2 天草
いいっすね!
やっぱり英雄でしょ!?
確かに悪事も残されてますが、董卓他、数々の悪約役に比べれば、大したことはないいし。
私としては結局天子に登らなかった事に、彼の人格者たる所以を見る事が出来るような気がします。
他の皆さんはどうですか?
やっぱり英雄でしょ!?
確かに悪事も残されてますが、董卓他、数々の悪約役に比べれば、大したことはないいし。
私としては結局天子に登らなかった事に、彼の人格者たる所以を見る事が出来るような気がします。
他の皆さんはどうですか?
(PC)
4 大伴
皇帝とならなかったのは、人柄か否かは微妙なところですが……
彼は確かに冷淡な面も多く持ち合わせていた様です。例えば暗殺を防ぐ為に、狸寝入りをし、近づいた者を殺しています。寝ている時に、無意識に人を殺す、というイメージを作る為に、一人斬ったのですね。
しかし彼は一方で、部下思いであり、非常に情の厚い部分も見せていますし、又、冗談も得意だった様です。
ステレヲタイプに語れる人は少ないでしょうが、曹操は特に、多面性を持った人物である様ですね。
彼は確かに冷淡な面も多く持ち合わせていた様です。例えば暗殺を防ぐ為に、狸寝入りをし、近づいた者を殺しています。寝ている時に、無意識に人を殺す、というイメージを作る為に、一人斬ったのですね。
しかし彼は一方で、部下思いであり、非常に情の厚い部分も見せていますし、又、冗談も得意だった様です。
ステレヲタイプに語れる人は少ないでしょうが、曹操は特に、多面性を持った人物である様ですね。
(F2102V/FOMA)
6 独眼龍李克用
曹操は『孫武の兵法書』を注釈していますが、相当古典を読んでいる節があります。そして曹操は光武帝に憧れていた可能性があります。それはなぜかというと光武帝がしたことをよくするのです。
例えば袁紹を破った後敵陣のすべての文書を焼き払うのは、光武帝が王朗(魏の王朗とは別)を討ったときにしたことであり、曹操が言った「隴を得て蜀を望む」は、光武帝が隴と蜀を攻めている部下の岑彭(光武二十八将の一人。『後漢書』で蜀を攻めた彼のことを「所向無前(向かうところ敵なし)」と形容している)にあてた親書に「人は足ることを知らずして苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望むなり。〜」から借りた言葉である。他にも光武帝は部下を大事にしていたところをも曹操は見習っていたのかもしれない。
例えば袁紹を破った後敵陣のすべての文書を焼き払うのは、光武帝が王朗(魏の王朗とは別)を討ったときにしたことであり、曹操が言った「隴を得て蜀を望む」は、光武帝が隴と蜀を攻めている部下の岑彭(光武二十八将の一人。『後漢書』で蜀を攻めた彼のことを「所向無前(向かうところ敵なし)」と形容している)にあてた親書に「人は足ることを知らずして苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望むなり。〜」から借りた言葉である。他にも光武帝は部下を大事にしていたところをも曹操は見習っていたのかもしれない。
(P900i/FOMA)
7 大伴
いけてますね(笑)
酒と女と、詩文を愛した人物ですからね。
少々人間味のある人物でなければ、文人として名を残す事はありませんよ。
阿Q正伝や故郷、狂人日記等で知られた、魯迅という作家が、通俗演義での曹操像に疑問を投げ掛けて以来、曹操という人物は再考されてきました。現代の中国では、彼の革命家としての性質がクローズアップされ、再認識されている様です。
尚、魯迅の曹操評(広東での講演を収録「魏晋の風土と文章、その薬と酒の関係」)は、竹内好訳の短篇集に収められています。前半が曹操や曹丕、曹植について語っています。短い文章ですので、どうぞ。晋の時代の名士は皆、薬をやっていた!!!
酒と女と、詩文を愛した人物ですからね。
少々人間味のある人物でなければ、文人として名を残す事はありませんよ。
阿Q正伝や故郷、狂人日記等で知られた、魯迅という作家が、通俗演義での曹操像に疑問を投げ掛けて以来、曹操という人物は再考されてきました。現代の中国では、彼の革命家としての性質がクローズアップされ、再認識されている様です。
尚、魯迅の曹操評(広東での講演を収録「魏晋の風土と文章、その薬と酒の関係」)は、竹内好訳の短篇集に収められています。前半が曹操や曹丕、曹植について語っています。短い文章ですので、どうぞ。晋の時代の名士は皆、薬をやっていた!!!
(F2102V/FOMA)
8 独眼龍李克用
私の意見は、英雄だといえる、です。彼が成したことは開明的であり革命的なのです。ただし英雄とは血の流された上で成り立つものであり彼の考えが時代の先を行きすぎて人々は戸惑ったでしょう。だから奸雄と呼ばれるのでしょう。
彼はなにものも意に介さず冷徹に断を下しながら彼の詩は陽気である。曹操という人間は二重に三重に積み重ねられた人間だといえよう。そんな人物を私は尊敬して止まない。
陳寿の言葉を借りて終わりを飾ろう。
『非常の人、超世の傑と謂うべし』
彼はなにものも意に介さず冷徹に断を下しながら彼の詩は陽気である。曹操という人間は二重に三重に積み重ねられた人間だといえよう。そんな人物を私は尊敬して止まない。
陳寿の言葉を借りて終わりを飾ろう。
『非常の人、超世の傑と謂うべし』
(P900i/FOMA)
9 くわぁまん
社会人として、曹操、劉備、直属の上司だったらどちらがよいですか?
あちしは、劉備ですな。
自分の才能を発揮させようと懸命に努力しようと思わせてくれそーです。
曹操の場合は期待に応えられないと剣の贈り物貰いそーで恐い…
あちしは、劉備ですな。
自分の才能を発揮させようと懸命に努力しようと思わせてくれそーです。
曹操の場合は期待に応えられないと剣の贈り物貰いそーで恐い…
(SH900i/FOMA)
10 子竜
確かに英雄とは多くの血が流された上で成り立つものだと思います。ただし、それは道義にもとった上で…ならばの話です。確かに曹操はあらゆる面で多大な功績を残しています。これだけならば英雄と呼んでも差し支えは無いと思います。しかし曹操は、徐州で虐殺を行っております。例え、どれだけ輝かしい功績を残しても、この一点の曇りのために曹操は英雄と呼ばれる資格は無いと思います。やはり曹操は姦雄止まりなのではないでしょうか…。
(W11K/au)
11 くわぁまん
曹操の字は言わずと知れた孟徳ですが、皆様は孟の漢字を見て何か思われませんでしたか?
