長い刀刃、刀背
と刃ともに真っ直ぐで、刀柄と刀身の幅には差が無く、護手は無い、刀柄の後には平らな
環状の物が付く、長さは1メートル以上の物が作られていた。
漢代では刀を作る技術は大変優れており 30煉、50煉そして100煉と相次いで作られるよ
うになった。
100煉とは刀を作る時、何度も鋼を折り畳み、鎚で打ち鍛えあげることによって不純物を
取り除き純度の高い鋼を作り出す技術です。
(PC)
27 黒耀竜
>>25
それは「懸門」のことではないでしょうか。鉄で補強した門扉(または鉄板)を滑車で門の内側に吊るしておき、必要に応じて下ろしたものですね。
城門や北辺の烽燧(狼煙台)などの防禦にも使われていたようですね。
それは「懸門」のことではないでしょうか。鉄で補強した門扉(または鉄板)を滑車で門の内側に吊るしておき、必要に応じて下ろしたものですね。
城門や北辺の烽燧(狼煙台)などの防禦にも使われていたようですね。
(PC)
28 ストラップ
(PC)
33 ストラップ
(PC)
36 しす
>>>399-16
槍は孔明の発明と言われてますが、
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50203727.html
で黒耀竜さんが言われているように、その前身たる矛との間に明確に線引きがなされていたわけではないと思われます。
矛と槍が明確に区別されるようになるのはもう少し後の隋、唐の時代のようです。
そうなると矛、あるいはハ(←ちゃんと表示されてるかな?)の起源にまで遡らないとだめなのかもしれません。
槍は孔明の発明と言われてますが、
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50203727.html
で黒耀竜さんが言われているように、その前身たる矛との間に明確に線引きがなされていたわけではないと思われます。
矛と槍が明確に区別されるようになるのはもう少し後の隋、唐の時代のようです。
そうなると矛、あるいはハ(←ちゃんと表示されてるかな?)の起源にまで遡らないとだめなのかもしれません。
(PC)
37 巫俊(ふしゅん)
矛は矛盾のたとえの故事のように、また橘という字にも矛の字が入っていますから、はやくからこの矛という武器が普及してきたことがよく分かります。
漢代以前の古典では、槍というと槍星という星座の名前で頻出するようですね。
武器としての槍の語義はまだ調査中です。
矛と槍がよく似てるというか、機能的にもそっくりなのは理解しやすい話ですし、ただそれを呼ぶ言葉が交替したということは、やはり無視できない何かの原因が関与してると思います。
例えば剣という言葉は、ペルシャ語もしくはその近縁の言葉に起源しているという説がありますしね。
中国(農耕民の王朝)に剣が普及したのは西周時代で、殷代に帯剣の習慣はないんですよね。
剣は殷周時代の北方遊牧民が帯びていたものが、中国に交易で取り入れられたのが起源です。
つまり把手以外はほとんど金属製の剣は、必然的に金属文化以外に起源しえないのでして、オリエントに起源してると思われています。
少なくとも新大陸の古典文明にはオリジナルの剣の文化はないし、中国の剣は西方起源が確実なので。
剣のことを軽呂とも呼びますが、これは匈奴の言葉でもあります。
漢代以前の古典では、槍というと槍星という星座の名前で頻出するようですね。
武器としての槍の語義はまだ調査中です。
矛と槍がよく似てるというか、機能的にもそっくりなのは理解しやすい話ですし、ただそれを呼ぶ言葉が交替したということは、やはり無視できない何かの原因が関与してると思います。
例えば剣という言葉は、ペルシャ語もしくはその近縁の言葉に起源しているという説がありますしね。
中国(農耕民の王朝)に剣が普及したのは西周時代で、殷代に帯剣の習慣はないんですよね。
剣は殷周時代の北方遊牧民が帯びていたものが、中国に交易で取り入れられたのが起源です。
つまり把手以外はほとんど金属製の剣は、必然的に金属文化以外に起源しえないのでして、オリエントに起源してると思われています。
少なくとも新大陸の古典文明にはオリジナルの剣の文化はないし、中国の剣は西方起源が確実なので。
剣のことを軽呂とも呼びますが、これは匈奴の言葉でもあります。
(PC)
38 赤龍
『武器と防具 中国編』(新紀元社)によりますと、長柄の武器である槍が登場する以前、「槍」には「両端を尖らせた木」という意味もあったようです。敵の侵入を防ぐ障害物らしいです。これまた『墨子』備城門篇に見られるとか。
この書き方で分かるように、実際の用例は自分では全く調べてません(笑)とりあえず、もとから武器としての意味もあったようです。
この書き方で分かるように、実際の用例は自分では全く調べてません(笑)とりあえず、もとから武器としての意味もあったようです。
(PC)
39 シロクマ
過去ログ見ていたら弓道についてあったのでageを兼ねて知識&推論披露(間違ってたらスイマセン)
日本と諸外国の弓の違いは材料によるところが大きいです。(これは既出ですね)
日本は強い反発力を持つもの(動物の角等)を多くは集める事が出来ませんでした。理由はわかりませんが(汗
そのため、竹などが広く使われるようになりました。しかし反発力は劣っているのでそれほど遠くには矢が飛びません。それを補うため弓が長くなったと言われています。
ここからは僕の推論です。
しかし、弓を長くするにも長すぎてはどんどん扱いにくくなるので限界はあります。
そこで、次は引き方変えここで弓道独特の大きな引き方ができたと思います。
なので、僕の見解としては三国志の時代は弓道よりもアーチェリーに近いと思われます。
最後に疑問なんですがあの時代を含め大半は統一して全員左手に弓ではないのでしょうか?
