1 曹知

黄月英、美人?ブス?

くだらない議題ですみません。
孔明の妻、才女で有名な月英ですが、彼女は結局美人?ブス?
中国人で三国志について勉強されてる人に聞くと、中国では「美人」という認識が一般的だとか…どのような文献にどんな記述が残っているのかなど、教えて下さい!
(PC)
2 みや
何で読んだのか忘れてしまったのですが、月英の容姿は顔は浅黒く、髪は赤毛だった…というのを見ました。

もし当時の中国での「美人」の基準が色白黒髪だったならばブスということになりますよね。

ですが、彼女は醜女のフリをしていただけで、実は美人であったと聞きます。
肌の色を黒くするなら化粧か何かを塗ったり、日に焼けることで可能ですし、(これは定かではないのですが)髪を染めるというのも出来たらしい…というので、美人と認識しても良いのではないでしょうか。
(P251iS)
3 天草
私が覚えている限り、月英という名(字?)自体創作だと思います。

彼女が出てくるのは蜀書・諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」ですね。

襄陽の名士・黄承彦が「君は妻を探していると聞いたが、私に醜い娘がいる。赤毛で色黒の娘だが、才知の方は君とお似合いだ」と言い、諸葛亮は承知したので、娘を車に乗せて送り届けた。当時の人々の笑いの種となり、郷里では諺を作って「孔明の嫁選びを真似るなかれ、承彦の醜い娘をもらうはめになるぞ」といった、という。

これが歴史として残された彼女の全てです(汗)

これ以外は全て民間伝承(いわゆる伝説)ですね。

「木牛・流馬」の発明をした…というのがその代表ですな。
(PC)
4 曹知
みやさま、天草さま、レスありがとうございます!
月英という名前は京劇でつけられた名前だと聞いたことがあります。
それにしても残されている記述がそれだけってあまりにもヒドイ…
月英って、顔を布で隠していたと何かで聞いた事がありました。
月英は、インドかどこか異国の地の人で孔明が後ろ指さされることを考慮して、敢えて顔を隠していただけで、実は美人だとか…?
これらすべて伝承なんですね。
それにしてもお父さん、自分の娘をそこまでブス扱いしなくても…
三国志当時の中国は、謙遜社会だったのでしょうか?
(PC)
5 朱家
臣下の身で夫人の記述がある事が凄いのですよ。基本的に皇后かそれ(又は君主)に関連した人しか記述がないですから。美人であれば親が売り込みますし、妻であっても後宮に連れられますし、最高の賄賂ですね。醜く装ってたとの話がありますが、孔明と面識がないですから、美人説は弱いです。確か演義でも名は出てないはず…瞻の母とだけあったと思います。ちなみに年齢的に瞻は妾の子と考えられてます。あと京劇の名は玉英が一般的だと思いますよ。
(A1304T/au)
6 しす
民間伝承…私の好きな分野じゃないですかw

諸葛亮の嫁、黄承彦の娘の名ですが民間の伝承では「婉貞」と伝えているのもあります。

「実は美人だった」説は他にもありますね。
自分の夫となる人物は、容姿ではなく才能で妻を選んでくれる人物こそ相応しいということであえて「醜女」であるという噂を流したというもの。
ちなみにこの話し結構面白いんですわ。
と言うのも黄承彦は孔明こそが相応しいのでは?と思って崔州平を介して孔明を誘うのですが、孔明は黄承彦の娘の噂を聞いていたのでなかなか腰を上げない。
仕方ないので名画があると言って誘いだす。
早く名画を見せてくれという孔明に黄承彦は「ま、慌てずに茶でも…」と給仕に茶を運ばせる。
しかしその給仕は実はカラクリで、しかも娘が作ったものだという。
孔明はこれほどの才ならば不器量でも構わぬと「娘さんがこれほどの才能をお持ちとは頭が下がる思いです」と言うと。
「うちの娘は不器量なので、嫁の貰い手がないのだよ」と言う。
これにはさすがに孔明も己の不明を恥じて顔が真っ赤になったという。
「私が未熟者でした。義父上なにとぞお許しください」
結局二人の婚姻が決まり、婚礼の儀を終えたあと。孔明が花嫁の被りものを取ると、そこには花のように美しい娘がいたという。

