1 ヤスシ

ブラックジャック

ご存知、華佗のお話。
この時代に麻酔、切開手術。これは東洋医術の域を逸脱しているように感じませんか?
如何にして華佗はこのような技術を身につけたのでしょうか?
また、現代に残る切開手術の最初の記録はいつでしたのでしょうか??
(J-SH53_a)
2 天草
華佗の医学書は全て燃やされたんでしたっけ?
(PC)
3 大伴
華柁については、後漢書の方術伝に詳しいですよ。岩波版は未だ刊行途中ですから、平凡社の抄役版をどうぞ。他の出版社から出ているか否かは知りません(汗)
(F2102V/FOMA)
4 想像
医者ですし、薬だけでは治らないなら体の内部に悪が残っていると考え、それがなんなのかを体を開いて探したんでしょう。死体解剖でハードケースが解決すれば次は生きてる人間をソフトケースとして手術をする。
麻酔はアヘンや芥子などを使ったと思いますよ。今でも成人の儀式(〇〇〇の皮を…)にアヘンを吸う風習(沈痛作用がありますから)がある民族が東南・南アジアではいますしね。芥子やアヘンはシャーマニズムには当然でかなり昔から人々は愛用していたようです。張角や張魯あたりは実に怪しい(¬。¬)日本の卑弥呼は大麻だといわれたりもしてますし、南米のシャーマンはコカインコカインは高山病によいらしく、今でもペルーとかで登山客は登る前にもらえるとか…


脱線しました勝手な想像なのであしからす
(P2102V/FOMA)
5
名医といえば三国志よりはるか以前春秋戦国時代に扁鵲と名乗る名医がいましたな。カクという国の太子を蘇生させたとか史記に記されていたかと。
華佗も扁鵲の流れをくむ医者なのですかな。
(N900i/FOMA)
6 天草
少し話しがずれますが、おもしろい資料が見つかったので、紹介します。

華佗が行った麻酔手術は麻沸散(まふっさん)と呼ばれていたそうで、この全身麻酔の方法を独自に研究し、実際に行った人物が日本にいるらしいです。(どれくらいの時代の人物なのかは不明)その人物の名は『華岡清洲』(はなおかせいしゅう)と言い、現在の和歌山県の人だそうです。全身麻酔を使った乳がんの摘出で有名らしく、そのとき使った全身麻酔は通仙散(つうせんさん)と言います。苦労して通仙散を開発したらしいのですが、この通仙散の原材料はチョウセンアサガオという植物で中国ではこの植物を曼陀羅華(マンダラケ)と呼んでいるという事です。

何か奇妙な事に気がつきませんか?

華佗・華岡清洲・曼陀羅華…そうです。すべてに『華』という字がついてるんです。しかも華佗は華陀とも書かれるらしく、曼陀羅華の中には華佗がいる事になります。もしかすると、曼陀羅華という植物の名前自体、華佗からとってたりして…。
(PC)
7 独眼龍李克用
当時は医者の身分は低かったんだろうけど、遥か昔から外科がいたようです。


象形文字に外科的な意味合いをもった字があります。余の元の形が長針といってメスの役割をもつものがあり、兪という字の元の形が患部を切除するという意味合いをもってます。だから余の付く漢字は『除く』といった意味があり(除はそのままのぞく、途は道の呪いが除かれるという意味がありほかのもだいたいなんらかの『除く』の意味合いをもっている)兪を持つ漢字には『苦痛が去り心が安らぐ』といった意味があります(癒には苦痛が去った状態、愉と愈にはその心的状態を表す)。

