1 天草
魏延 文長
(PC)
2 李行
漢中を良く守り抜いて五虎将(になってから)で一番活躍したと思う。
孔明が亡くなった後の行動はあくまで野心ではなく彼なりのショクを憂うところからだと思います。
ただ、彼に追随するのがいなかったのは不幸でしたね。
…仲は悪かったと思う。良ければ故事を託す訳ですしΣ(><。)
孔明が亡くなった後の行動はあくまで野心ではなく彼なりのショクを憂うところからだと思います。
ただ、彼に追随するのがいなかったのは不幸でしたね。
…仲は悪かったと思う。良ければ故事を託す訳ですしΣ(><。)
(F2051/FOMA)
3 たかひろ
実際は仲悪くないですよ。 大学で同じような発表がありました。あくまで魏延とヨウギの派閥争い。
魏延の長安急襲経路を実際辿りましたがいいかんじでしたよ。
彼は奴隷身分から成り上がった優秀な軍人です。
魏延の長安急襲経路を実際辿りましたがいいかんじでしたよ。
彼は奴隷身分から成り上がった優秀な軍人です。
(F2102V/FOMA)
4 たかひろ
三国後期はもはや知的指揮官の時代であり槍働きのみの軍人に後の事を託す方が疑問ですよ。
また孔明と魏延の参陣時期を見ますに孔明の方がはやく位も高い。いくら魏延や孔明がお互いに含むことがあろうが派閥争いになることは考えにくい。
つまるところ、軍事的政治的指導者の大統領が一将軍と派閥争いになると思いますか?
これがヨウギ相手なら話はわかる。
将軍と官房長官なら理解できます。
魏延も歴史の被害者なり。
また孔明と魏延の参陣時期を見ますに孔明の方がはやく位も高い。いくら魏延や孔明がお互いに含むことがあろうが派閥争いになることは考えにくい。
つまるところ、軍事的政治的指導者の大統領が一将軍と派閥争いになると思いますか?
これがヨウギ相手なら話はわかる。
将軍と官房長官なら理解できます。
魏延も歴史の被害者なり。
(F2102V/FOMA)
5 天草
なるほど…では派閥として対立するまで、魏延には力がなかったと言う事かな?
私は二人の関係よりも、むしろ生粋の軍人である魏延は机上で戦略を立てる政治家・戦略家を良く思っていなかったのではなかったか?と考えます。
魏延が諸葛亮を非難する、原因となった進言とは、遠回りして、拠点を築きながら進軍しようとした、諸葛亮の安全策に対して、魏延自身が兵一万の別働隊を指揮し、最短ルートで一気に無能・夏候ボウの守る長安を襲い、洞関で合流するという策でした。
個人的には良い案だと思うのですが、皆さんはこの策をどう思いますか?
参考資料:北伐ルート
私は二人の関係よりも、むしろ生粋の軍人である魏延は机上で戦略を立てる政治家・戦略家を良く思っていなかったのではなかったか?と考えます。
魏延が諸葛亮を非難する、原因となった進言とは、遠回りして、拠点を築きながら進軍しようとした、諸葛亮の安全策に対して、魏延自身が兵一万の別働隊を指揮し、最短ルートで一気に無能・夏候ボウの守る長安を襲い、洞関で合流するという策でした。
個人的には良い案だと思うのですが、皆さんはこの策をどう思いますか?
参考資料:北伐ルート
(PC)
6 たかひろ
実際辿った者として…
間違いなく成功したと思います。このルートは隠れ道的であり、地元住民しかしらぬ開けた軍道でした。
つまり失策です。長年漢中を守備し土地勘や豪族に顔が聞いた魏延ですから、この軍道の存在を知っていたのでしょう。
孔明は内心奴隷上がりと馬鹿にしていたかも。それは馬ショクが王平を文盲と小馬鹿にして助言を聞かなかった様に…
間違いなく成功したと思います。このルートは隠れ道的であり、地元住民しかしらぬ開けた軍道でした。
つまり失策です。長年漢中を守備し土地勘や豪族に顔が聞いた魏延ですから、この軍道の存在を知っていたのでしょう。
孔明は内心奴隷上がりと馬鹿にしていたかも。それは馬ショクが王平を文盲と小馬鹿にして助言を聞かなかった様に…
(F2102V/FOMA)
7 恵依
実際に辿った事はないので、的が外れていたらゴメンナサイ。
魏延率いる別働隊による長安電撃奇襲が成ったかも知れない!
というのは、三国志の特に蜀ファンなら思いを馳せてみたいトコロですね。
しかし、ここで疑問。
長安攻略が成功したとして、その後の諸葛亮との合流まで踏ん張りきる事はできたのでしょうか?
魏延率いる別働隊による長安電撃奇襲が成ったかも知れない!
というのは、三国志の特に蜀ファンなら思いを馳せてみたいトコロですね。
しかし、ここで疑問。
長安攻略が成功したとして、その後の諸葛亮との合流まで踏ん張りきる事はできたのでしょうか?
(PC)
8 たかひろ
目的は長安占拠にあらず。皇帝の身柄か首。あわよくば長安でしょ。
そして相手が戻ってくるまでたえれるか?
これは味方の援軍がなきゃ無理でしょ。当たり前だけどね。
逆に魏は失うは皇帝。ショクは魏延。さぁてどうだ。
そして相手が戻ってくるまでたえれるか?
これは味方の援軍がなきゃ無理でしょ。当たり前だけどね。
逆に魏は失うは皇帝。ショクは魏延。さぁてどうだ。
(F2102V/FOMA)
9 天草
ん?
皇帝とは曹叡の事ですか?だったら、少し違う気がします。
当時、曹叡は司馬懿に西方を任せ、自分は呉の侵攻に呼応して、合肥に出兵してます。呉が敗走すると、寿春まで行き、余裕にも諸将の勲章を考えていた、とあります。
やはり魏延は長安を占拠し、守りを固めた上で司馬懿の軍を分断させようとしたのではないでしょうか?
補給線を断たれた司馬懿軍は防衛ラインを長安以東に移さなければならないように…というのはいかがでしょう?
だとしても曹叡の余裕の行動を見る限り、蜀に勝ち目があったとは思えませんが…。
皇帝とは曹叡の事ですか?だったら、少し違う気がします。
当時、曹叡は司馬懿に西方を任せ、自分は呉の侵攻に呼応して、合肥に出兵してます。呉が敗走すると、寿春まで行き、余裕にも諸将の勲章を考えていた、とあります。
やはり魏延は長安を占拠し、守りを固めた上で司馬懿の軍を分断させようとしたのではないでしょうか?
補給線を断たれた司馬懿軍は防衛ラインを長安以東に移さなければならないように…というのはいかがでしょう?
だとしても曹叡の余裕の行動を見る限り、蜀に勝ち目があったとは思えませんが…。
(PC)
11 恵依
あれ?一回目の北伐の話しですよね?
