1 眼鏡

李厳

初めて書き込みさせていただきます。
劉備が臨終の際、蜀の後を託された一人ですが、あまり目立った功績がないように思います。李厳は一体何をしていたのでしょうか!?
(W31S/au)
2 バイン
字は正方。元劉表配下で曹操に降った時、益州に入り劉璋に仕え、成都の令についてました。劉備が攻めてきた時は綿竹の守備についてました。

218年、劉備が漢中で魏と戦ってる時、馬秦、高勝という盗賊が数万の人を集め叛乱を起こしますが、李厳は5千の兵で撃破してます。

劉備死後は永安に駐屯し対呉戦線の関門を守備しました。

北伐頃は江州に移動し、武器や兵糧の補給の任に付きます。しかし、補給に失敗し、謀略によってその罪を諸葛亮になすりつけようとしますが、諸葛亮によって暴かれ、失脚。地位を奪われ、234年病死しました。
(W21T/au)
3 眼鏡
バインさんありがとうございます。
劉備が後を託すわけですね!
(W31S/au)
4 元歎
李厳の功績が少ないのは、諸葛亮により実権を奪われていたからです。李厳は、劉備から内外の軍事を統括するよう遺訓されたのに、なぜか諸葛亮が軍を動かしている。李厳は軍権を奪われたとしか考えられません。

兵糧供給を果せなかった自分の責任をのがれ、進軍しなかった諸葛亮の責任を問題にしようとした、アノ事件。どうも稚拙すぎると思うんですよね。すぐに露見するのは目に見えています。それなのに、なぜ、ああしたのか。疑問ですね。
(PC)
5 無問題
彼は陸遜に匹敵すると孔明に評されてます。個人的な仲も良かったらしく孔明が死ぬまで自分は官界に復帰できると思っていたそうです。しかし、疑問なのが孔明は何故そのような仲のいい人物の軍権をとりあげたりしたのでしょうか?
(W21T/au)
6 景文
自分は孔明の「李厳は呉の陸遜に匹敵する」という言葉は自国の贔屓目というか他国への牽制みたいなものではないかと考えてます。なんせ武官でまともな人材のいなくなってるショクとしては少しでも見栄をはらねば呉になめられますし。さらに陸遜は呉では孔明同様国の中心人物。それを敢えて自分より下の李厳と同格に評したと考えるのは少し酷ですかね…
(P900i/FOMA)
7 眼鏡
にわかに盛り上がってきてますね。
劉備は人を観る目が優れていたと思うので、孔明の言っていたこともあながち間違いではないと思います。
しかし、何故あまり重用されていないのか…。本当に気になる存在ですね
(W31S/au)
8
おそらく活躍がなかったというよりは活躍できなかったのではないでしょうか?李厳がいたのはたしか永安地帯だったような…"笑、すいませんよくわかりません↓関羽が死に、呉討伐も失敗に終り、呉との同盟を再び結んだとはいえやはり呉が心配なため永安に留めて警戒してたのでは?てか、これが私みたいな普通の考え?違ってたらすいません↓ともかく、才覚はあったのでしょう。大切な後方支援をまかされていたのだし、ただちょっとウソは泥棒の始まりですね"笑、
(EZ)
9
>>8
私みたいな普通…←普通の人…の間違えです↓
(EZ)
10
連連書きホントにすいません↓
>>8
は普通←素人の間違えです↓
(EZ)
11 ぺろ
>>4の意見確かに気になるなぁ〜ひょっとしたら孔明から自分に軍権が移るかも!?とか思ってたのかな?
(W21H/au)
12 元歎
李厳が、兵糧供給を果せなかった自分の責任をのがれ、進軍しなかった諸葛亮の責任を問題にしようとした事件についてですが…。これは、李厳を失脚させようとする諸葛亮の策略では、と思えます。李厳が兵糧供給を果せなかったのは事実で、それを諸葛亮が利用した…とか。諸葛亮伝によると、この時、木牛を使って兵糧輸送をした、とあります。諸葛亮の指示でしょう。その指示に従った結果、李厳は任務を果せなかったのですから、諸葛亮にも責任はあるはず。もちろん、李厳にもお咎めはあるでしょう。しかし、諸葛亮も一緒に責任を問われるのならば、李厳が気にすることは無かったはずです。にも関わらず、李厳は諸葛亮に責任転嫁しようとしたことになっている。しかも、稚拙すぎる計画で。これは逆に、諸葛亮が自分の罪を問われないよう、誰か他の人の失敗に目を向けさせようとしたとも考えられます。その誰かが李厳であったと。上からの指示はどうあれ、李厳が任務失敗したのは、事実。もし、諸葛亮のこの計画が成功すれば、自分の罪は問われず、政敵を失脚させることが出来ます。そして、それが成功し、李厳は失脚…。

