1 李
【演義】正史以外の話【説話】
正史メインのサイトですが、それ以外の記述についても語る場が必要かと思いましたので、スレを立てます。
歴史事実と比較しながら、虚構や空想の世界を語りましょう。
歴史事実と比較しながら、虚構や空想の世界を語りましょう。
(P900i/FOMA)
2 しす
お、私の好きそうなスレがw
民間伝承、説話って言うのは現代風に言えばスピンオフ(あるいは同人ネタ?)ですよね。
ある意味人気のバロメーターみたいなもので、三国志の場合、私が知ってる限りでは圧倒的に関羽絡みのエピソードが多いように思われます。
次いで孔明でしょうか。
魏、呉、蜀で分けた場合、当然ながら蜀絡みの話が多く、魏、呉の順だと思います。
魏ではやはり曹操の話が多いですし、呉では孫郎、周郎の話が多いと思われます。
こういった物語を抜き出して語っていくのも面白いですよね。
関羽が婆さんに顔面パンチ食らう話とか結構笑えますしw
民間伝承、説話って言うのは現代風に言えばスピンオフ(あるいは同人ネタ?)ですよね。
ある意味人気のバロメーターみたいなもので、三国志の場合、私が知ってる限りでは圧倒的に関羽絡みのエピソードが多いように思われます。
次いで孔明でしょうか。
魏、呉、蜀で分けた場合、当然ながら蜀絡みの話が多く、魏、呉の順だと思います。
魏ではやはり曹操の話が多いですし、呉では孫郎、周郎の話が多いと思われます。
こういった物語を抜き出して語っていくのも面白いですよね。
関羽が婆さんに顔面パンチ食らう話とか結構笑えますしw
(PC)
4 伯影
現代の小説でこの説は面白い!というのでもいいのなら…。張飛暗殺計画の首謀者は諸葛亮っていうのがあります。
諸葛亮の読みは呉が関羽の首をとったとされたから、劉備は呉を攻める。なら張飛の首をギに送れば、劉備の目はギに行くだろうという安易なものですが…。
結局失敗ですけど面白い説ではありますね
諸葛亮の読みは呉が関羽の首をとったとされたから、劉備は呉を攻める。なら張飛の首をギに送れば、劉備の目はギに行くだろうという安易なものですが…。
結局失敗ですけど面白い説ではありますね
(PENCK/au)
6 李
演義における孫夫人の自殺は、当初の演義には無くて、毛崗宗が書いた時に付け加えられたらしいです。この話は、いつ頃からあるんでしょうね? 結構、最近になるのか、講談であったのか。
よくよく考えると、演義の孫夫人の扱い方は悪く見えます。それ以外の女性についても、良いイメージがわいてきませんね。
>くわぁまんさん
意味無く、(爆)や(笑)は使わない方が良いですよ。
よくよく考えると、演義の孫夫人の扱い方は悪く見えます。それ以外の女性についても、良いイメージがわいてきませんね。
>くわぁまんさん
意味無く、(爆)や(笑)は使わない方が良いですよ。
(P900i/FOMA)
7 しす
とりあえずネタを出さないと話が進まないので私から。
貂蝉と神医華ダの話しでも。
王允はある日董卓の軍に両親を殺された子を養女とし、貂蝉と名付けた。
王允は董卓の名を聞くと歯を噛みしめて悔しがる貂蝉を見て、美人局の計略を思いつくが、貂蝉は顔が不細工なので、これはいかんと考え込んでしまう。
そんな時、偶然訪れた華ダに相談をする。
「彼らを惑わすに足る美人で、民のためなら命もいらぬという人物が見あたりません」
華ダは貂蝉こそ適任だと言うが、やはり顔が問題。
そこで華ダは心配に及ばぬと屋敷を出て、十日ほどしてもどってくると手に風呂敷包み。
王允が何かと思うとそれは女の首。
王允が仰天すると華ダは「これは西施の首で墓から取ってきた」と言う。
そして華ダは貂蝉の首を落として西施の首を縫い合わせ、千年を経た霊芝と万年を経た亀の甲でいぶし、七日七晩。
八日目に貂蝉は目をさました。
十日目には常人同様に生活できるようになったが、董卓暗殺の話をうちあけると貂蝉はガタガタ震えだして口も聞けぬ有様。
これではダメだと諦めかけたが、運悪く董卓の部下に美しくなった貂蝉を見られてしまう。
王允の屋敷に絶世の美女がいると聞き、董卓は貂蝉を送り届けるよう王允に伝える。
このままでは露見すると焦った王允は急病で伏せていると時間稼ぎ。
王允は華ダを巻き込むまいと馬で高飛びさせようとするが、華ダは馬を走らせ、今度は荊軻の肝を持ってきて、貂蝉の小さな肝とすげ替えてしまう。
こうして西施の美貌と、荊軻の度胸を身につけた貂蝉が誕生する。
そして後は演義と同様、両者を仲違いさせみごと董卓の首を討つことに成功した。
たぶん民間伝承の中では最も荒唐無稽な部類に入るエピソードだと思います。
ここでの華ダは神医と言うよりはもはや神仙の類の扱いをされているのが面白いです。
華ダの神格化のなれの果てというところでしょうか?
>>5
民間伝承の類で演義や史実とのタイムラインを合わせようとしてもあまり意味はないですよ。
しかしその張飛が名付け親になった話は聞いたことないので詳しい話を聞きたいですね。
私の持っている本でもネットで検索してみても、そういった話は全く見つけられなかったので。
貂蝉と神医華ダの話しでも。
王允はある日董卓の軍に両親を殺された子を養女とし、貂蝉と名付けた。
王允は董卓の名を聞くと歯を噛みしめて悔しがる貂蝉を見て、美人局の計略を思いつくが、貂蝉は顔が不細工なので、これはいかんと考え込んでしまう。
そんな時、偶然訪れた華ダに相談をする。
「彼らを惑わすに足る美人で、民のためなら命もいらぬという人物が見あたりません」
華ダは貂蝉こそ適任だと言うが、やはり顔が問題。
そこで華ダは心配に及ばぬと屋敷を出て、十日ほどしてもどってくると手に風呂敷包み。
王允が何かと思うとそれは女の首。
王允が仰天すると華ダは「これは西施の首で墓から取ってきた」と言う。
そして華ダは貂蝉の首を落として西施の首を縫い合わせ、千年を経た霊芝と万年を経た亀の甲でいぶし、七日七晩。
八日目に貂蝉は目をさました。
十日目には常人同様に生活できるようになったが、董卓暗殺の話をうちあけると貂蝉はガタガタ震えだして口も聞けぬ有様。
これではダメだと諦めかけたが、運悪く董卓の部下に美しくなった貂蝉を見られてしまう。
王允の屋敷に絶世の美女がいると聞き、董卓は貂蝉を送り届けるよう王允に伝える。
このままでは露見すると焦った王允は急病で伏せていると時間稼ぎ。
王允は華ダを巻き込むまいと馬で高飛びさせようとするが、華ダは馬を走らせ、今度は荊軻の肝を持ってきて、貂蝉の小さな肝とすげ替えてしまう。
こうして西施の美貌と、荊軻の度胸を身につけた貂蝉が誕生する。
そして後は演義と同様、両者を仲違いさせみごと董卓の首を討つことに成功した。
たぶん民間伝承の中では最も荒唐無稽な部類に入るエピソードだと思います。
ここでの華ダは神医と言うよりはもはや神仙の類の扱いをされているのが面白いです。
華ダの神格化のなれの果てというところでしょうか?
