1 小龍

羅貫中

演義を作ったのはこの人で間違いないですか?

どんな人物だったのでしょう?いつの時代の人かな?ご存知の方はいますか?
(PC)
2 エイ
一般的にこの人が、演義の作者とされていますよね。

羅貫中
名前は<本>で貫中は字です。
1330〜1400年と生没年は一応ハッキリしています。
私見ですが、「作者」とするより「編集者」としたほうが(三国志演義については)正しいような気がします。

あとうろ覚えですが、明代の記述に『農民決起軍に参加した』というものがあったような……。
(PC)
3 小龍
エイさん》ありがとうございましたm(__)m

農民決起に参加したという事はあまり良い家の出ではなかったんでしょうね。
(N900i/FOMA)
4 大伴
水滸伝の施耐庵と、師弟関係だとどこかで聞いた気がしますが、うろ覚えです。今回資料を捜しましたが見つかりませんでしたので、私の思い違いやもしれません。

羅貫中がまとめるまでにもすでに、物語化した三国志は、多くの民間伝承、講談があった事は確認されています。宋の時代の蘇ショクという人のエッセーには、「子供達は劉備が負けると眉をしかめ泣きだし……」とあるのだそうです。これらの講談をまとめた、三国志平話は有名ですね。
(F2102V/FOMA)
5 小龍
三国志平話?
知りません(T_T)
良かったら教えてください。
(N900i/FOMA)
6 大伴
文献として有名という意味です。恐らく本邦訳は出ていないでしょう。
無論私も、一文も読んだ事はありません。


色々な書物に名前だけは良く見ますよ。
(F2102V/FOMA)
7
どのようなものかといえば張飛が暴れまくるらしい。それが痛快らしい。…程度しか知りませぬ。読んでみたいですのぉ。
(N900i/FOMA)
8 エイ
元代の書物らしいですが……。

一応、↓こんなページもありました

http://www.gamecity.ne.jp/media/book/history/his_etc/sanheiwa.htm
(PC)
9 大伴
邦訳出てたのですね!!!
そう高くも無いですし、一考の価値ありかも!!!
(F2102V/FOMA)
10 天草
趙殿が言われる、張飛主役扱いの物語は聞いた事がありますね。
読んでみたいなぁ。。。

誰か読んで、感想教えて!!
(PC)
11 李克用
昔の小説家は身分が低かったようです。もともと小説の意味が卑小な説、とるに足らない話などです。そのせいで小説が禁じられた時代がありました(覚えてませんが)。だから文献がないようです。ちなみに『水滸伝』は施耐庵との共作とされています。
(P900i/FOMA)
12 大伴
平話面白いです。何度も読み返していますよ。

登場人物を
曹操→韓信
劉備→ホウ越
孫権→鯨布
孔明→カイ徹
献帝→高祖
と、それぞれの生まれ変わりとしています。又、司馬懿も死人の世界の裁判官で、三名が皇帝になれたならば、統一して皇帝になる事を約束されています(歴史事実とは若干異なります)。

物語は後漢の光武帝の時代に始まり、晋が滅んで終わります。劉淵を蜀の流れという事にして、最後は強引に漢が復興した事にして完結です。
(F2102V/FOMA)
13 大伴
話を羅貫中に戻しましょう。

岩波版の通俗演義では、その第二十七回の訳注に

洛陽―(中略)これは原作者の地理的知識の不完全なことを示すもののようである。第十五回の孫策が江東(今の江蘇・淅江地方)を平定するくだりなどでは、このような地理的の誤りがないところから考えると、原作者(羅貫中)は、おそらく南方人、すなわち江南地方で一生の主な部分を送った人であろうと思われる。だから北方の地理の知識が不十分であったのであろう(後略)

と、推測しています。
(F2102V/FOMA)
14 赤龍
かつて何かの本で、羅漢中の本籍は常山周辺であり、同郷の英雄趙雲を演義で大活躍させた、なんて説を読んだことがあります。羅漢中はペンネームのようなものという説とか。どちらも何の本にあったか覚えてませんが…
(J-SA05)
15 大伴
常山郡といえば冀州。
岩波文庫翻訳者の南方出身説とはまっこうから対立しますね。

本名か筆名かもわからぬ位になぞの人物なのですね。
(F2102V/FOMA)
16 大伴
私が今の情報から考えるに、常山説の根拠が趙雲の活躍のみにあるのならば、南方説の方が有力だといえますね。