夏侯楙の名前が出てますし……。
私の記憶が確かなら、そのとき曹叡は
『諸葛亮が攻めてきた』
との報に慌てふためく群臣たちに対し
「なにを慌てる事がある?諸葛亮は兵法で云う処の <誘き出し> に掛かったのと同じ事だ」
と諭してこれを鎮め、接いで左将軍・張コウを派遣すると共に自らも長安へ親征していたような気がしますが……。
夏侯楙の名前が出てますし……。
私の記憶が確かなら、そのとき曹叡は
『諸葛亮が攻めてきた』
との報に慌てふためく群臣たちに対し
「なにを慌てる事がある?諸葛亮は兵法で云う処の <誘き出し> に掛かったのと同じ事だ」
と諭してこれを鎮め、接いで左将軍・張コウを派遣すると共に自らも長安へ親征していたような気がしますが……。
(PC)
13 大伴
軍事の見地から推察してみましょう。
魏延が要求したのは、勁卒五千と輕重五千。これは少ないとは言えませんが、多いとも言えぬ数。将に奇襲戦の為の数字です。この人数ならば、子午谷から北に向かえば十日はいらないという。これは孔明も反対していませんから、事実として良いでしょう。そして長安を守護する夏侯楙は軍事に疎い。
一見成功が確実な様ですが、孔明はなぜ認めなかったか。それは、この奇襲の可能性に敵が気付いていれば、簡単に防げると思ったからでしょう。奇襲というのは意外であるから効果的なのであって、失敗した奇襲は脆く崩れるのみです。又、敵方の情報は、どんなに調べたつもりでも、不可知の事柄がある、という可能性は絶対に捨てきれません。孔明は、夏侯楙に優れたスタッフが付いているやも知れぬ事を、危惧したのですね。有能な軍人が少ない今、孔明も魏延を死なせたくは無かったのでしょう。
しかしこれが、孔明の軍事を知らぬところでもあります。我が国の東郷神社に奉られている人は何故、博打打ちの神なのでしょうか?戦争とは複雑な要素の絡み相いで、化かし相いですから、勝つ為には博打を打つ様な場面もあるのです。曹操も何度も危ない橋を渡りました。これが出来ぬ事が、孔明の弱さなのですね。
魏延が要求したのは、勁卒五千と輕重五千。これは少ないとは言えませんが、多いとも言えぬ数。将に奇襲戦の為の数字です。この人数ならば、子午谷から北に向かえば十日はいらないという。これは孔明も反対していませんから、事実として良いでしょう。そして長安を守護する夏侯楙は軍事に疎い。
一見成功が確実な様ですが、孔明はなぜ認めなかったか。それは、この奇襲の可能性に敵が気付いていれば、簡単に防げると思ったからでしょう。奇襲というのは意外であるから効果的なのであって、失敗した奇襲は脆く崩れるのみです。又、敵方の情報は、どんなに調べたつもりでも、不可知の事柄がある、という可能性は絶対に捨てきれません。孔明は、夏侯楙に優れたスタッフが付いているやも知れぬ事を、危惧したのですね。有能な軍人が少ない今、孔明も魏延を死なせたくは無かったのでしょう。
しかしこれが、孔明の軍事を知らぬところでもあります。我が国の東郷神社に奉られている人は何故、博打打ちの神なのでしょうか?戦争とは複雑な要素の絡み相いで、化かし相いですから、勝つ為には博打を打つ様な場面もあるのです。曹操も何度も危ない橋を渡りました。これが出来ぬ事が、孔明の弱さなのですね。
(F2102V/FOMA)
16 大伴
魏延伝によると、第四次北伐の撤退後、魏延と楊儀は互いに相手を、反逆者だと上表した様です。その後、楊儀との権力争いに負けた為、反逆したという事になった、とあります。
(F2102V/FOMA)
17 劉緋
はじめまして。
博打で最初は勝てたとして、後が続くものなのでしょうか?
そうだとすれば、三国志とは関係ないけど、第二時大戦で日本はアメリカに勝てたかも。
孔明の弱さ、というより、国力の弱さ、という感じがします。
群雄割拠状態の曹操と、三国ケン立状態の諸葛亮ではとれる戦法が違ってきそうな気がします。
これから土台を作りあげていく人と、守らないといけない土台がすでにある人との違いというか…。
この二人は性格もだいぶ違いそうですけどね。
私は魏延と孔明が仲悪いのは演戯の話だと思ってました。
違うのかな(@_@)?
博打で最初は勝てたとして、後が続くものなのでしょうか?
そうだとすれば、三国志とは関係ないけど、第二時大戦で日本はアメリカに勝てたかも。
孔明の弱さ、というより、国力の弱さ、という感じがします。
群雄割拠状態の曹操と、三国ケン立状態の諸葛亮ではとれる戦法が違ってきそうな気がします。
これから土台を作りあげていく人と、守らないといけない土台がすでにある人との違いというか…。
この二人は性格もだいぶ違いそうですけどね。
私は魏延と孔明が仲悪いのは演戯の話だと思ってました。
違うのかな(@_@)?
(D502i)
18 大伴
孔明と魏延が仲が悪かったかどうかはわかりませんが、恐らく孔明は魏延を大事な戦力であったと考えていたと思います。孔明が奇襲失敗で失う事を恐れたのは兵もそうでしょうが、魏延という人材の方が大きいでしょうから。
まあここで問題とすべきは、孔明自身が魏と一戦交える気持ちがありながら、大きな戦力差があるにも拘わらず、正攻法にこだわってしまっている事です。
又、大東亜戦争は、真珠湾の奇襲は確かに成功しましたが、彼等は以後を全く考えずに戦闘を続けた事が問題なのであって、奇襲作戦自体に欠陥がある訳では無いのです。
たとえば日清、日露戦争などは、大国に対し戦争をしながら、自国に有利な条件での早期講話を模索していました(敵の殲滅や完全な制圧は難しい為)。だからこそ、勝利できたのです。日露二国間の当時の戦力比は、単純に兵数だけ見ても、二倍、砲数十三倍(しかも露軍は性能も上)、艦船の排水量三倍以上……と、とても本来ならば勝ち目は無いのです。
私には魏延の作戦を、軽々しいと見る事はできませんね。大国を相手にするからこそ、彼の案は有効であった訳ですから。
まあここで問題とすべきは、孔明自身が魏と一戦交える気持ちがありながら、大きな戦力差があるにも拘わらず、正攻法にこだわってしまっている事です。
又、大東亜戦争は、真珠湾の奇襲は確かに成功しましたが、彼等は以後を全く考えずに戦闘を続けた事が問題なのであって、奇襲作戦自体に欠陥がある訳では無いのです。
たとえば日清、日露戦争などは、大国に対し戦争をしながら、自国に有利な条件での早期講話を模索していました(敵の殲滅や完全な制圧は難しい為)。だからこそ、勝利できたのです。日露二国間の当時の戦力比は、単純に兵数だけ見ても、二倍、砲数十三倍(しかも露軍は性能も上)、艦船の排水量三倍以上……と、とても本来ならば勝ち目は無いのです。
私には魏延の作戦を、軽々しいと見る事はできませんね。大国を相手にするからこそ、彼の案は有効であった訳ですから。
(F2102V/FOMA)
19 劉緋
私も奇襲作戦軽くは見てませんよ(^^;)。
あの状況で勝つには、やっぱり何か賭に出ないと…、と思いますし。
でもそれは孔明の北伐を見たから言える話ですけどね。
奇襲して失敗に終わってたら、反対の事を思ってたかも。
仮に長安を混乱させ、勢いに乗って、魏の領土を一時大きく占拠できたとして、その後すぐ魏が攻めこんできたら、守りきれるものでしょうか?
つい先程まで魏に恩恵を受けてた土地に人、反旗を翻される可能性は少なくない気がします。
しかも君主が曹丕、叡と劉禅では、どっちにつくかは…。
話それてしまってすみません。
あの状況で勝つには、やっぱり何か賭に出ないと…、と思いますし。
でもそれは孔明の北伐を見たから言える話ですけどね。
奇襲して失敗に終わってたら、反対の事を思ってたかも。
仮に長安を混乱させ、勢いに乗って、魏の領土を一時大きく占拠できたとして、その後すぐ魏が攻めこんできたら、守りきれるものでしょうか?
つい先程まで魏に恩恵を受けてた土地に人、反旗を翻される可能性は少なくない気がします。
しかも君主が曹丕、叡と劉禅では、どっちにつくかは…。
話それてしまってすみません。
(D502i)
21 趙
土地に住んでる民にとっては魏だろうと蜀だろうと関係なかったかと。彼らにとって大事なのは税や兵役等の条件であってその納める先が曹某であろうと劉某であろうと変わりはないですし。…話が逸れましたな。
(N900i/FOMA)
22 大伴
私が考えますに、あの場合、広い領土を制圧する必要は無いのですよ。実際問題として、小国の蜀に兵を分散して各地に配置する様な体力は無いと思いますから。
長安。そのただ一つの拠点を制圧さえすれば、相手に対して有利な条件で、なんらかの取引が出来たと思うのです。いかがですか?
