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三国志の極悪人

皆さんの知識をお借りして悪名高き人物を挙げてみましょう。
(P2102V/FOMA)
2 巫俊(ふしゅん)
じゃあまず孫権から(笑)
孫権以上の「極悪人」は他の人にお任せまします。
孫権は本拠地揚州、それも南半分の江南では政権に君臨する王者ですが、
広陵郡で曹操を後ろ盾とする名将・陳登をはじめ、利害関係で対立する陣営が各地にあったのも事実です。

呉軍の行くところ、抗戦する人たちもまた、登場しますから、悪評の立つのも無理なからぬところ。
主要なものとして、江北の魏系勢力のほかは、
江西・安徽・淅江の三省にまたがる江南の山地部分
にいた越系の原住民・山越に対する過酷な収奪が挙げられますね。

http://www.sinomaps.com/non-cgi/usr/39/39_120_9.jpg
(PC向けの地図、何々山地って呼んだらいいのか分からん。。)

こういう国家の恣意による悪行・悪事というのは、ある意味必要悪なところもありますので、呉の政権内部では英断の数々として正統化・賞賛されていたのも事実であります。
国内的には大善をつくした老君主、国外的には面従腹背の好男児にして最大の敵、最初から評価は二分されるところでしょう。
孫権を好男児と誉めたのは晩年の曹操ですね。

