1 くわぁまん

許攸軍師について…

過去スレに有ったらすんまそん…(汗)

最近、許攸軍師の事が気になって気になって…

演義では官渡戦の勝敗のキーマンとして華々しくデビューしてますが、実際は袁紹の配下になる前より波瀾万丈の人生を歩んでいる様ですね…。

それに、軍師としての才能はどおだったのでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせください。
(F901iC/FOMA)
2 天草
曹操の逆鱗に触れ、殺されたのは自業自得でしょうが、杜襲伝に曹操が杜襲に諌められ殺そうとしたのを一旦踏みとどまったエピソードがありますよね?

これは許攸の何に激怒したのでしょうか?
(PC)
3 風太
彼は傲慢だった、ってよく聞きますからそれだと思いますね。
(W22SA/au)
4 無問題
杜襲伝にそのような記述があるなんてはじめて聞きました。やっぱり本物の正史を読まなければ駄目ですね。許攸の最後ですが、なんか禰衡の最後に似てるな〜、と思うのは自分だけでしょうか?(笑)彼と曹操は知己の仲だったんですね?昔のよしみでおおめにみてくれると踏んでいたのではないでしょうかね?それとも、立てた功績の割には厚遇されなかったとか?彼は貪欲な性格らしかったですからね
(EZ)
5 蛮犬
>>2-4
それは>>1で取り上げられている、許子遠とは恐らく違うものと思われます…。正史の8巻の索引で見る限りではそうかと…。杜襲伝に見える、例のエピソードの前の文章を見ても矛盾していることがわかります。
(W21S/au)
6 くわぁまん
そうですね。おそらく杜襲伝の許攸は別人かと…。

武帝伝によると、冀州刺史王芬・周旌らと語らい、霊帝を廃して合肥侯を擁立しようとクーデターを企てたものの失敗したと有ります…。

その再、曹操に相談を持ち掛け拒絶されたらしいです。物語では曹操と許攸は旧知の間柄のように描かれていますが、やはりこの頃知り合ったのかな?
(F901iC/FOMA)
7 天草
何!?
それは全く初耳です。
完全な私の勘違いなのか!?

ソースを希望します☆
(PC)
8 くわぁまん
杜襲伝の許攸を@武帝紀の許攸をAとしますと…
杜襲はかなり早い時期に戦乱を避ける為に劉表の賓客になっていますからAの許攸には出会ってはいないと思われます…。
ま、後漢書を読んだ事が無いので解らないのですが関連の事記載されていますかね?(汗)

因みに冀州刺史の王芬は事が露見し自害しましたが、周旌はどうなったのかなぁ?(謎)
(F901iC/FOMA)
9 ストラップ
>>7
武帝紀の注にひく「九州春秋」ですよ。
(F2102V/FOMA)
10 ストラップ
>>9
>>6にある「武帝伝」というのが何を指すのかわ不明ですが、霊帝殺害計画はあった様です。
霊帝が河間郡を訪れるのを機として、黒山賊を討つ名目で王芬は出兵の許可を求めましたが、許可が下りませんでした。事態が洩れた事を懸念した王芬は自害、許攸は袁紹を頼った、という顛末です。
(PC)
11 袁家熱愛
袁紹を裏切って、曹操軍を勝利に導いた許攸でしたが、後に、あまりに傲慢な態度をとったので、激怒した許猪に斬られてます。
(912SH/SB)
12 しす
>>11
彼が尊大に振る舞ったために斬られたのは事実ですが、許チョに斬られたってのは演義の創作ですよ。
(910SH/SB)
13 袁家熱愛
やっぱり(笑)では、誰に斬られたのでしょう?お教えください!もったいない…。傲慢で人生を台なしにした許攸。
(912SH/SB)