1 ストラップ
歴史を学ぶ姿勢
僕などはあまり熱心に勉強してはいないので、その史料の確かさ、など因りも物語性を重視してしまうのですが、これを学んでいる人々は、この様な考え方ではいけないと思います。
三国志とは直接の関係はありませんが、この掲示板を
「三国志を通して歴史の学び方をも習得できるサイト」
であると考え、今回この様なスレッドを立てます。>>>148を代用する事も考えましたが、自治会本来の機能に支障が出る事を懸念し、こちらに新設した次第です。
皆さん真摯な意見を宜しくお願いします。
参考:>>>95-35
>>>95-44
>>>148-67
三国志とは直接の関係はありませんが、この掲示板を
「三国志を通して歴史の学び方をも習得できるサイト」
であると考え、今回この様なスレッドを立てます。>>>148を代用する事も考えましたが、自治会本来の機能に支障が出る事を懸念し、こちらに新設した次第です。
皆さん真摯な意見を宜しくお願いします。
参考:>>>95-35
>>>95-44
>>>148-67
(PC)
2 ストラップ
>>>95-55
「>>>95-43の末尾みたいな言い方は、私にはなにか違うな?て感じてしまいます。」
に関して先ずはどうか考えてみませんか?
僕にはこれは、
「経験論に基づく帰結であり、推理に自信はあるが、証拠が無く立証できない」
という姿勢と、
「今ある証拠を根拠として、仮説は組み立てられるべきである」
という2つの食い違いに見えるのですが、この見方で良いのでしょうか?
「>>>95-43の末尾みたいな言い方は、私にはなにか違うな?て感じてしまいます。」
に関して先ずはどうか考えてみませんか?
僕にはこれは、
「経験論に基づく帰結であり、推理に自信はあるが、証拠が無く立証できない」
という姿勢と、
「今ある証拠を根拠として、仮説は組み立てられるべきである」
という2つの食い違いに見えるのですが、この見方で良いのでしょうか?
(PC)
3 朱家
そういう事ではないと思いますが…
「その自信は何処からくるの?」の問いに
「根拠はないが、そう思ってる」
これでは議論になりません。
張虎、陳生の場合。
「首を斬られた勢力と同じなら、カイ越を斬って交戦、もしくは袁術に降るはずだから、別勢力である」が一般論。
「同勢力で、カイ越は憎いが、劉表に降って様子を見る」が少数意見。
少数意見を持って仮説を立てるなら、より強い根拠を必要とします。別勢力であると推測はできるが、同勢力であるとは推測もできず(少数意見だから)根拠もない。
議論するなら、根拠(記述など)か、推測(多数意見)のどちらかは必要だと思います。
「その自信は何処からくるの?」の問いに
「根拠はないが、そう思ってる」
これでは議論になりません。
張虎、陳生の場合。
「首を斬られた勢力と同じなら、カイ越を斬って交戦、もしくは袁術に降るはずだから、別勢力である」が一般論。
「同勢力で、カイ越は憎いが、劉表に降って様子を見る」が少数意見。
少数意見を持って仮説を立てるなら、より強い根拠を必要とします。別勢力であると推測はできるが、同勢力であるとは推測もできず(少数意見だから)根拠もない。
議論するなら、根拠(記述など)か、推測(多数意見)のどちらかは必要だと思います。
(W32K/au)
4 ストラップ
>>3
う〜ん。
「経験的にこうである可能性が高い」
という事を、自分なりに考えて、それを積み重ねられただけだと思うんですよね。僕自身は、こういう状況証拠を基にした「仮説」の作り方自体は問題ないのでは無いかと思うのです。
ですから、物凄く頓珍漢な事では無いと考えます。
ただ、仮説を確固とする為の作業を怠り、「蓋然的仮説」としているところが問題なのではないかと。
それと、定説を覆す為には「より強い根拠を必要」という事は納得できますが、一般的とか、多数意見というのは、基本的に(純粋な意味での)研究者には無関係な概念なのでは無いかなぁと思います。
う〜ん。
「経験的にこうである可能性が高い」
という事を、自分なりに考えて、それを積み重ねられただけだと思うんですよね。僕自身は、こういう状況証拠を基にした「仮説」の作り方自体は問題ないのでは無いかと思うのです。
ですから、物凄く頓珍漢な事では無いと考えます。
ただ、仮説を確固とする為の作業を怠り、「蓋然的仮説」としているところが問題なのではないかと。
それと、定説を覆す為には「より強い根拠を必要」という事は納得できますが、一般的とか、多数意見というのは、基本的に(純粋な意味での)研究者には無関係な概念なのでは無いかなぁと思います。
(PC)
5 赤龍
>>>95-55で私が言ったのは、あくまですぐ上の新史料の発見の問題を受けてのことです。
あんまり深く追求するとまた厳しいこと言っちゃいそうですが、要は今存在する史料で検討すべきことはいっぱいあるのに、それを怠り自説の問題点を現史料のせいにし、あるかどうかも分からない新史料が見つかればどうにかなるような言い方にちょっとひっかかるものを感じたわけです。
ああいう言い方は、現在ある史料を考察しきって、十分納得できる推測を立てた上で、初めて言うことができるものと思っています。それを安易に使う事に、自説に対する傲慢さと問題点のごまかしを感じてしまいました。まずは、今ある史料に真摯に向き合わなくてはと。
あんまり深く追求するとまた厳しいこと言っちゃいそうですが、要は今存在する史料で検討すべきことはいっぱいあるのに、それを怠り自説の問題点を現史料のせいにし、あるかどうかも分からない新史料が見つかればどうにかなるような言い方にちょっとひっかかるものを感じたわけです。
ああいう言い方は、現在ある史料を考察しきって、十分納得できる推測を立てた上で、初めて言うことができるものと思っています。それを安易に使う事に、自説に対する傲慢さと問題点のごまかしを感じてしまいました。まずは、今ある史料に真摯に向き合わなくてはと。
(PC)
6 赤龍
これまで色々厳しい事言ってますが、元歎さんはまだ高校生なのに、色々な本などを読んで非常によく勉強されてると思いますよ。私が高校の時なんて……(笑)ただ、だからこそ問題点や考えてほしいことなども色々と目についてしまうんですよね。
ストラップさんが言われていることも、もっともなことだと思います。私も、推測により仮説を建てること自体は大事なことだと思います。問題はそこから先をどうしていくかですね。
ストラップさんが言われていることも、もっともなことだと思います。私も、推測により仮説を建てること自体は大事なことだと思います。問題はそこから先をどうしていくかですね。
(PC)
7 ストラップ
>>6
そうなんですよね。
僕が居た工学部では、「仮説演繹法」といい、良く用いられるものです。仮説を立てて、その後に検証するというやり方。
ただ今回は、その検証がされてない(つまり証拠が無い)「仮説」を、「蓋然的」として語っているところが問題なのかなぁと思います。
この仮説を立て検証する、という方法も、>>>370-27の様な落とし穴を掘り易い方法ですし、矢張り証拠ありきでそこから組み立てるやり方がこの分野(実験などに因る検証ができない分野)では一般的なのでしょうか?
あ、僕も元歎さんは凄いなぁと思い応援していますよ(まぁ、鋼は打たれて強くなるものですし)。
そうなんですよね。
僕が居た工学部では、「仮説演繹法」といい、良く用いられるものです。仮説を立てて、その後に検証するというやり方。
ただ今回は、その検証がされてない(つまり証拠が無い)「仮説」を、「蓋然的」として語っているところが問題なのかなぁと思います。
この仮説を立て検証する、という方法も、>>>370-27の様な落とし穴を掘り易い方法ですし、矢張り証拠ありきでそこから組み立てるやり方がこの分野(実験などに因る検証ができない分野)では一般的なのでしょうか?
あ、僕も元歎さんは凄いなぁと思い応援していますよ(まぁ、鋼は打たれて強くなるものですし)。
(PC)
8 朱家
仮説の立て方は問題ではないと思います。
議論の仕方で、スレ違いっぽいですが…
反対意見の理由が『仮説』のように感じまして…反対意見の理由とは別に、『仮説』を提唱するなら、根拠に乏しくても、参考意見や考え方として、感心する面もあるのですが。
『仮説』とは「核」があるべきで、結論として何を主張したいのか、が大事ではないでしょうか?その「核」が不透明に感じるのです。
議論の仕方で、スレ違いっぽいですが…
反対意見の理由が『仮説』のように感じまして…反対意見の理由とは別に、『仮説』を提唱するなら、根拠に乏しくても、参考意見や考え方として、感心する面もあるのですが。
『仮説』とは「核」があるべきで、結論として何を主張したいのか、が大事ではないでしょうか?その「核」が不透明に感じるのです。
(W32K/au)
9 元歎
厳しいことは某所で言われ慣れてるので大丈夫です^^;
あと新史料については、言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、注にもある襄陽耆旧記が残ってたり他にも華陽国志(これは前から知ってましたが)とか廿二史箚記とか残ってたり、96年には一次史料である長沙走馬〜〜〜とかいうのが発見されて、そんなに発見されてるものか?という気持ちからで…もちろん、新史料が発見されれば良いな〜という気持ちもあったと思います。それは否定できません…。
あと新史料については、言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、注にもある襄陽耆旧記が残ってたり他にも華陽国志(これは前から知ってましたが)とか廿二史箚記とか残ってたり、96年には一次史料である長沙走馬〜〜〜とかいうのが発見されて、そんなに発見されてるものか?という気持ちからで…もちろん、新史料が発見されれば良いな〜という気持ちもあったと思います。それは否定できません…。
(PC)
10 天草
難しい話しばかりで、イマイチ皆さんが何を話し合ってるのか、正直分かりません(苦笑)
私からお願いしたいのは…とにかく、ソースが出せないなら(資料がないなら)、討論場で意見を出すな…という暗黙のルールは作ってほしくないという事です。
以前問題になった様に、明らかに資料に残されいる事実には答えがありますが、そうでない話題も多く、推測なら書き込みするなという暗黙のルールが出来そうなら、それは反対です。
討論場のレベルが上がるのは非常に望ましく、素晴らしい事ですが、資料が手元にない方にとっては入り込み辛くなる諸刃の剣だという事を我々はもっと自覚するべきだと思いませんか?
私からお願いしたいのは…とにかく、ソースが出せないなら(資料がないなら)、討論場で意見を出すな…という暗黙のルールは作ってほしくないという事です。
以前問題になった様に、明らかに資料に残されいる事実には答えがありますが、そうでない話題も多く、推測なら書き込みするなという暗黙のルールが出来そうなら、それは反対です。
討論場のレベルが上がるのは非常に望ましく、素晴らしい事ですが、資料が手元にない方にとっては入り込み辛くなる諸刃の剣だという事を我々はもっと自覚するべきだと思いませんか?
