1 赤龍
泣いて馬謖を斬る?斬らない?3
(PC)
3 赤龍
>>>276-98
私が再検証の必要性を提案してるのは、これまで議論されてきた街亭の戦いの問題を受けて、局地的な面での兵力の問題についてです。それについて、両国の国力差とかの一般論ではなく、具体的に推測できる記述はみつけられないか?と。
両国の国力差や、時間をかけ増援が集まれば、総合的な国力に優る魏の方が大兵を集めれるのは、再検討するまでもなく自明のことですから。
私の文章が下手なせいで、問題の焦点がずれてしまって申し訳ありません。
私が再検証の必要性を提案してるのは、これまで議論されてきた街亭の戦いの問題を受けて、局地的な面での兵力の問題についてです。それについて、両国の国力差とかの一般論ではなく、具体的に推測できる記述はみつけられないか?と。
両国の国力差や、時間をかけ増援が集まれば、総合的な国力に優る魏の方が大兵を集めれるのは、再検討するまでもなく自明のことですから。
私の文章が下手なせいで、問題の焦点がずれてしまって申し訳ありません。
(PC)
4 ジョージ
はじめまして、赤龍さん。 ジョージといいます。凄く知識があるのですね。原文で正史読んでらっしゃるんですか? 私も読んでみたいのですが、漢文の知識はやはり重要なんですか? 赤龍さんは原文が読めるようになるまでの学習歴はどの位でしたか? 実は、赤龍さんのカキはかなり昔から拝見していて、大変感服しておりました。
話は変わって、馬謖の仕官前の経歴ってどうなんでしょう?当時の社会的地位の獲得の仕方なんかに興味があるのですが。一例ですが、(いまなら国一突破など) もしかすると話が不適切かもしれません。 その時は面倒ですが削除してください
話は変わって、馬謖の仕官前の経歴ってどうなんでしょう?当時の社会的地位の獲得の仕方なんかに興味があるのですが。一例ですが、(いまなら国一突破など) もしかすると話が不適切かもしれません。 その時は面倒ですが削除してください
(J-N51)
5 赤龍
>>4
ジョージさん、はじめまして。
私の場合、必要に応じて原文を確認しますが、普段はやはりちくまの和訳を多用してますよ。自分の下手な訳より信頼できますし、なにより楽ですから(笑)
もし原文を読みたいというのでしたら、やはり高校の漢文の知識くらいは少なくとも身につけておいた方がいいと思います。しかし、いきなり原文はきびしいですから、まずは原文・書き下し文・和訳が並べて書いてある本を見て、雰囲気味わい、どのくらい読めそうか確認してみるのもいいかもしれません。
徳間書店からでてる正史のシリーズ(書名覚えてません)や、井波律子三の『『三国志』を読む』(角川書店)なんかが、そういうスタイルの本だったと思います。
ジョージさん、はじめまして。
私の場合、必要に応じて原文を確認しますが、普段はやはりちくまの和訳を多用してますよ。自分の下手な訳より信頼できますし、なにより楽ですから(笑)
もし原文を読みたいというのでしたら、やはり高校の漢文の知識くらいは少なくとも身につけておいた方がいいと思います。しかし、いきなり原文はきびしいですから、まずは原文・書き下し文・和訳が並べて書いてある本を見て、雰囲気味わい、どのくらい読めそうか確認してみるのもいいかもしれません。
徳間書店からでてる正史のシリーズ(書名覚えてません)や、井波律子三の『『三国志』を読む』(角川書店)なんかが、そういうスタイルの本だったと思います。
(PC)
6 赤龍
本題に戻りまして、仕官前の馬謖の経歴ですが、あまり詳しくは分かってません。
兄の馬良らと共に、五人兄弟そろって秀才と、郷里では有名だったようです。多分、郷里ではそれなりに声望のある家だったと思います。また、裴松之の注に従うと、馬良は仕官前から諸葛亮との交流があった可能性もあります。
こうした名声や、人脈(つまりコネですね)によって召し出されたと思われます。
兄の馬良らと共に、五人兄弟そろって秀才と、郷里では有名だったようです。多分、郷里ではそれなりに声望のある家だったと思います。また、裴松之の注に従うと、馬良は仕官前から諸葛亮との交流があった可能性もあります。
こうした名声や、人脈(つまりコネですね)によって召し出されたと思われます。
(PC)
7 五
今ふと赤龍さんのカキコミを見て思ったのですが、やはり馬一族も儒学の徒を輩出する一族だったのでしょうか?当時の儒学者って、今で言うところの高学歴者みたいなものですよね?だとすると、馬一族もそういう家系だったんでしょうか?
(P902i/FOMA)
8 ジョージ
赤龍さん、沢山アドバイス有難うございます。実は私、古典は中学から殆ど勉強した事がなくて基本的な勉強のやり方さえ分からない状況です。
どんな初級の物でも構いませんので、漢文を1から学ぶための本を教えてもらえませんか?
話しは変わって、コネや名声で仕官とは… 今とはずいぶん違うのですね。
当時の儒学者達はどうやって名声や学歴のようなものを手に入れたのでしょうか?
論文を書く?はたまたなんらかの試験に合格する? そのようなものが当時も存在したのでしょうか?
どんな初級の物でも構いませんので、漢文を1から学ぶための本を教えてもらえませんか?
話しは変わって、コネや名声で仕官とは… 今とはずいぶん違うのですね。
当時の儒学者達はどうやって名声や学歴のようなものを手に入れたのでしょうか?
論文を書く?はたまたなんらかの試験に合格する? そのようなものが当時も存在したのでしょうか?