何千年も前から医学というものはあり今の医学はその積み重ねの上にあるわけですから先人達の名を汚さないように今の医者にそういう意識をもってもらいたいY(`o´)Y
(P900i/FOMA)
8 ヤスシ
す…すごい…
李殿>十代とは思えない知識…。
大伴殿が2人になったみたいです(笑)
ためになるなぁ…。
(W11H/au)
9 ストラップ
>>152-70で、二つの正史に立伝されている人は少ないと書きましたが、華佗先生、両方に出てきますね。
「三国志」では「魏書 卷二十九 魏書二十九方技伝」に、「後漢書」では「卷八十二下 方術列伝第七十二下」に。
(PC)
10 ストラップ
申し訳ない。
>>9のアンカー、>>>152-70です(汗)
(PC)
11 龍丸
話がズレてしまうかもしれませんが、彼が医術の秘伝書(青嚢の書?)を託した呉押獄ってどうなったんですか?一度読んだ事はあるのですが、記憶が…
(F901iC/FOMA)
12 ピエール
たしか獄番をやめて医者になれると喜んで家に帰ったら妻に本を燃やされて『何をする!せっかく名医になれたのに』と言うと妻に『その名医の最期が獄中死ではありませんか』と言われて慎ましい人生をおくった。
だったっけ?
(W21SA/au)
13 無問題
ピエールさん・お久しぶりです。確かその話は演義の話だったかと…。確かに華陀は死際に書を残し獄吏に渡そうとしたのですが、獄吏が後の災いを恐れ受け取らなかったそうです。そのあと、華陀はその書を燃やしてしまったそうです。
(EZ)
14 ピエール
そうでした。すいません(^_^;)
正史ではそうなんですか!?悲しい最期ですね↓↓
(W21SA/au)
15 無問題
ちなみに中国には今も華陀を信仰している地域があるらしく彼の廟まであるそうです。
(EZ)
16 赤龍
華陀の故郷には、後世に華祖廟が建てられ華陀を祀っているそうです。
(PC)
17 ストラップ
万葉集では華他と表記されていますね。巻五の、「山上臣億良、熊凝の為に志を述ぶる歌に和する一首併せて短歌」の内の一つ(886)にある「沈痾自哀文 山上億良作」に、

「華他字元化、沛国ショウ人也。若有病結積沈重在、内者、刳腸取病、縫復摩膏、四五日差之(華他字は元化、沛国セウの人なり。若し病の結積沈重したるが、内に有る者在らば、腸を刳りて病を取り、縫復して膏を摩ること、四五日にして差ゆ)」

と、億良自身が注を入れています。
(F2102V/FOMA)
18 たまねこ
華陀には弟子みたいな存在は居なかったのでしょうか?全然、詳しくないのですが…華陀は単身で行動している様な話しか知りませんが…青嚢の書が後世に残らなかったのが非常に残念です。関羽は腕の骨を削ったんですよね?麻酔ナシですか?いくら関羽が猛者でも気絶するんじゃないでしょうか?華陀の医術の記述は後世の人が過大に書いたのではないでしょうか?確かに現代よりは解剖などもしやすい状況にあったと思いますが毒矢で腕の骨が変色してたとしても腕を切れば血みどろで骨の変色を見てる場合ではないと思います。質問ばかりで失礼しました。
(W32H/au)
19 赤龍
>>18
『三国志』の華陀伝を見ると、呉普と樊阿という二人の弟子の記述があります。
呉普は、華陀から「五禽の戯」という体操みたいな健康法を学び、九十歳になっても、目も耳も悪くならず、歯も一本も抜けなかったといわれます。
樊阿は、鍼を得意としたらしく、普通の医者が打たない場所にも鍼を打ち、それで病気を必ず治したといわれます。
また、樊阿は華陀から漆葉青ネン散なる強壮薬(?)を教わり、これを服用し百歳以上生きたといわれています。
(PC)
20 赤龍
関羽の毒矢の傷を華陀が手術した話。これは一応創作で、実際は華陀と関羽の接点は見られません。
しかし関羽伝には、名前不明の医者にほとんど同じ手術をさせている記述があります。演義では馬良と碁をうっていたという話ですが、こちらは宴会の最中だったが平然と飲み食いし、談笑してたという話になっています。
血に関しては、おっしゃる通り相当な出血があったようで「肘の血は流れだして、大きな皿いっぱいになった」と書かれています。
これについて、酒が麻酔代わりになったんじゃないか?なんて話も聞いたことがあります。泥酔してたら、こけて怪我してもあんまし痛くないですもんね(笑)でも、酒を飲むと傷口が開くみたいな話もありますよね。私は医学関係はさっぱりなんですが、そこんとこはどうなんでしょうか?
(PC)
21 風水
お酒を飲んで手術をしたらたくさん出血すると思います。あと、日本の麻酔を使った外科手術の先駆け、華岡清州が参考にしたのが麻沸散という漢方の麻酔薬で、これは華陀が処方したと聞いたことがあります。薬局では華陀膏(水虫薬!)なんて薬も見つけましたヨ。今でも伝説のスーパー医師なんですね。
(W32T/au)
22 風水
続けてすみません。華岡清州は華陀の名を一文字つけたそうです。
(W32T/au)
23 赤龍
>>21
やっぱり、酒飲んだ後は出血激しいんですか。ということは、この記述は、実際こんな状況で手術したらかなりまずいということでしょうか?
そういえば、何かの小説では、華陀がこっそり関羽の酒の中に麻沸散を混ぜていたため、関羽は痛みに耐えれたという創作にされてました。
(PC)
24
皆さんお久しぶりです。久しぶりに書き込みます。

