1 クロ

女性達

初めましてm(__)m演技やゲームしか知らないヘタレです。
無双などに出てくる女性武将達は実在した人物なのでしょうか?大・小矯や月英祝融夫人などなど。
確か、チョウセンは架空の人物だったんですよね?
(N900i/FOMA)
2
貂蝉は架空ですがモデルとなった人物はいます。董卓の妾だったかと。
たしか孫権の妹や孔明の妻の名は史書に残っていません。
(N900i/FOMA)
3 天草
確かに月英というのは、どこで出来たキャラなんですかね?(汗)
実際はひどい…(以下略)
孔明の嫁
(PC)
4 ヤスシ
黄月英…実際にはどうなんですかね?
今の世の中だったらエキゾチックな美人かも…。
話は逸れますが、孫権も中国系の顔立ちじゃないですよね?
(J-SH53_a)
5 天草
この前、違うスレで話題の出た漫画『龍狼伝』ではインド系の美人でしたよね?(笑)
木牛・流馬の件に関してはどうなんでしょうね?

大・小僑姉妹についてはどなたか情報ないですか?
(PC)
6 張五飛
月英はホントは美人で、顔だけを見る人達を避けるために、容姿を醜くしていたと言う説もありますよね。

大・小僑姉妹は正史にも載っています。
基本的に正室の女性は正史に登場してますよ。

祝融は架空に人物です。
(PC)
7 天草
やはりあの姉妹は実在人物でしたか?!

まぁ無双の様にギャルではないでしょうけど(笑)

祝融は演義に登場しましたよね。
(PC)
8 張五飛
余談ですが、祝融は火神の名前ですね。
(TT21/TU-KA)
9 大伴
張五飛さん、良く知ってましたね!!!

祝融は、黄帝の時代、炎帝(神農……死んでますが)を補佐した火神ですね。後の治水事業で有名な禹帝の父の処罰を担当した事でも有名ですね。禹の父は、自分勝手に治水を行い、しかも失敗したのです。
(F2102V/FOMA)
10 天草
初耳だ。。。

やはり女性なんですか?
(PC)
11 大伴
女性神だという記述は、私は見た事がないですね。多分おっさんです。
(F2102V/FOMA)
12 張五飛
史記では、祝融は名前では無く、役職名として書かれていますよね。

性別については私も解りませんが、
獣の身体に人の顔・・・
これで女性だったら嫌なので、私もおっさんだったと思いたいです。
(PC)
13 独眼龍李克用
融はわかりませんが、中国の古代、祝というのは祈るという意味です。それも、兄(一族の長みたいな者)が祖廟(神や先祖を祭る場所)にむかって祈るということなので祝とつく場合、男ではないでしょうか。

題とまったく関係ないですね。失礼/(-_-)\
(P900i/FOMA)
14 くわぁまん
美人薄命と昔から言われている通り、この当時の女性も大勢悲惨な目にあっています。曹叡の母親や、蔡姫の話、等数え揚げたらきりがないほどです。

あちしも美人好きだけど道具として使うのはどうかと思いますよ。

王佐の才と歌われた王允もそんな姑息な手でしか謀略仕掛けられないとは、やはりその程度の人物。一人の人間を救えない者は大勢の人は救えない…。

何てカッコイイ事言いましたが、自分の心情としてはそうなりますな。
(SH900i/FOMA)
15 張五飛
王允が美人連環の計を使ったのは、演義の話ですよね。

美人薄命…そう言えば、孫策も周瑜も美形で有名でしたね。
スレタイとは関係ないですが。
(TT21/TU-KA)
16 独眼龍李克用
古来から女性は政争の道具とされてきましたからね。日本にも人身御供や政略結婚という言葉があるぐらいです。そういうのは、儒教によって助長されていましたし。

女性は史書にはあまり載っていませんが、女将軍として伝がある秦良玉という人がおります。明の時代(1600年頃)の人です。私はあまり詳しくないので、興味がある人は自分で調べてみてください。
(P900i/FOMA)
17 天草
古スレage祭り

