1 ファーストサムライ

周辺異民族について

歴代の中国の王朝は周辺異民族に悩まされてきましたよね?三国時代にいた異民族ってなんですか?
(N902i/FOMA)
2 巫俊(ふしゅん)
そもそも民族とは何でしょうか?どうして自分たちとは異なる民族がこの大地にいるのでしょうか?
それを考えてみると答えが出てくるのではないかと思っています。
夫余、高句麗、烏丸、丁零、鮮卑、匈奴、羌、小月氏、西域諸国、、
は中国東北地方からチベットの崑崙山脈に至るまでの森林草原地帯に居住していた遊牧民ないし狩猟民です。
ツングース系の高句麗は城郭に住んでいて農耕に従事し、西域諸国は印欧語族のオアシス民で農耕と隊商に従事しているなど特徴も多様ですが、つまり中国とは生活習慣の異なる伝統を持つ人たちです。
(PC)
3 巫俊(ふしゅん)
揚越、山越、豫州蛮、武陵蛮、長沙蛮、巴蛮、テイ、蜀蛮、西南夷、烏滸蛮、区連、、
は長江流域から嶺南山脈を超えて東南アジアにまで分布していた稲作農耕民ないし採集狩猟民族で、長江流域から南シナ海にかけての先住民族でしたが、勢力的に優越する漢人に征服されて同化されていった人たちです。
同化を拒否する激しい抵抗を見せることもしばしばであり、揚州の山越(揚越)や武陵蛮(巴蛮)が有名です。
これらも自己の生活習慣を伝統としており、征服者には果敢に立ち向かいましたが、漢帝国は強大で相手が悪すぎましたね。
多くは漢人の入植地(これを県という)で働く零落した下層階級に落ちぶれていきましたが、山間部に自主独立を守る動きも根強く、交州(ベトナム)などでは三国時代以降も中国王朝に抵抗を続けて、ようやく自立を勝ち取ったのは10世紀(宋代)のことです。
ベトナムは越南と書き、揚越と深い文化的関係があります。カンボジア人はベトナム人をキン人と呼びますが、キンとは京という意味で中国文化で身辺を飾ったベトナム人を指して使った言葉です。

そして中国人とは、草原の遊牧民族と長江流域の稲作農耕民が中国王朝に支配されて民族的に同化させられたものに他ならず、中華とは実は四方の異民族が長い年月をかけて集合したものです。
漢人と異民族という全く違った民族がいるのだとしばしば思ってしまいますが、それは間違いで漢人とは異民族であることを忘れた異民族なのです。
中国文明という彼らの主観としては輝かしい先進文化の恩恵を受けて文明人を称するようになった人たちが漢人ですね。
(PC)
4 ファーストサムライ
深いですね。三国無双に出てくる孟獲の南蛮って実在してるんですか?
(N902i/FOMA)
5 巫俊(ふしゅん)
ええ、三国無双では南蛮(正確には西南夷といい、益州南部の民族集団です)が大きく取り上げられましたが、残念ながら無双の南蛮像の数々は演義が創作したところでして、正確なものではありません。
孟獲には野粗な野蛮人という印象がありますが、正史では孟獲は雲南地方の漢人の豪族でして、辺境の出身ながら蜀に仕えて高い地位に登っています。
(N503i)
6 巫俊(ふしゅん)
益州南部の雲南地方には我が国の竹取物語の異伝があることで有名で、茶の原産地としても知られています。たしかプーアル茶は雲南原産の品種だったはず。中国からは神秘的で魔か不思議なところと思われていて、無双の描写は偏見が入ってはいますがたしかにエキゾチックですね。
(N503i)
7 天草
個人的にこのスレはメチャメチャ立てたかったスレです。
>>1に感謝♪

私も異民族には興味あります。
特に日本人のように単一(例外もありますが)民族だと、異民族という考え方自体が、具体的でないように思えます。

例えば、九州に住んでいる人は本州の人から見れば、異民族なのか?と。
一体、どういう違いがあったのか?その辺も微妙に分からない気がします。

三国志(演義を含め)を読んでみると、異民族は漢民族に比べると、頭が弱く、筋肉馬鹿のイメージが強いと思われます。
これも本当にそうだったのでしょうか?
(PC)
8 巫俊(ふしゅん)
民族という概念は自称もしくは他称に由る思考によって人間の脳内にのみ存在しうる物でして・・・
早い話が「他人を区別するもの、精神」であって、生物学的、遺伝子学的に実在している訳ではないのです。