>>5
民間伝承の類で演義や史実とのタイムラインを合わせようとしてもあまり意味はないですよ。
しかしその張飛が名付け親になった話は聞いたことないので詳しい話を聞きたいですね。
私の持っている本でもネットで検索してみても、そういった話は全く見つけられなかったので。
(PC)
8 天草
いやぁ面白いですなぁ。。。
そう言えば、吉川三国志の序盤に芙○姫(名前忘れた)っていうオリジナルキャラが出てきますよね。
あれは普通に三国志演義で出てくるキャラなのかと思ってました(汗)
>>6
そこまで注意する必要はないでしょう?(汗)
顔見知りの人が、楽しい発言に見せるために気を使ってる訳ですから、広い心で見るべきかと。
まぁとにかく楽しくね♪
そう言えば、吉川三国志の序盤に芙○姫(名前忘れた)っていうオリジナルキャラが出てきますよね。
あれは普通に三国志演義で出てくるキャラなのかと思ってました(汗)
>>6
そこまで注意する必要はないでしょう?(汗)
顔見知りの人が、楽しい発言に見せるために気を使ってる訳ですから、広い心で見るべきかと。
まぁとにかく楽しくね♪
(PC)
10 ナナホッシー
>>8
芙蓉姫ですよね。劉備の初恋の人でしたっけ?
ところで、この手の話で忘れてはいけないのは、周大荒による「反三国志」。いわゆるif小説で蜀の天下を空想したものですが、実はこの話、文化大革命のさなかに「孫文の思想を忘れるな」というメッセージをこめて作られたものだそうですね。
劉備を孫文になぞらえて・・って感じだそうで。
芙蓉姫ですよね。劉備の初恋の人でしたっけ?
ところで、この手の話で忘れてはいけないのは、周大荒による「反三国志」。いわゆるif小説で蜀の天下を空想したものですが、実はこの話、文化大革命のさなかに「孫文の思想を忘れるな」というメッセージをこめて作られたものだそうですね。
劉備を孫文になぞらえて・・って感じだそうで。
(PC)
11 赤龍
『反三国志』正直言って小説としてはさほど面白くなく、演義などには遠く及ばない作品と思いますが、近年日本でif小説が盛んに作られるようになったのは、この作品がひろまって以降のことに思えます。そうした意味では、三国志の小説史上では重要な意味のある作品といえるかもしれませんね。
もっとも、これ以後もこの手のif小説、数ばかり増えるものの、小説として名作といえる作品は生まれてないのが現状でしょうが……。
一流作家でif小説書く人なんて見ませんしね。
もっとも、これ以後もこの手のif小説、数ばかり増えるものの、小説として名作といえる作品は生まれてないのが現状でしょうが……。
一流作家でif小説書く人なんて見ませんしね。
(PC)
12 朱家
詳しくはないですが…
私は、劉関張の長兄を決める木登りの話が好きですね。自慢げに登る張飛、必死に追いかける関羽、ズル賢い劉備と、絵が容易に想像できる。個々の性格がうまく表現されてると思います。
私は、劉関張の長兄を決める木登りの話が好きですね。自慢げに登る張飛、必死に追いかける関羽、ズル賢い劉備と、絵が容易に想像できる。個々の性格がうまく表現されてると思います。
(A1304T/au)
13 ピエール
そんなシーンがあるんですかっ!!?
少し面白そうですね。「反三国志」は蜀の天下で終わるそうですがそれは劉備の代でそうなるんですか?それとも禅の代で諸葛亮が指揮をとってとるのかな?
少し面白そうですね。「反三国志」は蜀の天下で終わるそうですがそれは劉備の代でそうなるんですか?それとも禅の代で諸葛亮が指揮をとってとるのかな?
(W21SA/au)
14 しす
>>12
劉備の提案で木に登って兄弟の順序を決める話ですね。
一番上まで登る張飛。
途中まで登る関羽。
一人、根本に寝ころぶ劉備。
「オレが一番高く登ったから兄貴だ!」と喜ぶ張飛。
「根は低く、枝は高いが、先に根があって後から枝が生えてくる。根の方が兄貴だ」と劉備が言う。
関羽も「なるほど、それは道理だ。どっちにせよ私は2番目だ」
張飛も劉備の知恵に関心して大人しく末弟になりましたとさ、めでたしめでたし。
ってやつですね。
>>13
私が呼んだのは既に10年くらい前の話しなんでうろ覚えなんですが…
確か劉禅は終盤で暗殺され、最終的に蜀を継いだのは劉ェだったと思います。
劉備は何で死んだか忘れました。
諸葛亮は確か敵殺しすぎで、それが心労になってお亡くなりになったような…。
劉備の提案で木に登って兄弟の順序を決める話ですね。
一番上まで登る張飛。
途中まで登る関羽。
一人、根本に寝ころぶ劉備。
「オレが一番高く登ったから兄貴だ!」と喜ぶ張飛。
「根は低く、枝は高いが、先に根があって後から枝が生えてくる。根の方が兄貴だ」と劉備が言う。
関羽も「なるほど、それは道理だ。どっちにせよ私は2番目だ」
張飛も劉備の知恵に関心して大人しく末弟になりましたとさ、めでたしめでたし。
ってやつですね。
>>13
私が呼んだのは既に10年くらい前の話しなんでうろ覚えなんですが…
確か劉禅は終盤で暗殺され、最終的に蜀を継いだのは劉ェだったと思います。
劉備は何で死んだか忘れました。
諸葛亮は確か敵殺しすぎで、それが心労になってお亡くなりになったような…。
(PC)
15 ピエール
なんかかなりムチャな話ですね〜if小説だから仕方ないか・・・個人的に劉備の代で天下とってほしかったですね。
それと正史では五虎太将は存在しないと聞きましたが本当ですか!?
それと正史では五虎太将は存在しないと聞きましたが本当ですか!?
(W21SA/au)
16 くわぁまん
反三国志アッシも読んだ覚えありますよ…(笑)
確か、破三国志も有ったかと…。
話は新野にいた劉備軍が魏の攻撃を退け破竹の勢いで中華制圧…。
ん!?あれ、赤壁戦あったかなぁ?
あの本は小説と言うよりはゲームのリプレイ見たいなもんでしたからね。
関羽、庖統死なないし、徐庶も魏に行かなかったし…(大爆)
確か、破三国志も有ったかと…。
話は新野にいた劉備軍が魏の攻撃を退け破竹の勢いで中華制圧…。
ん!?あれ、赤壁戦あったかなぁ?