自分の知る限りでは孟の字を使った人は二人しか思いつきません。
一人は孟子(孟軻)と孟嘗君(田文)です。
この二人の中で今回は孟嘗君をピックアップします。彼は言わずと知れた鶏鳴狗盗、人材集めで有名です。…そう、かの曹操もまた人材集めが趣味でしたね。
そこで一つ気がつきました。孟嘗君は田氏出身、田氏といえば平原地区広範囲を勢力下に置く豪族、呂布の反乱に呼応した集団でした。曹操とすれば複雑な気持ちだったでしょうね。
自分の知る限りでは孟の字を使った人は二人しか思いつきません。
一人は孟子(孟軻)と孟嘗君(田文)です。
この二人の中で今回は孟嘗君をピックアップします。彼は言わずと知れた鶏鳴狗盗、人材集めで有名です。…そう、かの曹操もまた人材集めが趣味でしたね。
そこで一つ気がつきました。孟嘗君は田氏出身、田氏といえば平原地区広範囲を勢力下に置く豪族、呂布の反乱に呼応した集団でした。曹操とすれば複雑な気持ちだったでしょうね。
(SH900i/FOMA)
13 天草
確かに徐州暗殺は曹操の最大の汚点でしょうね。
あれ以来数多くの名士や地元民を敵に回してます。呉の臣下には、あの頃の徐州出身者が多くて、目の仇にしていたらしいですからね。
前の陶謙のスレで出てきましたが、あれが父親の復讐だとすると、あまりにも軽率な行動でしたね。
あれ以来数多くの名士や地元民を敵に回してます。呉の臣下には、あの頃の徐州出身者が多くて、目の仇にしていたらしいですからね。
前の陶謙のスレで出てきましたが、あれが父親の復讐だとすると、あまりにも軽率な行動でしたね。
(PC)
14 独眼龍李克用
くわぁまんさんの意見を非難するわけじゃないですが、「孟」には長男や一族親戚一同の頂点という意味があるので曹操が田氏というのは少し違うような。それに孟嘗はおそらく地名なので。
曹操は元は夏侯氏なので徐州付近に豪族がいたことはありえますね。夏侯氏の祖とされている夏侯嬰は劉邦と同じ沛出身なので。
曹操は元は夏侯氏なので徐州付近に豪族がいたことはありえますね。夏侯氏の祖とされている夏侯嬰は劉邦と同じ沛出身なので。
(P900i/FOMA)
15 くわぁまん
あのぉー、曹操は田氏出身では無いと思いますよ。
勘違いさせてしまった見たいで、恐縮です。m(__)m
何分、あちしが三国志関係趣味で調べたの、ん〜年前で、当時光栄で歴史投稿雑誌ゲームパラダイス、のちに歴史パラダイスというのが有ったんス。
そんときのネタ用に調べたものでモー半分忘れてました。
もしかしたら天草サン、ゲーパラ知ってらっしゃるのでは?
勘違いさせてしまった見たいで、恐縮です。m(__)m
何分、あちしが三国志関係趣味で調べたの、ん〜年前で、当時光栄で歴史投稿雑誌ゲームパラダイス、のちに歴史パラダイスというのが有ったんス。
そんときのネタ用に調べたものでモー半分忘れてました。
もしかしたら天草サン、ゲーパラ知ってらっしゃるのでは?
(SH900i/FOMA)
17 大伴
まぁもっとも、字に「孟」の字の付く人は腐る程いる訳ですから(長男を意味する為。馬超など)、そこから連想した事自体が、牽強付会に過ぎるのでしょうね。
孟達、孟獲と、三国志の時代に性で孟の字の付く人もいますよ。
孟達、孟獲と、三国志の時代に性で孟の字の付く人もいますよ。
(F2102V/FOMA)
19 独眼龍李克用
ここでかなり関係ないですが『字』と『名』という漢字について語りましょう。
白川静:著:漢字百話より(この方は漢字の大学者様です)
まず、加入儀礼を行なう年齢によって、『字』がつけられ、ついで『名』がつけられる。『名』がつけられることによってその人の人格が確立され、『名』は実体そのものとされた。『名』は実体そのものであるから家族と目上(王とか)にしか教えず、普段は『字』をつかう。
『字』の原義によると本来「じ」と読むのではなく「あざな」と読むとしている。
『字』という漢字は幼名でありなぜ幼名なのかというと「子」という漢字が中にはいっていて上のは屋根の形をしている。
これを甲骨文字でみると、「∩」の中に「♀」子供の絵が描かれている。
∩は屋根が垂れている形でありそういうものは必ず廟屋、先祖のみたまやとしている。
なぜ廟屋に子供がいるのかというと氏族員の一員として初めて(生まれてから)祖霊に謁見し、その子の生育の可否について祖霊に報告し、その承認を受ける儀式をしていてそのときに幼名、小字(曹操は阿瞞)というものがつけられる。それが本来の『字』の意味であり、私見だが成人するときにも別に『字』をつけるのはやはり儀式が関係していると思う。
次に『名』だが『名』の上部は祭肉(お供え/タを二つ書いておおいというのは肉が多いということ)であり下の口は祖廟に告げるのりと(呪術的なものであり器の形をしている/言や吉や舎などの口はくちではなく↑の意味がある)で、その器の形「∪+中程に―」(さい)をもって示す。養育して一定の年数に達すると、氏族員としての『名』が与えられ、祖霊に報告する。命名には決まりがあり、祖霊の承認を必要とする。それを象形として書き表わしたのが、『名』である。
三国志にはあまり関係が無いが名と字の説明でした(*^o^*)
白川静:著:漢字百話より(この方は漢字の大学者様です)
まず、加入儀礼を行なう年齢によって、『字』がつけられ、ついで『名』がつけられる。『名』がつけられることによってその人の人格が確立され、『名』は実体そのものとされた。『名』は実体そのものであるから家族と目上(王とか)にしか教えず、普段は『字』をつかう。
『字』の原義によると本来「じ」と読むのではなく「あざな」と読むとしている。
『字』という漢字は幼名でありなぜ幼名なのかというと「子」という漢字が中にはいっていて上のは屋根の形をしている。
これを甲骨文字でみると、「∩」の中に「♀」子供の絵が描かれている。
∩は屋根が垂れている形でありそういうものは必ず廟屋、先祖のみたまやとしている。
なぜ廟屋に子供がいるのかというと氏族員の一員として初めて(生まれてから)祖霊に謁見し、その子の生育の可否について祖霊に報告し、その承認を受ける儀式をしていてそのときに幼名、小字(曹操は阿瞞)というものがつけられる。それが本来の『字』の意味であり、私見だが成人するときにも別に『字』をつけるのはやはり儀式が関係していると思う。
次に『名』だが『名』の上部は祭肉(お供え/タを二つ書いておおいというのは肉が多いということ)であり下の口は祖廟に告げるのりと(呪術的なものであり器の形をしている/言や吉や舎などの口はくちではなく↑の意味がある)で、その器の形「∪+中程に―」(さい)をもって示す。養育して一定の年数に達すると、氏族員としての『名』が与えられ、祖霊に報告する。命名には決まりがあり、祖霊の承認を必要とする。それを象形として書き表わしたのが、『名』である。
三国志にはあまり関係が無いが名と字の説明でした(*^o^*)
(P900i/FOMA)
20 大伴
三国志が注に引く、孫盛の異同雑語で、許劭の返事は、
「治世の能臣、乱世の姦雄」
と記されていますが、後漢書での回答は
「清平の世の姦賊、乱世の英雄」
というものです。まったくの逆ですね。
「治世の能臣、乱世の姦雄」
と記されていますが、後漢書での回答は
「清平の世の姦賊、乱世の英雄」
というものです。まったくの逆ですね。
(F2102V/FOMA)
24 くわぁまん
ちょっち忘れちゃったのですが、確か曹操の前歯無い、歯っ欠けなんですよねぇ?