才色兼備の嫁さん…孔明センセ羨ましいですなw
(PC)
7 天草
私も彼女の民間伝承について、少しブログで触れてみました。

興味のある方はどうぞ♪
(W31SA/au)
8 曹知
この「民間伝承」ってどの程度信用できるものなのでしょう?
鵜呑みにはできないでしょうけど…(^^ゞ
月英のことについて触れられている書物があるというのは、
孔明が単なる一家臣でなかったからでしょうか?
それとも月英が記すに足る人物だったからでしょうか??
しすさんのおっしゃるお話、まるで御伽話のようなキレイな話ですね。
(PC)
9 くわぁまん
孔明のカミさんはハッキリ言ってド○スです☆


何て言えればねぇ…(爆)

皆さん何かお忘れでないですか?黄承彦の奥方は蔡家出身でしょ…。劉表の後妻は絶世の美女と噂の蔡氏ですから○スのわけ無いでしょうね。

黄承彦の遺伝子が強ければ解りませんが…(自爆)
(F901iC/FOMA)
10 朱家
スレ違いですが、武侯祠とは孔明を祭った祠です。日本風だと孔明の神社かな。成都の武侯祠は元々、劉備の墓があった場所で、後に孔明も祭られたのだが、いつのまにか武侯祠となった。孔明の神社に劉備の墓がある…主従が逆転してる(笑)陳寿も特別扱いしてますし、今も昔も異常なほどの人気は、臣下の域を超えています。だからこそ多くの民間伝承が残ってますが、あくまでも伝説であり、日本だと天狗みたいなものです。大事なのは史実と認められなくても、民衆にとって、それら全てが真実だという事です。
(A1304T/au)
11 しす
>>8
>>10で朱家さんも触れていますが、民間伝承に資料的な価値はありません。
私が>>6で書いたエピソードなんかはまともな方で、その多くはむしろ荒唐無稽なものばかりです。
これら民間伝承、民間説話は歴史としての「三国志」ではなく、小説として登場した平話や演義の成立期あるいはそれら小説から派生した物語に尾鰭がついて今日まで伝わったと解釈すべきだと思います。
ちなみに孔明の嫁さんのエピソードに関してはさらに…
●娘と生き別れになった黄承彦が孔明の計らいで娘を捜しに行き、再会した後孔明に嫁ぐという話しや…
孔明との婚礼が決まった黄承彦の娘が嫁ぐ条件として「婚礼には輿にも、馬にも、船にも乗らず、歩いてもいかない。それができないならばこの婚礼はなかったことに」という条件を出され、考え出したのが木牛流馬だった…
なんてのもあります。
(PC)
12 しす
>>9
蔡氏が絶世の美女なんて記述、具体的にどこかにありましたっけ?
(PC)
13 曹知
みなさま、色々なコメントありがとうございます♪
伝承というのは昔話みたいなものと考えればいいのですかね?
「きんたろう」みたいに、実在した人物がモデルとなった物語、のような…
>10 朱家さんの話を聞くと、孔明の人気(?)が故に、その奥様の月英について特別に記されていたと考える方が自然なのですかね。
彼女が美人かどうか、家系から考えるのもおもしろそうですね
(PC)
14 ストラップ
詳しくは無いので少しだけ。
>>13
僕は孔明の妻である黄氏を月英とした史料を、か聞にして知りません。何に書かれている内容なのでしょうか?又、もし、>>11の様な理由で、史料としての価値に疑問譜が打たれるのであれば、その名は不適切なのでは無いでしょうか?
どうですか?
(F2102V/FOMA)
15 曹知
ストラップさま
私の言葉足らずですみません!彼女の名前を「月英」と表したのは私がその名前しか知らなかったからです。何かの史料を基にしたわけではないのです。紛らわしかったですね。こちらで話を聞いて、彼女の名前自体、様々な形で語られてるのを知ったくらいです(^^ゞ
また、家臣である孔明なのに『蜀書・諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」』にて特例(?)で妻について記されているのは、
彼女が抜きん出てすごい人物だったのではなく、孔明がそれだけ一家臣の枠を越えた偉人だった、ということの現れなのか、と、>10朱家さんの話を聞いて思ったのです。
伝承という形とはいえ、月英について様々に語られているのは、彼女が単なる孔明の妻としてだけの価値ではないということなのか…でもどんなすごい人物だったとしても孔明の妻でなければ記録にも記憶にも残らない程度の女性だったのか…
(PC)
16 こ・さん
【民間説話にみる素顔の英雄たち】三国志外伝の諸葛孔明嫁取りというので、黄氏の娘は見た目の良さで求婚されるのがいやなので、醜女であると噂を流して、本質を見てくれる人が来るのを待ってたとあります。孔明が嫁に迎えると凄い美人だったとあります。
(PC)
17 朱家
確かに蔡夫人は、絶世の美女で寵愛を受けたってどこかで見た気がします。私も気になりますね。これも民間伝承だと思いますが…
正史では確か、劉表が韓嵩を殺そうとした時に、諫めただけの記述しかなかったと思います。最初の頃、蔡家など豪族の協力があって成立してましたから、単純に彼らの権力が強かったのでしょう。強引に後妻とさせ、より権力を強化しようとした話もありますし、そこそこの器量はあったと思いますが、絶世の美女の証明は難しいと思います。
(A1304T/au)
18 曹知
血筋からみても「ブスじゃない要素もある」というくらいしか言えないということですね・・・
女性はよく父に似る、といいますが、父の黄承彦の容姿についての記述ってないのでしょうか?
荒くれというカンジの張飛も、娘が劉禅に后になっていることから、実は美男子だったのではないか?という説もあると本で読みました。
(PC)
19 通りすがり
月英さんは確か養子説もありますよね?だとしたら蔡夫人遺伝説もなくなりますよね。