蒼天航路では韓遂の配下だった成公何とか(うろ覚え陳謝)という武将を女性に設定してましたよね?
あれは何か女性だったという記述がどこかにあったんでしたっけ?
(N902i/FOMA)
18 赤龍
>>17
多分成公英のことですよね。
蒼天航路では、私も見た目から女としているのかと思ってましたが、実は作品中でもしっかり男とされてますよ。
証拠として、34巻にでてくる、弟という設定の成公何。彼が「習得した技は兄の半分!」という台詞を発してます。「兄」といわれてる以上、作中でも男性でしょう。
ちなみに、成公何という人物は正史には存在せず、ホウ徳の督将であった成何をもとにして作ったキャラのようです。
(PC)
19 TS
成公何は、連載時はちゃんと正史と同じ「成何」となってました。
でも単行本と同じく成公英を兄と呼んでいたため、姓が違うという誤りが起きてしまいました。
そこでつじつまを合わせるために生まれたのが「成公何」です。
成宜の弟ということにしていれば良かったのに。
(W31T/au)
20 赤龍
TSさん、ご指摘どうも。モーニング連載時は立ち読みだったので覚えてませんでした。他にも、単行本では連載時に見られた誤字もなおっているそうですね。
(PC)
21 天草
何!?
あれは男だったのですか!?
ビックリですw

しかも面白い裏話まで…ありがとうございました☆
(N902i/FOMA)
22 ストラップ
女性にも字があった様ですね。「列女伝第七十四」を見ていると……
「勃海の鮑宣の妻なる者は桓氏の女なり。字は少君」
とか、
「沛郡の周郁の妻なる者は同郡の趙孝の女なり。字は阿」
とあります。「阿」なんて字もあったのですね。

班固の妹に関しては、
「班彪の女なり。名は昭、字は恵班、一名は姫」
と名まで示してあります(これに関しては「後漢書集解」に「小名録」という書物を引いて、「字恵班一名姫」の「班一名」が誤りで、正しくは「字は恵姫」であると書いてあるのだそうです)。
尚この班固の妹ですが、
「同郡馬融伏於閣下従昭受読(近所の馬融さんは、昭さんに蔵書閣で文字について習いました)」
と続くので、劉備の師匠筋にも当たるのではないかと思います。
(F2102V/FOMA)
23 程製肉まん
はじめまして。程製肉まんと申します。知識量が三国志愛に追いついていない未熟者ですが、よろしくお願いします。
基本的に三国志は男の世界ですから、珍しく女性の活躍があると、なんだかうれしくなります。「漢書」の著者の一人として歴史に名を残した班昭は、奇跡的ですね。
マイナーですが、王異なんてどうでしょう。夫とがっちり組んで馬超をしりぞけた女丈夫です。馬超の奥さんをたぶらかしたり、夫と奇策を練ったりと、かなりの賢女にして烈女だったようです。人質に出した子供の身を案じる夫に向かって「忠義を貫くためです。首を失ってもたいしたことありません。子供の一人ぐらいなんです」と答えたというエピソードもあります。凄すぎる・・・・・・
(PC)
24 寿君
もう過去に話題に出てるかも知れません。
蜀書二主妃子伝の穆皇后伝には、「先主が益州を平定したあと、孫夫人は呉に帰ったので、群臣が先主に穆后をめとるよう勧めた」(ちくま訳から)とありますよね?。
従来、孫夫人は劉禅を連れて呉に帰ろうとして、趙雲に劉禅を奪い返されます。
しかし、趙雲は益州平定時点では荊州に居ませんから、『蒼天航路』での王欣太氏のような解釈ができる訳です。
ただ、荊州から孫夫人が帰ったのなら辻褄が合わない話も、益州から孫夫人が帰ったのなら、辻褄は合います。
しかし、『漢晋春秋』の記述だと、呉から迎えに来たとあります。それまでの劉備と孫夫人の間柄を考えれば、呉としては(いやこの孫劉同盟賛成派の魯粛としては)孫夫人を置いておくのが得策。ましてや荊州分割時にすら西半分を劉備に残す程の譲歩をしていてです。
私が思うのですが、穆皇后を正室に迎えるのは劉備と益州人士の間柄を親密にする政治的意図があると思います。その場合、正室である孫夫人は正室から廃さねばなりません。
私は劉備側の都合で孫夫人を送り返したのではないかと推測します。
もしかしたら、荊州分割時に一時的に関係が断絶した折に、絶交の意味で離縁した可能性も(時系列が不明なので)あると思います。
この一件、かなり気になってます。知識ある方のご意見をお聞かせ願えないでしょうか?。
(P905i/FOMA)
25 赤龍
色々関係ありそうな記述調べてみましたが、さっぱりわかりません(笑)
穆皇后伝の記述を根拠に、劉禅拉致の話を否定する意見は『蒼天航路』以前からありました。
また、高島俊男さんは「劉禅はもちろん孫夫人の生んだ子ではないし、いっしょにいるはずもない」と否定しています。
しかし、穆皇后伝の記述の順序が本当に正しいのか?「先主既定益州、而孫婦人還呉」の解釈がちくま訳で正しいのか?「先主は既に益州を定め、孫夫人も呉に還っていたので」くらいの意味に解釈できないのか?
なんて疑問が色々でてきます。
(PC)
26 赤龍
孫夫人が還された時期・理由としても、寿君さん>>24での二つの推測の他、『中国の歴史04』で金文京氏は、魯粛伝にある、劉備が益州攻略に向かった際、孫権が怒って罵った話を持ち出し、この時還されたとしています。
これだと『漢晋春秋』や『趙雲別伝』の記述とも整合しますね。
(PC)
27 赤龍
法正伝には、諸葛亮の言として「劉備は公安にいた時、曹操、孫権の圧迫に加え、内では孫夫人が返事を起こさないか心配していた。これを法正がたすけ、二度と他人の制約を受けないですむようにしたのだ」という意味のことが記されています。
この孫夫人からの解放が何を指すのか?益州へと侵攻し、孫夫人を荊州へ残す(その後呉に還される)というような意味にとるか、それとも>>24の寿君さんの「孫夫人を蜀側主体で返還する」という意味にとるか?
そういえば、穆皇后との婚姻に躊躇する劉備を説得したのは法正でしたね。