うーん、ちょっと無理があるかも。すべてが李厳を失脚させるためだったと考えた方が良いのかも。
(PC)
13 元歎
1日からテストというのに、また考えてました^^; で、よくよく考えたら、もうひとつ疑問が。
李厳が責任転嫁するのはいいが、なぜその相手が諸葛亮なのか? なんであんな大物に? 他にももっといるでしょうに。うーん…
(PC)
14 ぺろ
もしも、李厳を失脚させるためなら当時李厳は要職だったから生かしたりはせず殺したほうが正解だった気がしますね!しかしなぜ殺さず生かしておいたのだろう??その辺も謎だなあ、所で俺は当時高校で世界史を専攻してたけど三国志の問題1,2問しか出なかったなあ^0^
(PC)
15 朱家
この人物は権力欲が強かったか疑問だと思うんですよね。今でいえば、お金さえ与えればしっかりと仕事するイメージなんですよね。
劉備に軍事を託されますが、この時点では永安を離れるのは難しいでしょう。そもそも劉備が首都ではない永安で政務を行う事が間違いで、劉巴もですが、後任の李厳も尚書令は首都にいるべき人材と思います。
北伐の立案者が孔明ですから、指揮するのは当然で、李厳は失敗の可能性のある(現実的に不可能な)北伐に消極的だったかもしれません。
失脚させるための策は苦しいように思います。軍事のトップですが、罪状の上表を見ても、李厳の味方は少なく、劉備死の直後ほど脅威ではないと思います。孔明を動かすためには劉禅を使うしかなく、劉禅を納得させるには孔明を使うしかないと考えます。つまり、兵糧を確保できない事を素直に伝えれないほど、孔明の権力が絶大だったのではないでしょうか?国の都合ではなく、孔明の都合で動くみたいな感じでしょうか。
(EZ)
16 ぺろ
それでは殺さなかったのは孔明の恩情?それとも李厳の才能を高くかって折を見て復職させる予定だったのでしょうか?それと当時のショクは食料を確保できないほど困難な状況だったのでしょうか?
(W21H/au)
17 ストラップ
確かに>>>276と照らし合わせれば、刑が軽い気がします。
(PC)
18 バイン
少し話がズレてしまいますが、バショクに関しては伴野朗先生の『呉・三国志』という小説の斬られ方が個人的にはもっとも納得がいきます。
読んだ方はわかるでしょうが…

まず魏・呉・蜀にそれぞれ独自の諜報組織があったのは間違いないでしょう。そして、バショクの死に関する記述は向朗伝・馬良伝・諸葛亮伝ともに共通していないところから、小説では馬謖を表向きでは死んだことにして、実は顔を変え、裏世界で諜報・工作を行わせたというお話。結局のところ、諸葛亮は馬謖を諦めきれなかったのかな…と。
(W21T/au)
19 バイン
さて、本題の李厳改め李平くんですが…私の予想を…↓


どうも226年頃までは諸葛亮にくっついて好感を得ておこうという感じですね。この頃諸葛亮に送った手紙の内容からはそういう印象を受けました。

しかし、李厳くんの狙い通りにはいかずコビた割には出世させてくれない…。だんだん言い方がストレートになっていき、最終的には巴州の勅史にしてくれ♪なんてことも!