華岡青洲が調合したとされる麻酔薬「通仙散」の中身ですが、
曼陀羅華(チョウセンアサガオ)・・・・八分
草烏頭(オクトリカブトの根を乾燥させた物)・・・・二分白シ(ビャクシ:ヨロイグサの根)・・・・二分
当帰(トウキ)・・・・二分
草キュウ(センキュウ)・・・・二分
南星沙(ナンセイシャ)・・・・一分
となります。但し、これらの配合の単位『分』は各医術流派によって量が異なり、現在ではこの『通仙散』も『麻沸散』と同じく完璧に配合することは不可能だそうです。

また、麻沸散にはアヘンも含まれていたと言われていますが、紀元500年代に陶弘景によって書かれた『唐本草』という書物にはすでに薬草としてアヘンが載っていますし、アヘン自体も紀元前2000くらいから栽培がされていましたから、麻沸散にアヘンが入っていることも十分考えられます。
華岡青洲はこの『通仙散』を完成させるために自分の妻で何度か人体実験を行い、結局妻の失明という高い代償をもって完成させました。張機が著した漢方学のバイブル『傷寒雑病論』も、病にかかった一族に対して数多くの人体実験(言葉は悪いですが)を行いその結果を集約して完成した本です。
漢方それ自体が人体実験の積み重ねであるとすれば、華陀も華岡青洲のように独自に麻酔薬を調合する事は(その過程においてかなり失敗を繰り返したと思いますが)かなりの確率で出来たと思います。

私としては、薬そのものよりもメスや固定肢といった道具の方が気になりますね。当時の製鉄技術でどの程度の物が出来たのか。また針や糸はどうしたのか・・・・う〜ん、薬の中身より怖いかも(笑)

長文失礼しました。
(P902i/FOMA)
25 天草
麻佛散アヘン混在説、面白いですね。
漢字からも、想像出来ますし、ありえなくはないですよね。
アヘンって歴史があるんだなぁ。そういえば蒼天航路でも麻薬が扱われてなかったですか?あれはアヘンでしたっけ?
(N902i/FOMA)
26 たまねこ
>>19
>>20
赤龍さんありがとうございます。勉強になりました。華陀の知識が少しでも後世に伝わってる気がしてワクワクしました。
私は現在インフルエンザ中でタミフルを処方されてる身です。そこで医師に「頭痛薬が処方されてないので市販の頭痛薬を併せて飲みたい」と伝えると「成分的には問題ないが、インフルエンザ患者が、その飲み合わせでインフルエンザ脳症を起こす確率が高い」と警告されました。つまり理由は分からないけど今ニュースで騒がれてる事は「インフル」「タミフル」「市販頭痛薬」の組み合わせで高確率になるから処方しなかったと言う説明です。現代医学も十分過去の経験が重視みたいです。
麻酔も麻酔医ですら「なぜ効くのか」と問い続けていくと完全には麻酔の効くメカニズムは説明できないと聞いた事がありますけど麻酔なんて限りなく毒薬なんでしょうね。
(W32H/au)
27
蒼天航路に出てくる麻薬で思い出すのは、何晏の説明の時に語られる『五石散』ですかね。
あれは何晏が発明したとされていますが、実際はそれより前からあったみたいです。