(N902i/FOMA)
11 ストラップ
>>10
「妄想」は排除すべきですが、ある程度の思考手順が踏まれた「仮説」であれば、歓迎すべきだと思います。
事実、現在>>>95を賑わしているのはそういった「仮説」であり、僕自身はそれを楽しく見ている位ですから。
問題なのは、そういった「仮説」を、「事実」であるかの様に書いたり、「検証」の過程を行わずに「蓋然的仮説」としたりする事でしょう。
「仮説」の提案などは歓迎すべきだとは思いますし、それを皆で「検証」する作業こそ、こういった掲示板の最も面白い部分だと思います。
元歎さんの「仮説」の「組立方」自体は、僕も悪く無いと思うんですよね。「定説」がどうなのかは知りませんが、こういった推理・推測・推量による「仮定」をして、それを先ず組合せて「仮説」とする。
ただ、これが思いの外良い形になると、人はうっかり「検証」を忘れてしまう(この「検証」の作業が今回の場合、多くの史料にあたるという作業)。何度も書きますが、これが問題なのだと思います。
今回の一連のカキコミは、「仮説」自体への反論を兼ねている為にわかりづらいですが、この落とし穴への戒めという側面も併せ持っているのだと考えます。
「妄想」は排除すべきですが、ある程度の思考手順が踏まれた「仮説」であれば、歓迎すべきだと思います。
事実、現在>>>95を賑わしているのはそういった「仮説」であり、僕自身はそれを楽しく見ている位ですから。
問題なのは、そういった「仮説」を、「事実」であるかの様に書いたり、「検証」の過程を行わずに「蓋然的仮説」としたりする事でしょう。
「仮説」の提案などは歓迎すべきだとは思いますし、それを皆で「検証」する作業こそ、こういった掲示板の最も面白い部分だと思います。
元歎さんの「仮説」の「組立方」自体は、僕も悪く無いと思うんですよね。「定説」がどうなのかは知りませんが、こういった推理・推測・推量による「仮定」をして、それを先ず組合せて「仮説」とする。
ただ、これが思いの外良い形になると、人はうっかり「検証」を忘れてしまう(この「検証」の作業が今回の場合、多くの史料にあたるという作業)。何度も書きますが、これが問題なのだと思います。
今回の一連のカキコミは、「仮説」自体への反論を兼ねている為にわかりづらいですが、この落とし穴への戒めという側面も併せ持っているのだと考えます。
(F2102V/FOMA)
12 赤龍
天草さんの危惧されてることは私にもわかりますし、私もストラップさん同様推測がだめだとは思ってもいません。
このスレは別に討論場のルールを決めようとかしているわけでもなく、あくまでより真剣に「歴史を学ぶ」際の姿勢について語る場だと思っているので、こうした話をしているわけです。また、元歎さんの場合、史料を参考にできる環境にあり、これからも専門に学ぼうとしている方だからこそ、あえて厳しめの指摘をしているわけです。ただ、それが他の見ている人に萎縮させるようなものになっているようなら本当に申し訳ありません。
私自身はストラップさんに怒られそうですが、むしろ「妄想」もOKぐらいに思ってます(笑)私自身根拠の無い妄想を語ったことも多々ありますし。ただ、妄想を事実と混同すること、妄想を他人に押し付けることは問題だとは思いますが。
このスレは別に討論場のルールを決めようとかしているわけでもなく、あくまでより真剣に「歴史を学ぶ」際の姿勢について語る場だと思っているので、こうした話をしているわけです。また、元歎さんの場合、史料を参考にできる環境にあり、これからも専門に学ぼうとしている方だからこそ、あえて厳しめの指摘をしているわけです。ただ、それが他の見ている人に萎縮させるようなものになっているようなら本当に申し訳ありません。
私自身はストラップさんに怒られそうですが、むしろ「妄想」もOKぐらいに思ってます(笑)私自身根拠の無い妄想を語ったことも多々ありますし。ただ、妄想を事実と混同すること、妄想を他人に押し付けることは問題だとは思いますが。
(PC)
14 朱家
問題は発言の仕方だと思いますね。他人の意見を強く否定するなら、少なくとも、根拠(記述など)か、推測(多数意見)のどちらかは必要でしょう。
「こちらの可能性もあると思います」の姿勢なら、根拠に乏しくても問題はないと思います。
妄想と言えば聞えが悪いですが、発想(想像)と言えば問題はなく、発想力(想像力)は、歴史を学ぶ上で重要だと思います。発言の仕方に気をつければ、討論の質を高めてくれるとさえ思います。もちろん、曹操、劉備などは存在してなかった、とかはナシです(笑)
「こちらの可能性もあると思います」の姿勢なら、根拠に乏しくても問題はないと思います。
妄想と言えば聞えが悪いですが、発想(想像)と言えば問題はなく、発想力(想像力)は、歴史を学ぶ上で重要だと思います。発言の仕方に気をつければ、討論の質を高めてくれるとさえ思います。もちろん、曹操、劉備などは存在してなかった、とかはナシです(笑)
(W32K/au)
15 ストラップ
>>>174-48-54
話題のお引越しです。
赤龍さんは>>>110-28でも言われていますが、歴史家のイデオロギーを理解して、そのフィルターを外す努力をすることこそが、歴史を学ぶ姿勢なんだ、と主張されている訳ですね?
話題のお引越しです。
赤龍さんは>>>110-28でも言われていますが、歴史家のイデオロギーを理解して、そのフィルターを外す努力をすることこそが、歴史を学ぶ姿勢なんだ、と主張されている訳ですね?
(PC)
17 赤龍
>>15-16
確かにそれも重要なことですね。
でも、私が言ってたのは、昔の歴史家と今の歴史家は別物。つまり、現代人の価値観や常識だけで過去のことを判断してはいけない。という程度のことでした(汗)彼らは全く違う価値観や文化の中に生きていたのだと。
外国・異文化の理解についても同じことがいえますね。
それをもう一歩進めると、>>15のようなことになりますね。当然、これも常に注意すべきことと思ってます。
確かにそれも重要なことですね。
でも、私が言ってたのは、昔の歴史家と今の歴史家は別物。つまり、現代人の価値観や常識だけで過去のことを判断してはいけない。という程度のことでした(汗)彼らは全く違う価値観や文化の中に生きていたのだと。
外国・異文化の理解についても同じことがいえますね。
それをもう一歩進めると、>>15のようなことになりますね。当然、これも常に注意すべきことと思ってます。
(PC)
18 巫俊(ふしゅん)
>>>174-46
についてです。
>>>174-48
で赤龍さんは私の>>>174-46を指して、「現代の歴史という学問と同じ感覚だけで、過去の「歴史」というものを考えてはならない」「それこそ「現在の常識で過去を断罪する」ような危険を感じます」と発言されているように受け取りました。
ひょっとしたら「それこそ・・・感じます」の主語は宋代の歴史家を指して言及されたものなのかもしれませんが、
このレスで私は自己の生命線を脅かされたような釈然としない感情を抱きました。
あまりこの手のことは文章にしたくないのですけど、一応は歴史研究の徒の私からすると、最悪の評価を受けたものと判断しました。
看過出来ることではないです。
具体的な内容はまた書きます。
についてです。
>>>174-48
で赤龍さんは私の>>>174-46を指して、「現代の歴史という学問と同じ感覚だけで、過去の「歴史」というものを考えてはならない」「それこそ「現在の常識で過去を断罪する」ような危険を感じます」と発言されているように受け取りました。
ひょっとしたら「それこそ・・・感じます」の主語は宋代の歴史家を指して言及されたものなのかもしれませんが、
このレスで私は自己の生命線を脅かされたような釈然としない感情を抱きました。
あまりこの手のことは文章にしたくないのですけど、一応は歴史研究の徒の私からすると、最悪の評価を受けたものと判断しました。
看過出来ることではないです。
具体的な内容はまた書きます。
(PC)
>>18
巫俊さん、私の書き込みで気を悪くされたようでしたら申し訳ありません。
私は最悪の評価をしたつもりなど全くありません。歴史を学ぶ上で注意すべき点を改めて念を押しただけにすぎません。これは一見あたりまえのようで、実際は結構難しいことですから(少なくとも私にとっては)
巫俊さんが真剣に歴史を学んでいる方だからこそ、気付いた問題点は遠慮なく率直にいうべきだと思っていましたが、間違いだったのでしょうか?
それに、ここは一対一の討論の場でなく、多くの人が見る場所。あえてあれを書くことにより、他の人にも歴史を学ぶ時の注意点として、ちょっとだけ気にしといてほしいなあという気持ちもありましたし。
巫俊さん、私の書き込みで気を悪くされたようでしたら申し訳ありません。
私は最悪の評価をしたつもりなど全くありません。歴史を学ぶ上で注意すべき点を改めて念を押しただけにすぎません。これは一見あたりまえのようで、実際は結構難しいことですから(少なくとも私にとっては)
巫俊さんが真剣に歴史を学んでいる方だからこそ、気付いた問題点は遠慮なく率直にいうべきだと思っていましたが、間違いだったのでしょうか?
それに、ここは一対一の討論の場でなく、多くの人が見る場所。あえてあれを書くことにより、他の人にも歴史を学ぶ時の注意点として、ちょっとだけ気にしといてほしいなあという気持ちもありましたし。
(PC)
>>20
>巫俊さんが真剣に歴史を学んでいる方だからこそ、気付いた問題点は遠慮なく率直にいうべきだと思っていましたが、間違いだったのでしょうか?
そういう問題ではないのです。
「巫俊さんは宋代史家の五代時代(10世紀)についての歴史的評価を例に挙げて、宋代の儒学者の朱子学的な評価の説明とされましたが、宋代に関していえば例えば公正な内容で知られる『資治通鑑』を記した司馬光のような人もおり、巫俊さんの挙げた例は少々一面的なものではないでしょうか?」
このような感じに書いて頂ければ、よろこんでレスしたのですが、そのですね、いきなりトンデモ歴史書の『神皇正統記』を例に挙げて、私の論理がそれに類するものである、とさしたる根拠なく言及されると誰だって怒ってしまいますよ?
文脈からすると赤龍さんはそこまで考えてらっしゃらないのかもしれないですが、『神皇正統記』のような天武天皇も雄略天皇も非正統の天皇とする歴史書を例に挙げて、それじゃまるで私が曲筆家のようじゃないですか?
私はここの掲示板の趣旨ように、誰にでも分かりやすい説明にしようと、あんまり複雑な説明も難なので、基礎知識がなくとも理解しやすい宰相馮道の評価を例に挙げただけなんです。
そりゃ現在の馮道の評価は現代的価値観ではありますけどね、もと京大の礪波護氏の講談社学術文庫『馮道』が私は格別に好きでしてね。
>巫俊さんが真剣に歴史を学んでいる方だからこそ、気付いた問題点は遠慮なく率直にいうべきだと思っていましたが、間違いだったのでしょうか?
そういう問題ではないのです。
「巫俊さんは宋代史家の五代時代(10世紀)についての歴史的評価を例に挙げて、宋代の儒学者の朱子学的な評価の説明とされましたが、宋代に関していえば例えば公正な内容で知られる『資治通鑑』を記した司馬光のような人もおり、巫俊さんの挙げた例は少々一面的なものではないでしょうか?」
このような感じに書いて頂ければ、よろこんでレスしたのですが、そのですね、いきなりトンデモ歴史書の『神皇正統記』を例に挙げて、私の論理がそれに類するものである、とさしたる根拠なく言及されると誰だって怒ってしまいますよ?
文脈からすると赤龍さんはそこまで考えてらっしゃらないのかもしれないですが、『神皇正統記』のような天武天皇も雄略天皇も非正統の天皇とする歴史書を例に挙げて、それじゃまるで私が曲筆家のようじゃないですか?
