1 巫俊(ふしゅん)

三国志世界の戦略的構造について

「三国志世界」と定義された空間における戦略的な構造、つまり個別の案件について語るのではなくて三国志世界の全体に渡って影響を与えている「構造」について語るスレッドです。
(PC)
2 巫俊(ふしゅん)
・スレの概要を構築する言葉の設定
「三国志世界」:
三国時代と書くと後漢が入らない。三国志時代は語呂が悪い。漢末・三国・西晋時代の呼称は良さげだが、漢末や西晋が本当に好きな人だったら三国志関連ばかりに異常な興味は向けないと思う。「三国志世界」とは三国志関連に拘った場合の時代認識で三国志に関係してくる事象はどんな性質であれ目ざとく見つけてくるが、三国志に関係していないと思えば見もしない世界観を指すとする。

・戦略的構造とは?
三国志の構造を考えるにあたっての歴史の考え方:
「三国志世界」全体を取り巻く戦略的な構造を洗い出そうとしてみると、群雄や君主などと俗称されている勢力は自己の「ランド(あえて英語表現)」を地方あるいは「天下(漢語表現)」に構築しようという動機、必要、行動によって存在を規定されていることに気付きます。

これは漢朝の建前である「世のすべての土地と民は天子に従い、臣下は能動的に天子の元に集うことで安寧を得る」という儒教的色彩の思想と相容れないところがあります。

公式な倫理である儒教的な思想に従えば、割拠している群雄は自然と朝廷に従うはずで、そんな理想が覆されて群雄の割拠が着実に進んだのは何故でしょうか。

私の考えた答えはこうです。
群雄とは、漢朝の理想的な概念の中には存在しない存在です。
漢朝の理想とは「天子が地上世界を支配する」という単純なものですが、この理想は単なる個人の妄想ではなくて朝廷が「真実」と認定していたものです。

漢朝の定めていた「真実」が実は「真実」ではなかった。そうするとどうなるのでしょう。
現代人の知識では、三国志の勢力間抗争は「地球人類の抗争の歴史のひとつ」と定義することができます。
(続く)
(PC)
3 三国志○
スレ違いだと申し訳ないのですが、「世のすべての土地と民は天子に従い、臣下は能動的に天子の元に集うことで安寧を得る」との事ですが
単純に明日の飯が食えなかったりする状況〜天変地異や政治腐敗など

危機的状況に直面して、儒教的思想うんぬんを言っていられないようになったのではないのでしょうか。


この今の生活を変えたいなんとかしなければ、という思いで立ち上がった群雄は多いと思います。
高祖劉邦も元は人間ですし、ただ儒教思想がねずいてしまっている古代中国において、やはり建前は漢朝再興〜家柄〜儒教〜天子などを気にしながらの戦略になりますけどね。

背に腹はかえられぬという事でどうでしょうか?
話の途中で申し訳ない…
(912T)
4 巫俊(ふしゅん)
>>3
・三国志○さん。
遠慮(深謀遠慮の遠慮)あるコメントを頂き、ありがとうございます。スレ違いどころかその「背に腹はかえられぬ」描写をどうやって文章に入れるかとっさに思い浮かばなかったものでして、接木の如き言葉のチョイス助かります。
「理想」と「現実」はそもそも相容れない上に、ねじれて組み合っていたりするものでして、漢朝の理想対群雄の立場という対立軸の設定も観念論の謗(そし)りを免れないのですが、まあ他にさしあたっての表現が無かったもので。
(PC)
5 三国志○
>>3
・巫俊さん。
いえいえ、私のような者の意見が役に立ったのであれば幸いです。
いつも巫俊サンの専門的知識、天草サン初め、赤龍サン 大伴サン しすサン達の討論をとても楽しみに拝見させて頂いております。
ぜひこれからも色々ご指導のほどよろしくお願い致します。
(912T)
6 三国志○
>>4
でした。すいません。
(912T)
7 李三
いくつかの要素が絡み合っていて非常に複雑な話のように思えるのですが、ひとつには儒教の影響力が低下していたのだと思います。
価値観の変化と価値観の異なる勢力の台頭があったと感じます。
道教と仏教、異民族との関わり、軍閥それと朝廷の権威の失墜などでしょうか?
(912SH)
8 巫俊(ふしゅん)
ttp://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50537259.html
ブログ「三国志博物館集解」の赤龍さんの記事へのコメントです。

書店は軍師を売りたい。先生は名士を書きたい。名士といえば軍師ということで出版されたこういう本を見て私たちのような三国志好きが把握することは、

「この先生は名士を追いかけることで必死なんだ。」

ということでしょうか。
とはいえ名士を中心に三国志を描きたいと願う人は少なくないと思います。
宮城谷昌光も名士というか清流派士大夫(濁流人士でも宮城谷が清いと感じたら、やっぱり清いということになる)がお好きなようですし。
渡邉先生もこの機会に、自身で選別した名士たちの歴史的な役割を世に紹介したいのだと思いますが、私の前にこの本が出てくると逆効果かもしれませんねぇ(笑)