あの本は小説と言うよりはゲームのリプレイ見たいなもんでしたからね。
関羽、庖統死なないし、徐庶も魏に行かなかったし…(大爆)
(F901iC/FOMA)
17 魔亜沈
今、昔買った週刊ビジュアル三国志を見てたのですが、自分的に面白い話が一つ、劉備が山の大蛇退治の依頼を受けたので、青龍堰月刀を操る関羽に大蛇退治を任せようと考えたのですが、張飛が刀なんかいらない!素手で降伏させてやるって言って飛び出し大蛇と格闘し大蛇のしっぽを掴んでぐるぐる回しながら必死になって走ったら蛇ボウになっていたってゆーお話がありました。ん〜、なんだかなぁ〜
(N901iC/FOMA)
18 しす
武器と言えば青龍宝剣を手に入れた話を忘れてはいけないかな。
油泥棒に疑われた常生(説話における関羽の本名、中国読みで長生と同じ)が自分で油泥棒を捕まえようと寝ずの番。
いざやってきた油泥棒を捕まえようとするとそれは何と青龍。
常生が角を掴んでエイヤッと引っぱったら角が抜けてしまった。
慌てて逃げる青龍。
常生が驚いて手元を観ると角は雌雄一対の宝剣になっていましたとさ。
面白いのは現在の関羽のトレードマークとも言うべき青龍偃月刀ではなく、一対の剣ってとこでしょう。
恐らくは平話、演義よりも前に出来た話しと考えられるのではないでしょうか。
そういえば洛陽の関林には関羽の青龍偃月刀があるんですよね。
京都清水寺の弁慶の足跡、錫杖、鉄下駄みたいなもんですかねw
油泥棒に疑われた常生(説話における関羽の本名、中国読みで長生と同じ)が自分で油泥棒を捕まえようと寝ずの番。
いざやってきた油泥棒を捕まえようとするとそれは何と青龍。
常生が角を掴んでエイヤッと引っぱったら角が抜けてしまった。
慌てて逃げる青龍。
常生が驚いて手元を観ると角は雌雄一対の宝剣になっていましたとさ。
面白いのは現在の関羽のトレードマークとも言うべき青龍偃月刀ではなく、一対の剣ってとこでしょう。
恐らくは平話、演義よりも前に出来た話しと考えられるのではないでしょうか。
そういえば洛陽の関林には関羽の青龍偃月刀があるんですよね。
京都清水寺の弁慶の足跡、錫杖、鉄下駄みたいなもんですかねw
(PC)
25 元歎
面白いかどうかわかりませんが、関羽と張飛関連を一つずつ…。
河東解県に、まっすぐ南海に通じている大きな湖がある。この湖のほとりに一宇の寺があった。往時の老和尚は無類の碁好きで、今まで負けた事とてなかった。ある日、この寺に大丈夫が現われ、老和尚と碁を打ち始めた。二人はまさに格好の相手で、朝日が昇る頃より始め、夕日が沈む時間になっても勝敗がつかない。つぎの日も打ち続けたが、やはり決着がつかない。こうして一ヵ月が過ぎた。ある日、老和尚は心が碁盤のうえに向かないらしく、いくらも打たないうちに男が勝ってしまった。男は訝しく思い、訳を尋ねた。老和尚がため息混じりに話すには、「この一帯、もう二ヵ月も雨を見ておりませぬ。百姓衆は青息吐息、愚僧も気が気でなく、打つ手が乱れた次第。まことに気のもめる事でございます」男もため息をついて、「お笑いくだされ。かくなる上は真実をお話せねばなりますまい。実は私、南海の龍王なのですが、玉帝がこの地に雨を降らす事をお許しにならず、欝々と気が滅入りますので、こちらにお邪魔して碁を打ち、気晴らしをしていたという次第なのです」老和尚はこれを聞くと、あわててひざまづいて伏し拝み、恵の雨を降らせてくだされば、皆もどれほど喜びますことか、と嘆願した。が、龍王は承知しない。「玉帝の命に背き雨を降らせれば、天命を犯した罪で斬首になります」なおも老和尚は頭を地面にすりつけて一心に頼む。龍王は言った。「では、こういたしましょう。あなたの望みはかなえましょう。ですが、わたしが斬首になりましたら、湖に赤い水が吹き出しますから、桶に汲んで置いてください」果たして次の日、地面にたっぷりとしみ込むような大雨が降った。雨が止むやいなや、龍王の言葉どおり湖面に赤い水が湧き上がり、老和尚の用意した木桶に流れ込んだ。この赤い水置く事九九日、突然この桶から血色のよい子供が跳び出した。この子こそ、後の関羽であった。
なんと関羽の前世?は、南海の龍王だったというお話ですね。いつごろ出来た話なんでしょうね? 神様になってからかな?
河東解県に、まっすぐ南海に通じている大きな湖がある。この湖のほとりに一宇の寺があった。往時の老和尚は無類の碁好きで、今まで負けた事とてなかった。ある日、この寺に大丈夫が現われ、老和尚と碁を打ち始めた。二人はまさに格好の相手で、朝日が昇る頃より始め、夕日が沈む時間になっても勝敗がつかない。つぎの日も打ち続けたが、やはり決着がつかない。こうして一ヵ月が過ぎた。ある日、老和尚は心が碁盤のうえに向かないらしく、いくらも打たないうちに男が勝ってしまった。男は訝しく思い、訳を尋ねた。老和尚がため息混じりに話すには、「この一帯、もう二ヵ月も雨を見ておりませぬ。百姓衆は青息吐息、愚僧も気が気でなく、打つ手が乱れた次第。まことに気のもめる事でございます」男もため息をついて、「お笑いくだされ。かくなる上は真実をお話せねばなりますまい。実は私、南海の龍王なのですが、玉帝がこの地に雨を降らす事をお許しにならず、欝々と気が滅入りますので、こちらにお邪魔して碁を打ち、気晴らしをしていたという次第なのです」老和尚はこれを聞くと、あわててひざまづいて伏し拝み、恵の雨を降らせてくだされば、皆もどれほど喜びますことか、と嘆願した。が、龍王は承知しない。「玉帝の命に背き雨を降らせれば、天命を犯した罪で斬首になります」なおも老和尚は頭を地面にすりつけて一心に頼む。龍王は言った。「では、こういたしましょう。あなたの望みはかなえましょう。ですが、わたしが斬首になりましたら、湖に赤い水が吹き出しますから、桶に汲んで置いてください」果たして次の日、地面にたっぷりとしみ込むような大雨が降った。雨が止むやいなや、龍王の言葉どおり湖面に赤い水が湧き上がり、老和尚の用意した木桶に流れ込んだ。この赤い水置く事九九日、突然この桶から血色のよい子供が跳び出した。この子こそ、後の関羽であった。
なんと関羽の前世?は、南海の龍王だったというお話ですね。いつごろ出来た話なんでしょうね? 神様になってからかな?
(PC)
26 元歎
張飛が十五歳の時両親が亡くなった。戦乱の時代の将来を考えて、やはり武術を身につけるのが一番とおもい、故郷のタク県を出て方々をめぐり、優れた武術の師をさがしていた。ある日、鶏公山の下、古刹の前に一人の練武の老人をみつけた。老人は童顔鶴髪、壮健敏捷、目を見張るような拳法を鍛錬し終えると、不思議な事が起こった。老人は寺の前の重い石を持って空中に飛び上がり、鳥のように飛翔していた。そしてほどなく軽く軽く地面に降り立った。「ああ、仙人だ!」張飛はすぐに老人の前にひざまづき「ぜひ先生の弟子にしてください」と頼んだ。しかし老人は断った。それでも張飛は「ぜひに!」といってそこを動かない。一日、二日、三日……老人は張飛のねばり強さ誠意を感じて弟子いりを認めた。翌日、老人はこう命じた。「寺の西側にある六四〇個の石を寺の東側に運びなさい」石はとても重くて、全部の石を運び終えるのに三ヵ月もかかった。次は拳法を教えてもらえるとおもったが、次の日老人は命じた。「あの石を元の場所に戻しなさい。しかし今度はあまり手を使わないで、なるべく足でやりなさい」。張飛は腹が立った。けれども未だに拳法の教えを受けていないから、辛抱して、毎日足を使って石を運んだ。その後、老人はまたまた同じ石の運搬を命じた。それでも今度はおよそ一ヵ月余りで運び終えた。しかし、石運びの最後の日に、張飛は堪忍袋の緒が切れた。「このじじい、どうして武術を教えもしないで、毎日毎日、石運びばかりさせているのだろう。もうやめた!」ほうとに最後になった大きな石の塊を持ち上げて、おもいっきり放り投げた。ところが、びっくり仰天! あんな重い石が、数十メートルも飛んだ。とつぜん張飛は老人の行為を納得した。これまでの毎日は、まずは力をつけるための鍛錬だったのだ、と。それからは、熱心に老人が様々な拳法を教えた。三年後、張飛は武術全般を会得した。そして、特別な力持ちになった。
個人的に、この張飛の武芸学習の話が好きですね。なんとも張飛らしい^^
個人的に、この張飛の武芸学習の話が好きですね。なんとも張飛らしい^^
(PC)
27 ピエール
昨夜吉川三国志を読んでいて気がついたことを一つ。
「年はまだ二十にも満たぬ紅顔の若武者である。」姜維の初登場をこう書いていますが、たしか姜維が孔明に降ったのが26だか27歳ですよね。
二十歳を越えぬということは18、9。
これは何故??