ただ一つだけ言えるのは、

新野と襄陽の位置関係がおかしかったり、巴丘(巴陵)の地理が合わなかったり、荊州の九郡としてあげられた郡が、後漢書郡国志の記述と合致しない……

という事ですから、荊州には特に疎かった様です。私も八門禁鎖陣という作品を書く際、通俗演義を元にした為、地理記述の解決に悩みましたから。
(F2102V/FOMA)
17 赤龍
李克用さんの言われるように、小説は当時低俗なものとみなされ、まともな士大夫の書くものではありませんでした。そのため本名を隠しペンネームを使って書いていたのではという推測がされてます。
(J-SA05)
18 赤龍
羅漢中、元末に大原の人として、信頼できる史料に見られますが、その史料には小説を書いたという記述は無し。一方150年後、明の嘉靖年間、羅漢中が三国演義等長編小説を数十種も著作、刊行しています。これらの事から、羅漢中の実態については諸説入り乱れている状況のようです。
(J-SA05)
19 赤龍
羅貫中、ずっと貫を漢と間違えて書いてた…。すいません。ちゃんと本見て書いてたのに…
不覚
(J-SA05)
20 大伴
今、例のデータベース見てて思い出したのですが、

通俗演技って毎回、
「次どうなるの?」
って終わり方をするのに、解決あっさりしてますよね(笑)
(F2102V/FOMA)
21 しす
大伴殿のカキコ見てちょっとウケた。
確かにその通りですね。
しかし何がすごいって最初から最後まで、キリのいいところでは区切らずに、各回の終わりは全て「それは次回で」で終わらせてるところ。
「と進み出た者がいる。さてこの者は一体誰か。それは次回で」
マンガ的に表現すると車田正美のコミックみたいに「バァァァン」と登場するも顔の目の部分が真っ黒けで「こいつはいったい誰だ?」とか書かれて次週へ…というノリも似たようなものなのかとフト思いました(爆)
その割に次の回では「この者、姓は○名は○字は○○といって…」とまるで引っ張ることもなくあっさり種明かししてしまふというw
そう考えると講談ってやはりコミックのルーツなんだろうなぁ…と実感。
(PC)
22 天草
そうそう!
私も続き方にそういう一言を入れようか悩んだくらいです(笑)

でも結局繋がるから、馬鹿馬鹿しくてやめました(汗)
(PC)
23 大伴
>>14-16
私の持つ本では、「山西省太原辺りの出身」とありました。

で、結局施耐庵の弟子なのでしょうか?
(PC)
24 赤龍
大原出身とするのは、私が>>18であげた、実在が確実な元末の羅貫中の事を指していると思われます。しかし、この羅貫中の事跡に小説を書いたという事は全く見られず、時期的にも問題があり、三国志演義等を書いた羅貫中とは別人とする説が有力ではないかと思われます。
(J-SA05)
25 赤龍
施耐庵に至っては、羅貫中以上に経歴不詳。二十世紀になって中国で色々と施耐庵に関する史料が発見されましたが、それらは全くの偽物。全くの謎の人物ですから、当然羅貫中との師弟関係なんて事も不明です。そもそも当時の小説の作者の名前なんてあてにならないものですから。
(J-SA05)
26 ストラップ
「後学」の意味を調べてみました。

(1)後日、役立つ知識や学問。後覚。
「―のために見学しておく」
(2)後進の学者。後覚。
⇔先学
「―の指導にあたる」

三国志演義冒頭の
「晋平陽侯陳寿史伝 後学羅貫中編次」
の「後学」は(2)の意味ですよね?彼は歴史学者というつもりであったのでしょうか?
(PC)
27 赤龍
>>27
単に陳寿と名前を並べて、作品に箔をつけるための書き方だと思われます。
作品に権威付け、雰囲気付けするための手法の一種でしょうね。
(PC)
28 ストラップ
>>27
箔付けでしょうかね。僕は、ある程度歴史を参考にした作品ですから、「物語にしては歴史的事実に沿っている」という自負もあったのでは無いかとも考えてしまいます。

