1 とまと

地図・地形図について

はじめまして。浅学ながらもロム専卒業させていただきます。以後よろしくお願いします。
過去ログに見当たらなかったので立ててみました。もし重複していたらすみません。

さて、当時の戦略や作戦にはどの様な地図が使われていたのでしょうか?また、その正確さや発達の過程など、意見を交換できたらと思っています。
(N900iS/FOMA)
2 天草
とまとサン>初めまして!よろしくお願いします☆

これは興味深いスレですね!
正直私は全く知りませんが、確かに気になりますね。
是非何か情報をお持ちの方は教えて下さい♪
(PC)
3 とまと
>天草さん
実は自分も地図については全く知りません。汗

ただ蜀においていえば、魏延の長安奇襲策や、孔明を悩ませた蜀の桟道など、状況からは地図が必要不可欠だと思われます。
魏の内政的な統治、呉の水運…etc、も然りです。

そこから、地方毎の地図の特徴や中華全体の地図、あるいは都市における市街地図なんて面白そうだと思ったので。
もちろん自分なりにも調べてみますね。
(N900iS/FOMA)
4 とまと
どうやら調べてみると、魏のハイ秀という人物が製図技術や測定方法を確立したようです。
かなり精度の高い地図だったらしいのですが、現存していないとか。

ちなみにハイ秀の「ハイ」の字は、裴に「なべぶた」を付けた字に似ているのですが、変換できない。
彼についてご存じの方いらっしゃいます?
(N900iS/FOMA)
5 天草
裴秀についてはちょっと調べてみましたが、活躍したのはどうやら晋の時代のようです。
西晋の高官、裴秀(223−271)は「禹貢地域図十八篇」を作成した。
かなりの人物と書物のようですが、時代からして三国志とは無縁かな?

そういえば、張松が劉備に渡した地図は演義だけでしたっけ?
(PC)
6 あわわ
えーと、「張松らは劉備と面会した時に、劉備に益州の地理を尋ねられ、山川の地図を地面に書いて示し、劉備はこれで益州の内幕を知る事ができた」と先主伝の注の『呉書』の記事がありますね。
よほど、懇切丁寧に説明したんでしょうね。
(P900i/FOMA)
7 とまと
裴秀自体は、魏や司馬懿にも仕えていたようですが、「禹貢地域図」は三国時代以降の仕事なのかな?微妙な時期ですね。

張松の示したものは、イラストの様なものなのでしょうかね。そういったものなら、以前からあったようですが。
(N900iS/FOMA)
8 天草
地図を渡したというのは演義だけだったのか…。

情報感謝☆
(PC)
9 巫俊(ふしゅん)
>>5
「禹貢地域図十八篇」、面白いですね。
(PC)