「年はまだ二十にも満たぬ紅顔の若武者である。」姜維の初登場をこう書いていますが、たしか姜維が孔明に降ったのが26だか27歳ですよね。
二十歳を越えぬということは18、9。
これは何故??
(W21SA/au)
31 赤龍
高島俊男『三国志きらめく群像』によると、吉川英治さんの『三国志』は、江戸時代の湖南文山の『通俗三国志』をもとに書かれているとか。そして、その『通俗三国志』がかなり間違いの多い問題の多いものだったそうです。
というわけで、吉川三国志の間違いは『通俗三国志』の誤訳を踏襲したものである可能性もあるようです。
もっとも、吉川英治は演義の翻訳を目的としたのではなく、あくまで自分の小説を書いたのである以上、それで作品の価値が下がるわけではないと思っています。
というわけで、吉川三国志の間違いは『通俗三国志』の誤訳を踏襲したものである可能性もあるようです。
もっとも、吉川英治は演義の翻訳を目的としたのではなく、あくまで自分の小説を書いたのである以上、それで作品の価値が下がるわけではないと思っています。
(PC)
32 赤龍
さて、姜維の件、演義の原文をざっと見てみましたが、登場シーンで年齢は触れられてないものの、趙雲と対峙したシーンでは「少年将軍」という表現がされています。
普通、少年と言われて、26、27の人をイメージしませんよね。演義の作者も、もっと若いイメージで書いていた可能性もあります。すると、十代に設定した吉川英治も、それを踏襲した可能性もでてきます。
まあ、十代の次代を担う若き英傑という方が話が面白いからではないかと思います。
普通、少年と言われて、26、27の人をイメージしませんよね。演義の作者も、もっと若いイメージで書いていた可能性もあります。すると、十代に設定した吉川英治も、それを踏襲した可能性もでてきます。
まあ、十代の次代を担う若き英傑という方が話が面白いからではないかと思います。
(PC)
33 しす
吉川三国志は当時まだ中国を舞台にした小説に馴染みのなかった日本人向けに色々と工夫されてるのがよく解ります。
例えば桃園結義の前に劉備がお茶を買いに行くシーンを入れることで黄巾の非道さ、張飛、芙蓉姫との出会いを描いています。
これで後の張飛との再会、関羽との出会い、芙蓉姫との悲恋を円滑に見せることに成功してます。
また先祖伝来の宝剣を登場させることで劉備の正当性を示した上で、母親への孝と、老いた母を残していくことの未練、そしてその母に促され波乱の人生の一歩を踏み出すというまさに日本人好みの演出オンパレード。
(ちなみに神話学者ジョーゼフ・キャンベルによると神話や物語の英雄たるもの、冒険に出るにあたって一度は迷いを見せねばならんようです)
その他にも劉安が自分の妻を殺して劉備をもてなすシーンを削ったり、劉備の妻女を一人にしたりというのも日本人向けのアレンジでしょう。
また終盤、孔明が司馬懿もろともに魏延まで殺害を計るも失敗、罪を馬岱に押しつけ兵卒に落とした上で魏延の部下にされてしまうのも吉川演出。
馬岱の人気は吉川三国志あればこそでしょうね。
余談ですが私は横光三国志の馬岱が忙牙長を斬るシーンで彼に惚れますた。
たぶん横光三国志の一騎打ちシーンで一番カコイイ!
例えば桃園結義の前に劉備がお茶を買いに行くシーンを入れることで黄巾の非道さ、張飛、芙蓉姫との出会いを描いています。
これで後の張飛との再会、関羽との出会い、芙蓉姫との悲恋を円滑に見せることに成功してます。
また先祖伝来の宝剣を登場させることで劉備の正当性を示した上で、母親への孝と、老いた母を残していくことの未練、そしてその母に促され波乱の人生の一歩を踏み出すというまさに日本人好みの演出オンパレード。
(ちなみに神話学者ジョーゼフ・キャンベルによると神話や物語の英雄たるもの、冒険に出るにあたって一度は迷いを見せねばならんようです)
その他にも劉安が自分の妻を殺して劉備をもてなすシーンを削ったり、劉備の妻女を一人にしたりというのも日本人向けのアレンジでしょう。
また終盤、孔明が司馬懿もろともに魏延まで殺害を計るも失敗、罪を馬岱に押しつけ兵卒に落とした上で魏延の部下にされてしまうのも吉川演出。
馬岱の人気は吉川三国志あればこそでしょうね。
余談ですが私は横光三国志の馬岱が忙牙長を斬るシーンで彼に惚れますた。
たぶん横光三国志の一騎打ちシーンで一番カコイイ!
(PC)
35 一刻者
全国的に肉まんと呼ばれる中華まんじゅうの一種(関西では豚まんかな)中国では包子(ぱおず)といい、三国時代(三世紀)諸葛孔明が作らせたのが始まりとされています
皆さん知ってました?
皆さん知ってました?
