1 ツッコミ

当時の戦(いくさ)について...

皆様初めましてm(_ _)mツッコミと言います。まだ三国志についてはあまり詳しくない初心者ですが色々とご指導をよろしくお願いします。
一つ聞きたい事があったのでスレを作らせてもらいました。
当時のいくさは詳しく突き詰めるといったいどのような物だったのでしょうか?初期の頃ですと、武勇のある武将が戦場を駆け回り、戦局を打破する!なんて事もあったでしょうが、後期になると個人の武がそこまで活躍する機会が激減したように思います。
初期と後期、どこかでいくさの方式が変わったりしたのでしょうか?
皆さんの意見を承りたいです。
(V902T)
2 無問題
ツッコミさん、はじめまして。う〜ん…、演義のようにたった一人の将が大局を変えるような武勇をふるうというのは残念ながら正史にはみられませんね…。それは三国志の序盤も後半もかわらなかった気がします。ただ、それでも圧倒的な武力をもった武将はいましたがね。すみません、なにかいてるのか分からなくなりました(^_^;)
(W32SA/au)
3 ツッコミ
無問題さん>初めまして★いぇいぇ、貴重な意見ありがとうです。やはし個人の武にも限度があったって事ですかね(^_^;
(V902T)
4 巫俊(ふしゅん)
集団戦が基本ですね。
戦場の形態は平原での会戦から、土塁を使った防御から夜襲まで、非常に現実的な手段を選んで、戦闘をしていると考えていいでしょう。

烏丸(北方民族出身)騎兵の集団戦術や、
中国では弩が紀元前から普及していましたから、弓の機械化も進んでいたことになります。
(PC)
5 ツッコミ
巫俊さん>初めまして★それでは、当時では暗殺などの手段は行われなかったのでしょうか?
戦いの中に、暗黙のルールと言うか、そぅいぅものはあったのですかねぇ?質問ばかりですみません(^_^;
(V902T)
6 無問題
暗殺はけっこうありますね。有名なのが、孫策が許貢の息子と食客達に殺された事件と費イが魏の後将郭循に殺された事件ですかね?いずれも重大な事件です。まあ、三国志の時代もけっこう使われた手段だったのではないでしょうか?
(W32SA/au)
7 周公旦
はじめましてm(__)m

直接戦闘に関係ありませんが、馬に乗るための鐙は晋代初期に発明されたそうです。はみや手綱は三国志の時代にはあったそうです。

鐙がないからすごく馬に乗るのは難しかったでしょうね。その馬の上での一騎打ちはかなりの鍛練を必要としたと思います。
参考まで
(F901iS/FOMA)
8 ツッコミ
周公旦さん>初めましてm(_ _)m
確かに、馬上での一騎打ちはもの凄く難しい気がします(^_^;
ある、中国産の三国志の映画を見た事があり、中に一騎打ちシーンがあったのですが、正直、馬の操作に手間取り槍や、剣をふるうのが精一杯のよぅな感じでした(まぁ、役者さんてのもありますが)
(V902T)
9
江戸時代初期の軍学家、小幡景憲が記したとされる『甲陽軍鑑』に、戦国最強と言われた武田家の騎馬隊ですら「下馬して戦うのが常」と記されてますから、余程馬上で戦うのは難しいのでしょうね。その上、鐙までなかった三国時代の事ですから、馬は馬上で戦うより、移動手段として用いるのが専らだったんではないでしょうか。まあ、別に槍や刀なんか使えなくても、馬で突っっ込んで行けば、歩兵なら逃げるとは思いますけど。(私なら逃げます笑)
(P902i/FOMA)
10 しす
騎馬戦術に関しては>>>54>>>268辺りでも議論がされていますので参照されたし。

>>8
ツッコミさんが見られた映画とういうのは演義準拠だと思われますが、演義で使用されている武器はほぼ100%ずっと後代の武器であり、また本来歩兵用の兵器を騎乗で使用しているため、おかしな殺陣になってしまうのだと思われます。
長兵器は基本的に歩兵用と思っていただいて間違いないと思います。
隋代になれば馬上槍なんかも出てきますけど。
(長槍にベルトのようなものをつけて肩に引っ掛け、脇の下で固定して突撃したようです。西洋のランスに近い武器でしょうね)
(PC)
11 清岡美津夫
漢代の画像石で馬上から戟で馬上の者を攻撃し落馬させている絵がありますよ。
私の手元にある資料だと[シ文]上孫家村と孝堂山のものだそうです。
共に林巳奈夫/著「漢代の文物」の挿図(それぞれ10-22、10-24)です。
前者は戟を前方へ突いて敵が後方から攻撃されている図で、後者は戟を前方へ繰り出し(引っかける使い方)、敵が後方から攻撃されている(落馬している)図です。
面白いのが前者のやられている者の前方には馬上で後ろを向いて弓を構えている人が居ます。
あと去年、全国を巡回した「よみがえる中国歴代王朝展」や「中国 美の十字路展」では戟や矛や斧をもつ漢代の騎兵俑(武威雷台)が展示されていました。
(PC)
12
やっぱり直刀のようなものが馬上では使われていたのですね。『馬上槍は至極至難なり』っていいますからね
(P902i/FOMA)
13 清岡美津夫
追記です。
PCであれば下記アドレスの「データベース」→「京都大学人文科学研究所所蔵 石刻拓本資料」で画像石が見れます。
「山東畫像石(2)」の「A07-19 山東 人物、戦争畫像」に馬上で後ろ向きに片手に盾(矢を防いでいる)、片手に刀を構える絵を見ることができます。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/
(PC)
14 しす
>>10で大嘘言ってしまいました(汗)
隋代と書きましたが、古くは西晋の時代には馬上で使用することに特化した槍はあったようです。
失礼いたしました。