私はここの掲示板の趣旨ように、誰にでも分かりやすい説明にしようと、あんまり複雑な説明も難なので、基礎知識がなくとも理解しやすい宰相馮道の評価を例に挙げただけなんです。
そりゃ現在の馮道の評価は現代的価値観ではありますけどね、もと京大の礪波護氏の講談社学術文庫『馮道』が私は格別に好きでしてね。
(PC)
ついでに馮道とは、五代十国時代(10世紀)の後唐から後周にかけての歴代王朝に仕えた宰相で、温厚篤実な人として知られ、諸葛亮が大好きだったという春秋時代の晏子(あんし)に類する人です。
馮道の評価を例に挙げたせいで、宋代の儒学者の歴史理解はトンデモだと、私が考えているように誤解されたようですが、
あと『資治通鑑』についてですが、司馬光自身が魏を正統王朝と位置付けていた訳ではなくて、歴史書のスタイルとして魏の年号で統一して記述する便宜上の必要があったからのはずです。司馬光自身の蜀正統論者からのクレーム防止策なんでしょう。
馮道の評価を例に挙げたせいで、宋代の儒学者の歴史理解はトンデモだと、私が考えているように誤解されたようですが、
あと『資治通鑑』についてですが、司馬光自身が魏を正統王朝と位置付けていた訳ではなくて、歴史書のスタイルとして魏の年号で統一して記述する便宜上の必要があったからのはずです。司馬光自身の蜀正統論者からのクレーム防止策なんでしょう。
(PC)
と書いてみましたが、私は赤龍さんと口論したい訳じゃないんです。
矛をおさめる機会を探っていたんですが、とにかく私の態度にも落ち度があります。
すいませんでした。今度はもう少しお手柔らかにお願いします(^^;
私の方も今まで以上に言動には配慮を忘れないように努力しますので。
私も赤龍さんが東洋史を専攻されている方だと、(元歎さんから)聞き及んでおりましたもので、ちょっと学問対象を同じくしていることに甘えてしまったようですね。
以後このようなことのないようにしたいので、どうかご寛恕を。
矛をおさめる機会を探っていたんですが、とにかく私の態度にも落ち度があります。
すいませんでした。今度はもう少しお手柔らかにお願いします(^^;
私の方も今まで以上に言動には配慮を忘れないように努力しますので。
私も赤龍さんが東洋史を専攻されている方だと、(元歎さんから)聞き及んでおりましたもので、ちょっと学問対象を同じくしていることに甘えてしまったようですね。
以後このようなことのないようにしたいので、どうかご寛恕を。
(PC)
>>19
僕自身はsage進行にする必要は無いと考えますが‥‥‥(汗)
>>21-22
スレッドの趣旨から少し外れ始めていますよ。
このスレッドでは、これから歴史を専門的に学ぼうという学生達に、研究の為の姿勢を示してあげて下さいね。又「トンデモ」の様な一般的では無い言葉は、なるべく避け、やむを得ず使用する際は定義を説明をして下さい。
それと、>>18の様な書き方は端から見ていて感心できませんよ。
結局するところ赤龍さんの主張は
「彼らは単純な歴史への興味や、事実の探求のみで歴史を学び、記していたわけではありません。時として、自分の信じる思想・理念を表し、証明するための手段として歴史が用いられたということです(中略)実際は儒者であり且つ史家であるというのもごく普通のことです(中略)宋代史家に限定せずかつての史家の場合は、常識というよりも、より強烈に自らの信じる(かくあるべきという)思想、価値観で歴史を記してきたことも多々あったと。だからって、我々までもがそうした見方で歴史を見ても、また偏った見方しかできなくなるわけです」
という部分が本論である様に思います。
「当時の人の考え方を理解する」
という考え方ならば僕にも理解できますが、>>>174-52にある様に
「当時の人の考え方にしたがってみる」
とするのは、どうなのかなぁと、疑問符を打ってしまいます。
僕自身はsage進行にする必要は無いと考えますが‥‥‥(汗)
>>21-22
スレッドの趣旨から少し外れ始めていますよ。
このスレッドでは、これから歴史を専門的に学ぼうという学生達に、研究の為の姿勢を示してあげて下さいね。又「トンデモ」の様な一般的では無い言葉は、なるべく避け、やむを得ず使用する際は定義を説明をして下さい。
それと、>>18の様な書き方は端から見ていて感心できませんよ。
結局するところ赤龍さんの主張は
「彼らは単純な歴史への興味や、事実の探求のみで歴史を学び、記していたわけではありません。時として、自分の信じる思想・理念を表し、証明するための手段として歴史が用いられたということです(中略)実際は儒者であり且つ史家であるというのもごく普通のことです(中略)宋代史家に限定せずかつての史家の場合は、常識というよりも、より強烈に自らの信じる(かくあるべきという)思想、価値観で歴史を記してきたことも多々あったと。だからって、我々までもがそうした見方で歴史を見ても、また偏った見方しかできなくなるわけです」
という部分が本論である様に思います。
「当時の人の考え方を理解する」
という考え方ならば僕にも理解できますが、>>>174-52にある様に
「当時の人の考え方にしたがってみる」
とするのは、どうなのかなぁと、疑問符を打ってしまいます。
(PC)
しまった・・・・ごめんなさい、上げてしまいました。
え〜とですね、赤龍さんが私の>>>174-46を底辺にして論を進めていかれるものですから、戸惑ってあんな反応をしたのですけれども、赤龍さんの手法はおおむね私も同意するものなんです。
ただ、これを厳格にあてはめますと、多くの研究者が歴史家失格になると思いますけど。
え〜とですね、赤龍さんが私の>>>174-46を底辺にして論を進めていかれるものですから、戸惑ってあんな反応をしたのですけれども、赤龍さんの手法はおおむね私も同意するものなんです。
ただ、これを厳格にあてはめますと、多くの研究者が歴史家失格になると思いますけど。
(PC)
>>25
いや、やはりsageでお願いします。
正直、何を話されてるのかさっぱり。。。
今この話題を話されてるお三方の様に(スト氏含むw)中国の歴史に対して、本格的に学ぼうとする人が、大勢を占めているとは思えません。
大半の人が、あくまでも娯楽としての三国志に興味があり、それに詳しい皆さんの話の中から自分の知らない世界を見つけることに討論場の楽しさを見つけているのだと思います。
簡単に言えば…
難しすごて、何を話しているのか、さっぱり…(笑)
あと、一つ言わせてもらいますが…
学問の考え方に対する個々の考え方に正解はあるのかな?(汗)
赤龍サンも巫俊サンも凄い知識と向上心があるので、お二人とも素晴らしい姿勢なんじゃないですか?
詳しい事は良く分かりませんが、何だか雲を掴む様な話題の様な気がします。
いや、やはりsageでお願いします。
正直、何を話されてるのかさっぱり。。。
今この話題を話されてるお三方の様に(スト氏含むw)中国の歴史に対して、本格的に学ぼうとする人が、大勢を占めているとは思えません。
大半の人が、あくまでも娯楽としての三国志に興味があり、それに詳しい皆さんの話の中から自分の知らない世界を見つけることに討論場の楽しさを見つけているのだと思います。
簡単に言えば…
難しすごて、何を話しているのか、さっぱり…(笑)
あと、一つ言わせてもらいますが…
学問の考え方に対する個々の考え方に正解はあるのかな?(汗)
赤龍サンも巫俊サンも凄い知識と向上心があるので、お二人とも素晴らしい姿勢なんじゃないですか?
詳しい事は良く分かりませんが、何だか雲を掴む様な話題の様な気がします。
(PC)
30 巫俊(ふしゅん)
>>28
>中国の歴史に対して、本格的に学ぼうとする人が、大勢を占めているとは思えません。
私も同意です。
>>15に従って、こちらのスレの移行してきましたが、私は>>25の「本論」について議論することを目的にしてるんじゃないんですよ。
>>>174-48の誤解解消につとめたいだけなのです。
>中国の歴史に対して、本格的に学ぼうとする人が、大勢を占めているとは思えません。
私も同意です。
>>15に従って、こちらのスレの移行してきましたが、私は>>25の「本論」について議論することを目的にしてるんじゃないんですよ。
>>>174-48の誤解解消につとめたいだけなのです。
(PC)
ごめんなさい、うっかり投稿ボタンを押して、また「上げ」をやらかしてしまいました(汗)
>>28
>難しすごて、何を話しているのか、さっぱり…(笑)
固有名詞をいっぱい羅列してまいましたからね。。
とにかく三国志の掲示板で宋代の話をすることからして書きにくいことですし、私は狄仁傑さんの>>>174-44へのお応えとして自分をセーブして書いてるんです。
ストラップさんへのレスの>>26にしても、>>>174-53にしても、自己の史観を書くことは目的ではありませんので、最低限にとどめているんです。
それが余計な誤解をつくったんですが(^^;
>>25
>>18の書き方については、何回でも謝ります。
ごめんなさい。あのときはあれで限界でした。
誤解がそのままにされたまま赤龍さんの考察が進むものですから、赤龍さんの考察が素晴らしいものだと分かっていても、私は素直に意見を述べることができなかったんですよ。
一般的では無い言葉の件は了解しました。
>>28
>難しすごて、何を話しているのか、さっぱり…(笑)
固有名詞をいっぱい羅列してまいましたからね。。
とにかく三国志の掲示板で宋代の話をすることからして書きにくいことですし、私は狄仁傑さんの>>>174-44へのお応えとして自分をセーブして書いてるんです。
ストラップさんへのレスの>>26にしても、>>>174-53にしても、自己の史観を書くことは目的ではありませんので、最低限にとどめているんです。
それが余計な誤解をつくったんですが(^^;
>>25
>>18の書き方については、何回でも謝ります。
ごめんなさい。あのときはあれで限界でした。
誤解がそのままにされたまま赤龍さんの考察が進むものですから、赤龍さんの考察が素晴らしいものだと分かっていても、私は素直に意見を述べることができなかったんですよ。
一般的では無い言葉の件は了解しました。
(PC)
32 ドザエモン
天草さん、その他の皆々様、はじめましてドザエモンと申します。
私みたいな低学歴のにわか三国志ファンが意見をして申し訳ないのですが、結局は正史や演義やその他の資料にしても作者の思想や環境によって事実とのくいちがいって多分にあるわけですよねぇ?だったら「ソースを出して」とか「資料に基づいて」ってゆーのもあんまり意味ないっすよねぇー
つきつめるとタイムマシンが必要になるような気がするのはボクだけでしょうか?
もっとボクみたいな資料もマンガしかないような低レベルの人間にも分かりやすく敷居を下げて自由闊達な感じでお願いしたいのですが…
私みたいな低学歴のにわか三国志ファンが意見をして申し訳ないのですが、結局は正史や演義やその他の資料にしても作者の思想や環境によって事実とのくいちがいって多分にあるわけですよねぇ?だったら「ソースを出して」とか「資料に基づいて」ってゆーのもあんまり意味ないっすよねぇー
つきつめるとタイムマシンが必要になるような気がするのはボクだけでしょうか?