日本人は単一民族か?と言えば日本国民の中には韓国人、中国人、台湾人、アイヌ人、琉球人、アメリカ人、、、などが確かに実在することは勿論ですが、「日本は単一民族ではない。俺は薩摩隼人だ!」と称するだけで単一民族説は崩れます。
日本国は法律で単一民族を強制していません。従って単一民族と考えることは国民の総意に委ねられています。
(PC)
9 巫俊(ふしゅん)
民族という概念は、人種や風土と深く関係しています。
人種や風土と混同されてきたと言ってもいいです。

しかし人種とてDNAによって正確に知ることができるように科学が進歩したのは20世紀の終わりに過ぎません。
また、今でも自分の遺伝情報を知らず、自分の正確な人種を知らないという人が世界人口の大半であることを考えると、人種という単語でさえ文化的で迷信的な存在です。

次に風土です。機械化される以前の前近代の社会では自然環境が人間に対して優勢でした。今でもそうですが人間は自然に左右される存在です。自然だけではなくて人工の生活環境にも同じく左右されます。
人間の生活圏は大地によって制約されますから、人間は風土の及ぼす影響を避けられないのです。

早い話が昆虫の生態を思い出してください。昆虫は住む地域が違えば種類も違うことが多いですよね。とくに隔離された島では種類の異なる昆虫が沢山います。
もともと先史時代の人間の社会は隔離的であったので、集落ごとに人間の文化習慣が異なってくるのは当然です。適応ってやつです。

そうすると、首長を戴くべきor首長はいない方がいい
鉄器を使うべきだor土器を使うべきだ
男女は不平等であるべきだor
男女は平等であるべきだ
男が臆病なんてけしからんor男は臆病でいい
など実にさまざまな社会が登場するのです。
しかし中国では数千年の年月をかけて周・秦・漢といった専制国家が登場し、単一の文化を民衆に強制するようになります。さっき示したすべての選択肢は前者が古代中国社会において選択されました。これを民族と言います。
これに従わない人たちがなお、蛮夷という名称で王朝に付かず離れずに三国時代にも存在していたのです。
(PC)
10 天草
そもそも、漢の立場から我々はものを考えるわけで、そうなると漢民族以外は「異民族」となるわけですよね。
その線引きがどこなのか?というのが気になるんですよね。
もちろん三国志の時代に住民票や国籍があったはずもなく(笑)「俺は漢民族だ」と言えば漢民族だったのか?
それとも「異民族」が治めている地域に住んでいれば、先祖代々漢民族でも異民族になるのか?(こういうケースもまずないでしょうがw)

地域というのも気になります。
「ここまでが漢民族の支配地域ですよ」
なんて看板があるわけでもなく、この問題はどうなのでしょう?
異民族を考えれば、素朴な疑問ばかりが浮かんでしまいます。
(PC)
11 巫俊(ふしゅん)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=2766;id=
これも参考までに。

>>10
天草さんの考えは今まで多くの人が悩んできたことです。
私は一応これに自分なりの答えを用意しているつもりなのですが、先に結論を書くと「民族は無かった、そんなものは存在しないんだ」は嘘だということです。

にわかに嘘だと言われても信じがたいかもしれません。
だって民族の存在を疑っているんですから。
私だって最初は民族の存在を疑っていましたが、今では充分存在しうると納得しています。
ですが、それは天草さんが今考えているところの民族とは定義自体が異なる別の民族概念なんです。

こういうことを思考するには脱構築という手段が欠かせません。
他人が遊んだ積み木は自分でくずして、自分の積み木を組み立てる必要があるんです。
(PC)
12 天草
>>11

う〜む…学のない私には少し分かりづらい内容ですな。。。

もう少し具体的な話が聞きたいですね。
(PC)
13 巫俊(ふしゅん)
そうですね。
民族という言葉には多くの人の関心を呼ぶ効果があるからこそ、私も民族という言葉を使っているのですが、時代や地域によって民族という言葉の指すものは代わってくるということがとにかく注意ポイントなのでして。
(PC)
14 黒耀竜
 どうもご無沙汰です。最近、ウツですっかり三国志から遠ざかっておりました。思いついたような書き込みで申しわけないです。

 いわゆる“周辺”異民族については、一部に妙な記述はあるものの陳寿が烏丸鮮卑東夷伝に書いているとおり(裴松之注を含む)で良いと思います。一応、陳寿『三国志』(いわゆる正史)をお持ちでない方のために要約すると、
烏丸:騎射に巧みで狩猟放牧を生業とし、テントを張って住み定住はしない。老人を賤しむ(中国の伝統的価値観とは逆)。文字を持たない。皮・銅・鉄の加工技術を持つ。米は中国から手に入れている。

