1 くわぁまん
馬超ってカッコイイ?
あちしは、正史も演義も一応、読んだんですが、どうも馬超の行いが不思議で仕方ありません。
何故、都に父親が滞在しているのに反乱を起こしたのでしょうか?
演義によれば、馬騰が曹操暗殺の連判状がばれて謀殺された事の敵討ちで反乱起こした事になってますが、本当の時間は前後していておかしくなっています。真実は?
何故、都に父親が滞在しているのに反乱を起こしたのでしょうか?
演義によれば、馬騰が曹操暗殺の連判状がばれて謀殺された事の敵討ちで反乱起こした事になってますが、本当の時間は前後していておかしくなっています。真実は?
(SH900i/FOMA)
3 天草
正直に言って、私も馬超の行動には『?』な場面が多いと思います。父見殺しの場面はその代表みたいなものですよね。
実は馬騰の入朝は曹操の懐柔策と思いきや、馬騰本人の希望だったんです。韓遂と仲違いした後、そう希望してます。驚くべき事に、この少し前には司隷校尉(警視総監)の鍾ヨウの元、馬超は曹操軍と共に反乱討伐の兵を挙げてます。
私の予想では、残された兵士や国の為に、入朝した他の家族とは別に国に跡取りとして残された…と見るのが正解ではないか?と思います。
納得いかないのは、なぜ反乱の兵を挙げたのかということですが、皆さんはどう思われますか?
実は馬騰の入朝は曹操の懐柔策と思いきや、馬騰本人の希望だったんです。韓遂と仲違いした後、そう希望してます。驚くべき事に、この少し前には司隷校尉(警視総監)の鍾ヨウの元、馬超は曹操軍と共に反乱討伐の兵を挙げてます。
私の予想では、残された兵士や国の為に、入朝した他の家族とは別に国に跡取りとして残された…と見るのが正解ではないか?と思います。
納得いかないのは、なぜ反乱の兵を挙げたのかということですが、皆さんはどう思われますか?
(PC)
4 子竜
私の考え…
@父との考えの相違…親曹操派の親父と反曹操派の馬超。一番安直な考えかな?
A埋伏の毒…事前に曹操にばれてこれをうまいこと利用されて見事に馬超は家族見殺しのレッテルを貼られた
いかがなものでしょうか?
@父との考えの相違…親曹操派の親父と反曹操派の馬超。一番安直な考えかな?
A埋伏の毒…事前に曹操にばれてこれをうまいこと利用されて見事に馬超は家族見殺しのレッテルを貼られた
いかがなものでしょうか?
(W11K/au)
6 天草
最初から曹操へ謀反の気持ちが馬超にあったなら、馬騰もわざわざ入朝を願い出ないのでは?と思います。
しかし、曹操が丞相になってから馬騰が入朝する前に、曹操は馬超を抜擢しようとしましたが、これを断ってます。(魚カン・典略より)
なぜ、馬超の反乱の意が父に読めなかったのか?
なぜ、馬超は父兄弟が敵の下にいるのを知りながら、反乱の兵を挙げたのか?全く謎ですね。
しかし、曹操が丞相になってから馬騰が入朝する前に、曹操は馬超を抜擢しようとしましたが、これを断ってます。(魚カン・典略より)
なぜ、馬超の反乱の意が父に読めなかったのか?
なぜ、馬超は父兄弟が敵の下にいるのを知りながら、反乱の兵を挙げたのか?全く謎ですね。
(PC)
7 独眼龍李克用
完全な想像です。一つの考えとしてみてください
馬超の先祖は馬援(光武帝に仕えていてベトナムのジャンヌダルクこと徴側、徴弍姉妹を討伐したことで有名で、娘が皇室に入ったから皇族になっている)という人です。まあそれより前の人で反乱に連座した人がいるのですが、そこまでゆうと切りが無いので書きませんが、馬一族は漢の忠臣としてあり続けるわけです。そこで馬超は漢の在り方を不安に見つめていた。そして親族みないってしまった後、馬一族はこのままでいいのかと。二度も漢に対して不忠をはたらいていいのかと。馬援以来漢に対して恩義がある。父達は曹操の家来になってしまったように見える。
だから見殺しにし曹操の専横を打ち砕くべきだと考えた。というのは飛躍しすぎですかね。まあ自分もこう思っているわけではないですが、劉備のもとに行くところをみると漢に対しての忠誠心とかはあつかったと思う。
たかひろさん>聞くか聞かないか迷ったのですが、この場をお借りして聞きたいことがあります。i三国志で私と同じ軍団に居ませんか?違うのならそれでいいのですが、気になって仕方がないので。
天草さん>すいません、こんな所で聞いてしまって。マナー違反ですかね(ーー;)
馬超の先祖は馬援(光武帝に仕えていてベトナムのジャンヌダルクこと徴側、徴弍姉妹を討伐したことで有名で、娘が皇室に入ったから皇族になっている)という人です。まあそれより前の人で反乱に連座した人がいるのですが、そこまでゆうと切りが無いので書きませんが、馬一族は漢の忠臣としてあり続けるわけです。そこで馬超は漢の在り方を不安に見つめていた。そして親族みないってしまった後、馬一族はこのままでいいのかと。二度も漢に対して不忠をはたらいていいのかと。馬援以来漢に対して恩義がある。父達は曹操の家来になってしまったように見える。
だから見殺しにし曹操の専横を打ち砕くべきだと考えた。というのは飛躍しすぎですかね。まあ自分もこう思っているわけではないですが、劉備のもとに行くところをみると漢に対しての忠誠心とかはあつかったと思う。
たかひろさん>聞くか聞かないか迷ったのですが、この場をお借りして聞きたいことがあります。i三国志で私と同じ軍団に居ませんか?違うのならそれでいいのですが、気になって仕方がないので。
天草さん>すいません、こんな所で聞いてしまって。マナー違反ですかね(ーー;)
(P900i/FOMA)
11 独眼龍李克用
馬騰と一緒にいった人は皆殺しですね。それには女子供もいたでしょうし有名どころなら馬休とか馬鉄でしょうか?
