1 無問題
三国時代の仏教
今我々の宗教とされている仏教ですが、三国時代に仏教というものはどれくらい広まっていたのでしょうか?有名な話が徐州の乍融の話ですが、姉が授業で『孫権の母は仏教徒で孫権は呉に仏教の寺院をつくった』という話を習ったと聞いたんでちょっと気になりました。
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2 きいち
漢の武帝が張騫を派遣し、その後シルクロードの交流が活発になり、紀元前後に仏教が中国に伝来したとされていますが、二世紀の安世高、支婁梼讖以降初めて纏まった教義として広まったと思われます。
それから見るとあまり広まる時間がないのですが・・・
陳舜臣氏の秘本三国志が道教と仏教という視点で描いているそうです。私はまだ読んでいないのですが(^o^;
それから見るとあまり広まる時間がないのですが・・・
陳舜臣氏の秘本三国志が道教と仏教という視点で描いているそうです。私はまだ読んでいないのですが(^o^;
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3 無問題
きいちさん・はじめまして、無問題です。という事は、当時の仏教はシルクロードをとおって伝わったんですね?でも、儒教の影響が大きかった後漢末期において、イマイチ存在が地味ですよね。
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4 李克用
この時代、南方に広まったと聞きました。
おそらく、南からのルートで伝わったのではないかと。
どっかのスレで書きましたが、曹冲の逸話に仏教経典の話が紛れ込んでいるらしいです。
おそらく、南からのルートで伝わったのではないかと。
どっかのスレで書きましたが、曹冲の逸話に仏教経典の話が紛れ込んでいるらしいです。
(P900i/FOMA)
6 赤龍
シルクロードの西域諸国から。南方のベトナム方面を経由した海路から。どちらも正解とみなしていいと思います。そして、呉ではその両者が集まり、仏教が三国の中でも最も盛んだったといわれています。
どちらかというと、史料に残るものでは、西域からの伝来が目立つような気がします。そのため、直接インド仏教が伝わったのではなく、西域風の仏教が伝わったようです。
どちらかというと、史料に残るものでは、西域からの伝来が目立つような気がします。そのため、直接インド仏教が伝わったのではなく、西域風の仏教が伝わったようです。
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7 きいち
なるほど、海洋ルートもあるんですね。有名な人物が来るのがシルクロードのイメージだったのと、中国の仏教が大乗仏教優勢の感じなので、そちらからの伝播は頭から外れてました。確か安世高は小乗でしたね(^o^)
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9 赤龍
南方から呉にやってきた代表的人物の康僧会は、インド人の父が交阯(漢代の交州、現ベトナム北部)へ移住。交阯で生まれ、布教のため建業へ行ったといわれてます。南方ルートの一例ですね。この方面も結構活発な動きがあったようです。諸葛亮の南征も、南中地域から交阯方面のルートをおさえ、南方との交易ルートを確保することが目的の一つではと考えられています。
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10 無問題
赤龍さん・交しって存在がイマイチ地味ですけど、蜀や呉が生き残るうえで欠かせない土地だったんですね。話を仏教にもどしますけど、きいちさんが言ってた大乗、小乗ってなんなんですか?
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11 きいち
小乗仏教では修行をしたわずかな人しか救われず、一般の人々は救われないので、釈迦はすべての人々を救いたかったはずである、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教ということになっているようです。二世紀頃の成立で、中国にもすぐに入っています。大乗仏教側が相手を低く見る為に“小”乗仏教と呼んだのがこの区分で、現在では小乗仏教亜は上座部仏教と呼ぶようになっています。
スリランカ、タイ、カンボジア、ラオス、ビルマ等で小乗仏教、日本、中国、チベット、朝鮮半島等で大乗仏教が広まっています。
スリランカ、タイ、カンボジア、ラオス、ビルマ等で小乗仏教、日本、中国、チベット、朝鮮半島等で大乗仏教が広まっています。
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14 赤龍
>>13
多分、四川省楽山市麻浩崖墓の内壁に見られるもののことだと思います。
これについては、金文京『中国の歴史4 三国志の世界』(講談社、2005)に写真と説明があります。この本は当時の仏教のことにも色々言及していて面白いですよ。
同書を元ネタにした駄文
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50032514.html
多分、四川省楽山市麻浩崖墓の内壁に見られるもののことだと思います。
これについては、金文京『中国の歴史4 三国志の世界』(講談社、2005)に写真と説明があります。この本は当時の仏教のことにも色々言及していて面白いですよ。
同書を元ネタにした駄文
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50032514.html
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15 巫俊(ふしゅん)
>>14
それです、それです。
金文京『中国の歴史04 三国志の世界』(講談社、2005)は昔読了したんですけど、仏教関係のことはもう忘却していますね。。
最後に読んだのはたぶん、去年の梅雨時期だったような気がします。
三国の仏教といえば、
初期仏教は「道教」と呼ばれたということが面白いところです。
あとは江北の武将のサク融ですね。
あとは秦の始皇帝が北方の異民族の影響を受けて金人を造ったという説話がありました。
たぶん比較的始皇帝より後代の文献に書かれた説話なんですが、当時(三国以降)の中国仏教徒の感覚からすると、これも仏教のことだと解釈されてもよさそうな感じです。
もちろん、その金人は仏教の塑像ではないのですけど、ジグラッドの信仰など中国には西アジアからの影響が早くからありました。
仏教もその流れですね。
南伝説というのもありますが。
それです、それです。
金文京『中国の歴史04 三国志の世界』(講談社、2005)は昔読了したんですけど、仏教関係のことはもう忘却していますね。。
最後に読んだのはたぶん、去年の梅雨時期だったような気がします。
三国の仏教といえば、
初期仏教は「道教」と呼ばれたということが面白いところです。
あとは江北の武将のサク融ですね。
あとは秦の始皇帝が北方の異民族の影響を受けて金人を造ったという説話がありました。
たぶん比較的始皇帝より後代の文献に書かれた説話なんですが、当時(三国以降)の中国仏教徒の感覚からすると、これも仏教のことだと解釈されてもよさそうな感じです。
もちろん、その金人は仏教の塑像ではないのですけど、ジグラッドの信仰など中国には西アジアからの影響が早くからありました。
仏教もその流れですね。
南伝説というのもありますが。
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