こんな感じで、色々と気になる記述は多いものの、曖昧なものが多く、決め手となるものも見つからず、かえって謎が膨れ上がり、私の頭の中じゃあ混乱するばかりです(笑)
(PC)
28 寿君
まず、あまりに視野狭窄に陥っていた事と、『蒼天航路』のあの場面があまりに名シーンだった事にほだされていた自分を反省せねばなりません(苦笑)
>>24で欠落しましたが、
「帰ったので」×
「帰っていたので」○
の可能性を言うのを忘れてました。
確かに「帰っていたので」なら、劉禅拉致はありえないとしても、金さんの著書にあるように単に連れ戻したのでしょう。
ただ、金さん、誤認してます。魯粛伝には孫権が怒ったとは書いてますが、孫夫人の件は書かれてません。よって呉側の「孫夫人離縁」に関する記述は皆無のはずです。(それが孫夫人記述の特徴だったはずです)
ただ、蜀書の記述は「最悪の嫁」。呉書は黙している。しかし、呉と言う国は魏、蜀に比べて粗暴と言うか野放図な風俗が人物伝から受け取れます。
ちくま訳の結婚時点の件も井波氏は「夫婦仲が親密だった」と解釈もできる事を訳注に書いておられる。

劉禅拉致はありえない事を前提に、夫側、妻側いずれの自発性があったにせよ、呉書が触れずに蜀書は批判的に書いている点を考えると、私も黄蓋伝問題の時に心情を吐露しましたが、「普通では片付けられない何かの事情」がこの縁組の真相と史書の間に横たわっているのは間違いないと思います。
(P905i/FOMA)
29 赤龍
>>28
いや、私の書き方が悪かったのかもしれませんが、金文京氏も呉書側に孫夫人帰還の件が無いのは百も承知でしょう。
>>26でも提起している問題は、そうではなく、記述が明記されてないことを踏まえ、いつ何の理由で呉へ帰されたのか?それを、金文京氏は劉備の益州侵攻に対する怒りを理由と考えられてるということです。
実際、魯粛伝の続く記述を見ると、両国の関係が悪化し、紛争が起こり、それを魯粛がなんとか鎮めていたことが書かれてます。婚姻関係の解消により、一気に険悪ムードがただようようになったという推測も、そう無理があるとは思えません。
よって、この推測自体が的外れとみて誤認とするならともかく、魯粛伝に直接の記事がないから誤認とするのはどうなのかな、と思いました。
(PC)
30 寿君
申し訳ないです。私も書き方が誤解を招いたようです。
一言で言えば、今パニクってます。
いや、そういう風な考えは全くないんです。これは判ってください。
魯粛伝を金さんが何かと混同したのかなと言う事のみへの指摘でありまして、「たがら金さんの意見全否定」と言う意味じゃないんです。
どうも、とにかく自分の意見を詰め込もう詰め込もうとする余りに、細かい配慮に欠けましたし、そう受け取られるのも無理はない。
これは私のミスです。どうか、そうではないと認識していただけたら、幸せです。
(P905i/FOMA)
31 巫俊(ふしゅん)
>>30
寿君さん。