『五石散』は五つの鉱石、紫石英・白石英・赤石脂・石硫黄・石鍾乳を混ぜあわせて作るとの事ですので、アヘンは入っていなかったようです。
蛇足ですが、これを飲むと体がポカポカとする『散発』という現象が起きるらしいのです。この『散発』、おきないと死にいたると言われているため、これをおこすために服用した人はそこかしこを歩き回ったそうです。
『散発』をおこすために歩き回る・・・・ここから『散歩』という言葉がうまれたそうです。
(P902i/FOMA)
28 赤龍
>>26
これだけ医療の世界で使用されながら、麻酔の効くメカニズムは完全に解明されてないという、意外なような話を聞くと、昨年話題になった『99.9%は仮説』(竹内薫、光文社新書)を思い出します。この本でも、いきなり「飛行機が飛ぶしくみはよくわかってない」とはじまり、びっくりしたものです。
私みたいな文系タイプの人間にもわかりやすく書かれてて、面白かったですよ。
それに、歴史やってる人間には一見直接関係ないようで、ものの考え方という根本的なとこで結構勉強になったり。
なかなかお薦めの一冊です。なんか話それちゃいましたね。
(PC)
29 赤龍
>>27
五石散というと、華陀と並び医聖と称される張仲景に面白い話があります。

張仲景が河南一帯を廻っていたとき、王サン(建安七子の一人)と知り合った。張仲景は、王サンの顔を診て病気の兆候を認め、五石散を処方し、このまま放っておくと20年後に眉毛が抜け、その半年後に死ぬと言った。王サンはこれを疑い、五石散を受け取ったものの、飲んだと嘘をつき放置した。
はたして20年後、眉毛が抜け始め、百八十七日後に死んだという。

『中国名医列伝』(吉田荘人、中公新書)に載っていた話で、残念ながら出典は明記されてません。
著者自身紹介した後、ありえない話で、ハンセン病の潜伏期に照らし合わせた作り話だろうとしています。
しかし、この話から(時期は不明ですが)五石散が単なる麻薬でなく、病に効く薬の一種ととらえられていたこともあったのではないか?ということも考えられます。
ほんと、毒も薬も紙一重なのでしょうか。
(PC)
30
赤龍さんのおっしゃる通り、五石散は虚弱体質を改善する薬として効果があると信じられていたようです。
体がすぐあたたかくなり、気分が高揚したり元気になった気分がする、といった即効性があったので、魏や晋の時代にかなり流行したようです。この五石散に対する記述は唐代になってもあったそうなので、よっぽど効いたのでしょう。

また、これは何という書物から引用なのかわかりませんが、王瑤という人物が「五石散には容姿を美しくする効果がある」としています。
どこがどう美しくなるのかわかりませんが、まさか、硫黄分を取って顔が美しくなるとも思えないし・・・・なぜ?といった感じです。
(P902i/FOMA)
31
『五石散』の流行に一役買ったものに『清談』がある、という意見もあります。
清談については私はよくは知らないのですが、意見を言い合う時にこの五石散を使用して発想の転換をはかることがあったとされています。

『竹林の七賢』も酒や様々なドラッグを使用していたと言われますが、それらの中に五石散がかなりの割合で使用されていたのではないでしょうか。

清談の流行にともない、五石散も流行した・・・・五石散の息の長い流行も、これなら無理なく説明できる気がします。
(P902i/FOMA)
32 程製肉まん
そういえば、宮廷文化華やかなりし頃のフランスで、貴婦人達の間で砒素を服用するのがはやったそうです。
血流が減少して、びっくりするほど色白になれるからだとか。
五石散も似たような効能を買われたのかもしれませんね。不健康極まりない美容法ですが。
(PC)
33 しす
そういえば意外に忘れられがちですが、華ダって曹操と同郷ですよね。
実は彼らの地元では、華ダを最初に祀ったのは曹操だという話が伝わっているそうです。

怒りに任せて華ダを殺したことを後悔していた曹操が、人に知られないよう小さな祠を作って祀ったというお話。

もちろん伝説の域を出ない話ですが。
(PC)