もっとボクみたいな資料もマンガしかないような低レベルの人間にも分かりやすく敷居を下げて自由闊達な感じでお願いしたいのですが…
(SH700i/FOMA)
>>21
私の拙い文章のせいで、またとんでもない勘違いをさせてしまっているようです。
>>>174-48で『大日本史』『神皇正統記』を例にあげたのは、そのすぐ上の文、個人で書かれた史書でも自分の思想を表す場として歴史を用いることや、儒家と史家は完全な別分野でないというような説明を、中国史に詳しくない人でもつかみやすいように、日本の有名な例をあげてわかりやすくしようとしたものです。これらを知らない人にはさらにわかんない例でしたが……。
これは、直接朱家さんや巫俊さんに対してのものではありません。他の色々な人が見ることを念頭に置いた上で一例をあげたのです。
蛇足の注釈として、
『神皇正統記』:北畠親房が南朝の正統性を当時の人々に主張するため、個人的に執筆。
『大日本史』:編纂の中心的人物安積澹泊らは儒家であり歴史家だった。
てな例として。ちなみに『神皇正統記』を「トンデモ歴史書」とするのも、なんだかなあと。さらに話がずれるのでどうでもいいことですが。
私の拙い文章のせいで、またとんでもない勘違いをさせてしまっているようです。
>>>174-48で『大日本史』『神皇正統記』を例にあげたのは、そのすぐ上の文、個人で書かれた史書でも自分の思想を表す場として歴史を用いることや、儒家と史家は完全な別分野でないというような説明を、中国史に詳しくない人でもつかみやすいように、日本の有名な例をあげてわかりやすくしようとしたものです。これらを知らない人にはさらにわかんない例でしたが……。
これは、直接朱家さんや巫俊さんに対してのものではありません。他の色々な人が見ることを念頭に置いた上で一例をあげたのです。
蛇足の注釈として、
『神皇正統記』:北畠親房が南朝の正統性を当時の人々に主張するため、個人的に執筆。
『大日本史』:編纂の中心的人物安積澹泊らは儒家であり歴史家だった。
てな例として。ちなみに『神皇正統記』を「トンデモ歴史書」とするのも、なんだかなあと。さらに話がずれるのでどうでもいいことですが。
(PC)
>>32
ドザエモンさん、はじめまして。
ここでは、この討論場全般のルールとか話しているわけじゃなく、歴史をより専門に学びたい人が、どうやって歴史を学ぶか?というような話をしているスレです。
たしかにこのスレは、やや(かなり?)脱線気味だったり、話の内容が固かったりしますが、ある意味そんな小難しい話を隔離してるスレ。
他のスレ全般では、ここの話はあまり気にせず、自由闊達なご意見で全く問題ないと思いますよ。
ドザエモンさん、はじめまして。
ここでは、この討論場全般のルールとか話しているわけじゃなく、歴史をより専門に学びたい人が、どうやって歴史を学ぶか?というような話をしているスレです。
たしかにこのスレは、やや(かなり?)脱線気味だったり、話の内容が固かったりしますが、ある意味そんな小難しい話を隔離してるスレ。
他のスレ全般では、ここの話はあまり気にせず、自由闊達なご意見で全く問題ないと思いますよ。
(PC)
35 削除済
>>32
ドザエモンさん、はじめまして。
学歴の低さでは負けませんよ(笑)でも社会人としての経験なら誰にも負けませんからw、ここでは学歴は余り関係ありませんよ。
しかし、ソース・出典の提示の重要性は心得ていただきたいです。
この討論場で、出典を提示している方に対して、
「なぜ正史が絶対正しいんですか?」
という反論を許しては、
例えるなら、社会の授業で先生に
「なぜ教科書が正しいといえるんですか?」
と言っているのと同じです。
つまり…記述が絶対ではないのを念頭に置きながらも、推測だけでは正解が見えないから、明確な形を示しましょう…ということなのです。
しかし、推測というのは歴史にとっては大事な事だと言うのは、みんな心得ているものだと思いますよ。
ドザエモンさん、はじめまして。
学歴の低さでは負けませんよ(笑)でも社会人としての経験なら誰にも負けませんからw、ここでは学歴は余り関係ありませんよ。
しかし、ソース・出典の提示の重要性は心得ていただきたいです。
この討論場で、出典を提示している方に対して、
「なぜ正史が絶対正しいんですか?」
という反論を許しては、
例えるなら、社会の授業で先生に
「なぜ教科書が正しいといえるんですか?」
と言っているのと同じです。
つまり…記述が絶対ではないのを念頭に置きながらも、推測だけでは正解が見えないから、明確な形を示しましょう…ということなのです。
しかし、推測というのは歴史にとっては大事な事だと言うのは、みんな心得ているものだと思いますよ。
(PC)
37 巫俊(ふしゅん)
>>>18
から漢文の学習やその他中国史の基礎知識についての会話群の移行です。
ジョージさん、はじめまして。
漢文を習うといいますと、高校の漢文の授業が一般的とは思いますが、
参考にする書籍も沢山出ていますので、教養として習熟しようとする人も沢山います。
基礎的な漢文の知識については、手探りに新書から当たってみるといいかもしれません。
なるべく、分かりやすくページ数も多くないようなものから、効率的に採取していかれるといいでしょう。
ひとつ注記しておきますが、世の中には「漢文が好き」という人がいて、歴史そのものよりは古典に親しむ時間が好きという人がいます。
ジョージさんの目的は三国志の解析をしたいということでしょうか?
「漢文を読む能力」と「漢文が好き」ということはまた別のことかもしれません。
つまり、実技的なことを重視されるなら、漢文訓読のイロハを書いた冊子を用意して、漢和辞典とともに机に置き、三国志の漢文を読んでいくということが、一番はやく、変なところで躓(つまづ)かないと思います。
それには三国志の訳などを参照なさる必要がありますが、PCのインターネット機能が常備されていますと、あるサイトで三国志の原文が自由に閲覧できますし、三国志の訳も幾つか訳されてるサイトがありますから、少し早道になると思います。
一番多い例として、近所の図書館にはちくま三国志がないという事例ですね、、、
から漢文の学習やその他中国史の基礎知識についての会話群の移行です。
ジョージさん、はじめまして。
漢文を習うといいますと、高校の漢文の授業が一般的とは思いますが、
参考にする書籍も沢山出ていますので、教養として習熟しようとする人も沢山います。
基礎的な漢文の知識については、手探りに新書から当たってみるといいかもしれません。
なるべく、分かりやすくページ数も多くないようなものから、効率的に採取していかれるといいでしょう。
ひとつ注記しておきますが、世の中には「漢文が好き」という人がいて、歴史そのものよりは古典に親しむ時間が好きという人がいます。
ジョージさんの目的は三国志の解析をしたいということでしょうか?
「漢文を読む能力」と「漢文が好き」ということはまた別のことかもしれません。
つまり、実技的なことを重視されるなら、漢文訓読のイロハを書いた冊子を用意して、漢和辞典とともに机に置き、三国志の漢文を読んでいくということが、一番はやく、変なところで躓(つまづ)かないと思います。
それには三国志の訳などを参照なさる必要がありますが、PCのインターネット機能が常備されていますと、あるサイトで三国志の原文が自由に閲覧できますし、三国志の訳も幾つか訳されてるサイトがありますから、少し早道になると思います。
一番多い例として、近所の図書館にはちくま三国志がないという事例ですね、、、
(PC)
間違えて途中で投稿してしまいました(´・ω・`)自分は文学専門なので他の時代は詳しくありませんが、断代史とで歴史を考えるより通史として見るほうが好きなので…
(P900iV/FOMA)
>>39-40
はじめまして。
申し訳ありませんが、ここは三国志の掲示板です。
話題の流れで語る事はありますが、基本的には三国志の話をする場所です。
中国史なら
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=china2006
までお回り下さい。
それと、スレ違いですよ(汗)挨拶等は
http://z-z.jp/bbs.cgi?id=3594&p3=
でお願いします。
レスポンス不要。
はじめまして。
申し訳ありませんが、ここは三国志の掲示板です。
話題の流れで語る事はありますが、基本的には三国志の話をする場所です。
中国史なら
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=china2006
までお回り下さい。
それと、スレ違いですよ(汗)挨拶等は
http://z-z.jp/bbs.cgi?id=3594&p3=
でお願いします。
レスポンス不要。
(PC)
42 巫俊(ふしゅん)
>>40
クラミティさんはじめまして。
中国史討論場の方に「中国文学について」というスレッドを立てておきました。
そちらの方は雑談も自在なので、お気軽にお越しください。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=china2006
断代史や通史のことも、質問を受けましたらお応えいたします。
クラミティさんはじめまして。
中国史討論場の方に「中国文学について」というスレッドを立てておきました。
そちらの方は雑談も自在なので、お気軽にお越しください。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=china2006
断代史や通史のことも、質問を受けましたらお応えいたします。
(PC)
43 ジョージ
ふしゅんさんお返事有難うゴザイマス。
返事遅れて申し訳ございません。
私は今でも訓読とか言われてもワケワカメ状態です。
漢文が好きになるかどうかはこれから次第ですが、とにかく読めるようになりたいのです。
英語に関してはそこそこの自信があるのですが、英語と同じように単語覚えて、文法やって構文、イディオム等、やっていく事になるのでしょうか?
漢文に関してはまったく無知なもので参考書等の善悪もさっぱり判定不可能です。
どうかもう少しお話を聞かせてもらえないでしょうか?
返事遅れて申し訳ございません。
私は今でも訓読とか言われてもワケワカメ状態です。
漢文が好きになるかどうかはこれから次第ですが、とにかく読めるようになりたいのです。
英語に関してはそこそこの自信があるのですが、英語と同じように単語覚えて、文法やって構文、イディオム等、やっていく事になるのでしょうか?
漢文に関してはまったく無知なもので参考書等の善悪もさっぱり判定不可能です。
どうかもう少しお話を聞かせてもらえないでしょうか?
(J-N51)
44 巫俊(ふしゅん)
はて・・・
巫俊はどうやって漢文の文法などを覚えていったのか、全く忘却してますが(笑)
英語みたいに、膨大な暗記をしたりSVOの文法をマスターするということは、最初からは問われないと思います。
英語の学習は「This is a pen.」と構文をつくってくことが前提ですが、
漢文は、はやい話が下の一文(三国志の冒頭)を見てスラスラと読めればOKであまり考えることはないんです。
太 祖 武 皇 帝 , 沛 國 ショウ 人 也 , 姓 曹 , 諱 操 , 字 孟 徳 , 漢 相 國 参 之 後 .
太祖孝武帝は、沛國ショウの人なり。姓は曹、諱は、操字は孟徳、 漢の相國の参の後。
そうは言ったものの、文法を即覚えろとは言わないものの、書き下しのルールがあるんです。
漢の相國の参の後。
これは「前漢の相国(宰相)の曹参の後裔である。」という意味ですが、
相国や参といった言葉の意味が分かっていないと、
「おとこ国をたすけ後に参る。」とか全く別な読み方をしてしまうからもしれません(笑)
「也」という言葉は「なり」と読み下され、現代日本語訳をする際には、「である」と訳することになります。
太祖孝武帝は沛國ショウの人である。姓は曹で諱は操といい字は孟徳といって、 漢の相國の曹参の後裔である。
という風に現代日本語訳をするときは、適宜意味の分かるように補っていく必要があります。
巫俊はどうやって漢文の文法などを覚えていったのか、全く忘却してますが(笑)
英語みたいに、膨大な暗記をしたりSVOの文法をマスターするということは、最初からは問われないと思います。
英語の学習は「This is a pen.」と構文をつくってくことが前提ですが、
漢文は、はやい話が下の一文(三国志の冒頭)を見てスラスラと読めればOKであまり考えることはないんです。
太 祖 武 皇 帝 , 沛 國 ショウ 人 也 , 姓 曹 , 諱 操 , 字 孟 徳 , 漢 相 國 参 之 後 .
太祖孝武帝は、沛國ショウの人なり。姓は曹、諱は、操字は孟徳、 漢の相國の参の後。
そうは言ったものの、文法を即覚えろとは言わないものの、書き下しのルールがあるんです。
漢の相國の参の後。
これは「前漢の相国(宰相)の曹参の後裔である。」という意味ですが、
相国や参といった言葉の意味が分かっていないと、
「おとこ国をたすけ後に参る。」とか全く別な読み方をしてしまうからもしれません(笑)
「也」という言葉は「なり」と読み下され、現代日本語訳をする際には、「である」と訳することになります。
太祖孝武帝は沛國ショウの人である。姓は曹で諱は操といい字は孟徳といって、 漢の相國の曹参の後裔である。
という風に現代日本語訳をするときは、適宜意味の分かるように補っていく必要があります。
(PC)
45 巫俊(ふしゅん)
句読点ミス(笑)
○ 太祖孝武帝は、沛國ショウの人なり。姓は曹、諱は操、字は孟徳、 漢の相國の参の後。
とにかく実践あるのみです♪
ただし、「未」という字は「いまだ何何せず」と読むことがありますし、「宜」という字は「よろしく何何すべし」と読むことがあります。
この特殊な読み方をする字は「助字」と読みまして、沢山種類がありますので、これから覚えていきましょう。
○ 太祖孝武帝は、沛國ショウの人なり。姓は曹、諱は操、字は孟徳、 漢の相國の参の後。
とにかく実践あるのみです♪
ただし、「未」という字は「いまだ何何せず」と読むことがありますし、「宜」という字は「よろしく何何すべし」と読むことがあります。
この特殊な読み方をする字は「助字」と読みまして、沢山種類がありますので、これから覚えていきましょう。
(PC)
46 赤龍
ジョージさん、お久しぶりです。あくまで私の場合なんで参考になんないかもしれませんが。
私の場合、今だに細かい文法についてはさっぱり理解してません(笑)それでもまあ、文章の大意をおさえるくらいはなんとかなったりします。
つまり、最低限の漢文の読み方さえおさえておけば、あとは馴れでなんとか。逆に言えば、最低限の文法などの知識だけはやはり学んでおきたいとこ。
というわけで、高校生用のものくらいで十分なんで、一冊漢文の参考書みたいなものは持っておくといいと思います。何がいいかはちょっと分かんないですが、例文が豊富にあるものが、漢文に慣れることができていいんじゃないでしょうか。色々読んで、慣れていけば、結構雰囲気で読めるようになったりします。
私の場合、今だに細かい文法についてはさっぱり理解してません(笑)それでもまあ、文章の大意をおさえるくらいはなんとかなったりします。
つまり、最低限の漢文の読み方さえおさえておけば、あとは馴れでなんとか。逆に言えば、最低限の文法などの知識だけはやはり学んでおきたいとこ。
というわけで、高校生用のものくらいで十分なんで、一冊漢文の参考書みたいなものは持っておくといいと思います。何がいいかはちょっと分かんないですが、例文が豊富にあるものが、漢文に慣れることができていいんじゃないでしょうか。色々読んで、慣れていけば、結構雰囲気で読めるようになったりします。
(PC)
47 赤龍
ということで、この段階で色々悩んでもしかたないので、まずは簡単なものでいいので、何か漢文の参考書的なものを手に入れ、実際にどんな雰囲気なのか触れてみるのが一番だと思います。とにかく、漢文の雰囲気に慣れるのが一番だと思います。
(PC)
49 ジョージ
赤龍さん、ふしゅんさん。ご意見ありがとうございます。
お二人の意見を参考にして、とりあえず、漢文の入門らしき参考書(ドリル?)のようなものを買ってきました。
これにしばらくとりくんで様子をみてみたいと思います。
また何か疑問が発生したら質問させていただきます。
それでは、有難うございました。
お二人の意見を参考にして、とりあえず、漢文の入門らしき参考書(ドリル?)のようなものを買ってきました。
これにしばらくとりくんで様子をみてみたいと思います。
また何か疑問が発生したら質問させていただきます。
それでは、有難うございました。
(J-N51)
52 朱家
>>>368-60
軍人、士大夫からでは、魯粛や黄蓋のように、家柄に辿り着くのは無理って事?