私は常々思うんですが、名士が歴史に対してある重要なポジションにいるということと、「三国志研究を名士が主導する」ということは別の次元だろうと思うんです。
私にとっては名士研究は相対化しないといけないもので、先生にとってはたぶん生涯かけてやってきたことだろうから『三国志研究入門』なんて著作も名士が中心になっている。

三国志は普通の大学の先生たちからすれば、三国志のことばかり研究したがる学生をいかに三国志から引き離すか、三国志を中心に動いている世間の流れから唐宋史なり明清史を専攻する学生を獲得するというハナレワザをやってのけるのが大学の先生の仕事。

ところが三国志研究の先生ってのは立場がまるで逆で(笑)大学では三国志を放棄したいとストレスを貯める同僚に囲まれ、世間では「大学の先生は私たちの知りたい三国志を研究しない」もしくは「研究してるんだけど世間の感覚とは乖離している」と言われて、板ばさみ。
(PC)
9 巫俊(ふしゅん)
でも長年の三国志人気で三国志を研究したいと言う学生は安定多数を保っています。
そこでこの板挟み状況も改善されるかと思うところですが、そうはいかない。
長年板挟みされてきた三国志の先生たちは板挟みの中で育ったから、板挟みされても三国志を研究してきた先生というのは、つまり大学側の歴史観や淘汰圧力を受け容れてきた先生ばっかり。

つまり現実に屈した上に、それに慣れてしまっているから、理想を掲げてくる学生の混沌とした研究要求に戸惑ってしまう。皮肉なことは

大学:アラインメント秩序(ロウ)。研究の現実に屈している。研究内容は具体的。
学生:アラインメント混沌(カオス)。理想を掲げているが研究内容は乏しい。
という性格のあまりな違い。
そこに第三の勢力であるインターネット研究という場所が出てきたんだけど、掲示板などで形成される三国志ファンたちは「大学の束縛を受けない」で成長してきたんだから、「大学の束縛を自ら受容してきた」先生たちとは考えることは異なっていて当然ということ。
(PC)
10 巫俊(ふしゅん)
大学の先生というのは、歴史研究の最前線にいるのと同時に、研究者間の合議で合意された周到な歴史観を有しています。
だから合議で合意された内容に沿って、ひとり三国志研究を奮闘、邁進されてきた渡邉先生は当然のように研究界のスタンダードである名士本を世に出す訳。
ところがインターネットではこのような合意は形成されていないですし、形成できない。何故ならば、そもそも研究者どうしの合意というのは文献の解釈をめぐって判断や結論の異なる研究者たちが、実は結論部分が大きく異なるにも関わらず、同意する場。

そこがどんなところか見当が付くと思いますが、厳しい客観的な研究態度が求められ、そのくせ先生個人の結論はというと、客観的には結論できない部分、つまり主観によって判断がされるのです。
厳しい客観研究のすえに、とても個性的で主観的な持論、結論を持つ先生がいる研究機関、こういうところから世間一般を「導く」と称する入門書や概説書が発刊されるのですから、世間から何だかおかしいぞと思われてもどうしようもないというものです。

先生もここまでせっかく努力されてきたのに、そういう構造の歯車になってきた自分に納得できるんでしょうか?
私は「そんなことがしたくて研究したいと思ったんじゃない!」と何回思ったか知れないんですけど(^^;
これが私の判断するところの三国志研究の戦略的な構造というところです。
(PC)
11 寿君
何故、このスレッドを上げて、3連書きまでして語られたのか…?。

このスレッドでの書き込みを全て読んだ上で、自分なりに「何かを憂いて訴えたかった」事に気づかされました。深読みかも知れません…いや深読みでしょう。でも、三国志世界を構成する物を知っておかなければ、いくら正史をパラパラ捲って記事を追いかけても、それこそ虚しいだけなのかも知れません。
私は表面的にしかこのカテゴリーを判っていなかったのかも知れません。
(P905i/FOMA)
12 寿君
追記
「何かを憂いて…」の所は、巫俊さんがと言う意味です。そう私が深読みしてるかも知れないけど…となります。

ちょっと語弊がある事に気を付けながら書いたら、文意が変になりました
(P905i/FOMA)
13 巫俊(ふしゅん)
深読みは、寿君さんがどんな深読みをされてるかが分かりませんけれども(笑)
私は何か書くときも、日頃から深く考えていることとの関係を考えて書いていることが殆どです。よほど訴えたいこと、どうにかならないかと憂えていることが無ければ、ここまで書けないでしょう。
それが「何か」ということは機会を得ないとなかなか言えないですね。
(PC)
14 寿君
>よほど訴えたいこと、どうにかならないかと憂えていることが無ければ、ここまで書けないでしょう。