悪名とは美名と瓜二つの関係にあるというようなものですか。
孫権といったら、海外進出の栄光と挫折が著名で、台湾(夷州)やベトナム(交州)まで軍隊を送っていることで有名ですね。
悪名はさぞ高かったと(笑)
(PC)
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じゃあ、私は曹操で(笑)。過去や人物を問わず、ただ才能のみを重視する求賢令。屯田制による収穫率の上昇。献帝の確保という先見の目。孫子を編纂したり、『文選』にも載る程漢詩も上手く、更に酒まで作っちゃうという多才ぶり。息子達も有能だし、地方分権型から中央集権型に移行させたり、州の再編など、今の人々の目から見たらまさに理想の独裁者像(そんなものがあるかどうかは別として笑)ですよね。
では何故世に悪名を残し、これ程劉備との待遇が違うのか・・・・。
マズは徐州の大虐殺。マズというかこれが私は曹操が悪役として扱われる最初の理由だと思います。儒教と敵対したのも要因の一つ。最大なのは『三国志演義』の成立でしょう。これは劉備を正統として物語が進行し、儒教的な宣伝もなされてますから、この時点で曹操の役は『正統な劉備に敵対する悪役』以外にはなかったんですよ。これが世の中にえらい広く広まってしまった。面白いですからね。そのせいで、曹操を歴史的にしっかり捉えずに、物語的に悪役と皆が思ってしまった。これが彼が悪役と言われる最大の理由でしょう。良い事がみんな薄れてしまってますからね。
でも最近は研究もかなり進んできて、彼を悪役とする風潮も少しは沈静化してきたかな?以上、長々と失礼しました。
(P902i/FOMA)
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私はショクを滅ぼす一因となった官ガンの黄晧(漢字あってるかな?)です。自分の権力を強くするために姜維を免職しようとしたり敵から賄賂をもらって偽情報流したりやりたい放題だった。これじゃ最弱のショクは滅んでしまうのも当たり前と思います。
(P2102V/FOMA)
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黄コクが出たなら、彼を引き立てた陳祗も悪人かな?死後には忠侯の諡を与えられてますし、決して無能ではなかったのでしょうが、人格的には疑問視がつきますしね。董允程の人物でなかった事も確かですし。
(P902i/FOMA)
6 朱家
討論のスレでない事は理解してますが、さすがに黄皓は…所詮、小悪党ですし、蜀国内では、姜維のほうが大問題。魏国内でも国境を荒らす悪党だし、その後、クーデターにも加担してますしね。
ただし、志は純であり、善だから(そう思いたい)同情すべきだが、結果は悪でしょう。陳寿も、結果を批判しつつも、志、人柄は評価してる書き方をしてますしね。
姜維を極悪人と思ってる訳ではないですよ(笑)スレ違いはお詫びします。
(PC)
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極悪人という判断基準も、中々判断がつきにくい基準ですよね。行った行為に対するものなのか、その結果に対するものなのか。我々の目で見ての悪人なのか、当時の人々の目で見ての悪人なのか。両方(過去も現在も)満たす人物は、晩年の董卓ですかね。
(P902i/FOMA)
8
通さんのおっしゃるとおり判断基準が曖昧でした。これからは行なった行為が非道であった人物を挙げていきましょう。ご迷惑おかけしましたm(__)m
(P2102V/FOMA)
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あ、別に私個人の感想でして、悪く言ったつもりはないんです!ごめんなさい余計な事言って(恐縮)
行った行為の非道さなら、呂布かなぁ。主君であった丁原を殺し、義理とはいえ父の董卓を殺し・・・・儒教、もしくは道徳という観点で見れば、間違いなく極悪人ですね。ただ、現代の観点で見るとそうでもないかも。乱世において弱肉強食は世の習いですし。学歴社会も似たようなもの、というと語弊がありますかね(笑)
(P902i/FOMA)
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呉最後の君主孫晧かなこやつは極悪非道の限りを尽くしたらしいです。
そして呉を滅亡においやった張本人でもある。
自分の意見に反対した者の目をくりぬき、鼻を削いでとしてたらしいです。
(W33SA/au)
11 朱家
判断基準の違いではないですよ。悪の判断とは、極めて客観視しなければならず、それができないだけです。当時の人には到底無理です。
例えば、黄皓。蜀が滅んだ要因を作った。これが証明できない。事実としては、司馬昭が侵攻してきたから滅んだのです。
(PC)
12
朱家さんのおっしゃることは事実です。確かにショクは司馬昭達魏の進行により滅ぶ結果となりました。ただ黄晧(彼だけかわかりませんが)の行なった行為がショクが滅んでしまう結果を早めたのではないか。結果論にしても行なった不正というか収賄は誉められたものではないと思うのです。この時代は賄賂等がおこなわれていたとしても政治の中心にいた彼の行為は国に背くものと私見ではありますがその様に考えています。
(P2102V/FOMA)
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この場合、黄晧は賄賂をとっていた・・・・この時点で彼を悪人とするかどうかは個人個人で違うでしょう。しかし、その行為が間接的であるにせよ蜀の滅亡に荷担する行為であったとするならば、鶴さんの言うように彼は悪人でしょう。同胞を裏切る行為は、儒教においても悪ですし。
また、我々は三国志の時代に生きる人間ではなく、その後世に生きる人間です。客観的視点から事柄が見れるのですから、善悪の判断をつける事も可能でしょう?『当時の人々が悪人と言っていた人物をあげるスレ』ではないのですから。
なんか頭痛くて文章が読み辛いですかね、申し訳ない。
(P902i/FOMA)
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今になって「悪人」と呼ばれる、正直なところこれに該当する人物思い当たりません。正史と演義で評価が全く違う人ならわかるんですが・・・。どなたかご教授ください。
(PC)
15 朱家
黄皓は記述が少なく、賄賂を貰った記述すらありません。
政敵は悪く言うでしょうし、陳寿も疎まれてます。悪行はしてないかもしれない。逆に具体的に書くと、同時に劉禅を批判する事になるから、書けなかったかもしれない。
魏や呉のように反乱も(異民族は別)されてませんし(史官がいないための可能性有り)悪政か疑問。
記述があるのは、反抗した者を左遷した。巫を信頼し、敵は来ないと進言した。たったこれだけ。左遷は良くはないが、悪でもない。後記は悪だけど、侵攻された後は、援軍を送ってる。本当に侵攻されるか分からない状態で、姜維に兵を預けるのは危険だし、司馬昭も呉に侵攻するフリをしてますからね。
かなり微妙な人物だと思いますよ。まあ、私も悪人だと思ってますが。
(PC)
16 朱家
こんな流れになると思ってませんでした。スレ違いをお詫びします。
私が言いたかったのは、極悪人とは、それ以上ない悪人だと思いますので、全国的に知名度がある、もしくは、全国に鳴り響く悪行をしていないと、極悪人とは呼べないのではないか?という事です。黄皓は該当しないなと思ったので…
(PC)
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皆様のおっしゃることに納得です。全国区で極悪人といわれる人というのは判断を各個人に依存しやすい様ですね。スレ作った自分としてはそこまで深く考えてなかったので・・・。人物批評の難しさがわかりました。これからもよろしくお願いします。
(P2102V/FOMA)
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確かに、極悪人って『悪を極める人』って意味ですからね。ただ、その判断基準は個人に委ねるべきでしょう。百人中九十九人が感動する映画があったとして、その映画は一般には『感動する映画』という評価がされるわけです。しかし、残りの一人にしてみれば、それは決して『感動する映画』ではないんですよ。それと同じですよね。極悪人と思う人がいれば、その人物は極悪人でもあるんだと思いますよ。
(P902i/FOMA)
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あ、鶴さんに先越された(笑)夕飯なんか食わなきゃ良かったな(^-^;
(P902i/FOMA)
20 朱家
鶴さん>このスレは素晴らしいんですよ。ありそうでなかったスレですから。ただ「知識をお借りして…」とあり、敷居が高くなってるのが、非常にもったいない。
このスレをヒントに、新しいスレを立てます。ご了承下さい。
(PC)
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よろしくお願いします
(^Q^)/^これからも参加します!
(P2102V/FOMA)
22 赤龍
>>15
黄皓って知名度の割にいまいちよくわからん人物ですよね。
権力を握った、朝廷を専横したとかはよく見るものの、具体的な悪事が少ない。
朱家さんの話に近いものとして、諸葛亮伝注の『異同記』にも興味深い記述がありますね。蜀の長老の話として、陳寿は諸葛センに恥辱を受けたことを根に持ち、諸悪の原因を黄皓におしつけたうえ、諸葛センはそれをただせなかったと記したと。
この記述の真偽は不明ですが。それにしても陳寿、この手の悪口よくいわれてるなあ(笑)
そもそも、宦官という時点で士太夫からは軽蔑される存在ですから、それが権力をもっただけでもう悪とみなされそうですから。
個人的には黄皓、十常侍に悪事でもスケールの及ばない小悪党というイメージです(笑)
(PC)
23 巫俊(ふしゅん)
賈充です。