つまり、考察の方法が間違ってると言いたいのでしょうか?
しかし、これも可能性が高いか、低いかの議論だと思いますし、別の考察方法を示してる訳でもないですよね。
私も興味があるので、よろしくお願いします。
軍人、士大夫からでは、魯粛や黄蓋のように、家柄に辿り着くのは無理って事?
つまり、考察の方法が間違ってると言いたいのでしょうか?
しかし、これも可能性が高いか、低いかの議論だと思いますし、別の考察方法を示してる訳でもないですよね。
私も興味があるので、よろしくお願いします。
(PC)
53 ストラップ
面白い記事を読んだので、こちらに紹介しておきます。
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_9b08.html
同じ事が三国志ファンと三国志研究者にも言えると思うので。
http://tosa-toad.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_9b08.html
同じ事が三国志ファンと三国志研究者にも言えると思うので。
(PC)
54 ストラップ
(PC)
55 巫俊(ふしゅん)
三国時代の研究といっても、大学で三国時代を専攻して要職に就いている人は数少ないです。
確かに日本の中国史研究では三国時代を軽視してきました。
それは三国時代だけを軽視していたからというよりは、すべての時代の隅々の分野にまで人員を割く余裕に乏しく未開発の分野だったからと私は考えています。
確かに日本の中国史研究では三国時代を軽視してきました。
それは三国時代だけを軽視していたからというよりは、すべての時代の隅々の分野にまで人員を割く余裕に乏しく未開発の分野だったからと私は考えています。
(PC)
56 飛燕
「ファン系研究者」って完全僕のことですね。
これから史学の道に進もうというのに、進路を色々考えて気付いたことは、僕は歴史全般に興味を持っていないこと。あくまで自分の興味があるところだけが好き。
友達から、そんなことないでしょ、と励まされたりしましたが、そんな友達と僕との違いは一目瞭然。
そういえば、千葉大のオープンキャンパスで
「私たちの大学では、日本史コース、東洋史コースなどの別れはない。なぜなら、すべての歴史が繋がってることを知ってもらいたいからだ。」
と言ってました。
そのあと、〇〇大学には何々史の先生しかいない、ХХ大学には何々史の先生がいない、ということを言いはじめたので好感度が下がり、上の言葉も忘れてました。
何かお悩み相談室みたいになってしまいました。失礼します。
これから史学の道に進もうというのに、進路を色々考えて気付いたことは、僕は歴史全般に興味を持っていないこと。あくまで自分の興味があるところだけが好き。
友達から、そんなことないでしょ、と励まされたりしましたが、そんな友達と僕との違いは一目瞭然。
そういえば、千葉大のオープンキャンパスで
「私たちの大学では、日本史コース、東洋史コースなどの別れはない。なぜなら、すべての歴史が繋がってることを知ってもらいたいからだ。」
と言ってました。
そのあと、〇〇大学には何々史の先生しかいない、ХХ大学には何々史の先生がいない、ということを言いはじめたので好感度が下がり、上の言葉も忘れてました。
何かお悩み相談室みたいになってしまいました。失礼します。
(SH902iS/FOMA)
57 赤龍
>>56
そんな気にすることじゃないと思いますよ。
大学で専門に勉強する人も、最初は大抵そんなものだと思いますよ。私なんか、いまだに完全にかたよってますし(笑)
要はこれから、少しづつ色んなとこに手を伸ばしていけばいいわけで。むしろ、そういう事を心にとめているだけでも立派なものだと思いますよ。
あえていえば、今のうちは史学とかこだわらず、いろんな分野の本を読んでおいたほうがいいかもしれませんね。関係無いようで、そうしたものが後々大切になったりするかもしれませんよ。専門の本はそのうちいやというほど読まないといけなくなりますし(笑)
そんな気にすることじゃないと思いますよ。
大学で専門に勉強する人も、最初は大抵そんなものだと思いますよ。私なんか、いまだに完全にかたよってますし(笑)
要はこれから、少しづつ色んなとこに手を伸ばしていけばいいわけで。むしろ、そういう事を心にとめているだけでも立派なものだと思いますよ。
あえていえば、今のうちは史学とかこだわらず、いろんな分野の本を読んでおいたほうがいいかもしれませんね。関係無いようで、そうしたものが後々大切になったりするかもしれませんよ。専門の本はそのうちいやというほど読まないといけなくなりますし(笑)
(PC)
58 ストラップ
>>56
僕も>>57で赤龍さんが言われる様に、今の段階で気にする事では無いと思います。やりたい事が若いうちから有る事だけで素晴らしい、と。
僕は史学を専攻した学生では、全く有りませんでしたが‥‥‥どの学問でも言える普遍的な事は、より狭い分野を研究する人がいるからこそ、その分野の発展があるという事です。
狭い分野を研究する事自体が悪い事だとは思いません。
ただ、それを狭い見地でのみ研究対象とする事こそが、良くないのだと思います。
科学の世界に、お茶の水博士の様な万能の研究者はいません。
しかし優れえた科学者は、自分の専門分野のみに精通している訳では無いのです。
恐らく史学であっても、同様なのだと想像します。
>>>403などを見ていると、本邦の古代が専門の学者さんは、三国時代の研究も重ねてしているんだなぁと、改めて感じてしまいます。
僕も>>57で赤龍さんが言われる様に、今の段階で気にする事では無いと思います。やりたい事が若いうちから有る事だけで素晴らしい、と。
僕は史学を専攻した学生では、全く有りませんでしたが‥‥‥どの学問でも言える普遍的な事は、より狭い分野を研究する人がいるからこそ、その分野の発展があるという事です。
狭い分野を研究する事自体が悪い事だとは思いません。
ただ、それを狭い見地でのみ研究対象とする事こそが、良くないのだと思います。
科学の世界に、お茶の水博士の様な万能の研究者はいません。
しかし優れえた科学者は、自分の専門分野のみに精通している訳では無いのです。
恐らく史学であっても、同様なのだと想像します。
>>>403などを見ていると、本邦の古代が専門の学者さんは、三国時代の研究も重ねてしているんだなぁと、改めて感じてしまいます。
(PC)
59 ストラップ
とりあえずここで
>>>441-14
>>>441-13は、
「はっきりしている事(事実及び史実として良いと思われる事)」
と
「自説(や、可能性の一つ)」
は区別して書くべきだという意見だと思いますよ。
後者であるという事が解る様な書き方をすれば、後者を書く事自体は何等問題無いと思います。
>>>441-14
>>>441-13は、
「はっきりしている事(事実及び史実として良いと思われる事)」
と
「自説(や、可能性の一つ)」
は区別して書くべきだという意見だと思いますよ。
後者であるという事が解る様な書き方をすれば、後者を書く事自体は何等問題無いと思います。
(F2102V/FOMA)
60 巫俊(ふしゅん)
>>59
「事実及び史実として良いと思われる事」は「可能性の一つ」です。
「自説」と区別されるものは「客観的考察によって得られる最低限の前提条件」ですね。
「最低限の前提条件」を上げてくるのはいいとして、誤解がどうのとか批判の仕方がおかしいから反論しているのです。
「事実及び史実として良いと思われる事」は「可能性の一つ」です。
「自説」と区別されるものは「客観的考察によって得られる最低限の前提条件」ですね。
「最低限の前提条件」を上げてくるのはいいとして、誤解がどうのとか批判の仕方がおかしいから反論しているのです。
(PC)
61 朱家
ストラップさん補足どうもです。
『呉録』の記述と、巫俊さんの推測、史書を確認できない人では、判断が難しいと思うのです。そして>>>441-5の最後、「私の発言は、ほぼ『呉録』に記述があります」と解釈する人もいます。
巫俊さんは、これぐらいで理解できるだろうと思ってるかもしれませんが、私を含め多くの人は、それでは足りないんです。それを読む人の問題、責任としてほしくないのです。まあ、面倒だと言われるなら、仕方ないと思いますが…
『呉録』の記述と、巫俊さんの推測、史書を確認できない人では、判断が難しいと思うのです。そして>>>441-5の最後、「私の発言は、ほぼ『呉録』に記述があります」と解釈する人もいます。
巫俊さんは、これぐらいで理解できるだろうと思ってるかもしれませんが、私を含め多くの人は、それでは足りないんです。それを読む人の問題、責任としてほしくないのです。まあ、面倒だと言われるなら、仕方ないと思いますが…
(PC)
62 赤龍
発言なり、自説なりが、「誤解を生むものじゃないか?」といわれるのは、読み手側がそこに問題を感じたからそういうのであり、議論にあたって真っ当な批判と思います。
それを認めないというのは、自説に固執し、批判に対し感情的になってるだけなのではないでしょうか?
そうではないというのなら、まず相手を納得させれるだけの説明をする必要があります。
ここで大切なのは「非凡な主張には非凡な証拠が必要である」という基本的な約束事。
そして、自分の意図がうまく伝わらなかったり、間違って伝わるのを、即読み手の責任とするのは、書き手の傲慢というもの。自分の文章の責任は自分にある。これは少なくとも私自身が、自分が文章を書くにあたり、常に心にとめるべきと思っていることです。
それを認めないというのは、自説に固執し、批判に対し感情的になってるだけなのではないでしょうか?
そうではないというのなら、まず相手を納得させれるだけの説明をする必要があります。
ここで大切なのは「非凡な主張には非凡な証拠が必要である」という基本的な約束事。
そして、自分の意図がうまく伝わらなかったり、間違って伝わるのを、即読み手の責任とするのは、書き手の傲慢というもの。自分の文章の責任は自分にある。これは少なくとも私自身が、自分が文章を書くにあたり、常に心にとめるべきと思っていることです。
(PC)
64 巫俊(ふしゅん)
>ここで大切なのは「非凡な主張には非凡な証拠が必要である」という基本的な約束事。
約束してはいませんし、約束する必要すらないことです。約束してもいないことを強制するのはよくないですよ。歴史は科学ではないのですから、そもそも歴史に証拠などありはしません。
赤龍さんが常々主張されていることはあくまで客観史観の「約束事」です。客観史感とは方法であって信仰ではありません。客観的見地においてのみ機能するのであって、客観的機能の機能しない場において、主張できることではないです。
約束してはいませんし、約束する必要すらないことです。約束してもいないことを強制するのはよくないですよ。歴史は科学ではないのですから、そもそも歴史に証拠などありはしません。
赤龍さんが常々主張されていることはあくまで客観史観の「約束事」です。客観史感とは方法であって信仰ではありません。客観的見地においてのみ機能するのであって、客観的機能の機能しない場において、主張できることではないです。
(PC)
65 巫俊(ふしゅん)
誤字 ×感 〇観
>読み手側がそこに問題を感じたからそういうのであり、議論にあたって真っ当な批判と思います。
そうやって自分の行為を正当化されるのですね。客観的ではないものは排除する。場にあることすら許さないと。それを傲慢というのですよ。私が最初に高岱について書いた論説は主観的推理によって成り立っているものです。赤龍さんはそれに生理的に忌避感を覚え「誤解」だの「不適切」だのと罵ったのでしょう。違うというのですか?
