1 元歎

劉禅は暗愚か? 2

引き続き、劉禅について検証していきましょう。

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(PC)
2 李三
元歎さんありがとうございます。
さて、劉禅ですがち、ちくま訳5巻を改めて見た限りではそれほど暗愚だという印象はないですね。註ではそこそこ批判はされていますが。
むしろ、心優しい、平和を愛する君主だったように思えます。
過大評価しすぎかな?
(912SH)
3 朱家
ここで話されてるのは、滅びた責任ですよね?
一部の人に「全責任」を押し付ける、確かにそうなんですが、それは、劉禅の場合、主権が移る事で生じる、魏に敵対した事への全責任ですよね。一揆にしても、失敗した責任ではなく、一揆した責任を押し付けられる訳です。

劉備と劉禅は一心同体との考えですが、君主制ですから、基本的には、何をしても自由ですし、滅びた責任はないというか、滅びるだと主権が移るので、「敗戦」としますが、その責任を追及するのは劉禅であり、もちろん自分とするかもしれませんが、それを現代の人が押し付けるのは、君主制の原則を無視してると思うのです。蜀に勝とうとして、勝った魏が、蜀の敗戦責任を追求する事はないのですから。

要は、劉禅が自分に敗戦の責任を押し付けないなら、誰に押し付けるか?を議論してるつもりなんです。
(PC)
4 巫俊(ふしゅん)
>>3
朱家さんの提案は興味深いです。
又、論旨も明確ですから、考えさせられる内容です。

とっさに考えが浮かびませんが、劉禅は日本の中世で例えれば「鎌倉国家」(鎌倉幕府、鎌倉将軍府)や「奥州国家」(平泉政権、奥州将軍府、奥州探題)の主権者にあたるのではないでしょうか。
日本では「新皇」を称した平将門が滅びて以来、地方の割拠勢力が「天皇」や「皇帝」を称して自立したことはないですが(南朝はもともと天皇なので「自立」から除外します)、劉禅はその「皇帝」版だと考えます。

魏は蜀を滅ぼしても、「皇帝」を称したことを「誤り」であったと認めるだけで安楽公に封じて許しています。
本来、大逆罪なのですから劉禅の三族(近親)を夷(皆殺し)としても足りないくらいです。
ところが許されているので、「皇帝」であったかは不問にされてるといっていいでしょう。つまり条件は鎌倉国家や奥州国家と同じです。

さて、私は魏側の下した劉禅への責任についてあまり述べていないですが、それは当時の支配階層の論理で「責任」を追求することにさしあたりの意味を見出せないからです。

共産国家の首長の責任を私たちが要求する場合、相手国の支配する論理にそって責任を要求する訳ではありません。そういう必要はないです。

三国国家の首長の場合も、その責任は私たちの方法で取って頂きます。
私たちが要求する責任なのだから、人民から搾取して後宮を営む君主に、「君主制の原則」とやらを尊重して批判しなければルールに反すると主張されても、私は容認する気はありません。

私は「宇宙艦隊」と「タイムトラベル機構」さえ指揮下にあれば、躊躇なく三国国家を滅ぼしますので。
三国の首長たちは降伏すれば許して「歴史的遺産人物」として厚遇しますよ。
(PC)
5 巫俊(ふしゅん)
誤解されるといけないので書いておきますが、戦後の日本の歴史学には「過去の時代の人々が犯した誤りは不問にする」「当時の人々の立場にたって考える」という性格がありましたね。
私はこれは論理的ではないと思っているのです。

でも劉禅を「悪」だと決め付けて三国の人民を「善」と決め付けた毛沢東が、20世紀中葉の中国の人民に何をしたか、私は知っていますよ。
そこら辺のことは『蒼天航路』1巻の冒頭に出てくるので知ってる人が多いと思いますが、「君主に虐げる存在で人民は正義」であるという理論を唱えた毛沢東は、「人民が集まって革命を起こしたのに習って、稲作の苗木も狭いところに密植せよ」と命じて穀物を枯らし人民を餓死させ、「英国より多く鉄を生産せよ」と命じて人民から鍋や鎌を取り上げそれを使い物にならないくず鉄にしました。