充の父の豫州刺史賈逵は政務に励み、戦争で荒廃して傷跡の深い豫州の復興に尽力したことで、領民にも慕われていましたが、
子の賈充はといえば、魏の皇帝高貴郷公を殺害した弑逆の徒と呼ばれています。

皇帝を殺したからといって、必ずしも逆臣の汚名を漫然と受け続ける必要はないと思いますが、
皇帝を殺してまで達成される賈充の大義があるかというと、司馬家の走狗だからという以上の理由はなく、
(それとも隠されている?)

個人的には4世紀はじめの五胡十六国の混乱をつくった原因のひとつは、西晋王室の功臣として、政策を立案した賈充にも求められると思っています。

政策があれこれというよりは、政治の仕組みをつくり上げた建国の功臣の手が血に汚れていることが問題なんです。

賈充は爵位を保ち富貴を手にしたまま、長寿を得てベッドの上で死にました。
賈充自身の人生は悪いものではなかったかもしれませんが、悪い先例をつくってしまったような気がします。

皇帝殺した人が安楽に生きて権勢を誇って、そして気ままに死んでいったんです。
それじゃ俺も賈充に習って幸せに生きよう、そのためには政敵の抹殺も厭わない・・・・・
そんな空気が西晋の終わりの暗澹たる社会には漂っていたんじゃないでしょうか。

魏・呉・蜀の他のどの人も、私は取りたててさほど歴史上重要な悪人だとは思わないんですけど、賈充は歴史上重要な位置にいる悪人だと思います。

西晋の政権に悪がはびこった結果、八王の乱と胡族の南下を許し、天下の民は再び漢末の如き阿鼻叫喚を、たった100年経つか経たない間に経験することになったんですから。
これは怖ろしいことなんじゃないかと。
(PC)