(W22SA/au)
37 しす
ちょうど先週の『宮廷女官チャングムの誓い』でも饅頭(マンドゥ)の話は出てました。
>>>235-26-27でも触れていますが、このドラマ、けっこう三国志ネタ多いです。
…と、ちょっと脱線してしまいましたね。
>>34
すいません。
俗っぽい話をする時にたまに使ってしまいます。
私自身はねらーではないんですけどね。
>>>235-26-27でも触れていますが、このドラマ、けっこう三国志ネタ多いです。
…と、ちょっと脱線してしまいましたね。
>>34
すいません。
俗っぽい話をする時にたまに使ってしまいます。
私自身はねらーではないんですけどね。
(PC)
41 一刻者
やっぱり「肉まん」の話は有名ですよね♪
三国志故事に、知ってる方もいるかと思いますが、こんな逸話があったので紹介します☆
赤壁で敗れた曹操の話しです。
赤壁から命からがら逃げ延びる曹操は、華容道で関羽の情けにすがり、なんとかその場を逃げ延び、気がつくと夜になっていた。曹操らは疲れ果て、山の麓で休んでいた。すると突然、追っ手の叫び声!あくまで戦って死ぬ事を主張する者もいたが、曹操は、それは無駄死にであると言って退ける。また、別の者は逃げ道を見つけることを主張するが、曹操は、これも暗闇で方向がわからないまま動いても自殺するようなものだと考えた。結局、進むも引くも、どうしたらよいかわからない。
その時、雁の群れの鳴き声を聞いた曹操は、突然大きな声で笑いだした。将軍らは驚き尋ねる「丞相、今どうして大笑いなさったのですか」と。曹操は自信を持って言った。
「私に運が向いてきたから笑ったのだ。雁という鳥は冬、北から南に向かって飛ぶ。我々は北に向かっていけば逃げられる。間違いない」と。
皆その言葉を聞いて北に向かい、無事魏へ帰ることが出来たそうです。
ホントかウソかわかりませんが、絶体絶命のところで冷静な判断ができた曹操は、自然科学の知識にも長けていたんですね☆
三国志故事に、知ってる方もいるかと思いますが、こんな逸話があったので紹介します☆
赤壁で敗れた曹操の話しです。
赤壁から命からがら逃げ延びる曹操は、華容道で関羽の情けにすがり、なんとかその場を逃げ延び、気がつくと夜になっていた。曹操らは疲れ果て、山の麓で休んでいた。すると突然、追っ手の叫び声!あくまで戦って死ぬ事を主張する者もいたが、曹操は、それは無駄死にであると言って退ける。また、別の者は逃げ道を見つけることを主張するが、曹操は、これも暗闇で方向がわからないまま動いても自殺するようなものだと考えた。結局、進むも引くも、どうしたらよいかわからない。
その時、雁の群れの鳴き声を聞いた曹操は、突然大きな声で笑いだした。将軍らは驚き尋ねる「丞相、今どうして大笑いなさったのですか」と。曹操は自信を持って言った。
「私に運が向いてきたから笑ったのだ。雁という鳥は冬、北から南に向かって飛ぶ。我々は北に向かっていけば逃げられる。間違いない」と。
皆その言葉を聞いて北に向かい、無事魏へ帰ることが出来たそうです。
ホントかウソかわかりませんが、絶体絶命のところで冷静な判断ができた曹操は、自然科学の知識にも長けていたんですね☆
(W22SA/au)
42 天草
既出かも知れませんが、曹操が喉を乾かせていた遠征中の兵士達に梅を思い出させて、つばを出させるっていう有名な話しがありましたよね?
あれは何が出展元でしたっけ?
んで、スレ違いかも知れませんが、人体の科学的にそれは有効なのかな?(;^_^A
あれは何が出展元でしたっけ?
んで、スレ違いかも知れませんが、人体の科学的にそれは有効なのかな?(;^_^A
(N900i/FOMA)
43 ピエール
また聞きたいことができたので書きこませていただきます^_^;
演議で曹操や周魴が髪を切って我が命のかわりに、などのシーンがありますが当時の中国人にとって髪(または髭など)はそれほど大事なものだったんでしょうか?
演議で曹操や周魴が髪を切って我が命のかわりに、などのシーンがありますが当時の中国人にとって髪(または髭など)はそれほど大事なものだったんでしょうか?
(W21SA/au)
44 しす
>>43
>ピエールさん
その手の質問はスレ違いですので>>>254で質問された方がベターだと思います。
で質問の答えですが、私もさほど詳しいわけではありませんが、古代中国では髪が長く、髭も美しく長いのが理想的…というのが中原での文化だったようです。
ましてや頭頂部を晒すなんてのはまさに恥そのものであり、ゆえにコン刑という頭髪を剃る刑があったほどです。
(ちなみにコン刑はかなり重い刑罰だったようです)
>ピエールさん
その手の質問はスレ違いですので>>>254で質問された方がベターだと思います。
で質問の答えですが、私もさほど詳しいわけではありませんが、古代中国では髪が長く、髭も美しく長いのが理想的…というのが中原での文化だったようです。
ましてや頭頂部を晒すなんてのはまさに恥そのものであり、ゆえにコン刑という頭髪を剃る刑があったほどです。
(ちなみにコン刑はかなり重い刑罰だったようです)
(PC)
49 一刻者
天草さんお久しぶりですm(_ _)m(前シナ皇甫嵩陣営の者です)
ここホント面白いです!ほぼ毎日皆さんの討論拝見させて頂いています。
梅の話ですが吉川三国志でも『梅酸渇を医す』の事、記されてましたよ(^O^)
ここホント面白いです!ほぼ毎日皆さんの討論拝見させて頂いています。
梅の話ですが吉川三国志でも『梅酸渇を医す』の事、記されてましたよ(^O^)
(W22SA/au)
51 朱家
しすさんのおっしゃるとおり『世説新語』です。仮譎偏(人を欺いた話)にあります。ちなみに、この偏は曹操が多く登場します(笑)
演義などでは、喉の渇きが癒えたとなってますが、記述では、近くに水源はあるが、道に迷ってしまい、梅林の話は時間稼ぎです。部下達は必死で捜したでしょうしね。医学的な事は分かりませんが、短時間なら効果はありそうです。
しかし、曹操が道に迷うとは考えにくい。行軍中ですし、優秀な部下達全員が道に迷うだろうか(笑)まあ曹操かどうかは別として、似たような逸話があって創作されたと思いますが…
演義などでは、喉の渇きが癒えたとなってますが、記述では、近くに水源はあるが、道に迷ってしまい、梅林の話は時間稼ぎです。部下達は必死で捜したでしょうしね。医学的な事は分かりませんが、短時間なら効果はありそうです。
しかし、曹操が道に迷うとは考えにくい。行軍中ですし、優秀な部下達全員が道に迷うだろうか(笑)まあ曹操かどうかは別として、似たような逸話があって創作されたと思いますが…
(EZ)
52 天草
皆さん、ありがとうございました♪
ようやくスッキリしましたw
確か、例のクイズ番組にクイズとして出題されたという話題でしたよね?
これも創作の可能性大とは…。
>>49
ようこそ!
その節はお世話になりました!
これからはコチラでもよろしくお願いします☆
ようやくスッキリしましたw
確か、例のクイズ番組にクイズとして出題されたという話題でしたよね?
これも創作の可能性大とは…。
>>49
ようこそ!
その節はお世話になりました!
これからはコチラでもよろしくお願いします☆
(PC)
54 ストラップ
田中貢太郎氏の小説を読んでいましたところ、「狐と狸」という、張華が主役の短篇がありました。
少年に化けた狐と狸を張華が退治する話なのですが、これの元ネタが何かわかる方はありますか?
又、この小説には「雷孔章」なる人物が登場するのですが、この人は実在した人物なのでしょうか?
少年に化けた狐と狸を張華が退治する話なのですが、これの元ネタが何かわかる方はありますか?
又、この小説には「雷孔章」なる人物が登場するのですが、この人は実在した人物なのでしょうか?
(F2102V/FOMA)
55 エロハシ
リア友が、曹軍の誰かが孫子の死角を突いた発言をした、といってるんですが、こんな記述がある書物ってあるんでしょうか?