長安。そのただ一つの拠点を制圧さえすれば、相手に対して有利な条件で、なんらかの取引が出来たと思うのです。いかがですか?
(F2102V/FOMA)
23 劉緋
領民には誰が皇帝かは関係無いだろうけど、それなりに地位がある人達だったらどうなんだろう?
長安を一時占拠したとしても、すぐに壊滅させられたら外交まで持っていくのは厳しそうですよね。
魏を講和しようという気にさせるには、かなりの打撃、危機感を与えないといけないような…。
そうでないと、講和の前に総力あげてつぶしにかかられそう…。
長安奇襲に成功して、魏と講和まで持ち込める可能性てどれくらいなものなのかな…。
長安奇襲に成功したとしたら、どういうふうにその後進めていけばいいと思われますか?
長安を一時占拠したとしても、すぐに壊滅させられたら外交まで持っていくのは厳しそうですよね。
魏を講和しようという気にさせるには、かなりの打撃、危機感を与えないといけないような…。
そうでないと、講和の前に総力あげてつぶしにかかられそう…。
長安奇襲に成功して、魏と講和まで持ち込める可能性てどれくらいなものなのかな…。
長安奇襲に成功したとしたら、どういうふうにその後進めていけばいいと思われますか?
(D502i)
24 大伴ゴジョウ
まさか、長安奪取というカードの有効性まで疑われるとはね。
先ず前提として知っていなければならない事は、
@長安は魏の重要拠点である。
A魏と一戦交える事が前提である。
B攻城は防城より難しく、被害が大きい。
という事です。上記の条件ですぐに陥落するならば、Aの時点で既に失敗しているのです。それに「一時的な制圧」とは、奪還される迄の制圧という意味では無く、魏への返還や、破棄の意味ですよ。
長安を占拠したら先ず、
・要人確保
・物資の確保
・軍事施設を中心とした、各施設の制圧
を行う事で、完全な制圧が可能でしょう。後はここから使えるカードを捜します。長安と引き換えに、管理しやすい領土を譲り受ける事も可能です。もし魏が交渉に応じず、維持が難しければ、長安を焼き払って撤兵する事も考えられます。これは魏にとっては大きな被害です。何にしろ、長安は地方の小都市などでは無く、重要な都市なのです。方向性は多数あり、様々な交渉のやり方が考えられます。
先ず前提として知っていなければならない事は、
@長安は魏の重要拠点である。
A魏と一戦交える事が前提である。
B攻城は防城より難しく、被害が大きい。
という事です。上記の条件ですぐに陥落するならば、Aの時点で既に失敗しているのです。それに「一時的な制圧」とは、奪還される迄の制圧という意味では無く、魏への返還や、破棄の意味ですよ。
長安を占拠したら先ず、
・要人確保
・物資の確保
・軍事施設を中心とした、各施設の制圧
を行う事で、完全な制圧が可能でしょう。後はここから使えるカードを捜します。長安と引き換えに、管理しやすい領土を譲り受ける事も可能です。もし魏が交渉に応じず、維持が難しければ、長安を焼き払って撤兵する事も考えられます。これは魏にとっては大きな被害です。何にしろ、長安は地方の小都市などでは無く、重要な都市なのです。方向性は多数あり、様々な交渉のやり方が考えられます。
(F2102V/FOMA)
25 劉緋
長安の重要性ぐらいはもちろん理解しています(-_-;)。それゆえに相手も必死になって守る、取り返すなどしてくると思うのです。そうなるととりあえず占拠できたとしても、その後援護してもらわないと、優位な条件で交渉どころか、孤立してしまえば、壊滅の可能性が高くなるのでは?長安部隊壊滅による、士気、兵力の低下は蜀にとってはかなり痛手になりそうです。なるべくそれは避けたいので、本隊とどう連携していくかを聞いていたのです。後、焼払いはどうかと。住民に敵対心を持たれてしまいそうです。物資持ち出された後だと効果も薄れますし。
(D502i)
26 大伴
魏延の作戦は、
楙は軍事に疎いので、対策が出来ない。楙逃走の後に、孔明の本隊が斜谷ルートで長安に入り合流し、長安以西を一挙に掌握する
というものですよ?以西云々は、長安さえ抑えれば連絡が絶たれますから、地理さえ頭にあれば説明不要ですね?本隊が一つの拠点に留まり、防衛戦をする。これで負けるならば、魏と事を構えるという、孔明の基本戦略こそが間違っているのですよ?
楙は軍事に疎いので、対策が出来ない。楙逃走の後に、孔明の本隊が斜谷ルートで長安に入り合流し、長安以西を一挙に掌握する
というものですよ?以西云々は、長安さえ抑えれば連絡が絶たれますから、地理さえ頭にあれば説明不要ですね?本隊が一つの拠点に留まり、防衛戦をする。これで負けるならば、魏と事を構えるという、孔明の基本戦略こそが間違っているのですよ?
(F2102V/FOMA)
27 劉緋
長安を軍事に疎い人間だけで守ってる可能性は低いでしょうね。長安を占拠したとして全く東西の連絡が取れない事もないでしょう。長安は魏領の南北全てにまたがる要塞なんですか?本隊が長安入りして一つの拠点にとどまり防衛…したら補給路はどうします?蜀本土との連絡は?連絡路の確保、他人事ではないのでは?以西を一挙に掌握、て少数の蜀軍に簡単にできますか?また、こもってる間に蜀の本土に攻め込まれたらどうします?問題は山積みではないでしょうか。これで負けるならば…て、負ける確率の方が高そうに思いますが。この作戦の場合。
(D502i)
28 大伴
西安は西の字が入ることでわかる様に、ほとんど西の果てであり、又西安以西への道は、当時は西安を通らねばなりませんでした。地図上で確認下さい。
孔明という人の難色を示した箇所も、長安制圧後の維持では無く、奇襲作戦の成功自体です。恐らく奇襲が成功したならば、彼の天才的政治手腕で、何とでも出来たと思いますよ。要人の確保という仕事も忘れないで下さい。魏としては、長安を何としても奪回したいでしょうが、戦闘による奪還よりも先ず、相手が政治的取引を提示してきたならば、そちらを考慮する筈です。孔明ならば、相手が呑むギリギリの条件の提示も期待できるでしょう。そもそも、長安が薄手だったのは、魏が長安に回せる戦力が薄かった事を示しています。いくら大国とはいえ、無用の戦闘は避けたいものですよ。
基本的に補給の心配はこの場合必要ありません。むしろこの場合、楙が逃亡する際、大量の食料を焼き払う事が心配なのです。無論、この様な事態が起こらぬ事を前提に魏延は提案していますし、この事態を想定して孔明は奇襲作戦を否定したのです。つまり、作戦自体の失敗を恐れた訳で、その戦略を否定してはいないのですよ。
孔明という人の難色を示した箇所も、長安制圧後の維持では無く、奇襲作戦の成功自体です。恐らく奇襲が成功したならば、彼の天才的政治手腕で、何とでも出来たと思いますよ。要人の確保という仕事も忘れないで下さい。魏としては、長安を何としても奪回したいでしょうが、戦闘による奪還よりも先ず、相手が政治的取引を提示してきたならば、そちらを考慮する筈です。孔明ならば、相手が呑むギリギリの条件の提示も期待できるでしょう。そもそも、長安が薄手だったのは、魏が長安に回せる戦力が薄かった事を示しています。いくら大国とはいえ、無用の戦闘は避けたいものですよ。
基本的に補給の心配はこの場合必要ありません。むしろこの場合、楙が逃亡する際、大量の食料を焼き払う事が心配なのです。無論、この様な事態が起こらぬ事を前提に魏延は提案していますし、この事態を想定して孔明は奇襲作戦を否定したのです。つまり、作戦自体の失敗を恐れた訳で、その戦略を否定してはいないのですよ。
(F2102V/FOMA)
29 劉緋