誰かの矢を口で受けて間抜け顔になってたような…。
澄ましたときはカッコイイけどニヤケタときはガッカリてか?(>_<。)
誰かの矢を口で受けて間抜け顔になってたような…。
澄ましたときはカッコイイけどニヤケタときはガッカリてか?(>_<。)
(F901iC/FOMA)
25 無問題
平和な世に生活している彼の姿が全然創造できません(笑)あれほど乱世が似合う男も少ないですよね?くわあまんさんがおっしゃっていた歯が欠けた話は多分演技だったと思います。
(W21K/au)
27 赤龍
『三国志』には、曹操の外見にふれた記述は無かったと思われます。東晋の『世説新語』に、曹操が自分の容姿が貧相だったため、匈奴の使者に対して替え玉を使った話が見られます。背が低いとは書かれてませんが、貧相な外見だったということは、古くから有名だったようです。
(PC)
28 赤龍
正史で、劉備や孫権が優れた容貌だった事が記述されているにもかかわらず、曹操については何も記されず。そして近い時代の『世説新語』には、すでに貧相という記述がある。こうしたことから、魏を正統とする『三国志』では、遠慮して曹操の容姿には触れられず、そのことから貧相な容貌は事実か、少なくとも人に誇れるような容姿ではなかったという推測もできます。
(PC)
29 ストラップ
作家の酒見氏が、「乱世の奸雄」は誉め言葉で悪口では無い、と書いていましたが、そんな気もしてきますね。
今日記述を見つけたのですが、建安七子の一、孔融を殺した際、その幼い息子と娘を曹操は殺しました。逃げるように薦められた兄妹が、逃げても無駄であると動じなかった事を知った曹操は、利発な子供を残したのでは後が恐ろしいと、非情な判断を下したようです。この、時に見せる計算高さが、不人気の理由なのでしょうね。
孔融関連スレッドって、もしかして>>>150?
今日記述を見つけたのですが、建安七子の一、孔融を殺した際、その幼い息子と娘を曹操は殺しました。逃げるように薦められた兄妹が、逃げても無駄であると動じなかった事を知った曹操は、利発な子供を残したのでは後が恐ろしいと、非情な判断を下したようです。この、時に見せる計算高さが、不人気の理由なのでしょうね。
孔融関連スレッドって、もしかして>>>150?
(PC)
30 天草
確かに曹操にはそういう負のイメージがつきまといますが、それは大業を為すために通った非情のエピソードが生む産物なんでしょうね。
しかし、曹操以上に跡取りのあの方にはそのイメージが強く残りますよね。
彼には確か専用スレがありましたね。
しかし、曹操以上に跡取りのあの方にはそのイメージが強く残りますよね。
彼には確か専用スレがありましたね。
(N900i/FOMA)
31 くわぁまん
事を興すには必ずといって良いほど大義名分というものが必要となります。
劉備(蜀漢)には貧民の救済、漢の復興という大義名分が有った為孔明は配下となりました。しかし曹操、孫権にはその大義名分は有ったのでしょうか?
無ければ漢の簒奪者と言う暗いイメージが付き纏う事になったはずですが…、皆さんは如何お考えですか?
チョッチ酔っ払ってるのですがヨロシクです。
劉備(蜀漢)には貧民の救済、漢の復興という大義名分が有った為孔明は配下となりました。しかし曹操、孫権にはその大義名分は有ったのでしょうか?
無ければ漢の簒奪者と言う暗いイメージが付き纏う事になったはずですが…、皆さんは如何お考えですか?
チョッチ酔っ払ってるのですがヨロシクです。
(F901iC/FOMA)
32 ストラップ
多分、陳舜臣氏の本に書いてあったと記憶しますが……陳琳の激文に記述が無いので、曹操の呂泊奢殺しは後の創作だ……というのは、なるほどなと感じた事があります。
(F2102V/FOMA)
34 赤龍
>>32
私も呂伯奢殺害事件は、後の誇張、もしくは創作と思ってますが、陳琳の激文に記述が無いから創作だというのは、ちょっと強引な論法なんじゃないかなと思います。
曹操の性格を示す面白いエピソードとしても、天下に示す檄文に載せる話題にしては地味というか、些細な事件に思えますしね。
>>33
袁紹伝の注の『魏氏春秋』に全文のってますよ。
私も呂伯奢殺害事件は、後の誇張、もしくは創作と思ってますが、陳琳の激文に記述が無いから創作だというのは、ちょっと強引な論法なんじゃないかなと思います。
曹操の性格を示す面白いエピソードとしても、天下に示す檄文に載せる話題にしては地味というか、些細な事件に思えますしね。
>>33
袁紹伝の注の『魏氏春秋』に全文のってますよ。
(PC)
35 荷糸
曹操は英雄だと考えます。徐州の大量虐殺は賛否のわかれる所ですがあれを全ての民・敵・賊に対してのみせしめだと考えればよかったのではないかと考えます。なぜならそれほどまでの親孝行の人物なのではと考えれば当時の儒の考え方的には良い方にとらえられもするし、ここまで見せれば賊も曹操支配圏にあまり出なくなると考えれます。当時の古くさいしきたり等を変えるために姦雄と言う呼ばれ方をしたのではないか?そう考えます。治世の能臣というのもやはり正しいと感じます。漢の皇帝の権力などの全てをなくした曹操ですが最後まで漢自体を潰す事はなく、魏王の地位に溜まっています。もし仮に治世に曹操がいたならば今の日本の天皇のような権力はないが半永久に続くような形にしたのではないかと考えます。(ここは完全な想像なのですので゛笑)曹操こそ真の英雄ではないかと考えます。
(W21S/au)
36 劉
>>35
大量虐殺は曹操の汚点の一つだと思われます。親を殺されたからと言って他人を傷付ける人を親孝行だとは思いがたい。自分なら逆に反乱起こしそうですね"笑、漢帝国についてもですが、実権は曹操が魏王についても漢にあったのでは?曹丕が帝位に昇るまでは漢帝国は現と存在し実権は薄くなりつつもあったと思われます。
大量虐殺は曹操の汚点の一つだと思われます。親を殺されたからと言って他人を傷付ける人を親孝行だとは思いがたい。自分なら逆に反乱起こしそうですね"笑、漢帝国についてもですが、実権は曹操が魏王についても漢にあったのでは?曹丕が帝位に昇るまでは漢帝国は現と存在し実権は薄くなりつつもあったと思われます。
(W32SA/au)
37 荷糸
徐州大量虐殺は確かに汚点ととれますが、しかし、自分に反抗すべきものすべては殺すという態度は敵対する国の民の気をそぐために素晴らしい布石ではなかったのではないか?と考えます。それと漢帝国に実権はまずないでしょう。大義・承認等に使われるだけであってまず皇帝自身が詔勅を勝手にはだせなかったのではなかったではないでしょうか。だからこそ曹操暗殺計画を考えたのでしょう。もし実権がまだ漢にあったのなら曹操を罷免すればよかっただけなのですから。
