1 アンチ気味

孔明は忠臣?

かなり孔明に対しアンチ気味なんですがm(__)m一つ仮設を立てたんですが本当に孔明は忠臣だったんでしょうか…なぜか最近『イリョウの大敗』は孔明の遠謀のような気がしてしょうがない!孔明によって関羽の入ショクを阻めたり劉備三兄弟は孔明によって滅ぼされた気が…呉との荊州問題なんかとくに和を継続しがたく仕向けてる感があるし…どうなんだろ?
(P900i/FOMA)
私も、孔明は
「誰に対しての忠臣か」
という部分を時々考えることがあります。

私自身は、孔明の策によって建国されたショク(出ない…)に対する愛着しか持ってなかったのではないかと思っています。
劉備は彼の建国プランにとって必要な人材に過ぎず、ショクが建国された後は阿斗でも構わない(むしろ好きに権勢を振るえるから、こっちのほうが都合がいい)…と考えるなら、劉備個人や劉家に対する忠誠心なんか芽生えないと思うのです。

この考えだと、孔明は司馬仲達とどっこいどっこいの野望の王様になってしまいますけどね。
(D901i/FOMA)
3 朱家
孔明スレは多いですが、人格批判は擁護しましょうよ(笑)
孔明は私心のために権力を握った訳ではないので、忠臣でしょう。彼ほど才のある人物だと、あの状況では権力掌握か引退かの二択しかないと思います。理解者を失う事は危険です。もし野心があったのであれば、瞻を後継者にしてます。若くて無理?それをするのが野心家です。呉に侵攻時の人材(劉巴、許靖とか)も危険ですよ。皆都合よく死んだけど、この時点では権力掌握の目処は立ちません。荊州問題は妥協点がないのですよ。劉備、孔明はごまかすしかないのです。
劉備を殺すなら、荊州を失う前に殺しますよ。派閥の拠点を失い、勢力を弱める意味が分かりません。関羽を殺すため?得をするのは益州派ですよ。結果的には忠臣ですし、野心を裏付ける行動はしてません。権力掌握は、保身と劉備に後事を託されたためだと思いますよ。さすがに「出師の表」を上表した意図が説明できません。建前だったら帝位を奪ってますよ。孔明派だった馬謖を斬った意図も説明できません。
仲達は、世渡り下手だったために、周りから勝手に警戒されて、野心家になったと思ってます。ビクビクするのに嫌気がさしたのでしょう。しかし権力を握ってからは、孔明とは違いますね。
(EZ)
4 元歎
うんうん、諸葛亮って何がしたかったのかわからないんですよね。李厳などを追い落として権力掌握し、何をするのかと思えば、『以攻為守』と思われる北伐をする。春秋や戦国のように、いくつかの国があって当たり前という状態にしようとしていたのでしょうか(もちろん、その時本人は既にいませんが)。

>孔明派だった馬謖を斬った意図
これもわかりませんが、今考えているのは、下からの突き上げ(恐らく魏延が筆頭)に対する警告じゃないかと。どんなに親しくしてる奴でも、自分に逆らった者は斬る!と知らしめたかったのではと思います(もちろん、最初から馬謖を斬るつもりはなかったはずです)。ただそれだと、馬謖の逃亡を見逃した向朗が免職だけであった上に、数年後に光禄勲になっていることが説明できないんですよね。本当に公正だったのか疑いたくなります。
(PC)
5 朱家
馬謖を斬った事が、孔明の限界だったと思います。彼を生かして、雑音を振り払い、まとめるだけの才も野心もなかったのでしょう。私は劉禅を評価してるので温度差があるとは思いますが。
私見ですが、孔明は、ひたすら純粋に管仲、楽毅を目指した人物だと考えてます。本人ではないので無理もでます。管仲にはなれた、楽毅になるための北伐と考えてます。管仲の称号を損なわないのが前提の北伐なので、無理矢理ではないと思いますけどね。残念ながら後世で楽毅になれませんでしたが…
(EZ)
6 劉清
馬ショクを切ったのは法律や規則を守るためでしょう。もし孔明が馬ショクを切らなかったら周りの人間は良いでしょうが関係のない人はなぜ自分は罰を食らったのに馬ショクはなにもないんだ!と反発や信頼を無くす可能性は大です。現代の日本のように法律、規則があるからこそ平和ができると考えていたのでしょう。

「実際今の日本は平和とは言いがたいのですが…」
(W21T/au)
7 荷糸
孔明は忠臣だったと考えます。もし孔明が野望を持っていて中華統一を目指したならば関羽という劉備を通せば簡単に使える優秀な駒(言い方が悪いですが↓↓)を死ぬように仕向けるとは思いません。それに呉が荊州を欲しがったと考え同盟を破って攻めくるという事までは考えても、蜀の仲間にまで裏切られるとは考えないと思います。それに野望家ならばわざわざ劉備などではなく兄のいる呉の方がよかったし、関羽が死ぬように仕向けるほどの手腕があれば呉でも邪魔するものは排除できると考えます。
(W21S/au)
8 北融
横からすいません。 北融(ホクユウ)といいます。 私の意見は孔明は活躍の場所が欲しかったのでは?と思います。 人材不足の劉備につけば、重用されますし。 魏や呉にはすでに人材はある程度いましたし。(まともなこと書けなくてすいません)
(W22SA/au)
9 アク
忠臣を演じていた部分はあると思います。
人材も乏しく、ファミリー的な軍団の中に身をおくわけですから。