>読み手側がそこに問題を感じたからそういうのであり、議論にあたって真っ当な批判と思います。
そうやって自分の行為を正当化されるのですね。客観的ではないものは排除する。場にあることすら許さないと。それを傲慢というのですよ。私が最初に高岱について書いた論説は主観的推理によって成り立っているものです。赤龍さんはそれに生理的に忌避感を覚え「誤解」だの「不適切」だのと罵ったのでしょう。違うというのですか?
(PC)
66 巫俊(ふしゅん)
>それを認めないというのは、自説に固執し、批判に対し感情的になってるだけなのではないでしょうか?
違いますね。自説に固執し感情的になっている赤龍さんに反論をしているだけです。
訳の分からない歴史観を強制するのはやめるべきです。繰り返しますが、主観的推理に対して客観史観で冷や水を浴びせることを問題にしているのです。赤龍さんが客観史観を信仰することは自由かもしれませんが、人に強制するべきではないです。
違いますね。自説に固執し感情的になっている赤龍さんに反論をしているだけです。
訳の分からない歴史観を強制するのはやめるべきです。繰り返しますが、主観的推理に対して客観史観で冷や水を浴びせることを問題にしているのです。赤龍さんが客観史観を信仰することは自由かもしれませんが、人に強制するべきではないです。
(PC)
67 巫俊(ふしゅん)
>そして、自分の意図がうまく伝わらなかったり、間違って伝わるのを、即読み手の責任とするのは、書き手の傲慢というもの。
>自分の文章の責任は自分にある。これは少なくとも私自身が、自分が文章を書くにあたり、常に心にとめるべきと思っていることです。
なるほど、だから私のことを傲慢だと言うのですか。そんな責任は無いです。読み手が書き手の意図を読み違えることは言語構造上の必然です。たしかに必然である以上は読み手は書き手に質問したり確認する権利があるでしょう。しかしその責任を書き手(自分ふくむ)に押し付けることには同意しません。文章を読む側の責任であり、読む側は書き手の意図を問い質す権利と引き換えに読む側の責任を全うすべきです。騙されるな問い質せ。
>自分の文章の責任は自分にある。これは少なくとも私自身が、自分が文章を書くにあたり、常に心にとめるべきと思っていることです。
なるほど、だから私のことを傲慢だと言うのですか。そんな責任は無いです。読み手が書き手の意図を読み違えることは言語構造上の必然です。たしかに必然である以上は読み手は書き手に質問したり確認する権利があるでしょう。しかしその責任を書き手(自分ふくむ)に押し付けることには同意しません。文章を読む側の責任であり、読む側は書き手の意図を問い質す権利と引き換えに読む側の責任を全うすべきです。騙されるな問い質せ。
(PC)
68 赤龍
これ以上巫俊さんのお考えにとやかくいうつもりはありませんが、議論の場での疑問や批判を「罵る」「強制する」「冷や水を浴びせる」などと悪意をもってしかとられてなかったのは悲しいことです。
残念ながら私には巫俊さんと討論というものはできなさそうですね。
私もこれ以上何も言うつもりはありませんので、場の雰囲気をこれ以上悪くすること無いよう、私へのレスも無用にお願いします。
残念ながら私には巫俊さんと討論というものはできなさそうですね。
私もこれ以上何も言うつもりはありませんので、場の雰囲気をこれ以上悪くすること無いよう、私へのレスも無用にお願いします。
(PC)
69 巫俊(ふしゅん)
私は議論をそんなに高尚なものだとは思っていません。平気で他者を踏みにじっておいて、そのような弁解で済まそうとするとは残念です。
ですが仕方のないことですね。赤龍さんには自身の思考大系の枠から出ることには無関係を貫かれることでしょうから。
ですが仕方のないことですね。赤龍さんには自身の思考大系の枠から出ることには無関係を貫かれることでしょうから。
(PC)
70 天草
おやおや、ストラップ先生が暴れておられるのかと思ったら(笑)普段は冷静なお二人ではないですか。。。
少し遡って書き込みを拝見させてもらいましたが、何ら揉めるような内容があったわけでもなく…単純にお二人だけの世界になってしまったから、熱くなりすぎているのではないでしょうか?
まず当館の考え方の基本的なものは一般に正史と呼ばれる「三国志」であり、大前提でこれを事実としなければ、教科書に向かって間違ってるから参考にならないと言っているようなものです。
しかし、巫俊さんの言われるとおり、それ自体を疑う事は何ら悪いわけではなく、むしろ討論場として歓迎すべき事柄でしょう。
この点でお二人の意見に間違いはありません。
残念なのは、お二人ともまずは自分の考えありきで、説き伏せようとしている点ではないでしょうか?
多くの意見は十人十色で、これは歴史のみならず社会生活において、誰かの意見に耳を傾けることは絶対必要条件です。
しかし今回の場合、何とか説き伏せよう、何とか自分の主張をしようと、そればかりが目立つように思えます。
討論場注意事項にも最も最初に…
@討論場は意見の主張の場であり、その性質上、反論・自己主張など、むしろあって然るべきと思います。
但し、ネットという文字だけの討論であること、『歴史』という正不明快な問題に対しての討論である事をよく考え、相手の意見を否定するだけではなく、尊重する事を第一として下さい。
と書いてあります。
例えば相手の言葉にアンカーを付けて言葉自体を批判したり、発言を指してそれを注意しても、感情のぶつけ合いになることは目に見えてますからね。
討論の内容自体は特別注意する必要もないほど、高度で素晴らしいものだと思いました。
相手の発言を注意する前に自分の相手の意見を尊重してみる…これは大事な事ですが非常に難しいことです。もう一度最初からスレを見直し、討論の原点に戻ってみてください。きっとお二人(+朱家さんw)の議論が素晴らしい内容だということに気付くはずです。
もっと早く私が気が付いていれば、皆さんが嫌な気分にならなくて済んだものを…(汗)ある意味私のせいで、嫌な思いをされて申し訳ありません。。。
少し遡って書き込みを拝見させてもらいましたが、何ら揉めるような内容があったわけでもなく…単純にお二人だけの世界になってしまったから、熱くなりすぎているのではないでしょうか?
まず当館の考え方の基本的なものは一般に正史と呼ばれる「三国志」であり、大前提でこれを事実としなければ、教科書に向かって間違ってるから参考にならないと言っているようなものです。
しかし、巫俊さんの言われるとおり、それ自体を疑う事は何ら悪いわけではなく、むしろ討論場として歓迎すべき事柄でしょう。
この点でお二人の意見に間違いはありません。
残念なのは、お二人ともまずは自分の考えありきで、説き伏せようとしている点ではないでしょうか?
多くの意見は十人十色で、これは歴史のみならず社会生活において、誰かの意見に耳を傾けることは絶対必要条件です。
しかし今回の場合、何とか説き伏せよう、何とか自分の主張をしようと、そればかりが目立つように思えます。
討論場注意事項にも最も最初に…
@討論場は意見の主張の場であり、その性質上、反論・自己主張など、むしろあって然るべきと思います。
但し、ネットという文字だけの討論であること、『歴史』という正不明快な問題に対しての討論である事をよく考え、相手の意見を否定するだけではなく、尊重する事を第一として下さい。
と書いてあります。
例えば相手の言葉にアンカーを付けて言葉自体を批判したり、発言を指してそれを注意しても、感情のぶつけ合いになることは目に見えてますからね。
討論の内容自体は特別注意する必要もないほど、高度で素晴らしいものだと思いました。
相手の発言を注意する前に自分の相手の意見を尊重してみる…これは大事な事ですが非常に難しいことです。もう一度最初からスレを見直し、討論の原点に戻ってみてください。きっとお二人(+朱家さんw)の議論が素晴らしい内容だということに気付くはずです。
もっと早く私が気が付いていれば、皆さんが嫌な気分にならなくて済んだものを…(汗)ある意味私のせいで、嫌な思いをされて申し訳ありません。。。
(PC)
71 赤龍
>>70
いえ、私の質問の仕方がちょっと厳しめな言いかたをとってしまったせいで、このような第三者から見ても不愉快に感じるような事態を起こしてしまい、本当に申し訳ありません。
改めてネット上での議論というものの難しさを感じました。
いえ、私の質問の仕方がちょっと厳しめな言いかたをとってしまったせいで、このような第三者から見ても不愉快に感じるような事態を起こしてしまい、本当に申し訳ありません。
改めてネット上での議論というものの難しさを感じました。
(PC)
72 元歎
僕も、天草さん同様、この討論を続けて欲しいです。僕自身が非常に興味を持っている、歴史の考え方そのものについての意見もあって、色々参考になります。
今回のような討論(論ではなく相手を批判するだけの部分は除いて)がなければ、討論場なのに質問や人物の好き嫌いだけを述べる掲示板になりそうです。
こういう討論は見ているだけでもとても楽しく、やはり続けて欲しいですね。
なんだか、僕のために続けて!みたいな内容だ^^;
今回のような討論(論ではなく相手を批判するだけの部分は除いて)がなければ、討論場なのに質問や人物の好き嫌いだけを述べる掲示板になりそうです。
こういう討論は見ているだけでもとても楽しく、やはり続けて欲しいですね。
なんだか、僕のために続けて!みたいな内容だ^^;
(PC)
73 朱家
まず、張昭スレで、高岱は対極との主張の中に、さりげなく「裏社会のボス」が組み込まれ、それに対する詳しい説明がない。まあ、当たり前ですよね、主張したい事ではないのだから。
これがもし、高岱スレなら、こんな事にはならず、スレ、レスの関係性を改めて考えさせられました。
そして、明らかなスレ違いを認識しながら発言し、混乱を招いた事をお詫びします。
この場合、スレ違いで、主張違いですから、まずは余計な事を書かず、「裏社会のボス説の詳しい説明お願いします」と書くべきだったのでしょう。
巫俊さんは、最初から肯定する気が全くなく、完全否定の立場からの発言に不快感を覚えたのかもしれません。もちろん意識した訳ではないですが、それを当たり前と思うのは、反省しなければならず、お詫びします。
これがもし、高岱スレなら、こんな事にはならず、スレ、レスの関係性を改めて考えさせられました。
そして、明らかなスレ違いを認識しながら発言し、混乱を招いた事をお詫びします。
この場合、スレ違いで、主張違いですから、まずは余計な事を書かず、「裏社会のボス説の詳しい説明お願いします」と書くべきだったのでしょう。
巫俊さんは、最初から肯定する気が全くなく、完全否定の立場からの発言に不快感を覚えたのかもしれません。もちろん意識した訳ではないですが、それを当たり前と思うのは、反省しなければならず、お詫びします。
(PC)
とりあえず場も落ち着いたようなので、誤解の無いよう>>62についての補足説明をさせて頂きます。決して巫俊さん個人への攻撃とか、特定の相手を意図したものではないので注意してください。
「非凡な主張には非凡な証拠が必要である」
約束事と書いたのが誤解を生んだようですが、ここ特定の約束ではなく、討論をする場合の基本的なルールということです。
仮に「聖徳太子宇宙人説」を主張してみましょう。個人でそう思う分には問題ありません。しかし、一般の考えから大きく外れるこの説を主張し、相手を納得させようと思えば、それだけの証拠なり、根拠とするものを挙げなければいけませんよね。
「俺が勝手にそう思っているんだからいいだろ」確かにもっとも。しかし、それを言い出したら何も反論のしようは無く、討論は成立しませんね。
「じゃあ、地球人という証拠を言ってみろ」通説・常識に反することを主張する側にまずは証明する責任があるのですから、これは責任の転嫁ですね。