(W21S/au)
38 朱家
徐州虐殺の擁護は難しいと思いますね。陶謙は、正史のような完全悪ではないと思いますが、民が心服してたとも考えにくい。曹操は、協力しないものの、反抗もしない民を殺した事になり、これは見せしめではないです。民の必要性を誰よりも理解してた曹操にしては、考えられない行動で、完全に壊れていたのでしょう。曹操に何らかの狙いがあったとしても、結果的には大失敗ですね。
(W32K/au)
39 飛燕
徐州大虐殺が策だったとは、僕は考えられません。1800年たった現代でもこれが元で、善人か悪人かが議論されてるんですから当時はもう、悪名が一気に広まっちゃったんじゃないですか?この時の曹操は完全に感情だけで動き、自分を見失ってたと思います。その感情が何かが謎ですけどね。
(F900iC/FOMA)
40 劉
ストラップさんか、元歎さんかなぁ…、ちょっと忘れましたがこんな事を言っている人がいました↓
"曹操の三大汚点は、徐州大虐殺・宛でのカクとの戦い・赤壁の戦い、徐州大虐殺は親を、宛城では曹昂など、赤壁の戦いは…(すいません忘れました↓"笑)どれも、親戚あたりを殺られており曹操が負けるまたは、おかしくなる時は肉親が殺されて…"
みたいなことを言われていた方がいたんですが…、どこに書いてあったかわかりません↓ともかく、大虐殺は曹操自体がおかしくなっているまたは、怨みを民にぶつけたとしかいいようがない行動でしょう。この時、曹操は項羽かなんかに称されたりしませんかね???
"曹操の三大汚点は、徐州大虐殺・宛でのカクとの戦い・赤壁の戦い、徐州大虐殺は親を、宛城では曹昂など、赤壁の戦いは…(すいません忘れました↓"笑)どれも、親戚あたりを殺られており曹操が負けるまたは、おかしくなる時は肉親が殺されて…"
みたいなことを言われていた方がいたんですが…、どこに書いてあったかわかりません↓ともかく、大虐殺は曹操自体がおかしくなっているまたは、怨みを民にぶつけたとしかいいようがない行動でしょう。この時、曹操は項羽かなんかに称されたりしませんかね???
(W32SA/au)
41 沢庵
初めまして。沢庵と申します。 まだ浅学の身ながら皆様の話に加わらせてください。徐州での虐殺ですが私はある意味正しかったのでは?と思います。 自分に敵対する者は容赦はしない。そのことを天下に知らしめる事により無駄に反抗を防ぎ恭順を促していたのではないでしょうか?そうすれば悪名は広がりますが結果的に流す血は少なく天下を平定できると思ったのではないでしょうか?ちょうど日本の織田信長が同じような方法をしている辺り私はこの考えを持ちました。 二人とも悪名を受けながらも見事な統治と当時の最大勢力を誇り戦乱と民をいち早く切り離そうとした方だと思います。 従って私の考えは本当にある意味正しかったと思います。 長文失礼しました。
(N700i/FOMA)
42 ストラップ
>>40
それは少なくとも僕の発言ではありませんね(汗)
曹操という人はその出時の為に、もともと名士達から嫌われていた様です。名士は儒教の精神から家柄で人間を判断しますからね。ですから今日まで、曹操に関しては悪評が作られ、伝えられている訳ですが……だからこそ、曹操としてもなるべく敵は減らしたかっただろうと思うのです。
徐州での出来事は、どう考えてもインテリぶった人々の好みそうな話では無い。だから何にせよ、失敗である事には間違いないと僕は思うのです。
徐州での出来事は、曹操嫌いの名士連中へバッシングのネタを提供した様なものだと僕は考えますね。
それは少なくとも僕の発言ではありませんね(汗)
曹操という人はその出時の為に、もともと名士達から嫌われていた様です。名士は儒教の精神から家柄で人間を判断しますからね。ですから今日まで、曹操に関しては悪評が作られ、伝えられている訳ですが……だからこそ、曹操としてもなるべく敵は減らしたかっただろうと思うのです。
徐州での出来事は、どう考えてもインテリぶった人々の好みそうな話では無い。だから何にせよ、失敗である事には間違いないと僕は思うのです。
徐州での出来事は、曹操嫌いの名士連中へバッシングのネタを提供した様なものだと僕は考えますね。
(F2102V/FOMA)
43 飛燕
>>40
確かに、曹操の敗戦には肉親の殺害が絡んでいますね。けれど、その事であの曹操が自分を見失うほど狂うとは思えないんです。そんな体験あるはずもないので彼の気持ちを完全に理解はできませんが、多少なりとも理解はできます。だからこそ、そこまでするか?と疑問に思う訳です。しかし、こういう、感情に動かされて自分を見失った曹操からは人間臭さが感じられますよね。
赤壁にも肉親の死亡がからんでいるとしたら曹沖あたりじゃないですか?だとしたら、孫権達には八つ当たりして敗けた、ということになっちゃいますけどね(笑)
確かに、曹操の敗戦には肉親の殺害が絡んでいますね。けれど、その事であの曹操が自分を見失うほど狂うとは思えないんです。そんな体験あるはずもないので彼の気持ちを完全に理解はできませんが、多少なりとも理解はできます。だからこそ、そこまでするか?と疑問に思う訳です。しかし、こういう、感情に動かされて自分を見失った曹操からは人間臭さが感じられますよね。
赤壁にも肉親の死亡がからんでいるとしたら曹沖あたりじゃないですか?だとしたら、孫権達には八つ当たりして敗けた、ということになっちゃいますけどね(笑)
(F900iC/FOMA)
44 荷糸
私は壊れても狂ってもいなかったと思います。なぜなら一国の敵対する民を虐殺すれば他の敵対していての攻められる国の者が本当に民の事を考えるならすぐさま降参すると思うからです。そして降参してきた所の民や流れてきた民を大事にすればだいたいの民が曹操の元に流れると思います。
(W21S/au)
45 劉
>>40
ストラップさんではありませんか↓じゃあ誰だったかなぁ…
>>44
まぁどう推測を立ててもいいのが歴史の良さですが、その反論をするのも楽しくて…"笑
あなたが言っているように曹操が考えて、大虐殺をすでに実行したと仮説します。仮に孫策が治める楊州を攻めて、すでに民は意気消沈でいるか?答えはNOだと思います。もし降れば徐州のように殺されると民は逆に一致団結すると思います↓あからさまに、曹操には降ることはないでしょう。殺されたい人が降るならわかりますが。さらにA、曹操は徐州大虐殺以降、これといった大虐殺をしていません。これは徐州大虐殺の時に感情や、なにかのきっかけにより起こったものだと推測することができます。なににしろ、徐州大虐殺がなにかの策・伏線だと推測するには難しい事件だと思います。
ストラップさんではありませんか↓じゃあ誰だったかなぁ…
>>44