結局天才孔明頼みかあ(=_=)。その天才に退けられた作戦なんだから、アテにした作戦では説得力ないのでは?指令伝達の使者が通れる細道、山道などの抜け道はあるのでは?地図には載ってないかもしれませんが。長安以西、涼州ヨウ州等結構広くありませんでした?広い地点を蜀が抑えるのは…て、あなたがおっしゃってませんでしたか?違ってたらm(__)m。それが一転天才軍師の政治力頼み…では話が違いませんか?私も長安奇襲作戦否定してませんよ。可能性を考えたかっただけで。疲れたのでこの辺で。魏延名誉回復するといいですね。カワイソウ。
(D502i)
30 天草
なかなか白熱した議論が展開されてたんですね。。。
諸葛亮と魏延。二人に人間的な確執があったのか?ということだけについて考えてみました。
まず魏延の提案が却下された件。これに関して諸葛亮に悪気があったとは思えません。それは軍人・魏延と政治家・諸葛亮の二人の立場が意見の食い違いを見せたのでしょう。ここで魏延が
「諸葛亮が臆病な為自分の手腕を十分に発揮できない」
と悔しがって漏らしていたのは記載のある事実。元々訓練を怠らず、人一倍勇猛であり、誇り高い性格から当時楊儀以外の者は、腫れ物に触るような付き合いしかなかった事も記されています。
しかしこの北伐で諸葛亮は魏延を自分が選んだルートで先鋒として使ってるんですよね。ここに諸葛亮の配慮が感じられます。そんな一方で諸葛亮は死の床で、楊儀・姜維らに魏延が軍令に背いた場合の対応を口にしてます。
思うに、魏延は武人としての主張を貫き、最後まで蜀の為に自分が盾になる事を選んだ。
諸葛亮は責任者としての仕事を全うし、蜀の為にその時の最善の策を考えたと。二人の立場が巻き起こした、起こるべく起こった悲しい事件ですよね。
諸葛亮と魏延。二人に人間的な確執があったのか?ということだけについて考えてみました。
まず魏延の提案が却下された件。これに関して諸葛亮に悪気があったとは思えません。それは軍人・魏延と政治家・諸葛亮の二人の立場が意見の食い違いを見せたのでしょう。ここで魏延が
「諸葛亮が臆病な為自分の手腕を十分に発揮できない」
と悔しがって漏らしていたのは記載のある事実。元々訓練を怠らず、人一倍勇猛であり、誇り高い性格から当時楊儀以外の者は、腫れ物に触るような付き合いしかなかった事も記されています。
しかしこの北伐で諸葛亮は魏延を自分が選んだルートで先鋒として使ってるんですよね。ここに諸葛亮の配慮が感じられます。そんな一方で諸葛亮は死の床で、楊儀・姜維らに魏延が軍令に背いた場合の対応を口にしてます。
思うに、魏延は武人としての主張を貫き、最後まで蜀の為に自分が盾になる事を選んだ。
諸葛亮は責任者としての仕事を全うし、蜀の為にその時の最善の策を考えたと。二人の立場が巻き起こした、起こるべく起こった悲しい事件ですよね。
(PC)
31 大伴
個人が山越えをするのと、集団が越えるのは別の話。魏延の述べた、以西云々は長安の地理的条件。ランチョウ方向には、シーアンルートかハンチョンルートを使わねばならぬのは、見てわかる筈です。
又、孔明の名は、「長安占拠」という切り札を、最も有効的に使用出来るとおもわれる人物の名前。孔明がいなければ成功しない戦略目標という訳では無いのです。又、政治的手腕や戦略眼と、作戦能力を混同しないで戴きたいものです。
引用は最小限にしたいので、手元の<魏延伝>を開いて下さい。魏略を参照し、魏延は食料、戦力、ともに充分だと説いた、とあります。それに対し孔明は、戦略的な話では無く、作戦の見地から、安全策では無く、道が平坦では無く危険だ、と述べているのです。良く見て下さい。戦略では無く、作戦です。
魏延の作戦は、栄光か滅亡かの、一か八かの方法です。失敗の可能性は低くは無いし、確かに安全策では無い。しかし歴史を紐解けば、この様な方法で、小国が大国に勝つ例は少なくないのです。魏延の手法は、軍事の見地からいえば、あながち間違った方法でも無いのです。
又、これは当時漢中王であった劉邦が、韓信の進言を取り入れて長安を急襲し、成功した故事にならった事も、付け足しておきます。
又、孔明の名は、「長安占拠」という切り札を、最も有効的に使用出来るとおもわれる人物の名前。孔明がいなければ成功しない戦略目標という訳では無いのです。又、政治的手腕や戦略眼と、作戦能力を混同しないで戴きたいものです。
引用は最小限にしたいので、手元の<魏延伝>を開いて下さい。魏略を参照し、魏延は食料、戦力、ともに充分だと説いた、とあります。それに対し孔明は、戦略的な話では無く、作戦の見地から、安全策では無く、道が平坦では無く危険だ、と述べているのです。良く見て下さい。戦略では無く、作戦です。
魏延の作戦は、栄光か滅亡かの、一か八かの方法です。失敗の可能性は低くは無いし、確かに安全策では無い。しかし歴史を紐解けば、この様な方法で、小国が大国に勝つ例は少なくないのです。魏延の手法は、軍事の見地からいえば、あながち間違った方法でも無いのです。
又、これは当時漢中王であった劉邦が、韓信の進言を取り入れて長安を急襲し、成功した故事にならった事も、付け足しておきます。
(F2102V/FOMA)
34 大伴
二人は方向性が違ったのでしょうね。それに魏延は勇気があったのですが、孔明は彼を殺したくはなかったのでしょう。
三国志平話を読んでいると、魏延は頼れる将、というだけの位置づけです。
三国志平話を読んでいると、魏延は頼れる将、というだけの位置づけです。
(F2102V/FOMA)
38 郭煕
koeiの「三国志[武将ファイル」で楊儀と魏延の対立の原因に触れられていますが、それによると
魏延は部曲出身の叩き上げの将軍だが功績を重ね、順調に出世したのに対し、楊儀はジョウ陽の名家の出ながら左遷されるなど順調でなかった事から楊儀が鬱屈した感情を魏延に抱いた可能性がある。
魏延を殺した後の言動を見ても、魏延を出自の卑しい奴と見ていたと思います。
魏延は部曲出身の叩き上げの将軍だが功績を重ね、順調に出世したのに対し、楊儀はジョウ陽の名家の出ながら左遷されるなど順調でなかった事から楊儀が鬱屈した感情を魏延に抱いた可能性がある。
魏延を殺した後の言動を見ても、魏延を出自の卑しい奴と見ていたと思います。
(W11K/au)
39 天草
郭煕殿>やっぱそこにいきますよね。
正史でも魏延を擁護するような記述は結構あります。が、三国志演義では、完全な謀反人として扱われています。これはやはり諸葛亮の死後も彼を正当化・神童化するためのものだったのでしょうか。
だとしたら、魏延ってかなりの悲将ですよね。
正史でも魏延を擁護するような記述は結構あります。が、三国志演義では、完全な謀反人として扱われています。これはやはり諸葛亮の死後も彼を正当化・神童化するためのものだったのでしょうか。
だとしたら、魏延ってかなりの悲将ですよね。
(PC)
41 八苦
おぉ、愛すべき好漢、魏延があがったので無知ながらコメント失礼します。忠臣か?逆賊か?これは思い入れや影響を受けた本などによって異なるとは思いますが、超私見のみで云えば、魏延は「能臣」だったと思うのです。魏延は孔明にじゃなく劉備に仕えたんだよなぁ。
(P2102V/FOMA)
44 八苦
最初から全部読ませて頂きました。もし孔明が魏延の言を要れ、長安を奪取出来ていたら、…勝ち馬に乗って呉が北上したのでは?洛陽、長安がピンチに陥り、魏、そのものが根幹から揺らいだ…。これが魏延の描いたシナリオじゃなかったっけ?違うか(;-o-)ゴメンナサイ不勉強で…。結果論だけど、魏を滅ぼせる可能性は魏延だけが握っていた事になるよね。奇襲失敗による損失は魏延と兵一万ナンボ。奇襲成功ならば魏崩壊の可能性含有。一度は試したかったね。
(P2102V/FOMA)
45 八苦
ゴメンナサイ。ふってある話題からそれちゃった。魏延の能臣たる所以を説明したかったのです。繰り返しますが不勉強でスミマセン。さて、魏延はショクの忠臣にして功臣。もっと魏延に愛をぉぉお!