私が読むと寿君さんの文章は「金さんの意見全否定」とは、ど〜考えても捉えられません(笑)
私自身、つい勢いで否定的な指摘を言った後に「しかしその方の立場とか研究姿勢は認めています」といった暖かい言葉を残さないことがありました。
確かに配慮があった方が掲示板集団の利益になる場合が多いですが、しかし寿君さんの気持ちが萎れてしまったら寿君さんにとって気持ちが充実するはずもなく、寿君さんがメインの考察に関わる以外の理由で発言を自粛されてしまうということは、短期的、長期的両方で掲示板にとっての不利益だと思います。
私は寿君さんの視点好きですよ。

なお、利益というのは中国の古典語ではポジティブな意味で用いられる言葉でもあり、現代日本語の「利益、利益と口にする婉曲の表現ができない人」「利益より大切なものがあるだろ!気遣え!」とはその意味するところを異にするのでご注意ください(笑)

最近、古典漢語と現代日本語を混ぜて口語で使用してしまうことがあります^^
今の日本語は他人への気遣いが病的なほど発達しており、慣れ慣れしい言葉でなければ言いたいことが言えないです。(慣れ慣れしい場合、親しく私的な会話であれば言っても人が傷つかない)
ここは掲示板ですから敬語が基本の空間ですし、慣れ慣れしい言葉を重ねることは人間関係崩壊を誘発します。
従って、多くの人が分かる範囲で活気がありストレートでそれでいて敬語のスタイルでも使える古典漢語は使っていこうと思っています。

しかし昨日、「愛する人と結婚したら何を我慢する?」(例:タバコを止める)という記事を見たのですが、「愛人と結婚したら・・・」と普通に読んでいました(笑)
どうも漢文訓読の後遺症で、脳内で自在に送り仮名を消したり追加する能力を得てしまったようですね(笑)
(PC)
32 寿君
巫俊さん>そう言って頂けると、救われます。ありがとうございます。
ただ、慌てん坊な性格で、治さなならんと思ってますので、良い薬です。
忠言してくれる方がいることが幸せですから。

で、本題ですが前述しましたが「帰っていたので」と訳するのが正しいような気はしてます。
漢文も高校以来離れてます。確か国語で十八史略の三顧の礼が出てきた時以来です。

この箇所の原文ですが、「帰った」「帰っていた」いずれに訳する事も可能なんですかね?。

それにしても、ややこしいですなぁ。

巫俊さんの後遺症が判る気がします。
(P905i/FOMA)
33 雲畜斎
上記の話とは全く関係ありませんが、孫権の娘に魯班っていうのがいたと思うのですが、彼女も悪女で一族の者(孫峻?)と密通していたとか…。あれも演義の作り話だったかな?
(N906imyu/FOMA)
34 皇澪桜
>>33
正史にも記述があるようですね。
博物館には人物辞典などもありますので、気になる方はそちらを参照願いますm(__)m
(W52CA/au)
35 削除済
36 皇澪桜
>>35
大変失礼致しましたm(__)m
ただ私自身知識があまり無いため、こちらで過去に語られた事を参照していただいた方がよく分かると思い、そちらを示している次第です。
失礼致しましたm(__)m
(W52CA/au)
37 しす
>>35
既存のスレッドに誘導するのは同じ内容の討論を一本化した方が有意義な討論をできるからです。
誰も討論をするなとは言ってませんし、重複を避けるために他のスレッドに誘導するという動きはよく見られる事ですよ。
過去に同じ話題があるにも関わらず、それには触れないでいることが親切であると言えますか?

いずれにせよ、御不満はありましょうが、重複スレ類似スレに関してはしっかり討論場の注意事項にもあることですから如何なる理由であれルールに則っていただきたく思います。

取り敢えずこのスレは本来の話題に戻ってもらって、この件に関して意見があれば自治会掲示板の方にお願いします。
(912T/SB)
38 劉封
すみません。大橋と小橋の享年を知っている方、お教え頂けないでしょうか?
(W56T/au)