曹操が孫子の注釈をしたことについて言ってる可能性もなくはないんですが。
曹操が孫子の注釈をしたことについて言ってる可能性もなくはないんですが。
(P902i/FOMA)
56 無問題
確か、民間の伝承かなんかで面白い話があったので載せときます。(どこで仕入れたネタか忘れましたが)劉備と関・張の話ですが『三人は会うたびに意気投合し、張飛は肉を、関羽は酒をもっていきよく酒宴を開いたが、劉備だけはいつも何ももってこなかった。二人は劉備が何ももってこないことにおこり懲らしめてやろうとした。そのためわざと劉備の酒宴の席を井戸のうえにし分からないようにした。酒宴がはじまったが、劉備は何事もなく酒宴をたのしんだ。不思議に思った二人が井戸の中をのぞいてみると龍が頭に劉備を載せ落ちないようにしていた。二人は劉備がただ者でないことを悟り、彼を長兄とし義兄弟の契りを結んだ』…、なんかとんでもない話ですね、龍でてきてるし(笑)何の話だったかな…。
(W32SA/au)
59 しす
>>58
では孔明の墓のお話でも…
六度目の北伐で病に倒れた孔明は姜維と楊儀を呼んで後事を託し、
「私が死んだら贋の遺体を四体用意し、四方の城門から同時に野辺送りを出せ、陣中に一人も人夫を残してはならぬ」と指示を出した。
一方で息子の霊を呼び、
「私が死んでもお前は野辺送りに来てはならぬ。私は八人の大男と一人の飯炊きを選んである。お前は馬蹄銀80枚(←ここがポイント)を褒美にやって埋葬を任せよ。彼らが帰ってくれば埋葬場所は自ずと解る」
と言うや息絶えた。
姜維と楊儀、そして諸葛霊は準備を整えると、霊の九人を呼んだ。
何れも死刑囚だったが地相が解るというので仕置きを赦してもらったという。
孔明の遺言に従えば褒美を貰えると知った九人は大喜びした。
さっそく諸葛霊の指示通り、贋の野辺送りが出た後、八人の大男は本物の孔明の棺を持って陣を出た。
後には飯炊きが八人のために酒肴を用意していた。
八人は山越え、川越え、青松嶺に登り、埋葬に相応しい場所を見つけると、小半日もかけて埋葬した。
しかし大男の一人が
「孔明と言えば策略家だ。それがなんで俺達のような罪人に埋葬を任せ、褒美までくれるというのだ」
と言いだした。
他の七人ももっともだと言うがどうしたものか解らない。
そのうち別の一人が
「手遅れにならないうちに舞い戻って飯炊きを殺して一人10枚で山分けしようぜ」
と言いだし、衆議一決帰りを急いだ。
では孔明の墓のお話でも…
六度目の北伐で病に倒れた孔明は姜維と楊儀を呼んで後事を託し、
「私が死んだら贋の遺体を四体用意し、四方の城門から同時に野辺送りを出せ、陣中に一人も人夫を残してはならぬ」と指示を出した。
一方で息子の霊を呼び、
「私が死んでもお前は野辺送りに来てはならぬ。私は八人の大男と一人の飯炊きを選んである。お前は馬蹄銀80枚(←ここがポイント)を褒美にやって埋葬を任せよ。彼らが帰ってくれば埋葬場所は自ずと解る」
と言うや息絶えた。
姜維と楊儀、そして諸葛霊は準備を整えると、霊の九人を呼んだ。
何れも死刑囚だったが地相が解るというので仕置きを赦してもらったという。
孔明の遺言に従えば褒美を貰えると知った九人は大喜びした。
さっそく諸葛霊の指示通り、贋の野辺送りが出た後、八人の大男は本物の孔明の棺を持って陣を出た。
後には飯炊きが八人のために酒肴を用意していた。
八人は山越え、川越え、青松嶺に登り、埋葬に相応しい場所を見つけると、小半日もかけて埋葬した。
しかし大男の一人が
「孔明と言えば策略家だ。それがなんで俺達のような罪人に埋葬を任せ、褒美までくれるというのだ」
と言いだした。
他の七人ももっともだと言うがどうしたものか解らない。
そのうち別の一人が
「手遅れにならないうちに舞い戻って飯炊きを殺して一人10枚で山分けしようぜ」
と言いだし、衆議一決帰りを急いだ。
(PC)
60 しす
(続き)
一方飯炊きも
「なんで孔明はオレのような罪人を信用するんだ。命を助けると言われても約束してくれた当の本人が死んでしまった。ここは酒に毒を盛って80枚独り占めしてドロンを決め込むか」
と酒に砒素を盛り、酒肴を並べると、箱イッパイの馬蹄銀を拝みに奥へと向かった。
そんな頃に戻ってきた八人、酒肴が旨そうな匂いをたてているので涎を垂らさんばかり。
しかし飯炊きの姿が見えない。
「さては一人でネコババする気か」
疑い益々濃厚と見た八人が奥へ踏み込むと、懐に馬蹄銀を押し込む飯炊きの姿が…
怒った八人。鍬だの棍だのを振りかぶって殴り殺してしまった。
それぞれ馬蹄銀10枚を懐にねじ入れた八人は用意してあった酒肴に手をつける。
たちまち十の酒瓶を空にしたが、にわかに一人が
「腹が痛ぇ!ちぎれそうだ!
と暴れ出す。
他の連中も口々に叫びだし、ひっくり返って死んでしまった。
そこへ諸葛霊が遺体をそこに埋葬したか聞きにやってきたが、そこには九人揃いも揃って死んでおり、80枚の馬蹄銀がちらばっている。
とその中の一枚にはパックリ裂け目がある。
諸葛霊が慌てて手に取ると、なんとハリボテ。
中には紙切れがつまっており、開いてみると孔明の字で
「孔明 巧みに設く葬身の計、真屍を確保して平安を得たり」
と記されていた。
ちなみに諸葛霊という人物は正史にも演義にも見られない名前ですよね。
一方飯炊きも
「なんで孔明はオレのような罪人を信用するんだ。命を助けると言われても約束してくれた当の本人が死んでしまった。ここは酒に毒を盛って80枚独り占めしてドロンを決め込むか」
と酒に砒素を盛り、酒肴を並べると、箱イッパイの馬蹄銀を拝みに奥へと向かった。
そんな頃に戻ってきた八人、酒肴が旨そうな匂いをたてているので涎を垂らさんばかり。
しかし飯炊きの姿が見えない。
「さては一人でネコババする気か」
疑い益々濃厚と見た八人が奥へ踏み込むと、懐に馬蹄銀を押し込む飯炊きの姿が…
怒った八人。鍬だの棍だのを振りかぶって殴り殺してしまった。
それぞれ馬蹄銀10枚を懐にねじ入れた八人は用意してあった酒肴に手をつける。
たちまち十の酒瓶を空にしたが、にわかに一人が
「腹が痛ぇ!ちぎれそうだ!