(P2102V/FOMA)
46 天草
エイさん>そうですか。ありがとうございます。
指揮官として、冒険よりも堅実な策を重要視した諸葛亮の気持ちも分からないわけではないとも思うんですけど。。。
とにかく魏延に関しては、全ての要素が重なって、悲しい結末に繋がっていくんですよね(涙)
指揮官として、冒険よりも堅実な策を重要視した諸葛亮の気持ちも分からないわけではないとも思うんですけど。。。
とにかく魏延に関しては、全ての要素が重なって、悲しい結末に繋がっていくんですよね(涙)
(PC)
49 天草
しかし、魏延の北伐ルートは一か八かの博打ですよね。
その理由は…
@魏延は長安を守る夏侯楙を侮り、戦って勝つのではなく、自分が行けば逃げ出すと読んでいた。
A長安を落とした後、諸葛亮が西方を平定しても魏の援軍はその間20日は援軍が来ないだろうから大丈夫だと読んでいた。
まぁ@は確かに良将ではないですが、自尊心の強すぎる魏延の悪い一面を心配したかと。
Aに関しては明らかに、危うい読みですよね?実際227年には司馬懿は駐屯地の宛から僅か8日で上庸の孟達の首をはねに来ました。
司馬懿伝によれば、この時(五丈原の戦い)も二日で行けると豪語したとあります。
私自身は魏延擁護派ですが、反対派が出てこないのであえて反論してみました(笑)どう思います?
その理由は…
@魏延は長安を守る夏侯楙を侮り、戦って勝つのではなく、自分が行けば逃げ出すと読んでいた。
A長安を落とした後、諸葛亮が西方を平定しても魏の援軍はその間20日は援軍が来ないだろうから大丈夫だと読んでいた。
まぁ@は確かに良将ではないですが、自尊心の強すぎる魏延の悪い一面を心配したかと。
Aに関しては明らかに、危うい読みですよね?実際227年には司馬懿は駐屯地の宛から僅か8日で上庸の孟達の首をはねに来ました。
司馬懿伝によれば、この時(五丈原の戦い)も二日で行けると豪語したとあります。
私自身は魏延擁護派ですが、反対派が出てこないのであえて反論してみました(笑)どう思います?
(PC)
51 天草
詳しい記述(兵数が具体的に分かるもの)は見当たらない気がします。
しかし225年から9年の間に過去4度も攻められてるわけですから、備えが少なかったとは考えづらいでしょう。
ただ、本体は曹叡のいる洛陽、軍事本拠地は司馬懿のいる宛ですから、そこに知らせが行くまでの時間を利用しようという事ですね。
武将ですが…もうちょっと時間を下さい。
しかし225年から9年の間に過去4度も攻められてるわけですから、備えが少なかったとは考えづらいでしょう。
ただ、本体は曹叡のいる洛陽、軍事本拠地は司馬懿のいる宛ですから、そこに知らせが行くまでの時間を利用しようという事ですね。
武将ですが…もうちょっと時間を下さい。
(PC)
52 天草
残念ながら、戦以外の配置は分かりませんので、蜀軍が攻める前にどういう人物が長安にいたのかは分かりません。魏延伝に出てくる夏侯楙はまちがいないでしょう。
名前が出てくるのは…
○司馬懿伝
秦郎(曹叡より増員)
周当
胡遵
郭淮
辛ピ(曹叡より軍師として)
○諸葛亮伝
費曜
あとは牽招あたりはいた可能性もあるのかな?
夏候淵・張コウの血縁者も残ってたのかもしれませんね。
名前が出てくるのは…
○司馬懿伝
秦郎(曹叡より増員)
周当
胡遵
郭淮
辛ピ(曹叡より軍師として)
○諸葛亮伝
費曜
あとは牽招あたりはいた可能性もあるのかな?
夏候淵・張コウの血縁者も残ってたのかもしれませんね。
(PC)
53 大伴
>>51
225年では無く、228年ではありませんか?
>>52
天草さんは良く「司馬懿伝」と解り易く書かれますが、解っていない人には実は紛らわしいので、「晋書宣帝紀」と書かれた方が良いと思いますね。
夏候楙が長安防衛の現場責任者であった事。その部下に(蜀に)名の知られた軍事の専門家がいなかった事。奇襲すれば勝てる程度の兵力しか無かった事(恐らく呉に備える為)。
などがわかると思います。正確に何時の発言かは解りませんが、例えば、陸遜と曹休が戦った228年暮れ位の発言かも知れませんね。
225年では無く、228年ではありませんか?
>>52
天草さんは良く「司馬懿伝」と解り易く書かれますが、解っていない人には実は紛らわしいので、「晋書宣帝紀」と書かれた方が良いと思いますね。
夏候楙が長安防衛の現場責任者であった事。その部下に(蜀に)名の知られた軍事の専門家がいなかった事。奇襲すれば勝てる程度の兵力しか無かった事(恐らく呉に備える為)。
などがわかると思います。正確に何時の発言かは解りませんが、例えば、陸遜と曹休が戦った228年暮れ位の発言かも知れませんね。
(D505iS)
54 天草
>>53
実は正史が手元にないので、記述がどこの伝なのか、微妙に分からない場合があるんです(汗)
魏延伝・裴松之注によれば、北伐するたびに常に…という風な書き方をしてますので、これが正しければ、魏延はあまり深くは考えずに、武力一辺倒でとにかく戦功を立てさせてもらいたかった…みたいな感じもしますね。
実は正史が手元にないので、記述がどこの伝なのか、微妙に分からない場合があるんです(汗)
魏延伝・裴松之注によれば、北伐するたびに常に…という風な書き方をしてますので、これが正しければ、魏延はあまり深くは考えずに、武力一辺倒でとにかく戦功を立てさせてもらいたかった…みたいな感じもしますね。
(PC)
56 曹徳
魏延好きです。この手の武将は関羽や張飛とかさなります。(自分だけ?汗) とりあえず長安を制圧し、取引云々がうまくいったとして、その後の魏延の態度が気になります。その功績はとても大きく、きっと傲慢になり諸葛亮の命令・指示・助言を聞かなくなると思うのです。そうなるとこのあと大小の戦で足を引っ張ること間違いなしデス。魏延の強さは頼りになるので切るわけにもいかないはずだと思います。
妄想過多ですが魏延は使えるが大きな功績は立てさせれない人物だと思います。
妄想過多ですが魏延は使えるが大きな功績は立てさせれない人物だと思います。
(P900iV/FOMA)
57 天草
魏延は呂布や張飛のように個人的な武力が凄かったのでしょうか?
それとも兵を用いるのが得意だったのでしょうか?
一般の兵や当時の人々は魏延を謀反人として考えていたのか?気になるとこですね。
それとも兵を用いるのが得意だったのでしょうか?