トドメは補給失敗、さらには責任転換…

諸葛亮はここまでか…と見切りをつけ…(かと言って死罪にするほどではない)…平民に落とした、と。


こうやって見ると、蜀将をまとめるのは至難の技に思えて来ます…
(W21T/au)
20 元歎
李厳罷免の上奏文を諸葛亮は成都で書きました。しかし、漢中にいるはずの魏延らの名前があり、成都にいてそれなりの官位である董允や蔣琬の名前が見られない。さらに、罷免を諸葛亮と協議したのはすべて漢中所属(つまり諸葛亮の子分のような者たち)で、益州出身者はいません。よって、この一連の事件(最初から李厳を排斥しようとしたものかはまだわからない)が諸葛亮の策略によるものであると考えます。
(PC)
21 元歎
>>20あ、すべて漢中所属かはわかりません。ここだけにしか名前が出ない、という人物もいるので。益州出身者の方も同じです。
(PC)
22 バイン
確かに、協議したメンツは諸葛亮派ですね…_〆(。。)ナルホド


しかし、諸葛亮が李厳を取り除かなければならない理由が…。

もし、ただの不和だったら諸葛亮は法正よりよっぽど陰湿ですぞ(笑)
(W21T/au)
23 ストラップ
参考:>>>5-60-62
(PC)
24 朱家
以前のカキコに間違いがありました。兵糧不足を報告した後に、責任転嫁してましたね。失礼しました。
費イなどが大将軍になってますが、これは孔明の代わりの意味合いですし、驃騎将軍ですから、この上はなく、張飛、馬超と同格です。驃騎将軍の死罪は難しいんじゃないですかね。死罪だと必死に抵抗されそうな気がしますしね。
普通に考えると李厳が年上ですから、先に死にますよね?あまりに爪の甘い策略に感じます。補給の失敗だけなら、功績を考えても降格ぐらいで、李厳の行動を予測するのは難しいと考えます。下手に降格させるほうが危険分子になるように感じますね。
策略があったとすれば、撤退した後に、降格ではなく、免職にする策を練った可能性はありますね。
(EZ)
25 ぺろ
>>24なるほど、ヒョウ騎将軍ともなると死罪は難しいと、しかし三公と同格の重職にあるのに出世をねだったってことは、ほんとに軍権の一切を諸葛さんにもってかれたんだろうなぁ汗
(PC)
26 赤龍
>>20
上奏文に名を連ねているメンバーは恐らく北伐参加者ではないかと思います。
李厳の責任で軍は撤退することになった。そのため、従軍諸将の連名で李厳の弾劾を行なったのでは。そのため、成都にいた人達の名前が無いと思われます。北伐に連れて行ってる面子だから、諸葛亮の子分のような連中が多いのも当然でしょう。
この部分から、諸葛亮の策略ととるのは、少々無理がある気がします。もし、諸葛亮の策略なら、それこそ諸葛亮の子分的存在の蔣琬等も名を連ねていいはずではないでしょうか?
(PC)
27 元歎
>>15にレスし忘れてました。
自分が立案したから自分が指揮しないといけない、ということはないでしょう。呉で言えば、丞相の顧雍が立案したとしても、顧雍は指揮をせず、上大将軍・右都護の陸遜が指揮、顧雍が兵糧供給の役割となるでしょう。蜀に戻して、丞相の諸葛亮が立案、中都護の李厳が指揮、諸葛亮が兵糧供給、これが普通だと思います。にも関わらず、南征も北伐も指揮は諸葛亮。このことから、李厳の中都護は半分以上権力を奪われていたと思うのです。