ある程度知恵(力)のある人なら自分の力を試したい!って思うのが普通です。そこに名声だけなら天下一の劉備がいたわけですから、利用しない手はないです。その名声を使わせてもらうために、ある程度の演技は必要だったと思います。

後、この時代では数少ない『未来の評価』を気にした人かもしれません。
しかし、忠臣を演じすぎたのか、中国ではあまり人気がないどころか、知らない人が多いのが現状です。
同じ忠臣でも、神になった関羽とは正反対なのが面白いところだと思います。
(N700i/FOMA)
10 朱家
久しぶりで、スレ違いですが…

孔明が中国で人気がないというのは、誤解ですね。日本人が三国時代しか知らないので、温度差を感じるだけですよ。三国時代なら抜群の人気を誇りますし、功績を考えると、むしろ驚異的な人気です。孔明を知らない人は、三国時代を知らないだけで、そういう人は関羽を知っていても、三国時代の武将という事は知らないんですよ。
(W32K/au)
11 赤龍
>>9
細かい指摘ですが、未来の評価を気にした人というのは、数少ないどころではありません。
あちらは古くから歴史を重んじる国。未来の評価、即ち自分の名がどのように史書に残るかという事は非常に重要な事でした。むしろ、そうした評価にとらわれない人の方が少数だと思います。
(J-SA05)
12 アンチ気味
久しぶり見にきたんですが…孔明は関羽を見殺しもしくは呉への首級献上と疑っています。孔明の戦略『天下三分の計』の継続の為に蜀一の名将を利用したんだと、だからこそイリョウへ従軍しなかった…張飛も孔明からの暗殺疑惑が常に私を思わせてます。この時すでに老いた劉三兄弟、孔明には邪魔な存在だったと奇説ですがどうも拭えないです。
(P902i/FOMA)
13 赤龍
>>12
その孔明の謀略は、孔明等荊州名士の拠点であり、天下三分の計の実現、中原進出に必須の地、荊州を失ってまで行う価値があるものなのでしょうか?
(J-SA05)
14 もんきー
僕は忠臣と信じたい派ですので、ショックでもあり、反面、違う見方もあるコトを楽しみながら見ています。

忠臣を装うというのは、やはり野心からだったのでしょうか?兄・弟の手前、見栄…意地?みたいなものだったのでしょうか?

そういったものを超越した人であって欲しいのですが…
(N700i/FOMA)
15 天草
う〜ん…私も>>13の通り、荊州こそ天下三分の計には欠かせない地だと思います。
国力・兵力…どれをとっても他二国に大きく劣る蜀にとって、荊州と漢中はどうしても譲れない地ではないでしょうか?


ところで…スレとは関係ありませんが…諸葛亮関連スレはちょっと被る内容のものが多すぎません?

大伴さんかしすさん》良かったら、似た内容のスレを一つにまとめるために、それぞれにアンカーをつけて、誘導してもらえませんか?
くれぐれも内容には慎重な吟味をm(__)m

何でもかんでもまとめるのは良くないのでしょうが、せっかく素晴らしい討論が散乱するのはもったいないですよね。
(W31SA/au)
16 アンチ気味
天下三分の計の基本は弱小国二つで強国に当たると言う策を考えれば魏呉の同盟が一番の災いである事は必死…呉との荊州問題!魏と組まれるよりは安い損害だと思われます。ただ突っ込まれると弱い奇説ですんで…(笑)
(P902i/FOMA)
>>15
すぐに人に頼るんだから(笑)
まぁ僕もしすさんも、あらかた何処に何が書いてあるかは把握してますけどね。

以後「天下三分の計」に関する話題は>>>140にてお願いします。
(PC)
18 くわぁまん
自分は孔明忠臣説派なんですが、ちょっと恐ろしい事思いついちゃいました。(笑)

孔明は幼少の頃より「梁父吟」を口ずさんでいたとか…。

春秋時代、斉の名宰相アン嬰が智謀を用いて斉の勇将三人を自殺させた故事を歌ったもの、それが「梁父吟」です…。

蜀漢での三人の勇将と思い付くのは、劉備、関羽、張飛の三兄弟。孔明は蜀と言う桃を用いて三人の勇将を亡きものにしたとさ…。(あな恐ろしゃ)チャン・チャン♪
(F901iC/FOMA)
19 しす
>>15
整理はかまいませんが、本格的な作業は卒業シーズン終わってからでよろしいでしょうか。

一応孔明単体スレは以下二つ。
>>>55
>>>157
(PC)
20 じた州牧
初めまして今後ともよろしくお願いします
ってか孔明ちゃんが発案した天下三分の計ですが…魏がもぅ強くなりすぎて蜀や呉に始めッから天下統一は不可能だったと思います。結局、呉と蜀の荊州問題ですが魏からしたらどうでもいぃ話し。天下統一の為の計ではなく、生き残る為の計だったんでしょうね〜! 長々と意味ない事書きましたが結局俺が言いたいのは呉・蜀が局地戦勝って喜んだのは勝ってだけど別に魏からしてみたらどうでもいぃ話しって事です 長々とごめんちゃい
(W32SA/au)
21 ストラップ
>>20
じた州牧さんはじめまして。

天下三分の計に関してですが、話題の分散を防ぐ為に、なるべく専門スレッド>>>140での議論をお願いしているところです。以後は宜しくお願いしますね。
(PC)
22 じた州牧
すんません
(W32SA/au)