これで思ったのですが、「固定観念を無くして、グローバルな視点から物事を見て考察するべきだ」と言う事でしょうか?。
渡邉義浩さんの著書への、批評を見ていますと、そのように感じました。
(PC)
15 巫俊(ふしゅん)
>>14
グローバルな視点とは、普遍主義ということですよね。
ちょっと違うんですよね。グローバルは否定的なニュアンスで使うことが多くなってきましたから。
寿君さんのおっしゃることはそんなに外れてないと思うんですけど、もう少し違う言葉を使わないと、たぶん足をすくわれます。
(PC)
16 巫俊(ふしゅん)
私の考えていることが普遍主義の発展型であるとしても、
それはキリスト教的性格より端を発して西欧の風土より地球上の文化を西欧主導によって発展させた現在スタンダードな普遍主義と一致する訳ではありません。
ましてやアメリカ政府が他国に圧力をかける際に使用する普遍主義という言説とは目的も用途も性格もかけはなれています。
(PC)
17 巫俊(ふしゅん)
ところが普遍主義という言葉を使うと、私巫俊の書いてきたことを詳しく知らない人、
そもそも普遍主義という考えについて普遍(あまねくゆきわたる)的に考えるという意味でしか理解していない人、つまり学問や言葉の概念の細かい違いを分別する能力を養っていない人は、
全く意味を区別することができないですよね。
私の言うことと他の人の言うことが区別できない訳です。寧ろこういう掲示板ではそういう人の方が普通でしょうから、私はそうと認めることを躊躇するのです。

寿君さんは同じ言葉に複数の意味があるということを意識されるといいですよ^^
そしてそれは文脈の中でしか区別できない。そして幾ら努力して書き分けても区別できない人が出てくる。

(頻出する言葉ではないですが、適当:いい加減という意味と適切という意味の二種類の意味を言葉の中に内包している)

そういうことなので、寿君さんがこの掲示板や他の掲示板で培う会話の経験が、いずれ寿君さんの文章に、過去の経験に照らして適切な文体をつくってくれると思います。
だから焦ることはありませんから、私や他の方と会話しながら経験を重ねていってください。
(PC)
18 寿君
ご教授ありがとうございます。
自分もそのように励みたいと思います。

何やら、真意を知りたいばかりに、詮索めいてるように映ったのでしょうか?。
あまり、深く触れてはならない事だったのでしょうか?。
それは薄々感じてはいたのですが…。

どうも執着しすぎた嫌いはあったと反省してます。

あんまり、長々と語っておられるので、興味を持っただけですので、どうかご容赦を…。
(P905i/FOMA)
19 寿君
申し訳ないです。余りに言葉が難しすぎて、下手に解釈すると誤解が誤解を呼びそうなので、追記します。
グローバルと言う言葉を普遍主義とは言ってません。私の国語力の低さから来る言葉の使用ミスなのかも知れませんが、「広い視野」と言う意味で好意的に理解してたつもりなんですが…。
それに、貴方を一方的に決めつけてはいない証拠に、疑問形でお尋ねしてるました。
(つづく)
(P905i/FOMA)
20 寿君
私は個人的に人様を一方向から決めつけるのは危険と思ってますから、断定形の書き込みはしないようにしてます。
実際私が貴方様を断定するような事を言ったでしょうか?。
本当はでご存念をうかがいたいぐらいに貴方様のレスに興味を引かれましたが、個人情報の問題からメアドを添付するのは、いかがなものかと躊躇せざるを得ず、だからと言って決めつけ訳にも行かず、悶々としていたのです。
貴方が「女性たち」のスレでおっしゃったか「掲示板の利益」を考えるからこそ、「言わぬが花」と思ってるし、抑えています。
あまりにスレから逸脱しまたしたので、自治会掲示板に書きます。
どうか脱線した事をお許しください。
(P905i/FOMA)
21 漢寿亭侯
寿君さん、あんまり釣られんほうがいいっすよ!もっと気軽、気さくに「三国志世界」を楽しみたい人のほうが大多数なんすっから!あんまり小難しいと皆さん投稿しにくくなりますわ。どこぞの本に書いてましたが「史観」なんて百人いれば百通りあってええと思いますわ!
(SH702iS/FOMA)
22 巫俊(ふしゅん)
>>21
ありがとうございます。皆さんは自立した個人なのですし、私の言うことに興味をもって頂ければ光栄ですが、しかし自分の好きなようにされたら良いのです。

楽しむことが第一な人、疑問を聞くことが第一な人、私のように考えることを繰り返したり歴史をいじくることが好きで、質問には気さくに答えるが、なにぶん考えていることが多岐に渡るので「何を考えているのですか?」と聞かれても一回では答える機会を得ない人もいる訳です。

私としては楽しいことには異存はありませんが、楽しむだけで内容に乏しい場で発言することは少ないだろうと思います。
エサを見つけてそれを考えることが私の長所ですからね。

その為、考えるよりは楽しみたいという方は、ご自身で楽しみの湧き出す泉を探して頂ければと思います。
私の知ってる雑多なネタだったら何でも話しますが。
(PC)