皆、殺されるときに馬岱だけ逃げ延びたようです(たぶん演義だけど)。馬超とはあまり年は離れてないんじゃないかな。従兄ですし(馬騰の兄の子)。三十代だと思うよ。
皆、殺されるときに馬岱だけ逃げ延びたようです(たぶん演義だけど)。馬超とはあまり年は離れてないんじゃないかな。従兄ですし(馬騰の兄の子)。三十代だと思うよ。
(P900i/FOMA)
12 大伴
馬超はその字、孟起から察しますに、長男ですから、父親と弟達ですね。母親と弟の一部は、韓遂に、妻子は部下の楊フに殺されています。張魯の娘との縁談はご破産になっていますね。
彼の親族は、二百人あまり曹操に殺され、残ったのはどうやら馬岱だけだったようですね。息子の馬承は恐らく、晩年の子だと思います。
彼の親族は、二百人あまり曹操に殺され、残ったのはどうやら馬岱だけだったようですね。息子の馬承は恐らく、晩年の子だと思います。
(F2102V/FOMA)
13 天草
いろいろ書きましたが、個人的には実は馬超が一番好きなんです(笑)
母殺しの韓遂と組んでいるあたり、私怨よりも忠義を貫いた姿勢も見えますね。相変わらず理解に苦しみますが…。
馬承なんて息子の名前は初めて聞いたなぁ。
母殺しの韓遂と組んでいるあたり、私怨よりも忠義を貫いた姿勢も見えますね。相変わらず理解に苦しみますが…。
馬承なんて息子の名前は初めて聞いたなぁ。
(PC)
16 大伴
聞きませんねぇ。
まぁ無かったという記述もありませんし、馬騰は当時の有名人ですから、何らかのものがあったかも知れませんね。劉璋の兄達は皆、関係がありましたし、そのあたりで関わっていたのかも。
しかしこの馬騰というおっさん。実際は漢朝に忠誠心を持つ人などでは無く、逆に長安近郊を荒らしていた様です。彼が曹操制圧下の長安にのりこんだのは、中央の混乱に乗じて、おいしいところを戴こう……という考えだったのではないでしょうか。
まぁ無かったという記述もありませんし、馬騰は当時の有名人ですから、何らかのものがあったかも知れませんね。劉璋の兄達は皆、関係がありましたし、そのあたりで関わっていたのかも。
しかしこの馬騰というおっさん。実際は漢朝に忠誠心を持つ人などでは無く、逆に長安近郊を荒らしていた様です。彼が曹操制圧下の長安にのりこんだのは、中央の混乱に乗じて、おいしいところを戴こう……という考えだったのではないでしょうか。
(F2102V/FOMA)
17 エロハシ
確か董承が密謀していた曹操暗殺の一端を馬騰も担ってませんでしたっけ…ι?
で、本題です。
討曹連合軍が壊滅した2年後の213年に、馬超は涼州刺史の韋康を斬殺し征西将軍を名乗りますが、すぐに姜敘にたきつけられた十数名の人間の計略により居城を空けた隙に妻子を殺されてしまいます。その戦に破れた馬超は益州牧の劉璋を頼って落ち延びたみたいですよ。
で、本題です。
討曹連合軍が壊滅した2年後の213年に、馬超は涼州刺史の韋康を斬殺し征西将軍を名乗りますが、すぐに姜敘にたきつけられた十数名の人間の計略により居城を空けた隙に妻子を殺されてしまいます。その戦に破れた馬超は益州牧の劉璋を頼って落ち延びたみたいですよ。
(P900i/FOMA)
20 天草
劉備が蜀に入ってからの馬超の活躍は皆さんご存知のようにほとんどありません。
もしかすると…
馬超は蜀の臣下というより、劉備に懐柔された群雄という役だったのではないでしょうか?
ついには蜀に官位まで与えられ身動きがとれずに歴史に埋もれていった…と考えられませんか?
もしかすると…
馬超は蜀の臣下というより、劉備に懐柔された群雄という役だったのではないでしょうか?
ついには蜀に官位まで与えられ身動きがとれずに歴史に埋もれていった…と考えられませんか?
(PC)
21 大伴
確かに馬超には蜀の臣下という匂いが薄い気がしますね。
平西将軍となった時、関羽が孔明に手紙を送ったエピソードは有名ですが、確かに、大した手柄の無い人物を関羽の上位に置くというのは妙な話です。ならば天草さんの言われる様に、「懐柔」と読み説く方がすっきりする気がします。
平西将軍となった時、関羽が孔明に手紙を送ったエピソードは有名ですが、確かに、大した手柄の無い人物を関羽の上位に置くというのは妙な話です。ならば天草さんの言われる様に、「懐柔」と読み説く方がすっきりする気がします。
(F2102V/FOMA)
22 ユウキ
バチョウがリュウビに降った?時一緒にいた人物ってバタイだけなんですかね?配下がバタイだけだったら群雄ってゆう扱いはバタイって正史では大した活躍してないみたいですよね
(P900i/FOMA)
23 天草
馬超は潼関の前からすでに、暴れまわり、その武力で賊や異民族と同じような扱いだったのでは?と推測してます。
敵に回したらやっかいだから、官位を与えて、身動きの取れないようにしてやろう…劉備の思惑が、こんな感じだったら、入蜀以降に彼の活躍が殆んど残されてないのも頷けます。
ただ…ユウキさんの書き込みで気が付きましたが、馬岱は完全に蜀の人間なんですよね?
推測が当っていて、歴史が間違いなければ、馬超は完全に劉備や諸葛亮に懐柔されて、身動きが取れなくなり、自分が亡き後の馬岱を彼らに託した…みたいな感じでしょうか?…無理があるかな?
敵に回したらやっかいだから、官位を与えて、身動きの取れないようにしてやろう…劉備の思惑が、こんな感じだったら、入蜀以降に彼の活躍が殆んど残されてないのも頷けます。
ただ…ユウキさんの書き込みで気が付きましたが、馬岱は完全に蜀の人間なんですよね?
推測が当っていて、歴史が間違いなければ、馬超は完全に劉備や諸葛亮に懐柔されて、身動きが取れなくなり、自分が亡き後の馬岱を彼らに託した…みたいな感じでしょうか?…無理があるかな?