一般の兵や当時の人々は魏延を謀反人として考えていたのか?気になるとこですね。
(PC)
60 阿会ナン
おじゃまします。 何やら面白そうな議論をしているようなので、意見をしていいすか? 自分の(勝手な)考えでは、ギ延はショクにとって最高ランクの人材だと思う。 諸葛亮は別格だとしても、関羽や趙雲より評価が低いような気がします〜 って、関係無いこと書いてるな。 個人的には長安急襲は賛成。 彼が忠臣かどうかということについては、自分は間違いなく忠臣だと思う。 長文失礼しました。
(W21H/au)
63 天草
てるおサン>お初です♪今後ともよろしくお願いします。
さて魏延が忠臣ではないという意見を久しぶりに拝見しましたので、ようやく討論場らしくなって嬉しいです。
さて、魏延がもし本当に諸葛亮を恐れる気持ちだけで従軍していたのなら、何度も諸葛亮に進言したり、楊儀とやりあったりという行動はうまく説明できないと思うのですがいかがでしょうか?
私は、魏延は純粋に自分がいる国を勝利に導きたかったという軍人としての忠誠が強かったのだと思います。同時に軍人としてのプライドも強く、戦場を知らない政治家に軍略を語られたくなかったのではないでしょうか?
さて魏延が忠臣ではないという意見を久しぶりに拝見しましたので、ようやく討論場らしくなって嬉しいです。
さて、魏延がもし本当に諸葛亮を恐れる気持ちだけで従軍していたのなら、何度も諸葛亮に進言したり、楊儀とやりあったりという行動はうまく説明できないと思うのですがいかがでしょうか?
私は、魏延は純粋に自分がいる国を勝利に導きたかったという軍人としての忠誠が強かったのだと思います。同時に軍人としてのプライドも強く、戦場を知らない政治家に軍略を語られたくなかったのではないでしょうか?
(PC)
65 ストラップ
(PC)
67 しす
>>65を翻訳してみました。
面白かったので一部訳さないでそのままにしてますがw
●ウェイ・ヤン(魏延?〜234)
礼儀名ウェンチャン(文長)はシュ(蜀)の著名なオフィサーでした。
小説三国志は、ウェイ・ヤンが元々リゥ・ビァオ(劉表)の中級陸軍士官であったと示唆しましたが、歴史の本は公式にそれを認識していない。
リゥ・ベィ(劉備)のおよそ209年における長沙攻略後に彼はリゥ・ベィの軍隊に加わりました。
彼の才能はほんのわずかな年で劉軍の陸軍少将へと導いた。
リゥ・ベィは219年ハンツァオ(漢中)のチーフエグゼクティブの地位を彼に申し渡し、彼がファイブタイガージェネラルに次ぐ6番目の重要な将軍であることを示した。
223におけるリゥ・ベィの死後、Zhuge・リャン(諸葛亮)はウェイ(魏)との戦争に彼を起用した。
彼は戦争に勝つためにいくつかの基本的なプランを提案したが、Zhuge・リャンはそれらを拒絶した。
Zhuge・リャンが234で死んだとき、Zhuge・リャンの部下達<ジャン・ウェイ(姜維)を含む>は反逆の名目で彼を殺害した。
歴史と小説の両方で、ウェイ・ヤンは魏の将軍スーマー・イー(司馬懿)を攻撃することを主張しているが、ジャン・ウェイを含む人々はプランに反対して、後退するようにウェイ・ヤンに命令した。
ウェイ・ヤンはそれを拒否し、結果、木製の歩道を全焼させ、彼らがオフィサーが蜀に戻るのを防ごうとした。このためオフィサー達は彼を「謀反人」として謀殺することを要求した。
小説では、Zhuge・リャンは、己の死の前にウェイ・ヤンの反乱を予見し、そしてそれが起きた時の対処法を密かに残しておいた。
ウェイ・ヤンが造反したとき、マー・ダイ(馬岱)は彼に合流するふりをして、彼の信用を得、後でZhuge・リャンの指示に従い、疑われることなくウェイ・ヤンを後ろから打ち倒すことができました。
人々はウェイは積極的な人物であり、Zhuge・リャンに比べて無能であると考えていた。
そのうえ、ウェイ・ヤンのパーソナリティはZhuge・リャンの追随者達を恐れさせ、最終的に彼を取り除くという決断をさせてしまった。
彼はマー・タイに殺された。
面白かったので一部訳さないでそのままにしてますがw
●ウェイ・ヤン(魏延?〜234)
礼儀名ウェンチャン(文長)はシュ(蜀)の著名なオフィサーでした。
小説三国志は、ウェイ・ヤンが元々リゥ・ビァオ(劉表)の中級陸軍士官であったと示唆しましたが、歴史の本は公式にそれを認識していない。
リゥ・ベィ(劉備)のおよそ209年における長沙攻略後に彼はリゥ・ベィの軍隊に加わりました。
彼の才能はほんのわずかな年で劉軍の陸軍少将へと導いた。
リゥ・ベィは219年ハンツァオ(漢中)のチーフエグゼクティブの地位を彼に申し渡し、彼がファイブタイガージェネラルに次ぐ6番目の重要な将軍であることを示した。
223におけるリゥ・ベィの死後、Zhuge・リャン(諸葛亮)はウェイ(魏)との戦争に彼を起用した。
彼は戦争に勝つためにいくつかの基本的なプランを提案したが、Zhuge・リャンはそれらを拒絶した。
Zhuge・リャンが234で死んだとき、Zhuge・リャンの部下達<ジャン・ウェイ(姜維)を含む>は反逆の名目で彼を殺害した。
歴史と小説の両方で、ウェイ・ヤンは魏の将軍スーマー・イー(司馬懿)を攻撃することを主張しているが、ジャン・ウェイを含む人々はプランに反対して、後退するようにウェイ・ヤンに命令した。
ウェイ・ヤンはそれを拒否し、結果、木製の歩道を全焼させ、彼らがオフィサーが蜀に戻るのを防ごうとした。このためオフィサー達は彼を「謀反人」として謀殺することを要求した。
小説では、Zhuge・リャンは、己の死の前にウェイ・ヤンの反乱を予見し、そしてそれが起きた時の対処法を密かに残しておいた。
ウェイ・ヤンが造反したとき、マー・ダイ(馬岱)は彼に合流するふりをして、彼の信用を得、後でZhuge・リャンの指示に従い、疑われることなくウェイ・ヤンを後ろから打ち倒すことができました。
人々はウェイは積極的な人物であり、Zhuge・リャンに比べて無能であると考えていた。
そのうえ、ウェイ・ヤンのパーソナリティはZhuge・リャンの追随者達を恐れさせ、最終的に彼を取り除くという決断をさせてしまった。
彼はマー・タイに殺された。
(PC)
70 ストラップ
(F2102V/FOMA)
71 朱家
面白いスレが上がってきたので…
魏延に叛意はなかった。これは陳寿の記述からも正しいでしょう。しかし忠臣だったかは疑問です。孔明という大黒柱を失った後、国が一致団結しなければならない時に、楊儀ともめ、軍事的な争いをした。残念ながら国を思う人物なら出来ない事だと思います。
しかけたのは楊儀だと思いますが(黒幕がいたかも?)それを撃とうとした魏延も大差ないと思います。楊儀も職権を削られ、不平を漏らし獄におとされますので「おまえも何をやってる!」もしくは魏延の名誉回復でしょう。
忠臣の定義は「裏切らない」ではなく、「国のために行動する」だと思います。
魏延に叛意はなかった。これは陳寿の記述からも正しいでしょう。しかし忠臣だったかは疑問です。孔明という大黒柱を失った後、国が一致団結しなければならない時に、楊儀ともめ、軍事的な争いをした。残念ながら国を思う人物なら出来ない事だと思います。
しかけたのは楊儀だと思いますが(黒幕がいたかも?)それを撃とうとした魏延も大差ないと思います。楊儀も職権を削られ、不平を漏らし獄におとされますので「おまえも何をやってる!」もしくは魏延の名誉回復でしょう。