まぁどう推測を立ててもいいのが歴史の良さですが、その反論をするのも楽しくて…"笑
あなたが言っているように曹操が考えて、大虐殺をすでに実行したと仮説します。仮に孫策が治める楊州を攻めて、すでに民は意気消沈でいるか?答えはNOだと思います。もし降れば徐州のように殺されると民は逆に一致団結すると思います↓あからさまに、曹操には降ることはないでしょう。殺されたい人が降るならわかりますが。さらにA、曹操は徐州大虐殺以降、これといった大虐殺をしていません。これは徐州大虐殺の時に感情や、なにかのきっかけにより起こったものだと推測することができます。なににしろ、徐州大虐殺がなにかの策・伏線だと推測するには難しい事件だと思います。
(W32SA/au)
46 元歎
>>40
僕でもありませんよ^^;
これだけのために書き込みするのも何なんで、一応僕の考えを。
僕は大伴さんと同じ考え。大虐殺により、張邈らの反乱に加担した郡県が増えた(つまり、名士・郡県の評価が下がった)と言うこともできますし。大失敗といえると思います。
>>45
実は…官渡の時に八万の降伏兵を生き埋めにしたという記述があります(『漢紀』)。『三国志』にも、本心からの降伏でない兵を生き埋めにしたという記述があります。
僕でもありませんよ^^;
これだけのために書き込みするのも何なんで、一応僕の考えを。
僕は大伴さんと同じ考え。大虐殺により、張邈らの反乱に加担した郡県が増えた(つまり、名士・郡県の評価が下がった)と言うこともできますし。大失敗といえると思います。
>>45
実は…官渡の時に八万の降伏兵を生き埋めにしたという記述があります(『漢紀』)。『三国志』にも、本心からの降伏でない兵を生き埋めにしたという記述があります。
(PC)
48 赤龍
>>40の話は私もどこかで読んだ記憶があります。何かの本かも?
別の本ですが(これも忘れた)、曹操といえば一流の詩人でもあり、当然感受性も豊かで、感情も激しい人だったと思われ、その怒りが爆発した時も、大虐殺という激しいものになったのだろう。という意見を読んだ覚えがあります。
別の本ですが(これも忘れた)、曹操といえば一流の詩人でもあり、当然感受性も豊かで、感情も激しい人だったと思われ、その怒りが爆発した時も、大虐殺という激しいものになったのだろう。という意見を読んだ覚えがあります。
(J-SA05)
49 飛燕
>>46
官渡で兵を生き埋なんて、初耳です。これじゃ、ホントに項羽じゃないですか…。これ以前に曹操の感情を爆発させる起因が見当たらなかったら、徐州大虐殺=感情の爆発、とするのはおかしくなってしまいますかね?
官渡で兵を生き埋なんて、初耳です。これじゃ、ホントに項羽じゃないですか…。これ以前に曹操の感情を爆発させる起因が見当たらなかったら、徐州大虐殺=感情の爆発、とするのはおかしくなってしまいますかね?
(F900iC/FOMA)
50 朱家
私は袁紹を凡庸だと思ってないので、生き埋めは否定しませんし、徐州虐殺とは、全く質が違うと思います。
徐州侵攻時の曹操は、虐殺によって他国に恐怖を与えれるほどの勢力はなく、むしろ逆効果です。しかし、徐州国内は違うと思いますね。民が曹操に流れる事はないですが、多くの民が逃げてます。戦乱を避けただけかもしれませんが、虐殺による影響も少なくないでしょう。国力を削ぐ効果はあった訳です。しかも二度目の侵攻では、ほぼ戦意喪失させてます。
陶謙は軽視できる勢力ではなく、死を覚悟して出陣しており、陶謙を討つ事しか考えられなかったのでしょう(壊れてます)それならば虐殺も、一つの手段と思います。
父の仇を討つための虐殺。陶謙が捕まらず八つ当たりの虐殺。さすがに前記のような気がします。結果的には、目的の陶謙すら討ててないので、失敗ですけどね。
徐州侵攻時の曹操は、虐殺によって他国に恐怖を与えれるほどの勢力はなく、むしろ逆効果です。しかし、徐州国内は違うと思いますね。民が曹操に流れる事はないですが、多くの民が逃げてます。戦乱を避けただけかもしれませんが、虐殺による影響も少なくないでしょう。国力を削ぐ効果はあった訳です。しかも二度目の侵攻では、ほぼ戦意喪失させてます。
陶謙は軽視できる勢力ではなく、死を覚悟して出陣しており、陶謙を討つ事しか考えられなかったのでしょう(壊れてます)それならば虐殺も、一つの手段と思います。
父の仇を討つための虐殺。陶謙が捕まらず八つ当たりの虐殺。さすがに前記のような気がします。結果的には、目的の陶謙すら討ててないので、失敗ですけどね。
(W32K/au)
51 赤龍
官渡で生き埋めにされたのは、無関係な民ではなく、本心から降伏したのではない兵というとこに注意しなければいけません。項羽の場合にしろ、敵軍の方が多く、捕虜の数も膨大なもの。それだけの不穏分子をかかえる余裕があったか?非情でも災いの芽を絶つべきと判断するのもやむをえない面もあります。
徐州の虐殺と同列に扱う問題ではありませんね。
徐州の虐殺と同列に扱う問題ではありませんね。
(J-SA05)
52 劉
>>48
おぉ!!!強力な味方を手に入れた"笑、なにかの本ですかね?誰かが書き込みしたような気がするんですが…。
>>50-51
よかった"笑、偉そうなこと>>45で言っていたので↓でも、大虐殺は感情の高ぶりからきていそうですね。これほど激情な人は昔にしてみれば少なかったでしょうね="乱世の奸雄" って感じを受けますね。
おぉ!!!強力な味方を手に入れた"笑、なにかの本ですかね?誰かが書き込みしたような気がするんですが…。
>>50-51
よかった"笑、偉そうなこと>>45で言っていたので↓でも、大虐殺は感情の高ぶりからきていそうですね。これほど激情な人は昔にしてみれば少なかったでしょうね="乱世の奸雄" って感じを受けますね。
(W32SA/au)
53 飛燕
>>51
すいません、赤龍さん。>>49は愚問でしたね(汗)本心から降伏しない兵士=不穏分子という見解ができてませんでした。
徐州大虐殺は感情の高ぶりと片付けて問題ないとして、他に曹操の汚点とされてるような事はありましたっけ?僕は勉強不足でこれ以外は…
すいません、赤龍さん。>>49は愚問でしたね(汗)本心から降伏しない兵士=不穏分子という見解ができてませんでした。
徐州大虐殺は感情の高ぶりと片付けて問題ないとして、他に曹操の汚点とされてるような事はありましたっけ?僕は勉強不足でこれ以外は…
(F900iC/FOMA)
54 崇英
感情の高ぶりとして片付いたところを蒸し返しで申し訳ないのですが……
徐州の虐殺が『計略』か『感情』かだけでは二択で互いの争いになってしまうので、
ひとつ突飛なのを考えて見ました。
『想定外』であったと云うのは如何でしょう?