実りのある討論を行なおうと思えば、こういう議論の基礎的なルールはおさえていかなければいけない。そういう意図を込めてのことでした。
「非凡な主張には非凡な証拠が必要である」
約束事と書いたのが誤解を生んだようですが、ここ特定の約束ではなく、討論をする場合の基本的なルールということです。
仮に「聖徳太子宇宙人説」を主張してみましょう。個人でそう思う分には問題ありません。しかし、一般の考えから大きく外れるこの説を主張し、相手を納得させようと思えば、それだけの証拠なり、根拠とするものを挙げなければいけませんよね。
「俺が勝手にそう思っているんだからいいだろ」確かにもっとも。しかし、それを言い出したら何も反論のしようは無く、討論は成立しませんね。
「じゃあ、地球人という証拠を言ってみろ」通説・常識に反することを主張する側にまずは証明する責任があるのですから、これは責任の転嫁ですね。
実りのある討論を行なおうと思えば、こういう議論の基礎的なルールはおさえていかなければいけない。そういう意図を込めてのことでした。
(PC)
つづいて>>62の最後の文章を書く心構え。
あくまで「私はそう心がけてる」ということですが、言い方がきつい為、確かに誤解もうけそうです。
要は、文章は読み手があってこそのもの。まずは自分の言いたいことをできる限り相手に正しく伝える必要がある。
自分の発言は、記録に残る事実か?一般的な常識か?誰かの意見の引用か?自分の意見・仮説なのか?文章を書く際には、それが相手に正しく伝わるよう留意する必要がある。
相手に自分の主張が理解されないのに腹を立てる前に、自分の文が果たして相手に理解できるのかを考える。
そういう文章の基礎の問題をいったつもりです。そして、私はここでブログの執筆陣の一人に加えてもらっている立場上、しかも極めて文章技術が未熟な為、こうした点を人一倍注意しないといけない。そうした意味もこめて書いたのですが、悪意をもった文章として理解されてしまうあたりに、改めて自分の文章の稚拙さを感じてしまいます。
あくまで「私はそう心がけてる」ということですが、言い方がきつい為、確かに誤解もうけそうです。
要は、文章は読み手があってこそのもの。まずは自分の言いたいことをできる限り相手に正しく伝える必要がある。
自分の発言は、記録に残る事実か?一般的な常識か?誰かの意見の引用か?自分の意見・仮説なのか?文章を書く際には、それが相手に正しく伝わるよう留意する必要がある。
相手に自分の主張が理解されないのに腹を立てる前に、自分の文が果たして相手に理解できるのかを考える。
そういう文章の基礎の問題をいったつもりです。そして、私はここでブログの執筆陣の一人に加えてもらっている立場上、しかも極めて文章技術が未熟な為、こうした点を人一倍注意しないといけない。そうした意味もこめて書いたのですが、悪意をもった文章として理解されてしまうあたりに、改めて自分の文章の稚拙さを感じてしまいます。
(PC)
77 巫俊(ふしゅん)
>>75についてですが、
客観思考の見地からすると「存在していないことを証明する」ことは不可能ですよ。聖徳太子が宇宙人ではないという根拠は存在しないのです。「聖徳太子は宇宙人ではない」は赤龍さんの想像でしかないことへの配慮が欠けています。
客観思考の見地からすると「存在していないことを証明する」ことは不可能ですよ。聖徳太子が宇宙人ではないという根拠は存在しないのです。「聖徳太子は宇宙人ではない」は赤龍さんの想像でしかないことへの配慮が欠けています。
(PC)
78 巫俊(ふしゅん)
つまり、「客観」ではなくて「常識」が聖徳太子は宇宙人ではないと訴えているのですね。聖徳太子が宇宙人だという根拠もまたあるわけではないですが、肯定するにしても否定するにしても客観性が保たれていない以上は、「常識」によって相手の意見を封殺していることに他なりません。「通説・常識に反することを主張する側にまずは証明する責任がある」は嘘です。通説・常識に反している多くの意見は掲示板に書くことすらできなくなります。「主張してもいいが、客観思考的な裏付けは無く、一定の可能性を喚起するに止まる」が私の答えです。
(PC)
79 赤龍
どうも私の説明が悪いせいで、またいらない混乱が起きたみたいですね。
「主張」という言い方が悪かったみたいです。正しくは「討論の場で主張し、相手に納得させる」ということでしょうか。
確かにただ主張するなら自由ですからね。
討論のやり方を話すという前提のつもりで書いてましたので。こういう、自分の中だけで理解してて、読み手に誤解を生む書き方をしたのは書き手の責任というのが>>76での問題ですね。
ちなみに「宇宙人」というのも、正しくは「地球外生命」の意。要はあのたけしの番組で大槻教授等とオカルト関係者がやってるような、かみあわない超常現象の議論を思い出してもらえばいいかと(笑)説明責任の放棄やら転嫁のいい例が。大晦日にあんなのまっとうな人は見ないか…。
「主張」という言い方が悪かったみたいです。正しくは「討論の場で主張し、相手に納得させる」ということでしょうか。
確かにただ主張するなら自由ですからね。
討論のやり方を話すという前提のつもりで書いてましたので。こういう、自分の中だけで理解してて、読み手に誤解を生む書き方をしたのは書き手の責任というのが>>76での問題ですね。
ちなみに「宇宙人」というのも、正しくは「地球外生命」の意。要はあのたけしの番組で大槻教授等とオカルト関係者がやってるような、かみあわない超常現象の議論を思い出してもらえばいいかと(笑)説明責任の放棄やら転嫁のいい例が。大晦日にあんなのまっとうな人は見ないか…。
(PC)
80 巫俊(ふしゅん)
いらない混乱ではないですよ、大事なことです。赤龍さんは討論の場であるのだから「相手を納得させる」ことを主眼として議論を進めるべきと考えているのかもしれませんが、そもそもそこの時点で私の意見は異なるのです。
(PC)
81 赤龍
>>77
「聖徳太子は宇宙人(地球外生命)ではない」を証明しろ。そりゃ無茶ですよね。そのつもりで書いたのですから(苦笑)
だから「聖徳太子宇宙人説」を主張する側が、否定側にそういう反論をするのは無茶で筋違いという意味で書いたのですから。宇宙人だと主張する側が、まず根拠をあげ、それに対する疑問に答え、納得させる必要があると。
こんなことうだうだ書いてると、討論の敷居が高いように見えて参加に躊躇してしまう方がいそうで申し訳ない話ですが、実はとても簡単で当たり前の話ですからご安心を。
ということで巫俊さんもこの話題はいい加減ここらでやめるべきと思いません?
「聖徳太子は宇宙人(地球外生命)ではない」を証明しろ。そりゃ無茶ですよね。そのつもりで書いたのですから(苦笑)
だから「聖徳太子宇宙人説」を主張する側が、否定側にそういう反論をするのは無茶で筋違いという意味で書いたのですから。宇宙人だと主張する側が、まず根拠をあげ、それに対する疑問に答え、納得させる必要があると。
こんなことうだうだ書いてると、討論の敷居が高いように見えて参加に躊躇してしまう方がいそうで申し訳ない話ですが、実はとても簡単で当たり前の話ですからご安心を。
ということで巫俊さんもこの話題はいい加減ここらでやめるべきと思いません?
(PC)
82 巫俊(ふしゅん)
これが「聖徳太子は地球外生命」ではなくて、身近な三国志の話題であっても同じことを主張していませんか?私の言っているのは議論の方法というよりは、議論の在り方です。確かに議論の方法としては有効かもしれませんが、議論の在り方はもっと多元的であるべきです。そして「筋違い」などではないです。常識に反している意見を主張できない掲示板にしてはいけません。常識が支配する掲示板に私は魅力を感じませんから。
(PC)
83 巫俊(ふしゅん)
たけしの番組に出てくるオカルト関係者は大槻教授を打ち負かす論拠こそ持ち合わせていませんが、宇宙人が存在する可能性を喚起することについては間違ってはいないのですよ。三国志についても、打ち負かすような論拠はなくとも可能性を見せて可能性の幅の広さを示すことを遮ってはいけないはずです。
(PC)
85 赤龍
だから、常識に反したことを主張するななんて意味で言ってるんではないんですが…。なんでそういう結論にもっていかれてしまうんでしょうねえ…。どうも巫俊さんには、私は常に常識に縛られ、それに反することは認めない人と勝手に決めつけられてるようで困っているのですが。
「聖徳太子宇宙人説」も、例としてわかりがいいよう、あえて極端な例を挙げただけで、むしろ三国志の話題にもあてはめて欲しくて書いたのですが。
そして、議論の方法を考え、活性化させる一助として書いたのであり、全員すべての書き込みをこのやり方に従えなんて言っていません。
どうも私の書き込みを、悪意を込めてマイナスの方向にのみ理解されているようで、正直非常に疲れるのですが。巫俊さんに悪意を込めた理解をされ、読み手の誤解を解くため説明をし、それがまた…、の繰り返し。
私は巫俊さん個人への攻撃のために書いているのではないと言ったはずですよ。
「聖徳太子宇宙人説」も、例としてわかりがいいよう、あえて極端な例を挙げただけで、むしろ三国志の話題にもあてはめて欲しくて書いたのですが。
そして、議論の方法を考え、活性化させる一助として書いたのであり、全員すべての書き込みをこのやり方に従えなんて言っていません。
どうも私の書き込みを、悪意を込めてマイナスの方向にのみ理解されているようで、正直非常に疲れるのですが。巫俊さんに悪意を込めた理解をされ、読み手の誤解を解くため説明をし、それがまた…、の繰り返し。
私は巫俊さん個人への攻撃のために書いているのではないと言ったはずですよ。
(PC)
86 巫俊(ふしゅん)
「客観を是として常識を排し、客観だけを訂正する手段にする」方法もありますが、赤龍さんは魏延の議論のときにこの方法に留意されることはありませんでした。
「客観を是として、客観の疑わしい部分については徹底的に排斥し、主観によって論を組み立て可能性を指摘する」これが私の取る手段です。
赤龍さんは「常識を是として、客観だけを常識を訂正する手段にする」手段を固く信じて他の方法のあることを知らず、私の意見を封殺しようとなさったでしょうが。実は話し合うべき大変重要なことなのですよ。
「客観を是として、客観の疑わしい部分については徹底的に排斥し、主観によって論を組み立て可能性を指摘する」これが私の取る手段です。
赤龍さんは「常識を是として、客観だけを常識を訂正する手段にする」手段を固く信じて他の方法のあることを知らず、私の意見を封殺しようとなさったでしょうが。実は話し合うべき大変重要なことなのですよ。
(PC)
89 赤龍
また「固く信じて他の方法のあることを知らず」とか決めつけられ、また勝手に決めつけられ、納得いかないことに反論したのを「封殺」と言われる。
いい加減悪意を込めただけの理解はやめにしてもらえませんか。ほんと打ち切りで。
いい加減悪意を込めただけの理解はやめにしてもらえませんか。ほんと打ち切りで。
(PC)
92 巫俊(ふしゅん)
打ち切りということですが、元歎さんの言葉に応えて元歎さんを対象にした論を継続します。先ほど「地球外生命」の比喩が出ましたが、比喩によって言わんとしている基礎ルール自体が成り立たないもしくは欠陥があるということは先刻指摘しました。あの基礎ルールは、
B「客観を是として常識を排し、客観だけを訂正する手段にする」
C「客観を是として、客観の疑わしい部分については徹底的に排斥し、主観によって論を組み立て可能性を指摘する」
という異なるシステムと競合するか排斥します。今のところ複数のシステムの共存の仕方は議論されていません。元歎さんはBが某所の某氏が今現在これで『三国志』を解釈しているシステムであることをご存知だと思います。
A「常識を是として、客観だけを常識を訂正する手段にする」