(PC)
24 ユウキ
でもありえない話ではなさそうですね話がかわるんですがどこかのスレで大史慈の遺言についてで『自分が君主にならずに死んでゆくのが残念だ』みたい事を言っているってゆうのがあったような気がするんですが天草さんの考えどおりだとしたら大史慈もそうだったかも知れなくないですか実際賊をやってたみたいだし兵を連れてくるみたいなエピソードもあるしでも大史慈はさすがに無理があるか
(P900i/FOMA)
25 天草
ユウキ殿>いや、間違いなく太史慈の方が、それに近い形だと思います。大史慈スレにも書きましたが、呉書では『劉ヨウ太史慈士燮伝』として、他の群雄達と共に書かれていることからも想像できます。
ただ太史慈の場合は、今回の予想の様に、『懐柔』ではなく、どちらかというと『義兄弟』的な意味に近い感じではないでしょうか?これはあくまでも想像です。
ただ太史慈の場合は、今回の予想の様に、『懐柔』ではなく、どちらかというと『義兄弟』的な意味に近い感じではないでしょうか?これはあくまでも想像です。
(PC)
26 ずわい
はじめまして!ずわいと申します。今後ともよろしくおねがいします。
馬超の反乱についてですが、自分の見解は、
@馬騰も君主ですからやはり天下に夢を見ていた訳で、馬騰が都に訪れ曹操を斬り、その混乱の内に馬超が後詰め到着する予定だった。
A他国からの策略だった。当時馬騰軍も名が知れ渡ってましたから、他国の将の虚報に騙されたとか。
浅はかですかねW
晩成の馬超の扱いについては、年功序列で、しかもプライドが高く古参の関羽や張飛がいましたしそんなもんじゃないかな、と。
爵位等はそれ以前の戦歴や家柄を配慮しての措置ではないかと。
以上勝手な妄想でした。
馬超の反乱についてですが、自分の見解は、
@馬騰も君主ですからやはり天下に夢を見ていた訳で、馬騰が都に訪れ曹操を斬り、その混乱の内に馬超が後詰め到着する予定だった。
A他国からの策略だった。当時馬騰軍も名が知れ渡ってましたから、他国の将の虚報に騙されたとか。
浅はかですかねW
晩成の馬超の扱いについては、年功序列で、しかもプライドが高く古参の関羽や張飛がいましたしそんなもんじゃないかな、と。
爵位等はそれ以前の戦歴や家柄を配慮しての措置ではないかと。
以上勝手な妄想でした。
(N900i/FOMA)
27 ユウキ
確かに劉備は縻竺とかカンヨウとかに高い爵位を与えてますねお気に入りには徹底的に優しかった後はバチョウの北方異民族への牽制&名声&威圧&その地方に詳しいから破格の待遇だったのかもキョウイも同じだと思います地理に詳しかったり異民族に顔が効くのはやっぱり魅力なんでしょうね
(P900i/FOMA)
28 ユウキ
ただ曹操の元には帝がいますよね入朝しといて漢に対して歯向かう事になりますよねあまりに無謀かなただ単に隠居暮しがしたかったような…曹操を斬ってもバトウも確実に殺されますし、曹操が死んでも勢力図には変わりないと思います
(P900i/FOMA)
30 天草
ずわい殿>初めまして!これからもよろしくお願いします!
三国志の歴史なんて、どうせ妄想だらけですから、気にしないで発言下さい!そこがこの討論場の売りの一つなんですから(笑)
馬騰謀反の話しだって、分からない話しじゃないですよ。元々彼は漢に忠誠を誓ってる訳ですからね。
ちなみに正史にはこういう風に書かれてます。
曹操は荊州遠征にあたって、馬騰らが関中に割拠していることを危惧し、張既を派遣して部曲を解散して帰還するよう説得した。馬騰は承諾しつつも行動に移さなかったので、彼が心変わりすることを恐れた張既が諸県に命令書を送って食糧を用意し、太守を郊外まで出迎えさせたので、やむを得ず出立した≪張既伝≫。
馬騰は朝廷に徴されて衛尉となり、馬超の弟馬休は奉車都尉、その弟馬鉄は騎都尉に任じられ、家族はみなギョウに移住したが、馬超だけは留守に残して馬騰軍を宰領させた。≪馬超伝≫
これだって正しいのかどうかは…(汗)まぁそう言い出したらきりがないんですけど。
三国志の歴史なんて、どうせ妄想だらけですから、気にしないで発言下さい!そこがこの討論場の売りの一つなんですから(笑)
馬騰謀反の話しだって、分からない話しじゃないですよ。元々彼は漢に忠誠を誓ってる訳ですからね。
ちなみに正史にはこういう風に書かれてます。
曹操は荊州遠征にあたって、馬騰らが関中に割拠していることを危惧し、張既を派遣して部曲を解散して帰還するよう説得した。馬騰は承諾しつつも行動に移さなかったので、彼が心変わりすることを恐れた張既が諸県に命令書を送って食糧を用意し、太守を郊外まで出迎えさせたので、やむを得ず出立した≪張既伝≫。
馬騰は朝廷に徴されて衛尉となり、馬超の弟馬休は奉車都尉、その弟馬鉄は騎都尉に任じられ、家族はみなギョウに移住したが、馬超だけは留守に残して馬騰軍を宰領させた。≪馬超伝≫
これだって正しいのかどうかは…(汗)まぁそう言い出したらきりがないんですけど。
(PC)
33 三三
馬超の武器って何だろう?
と思っていろいろ調べてたんですが、とある雑誌の投稿欄に『月間武術』1996年知られざる中国拳法
に「西凉掌」という名の拳法があって、その名の由来が「馬超は、趙玉に拝師して、陰陽掌を学んだ。苦心して練習し趙玉の真の教えを会得し、その技芸は驚くべきもので、名を天下に轟かし、三国の名将となった。その後、馬超は陰陽掌を西凉掌と改め、西凉の地に記念して後世に伝えた」とあるそうです。
趙玉は趙雲の叔父だそうです
馬超は騎馬のイメージがあるので槍か弓だと思ってんですが・・・
と思っていろいろ調べてたんですが、とある雑誌の投稿欄に『月間武術』1996年知られざる中国拳法
に「西凉掌」という名の拳法があって、その名の由来が「馬超は、趙玉に拝師して、陰陽掌を学んだ。苦心して練習し趙玉の真の教えを会得し、その技芸は驚くべきもので、名を天下に轟かし、三国の名将となった。その後、馬超は陰陽掌を西凉掌と改め、西凉の地に記念して後世に伝えた」とあるそうです。
趙玉は趙雲の叔父だそうです
馬超は騎馬のイメージがあるので槍か弓だと思ってんですが・・・
(PC)
35 ストラップ
彭ヨウ伝に因ると彭ヨウは馬超に謀反を持ちかけていますし、そういう風に見られていたのかも知れませんね。
又馬超は、それをすぐさま報告していますから、矢張り普段から疑われていたのかも知れません。彼の微妙な立場が判るエピソードだと思います。
又馬超は、それをすぐさま報告していますから、矢張り普段から疑われていたのかも知れません。彼の微妙な立場が判るエピソードだと思います。
(PC)
36 紅7
馬超とて反乱したくてしたワケではなく、曹操から漢中を討伐したいから領内を通してくれと頼まれ、その裏にある西涼制圧の意図を読み取ったから。自分の国を守るためには曹操と戦わねばならない。そして戦うからには勝たねばならないから、西涼の勢力を集結させねばならない。だからこその挙兵でしょう。羌族は昔から漢民族を好いてはいませんでしたし。別に父親と不仲だったとかそういうことではないと思います。
(PC)
37 天草
>>36
紅7サン>初めまして♪よろしくお願いします!