こうした行為は論理の失敗から来ています。
「当時の人々の立場にたって考える」戦後日本の歴史学はこうした毛沢東系統の中国の歴史学よりも優位に立っています。
しかし「当時の人々の立場にたって考える」ことは当時の人々の常識を理解する為の考え方であって、当時の常識に従って歴史学を組み上げればそれでいいなんて、それは私の立場からすると歴史学の放棄です。
(PC)
6 巫俊(ふしゅん)
×「君主に虐げる存在で人民は正義」
○「君主は虐げる存在で人民は正義」
(PC)
7 李三
ここで言う劉禅の全責任は国を滅ぼした事にたいしてなんで、その対象は蜀漢を支持した全国民になると思います。
魏に対しては降伏し、それが受容され、その処遇を受け入れる事で全うしていると思います。
では、その国民に対してはどうたったか?
私の知る限り、劉禅の降伏やその後の行動によって不当な扱いを受けたようには思われ無いので、特に問題無いように思います。
(912SH)
8 巫俊(ふしゅん)
まあその、各人好きな前提ではなして頂いたら、と思います。
私は滅びたことを論じる機会とした「蜀一時代の総括」くらいの意味あいでの責任について述べてきたので、私自身としては国を滅ぼしたことの責任に拘泥しないです。
(PC)
9 朱家
>>4
「君主制の原則」は、滅びた責任追及のみに限定したつもりです。

>>7
君主には国民を守る義務がないです。もちろん、自分の体の一部ですから大事にしますが、それだけです。
根本的に、君主制そのものを否定する私達、語弊があるので、私に限定しますが、蜀の国自体を否定したるのに、滅びた責任追及は、大きな矛盾です。

巫俊さんのように「蜀時代の総括」の姿勢が正しいのですが、私は楽しければいいと思ってるので(笑)、頭の中で勝手に民主化しても、劉備を上としても、大抵は「劉禅に滅びた全責任を押し付けるのはおかしい」となるので、直接的に否定はしません。
しかし「君主だから」と言われると、民主化でも、劉備が上でも、劉禅は君主ではなくなりますからね。
最高責任者と表現される事もありますが、君主制と民主制では全然違いますしね。
(PC)
10 李三
ちょっとこだわり過ぎましたかね…
正直なところ滅亡に関しては蜀漢の役割が終わったくらいに思っているんですよ。
ショウ[言焦]周の言う、「具(備)え授(禅)ける」が当たらずとも遠からずといった印象です。
(912SH)
11 巫俊(ふしゅん)
劉禅の立場を男女転換させて「かわいそうなお姫さま」にすると、彼の本質が分かるような気がする。
(PC)
12 李三
>>11
考えたこともありませんでした。
面白い意見です。
ところで劉禅の子孫は五胡の乱で絶えてるようですね?
(912SH)
13 巫俊(ふしゅん)
>>12
劉禅の地位を相続した直系の家系はその乱で絶えてしまったと思いますが、傍系の子孫が生き残っていたような記憶があります。
ちと記憶不足で申し訳ない。
(PC)
14 李三
>>13
ちくま訳の劉〔王睿〕伝(劉禅の皇太子)の註によると、劉禅の子孫は絶滅とあります。
(弟の)劉永の孫、劉玄について記述がありますのでそのことかと思いますが、それとも他に何か史料があるのでしょうか?
(私はこの他の史料を知らぬ故)
(912SH)
15 巫俊(ふしゅん)
>>14
すいません、劉永の孫でしたね。
他の史料といっても三国志関係者の誰もそんな史料が存在していると語らないので、よほど三国志関係者の目に届かない史料(伝説ふくむ)であるか存在しないかのいずれかであると思います。
(PC)