例えば「(敵兵を)皆殺しにせよ!!」と命じたつもりが、
不十分に兵に伝わった為に兵は殺戮の限りを尽くしたとか。
この時期は『青州兵』を未だ御しきれていなかったとか。
官渡の穴埋めは、『本心からの降伏でない者を生き埋めにした。(烏巣の皆殺し一万などと合わせて)八万人もの人数を殺した」
と云う風には採れない文なのでしょうか?
徐州の虐殺が『計略』か『感情』かだけでは二択で互いの争いになってしまうので、
ひとつ突飛なのを考えて見ました。
『想定外』であったと云うのは如何でしょう?
例えば「(敵兵を)皆殺しにせよ!!」と命じたつもりが、
不十分に兵に伝わった為に兵は殺戮の限りを尽くしたとか。
この時期は『青州兵』を未だ御しきれていなかったとか。
官渡の穴埋めは、『本心からの降伏でない者を生き埋めにした。(烏巣の皆殺し一万などと合わせて)八万人もの人数を殺した」
と云う風には採れない文なのでしょうか?
(PC)
55 赤龍
いえいえ、新しい意見や反論がでるのは討論が盛り上がるし、歓迎だと思いますよ。
官渡の件は私も、殺された総数が八万で、穴埋めはその一部と思います。注の漢紀の引用を見る限り、殺したというだけで、穴埋めにしたなんて言ってませんからね。
献帝起居注には「凡斬首七万餘級」と曹操が報告してるそうですから、これを信じれば穴埋めは一万以下となったりしますね(あてにならない計算ですが…)
官渡の件は私も、殺された総数が八万で、穴埋めはその一部と思います。注の漢紀の引用を見る限り、殺したというだけで、穴埋めにしたなんて言ってませんからね。
献帝起居注には「凡斬首七万餘級」と曹操が報告してるそうですから、これを信じれば穴埋めは一万以下となったりしますね(あてにならない計算ですが…)
(J-SA05)
56 飛燕
>>54
初めまして、崇英さん
曹操なら兵達を御しきれてないと悟った瞬間、本拠に戻ると思うんですが。だって、「敵兵」を皆殺しにするつもりが、「全ての生物」を皆殺しにしてしまったのですから。想定外なのですから、曹操や将達はそれをやめさせようとするはずです。それにも関わらず虐殺は続いたのですから、曹操の意図的な命令はあったはずです。
初めまして、崇英さん
曹操なら兵達を御しきれてないと悟った瞬間、本拠に戻ると思うんですが。だって、「敵兵」を皆殺しにするつもりが、「全ての生物」を皆殺しにしてしまったのですから。想定外なのですから、曹操や将達はそれをやめさせようとするはずです。それにも関わらず虐殺は続いたのですから、曹操の意図的な命令はあったはずです。
(F900iC/FOMA)
57 崇英
>赤龍殿
やはり、そう云う読み方も出来るわけですね☆
仮に穴埋めが8万だとすれば、つまり此の時の投降兵が最低で8万になる訳で、
そうなると曹軍も袁軍もいったいどのくらいの総数が実際のところであったのか……
ということにもなってきますね。
>飛燕殿
よろしくですm(__)m
「御しきれていなかった〜」というのは、あくまで例えの一例です。
まあ、進むも退くも思い通りにならないから「御しきれない」と表現する訳で、
直後に対・呂奉先にとって返すことを合わせて考えれば、(御しきれないというのは)いかにもあり得ないことです。
しかし、予測よりも大きな戦果が上がったならばそれは『想定外』なわけで、
ましてや兵は、元は黄巾の賊徒で、これらの兵は于禁伝あたりでは
これより後の時期にも随分狼藉をしているように見受けられます。
たとえば、曹操麾下に組み込まれる以前の『黄巾党百万』の時代に徐州で何かあって恨みに思っていたとか(迫害、騙し討ち、裏切り者がのうのうとすんでいるとか)、
実は曹軍の通った後に盗賊が便乗していたとか……。
少しでも可能性があれば、疑ってみてもいいと私はおもうのですが、駄目でしょうか?
やはり、そう云う読み方も出来るわけですね☆
仮に穴埋めが8万だとすれば、つまり此の時の投降兵が最低で8万になる訳で、
そうなると曹軍も袁軍もいったいどのくらいの総数が実際のところであったのか……
ということにもなってきますね。
>飛燕殿
よろしくですm(__)m
「御しきれていなかった〜」というのは、あくまで例えの一例です。
まあ、進むも退くも思い通りにならないから「御しきれない」と表現する訳で、
直後に対・呂奉先にとって返すことを合わせて考えれば、(御しきれないというのは)いかにもあり得ないことです。
しかし、予測よりも大きな戦果が上がったならばそれは『想定外』なわけで、
ましてや兵は、元は黄巾の賊徒で、これらの兵は于禁伝あたりでは
これより後の時期にも随分狼藉をしているように見受けられます。
たとえば、曹操麾下に組み込まれる以前の『黄巾党百万』の時代に徐州で何かあって恨みに思っていたとか(迫害、騙し討ち、裏切り者がのうのうとすんでいるとか)、
実は曹軍の通った後に盗賊が便乗していたとか……。
少しでも可能性があれば、疑ってみてもいいと私はおもうのですが、駄目でしょうか?
