1 異民族

もう1人の呂布

いつも楽しませてもらってます。
皆さんの知識の豊富さに感心しています。
関羽の部下に呂布という人物がいたという噂を聞いたことがあるのですが知ってる方いらっしゃいますか?
(W11K/au)
2 しす
手元に正史がないんでうろ覚えですが、>>>44-9でちょこっと私が触れたことがあります。
(ってかホントに触れただけだけど)
確か夏侯惇伝に見える人物ですよね。
関羽の樊城攻撃の際にどこかに派遣されたような記述があったような気がしたけどどこだっけな?
正史手元にある方補完よろしくです。
でも飽くまで記憶の片隅にあることなので間違っていたらゴメンナサイ。
(PC)
3 元歎
原文は『二十四年,太祖軍撃破呂布軍於摩陂,召惇常與同載,特見親重,出入臥内,諸將莫得比也.』となっていますが、集解では『撃破呂布軍』の五字を衍字とみて削っています。ちくま訳でもそうなってましたよ。
(PC)
4 異民族
まったく同じタイトルのスレがあったんですねぇ…
原文訳していただけませんか?
あんまり頭良くないもんでよろしくお願いします。
(W11K/au)
5 しす
ありゃ…
214年ってことは樊城関係ないすね。
記憶力ってアテにならないもんですね(汗)
(PC)
6 赤龍
原文のまま訳しますと「(建安)二十四年、太祖の軍は呂布軍を摩陂において撃破し、夏侯惇を召しよせてつねに同じ車に乗ってでかけ、特に親愛と尊重の意を示し、寝室の中まで出入りさせた。諸将のうち彼に比肩するものはなかった」(後半はちくま訳の引用)
「撃破呂布軍」を衍字(誤りである余分な字)とし、この五字をけずると「太祖は摩陂に陣を張った際、(以下上と同じ)」となります。軍を動詞で読むわけですね。
(PC)
7 赤龍
>>5建安24年は219年ですから、樊城の年であってますよ。
中国の学者達もこの文はおかしいと感じ、集解にも多くの学者の意見が紹介されています。
そのほとんどが、呂布というのは誤りとみなしており、呂布は関羽の誤りという説も結構みられます。
そうした中で、謝鍾英は、満寵伝に見える「関羽は別将を派遣してすでにキョウのあたりに行かせており」とある別将が呂布であり、呂奉先とは同姓同名の別人という説をあげています。しすさんの言われているのはこの説ですね。
ただ、この呂布という人物は他には全く見られず、同姓同名の呂布の存在を示す根拠が薄く、誤りとするのが有力。また、曹操自身は摩陂まですすんだが、実戦はおこなってないため、さらに「撃破呂布軍」の五文字を省いた方が妥当とする説があり、ちくま訳もこの説をとってます。
(PC)
8 異民族
太祖とは曹操のことですよね?
てことは呂布と関羽を誤ったというのが正しそうですね。
関羽の部下に呂布という武将がいたとしても一軍を率いるほどの人物なら他に記述がありそうな気がします。
あるいは著者になんらかの意図があったのか…
(W11K/au)
9 しす
二十四を214と読み間違えた…
西暦だと思った時点で気づけよ(自爆)

それはさておき、夏侯惇伝に見える呂布なる人物は記述こそあるものの、書き損じの可能性が濃厚と判断していいわけですね。
如何せん記述が一カ所しかないではさすがにねぇ…
(PC)
10 ストラップ
斜め読みで調べたい箇所を探している時、この呂布の文字は紛らわしいです。

この二文字に反応しやすいので、190年代の記事かと勘違いしてしまいます(汗)「二十四年」という記述に気付かずに……(汗)
(F2102V/FOMA)
11 削除済
12 ストラップ
呂という姓は特殊ではないんですよね
布という名前はどうですか?
(EZ)