曹操から漢中を討伐したいから領内を通してくれと頼まれ…というのは始めて聞きました。情報元は何でしょうか?
武帝記には漢中の張魯討伐の兵を挙げた際、馬超が自分達に向けられた兵だと勘違いして戦になったと書かれてます(間抜けと言えば間抜け?w)
蜀書・馬超伝にはその前に潼関に出兵していたような書き方をされてますので、馬超の反乱が先の様な気がします。
ちなみに私も父親との確執についてはなかったのではないか?と思ってます。
当時の中国の思想では親や家族に対する忠孝と、家や国に対する忠義というのはどちらが上だったのでしょうか?
紅7サン>初めまして♪よろしくお願いします!
曹操から漢中を討伐したいから領内を通してくれと頼まれ…というのは始めて聞きました。情報元は何でしょうか?
武帝記には漢中の張魯討伐の兵を挙げた際、馬超が自分達に向けられた兵だと勘違いして戦になったと書かれてます(間抜けと言えば間抜け?w)
蜀書・馬超伝にはその前に潼関に出兵していたような書き方をされてますので、馬超の反乱が先の様な気がします。
ちなみに私も父親との確執についてはなかったのではないか?と思ってます。
当時の中国の思想では親や家族に対する忠孝と、家や国に対する忠義というのはどちらが上だったのでしょうか?
(PC)
38 ピースマン
紅7さんの説は、タイトルが「馬超」という小説に書かれている説と同じですね。
この小説は馬超視点で三国時代を見ることができ、とてもおもしろい作品ですよ。
おすすめです。
この小説は馬超視点で三国時代を見ることができ、とてもおもしろい作品ですよ。
おすすめです。
(W21K/au)
39 うに
「馬超」、どこか北方三国志に似ていますね。素朴で好きです。 天草さん、初めまして。
関係ありそうな事件としては、諸葛家なんかは三国に渡って活躍してますけど、特に批判等は見かけないです。徐庶なんかは身内を人質にとられて曹操の下へいきました(これは創作でしたっけ?)。劉備は義兄弟を殺された恨みで戦してますし、曹操は身内を殺された恨みで虐殺します。
…やっぱりよく判らないですね。
関係ありそうな事件としては、諸葛家なんかは三国に渡って活躍してますけど、特に批判等は見かけないです。徐庶なんかは身内を人質にとられて曹操の下へいきました(これは創作でしたっけ?)。劉備は義兄弟を殺された恨みで戦してますし、曹操は身内を殺された恨みで虐殺します。
…やっぱりよく判らないですね。
(N900i/FOMA)
41 くわぁまん
またまた疑問が湧いて来たので皆様の御意見をお聞きしたいです。
@馬騰と董卓の関係は?ほぼ同時期西涼にいたはずですが…(謎)
A周瑜は益州攻略作戦で言った言葉「益州を攻め取り、張魯を平らげ、馬超と同盟して曹操を滅ぼす」と…。
つまり、馬超を滅ぼさず同盟すると言ってるのですからかなり警戒した存在と言う事なのでしょうか?
@馬騰と董卓の関係は?ほぼ同時期西涼にいたはずですが…(謎)
A周瑜は益州攻略作戦で言った言葉「益州を攻め取り、張魯を平らげ、馬超と同盟して曹操を滅ぼす」と…。
つまり、馬超を滅ぼさず同盟すると言ってるのですからかなり警戒した存在と言う事なのでしょうか?
(F901iC/FOMA)
42 朱家
@…馬騰は韓遂とともに叛乱を起こし、鎮圧に派遣され、鎮圧したのが董卓ですよ。
A…馬超を恐れた訳ではなく、制圧しても統治が難しいと考えたからだと思います。羌と匈奴を制圧する暇があったら曹操と戦いますから。馬騰は馬援の子孫とはいえ、羌の子ですからね。
A…馬超を恐れた訳ではなく、制圧しても統治が難しいと考えたからだと思います。羌と匈奴を制圧する暇があったら曹操と戦いますから。馬騰は馬援の子孫とはいえ、羌の子ですからね。
(A1304T/au)
44 朱家
スレ違いですが、董卓は対異民族で功があり、張角の主力と戦い大敗北し、罷免(軍権剥奪?)される。異民族の叛乱が活溌化し、財政は圧迫され、朝廷の腐敗が加速する。チャンスと見た異民族は韓遂(馬騰も協力)を主とし大規模な叛乱を起こす。董卓は呼び戻され、討伐を命じられると瞬く間に鎮圧する。若い頃に交流があり彼らの戦い方を熟知してたと思われる。この頃は部下を大切にする親分肌の大将だった。その後は周知のとおり…
宝くじに当たって人生狂った感じだと思うが、極悪のイメージ&評価から、宝くじに当たった後しか描かれる事がないのが残念です。
宝くじに当たって人生狂った感じだと思うが、極悪のイメージ&評価から、宝くじに当たった後しか描かれる事がないのが残念です。
(A1304T/au)
45 くわぁまん
朱家殿>西涼の話はややこしいですね…。辺章、韓遂、馬騰の反乱は皇甫嵩が撃退したと聞いた事あるんですが…。実際はどおなんでしょうね?
また、韓遂と董卓はグルだったと言う説も有りますし…。この話題はまだまだ議論の余地が有りますね。
また、韓遂と董卓はグルだったと言う説も有りますし…。この話題はまだまだ議論の余地が有りますね。
(F901iC/FOMA)
46 朱家
省略しすぎました。スレから離れるのが心苦しかったので…実際はもう少し前に呼び戻されてます。大規模な乱のため、派遣されたのは董卓だけではないです。官職や記述から、皇甫蒿が総大将と思われます。董卓は彼に従がわないと思いますし、鎮圧の功績は彼にあるので、捉え方の違いと思います。
韓遂と共犯は初めて聞きましたね。極悪のイメージから後世で作られた話ではないのでしょうか?