(PC)
58 劉
>>57
>>54の"想定外"は面白いですね。たしかにいくら曹操でも、兵を完全に把握出来ていたとは限りませんからね。
曹操が感情の高ぶりによって、兵になんらかの命令↓
曹操の感情を兵は感じとり兵まで高ぶりを感じる↓
兵は曹操の命令外の事を自らの感情により実行=大虐殺…
みたいな感じはいかがですか???
>>54の"想定外"は面白いですね。たしかにいくら曹操でも、兵を完全に把握出来ていたとは限りませんからね。
曹操が感情の高ぶりによって、兵になんらかの命令↓
曹操の感情を兵は感じとり兵まで高ぶりを感じる↓
兵は曹操の命令外の事を自らの感情により実行=大虐殺…
みたいな感じはいかがですか???
(W32SA/au)
59 飛燕
>>57
いえいえ、駄目じゃないですよ、崇英さん。新説を挙げてくれれば討論のしがいがありますからね。
青州兵による虐殺が「想定外」なのだとしたら、それって悪い「想定外」になると思うんです。カン官(カンの字が出ない…)の孫ということで、ただでさえ名士(?)の評価が低かった曹操が更にその評価を落としてしまうような「想定外」をほっとくはずは無い(例えば無理矢理撤退させるとか)気がするのですが…。多少の狼藉なら目をつむると思うんです。でも、これは多少の狼藉じゃないと思うんです。盗賊が便乗、という線は面白いかもしれませんね。
いえいえ、駄目じゃないですよ、崇英さん。新説を挙げてくれれば討論のしがいがありますからね。
青州兵による虐殺が「想定外」なのだとしたら、それって悪い「想定外」になると思うんです。カン官(カンの字が出ない…)の孫ということで、ただでさえ名士(?)の評価が低かった曹操が更にその評価を落としてしまうような「想定外」をほっとくはずは無い(例えば無理矢理撤退させるとか)気がするのですが…。多少の狼藉なら目をつむると思うんです。でも、これは多少の狼藉じゃないと思うんです。盗賊が便乗、という線は面白いかもしれませんね。
(F900iC/FOMA)
60 ストラップ
>>>287-16
そういう意味で、曹操の評価は低いみたいですね。
列伝六十四上では
「トウテツ放横、傷化虐人(財や食を貪り放縦で、教化を損ない、人民を痛めつける)」
と祖父について書き、
「因臧買位、輿金レン実、輸貨権門、窃盗鼎司、傾覆重器(賄賂を使って官位を買い、金や宝を車に積んで権門に運び、三公の位を盗んで、天子を転覆させた)」
と、父について述べた後に、曹操自身の事に記述が及ぶ位ですから。
そういう意味で、曹操の評価は低いみたいですね。
列伝六十四上では
「トウテツ放横、傷化虐人(財や食を貪り放縦で、教化を損ない、人民を痛めつける)」
と祖父について書き、
「因臧買位、輿金レン実、輸貨権門、窃盗鼎司、傾覆重器(賄賂を使って官位を買い、金や宝を車に積んで権門に運び、三公の位を盗んで、天子を転覆させた)」
と、父について述べた後に、曹操自身の事に記述が及ぶ位ですから。
(PC)
62 ストラップ
徐州の虐殺ですが、今日の「戦略爆撃」に相当するのではないかと、今思いました。
「戦略爆撃」とは、直接的に軍事力を打撃する攻撃では無く、軍事施設はもとより、民間人を大量に殺し、民間施設をも破壊し、産業力を低下させ、戦争継続能力を失わせる、という事を目的とした、大量破壊の航空戦力に因る攻撃の事です。先の大戦での、米軍による絨毯爆撃などは良く知られていると思います。
こう考えれば、曹操のとった行動はあながち間違いではないかなぁと思います。民間人を殺す事に因って徐州を疲弊させ、陶謙を追い込むつもりだったのでしょう。
「戦略爆撃」が、民間人の被爆者に酷く怨まれるのも変わりませんし、やはり効果的とされているのも事実です。怨まれるのは当然ですが、それでも利の方が大きいと判断したのではないでしょうか?
「戦略爆撃」とは、直接的に軍事力を打撃する攻撃では無く、軍事施設はもとより、民間人を大量に殺し、民間施設をも破壊し、産業力を低下させ、戦争継続能力を失わせる、という事を目的とした、大量破壊の航空戦力に因る攻撃の事です。先の大戦での、米軍による絨毯爆撃などは良く知られていると思います。
こう考えれば、曹操のとった行動はあながち間違いではないかなぁと思います。民間人を殺す事に因って徐州を疲弊させ、陶謙を追い込むつもりだったのでしょう。
「戦略爆撃」が、民間人の被爆者に酷く怨まれるのも変わりませんし、やはり効果的とされているのも事実です。怨まれるのは当然ですが、それでも利の方が大きいと判断したのではないでしょうか?