尤も、>>>174-33の様に、
「描かれた三国志演義は、劉備玄徳を主人公にしながらも、陳寿が描き切れなかった、人間の実像に迫って、三国志を描き直したものだと、考えられます(中略)正史では取り扱われなかった地元に残る伝聞などを詳細に精査し、信憑性の高いものを、物語として取り入れる等の作業が行われたと思います」
とは思いませんし、
「むしろ正史にある
不自然な箇所を考えれば、こちら(演義)の方が真実なんじゃないかと思えるほどです」
とは全く思いませんが。
これはフィクションである筈の三国志演義を、歴史的事実と勘違いした悪い例という事だと思います。
(PC)
29 赤龍
私は文学史関係には素人なんで詳しくはわからないですが、当時の小説は作品に箔をつけるため、つまり売上をのばすために、制作に関わって無い人の名前も平気で載せたり、「的本(ほんもののテキスト)」といううたい文句をあげたり、ということが盛んだったようです。
羅貫中の著作が大量に存在するのも、羅貫中の作品がヒットしたため、競うように羅貫中を名乗る作品が増えたためという説もあります。
そうしたこともあり、私はむしろ「歴史的事実に沿った、知識人の読書にも耐えうる良書ですよ」というアピールなのではないか?と考えました。
(PC)
30 ストラップ
>>29
なんだか金田一京助氏が、色んな辞書編纂に名前を貸した事が思い出される様な内容ですね。
確かに>>28の解釈よりも、>>29
「歴史的事実に沿った、知識人の読書にも耐えうる良書ですよ」というアピール
という方がしっくりくる気はします。尤もこの二つが背反する訳では無いので、両方の可能性も考えられますが。
(PC)
31 巫俊(ふしゅん)
>演義
講釈師の語りかける言葉のひとつひとつが、聞き手に真実性を感じさせたり、
ここぞという場面で聞き手側が興奮してきて、男子の生き様とはかく如きものか!と感涙したりする頃には、
立派に演義が歴史を体現するものとして受け止められているような気もします。

なんていうか、一般大衆にとっては太宰治の小説が歴史そのものだったように、
ある意味歴史事実であるかのように振舞っている..という性質は演義にありますよね。

>金田一京助氏が、色んな辞書編纂に名前を貸した事

近所の図書館で、そんな感じのことを書いた新刊を読んだばかりです。
名前貸してくれって電話がかかってきたから、「いいよ」って返事したけど、その後連絡もとってないし、どんな本になってるかも知らない...
なんてお話が紹介されていました。
(PC)
32 巫俊(ふしゅん)
例えば後漢書孔融伝によると、
周の武王が殷の紂王を放伐したとき、武王は傾国の美女である妲己を捕らえて弟の周公にくれてやった。
なんて故事が登場したと思います。

これは歴史事実じゃなくて、孔融が曹操の女好きを皮肉ったもので、歴史事実とは案外こんなものだったのでしょう、と言っているのですが、虚構のストーリーが歴史をつくるということもあると思うんですよね。

というか殷周革命って、封神演義のイメージをとりはらうと、どれだけの人に認知されているだろう?って思いますから。

三国志だって、コーエーの顔グラフィックのおかげで、正史が身近に感じられるというか、呉の顧ヨウの列伝を読んだりするときに、ゲームのことが念頭にあるから、一層正史の記述がひきしまって見える、、そんなことがあるような気がします。

だって三国時代の終焉から30年ばかり後の、五胡十六国時代の武将って、顔グラがないせいで史書読んでもイメージしにくいんですよ(笑)
(PC)
33 ストラップ
三国志演義って多くのバリエーションがあるんですよね?
これらについて詳しい人はありますか?
ご教授戴ければありがたいです。

三国志演義のバリエーションは、例えば映画「ブレードランナー」や小説「銀河鉄道の夜」に様々なエンディングがあるのとは訳が違うと思うんですよ。
三国志演義の場合は、元の作者(とりあえず羅貫中)が改めたものでは無く、後の人が(勝手に)改作したものですから。

中国の文化って、恐らく「改良」なら改作は許される文化なのだと思います。墨子や孫子にも後世に追加されたと考えられる部分はあるみたいですし。

現在中華人民共和国が、著作権という概念が通用しにくい国である理由の一つは、この事が関係するのだと思います。
改作が容易な写本の文化を長く持ち、故意の改作も容認されて来た事が、原本を尊重する事を蔑ろにし、結果書物が著者の著述というよりも大勢の共有財産と認識されていた様な気がするんです。
(F2102V/FOMA)
34 ストラップ
>>53の続きですが、中国の文化はwikiに近いと思っています。

……政治的な話になりそうだったので削除……

話は変わりますが、三国志演義って改めて読むと、けっこう退屈じゃないですか?
今、40回付近を読んでいるのですが、何回読みはじめても、このあたりで飽きてしまいます。
(F2102V/FOMA)