韓遂と共犯は初めて聞きましたね。極悪のイメージから後世で作られた話ではないのでしょうか?
(A1304T/au)
47 くわぁまん
朱家殿>皇甫嵩と董卓は犬猿の仲なのは理由があると言うのです。
涼州で反乱が起きた時、主戦の皇甫嵩に董卓は慎重論を述べ止めようとしました。しかしそれを無視して皇甫嵩は涼州軍を撃破した…。
本当は董卓と韓遂は結託していて董卓が出陣した時は韓遂軍は撤退する手筈が調ってたのに皇甫嵩が無理強いしたおかげで思惑が失敗、それが理由で犬猿の仲になったと言うのです…
実際、董卓が中央で力を持った時、何度か皇甫嵩を亡き者にしようとした記録が残されていますし…(謎)
涼州で反乱が起きた時、主戦の皇甫嵩に董卓は慎重論を述べ止めようとしました。しかしそれを無視して皇甫嵩は涼州軍を撃破した…。
本当は董卓と韓遂は結託していて董卓が出陣した時は韓遂軍は撤退する手筈が調ってたのに皇甫嵩が無理強いしたおかげで思惑が失敗、それが理由で犬猿の仲になったと言うのです…
実際、董卓が中央で力を持った時、何度か皇甫嵩を亡き者にしようとした記録が残されていますし…(謎)
(F901iC/FOMA)
48 朱家
くわぁまんさん>韓遂の乱の前に仲違いしてますよ。
董卓は長い間、対異民族に従事し、自分なりの考えから主張したのに、皇甫嵩は全く無視して討伐する。その後、皇甫嵩は黄巾討伐の功労者となり、かたや董卓は惨敗して罷免される。これも面白くない。董卓の嫉妬からの仲違いだと思われます。韓遂と共犯説を否定する材料はないですが、記述、状況から、最初からは有り得ない。虫の息の頃なら分かるが、大きな影響を与えるとは思えないですね。皇甫嵩を殺そうとしてますが、あまりの潔さに殺せなかったみたいです。
董卓は長い間、対異民族に従事し、自分なりの考えから主張したのに、皇甫嵩は全く無視して討伐する。その後、皇甫嵩は黄巾討伐の功労者となり、かたや董卓は惨敗して罷免される。これも面白くない。董卓の嫉妬からの仲違いだと思われます。韓遂と共犯説を否定する材料はないですが、記述、状況から、最初からは有り得ない。虫の息の頃なら分かるが、大きな影響を与えるとは思えないですね。皇甫嵩を殺そうとしてますが、あまりの潔さに殺せなかったみたいです。
(A1304T/au)
50 ピエール
当時の中国の平均寿命はどれほどかは知らないけど彼はわりと早死にですよね。47歳だとまだまだ戦える年。
趙雲と一緒に北伐で頑張って欲しかったなぁ。。。
死に際のセリフが姜維の降伏時の名言に続き大好きですo(^-^)o
趙雲と一緒に北伐で頑張って欲しかったなぁ。。。
死に際のセリフが姜維の降伏時の名言に続き大好きですo(^-^)o
(W21SA/au)
51 しす
>>50
>>>108でも述べましたが、馬超の46という年齢は若いとは言えないんじゃないでしょうか。
結構三十代、四十代で亡くなっている方はいますから。
どこかに寿命スレがあった気がするので、後で参考がてら捜しておきます。
>>>108でも述べましたが、馬超の46という年齢は若いとは言えないんじゃないでしょうか。
結構三十代、四十代で亡くなっている方はいますから。
どこかに寿命スレがあった気がするので、後で参考がてら捜しておきます。
(PC)
53 劉
蒼天見て思ったんですが、やっぱ馬超強い"笑、なにかの本で曹操が"呂布の再来…"みたいなことを見たような気がして…。誰か解りますかね?
あと、馬超って強いけどけっして忠臣ではないですね"笑
あと、馬超って強いけどけっして忠臣ではないですね"笑
(EZ)
54 天草
馬超の反乱は、私の中の三国志七不思議の一つですね(笑)
これについてはこのスレを読み返して頂ければ、何度も皆さんが推測されてると思いますが、正直解せませんよね?
親兄弟を見殺しにしてまで、反乱を起こす理由は?う〜ん…謎です。
これについてはこのスレを読み返して頂ければ、何度も皆さんが推測されてると思いますが、正直解せませんよね?
親兄弟を見殺しにしてまで、反乱を起こす理由は?う〜ん…謎です。
(PC)
55 不屈闘志
お初にお目にかかります。m(__)m
馬超は【憧れ】の英雄のひとりですので…自分のような無知の輩がカキコするコトお許しください…m(__)m
馬謄と韓遂は…かなり意気投合する仲だったらしいですよね?韓遂は反逆の人生を送りますが…馬謄は結局、彼を見逃してるように思えます。
ここで…妄想伝です。
馬謄は…西涼を基盤に…自勢力の安泰を第一に考えていた。漢室の後ろ盾と韓遂の反逆を上手に使い分けてね。立場上、目立った行動を起こせないため…韓遂の反乱を…裏でバックアップしていた。(指示していた?)しかし…曹操の呼び出しは…大儀名分上、漢室の呼び出しで…立場上、出頭しなければならなかった。だから…馬超に…韓遂と供に西涼の独立(馬超は異民族を畏怖させてまとめ上げる力があるようですね。【錦馬超】の由来だそうで…。劉備もその威光を計算しての待遇だったと思います)を守るよう厳命して上洛したのでは?
馬超は、実直な性格だったから(?)離間の計にあっさりかかってしまいますが…親父のコトバを遂行するために…覚悟を決めていた…
こう、考えれば…彼の行動は【西涼】のため…【馬】一族のため…
西涼を失い…劉備に拾われ(?)…
最期の遺言も納得がいくのではないでしょうか?