>>12
それは「馬上槍」ではなく「馬上で槍」の間違いではないですか?
私が挙げている馬上槍(正確には馬槊)は>>10でも書いたように片手で固定し馬の突進力を利用した突撃に使用されたもので「至極至難」と言われるほど取り扱いに難のある武器であったとは考えにくいです。
火器が発達し、騎馬戦術が廃れるまで使用されていたことを考えれば騎乗用武器としては直刀よりは扱いやすかったと考えるべきではないでしょうか。
(PC)
15
えぇ、その通りです。『馬上で槍』が正しいでしょうね。
確か、先述した『甲陽軍鑑』に書いてあったのでそのまま引用しました。日本語表記と中国語表記の違いです。いや、紛らわしくて失礼しました。
(P902i/FOMA)
16 巫俊(ふしゅん)
槍の起源ってどこまで遡るんでしょうか?
西方起源なんですかね?
それとも戟を突き刺す専用に改良したものが槍?

漢代の戟は実は刺突用です。
出土した鉄製の戟を分析すると、馬上で刺すことに適するように重心を刺突部分に集中させているようです。
戦国時代以前の戟は戦車戦用でしたから、逆になぎ払いや鎌のような用途に使いやすいような重心になっています。(その分、刺突するときの威力は落ちる)
(PC)
17
 それこそ、人間が狩猟を始めた辺りまで遡れますよ。なんてったって、他の動物より人間は戦闘能力が劣りますから、自然世界で這上がっていこうとしたら武器の使用は絶対必要でしょう。私が思うに、どこが起源というよりも世界同時期発祥だったんでは?
(P902i/FOMA)
18 しす
話題がズレつつあるので武器の話しは>>>268に移行しましょう。
(PC)
19 孫(みらう)
話かわり 0番からの枝
戦、単純な話 どうすると勝ち負けだったんでしょうね
大将をひっとらえたら勝な戦と違い、民の反乱鎮圧とかって根絶やしにするわけにはいかないし
何が戦いの終わりだったのかなと
(P700i/FOMA)
20 月濬
初めまして、前々より拝見して勉強させていただいておりましたが、やはり興味がありますので今回発言させていただきたく思います。

さて>>19の話ですが、民衆の反乱といっても例えば黄巾の乱みたいにある程度組織だってる場合はやはり首謀者とかいるのではないでしょうかね?
あるいは反乱の準備を助けたパトロンみたいな人(その地区の豪族)とか…
突発的な場合は所詮烏合の衆でしょうから、ある種虐殺に近いみせしめ的な痛撃で鎮圧したんじゃないでしょうか?

そういえば青州の黄巾残党、これといった首謀者を聞きませんが彼らが彼の地の混乱の一因であったことは確かですよね?
どういった経緯で鎮圧され、青州兵として組み入れられたんでしょう??
これも反乱鎮圧の一つの形ですよね…
(P901iS/FOMA)
21 孫(みらう)
豪族連中ね、確かにそのあたりをなんとかしたら治まりそう
青州のは多分 曹操の記述になにか残されているのではないかな
屯伝するためにまとめて雇用したから落ち着いた とかなら納得
畑やら仕事、また軍隊の保護までもらえるなら、反乱する必要は少なくとも草の根民にはないかなと思うから
血筋がとか、帝のご意志がとか関係ないし
(P700i/FOMA)
22 天草
>>20
かな〜り古いレスですが(;^_^Aその話題は黄巾スレでも話題になりましたが、かなり謎ですね。
(携帯からなのでスレに誘導できませんm(__)m)

話しは変わりますが、三国志時代の常識やモラルに、「喪に服す」という習慣がどれくらいの規模であったのでしょうか?
例えば、敵方のお偉いさんが死んだ時、敵としてはチャンスになりますが、そこは常識的に攻めなかったのでしょうか?
(N902i/FOMA)
23 どら
>>19
三國志に関する知識に乏しいので、不変的原理原則から…。
戦争継続意思、戦争継続手段。
どちらかを破砕した瞬間に戦争は決着します。
どちらを攻撃するかの分別として、前者もしくは両者を含む攻撃を戦略攻撃、後者を戦術攻撃なんて呼んだりしますが。
戦争を一人の人間同士の闘争ととらえた場合、頭を殴って気絶させる事は戦略的攻撃、腕を縛るのは戦術的攻撃とでもいえましょうか?
当時の様々な戦闘集団の組織的特性を考えると、どういった方法が戦争や戦闘の終結につながったかが、時代を問わず想像出来ると思います。
例えば国家元首や戦闘の指揮官を狙う方法は戦闘の優劣問わず、戦闘の終結を早めるための有効な手段ではありますが、戦闘継続手段を破砕する方法は劣位側からすると非常に実行が困難です。
そう考えると規模の小さい反乱などは、どういった戦闘様相だったか容易に想像がつくと思います。
(N902iS/FOMA)