忠臣の定義は「裏切らない」ではなく、「国のために行動する」だと思います。
(EZ)
75 景文
魏文長…反逆者と言われてる時から何か気になる好きな武将。皆サンがいうようになるようになってしまった悲劇。そして謀叛人の汚名…不器用なんだよなぁ、生き方が…そんな所が共感できるからかな。
(P900i/FOMA)
76 劉
もっとも人間味があった武将だったかもしれませんね。上司とは上手くいかず、その能力をもってすれば他の会社でもトップを張れる…"笑、でもホントいつもそう思います。当時魏延の力をもってすれば、魏に投降しても対蜀で活躍し重用されていたはずだとは思います。けどそこら辺は魏延が忠臣だと感じる部分でとても好感がもてます♪
(EZ)
77 ぺろ
>>76能力だけではトップにはなれないですよ、人の上に立つにはやはりある程度の社交性は必要になりますね、もし魏延に社交性があったらあんな悲しい終焉を終えることは無かったかもしれませんね。
(PC)
78 劉
>>77
たしかにそうかもしれませんねぇ…。
やはり魏延を悪くしたのは孔明だと思ってしまう↓てか、孔明の人を見る目はちょっと疑問を抱くぐらい悪いような気がする…。李厳、馬謖、姜維など決して馬謖や姜維の能力を低いと思っているわけではありません。ただ要所を任せたり、後を託すような人物ではなかった。ただ単に蜀の人材不足が原因かもしれませんが↓それは魏延にも言えることで、魏延が肩身を狭い思いをし実力を十分に発揮出来なかった。それはきっと魏延にもぺろさんが言っていたように社交性がなかったのかもしれませんが、孔明が魏延はいつかは謀反を起こす!と言えばみな孔明を信じ魏延に冷たく接し、魏延もそのような事があり協調性を失った。孔明の影響力は絶大な物だったはず。劉備には漢中を任されてる時点で魏延に社交性が無いと言い切れないような気もします。これは魏延好きな私の勝手な予想ですが…。
たしかにそうかもしれませんねぇ…。
やはり魏延を悪くしたのは孔明だと思ってしまう↓てか、孔明の人を見る目はちょっと疑問を抱くぐらい悪いような気がする…。李厳、馬謖、姜維など決して馬謖や姜維の能力を低いと思っているわけではありません。ただ要所を任せたり、後を託すような人物ではなかった。ただ単に蜀の人材不足が原因かもしれませんが↓それは魏延にも言えることで、魏延が肩身を狭い思いをし実力を十分に発揮出来なかった。それはきっと魏延にもぺろさんが言っていたように社交性がなかったのかもしれませんが、孔明が魏延はいつかは謀反を起こす!と言えばみな孔明を信じ魏延に冷たく接し、魏延もそのような事があり協調性を失った。孔明の影響力は絶大な物だったはず。劉備には漢中を任されてる時点で魏延に社交性が無いと言い切れないような気もします。これは魏延好きな私の勝手な予想ですが…。
(EZ)
79 ぺろ
>>78まず李厳、馬ショク、姜維ですが、後事を託したという事実はどこにもありませんよ、要所を任せたというのはガイテイのことなのかな?それに関しては単純に孔明の采配ミスでかたずけられるのでは?
あと「孔明が魏延はいつかは反乱を起こす!」といった発言は正史ではまったく見られず完全に演義の創作です、むしろ北伐では姜維よりも魏延を要所で使ってましたよ!!
最後に社交性ですが彼が最後に味方に討ち取られたという時点で何か感じることは無かったですか?
あと「孔明が魏延はいつかは反乱を起こす!」といった発言は正史ではまったく見られず完全に演義の創作です、むしろ北伐では姜維よりも魏延を要所で使ってましたよ!!
最後に社交性ですが彼が最後に味方に討ち取られたという時点で何か感じることは無かったですか?
(PC)
80 劉
>>79
たしかに後を託すなどは孔明は言ってないでしょう。ですが、姜維は孔明に推されて大将軍になったのではないですか???大将軍になったのは孔明死んだ後ですが、やはり馬謖同様愛弟子のように接していのでは?それに姜維は北伐で活躍していたのでしょうか???魏の投降兵にも関わらず、蜀の重臣になったのは姜維の能力もあったでしょうが、孔明の力があったからこそだと思います。
同じく魏延も謀反を起こすなど言ってないかもしれません。ですが劉備に信任されたのはその能力だけでなく、その人間性もあったからではないのですか?それは能力だけでなく社交性がなければトップにはなれないと>>77ぺろさんがおっしゃっていましたよね?それと同じです。
やはり魏延が謀反とされる行動は少なからず孔明の影響があったと思われます。
たしかに後を託すなどは孔明は言ってないでしょう。ですが、姜維は孔明に推されて大将軍になったのではないですか???大将軍になったのは孔明死んだ後ですが、やはり馬謖同様愛弟子のように接していのでは?それに姜維は北伐で活躍していたのでしょうか???魏の投降兵にも関わらず、蜀の重臣になったのは姜維の能力もあったでしょうが、孔明の力があったからこそだと思います。
同じく魏延も謀反を起こすなど言ってないかもしれません。ですが劉備に信任されたのはその能力だけでなく、その人間性もあったからではないのですか?それは能力だけでなく社交性がなければトップにはなれないと>>77ぺろさんがおっしゃっていましたよね?それと同じです。
やはり魏延が謀反とされる行動は少なからず孔明の影響があったと思われます。
(EZ)
81 ぺろ
>>80姜維が大将軍になったのは費イの死後軍部に主だった人物がいなかったからでは?孔明が後事を託したのは將苑、費イ、漢中方面の監督に呉イですよ!あと孔明、ギ延対立説はあくまで演義!実際はギ延、楊儀が激しく憎みあっていて孔明死後五丈原にギ延を置き去りにしギ延を孤立させたのは楊儀ですよ!あとギ延がトップと思ってますがトップは諸葛亮では?彼はあくまで漢中方面の軍指令官であって独断で軍を動かすほどの裁量もなかったようですけど...
(W21H/au)
82 ピエール
たしかに当時の蜀で武力のトップは魏延だっただろうし、つかえた年月でも孔明の死後、軍部の筆頭になるのは当たり前。
それが楊義だの姜維だのに軍を動かされたら魏延としてはやりきれないでしょうね。
それが楊義だの姜維だのに軍を動かされたら魏延としてはやりきれないでしょうね。
(W21SA/au)
83 ぺろ
>>82確かにやりきれないでしょうね〜特に大嫌いな楊儀だと...もし五丈原で楊儀、ギ延が対立してなかったら軍部の筆頭はギ延で申し分はないですよ、もしくは李厳が復職して筆頭になってたかもしれませんが...ただ事実はそうはなってないしギ延の反乱の際自軍の部下からも非はギ延にあるという見方をされてしまっているのでギ延が可哀想という見方は俺は出来ないですけどね...
(W21H/au)
84 ピエール
そうですね〜。もともと劉備の死後(生前もそうでしたが)孔明が蜀の全てをしょいこんだためにこの様な事態がおきたんじゃないかと思いますね。言えば国の総理大臣が内政、外交、軍事全部やってますから。難しい事だとは思いますが権力分割を上手くできていれば孔明の死後、蜀があそこまで衰退することはなかったんじゃないかなと思いますね。
(W21SA/au)
87 天草
結局、魏延を擁護するか?しないか?は彼を忠義の人物と見るか?見ないか?だと思うんです。
魏延ファンの私は当然擁護派ですが…政治家として確実に奪った地方を安定させながら魏に対していこうとする諸葛亮と、可能性のある限り自らの手で魏の中枢を突きたいという彼の、違った方向性が悲劇を生んだのではないでしょうか?