と暴れ出す。
他の連中も口々に叫びだし、ひっくり返って死んでしまった。
そこへ諸葛霊が遺体をそこに埋葬したか聞きにやってきたが、そこには九人揃いも揃って死んでおり、80枚の馬蹄銀がちらばっている。
とその中の一枚にはパックリ裂け目がある。
諸葛霊が慌てて手に取ると、なんとハリボテ。
中には紙切れがつまっており、開いてみると孔明の字で
「孔明 巧みに設く葬身の計、真屍を確保して平安を得たり」
と記されていた。
ちなみに諸葛霊という人物は正史にも演義にも見られない名前ですよね。
(PC)
61 しす
たまには碧眼児のいいお話でも…
嘉魚県の陸渓口は昔は六口と呼ばれていたが、陸遜が16年間駐屯していたこともあって陸口と呼ばれるようになったという。
その陸口の近くに界石山という山があり、山頂に孫権を祀った呉主廟がある。
なぜここに呉主廟が建てられたのか。
当時駐屯していた陸遜はまだ歳若く、魏や蜀からも相手にされず、呉の重臣達もあんな若造に任せて、この先呉はどうなるんだと嘆いていたという。
しかし孫権だけは
「都のことはわしが仕切るから、外のことは陸遜に任せた」
と全幅の信頼を置いていたという。
陸遜も重責を身に染みて感じており、三軍の将兵と苦楽を共にし日夜訓練に励んでいた。
ある日、陸遜が陸口で水軍の訓練をしていると一人の兵士が駆けつけてきて
「五、六人の町方の者が岸をフラフラし、何かを嗅ぎ廻っているようなので、あるいは敵方の間者ではないかと、引っ捕らえておきました」
と言う。
陸遜は機密が漏れてはいけないし、かと言って捕らえられた者達が無実であったならば申し訳ないとも思ったので、急いで船を下り、馬をとばして現場へと駆けつけた。
界石山に近づくと兵士達がその五、六人を有無を言わさずひっくくっている。
しかし当の本人達は慌てず騒がず
「都督を呼べ、お前達の都督を呼べ」
と言っている。
口振りから察するにただ者ではないらしい。
急ぎ足で駆けつけてみると中の一人は角張った顎に大きな口、青い目に紫の鬚。
紛れもなく主、孫権ではないか。
陸遜はビックリ仰天、その場に跪くなり
「とんだご無礼を」
と冷や汗タラタラ。
兵士達は訳が解らず、ただマズイことをしてしまったらしいと震えだした。
陸遜は孫権らの戒めを解くと、兵士達を縛り上げた。
「無礼者、ただではすまさんぞ」
陸遜の怒号に弁解のしようもなくひたすらに命乞いをする兵士達。
しかし孫権は腹を立てるどころかニコニコと笑って
「この者達が何をしたと言う。大手柄ではないか。処罰するどころか褒美をやらねばならん。そなたの率いる将兵が一時も気を緩めていないことを知って、ますます安心したぞ」
人々は孫権が公明正大で、人の見る目の確かなことを知って感激したという。
この時のことを記念として建てられたのが呉主廟だと伝えられる。
嘉魚県の陸渓口は昔は六口と呼ばれていたが、陸遜が16年間駐屯していたこともあって陸口と呼ばれるようになったという。
その陸口の近くに界石山という山があり、山頂に孫権を祀った呉主廟がある。
なぜここに呉主廟が建てられたのか。
当時駐屯していた陸遜はまだ歳若く、魏や蜀からも相手にされず、呉の重臣達もあんな若造に任せて、この先呉はどうなるんだと嘆いていたという。
しかし孫権だけは
「都のことはわしが仕切るから、外のことは陸遜に任せた」
と全幅の信頼を置いていたという。
陸遜も重責を身に染みて感じており、三軍の将兵と苦楽を共にし日夜訓練に励んでいた。
ある日、陸遜が陸口で水軍の訓練をしていると一人の兵士が駆けつけてきて
「五、六人の町方の者が岸をフラフラし、何かを嗅ぎ廻っているようなので、あるいは敵方の間者ではないかと、引っ捕らえておきました」
と言う。
陸遜は機密が漏れてはいけないし、かと言って捕らえられた者達が無実であったならば申し訳ないとも思ったので、急いで船を下り、馬をとばして現場へと駆けつけた。
界石山に近づくと兵士達がその五、六人を有無を言わさずひっくくっている。
しかし当の本人達は慌てず騒がず
「都督を呼べ、お前達の都督を呼べ」
と言っている。
口振りから察するにただ者ではないらしい。
急ぎ足で駆けつけてみると中の一人は角張った顎に大きな口、青い目に紫の鬚。
紛れもなく主、孫権ではないか。
陸遜はビックリ仰天、その場に跪くなり
「とんだご無礼を」
と冷や汗タラタラ。
兵士達は訳が解らず、ただマズイことをしてしまったらしいと震えだした。
陸遜は孫権らの戒めを解くと、兵士達を縛り上げた。
「無礼者、ただではすまさんぞ」
陸遜の怒号に弁解のしようもなくひたすらに命乞いをする兵士達。
しかし孫権は腹を立てるどころかニコニコと笑って
「この者達が何をしたと言う。大手柄ではないか。処罰するどころか褒美をやらねばならん。そなたの率いる将兵が一時も気を緩めていないことを知って、ますます安心したぞ」
人々は孫権が公明正大で、人の見る目の確かなことを知って感激したという。
この時のことを記念として建てられたのが呉主廟だと伝えられる。
(PC)
横から申し訳ありません
m(__)m
仕事の関係で中国の方と話す機会がありまして『三国志の中で1番好きな武将は?』と聞きました。
そしたら、『張飛』と返って来たので『関羽は?』と聞き返したら『我々の国では関羽よりも張飛の方が圧倒的に人気は高いし1番の人気者だよ』と返って来ました・・・・理由を聞きたかったんですが時間が無く聞けませんでした。
そこで皆さんに聞きたいんですけど。
何故に関羽よりも張飛の方が人気が高く且つ1番なのでしょうか?
宜しくお願いします。
m(__)m
仕事の関係で中国の方と話す機会がありまして『三国志の中で1番好きな武将は?』と聞きました。
そしたら、『張飛』と返って来たので『関羽は?』と聞き返したら『我々の国では関羽よりも張飛の方が圧倒的に人気は高いし1番の人気者だよ』と返って来ました・・・・理由を聞きたかったんですが時間が無く聞けませんでした。
そこで皆さんに聞きたいんですけど。
何故に関羽よりも張飛の方が人気が高く且つ1番なのでしょうか?
宜しくお願いします。
(SH901iC/FOMA)
63 しす
>>62
推測で申し訳ないのですが、民間レベルにおいては張飛はトリックスターとしての役割を担っている人物であることが大きな要因ではないかと思われます。
演義以前の講談の類では張飛は演義以上に荒唐無稽且つ超人的な強さを持つ人物として描かれています。
でも決して完璧な人間ではなく、酒で酔っぱらって失敗したりと人間臭さも失ってはいません。
西遊記で言えば孫悟空の役割ですよね。
そう考えれば、実際に神である関羽や神懸かり的な天才孔明を出し抜いて一番人気になることも頷ける気がします。
推測で申し訳ないのですが、民間レベルにおいては張飛はトリックスターとしての役割を担っている人物であることが大きな要因ではないかと思われます。
演義以前の講談の類では張飛は演義以上に荒唐無稽且つ超人的な強さを持つ人物として描かれています。
でも決して完璧な人間ではなく、酒で酔っぱらって失敗したりと人間臭さも失ってはいません。
西遊記で言えば孫悟空の役割ですよね。
そう考えれば、実際に神である関羽や神懸かり的な天才孔明を出し抜いて一番人気になることも頷ける気がします。
(PC)
>>63しすさん
答えて頂きありがとうございます。
そー言われれば頷けますね。
私は、今在る書籍を見ても劉義兄弟の中で1番人間らしく且つ関羽に『我、よりも強い』と言わした実力が人気高く1番なのかと思いました。
虎牢関の戦いで呂布と対峙した劉義兄弟の事を考えれば、関羽・張飛は問題ないけど。2人にとって劉備は足手まとい、関羽が劉備を護らずに戦ったとは思えない・・そーなれば張飛がほぼ1人で組み合ったと考えられなくもないですよね?
肉体的なピークが来ていたであろう呂布とピークを迎えようとしていた張飛・・将来性も人気?って感じです。
答えて頂きありがとうございます。
そー言われれば頷けますね。
私は、今在る書籍を見ても劉義兄弟の中で1番人間らしく且つ関羽に『我、よりも強い』と言わした実力が人気高く1番なのかと思いました。
虎牢関の戦いで呂布と対峙した劉義兄弟の事を考えれば、関羽・張飛は問題ないけど。2人にとって劉備は足手まとい、関羽が劉備を護らずに戦ったとは思えない・・そーなれば張飛がほぼ1人で組み合ったと考えられなくもないですよね?