>>24
>>12では言葉が足りませんでしたね。李厳罷免の時に、諸葛亮が提出した証拠、これもでっち上げではと思うのです。つまり、李厳は責任転嫁をはかっておらず、諸葛亮のでっち上げであると。こう考えた場合、自分が指示した方法で補給を行い、任務を果せなかった李厳の罪が自分まで及ぶ、だから、李厳の責任転嫁をでっち上げた、とするのは、ちょっとおかしい、というか気になる点があるんです。それは、もし自分(諸葛亮)が降格したとしても、李厳も降格になり、地位の高低は変わらない。そんなに焦ることはないということです。しかし、>>12でも言っているように、すべてが李厳を失脚させるためだったと考えれば、非常にしっくりくるのです。
>>26
何度も言っているように、李厳の責任というのは違う感じがします。諸葛亮にも責任はあると思います。
李厳の補給失敗だけならば、軍内の問題。しかし責任転嫁ともなれば別です。また(、これを言うのは癪なんですが)、李厳の罷免の上奏文、『裁判で法律を無視し云々』などといった、軍事とは関係のないところまで糾弾されています(罷免が決定的となったは、責任転嫁ですが)。軍事上だけの糾弾ならば、漢中所属人物だけで良いでしょうが、司法などといったところまで糾弾されるなら、軍部の人の名だけでなく、董允・蔣琬の名がないといけません。
蔣琬は諸葛亮の子分ではないと考えてます。のちに、劉禅(成都政権)の意向をうけて、漢中督となり漢中府を抑制していると考えられるので、諸葛亮の子分ではないと思います。
(PC)
28 赤龍
蔣琬は、諸葛亮によって取り立てられ、丞相府長史に任ぜられ、丞相府の留守を任された諸葛亮の腹心。さらに、自分の後継者として目をかけていた。明らかに、諸葛亮の影響下にある人物ですよ。
諸葛亮の死後、漢中に駐屯し、大将軍府を開いたのも、諸葛亮のやり方を踏襲したもの。朝廷のトップとして、諸軍を指揮するために漢中に駐屯することもごく当然のことです。
(PC)
29 赤龍
そもそも、>>20の、諸葛亮はこの上奏文を成都で書いた。という前提は正しいのでしょうか?私は漢中にいて、そこから成都の朝廷に上奏したと思えるのですが。
(PC)
30 朱家
私見ですが…孔明が実質、軍権を奪ったのは、北伐で李厳が江州に来た時に、吸収したと思います。しかし李厳が自ら差し出した可能性もあります。この時点で蜀主はすでに孔明だったと思われ、忠誠を示したのではないでしょうか?李厳は、孔明に劉禅の椅子に座ってもらい、自分が孔明の地位になる事を望んだのではないかと…孔明の行動を考えると、帝位を奪うと思っても不思議ではないでしょう。しかし王位を断られ、それまでの忠誠が無駄になり、孔明と同格の地位、もしくは後継者としての扱いを求めたと考えてます。
つまり、孔明と争う意思すらなく、孔明が軍を指揮すると言えば、それに従ったのではないかと。

陳震伝、孔明の蒋エン、董允への手紙「李厳は陳震の言うとおりだった」は漢中で書いたものではないでしょうか?上表の内容は、李厳は功労者ですから、劉禅に余計な発言をさせないためで、成都にいなかった事を示してるのように思います。
でっちあげであれば、李厳の上表「退却するふり…」が正しいとの証明は難しいと思います。この上表も孔明が作ったとするのはキツイかと。注釈の、子の李豊に諭した話も矛盾が生じるように思います。
(EZ)
31 元歎
>>29失礼しました^^;
調べてみたら、成都で書いたのではなく、漢中でした。この時は李厳も漢中にいたような感じですね。

まあ、この考えの基本は変わりありません。つまり、諸葛亮によって李厳は失脚させられたということ。テストとオーストラリアが続けてあるので、長文は無理でした。少ししてから、まとめて書きますm(__)m
(PC)