日本と諸外国の弓の違いは材料によるところが大きいです。(これは既出ですね)
日本は強い反発力を持つもの(動物の角等)を多くは集める事が出来ませんでした。理由はわかりませんが(汗
そのため、竹などが広く使われるようになりました。しかし反発力は劣っているのでそれほど遠くには矢が飛びません。それを補うため弓が長くなったと言われています。
ここからは僕の推論です。
しかし、弓を長くするにも長すぎてはどんどん扱いにくくなるので限界はあります。
そこで、次は引き方変えここで弓道独特の大きな引き方ができたと思います。
なので、僕の見解としては三国志の時代は弓道よりもアーチェリーに近いと思われます。
最後に疑問なんですがあの時代を含め大半は統一して全員左手に弓ではないのでしょうか?
(SH902iS/FOMA)
40 ストラップ
>>35
「武経総要」にある「ソウ板(県門に類するもの)」の挿絵でした。
注によると、
「『左伝』荘公二十八年及び襄公十年の条に、それぞれ県門の事がみえる。その注釈(孔疏)によると、「県門は城門と同じ大きさに板を組んだもので、県門の上に装置を仕掛ける。敵がやってくると、引き金を引いて県門を下ろす」とある」
とあります。
>>38
>>34の「第五十二 備城門篇」では、
「(以下、防備体制、すなわち守備器具・人員配置などにつき、詳しく数字を挙げて説明するが、省略する)」
となっており、確認できませんでした。恐らくこの本が最も完訳に近いので、原文を当たるより他無い様です。
「武経総要」にある「ソウ板(県門に類するもの)」の挿絵でした。
注によると、
「『左伝』荘公二十八年及び襄公十年の条に、それぞれ県門の事がみえる。その注釈(孔疏)によると、「県門は城門と同じ大きさに板を組んだもので、県門の上に装置を仕掛ける。敵がやってくると、引き金を引いて県門を下ろす」とある」
とあります。
>>38
>>34の「第五十二 備城門篇」では、
「(以下、防備体制、すなわち守備器具・人員配置などにつき、詳しく数字を挙げて説明するが、省略する)」
となっており、確認できませんでした。恐らくこの本が最も完訳に近いので、原文を当たるより他無い様です。
(F2102V/FOMA)
43 しす
>>42
それを言うなら井闌の間違いですね。
読み方は「せいらん」で正解です。
簡単に言うと攻城用移動式櫓。
最近じゃシミュレーションゲームの『三国志』シリーズや『真三國無双4』などに登場してるからご存知の方も多いかも。
それを言うなら井闌の間違いですね。
読み方は「せいらん」で正解です。
簡単に言うと攻城用移動式櫓。
最近じゃシミュレーションゲームの『三国志』シリーズや『真三國無双4』などに登場してるからご存知の方も多いかも。
(PC)
45 玄龍
このスレ面白いな〜♪
「戦車」の疑問が解決しましたよ。
弓についてですが、構造や材質の他に個人のカスタマイズもあったのでは?
ゲームや漫画では弓=女の子とうイメージが強いですが
呂布とかが使っていたのはきっと物凄い剛弓だったのではないかと。
「戦車」の疑問が解決しましたよ。
弓についてですが、構造や材質の他に個人のカスタマイズもあったのでは?
ゲームや漫画では弓=女の子とうイメージが強いですが
呂布とかが使っていたのはきっと物凄い剛弓だったのではないかと。
(V604SH)
46 たまねこ
弓は剣や槍みたいに直接武器じゃないから腕力の弱い女の子キャラの武器ってイメージなんでしょうね。
でも実際の弓は腕力がモノをいうと思います。
ところで三国志時代の弓で「火矢」が良く登場しますね。あの矢には何かの油が塗ってあったのでしょうか?