鮮卑:狩猟牧畜を生業とし、言語風習は烏丸と同じ。漢や烏丸などと争ったり和睦したりを繰り返す。良質な毛皮を獲り、漢との交易に関する記述も目立つ。

夫余:大柄で勇猛だがつつしみ深く略奪はしない。定住して多くの建築物を作り、布・毛皮・貴金属で身を飾る。飲食は、古代中国の礼に則って行う。歌が大好き(笑)。

高句麗:夫余の南に住む別種(?)。建築好きで好戦的(ローマ人みたいだ)。清潔を好み、食料を倹約する。

 西方に目を転じると、
テイ族:チベット系。農耕と牧畜を行う。布を織り、中国人とよく雑居しているので中国語も知る。

 長くなるのでひとまずこの辺で切り上げますが、いずれも言語習俗などは特異であるものの、存外高度な文明を持っていたようです。けして「未開の地の野蛮人」という存在ではなかったでしょう。
(PC)
15 黒耀竜
 ところで、“周辺”異民族という表現はイマイチ適当でないと思います。「中国の中の異民族」に目を向けると、
匈奴:内紛・分裂を起こし、万の単位で漢に降伏。長城内部に移住した。

山越:孫呉の支配域に分散していた。漢人も多く混ざっていたようで、「異民族というよりは不服従民の集団」というほうが適当な気がします。呉にとっては、とても厄介な存在。

武陵蛮など:揚州から荊州にかけて散在。農耕や狩猟で生活。

羌(青衣羌):蜀の支配域内に存在し、騎兵を提供していた。成都から300kmほどのところから集落跡が発見されており、西暦140年頃にそこに住んでいたらしい。家畜小屋を兼ねた石積み住居が特徴的。

などが挙げられます。
 また、金旋のご先祖様のように異民族出身の者が漢人と同化するケースもそれなりにあったようです。
 ほかにも時代がズレますが、前漢に併呑された滇[てん]族はきわめて高度な工芸品(とくに青銅器)を作っていた、交易路を伝わって中央アジア・インドなどと(物品だけでなく)文化・文明の交流もあった

などを考えると、彼ら異民族が(多少の優劣があっても)中国と対等に近い存在だったことは疑いないと思われます。

 まとまらない文章で失礼しました。
(PC)
16 巫俊(ふしゅん)
侍 中 楊 g 上 封 事 曰 : 「 (李)カク , 辺 鄙 之 人 , 習 于 夷 風 ・・・(後略)

李カク郭伝の注の『献帝 起居注』によると、李カクは夷風を習っていた、つまり蛮族の習俗を習慣としていたとあります。ただし会話文の中で出てくるので注意が必要です。
(PC)
17 巫俊(ふしゅん)
「山民」「山民蛮夷」といった言葉が『三国志』などにあります。
「山民」は常に蛮夷であると書かれる訳ではありませんが、カテゴリー的に近い存在だと見ています。
(PC)
18 赤龍
>>16
文脈的には、

李カクに拉致され、飢えに苦しむ帝と朝臣達。そこで帝が李カクに臣下のための食料を要求したところ、「腐牛骨」が送りつけられた。さすがに帝もこれには怒って、李カクをお叱りになろうとされる。
そこで楊gさんが「あいつは田舎もんで、野蛮人だから、下手に怒ると逆ギレして、なにやらかすかわかりませんぜ」と注意した(勿論、もっと格調高い言葉で)

というお話ですね。
無礼で、単細胞で、平気で無茶やる奴、というような悪口のノリなんで、確かに何割かさっぴいて考える必要がありますね。
まあ、朝臣からみれば辺境出身の軍人はこんなイメージだったということでしょうか。
(PC)
19 赤龍
ところで、スレのテーマと外れますが、ここで帝が要求した食料「米五斛」と「牛骨五具」
これ、普通にただの牛の骨でいいんでしょうか。牛骨でスープのだしをとるような感じの。
集解には「沈欽韓曰、牛骨之肩髀全者、為一具」とありますから、牛の骨丸々5頭分要求ということなんでしょうか?せめて、最低限ご飯とスープぐらい食わせろ、という感じで。だとすると、スープは牛骨が基本?と謎が一杯です。
骨付き肉じゃあないよな?と思ったり。
具体的な食の話になると、私にはさっぱりわかんないです。
(PC)
20 巫俊(ふしゅん)
中央研究院で読める『斉民要術校釈』に、各種の羹(あつもの、スープ)のつくり方(メニュー)が載っていますね。
牛の羹のメニューは載っていないように見えましたが、鶏の羹のメニューによると骨でダシを取り骨は漉して除くとあります。
(PC)