まぁ…でっち上げの美談ぐらいに捉えてくだされば…m(__)m×∞
馬超は【憧れ】の英雄のひとりですので…自分のような無知の輩がカキコするコトお許しください…m(__)m
馬謄と韓遂は…かなり意気投合する仲だったらしいですよね?韓遂は反逆の人生を送りますが…馬謄は結局、彼を見逃してるように思えます。
ここで…妄想伝です。
馬謄は…西涼を基盤に…自勢力の安泰を第一に考えていた。漢室の後ろ盾と韓遂の反逆を上手に使い分けてね。立場上、目立った行動を起こせないため…韓遂の反乱を…裏でバックアップしていた。(指示していた?)しかし…曹操の呼び出しは…大儀名分上、漢室の呼び出しで…立場上、出頭しなければならなかった。だから…馬超に…韓遂と供に西涼の独立(馬超は異民族を畏怖させてまとめ上げる力があるようですね。【錦馬超】の由来だそうで…。劉備もその威光を計算しての待遇だったと思います)を守るよう厳命して上洛したのでは?
馬超は、実直な性格だったから(?)離間の計にあっさりかかってしまいますが…親父のコトバを遂行するために…覚悟を決めていた…
こう、考えれば…彼の行動は【西涼】のため…【馬】一族のため…
西涼を失い…劉備に拾われ(?)…
最期の遺言も納得がいくのではないでしょうか?
まぁ…でっち上げの美談ぐらいに捉えてくだされば…m(__)m×∞
(N2051/FOMA)
58 くわぁまん
皆さん色んなご意見ありがとうございます。(笑)
自分も自分なりに調べましたが、どうも本当のところ西涼軍閥と韓遂に担ぎ上げられたのではないでしょうか…。
確か、韓遂の息子も都に上っていますから反乱時に処刑されていますし、馬超もそうですけど韓遂も身内を見捨てているのですからね。
もしかすると旗本八騎衆の中に謀反を仕組んだ策士がいたのかも…(一部フィクションです)
自分も自分なりに調べましたが、どうも本当のところ西涼軍閥と韓遂に担ぎ上げられたのではないでしょうか…。
確か、韓遂の息子も都に上っていますから反乱時に処刑されていますし、馬超もそうですけど韓遂も身内を見捨てているのですからね。
もしかすると旗本八騎衆の中に謀反を仕組んだ策士がいたのかも…(一部フィクションです)
(F901iC/FOMA)
59 天草
某所で馬超の反乱について語りましたのでageます。
>>58の意見に似てますが、武帝記にある様に関中の軍閥が勘違いで発起したのならば、我々は馬超の反乱を難しく考えすぎていたのかも知れませんよね。
つまり…
@曹操は張魯討伐の兵を挙げた
A関中諸候は自分達の討伐だと勘違いし、発起
B反旗を翻した関中に曹操自ら出兵
@の時に普通なら、もう曹操の下にいる親兄弟の命はないと思い、躊躇わないでしょう。
これなら馬超の反乱の理由が納得できます。
実に間抜けですが、実際の歴史は案外単純なのかも…。
>>58の意見に似てますが、武帝記にある様に関中の軍閥が勘違いで発起したのならば、我々は馬超の反乱を難しく考えすぎていたのかも知れませんよね。
つまり…
@曹操は張魯討伐の兵を挙げた
A関中諸候は自分達の討伐だと勘違いし、発起
B反旗を翻した関中に曹操自ら出兵
@の時に普通なら、もう曹操の下にいる親兄弟の命はないと思い、躊躇わないでしょう。
これなら馬超の反乱の理由が納得できます。
実に間抜けですが、実際の歴史は案外単純なのかも…。
(W31SA/au)
60 赤龍
漢中に攻め込むためには、関中は必ず通過する、確保しておかなければいけない土地。そこを、向背定かならぬ諸軍閥の割拠するまま漢中に進むのは危険なことです。
私は、関中諸軍閥を挑発するための張魯討伐であり、狙いどおり馬超らは危機感を感じ反乱を。
張魯討伐はあくまで名目であり、馬超らは勘違いというよりも、まんまと挑発にのってしまった。曹操の思う壺だったのだろう。馬超が間抜けというよりも、曹操の方が数段上手だった。というふうに考えてますがどうでしょう。
私は、関中諸軍閥を挑発するための張魯討伐であり、狙いどおり馬超らは危機感を感じ反乱を。
張魯討伐はあくまで名目であり、馬超らは勘違いというよりも、まんまと挑発にのってしまった。曹操の思う壺だったのだろう。馬超が間抜けというよりも、曹操の方が数段上手だった。というふうに考えてますがどうでしょう。
(PC)
61 天草
>>60
しかしそれでは馬騰を呼び寄せた事の意味がない様に気がします。
曹操は、関中諸侯の代表である(?)馬騰を呼び寄せた事で、ある程度彼らは既に平服していると思っていたのではないでしょうか?
その前にも西を憂う曹操の事が幾度か書かれていますが、鍾ヨウや張既などにより平和的に解決させ、自らが出兵する様な挑発的な事はしていない様に思えます。
つまりこの事件は両者にとって想定外の事件だったと思いますが、いかがでしょう?
しかしそれでは馬騰を呼び寄せた事の意味がない様に気がします。
曹操は、関中諸侯の代表である(?)馬騰を呼び寄せた事で、ある程度彼らは既に平服していると思っていたのではないでしょうか?
その前にも西を憂う曹操の事が幾度か書かれていますが、鍾ヨウや張既などにより平和的に解決させ、自らが出兵する様な挑発的な事はしていない様に思えます。
つまりこの事件は両者にとって想定外の事件だったと思いますが、いかがでしょう?
(N900i/FOMA)
62 一味
フルメンバーの軍を倒すのと馬騰ら主要な人物がいない軍を倒すのでは大違いでしょ? 馬騰が長安にいたことで抑えが効かなくなりやすく冷静な判断が出来ない、事実カンスイと馬超の仲違いでの敗北ですし、バトウいたら長期化する可能性も増え魏の内乱など誘発することも予想出来たかも?バトウが魏で騙し討ちしたと思わせることで、長安より西をより短期間で手に入れる一つの策と考えられるのでは…? 駄文ですいません。
(P901iS/FOMA)
63 赤龍
>>61
それ以前の曹操は、対袁氏、河北の平定、続く荊州侵攻と、西にあまり力をさく余裕が無かったため、懐柔策でおさえ、関中諸侯のある程度の自立も黙認していた。しかし、赤壁で敗れ荊州から撤退したため、本格的な関中の直接支配に乗り出したのではないかと考えています。
ちょうど同時期に、孫権は南方の交州支配に着手し、劉備は新領荊州の経営をしつつ入蜀をうかがう。このように、荊州をめぐって争った三者が皆後方(?)に同時に目をむけているのが興味深いです。
それ以前の曹操は、対袁氏、河北の平定、続く荊州侵攻と、西にあまり力をさく余裕が無かったため、懐柔策でおさえ、関中諸侯のある程度の自立も黙認していた。しかし、赤壁で敗れ荊州から撤退したため、本格的な関中の直接支配に乗り出したのではないかと考えています。
ちょうど同時期に、孫権は南方の交州支配に着手し、劉備は新領荊州の経営をしつつ入蜀をうかがう。このように、荊州をめぐって争った三者が皆後方(?)に同時に目をむけているのが興味深いです。
(PC)
64 天草
客観的に考えた場合、もしそういう心理作戦が行われたなら、武帝記にはそう記されるのではないでしょうか?