また矢を燃やすにも現代なら布や紙を安易に使いますが、三国志の当時は布も紙も高価でしょうから使ったと思えないんですが…ワラでも矢に付けて火をつけて弓で射るなんて本当に出来るのでしょうか?燃焼を持続させるためには、かなりのワラを矢につけなければならないと思うのですが矢のバランスの事も気になります。
駄文失礼しました。
でも実際の弓は腕力がモノをいうと思います。
ところで三国志時代の弓で「火矢」が良く登場しますね。あの矢には何かの油が塗ってあったのでしょうか?
また矢を燃やすにも現代なら布や紙を安易に使いますが、三国志の当時は布も紙も高価でしょうから使ったと思えないんですが…ワラでも矢に付けて火をつけて弓で射るなんて本当に出来るのでしょうか?燃焼を持続させるためには、かなりのワラを矢につけなければならないと思うのですが矢のバランスの事も気になります。
駄文失礼しました。
(W32H/au)
47 巫俊(ふしゅん)
火矢の材料は知りませんけど、物資が欠乏しない限り高いなんて有り得ません。紙や布が高いってそれは高級品の紙と布のことで、全然別ですからどこかの本か何かの説明に惑わされないでください。
(N503i)
48 巫俊(ふしゅん)
貧しい国だからワラしかないなんて想像されてるのかもしれませんが、燃料としては木炭の大量生産がされてから久しいですし、
トラクター代わりの牛が排出する糞はワラなどより密度が高くよく燃えます。
氷をカッティングしてガラスレンズの如くの形に加工し、太陽光を集めてモグサ(燃草)に点火する採火術は、陳寿の上司で西晋の士大夫の張華が著書『博物志』に記録しています。同時代の先進物質文化の記録ですね。
トラクター代わりの牛が排出する糞はワラなどより密度が高くよく燃えます。
氷をカッティングしてガラスレンズの如くの形に加工し、太陽光を集めてモグサ(燃草)に点火する採火術は、陳寿の上司で西晋の士大夫の張華が著書『博物志』に記録しています。同時代の先進物質文化の記録ですね。
(N503i)
49 黒耀竜
>たまねこさんへ
寝る前なので簡単なことしか書けませんが・・・。
わたしの知るかぎり、火矢の作り方でポピュラーなのは「油をしみこませた布を巻きつける」というものです。鏃の後ろあたりに、ほどけないように。
布も紙も高価だろう、とおっしゃいますが、どうせ燃やすものだからボロ布でも良いのです。生地も、麻とか葛とか、庶民向けのもので。
へんな例えですが、現代の感覚で言えば「穴の開いた靴下を細く裂いて、灯油に浸して点火」という感じでしょうか。
油は、当時は植物油を大量生産できなかったようなので、魚油とか獣脂を使っていたんじゃないかと思います。地域によっては松ヤニとかも。
調べてないのでずいぶん適当ですが、こんなとこでいかがでしょう?
寝る前なので簡単なことしか書けませんが・・・。
わたしの知るかぎり、火矢の作り方でポピュラーなのは「油をしみこませた布を巻きつける」というものです。鏃の後ろあたりに、ほどけないように。
布も紙も高価だろう、とおっしゃいますが、どうせ燃やすものだからボロ布でも良いのです。生地も、麻とか葛とか、庶民向けのもので。
へんな例えですが、現代の感覚で言えば「穴の開いた靴下を細く裂いて、灯油に浸して点火」という感じでしょうか。
油は、当時は植物油を大量生産できなかったようなので、魚油とか獣脂を使っていたんじゃないかと思います。地域によっては松ヤニとかも。
調べてないのでずいぶん適当ですが、こんなとこでいかがでしょう?
(PC)
50 巫俊(ふしゅん)
火矢に塗るとすれば、油か蝋燭(ろうそく)ですかね。火薬は一応まだ確認されてなかったと思いますけど、火矢が射てなくては雲梯を燃やすことさえできませんし。油は魚か豚か油菜かさっぱり原料が想像できませんが。
(N503i)
52 たまねこ
ものすごい早さで答えていただきありがとうございます。
火薬の記述は三国志時代にはありますでしょうか?
紙、磁石、火薬…中国文明は進んでますね。墓を造る事で人の文明や文化は進化したとか、中国人(漢民族)は文字を書いて残す民族性だから高度な文化や文明を築けたのでしょうか…スレ違いです。おやすみなさいませ。
火薬の記述は三国志時代にはありますでしょうか?
