1 れお

関羽を捕らえた馬忠について

はじめまして☆コンバンハ♪今日、蒼天の最終巻を買って読んだトコロ、疑問に思う人物が一人出てきました。もうお察しの方もいるかと思いますが、そう!!馬忠です!彼は『百万の敵にも匹敵する』とも言われた関羽を捕らえた(落馬したトコロをですが)にも関わらず、何故に正史では前後の記録が全く無かったのでしょうか!?(蒼天のみでの情報です)
(V902T)
2 胡蝶
馬忠は潘璋の部下で司馬だったと、呉書の呉主伝と潘璋伝に一回ずつ記述がありました。

司馬は下級役人ですから、寧ろ馬忠の名前が残ってる事が珍しい事なんだと思いますよ☆
(W21CA/au)
3 れお
ありがとうございます(^-^)
そうなんですかー!!
じゃ、馬忠はそれ以上でもそれ以下でもなかったってコトなんでしょうかね?
(V902T)
4 赤龍
恐らく馬忠は、潘璋軍の一部隊長程度の人物。胡蝶さんの言われるように、本来記録にも残らないような立場です。いちいち各将軍の部下の名前まで書き記していくわけにはいけませんからね。それが関羽を捕らえるという大功によって異例に特筆され、歴史に名を残せたととるべきでしょうね。
ちなみに、関羽を捕らえたといっても、彼自身が組みかかって捕まえたというよりも、彼の指揮する部隊が関羽を捕らえたと考える方が妥当ではないでしょうか。
(PC)
5
>>4
私も気になっていたのですが、やはりそうですよね。蒼天に出てくる馬忠にはちょっと無理がありますよね"笑、関羽の捕まり方は横山三国志的な捕まり方でしょう。
それ以降の馬忠の活躍はあるのでしょうか???
(W32SA/au)
6
>>5
ちょっと遠回し過ぎでしたね"笑
"横山三国志的な…"→馬に乗って逃げる途中で縄に引っ掛かり、倒れたところを馬忠の部隊が捕まえた。ってことです(^-^ゞ
(W32SA/au)
7 れお
あ…ヤッパリ、蒼天はあくまでも作者のマンガ家としての『表現の自由』と思って観た方が良いのでしょうね?実は横山三国志はチラ見しかしたコトがなく、マンガとしての三国志は蒼天が初めてなんですよ☆小説や三国志系サイトなら色々と転々としていますが…脱線失礼しました。
天草さん、挨拶が遅れましてm(_ _)m初めまして、れおとイイマス♪毎晩寝る前にケータイから拝見させて頂いており、以前から参加したいと思っておりました。以後、よろしくお願い致します(^-^)
(V902T)
8
>>7
>>5-6で、どうのこうの言いましたが、やはり歴史は想像してなんぼのもん!って、私は思います。蒼天で描かれた通りに関羽が馬忠に(容姿はあんな人だとは思わない"笑)捕われたかもしれませんしね。どちらにせよお手柄ですよね。
(W32SA/au)
9 レオちゃん
は(笑)
(W32SA/au)
10 ストラップ
黄祖を斬った騎兵の馮則なども同じ系列の人ですね。
(F2102V/FOMA)
11 巫俊(ふしゅん)
蜀にも馬忠という武将がいましたよね。同名別人の。既出かもしれないですが。
(PC)
12 ストラップ
>>11
若い頃は孤篤という名だったみたいですね。
南方制圧で功績のある人ですが、何故か呉の関羽を討った方が有名なんですよね(笑)
(PC)
13 巫俊(ふしゅん)
他のスレを上げなくては(汗)

蜀の馬忠はゲームにも登場しますし、演義では孔明配下の数少ない武将のひとりというか、劉備時代からの勇将が消えていくなかで、割りと才能ある人という感じでしたね。
呉の馬忠の因縁のエピソードには有名さでかないませんが(笑)
(PC)
14 赤龍
蜀の馬忠の略歴などについては、よろしければこちらも参考に
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50004682.html
(PC)
15 巫俊(ふしゅん)
>>14
巴西郡太守が・・・のくだりは見落としていたみたいです。
当時の蜀の兵力はせいぜい10万人未満か、もしくは多めに見積もっても、その前後と思われますから(蜀滅亡時の総兵士数が10万人だったはず)
馬忠の救援軍は至急かき集めて増援に代えたような印象がありますね。
当時の巴西郡の規模の大きさが推量できる記事ですね。
(PC)