曹操以外は誰も知らない作戦だった…と言えば、それもないのでしょうが、さすがにそれはないでしょう^_^;
大事な事は、馬超らの勘違いという記述が武帝記に書かれているという事で、彼等が反旗を翻して、初めて曹操自身が出兵したという事実ではないでしょうか?
やはり私は単純に、お互い望んでない戦であり、曹操は馬騰一家が手元にある以上、馬超の反乱はないと考え、懐柔していたと思いますね。
いかがでしょう?
曹操以外は誰も知らない作戦だった…と言えば、それもないのでしょうが、さすがにそれはないでしょう^_^;
大事な事は、馬超らの勘違いという記述が武帝記に書かれているという事で、彼等が反旗を翻して、初めて曹操自身が出兵したという事実ではないでしょうか?
やはり私は単純に、お互い望んでない戦であり、曹操は馬騰一家が手元にある以上、馬超の反乱はないと考え、懐柔していたと思いますね。
いかがでしょう?
(W31SA/au)
65 赤龍
たしかに、そこら辺つっこまれるとこの仮説は弱いですね。
はっきりと史書に見えるのは>>59で天草さんが挙げられている@〜Bの記述。私の仮説は当時の状況を見て、それに何らかの意図があったのではないかと推測したものに過ぎないですから。
ただ、戦争の戦略的な目的なんて、意外と三国志読んでても書いてない場合が多いですよね。だから、当時の状況などをふまえてそれを考えていかなければいけない場合も多い。その答えが単なる考えすぎな可能性も…。
難しいですが、これこそ楽しいとこなんですよね(笑)私も説得力のある仮説にできないか、もう一度よく考えてみますね。
はっきりと史書に見えるのは>>59で天草さんが挙げられている@〜Bの記述。私の仮説は当時の状況を見て、それに何らかの意図があったのではないかと推測したものに過ぎないですから。
ただ、戦争の戦略的な目的なんて、意外と三国志読んでても書いてない場合が多いですよね。だから、当時の状況などをふまえてそれを考えていかなければいけない場合も多い。その答えが単なる考えすぎな可能性も…。
難しいですが、これこそ楽しいとこなんですよね(笑)私も説得力のある仮説にできないか、もう一度よく考えてみますね。
(PC)
66 一味
私は正史を知りませんので武帝記のその記述を言われたら事実はその通りなのでしょう。 この案は戦を起こす曹操にメリットが少ないようですからね(;^_^A
ですがあえてこじつけでこの案を押します!曹操は西域をカンスイと馬一族ら地方豪族に力を残した不安定な支配ではなく反乱の心配のない統制のとれた支配を目指していた!他の異民族地域と違いシルクロードがある貿易と関係ある地域ですからね。
あと曹操は漢中、益州に軍を進める時に生涯反乱に一生を捧げるカンスイを後方に残すのは不安要素でしょう。黄巾以前から乱を起こし続けていた民族達ですから彼らに力を残したままなら後ろを攻めて下さいと言っているようなものです。
あとこの案を策とするなら漢中に軍を進める意図を馬一族に知らせなければ馬超を勘違い起こさせるのは簡単でしょう。馬一族が都に居る時期に軍を動かし、少しの流言を流せばいいのですからね。
こじつけ案ですがどうでしょうか(^-^)
ですがあえてこじつけでこの案を押します!曹操は西域をカンスイと馬一族ら地方豪族に力を残した不安定な支配ではなく反乱の心配のない統制のとれた支配を目指していた!他の異民族地域と違いシルクロードがある貿易と関係ある地域ですからね。
あと曹操は漢中、益州に軍を進める時に生涯反乱に一生を捧げるカンスイを後方に残すのは不安要素でしょう。黄巾以前から乱を起こし続けていた民族達ですから彼らに力を残したままなら後ろを攻めて下さいと言っているようなものです。
あとこの案を策とするなら漢中に軍を進める意図を馬一族に知らせなければ馬超を勘違い起こさせるのは簡単でしょう。馬一族が都に居る時期に軍を動かし、少しの流言を流せばいいのですからね。
こじつけ案ですがどうでしょうか(^-^)
(P901iS/FOMA)
67 天草
>>65
まぁだからと言って、武帝記だから全て正しいという訳ではないと思いますが、この件は私も含めて難しく考え過ぎていたのかも…と思い始めたんですよね。
私なんて三国志七不思議の一つだ…なんて言ってましたからね(笑)
人間の感情が起こす事実はもっと単純なのかな?と。
>>66
韓遂の子も実は人質として取られてるんです。これは馬騰が入朝する前の話しですね。
韓遂の子はそう言えばどうなったんだろ?
何はともあれ…当時の曹操からしてみれば、漢中>涼州だったのではないでしょうか?
益州も言う事を聞いてなかった訳ですし、素直に人質を出して、自身も出頭に応じた彼等は既に言いなりだと。
あれ?益州は本人が確か元人質だったんですよね?
う〜ん…彼等のスレも欲しいとこですな。
まぁだからと言って、武帝記だから全て正しいという訳ではないと思いますが、この件は私も含めて難しく考え過ぎていたのかも…と思い始めたんですよね。
私なんて三国志七不思議の一つだ…なんて言ってましたからね(笑)
人間の感情が起こす事実はもっと単純なのかな?と。
>>66
韓遂の子も実は人質として取られてるんです。これは馬騰が入朝する前の話しですね。
韓遂の子はそう言えばどうなったんだろ?
何はともあれ…当時の曹操からしてみれば、漢中>涼州だったのではないでしょうか?
益州も言う事を聞いてなかった訳ですし、素直に人質を出して、自身も出頭に応じた彼等は既に言いなりだと。
あれ?益州は本人が確か元人質だったんですよね?