楊儀との確執に関しては、やっぱり別問題かな?
お互いの人間性の問題でしょ?歩み寄れない人物はどんな世の中にもいますし…離れてみたらこの問題も悲劇への伏線になってしまったわけですが…。
魏延ファンの私は当然擁護派ですが…政治家として確実に奪った地方を安定させながら魏に対していこうとする諸葛亮と、可能性のある限り自らの手で魏の中枢を突きたいという彼の、違った方向性が悲劇を生んだのではないでしょうか?
楊儀との確執に関しては、やっぱり別問題かな?
お互いの人間性の問題でしょ?歩み寄れない人物はどんな世の中にもいますし…離れてみたらこの問題も悲劇への伏線になってしまったわけですが…。
(PC)
88 ぺろ
>>87思ったんですけど、魏延は子午谷からの奇襲等領土侵攻などに置いては非常に優れた戦略を進言していますが、この発言は当時の魏、蜀の国力等を理解しての発言なのでしょうか??
この辺が諸葛亮との政策の食い違いだと俺は思うのですが・・・
楊儀との確執ですが彼は当時長史ですよね?大きく言えば宮廷との対立だととることはできませんか?姜維もしかりですが要職についている人間が宮廷側と対立してる場合はあまりよい最後ではない人が多いですよね・・・
この辺が諸葛亮との政策の食い違いだと俺は思うのですが・・・
楊儀との確執ですが彼は当時長史ですよね?大きく言えば宮廷との対立だととることはできませんか?姜維もしかりですが要職についている人間が宮廷側と対立してる場合はあまりよい最後ではない人が多いですよね・・・
(PC)
89 天草
>>88
むし魏との力の差を知っていたからこその奇襲献策だったと考えられないでしょうか?
正攻法ではまず無理だと…。
一度でも魏延の策を取り入れ、奇襲をかけていれば、魏も違った防衛策を準備したり、常に奇襲に怯える様になっていたのでは?と思います。
もちろん大成功の可能性もあった訳ですしね。
むし魏との力の差を知っていたからこその奇襲献策だったと考えられないでしょうか?
正攻法ではまず無理だと…。
一度でも魏延の策を取り入れ、奇襲をかけていれば、魏も違った防衛策を準備したり、常に奇襲に怯える様になっていたのでは?と思います。
もちろん大成功の可能性もあった訳ですしね。
(PC)
91 ぺろ
>>89この奇襲策なんですけど長安占領以降はどのような展望を見せたのでしょうか?あとこの当時エン城に司馬イが呉に備えるため駐屯してますよね?急襲を得意とした司馬イなのでギ延がたとえ長安を占領したとしてもかなり厳しいと思いませんか?
(W21H/au)
92 天草
>>91
魏延の奇襲策が本当に成功していたのかどうか?というのは、ここまでのこのスレでいくつか出てると思いますので、参考にしてみて下さい。
この辺りの話しは想像の域を脱しきれませんので、私からのコメントは…(・・;)
今回は>>87の発言の補足として、魏延擁護派が考える魏延は忠臣だ、という考えを述べました。
だからと言ってもちろん諸葛亮が悪いのか?と言われれば、そうとも言えません。
私がこの事件を悲劇だと呼ぶ理由は、忠臣達がお互いの考えで、国のためを考えて行動したのに、結果として魏延斬死という結末に繋がっているからです(T_T)
魏延の奇襲策が本当に成功していたのかどうか?というのは、ここまでのこのスレでいくつか出てると思いますので、参考にしてみて下さい。
この辺りの話しは想像の域を脱しきれませんので、私からのコメントは…(・・;)
今回は>>87の発言の補足として、魏延擁護派が考える魏延は忠臣だ、という考えを述べました。
だからと言ってもちろん諸葛亮が悪いのか?と言われれば、そうとも言えません。
私がこの事件を悲劇だと呼ぶ理由は、忠臣達がお互いの考えで、国のためを考えて行動したのに、結果として魏延斬死という結末に繋がっているからです(T_T)
(N900i/FOMA)
93 劉
帰って参りました(^^ゞ
ぺろさんにはまた私の意見に対して意見を述べて頂けるとうれしいです!天草さんは館長さんですよね?どうぞよろしくです(゜-゜)(。_。)
思ったのですが、魏延って劉備死後には発言力はあったのでしょうか???当時の蜀ならあったと思われますが、そこら辺が長安奇襲策を受けいられない要因のひとつではないのかと思います。
ぺろさんにはまた私の意見に対して意見を述べて頂けるとうれしいです!天草さんは館長さんですよね?どうぞよろしくです(゜-゜)(。_。)
思ったのですが、魏延って劉備死後には発言力はあったのでしょうか???当時の蜀ならあったと思われますが、そこら辺が長安奇襲策を受けいられない要因のひとつではないのかと思います。
(EZ)
94 ぺろ
>>92どうも俺の独りよがりだったみたいですね...すいませんm(_ _)mただあえて子午谷奇襲案などを引き合いにしたのは戦功を上げて国に報いるか、自己の戦略を押し殺して諸葛亮(強いてはショク)の戦略方針に従ったかで忠臣かはたまたそうではないかを見たかったのであえて例に挙げてみました、>>93劉さんスレを少しさかのぼったら意見してますので読んでみてください!
(W21H/au)
95 劉
>>94
なんか孔明スレになりかけていたようなのであれはちょっと私の知識不足とゆうことで"笑
長安奇襲策って、魏延が長安を占領し孔明率いる本隊が別の街道から挟み撃ちにする、ってものでしたよね?もしそうだとしたら、魏延はやはり孔明の力を充分に認めていたことになりますよね。魏延が大軍を率いればすぐにばれてしまうし、少ない兵で孔明が来るまで長安を守りほぼ補給なしの戦いになっていたと思います。孔明にしてみれば、良将が少ない時期に魏延を失いたくなかったのでしょうね。意外と仲がよかったりしないかな?"笑
なんか孔明スレになりかけていたようなのであれはちょっと私の知識不足とゆうことで"笑
長安奇襲策って、魏延が長安を占領し孔明率いる本隊が別の街道から挟み撃ちにする、ってものでしたよね?もしそうだとしたら、魏延はやはり孔明の力を充分に認めていたことになりますよね。魏延が大軍を率いればすぐにばれてしまうし、少ない兵で孔明が来るまで長安を守りほぼ補給なしの戦いになっていたと思います。孔明にしてみれば、良将が少ない時期に魏延を失いたくなかったのでしょうね。意外と仲がよかったりしないかな?"笑
(EZ)
96 ピエール
魏軍に比べて蜀軍は戦争の際はほぼ同じメンツですよね?やはり魏延の武勇はその中でもトップですから失うのは相当辛いでしょうね。
演議では仲良のいいほうではないですが正史ではどうなんだろう?
演議では仲良のいいほうではないですが正史ではどうなんだろう?
(W21SA/au)
100 ピエール
人材が枯渇していた蜀では魏延は貴重。孔明は性格以外では認めていたかも知れませんね。
一方、魏延は長安奇襲索で受け入れられず何度もキ山で足踏みしたり、街亭では自分の推した呉懿が選ばれず代わりに馬謖が任され大敗。五丈原で孔明の死後は戦争続行を主張したりと、政治的にはともかく、軍事面では孔明に対する不満は大きかったんじゃないかな?
一方、魏延は長安奇襲索で受け入れられず何度もキ山で足踏みしたり、街亭では自分の推した呉懿が選ばれず代わりに馬謖が任され大敗。五丈原で孔明の死後は戦争続行を主張したりと、政治的にはともかく、軍事面では孔明に対する不満は大きかったんじゃないかな?
(W21SA/au)