紙、磁石、火薬…中国文明は進んでますね。墓を造る事で人の文明や文化は進化したとか、中国人(漢民族)は文字を書いて残す民族性だから高度な文化や文明を築けたのでしょうか…スレ違いです。おやすみなさいませ。
(W32H/au)
54 巫俊(ふしゅん)
玄龍さんの「西洋」というのは何を指しているんでしょうか。
三国時代は3世紀ですから、西北ヨーロッパは帝政ローマ時代です。
私は文献から具体的に読み取ることのできない鎧の形状などについて知る立場には無いですが、RPGゲームや無双系ゲームに出てくるプレートアーマーみたいなものがあって当然という先入観は歴史を覗く目を狂わせますよ。
プレートアーマーがその手のゲームに必ず出てくるのは、それが出てこないと現代人の遊び手が満足しないからです。
現代人は銀色に輝いた甲冑が出てこなくては、由緒ある猛将や豪傑だと納得しないので、三国無双の武将たちは「仕方なく」色とりどりのまばゆい武器と甲冑衣服を着込んでいるのだということ(つまり視聴者サービス)をお忘れなく。
三国時代は3世紀ですから、西北ヨーロッパは帝政ローマ時代です。
私は文献から具体的に読み取ることのできない鎧の形状などについて知る立場には無いですが、RPGゲームや無双系ゲームに出てくるプレートアーマーみたいなものがあって当然という先入観は歴史を覗く目を狂わせますよ。
プレートアーマーがその手のゲームに必ず出てくるのは、それが出てこないと現代人の遊び手が満足しないからです。
現代人は銀色に輝いた甲冑が出てこなくては、由緒ある猛将や豪傑だと納得しないので、三国無双の武将たちは「仕方なく」色とりどりのまばゆい武器と甲冑衣服を着込んでいるのだということ(つまり視聴者サービス)をお忘れなく。
(PC)
55 玄龍
質問の仕方が悪かった
ですね。
三国時代だと小さい鉄板を革や布製の服に縫い付けたような鎧しか見掛けないので、他に種類は無いのかなと思ったんです。
プレートアーマーは極端過ぎでした。失礼しました。
ですね。
三国時代だと小さい鉄板を革や布製の服に縫い付けたような鎧しか見掛けないので、他に種類は無いのかなと思ったんです。
プレートアーマーは極端過ぎでした。失礼しました。
(V604SH)
56 黒耀竜
>たまねこさんへ
少なくとも「史実」としては、火薬は三国志の時代にはまだ存在しません。
文献によっては晋代には発明されていたという「と」な記述もありますが、発明されたのはだいたい9世紀頃だろうという見方が有力なようです。
>玄龍さんへ
プレートアーマーのようなものはあったのか、と訊いただけで「あって当然」などとは書いておられないので、謝罪の必要などないと思いますよ。もちろん、ご自身で謝るべきだと思われたのなら、私が口出しすることではありませんが・・・。
昨年6月に、博物館集解(ブログコーナー)のほうで防具や武器について駄文を書かせていただきましたので、未読でしたら参考になさってください。
少なくとも「史実」としては、火薬は三国志の時代にはまだ存在しません。
文献によっては晋代には発明されていたという「と」な記述もありますが、発明されたのはだいたい9世紀頃だろうという見方が有力なようです。
>玄龍さんへ
プレートアーマーのようなものはあったのか、と訊いただけで「あって当然」などとは書いておられないので、謝罪の必要などないと思いますよ。もちろん、ご自身で謝るべきだと思われたのなら、私が口出しすることではありませんが・・・。
昨年6月に、博物館集解(ブログコーナー)のほうで防具や武器について駄文を書かせていただきましたので、未読でしたら参考になさってください。
(PC)
58 しす
>>57
ファランクスに関しては下記スレでちょっと触れられています。
(って言うか私が思慮もなく振ってしまったんですけど)
>>>87-21-30
あったかもしれないが、残念ながら空想の域を出ないというところでしょうか。
>>45
スレとあまり関係ありませんが…
弓=女性の武器というイメージが定着してしまったのはホントごく最近のことだと思います。
たぶんタクティカルRPGというジャンルが確立するまではなかったと記憶しています。
もっともそのイメージの原型は全てのファンタジー小説の原点とも言うべき『指輪物語』に登場するエルフの弓使いレゴラスにあるのではないかと思います。
実際私の世代では「弓使い=女性」と言うよりは「弓使い=エルフ」の人の方が多いような気が。
ファランクスに関しては下記スレでちょっと触れられています。
(って言うか私が思慮もなく振ってしまったんですけど)
>>>87-21-30
あったかもしれないが、残念ながら空想の域を出ないというところでしょうか。
>>45
スレとあまり関係ありませんが…
弓=女性の武器というイメージが定着してしまったのはホントごく最近のことだと思います。
たぶんタクティカルRPGというジャンルが確立するまではなかったと記憶しています。
もっともそのイメージの原型は全てのファンタジー小説の原点とも言うべき『指輪物語』に登場するエルフの弓使いレゴラスにあるのではないかと思います。
実際私の世代では「弓使い=女性」と言うよりは「弓使い=エルフ」の人の方が多いような気が。
(PC)