1 ストラップ

費詩

劉備の皇帝就任に反対したり、孔明が孟達を味方にする事に反対したり。
直言癖のある費詩について語ってみましょう。

孟達を
「昔事振威不忠(振威→振威将軍。つまり劉璋。劉璋に不忠であったとは、劉備に味方したという意味で、本来蜀では功労者であり、悪では無い筈)」
と、評価していますが、彼がこの様な発言が出来た背景を探りましょう。
(PC)
2 赤龍
この孟達評、劉備に降った是非を論じているのではなく、この文につづけて「〜、また先主にもそむき、反覆常ない信用できないやつだ」といっているのであり、2度も主を変えた信用できないやつ、といいたいわけです。
「昔事振威不忠」のみを抜粋すると、劉璋に不忠であった事が問題にされているかのように感じられてしまいます。きちんと前後の文脈とあわせて判断しなければいけませんね。
(PC)
3 ストラップ
たはは。赤龍さん確かにそうですし、実は費詩自身も劉璋を裏切った人物ですよね。

しかし僕には例えそうでも、この言葉に孔明が「黙然不答」という状態になっている事を考えると、意見が合わなかっただけでは無い気がします。事実、先の文は誤解を恐れない表現なのではないでしょうか?

彼には孔明に強く言える、何か(たとえば益州派閥)があったのでは無いでしょうか?

う〜ん。これは拡大解釈のしすぎでしょうか?子の費立に関する記述に、「益州の費性を名乗る諸家」とあります。益州の費氏を一まとめに語っている一文との解釈は妥当ですよね?彼が仮に、費観や費イなどと同族であったとするならば、彼等は劉璋の親類ですし、費詩自身も、益州の派閥に影響力が大であった、とはできませんか?
仮定の話が多すぎるかな(汗)
(F2102V/FOMA)
4 朱家
孔明が孟達の事を相談した時の言葉ですよね?彼の立場が推測できます。関羽の代わりなど務まらん、彼を信頼して作戦を立てるなって意味だと思います。的を射ていたため孔明も言い返せなかったのでしょう。皇帝反対も正論だと思いますし、彼でなかったら関羽に諫言出来なかったでしょう。ところで彼の伝って、どこだったでしょうか?誰と一緒でした?
(A1304T/au)
5 赤龍
費観、費イは江夏郡の費氏であり(ちなみに劉璋も江夏郡)、おそらく両者は同族と考えられますが、費詩は益州のケン為郡出身。同姓ではあるが、同族ではないと考えられます。
さて、ストラップさんの「益州諸費」の引用ですが、これも一文を通して見ると「これより後益州の費姓を名乗る諸家の内、名声・地位の有る者は、多くは費詩の子孫の者であった」という意味であり、費詩の属する費氏以外にも益州には費姓の家があったが、費立以降(晋代以降)費詩の子孫がその中でもっとも栄えた、という意味です。
ここからでは、それぞれの「諸費」のつながりはうかがえませんし、漢末から三国に益州に強い力を持っていたかも不明です。論拠とするには少々弱いですね。
(PC)
6 赤龍
>>4費詩の伝は、蜀書の巻十一に霍峻、王連、向朗、張裔、楊洪と共に伝をたてられています。
(PC)
7 ストラップ
う〜む。
費詩の直言には、それを言えるだけの背景があるかと考えたのですが、唯単に言っちゃうだけの人なのかなぁ?

何か理由はありそうですか?
(F2102V/FOMA)
8 赤龍
私も、発想としては非常に興味深いものに思えます。
費詩の諫言、例えば即位反対や、孟達への不信が、単なる個人的感情・意見ではなく、ある程度の益州人の意思を代表したものであったなら……。ということですよね。
ただ、こうした仮説を強いものにするには、他の益州人の動向を調べるとか、それと同時に費詩の人間関係を調べるとか、益州豪族にとっての利害・感情問題を考える、などにより説得力を持たせる論拠を見つけなければいけませんよね(人まかせですが…)
(PC)
9 朱家
赤龍さんどうもです。頼ってしまってすいません。なかなか興味深いです。少し調べましょうかね。
(A1304T/au)
10 エイ
蜀書に載っている人物の内で、
『益州の出身で』『軍勢を挙げて』劉玄徳への降伏が
一番早かったのが、緜竹の令・費公挙ではなかったかと思います。

そのことに因って、発言力が強くなった。
もしくは、『直言の士』を周囲に印象づけることで、
降伏した事実を正当化しようと考えた・・・とか。
(PC)
11 ストラップ
>>10
>>>332-11と合わせて考えると、費詩の発言力の一因かも知れませんね。
(F2102V/FOMA)
12 ストラップ
劉禅の逆鱗に触れた李バクといい、益州はこういう土地柄なんでしょうかねぇ。
(PC)