1 朱家

孫皓

この時代を研究しております。「首と腰を離して百姓に謝すべし」三国志の中で一番厳しい評価と思います。彼について皆さんの考えをお聞かせ下さい。
(A1304T/au)
2 朱家
私は国力の差などから、善政による国の復興を諦めた彼は、史記の大単于冒頓や、聖書の信仰心の話のように、何をしてもついてくる人材を見極め、強い独裁者の元で国を作り、国民を一つの方向へ導き、晋と対抗するって考えだったのではないか。あまりに突飛すぎるでしょうかね。
(A1304T/au)
3 ストラップ
彼は鼎立が崩れてからの即位でしたし、その中でのトップというのは不安だったのでしょうね。占いへの依存も、その残虐性も、そこに因するのかも知れませんね。酒好きも、遺伝ばかりでは無いでしょう。
万イクの言葉は割り引いて考えるとしても、どうやらかなり頭の良かった人物だった様です。頭が良かったが為に、現実を見て悲観したのだとも考えられる人物かも知れません。
(F2102V/FOMA)
4 ストラップ
>>>40 亡国スレッド
>>>67 呉総合スレッド

関連スレッドはこの二つかな。>>>67では以前少し触れていた様ですね。
(F2102V/FOMA)
5 朱家
賈充に「従わない者を殺しただけだ」と開き直る態度をみると、本人は悪い事をしたとは思ってない訳です。これって逆の意味で凄い人物と思いますけどね。降伏後に暗殺されてないのは何故でしょうかね?従う者の中では才に応じて出世してますし、彼がもし皇帝になってなかったら、私腹を肥やすぐらいはしたでしょうが、かなり優秀な専横者になったのではと思うのですが。
(A1304T/au)
6 朱家
ある程度、旧呉臣の晋書を見たけど、あらためてこの人凄いな。
皓の文字見つけて、訳そうとすると、殺とか凶とかがくっついてくる(笑)陳寿の司馬炎批判も納得だ。
史記の「酒地肉林」などもあるが、創作の可能性があるのに対して、三国志はそこまで悪役にしてない事を考えると、正真正銘の暴君だ…滅亡時の謝罪、反省文を心の支えにしてたが限界だ…弁護するなら、現在で裁判したら、死刑ではなく精神病院行きだと思うぐらいだ…同情ではなく、悪行を弁護できる人はいないですか?
(A1304T/au)
7 くわぁまん
暴君と暗君どっちもどっちだけど敢えて言うのならどちらの君主のがましでしょうか?(謎)
(F901iC/FOMA)
8 朱家
暴君はかなり頭が良くないと、すぐにクーデターくらいますから、希少価値は高い(笑)
暗君は側近が暴挙に出がちなので、変わらないです。
後世に名が残るのは前者ですね。暗君は御輿にちゃんと乗っててくれれば利用価値は高いと思いますね。
(A1304T/au)
9 たまねこ
少し黄皓の評価に関して疑問があるので書かせていただきます。素人の浅はかな推測ですが…

@占いで劉禅を惑わせたとの酷評を受けますが、あの時代は現代と違い占いも立派な学問的な位置付けだったりしないでしょうか?宗教呪術的なものに対する価値観が現代の日本人とは全然ちがうと思います。

A陳寿は黄皓と政敵だったらしいので、その陳寿の書いた書物に黄皓の酷評があっても話半分なんじゃないでしょうか?つまり犬猿の仲の相手の事を悪く書くのは当然だと思います。また国が滅びた後なのですから、なおさら黄皓のせいで国が没落したとしたのではないでしょうか?確かこちらのサイトの姜維の箇所に「亡国の将は例え実際は優れた人物であったとしても酷評されるもの、また結果が悪ければ誇張される」と書の末に書かれてると学びました。ならば黄皓もその中に入りませんか?

B黄皓の普に下った後が書かれてないのは以外と普で評価され厚遇を受けたからではないでしょうか?勿論、元政敵の陳寿としては面白いはずがありません。かと言って嘘を書くわけにもいかないので無記入を選んだのではないでしょうか?
C漢朝末期も外戚や清流派と十常ジなどの権力争いで腐敗したらしですけど、そのミニチュア番が濁の末期なのではないでしょうか?黄皓は十常ジ辺りの役割でしょうか…つまるところ去勢した男が権力を掌握すると国が滅ぶと陳寿は言いたかったのではないかと思います。

以上、黄皓についての邪推ですみません。反論は沢山あると思いますが私は別に黄皓ファンではありませんので…
(W32H/au)
10 たまねこ
あら?黄皓じゃなくて孫皓スレでしたかすみません。まちがえました。黄皓スレを探してます。
(W32H/au)