肉体的なピークが来ていたであろう呂布とピークを迎えようとしていた張飛・・将来性も人気?って感じです。
(SH901iC/FOMA)
66 削除済
67 朱家
久しぶりですが(笑)
張飛の人気は、あくまでも「好きな人物」だと思います。非常に愛される存在ですからね。「尊敬」だと違った結果になると思います。日本は、この境界線がかなり曖昧ですからね。
日本だと趙雲の人気が異様に高いですけど、客観的に見て、愛される人物でもなければ、尊敬される人物でもない(上位の理由ほどではない)二歩も三歩も下がった人物が人気なのは日本らしいが、外国人には理解できないらしい(笑)
張飛の人気は、あくまでも「好きな人物」だと思います。非常に愛される存在ですからね。「尊敬」だと違った結果になると思います。日本は、この境界線がかなり曖昧ですからね。
日本だと趙雲の人気が異様に高いですけど、客観的に見て、愛される人物でもなければ、尊敬される人物でもない(上位の理由ほどではない)二歩も三歩も下がった人物が人気なのは日本らしいが、外国人には理解できないらしい(笑)
(PC)
69 孫(みらう)
民間伝承
何かの本にでものっているのでしょうか
中国の奥地で口伝されていたとか、出所不明でも結構楽しめる
いっそ自分で作ってしまおうと思ってもみたりして
虚構や空想・・・いいですよね うん
何かの本にでものっているのでしょうか
中国の奥地で口伝されていたとか、出所不明でも結構楽しめる
いっそ自分で作ってしまおうと思ってもみたりして
虚構や空想・・・いいですよね うん
(PC)
71 孫(みらう)
しすさん、ここに書いてしまったならともかく
話題に入るために一言こう言った程度でいちいち牽制しないでください
やりすぎじゃないですか?
スレッドを最初から見て まるまるそうじゃないのはわかります
私も言いすぎを今してますが、これも相手があっての反応です
逸脱してからでは遅いから、もしそんな理由ならどこにでもすぐに注意入ります
そこまできつくしてはいないでしょう?
部屋を乱して失礼しました
話題に入るために一言こう言った程度でいちいち牽制しないでください
やりすぎじゃないですか?
スレッドを最初から見て まるまるそうじゃないのはわかります
私も言いすぎを今してますが、これも相手があっての反応です
逸脱してからでは遅いから、もしそんな理由ならどこにでもすぐに注意入ります
そこまできつくしてはいないでしょう?
部屋を乱して失礼しました
(P700i/FOMA)
72 しす
>>5
で触れられていた油江口の話を見つけてきました。
張飛が公安に駐屯していた時、蝗が大量発生し、穀物が実らず農民達は家に油ががまったくなくなって苦しんでいた。
それを知った張飛は自ら一隻の船を出し、油を輸送して人々に送り届けようとした。
そのことはたちまち周囲に伝え広がり百里四方の民人が桶をさげ瓶を持って集まってきた。
張飛が舟から岸を見ると人々でびっしりと埋まっている状態。
「舟一隻分の油しかないのに、こんなに大勢にどうやって分ければいいんだ?」
張飛がこうつぶやくと部下が、
「もし川の水がすべて油なら足りるでしょうに」
と冗談を言った。
それを聞いた張飛は何を思ったか、刀で船底に穴を開けた。
当然その穴から川の水が入ってくる。
部下が慌てて問いただすと、張飛は髭をしごきながら大笑いして言った。
「舟が沈めば、川中が油だらけになる」
やがて流れ出た油が川面に浮んで油だらけになってしまった。
それを見た人々は我先に汲みだす。
人々がそれを担いで帰ると、不思議な事に混じりけのない油であった。
後に人々は張飛の功績を称えて張飛廟をたて、張飛が油を送り届けてきた辺りを「油江口」と呼ぶようになったという。
>>71
私の対応に不満があるのでしたら自治会掲示板の方にお願いします。
http://z-z.jp/?jitikai
で触れられていた油江口の話を見つけてきました。
張飛が公安に駐屯していた時、蝗が大量発生し、穀物が実らず農民達は家に油ががまったくなくなって苦しんでいた。
それを知った張飛は自ら一隻の船を出し、油を輸送して人々に送り届けようとした。
そのことはたちまち周囲に伝え広がり百里四方の民人が桶をさげ瓶を持って集まってきた。
張飛が舟から岸を見ると人々でびっしりと埋まっている状態。
「舟一隻分の油しかないのに、こんなに大勢にどうやって分ければいいんだ?」
張飛がこうつぶやくと部下が、
「もし川の水がすべて油なら足りるでしょうに」
と冗談を言った。
それを聞いた張飛は何を思ったか、刀で船底に穴を開けた。
当然その穴から川の水が入ってくる。
部下が慌てて問いただすと、張飛は髭をしごきながら大笑いして言った。
「舟が沈めば、川中が油だらけになる」
やがて流れ出た油が川面に浮んで油だらけになってしまった。
それを見た人々は我先に汲みだす。
人々がそれを担いで帰ると、不思議な事に混じりけのない油であった。
後に人々は張飛の功績を称えて張飛廟をたて、張飛が油を送り届けてきた辺りを「油江口」と呼ぶようになったという。
>>71
私の対応に不満があるのでしたら自治会掲示板の方にお願いします。
http://z-z.jp/?jitikai
(PC)
74 魏延
何処で聞いたのか忘れましたが、周倉についての話しを一つ。
周倉は主人である関羽が赤兎馬に乗って走る時はいつも関羽の青龍円月刀を担ぎ、その後ろを走ってついていっていた。関羽はこのことを気の毒に思い、彼に一日800里走る名馬を買い与えた。だが、関羽の赤兎馬は一日に1000里を走る名馬なので、周倉が与えられた名馬はいつも途中でへばってしまった。しかし、関羽から買って貰った名馬を捨てていくことも出来ない。そこで周倉は途中からはいつも馬と青龍円月刀を担いで関羽の後についていったのだった。
正直この話しを初めて聞いた時の自分の感想は「周倉かわいい」でした。
周倉は主人である関羽が赤兎馬に乗って走る時はいつも関羽の青龍円月刀を担ぎ、その後ろを走ってついていっていた。関羽はこのことを気の毒に思い、彼に一日800里走る名馬を買い与えた。だが、関羽の赤兎馬は一日に1000里を走る名馬なので、周倉が与えられた名馬はいつも途中でへばってしまった。しかし、関羽から買って貰った名馬を捨てていくことも出来ない。そこで周倉は途中からはいつも馬と青龍円月刀を担いで関羽の後についていったのだった。
正直この話しを初めて聞いた時の自分の感想は「周倉かわいい」でした。
(812SH/SB)
75 ピエール.
周倉は僕も演議オリジナル人物の中では好きな人物の一人です。
昔読んだのであまり覚えてはいませんが清代の「聊斎志異」にもかっちょいい役で出てきてましたね。
いわゆるお化け本みたいな内容ばっかの中で知っている名前がでてきたので興奮しました。
あと「三国志平話」では何故か北伐に参加したという記述があったと記憶しています。
昔読んだのであまり覚えてはいませんが清代の「聊斎志異」にもかっちょいい役で出てきてましたね。
いわゆるお化け本みたいな内容ばっかの中で知っている名前がでてきたので興奮しました。
あと「三国志平話」では何故か北伐に参加したという記述があったと記憶しています。
(W51SH/au)