1 諸葛豊

華キンについて語ろう

魏朝一の酒豪と呼ばれた彼について語りましょう!
(N900iS/FOMA)
2 赤龍
これほど、正史と演義で扱い(というか評価)が正反対な人も珍しいですよね。
ところで、この人そんなに酒豪だったんですか?
(PC)
3 無問題
巍の傑物トリオ(笑)の一人ですよね。個人的に彼も演義被害者の会の一員だと思ってます(笑)しかし、演義の評は本当に間違っているのでしょうか?この人の世渡りの仕方とかみてるとどうもずるいがしこいイメージを抱いてしまいますが…。酒豪の話は何処かで聞いたことがありますが、何処で聞いたか忘れました。
(W21K/au)
4 朱家
禅譲の張本人ですから演義では仕方ないですね。曹操に招集された時、孫権は必死に引き止め、「あなたのために私が…」と言って入朝しますが、仲を取り持った記述も、孫権のために動いた感じもないですよね。曹操の元に走った原因は何だったんですかね?比較しても著しく劣るとは思えないし、単純に田舎にいるのが嫌だったんですかね。
(A1304T/au)
5 無問題
朱家さん・お久しぶりです。田舎にいるのが嫌だった…、確かに彼はいろいろなところを放浪して、戦乱が少ない江南に逃げてきたんですよね?望郷の念に捕われたんでしょうか?そういう柄じゃなさそうですけどね(笑)それとも曹操の元のほうが高い地位につけそうだったからとか…、
(W21K/au)
6 朱家
無問題さん、お久し振りです。彼も名士で清流派に数えれると思いますが、帝室尊重は希薄ですし、孫権に暇を貰い、曹操に仕えるのが筋だと思います。元々孫策に仕えてますから孫権に義理はないと考えてたのか、孫策との差が大きかったのか、孫策に比べたら当時は頼りなかったと思いますが、資質を見抜けなかったとは思えないんですよね。まあ彼自身がどこでも位を極め自信があり、それなら中央のほうがいいやと思ってたのかな。
(A1304T/au)
7 無問題
孫権とうまがあわなかったとか?あるいはいずれ曹操に降ると見通していたのではないでしょうか?あと、この人はいろいろな君主につかえた事が有名ですよね。最初は可進につかえその次に董卓、袁術、孫策、孫権、曹操とうまい具合につかえてますね。
(W21K/au)
8 ストラップ
「三国志」では善人の印象ですが、「後漢書」では皇后を引っ張り出したりと、けっこう荒くれ者ですよね(笑)
しかし僕はこれは撞着するものでは無いと思います。陳寿が政治的圧力に負けたとか、范曄が出鱈目の史料を用いたとかとする事は無いと思います。
もっとも、その可能性はあると思いますし、それが両方であってもやはり、二律背反するものでは無いと思います。
(F2102V/FOMA)
9 ストラップ
「世説新語」には、華歆と管寧が一緒に畑仕事をしたり、読書をした話が掲載されている様ですが、これってどの位の信憑性があるのでしょうかね?
(PC)