1 子廉
曹洪子廉
曹洪…好きですねぇ(笑)でも子廉のペンネームに似合わず、あまり曹洪に詳しくないんです。曹操の従兄弟で、曹震、曹馥っていう子供がいたって事くらいしか知りません。誰か情報お待ちしてます。ペコリ
(EZ)
2 天草
彼のもっとも有名なエピソードは、反董卓連合の時、徐栄の軍に大敗して、命からがら逃げようとした曹操に自分の馬を渡して…というあの話ですね。
しかし彼の伝の後半半分はケチな正確にまつわる話が書かれており、これは伝の立っている魏の重臣の中では非常に珍しいものだと思われます。
追記:レスの少ないスレの乱立を避けるため、以後、こういう単発の質問などは初心者質問掲示板(http://z-z.jp/?syosinsya)をご利用してみてください。
しかし彼の伝の後半半分はケチな正確にまつわる話が書かれており、これは伝の立っている魏の重臣の中では非常に珍しいものだと思われます。
追記:レスの少ないスレの乱立を避けるため、以後、こういう単発の質問などは初心者質問掲示板(http://z-z.jp/?syosinsya)をご利用してみてください。
(PC)
3 寿君
曹洪のエピソードで、ちょいとおもしろいのがありましたので…。
呉蘭らを下弁で撃破した後、魏書楊阜伝(ちくま文庫版の4巻121ページ)を見ますと、シースルーの歌姫舞わして太鼓叩いて大宴会。楊阜に夏の桀王や殷の紂王を引き合いに出されて非難され、慌てて中止してます。
そしたら魏書辛ピ伝(ちくま版4巻104ページ参照)にも、曹操が辛ピと曹休に漢の高祖の女色と財貨への欲を引き合いにして、曹洪を匡正してほしいみたいな事を命令してますから、どうやら、いい方悪いですが、物欲と色欲は曹操も心配する程だったようです。
でもこの時、隣の漢中では夏侯淵が苦闘してるはずなのに…(汗)
呉蘭らを下弁で撃破した後、魏書楊阜伝(ちくま文庫版の4巻121ページ)を見ますと、シースルーの歌姫舞わして太鼓叩いて大宴会。楊阜に夏の桀王や殷の紂王を引き合いに出されて非難され、慌てて中止してます。
そしたら魏書辛ピ伝(ちくま版4巻104ページ参照)にも、曹操が辛ピと曹休に漢の高祖の女色と財貨への欲を引き合いにして、曹洪を匡正してほしいみたいな事を命令してますから、どうやら、いい方悪いですが、物欲と色欲は曹操も心配する程だったようです。
でもこの時、隣の漢中では夏侯淵が苦闘してるはずなのに…(汗)
(P901iS/FOMA)
4 寿君
一応、子廉さんに悪いイメージを与えると悪いので、名誉回復の事も。
曹洪は曹操が徐栄に大敗した時に、命懸けで曹操を救出してますし、その後も各地に転戦して功績をあげてる名将である事は間違いありません。それはこのサイトの人物事典にも載ってますね。
まあ、そんな曹洪もかなり人間臭い人物だったって逸話を紹介したまでです。
それから、せっかく天草さんが質問板に誘導してるのに、レスしてしまった事を陳謝いたします。
昨日、魏書読んでたら、この記事を見付け、ここを覗いたらスレが立ってたんでカキコしました。
失礼しましたm(__)m。
曹洪は曹操が徐栄に大敗した時に、命懸けで曹操を救出してますし、その後も各地に転戦して功績をあげてる名将である事は間違いありません。それはこのサイトの人物事典にも載ってますね。
まあ、そんな曹洪もかなり人間臭い人物だったって逸話を紹介したまでです。
それから、せっかく天草さんが質問板に誘導してるのに、レスしてしまった事を陳謝いたします。
昨日、魏書読んでたら、この記事を見付け、ここを覗いたらスレが立ってたんでカキコしました。
失礼しましたm(__)m。
(P901iS/FOMA)
5 赤龍
蒼天航路では四天王と呼ばれる曹洪ら4人の一門クラスの武将ですが、どうも曹洪が一番影薄いですよね。
惇、淵、曹仁の3人は一方面の将、諸将を束ねる立場にまでのぼるのに、どうも曹洪だけその形跡がない。
蒼天では曹仁が4人の中で出遅れたように描かれてましたが、実際は曹洪がその立場では?と思えてしまいます。
しかし、残り三人が曹操の死と前後するように世を去った中、彼一人は明帝の太和6年(232)まで生きています。ひょっとしたら4人んの中で一番若かったのかも?
惇、淵、曹仁の3人は一方面の将、諸将を束ねる立場にまでのぼるのに、どうも曹洪だけその形跡がない。
蒼天では曹仁が4人の中で出遅れたように描かれてましたが、実際は曹洪がその立場では?と思えてしまいます。
しかし、残り三人が曹操の死と前後するように世を去った中、彼一人は明帝の太和6年(232)まで生きています。ひょっとしたら4人んの中で一番若かったのかも?
(PC)