(J-N51)
9 ストラップ
(F2102V/FOMA)
10 ジョージ
ストラップさん初めまして。
確かに脱線の度が過ぎてしまったみたいです。ご指摘感謝です。掲示板初心者として勉強になりました。 管理人さんと皆さんにもご迷惑をかけてすみませんでした。
それではまた。
確かに脱線の度が過ぎてしまったみたいです。ご指摘感謝です。掲示板初心者として勉強になりました。 管理人さんと皆さんにもご迷惑をかけてすみませんでした。
それではまた。
(J-N51)
11 斎藤一
スレタイから手早く答えると俺がトップなら斬る。
契約作業員の俺の見解ですが…
1、どんなに有能でも一日の決められた作業が出来なければクビ
2、上司の意向に従わぬ者もクビ
3、仲間に危険を及ぼした者もクビ
まぁ現代も昔もかわらないんだよな
契約作業員の俺の見解ですが…
1、どんなに有能でも一日の決められた作業が出来なければクビ
2、上司の意向に従わぬ者もクビ
3、仲間に危険を及ぼした者もクビ
まぁ現代も昔もかわらないんだよな
(P902i/FOMA)
13 天草
この厳しい処置は、孔明が涙を流したと伝えられたことで(本当はどうだか…)美談に見えますが、実際の社会では話が別に思えます。
社会人の方なら心当たりがあると思いますが、言わば中間管理職(この時点ではある意味最高責任者か?)にある孔明は非常に難しい立場です。
兵らに気を遣わなければなりませんし、甘やかせているだけでは統率が取れません。
この場合現代でいうなら、会社(北伐の蜀軍)に著しく不利益を出し、倒産寸前にまで追い込んだ馬禝を解雇して、刑事事件として告訴…どころか死刑にしたという感じでしょうか?
問題はこの時の他の社員(将兵)の気持ちですよね。
現代の常識で言えば、管理職は嫌われて当然。私なら逆に甘い事ばかり囁く管理者よりも、下から嫌われるくらいのしたたかな人間の方が管理職として評価できると思っています。
では諸葛亮はどうだったのでしょうか?当時の将兵はこの采配を本当に絶賛したのでしょうか?
また馬禝が他の将兵や民にどう思われていたのか?も当時の蜀の世論を左右しそうです。
長文になりましたが、私が言いたいのは、「泣いて馬禝を斬る」の故事自体、創作である可能性はないのか?という点です。
実は(逃亡説などにより)処刑が当然だった、この結果が誰もが納得するだけの原因があった。
もしくは180度反対で、美談などではなく、周りの者はみな引いていた。美談にしたのは陳寿をはじめ、語り継がれた末の事だったのではないか?と思い始めてます。
社会人の方なら心当たりがあると思いますが、言わば中間管理職(この時点ではある意味最高責任者か?)にある孔明は非常に難しい立場です。
兵らに気を遣わなければなりませんし、甘やかせているだけでは統率が取れません。
この場合現代でいうなら、会社(北伐の蜀軍)に著しく不利益を出し、倒産寸前にまで追い込んだ馬禝を解雇して、刑事事件として告訴…どころか死刑にしたという感じでしょうか?
問題はこの時の他の社員(将兵)の気持ちですよね。
現代の常識で言えば、管理職は嫌われて当然。私なら逆に甘い事ばかり囁く管理者よりも、下から嫌われるくらいのしたたかな人間の方が管理職として評価できると思っています。
では諸葛亮はどうだったのでしょうか?当時の将兵はこの采配を本当に絶賛したのでしょうか?
また馬禝が他の将兵や民にどう思われていたのか?も当時の蜀の世論を左右しそうです。
長文になりましたが、私が言いたいのは、「泣いて馬禝を斬る」の故事自体、創作である可能性はないのか?という点です。
実は(逃亡説などにより)処刑が当然だった、この結果が誰もが納得するだけの原因があった。
もしくは180度反対で、美談などではなく、周りの者はみな引いていた。美談にしたのは陳寿をはじめ、語り継がれた末の事だったのではないか?と思い始めてます。
(N902i/FOMA)
14 飛燕
話ズレますが、最近陳寿の史家としての評価が、僕の中で下がりつつあります。明らかに諸葛亮伝の最後の部分は「誉め過ぎ」、だと思うのです。これじゃ、嫌いな人物の伝に、悪口を書きなぐってるのと同じだと思うのです。相当私情を入れてる気がするのです。
そういう訳ですから、陳寿によって美談にされ、故事化された、という説は充分有り得ると思います。
と、するとこの話は、おそらく蜀国内で結構騒がれたのでしょう。そうでなければ、美談にする必要無いですからね。
しかし、馬ショクヘの処刑判決、これは騒ぎを起こすほどの"異例"とは思えません。と、いうことは、おそらく馬ショクは国内で相当の支持を受け、将来の人物と期待されてたのでしょう。だから、処刑判決が騒ぎになったのでしょう。
たいした意見でなく、いきなりの長文すいません(汗)
そういう訳ですから、陳寿によって美談にされ、故事化された、という説は充分有り得ると思います。
と、するとこの話は、おそらく蜀国内で結構騒がれたのでしょう。そうでなければ、美談にする必要無いですからね。
しかし、馬ショクヘの処刑判決、これは騒ぎを起こすほどの"異例"とは思えません。と、いうことは、おそらく馬ショクは国内で相当の支持を受け、将来の人物と期待されてたのでしょう。だから、処刑判決が騒ぎになったのでしょう。
たいした意見でなく、いきなりの長文すいません(汗)
(F900iC/FOMA)