今ではどうなのかは存じませんが、やはり当時の美的感覚的に不細工だった可能性大よりでしょう。
私は月英ファンですから凄いショックなんすけどね…。
(W32SA/au)
20 天草
孔明の奥さんは不細工の方が絵になるような気もします。
不細工だが才能に溢れていた。諸葛亮は外見ではなく、この才能に惹かれた…みたいな。

>>19
大変申し訳ないですが、ここでそのハンドルネームは勘弁してもらいたい。。。
もう見飽きるほど、そのハンネは見てますが…。

一応討論場の注意事項にも固定ハンドルでの参加を条件としてますので、もう一度注意事項をよく確認されて参加をお願いします。
素晴らしい意見を書かれているのに、匿名の名前ではもったいないと思います。
(PC)
はじめまして。三国志迷ウン年の程製肉まんです。知識量はお恥ずかしい限りですが、よろしく御寛恕を。
孔明の奥さんは不細工のほうが絵になる、とても同意です。なんせ孔明は珍しくも陳寿のお墨付きの美男ですから。
美女と野獣の逆バージョンですね。
しかし、この奥さんと結婚したので、孔明にとって
義理の叔母さんは劉表の奥さん
義理の叔父さんは蔡瑁
義理の従妹が劉jの奥さん
もうちょっとで義理の叔母さんが魏の尚書令の奥さん(劉表はその気だったが、本人が逃げた)
すごい姻族ですね。
(PC)
22 珠玉
随分と前に読んだので、出典うろ覚えでm(__)m

でも黄・女氏は、当時の美的感覚からは、やはり、随分ズレていた。色黒の醜女だったようです
しかも図抜けて大柄で、170センチ軽く越えていたらしいです
有力者の娘なので、縁談はひきもきらないのですが、申し込んできた先方から、お断りされた事も、度々だったとか。。
色白美男子・孔明とは、かなり見た目のギャップがありそうです(^ー^)

しかし夫婦仲はすこぶる良かったみたいですね。
(P902i/FOMA)
23 削除済