は先刻まで討論場で主流になっていた史的システムです。これは正史三国志の「常識」を客観思考の繰り返しによって研磨することで正確さと整合性を保とうというシステムです。実はこのシステムもすぐれたところがあります。最初はいびつな常識であっても、客観基準によって研磨(再考)していくことですぐれて客観的な常識を形成することができるからです。
しかしこれにも欠点があります。常識にそぐわない意見には「不適切」のレッテルを貼っていく作業がこのAなのですから。
B「客観を是として常識を排し、客観だけを訂正する手段にする」
C「客観を是として、客観の疑わしい部分については徹底的に排斥し、主観によって論を組み立て可能性を指摘する」
という異なるシステムと競合するか排斥します。今のところ複数のシステムの共存の仕方は議論されていません。元歎さんはBが某所の某氏が今現在これで『三国志』を解釈しているシステムであることをご存知だと思います。
A「常識を是として、客観だけを常識を訂正する手段にする」
は先刻まで討論場で主流になっていた史的システムです。これは正史三国志の「常識」を客観思考の繰り返しによって研磨することで正確さと整合性を保とうというシステムです。実はこのシステムもすぐれたところがあります。最初はいびつな常識であっても、客観基準によって研磨(再考)していくことですぐれて客観的な常識を形成することができるからです。
しかしこれにも欠点があります。常識にそぐわない意見には「不適切」のレッテルを貼っていく作業がこのAなのですから。
(PC)
93 ストラップ
発端は>>59-61ですが、随分と内容が変わりましたね。まぁ>>63を心掛けて☆彡
何だか巫俊さんの主張は、「ディベートに勝つ」為の方法論の様で、研究の手法とは異なる様に感じます。
僕も>>4で書いた様に巫俊さんに近い考え方をしており、それにそういう思考方法を用いる事こそが、この分野の発展を押すのだとは思っています。しかし結局は「根拠」を示す作業こそが、推測を推論に昇華させる上で重要ですから、その証明に「今考えられている当時の常識」を当てはめる事は必要だと思っていますよ。
門外漢の僕が言うのもなんですが、歴史は巫俊さんが言われる様に、正解がはっきりしない学問ですから(であるからこそ)、定説を根拠とした確率論的手法を用いるべきなのでは無いかと考えます(確率論的手法とは皆さんご存知の様に、蓋然性を秤にかけて「もっとも確からしいものを選ぶ」やり方です)。
ですから、このやり方以外の方法で可能性の一つを示唆した場合には、それが可能性である事を(少なくともこの場では)示す必要があると思いますよ。
>>11-12の内容と重複しますが、要は「〜の可能性もあります」、「〜だと思います」の様な書き方が必要だろうと思う訳です。
何だか巫俊さんの主張は、「ディベートに勝つ」為の方法論の様で、研究の手法とは異なる様に感じます。
僕も>>4で書いた様に巫俊さんに近い考え方をしており、それにそういう思考方法を用いる事こそが、この分野の発展を押すのだとは思っています。しかし結局は「根拠」を示す作業こそが、推測を推論に昇華させる上で重要ですから、その証明に「今考えられている当時の常識」を当てはめる事は必要だと思っていますよ。
門外漢の僕が言うのもなんですが、歴史は巫俊さんが言われる様に、正解がはっきりしない学問ですから(であるからこそ)、定説を根拠とした確率論的手法を用いるべきなのでは無いかと考えます(確率論的手法とは皆さんご存知の様に、蓋然性を秤にかけて「もっとも確からしいものを選ぶ」やり方です)。
ですから、このやり方以外の方法で可能性の一つを示唆した場合には、それが可能性である事を(少なくともこの場では)示す必要があると思いますよ。
>>11-12の内容と重複しますが、要は「〜の可能性もあります」、「〜だと思います」の様な書き方が必要だろうと思う訳です。
(F2102V/FOMA)
94 巫俊(ふしゅん)
本当にそうでしょうか?私が先刻より訴えてきたことは以前と同じ結論を導くためでは無いのです。それでは体制を変化させることができません。「今考えられている当時の常識」すなわち確率論的蓋然法は致命的な欠陥を内在させています。とくに確率論的蓋然法が導き出すものも「偶発的な可能性」すなわち「ひとつの推論」を示しているのに過ぎないのに、その結論が「〜の可能性もあります」、「〜だと思います」という留意も無くまかり通っているのですよ。
(PC)
95 巫俊(ふしゅん)
私が「張昭」のスレッドにて自説に固執せし者という汚名をあえて受けて固守した物、それは「偶発的な可能性」である「ひとつの推論」に過ぎない高岱裏社会のボス説を不当な圧力から堅守する為です。従来より手厚く保護されてきた「常識」はそれ自体に著しい偏差(かたより)を有しています。実際の事実との間の距離と言い換えてみれば分かりやすいですね。以前の考え方に沿ったものであっても事実が偏向することを免れないのです。ここで特権を与えては歴史を見るレンズが曇(くも)ってしまうのですよ。今一度是非ご留意して頂きたいところです。
仮に史料の無き故に我々には知りえないと思われる真実の座標を50としますと、
Aの「常識」は1〜99までのすべての座標のうちのどこに位置しているのか、神ならぬ我々の目からは確認することができないことに気付きます。史料批判を経ているので座標50に近いと論ずる人は思っていますが、どこに位置しているか分からないのがAのシステムです。
それに対しまして、Cのシステムは座標1〜99の可能性をひとつひとつ挙げていくことで、もっと多元的で新しい見解を例示していくことが可能です。
Cは可能性を列挙しているに過ぎないという譴責を受けるならば、Bの「客観を是として常識を排し、客観だけを訂正する手段にする」システムに還ればいいのです。正確な座標は座標XからYの間にあると我々に示してくれるものがBのシステムです。BとCを交互に繰り替えせば、究極的には座標軸をすべての数字で埋めることができるはずです。
事ここに至っては、世間の常識に左右されて正確な座標の位置も覚束(おぼつか)ないAにどれほどの価値が残っているというのですか?せいぜい事実の背景を潤色する者に過ぎないのですよ。Aは背景を潤色し事実を「まだら模様」に塗りたくることで、何となくそれらしいものに権威付けを計った産物に過ぎないのです。実に危険なものでありますのに、その事態に気付いているのでしょうか?気付いておられたのであれば、早くAから特権を剥ぎ取るべきです。
仮に史料の無き故に我々には知りえないと思われる真実の座標を50としますと、
Aの「常識」は1〜99までのすべての座標のうちのどこに位置しているのか、神ならぬ我々の目からは確認することができないことに気付きます。史料批判を経ているので座標50に近いと論ずる人は思っていますが、どこに位置しているか分からないのがAのシステムです。
それに対しまして、Cのシステムは座標1〜99の可能性をひとつひとつ挙げていくことで、もっと多元的で新しい見解を例示していくことが可能です。
Cは可能性を列挙しているに過ぎないという譴責を受けるならば、Bの「客観を是として常識を排し、客観だけを訂正する手段にする」システムに還ればいいのです。正確な座標は座標XからYの間にあると我々に示してくれるものがBのシステムです。BとCを交互に繰り替えせば、究極的には座標軸をすべての数字で埋めることができるはずです。
事ここに至っては、世間の常識に左右されて正確な座標の位置も覚束(おぼつか)ないAにどれほどの価値が残っているというのですか?せいぜい事実の背景を潤色する者に過ぎないのですよ。Aは背景を潤色し事実を「まだら模様」に塗りたくることで、何となくそれらしいものに権威付けを計った産物に過ぎないのです。実に危険なものでありますのに、その事態に気付いているのでしょうか?気付いておられたのであれば、早くAから特権を剥ぎ取るべきです。
(PC)
96 ストラップ
>>95
言われる様に>>>441-4は一つの可能性を示唆した仮説です。故に、
「裏社会のボスと言っても良く〜」
の当たりの言い回しに引っ掛かる人が多かったのでは無いかと思います。
僕も同様ですし、又巫俊さんの説自体にも、支持や賛同はしません。
がしかし、この説は面白いなぁとは思います。
高岱という人について調べる良い機会でもありますし。
誰も立てないならば、今晩当たりに僕が高岱スレッドを立てます。
この問題に関してはこちらで考えてみましょう☆彡
言われる様に>>>441-4は一つの可能性を示唆した仮説です。故に、
「裏社会のボスと言っても良く〜」
の当たりの言い回しに引っ掛かる人が多かったのでは無いかと思います。
僕も同様ですし、又巫俊さんの説自体にも、支持や賛同はしません。
がしかし、この説は面白いなぁとは思います。
高岱という人について調べる良い機会でもありますし。
誰も立てないならば、今晩当たりに僕が高岱スレッドを立てます。
この問題に関してはこちらで考えてみましょう☆彡
(F2102V/FOMA)
97 巫俊(ふしゅん)
例の裏社会のボス説堅守をしたときは、あえてAとの同列化・同権化を狙ってBの副次化・矮小化を警戒する目的で、言い回しを粗雑なものにしてみましたが、読み手の便宜と例示する物の数を考えると言い回しには留意しようと考えています。
(N503i)
98 天草
おやおや、まだ続いてたんですね。
すいません。内容はもう良く分かりません(笑)
結局皆さん「自分の考え方の押し付け合い」になってますよ?
>>70はお読み下さってますか?
リアル社会においても、相手の意見を尊重しない人が、いくら発言されても説得力もなければ、聞く気にもなりませんよね?
まして文字だけの世界…正直私はほとんど読んでません(笑)
内容的には素晴らしいのに、文章の所々にテーマである「歴史を学ぶ姿勢」とは関係なく相手を非難する言葉が並んでいるのは非常に残念です。
そうなると内容云々ではなく、子供が遠くから隠れながら悪口を言い合っているようにしか見えません。
赤龍さんも巫俊さんもストラップさんも素晴らしい意見を言われているんですから、投稿する前に文章を読み返して、見ている人や返信相手が不快にならないような文章を書く事を心がけてください。
皆さんはそれくらいのことが理解できないメンバーではないと思っています。
すいません。内容はもう良く分かりません(笑)
結局皆さん「自分の考え方の押し付け合い」になってますよ?
>>70はお読み下さってますか?
リアル社会においても、相手の意見を尊重しない人が、いくら発言されても説得力もなければ、聞く気にもなりませんよね?
まして文字だけの世界…正直私はほとんど読んでません(笑)
内容的には素晴らしいのに、文章の所々にテーマである「歴史を学ぶ姿勢」とは関係なく相手を非難する言葉が並んでいるのは非常に残念です。
そうなると内容云々ではなく、子供が遠くから隠れながら悪口を言い合っているようにしか見えません。
赤龍さんも巫俊さんもストラップさんも素晴らしい意見を言われているんですから、投稿する前に文章を読み返して、見ている人や返信相手が不快にならないような文章を書く事を心がけてください。
皆さんはそれくらいのことが理解できないメンバーではないと思っています。
(PC)
100 ジョ―ジ
白熱していますね。見ていてなかなか面白いです。
私はというと聖徳太子が宇宙人かどうかの証明を考えていたら眠れなくなっちゃいました。
やっぱ無理かなぁ 悔しいなぁ 両親共に地球人だと証明できればいいはずなんですけどね。 あるいは帰繆法か。なんかうまい方法はないものか
なんせまず存在自体が約束されてない人ですからね
私はというと聖徳太子が宇宙人かどうかの証明を考えていたら眠れなくなっちゃいました。
やっぱ無理かなぁ 悔しいなぁ 両親共に地球人だと証明できればいいはずなんですけどね。 あるいは帰繆法か。なんかうまい方法はないものか
なんせまず存在自体が約束されてない人ですからね
(V803T)