う〜ん…彼等のスレも欲しいとこですな。
(W31SA/au)
68 赤龍
ちょっと気になる記述を見つけました。高柔伝に、張魯討伐の軍を動かす際高柔が「今みだりに大兵を派遣すると、西方にいる韓遂・馬超は自分たちに対するものと思い叛逆を起こすでしょう」と諌めています。つまり、この出兵が関中諸将を刺激するであろうことは十分予想できたことであった。しかし、特別関中諸将に対する対策もとらず、あえて先に漢中を攻めた。これは、やはり曹操の真意が関中にあったのではと考えます。
ちなみに「関中諸将」といわれるように、彼らの勢力範囲は涼州ではなく、長安周辺にまで及んでいます。常識的な重要度でも関中>漢中となると思います。
ちなみに「関中諸将」といわれるように、彼らの勢力範囲は涼州ではなく、長安周辺にまで及んでいます。常識的な重要度でも関中>漢中となると思います。
(PC)
69 赤龍
また、集解を見ると、既に胡三省も「曹操は先に馬超等を討ちたかったが名分が無い。そこで張魯を討つ姿勢を見せ、反乱を起こさせ、しかる後に出兵したのだ」ととらえています。
たしかに武帝紀の記述は、奴等が勝手に勘違いして反乱を起こしたのだから、それを鎮めるため自分が討伐に行く。と、あくまで曹操側の大義名分を書いているようにも感じます。そういう名分である以上、実は関中の地を狙ってたなんて、とても本文に書くわけにはいきません。
やはり、曹操の狙いは関中のほうだったと私は考えています。
たしかに武帝紀の記述は、奴等が勝手に勘違いして反乱を起こしたのだから、それを鎮めるため自分が討伐に行く。と、あくまで曹操側の大義名分を書いているようにも感じます。そういう名分である以上、実は関中の地を狙ってたなんて、とても本文に書くわけにはいきません。
やはり、曹操の狙いは関中のほうだったと私は考えています。
(PC)
70 くわぁまん
隠れた名将スレにも出ましたが、この西涼事件に閻行も絡んでいるんですよね…。(笑)
彼は韓遂の命により曹操に使者に遣わされいますから腕っ節だけで無く外交能力も有ったようですし、裏切らない様に韓遂は娘をめ逢わせますからただ者ではない。
…しかし、その後の閻行の活躍は記録されていないのは何故だろう?
彼は韓遂の命により曹操に使者に遣わされいますから腕っ節だけで無く外交能力も有ったようですし、裏切らない様に韓遂は娘をめ逢わせますからただ者ではない。
…しかし、その後の閻行の活躍は記録されていないのは何故だろう?
(F901iC/FOMA)
71 剛毅
いづれにせょ、馬超の体躯が立派で、覇気があり、戦闘も強い、魅力たっぷりな男だった事は紛れもない事ですよね K‐1でいくと、シリル.アビディみたいな感じなのかな皆さんはどう見ますか〜是非、是非、知りたいです
(W31SA/au)
72 天草
おっと!
この議題の存在を忘れてました(;^_^A
>>68-69
むむむ…そこまでの証拠となる記述があるのなら、反論は難しいかな?
馬超勘違い出兵説への賛成意見や、証拠記述の発見をお待ちしてます(笑)
>>71
馬超の外見に関する記述は残されてますよ。
今は出先ですから書けませんが…二枚目だと想像して良いと思います。
シビル・アビティ?
う〜ん…東洋人のイメージですから敢えてK-1なら、かなり積極的になった中迫かな?(笑)
プロレスなら、船木に一票!
ただの悪乗りですから、これはスルーで(・・;)
この議題の存在を忘れてました(;^_^A
>>68-69
むむむ…そこまでの証拠となる記述があるのなら、反論は難しいかな?
馬超勘違い出兵説への賛成意見や、証拠記述の発見をお待ちしてます(笑)
>>71
馬超の外見に関する記述は残されてますよ。
今は出先ですから書けませんが…二枚目だと想像して良いと思います。
シビル・アビティ?
う〜ん…東洋人のイメージですから敢えてK-1なら、かなり積極的になった中迫かな?(笑)
プロレスなら、船木に一票!
ただの悪乗りですから、これはスルーで(・・;)
(N902i/FOMA)
74 巫俊(ふしゅん)
『三国演義』の第六十五回「馬超大戦葭萌関 劉備自領益州牧」のなかの、
玄 徳 歎 曰 : 「 人 言 『 錦 馬 超 』 , 名 不 虚 伝 ! 」
が出典のようですね。
『三国志平話』は確認してないですけど。
正史には載ってないようですよ。
玄 徳 歎 曰 : 「 人 言 『 錦 馬 超 』 , 名 不 虚 伝 ! 」
が出典のようですね。
『三国志平話』は確認してないですけど。
正史には載ってないようですよ。
(PC)
75 天草
>>74
遅れましたが情報感謝♪
ですよね。どうしても見つからないと思いました!
>>68-69
もう一度、参戦します!
どうしても私が引っ掛かるのは馬騰が入朝し、一族郎党ともにギョウにいるという実態です。
これは見方を変えれば人質の様なもので、これがある限り、馬超から攻撃を仕掛けてくる事は不自然(実際はありましたがw)わざわざしなくていい戦を曹操が仕掛けるとはどうしても思えません。
高柔伝に、曹操が高柔の諌言を聞き、それを承知の上で仕掛けたという記述もありませんが、これは良く考えたらかなり大掛かりな計略。もし本当にそのつもりならば、武帝記にもその事が書かれて良いくらいのものではないでしょうか?
改めてこの辺りのやり取りを勉強しましたが、私はあくまでももう一度、勘違い説を推したいと思います。
遅れましたが情報感謝♪
ですよね。どうしても見つからないと思いました!
>>68-69
もう一度、参戦します!
どうしても私が引っ掛かるのは馬騰が入朝し、一族郎党ともにギョウにいるという実態です。
これは見方を変えれば人質の様なもので、これがある限り、馬超から攻撃を仕掛けてくる事は不自然(実際はありましたがw)わざわざしなくていい戦を曹操が仕掛けるとはどうしても思えません。
高柔伝に、曹操が高柔の諌言を聞き、それを承知の上で仕掛けたという記述もありませんが、これは良く考えたらかなり大掛かりな計略。もし本当にそのつもりならば、武帝記にもその事が書かれて良いくらいのものではないでしょうか?
改めてこの辺りのやり取りを勉強しましたが、私はあくまでももう一度、勘違い説を推したいと思います。
(PC)