(F2102V/FOMA)
63 赤龍
今読んでいる本に、石井仁氏の曹操評として
「どちらかといえば、目先のことにとらわれ、大局を見失いがちな性格。あるいは理性よりも感情の人。悪く言えば、お調子者」
蒼天航路に代表されるような、最近の非常に(過剰に?)高い曹操評に比べると厳しい評価ですが、こう考えると色々納得もいくこともありますね。
徐州での虐殺も見事にあてはまっています。
しかし、曹操を高く評価しすぎる故に、あの曹操がそんな愚かなことをするはずが無いという思い込みから、なんとか実はこれも曹操の戦略の一環だったというように、色々と理由を見つけようとしてしまっているのでは?と思ってしまいました。
「どちらかといえば、目先のことにとらわれ、大局を見失いがちな性格。あるいは理性よりも感情の人。悪く言えば、お調子者」
蒼天航路に代表されるような、最近の非常に(過剰に?)高い曹操評に比べると厳しい評価ですが、こう考えると色々納得もいくこともありますね。
徐州での虐殺も見事にあてはまっています。
しかし、曹操を高く評価しすぎる故に、あの曹操がそんな愚かなことをするはずが無いという思い込みから、なんとか実はこれも曹操の戦略の一環だったというように、色々と理由を見つけようとしてしまっているのでは?と思ってしまいました。
(PC)
64 赤龍
最近の曹操の過剰評価の原因は、やはり演義などの悪役曹操像の反動があるのではないか?と思いました。
同様のことは、諸葛亮の軍事的な手腕を極端に低く評価したり、劉備の悪どさをことさら強調したりというような点にもみられますね。
演義(などの小説)の影響を受けまいと意識しすぎるあまり、結局は演義にとらわれてしまっている。私自身も多々あることです。ほんと難しいなあ…。
同様のことは、諸葛亮の軍事的な手腕を極端に低く評価したり、劉備の悪どさをことさら強調したりというような点にもみられますね。
演義(などの小説)の影響を受けまいと意識しすぎるあまり、結局は演義にとらわれてしまっている。私自身も多々あることです。ほんと難しいなあ…。
(PC)
65 寿君
もう大分久しぶりなのではじめましてとさせていただきます。
赤龍さんにお尋ねしたいのですが、貴方様のおっしゃってる石井仁氏の本って言うのは新人物往来社から出てる「曹操 魏の武帝」って本でしょうか?。
貴方の書き込みを今見て通販で検索したら、この本がヒットしたんですが、間違いないですか?。
実は私も赤龍さんが仰ってるような自問がありまして、
「曹操って何処まで行ってしまうんだろう?」
となんとも言えない物を感じていまして。
赤龍さんにお尋ねしたいのですが、貴方様のおっしゃってる石井仁氏の本って言うのは新人物往来社から出てる「曹操 魏の武帝」って本でしょうか?。
貴方の書き込みを今見て通販で検索したら、この本がヒットしたんですが、間違いないですか?。
実は私も赤龍さんが仰ってるような自問がありまして、
「曹操って何処まで行ってしまうんだろう?」
となんとも言えない物を感じていまして。
(P901iS/FOMA)
66 赤龍
>>65
寿君さん、おひさしぶりです。
はい、その石井仁著『曹操−魏の武帝』に書いてあることですが、正確には今読んでいる満田剛著『三国志 正史と小説の狭間』(ブログのほうで紹介しました)の中に引用されているものを紹介したのであり、本文を直接読んだわけではありません。書き方が悪かったですね。
私も興味ある本なので、次のバイト代入ったら買ってみようかなと思ってます。昔地元の古本屋で見つけたとき買わなかったのが悔やまれる…
寿君さん、おひさしぶりです。
はい、その石井仁著『曹操−魏の武帝』に書いてあることですが、正確には今読んでいる満田剛著『三国志 正史と小説の狭間』(ブログのほうで紹介しました)の中に引用されているものを紹介したのであり、本文を直接読んだわけではありません。書き方が悪かったですね。
私も興味ある本なので、次のバイト代入ったら買ってみようかなと思ってます。昔地元の古本屋で見つけたとき買わなかったのが悔やまれる…
(PC)
67 TS
はじめまして。
石井氏の著作は今まで何故か三国志愛好者にはあまり知られていなかったようですが、
かの蒼天航路でも元ネタ(参考資料)にしていたように、
大学教授が執筆した三国志関係の名著と言えます。
中身は紹介されていたように曹操を神格化する向きには極めて辛く厳しい内容ですが、間違いなくためになり、また面白いので、機会があれば読んでみて下さい。
石井氏の著作は今まで何故か三国志愛好者にはあまり知られていなかったようですが、
かの蒼天航路でも元ネタ(参考資料)にしていたように、
大学教授が執筆した三国志関係の名著と言えます。
中身は紹介されていたように曹操を神格化する向きには極めて辛く厳しい内容ですが、間違いなくためになり、また面白いので、機会があれば読んでみて下さい。
(W31T/au)
68 寿君
TSさんはじめまして。
私も赤龍さんのカキコを読んだ後、調べてみましたが、これ2000年に刊行された書籍らしいですね。
しかもある史家の方には日本における三国時代の個人評伝は諸葛亮オンリーだったが、曹操のそれにおいては現在ではこの石井氏の書が一番優れていると言うような評価があり、いろんな三国志関係のサイトでも良書として紹介されてました。
何故これに気付かなかったのか?自分で自分に納得いかないんですが、もしかしたら「蒼天航路」が連載中だった為、そちらに熱中するあまり、見落としていたのかも知れません。
私はちなみに万能神格化された英雄像より、等身大の生の英雄像に興味をそそられますね。
私も赤龍さんのカキコを読んだ後、調べてみましたが、これ2000年に刊行された書籍らしいですね。
しかもある史家の方には日本における三国時代の個人評伝は諸葛亮オンリーだったが、曹操のそれにおいては現在ではこの石井氏の書が一番優れていると言うような評価があり、いろんな三国志関係のサイトでも良書として紹介されてました。
何故これに気付かなかったのか?自分で自分に納得いかないんですが、もしかしたら「蒼天航路」が連載中だった為、そちらに熱中するあまり、見落としていたのかも知れません。
私はちなみに万能神格化された英雄像より、等身大の生の英雄像に興味をそそられますね。
(P901iS/FOMA)
69 朱家
石井さんの著書を持ってますが、評価が高いのですね?私的には、前半は素晴らしい……って感じですね(笑)
赤龍さんが引用した文は、欠点として書いており、その後に「彼は自らの短所を自覚しており、よく周囲の意見に耳をかたむけた」とあり、ここまでが曹操評と思われます。
別の項でも「情に流されやすい人間だった。そうした欠点を強靭な意志の力でカバーしたことに、彼の偉大さがある」
最後に「彼の偉大さは、人間の可能性に一点の疑問も持たず、圧倒的な力で立ちはだかる歴史に対し、自らの存在をかけ、意識的に行動した事にある」
曹操に限った評価とも思えず、何が偉大か、他との違いが明確ではなく、本質に触れようとして、かえって遠ざかってしまった感じがします。
赤龍さんが引用した文は、欠点として書いており、その後に「彼は自らの短所を自覚しており、よく周囲の意見に耳をかたむけた」とあり、ここまでが曹操評と思われます。
別の項でも「情に流されやすい人間だった。そうした欠点を強靭な意志の力でカバーしたことに、彼の偉大さがある」
最後に「彼の偉大さは、人間の可能性に一点の疑問も持たず、圧倒的な力で立ちはだかる歴史に対し、自らの存在をかけ、意識的に行動した事にある」
曹操に限った評価とも思えず、何が偉大か、他との違いが明確ではなく、本質に触れようとして、かえって遠ざかってしまった感じがします。
(W32K/au)
70 TS
石井氏の著作の一番特徴的かつ重要な点(そして私が評価する点)は、
特に赤壁以降の曹操の窮状や問題点、さらには最大の失敗として異民族移住政策を挙げているあたりではないでしょうか。
ともすれば神格化とも言える論調の中では無視されていたり取り違えられている事蹟を冷静な調子で、ただ貶めるわけでもなく説き明かしています。
特に赤壁以降の曹操の窮状や問題点、さらには最大の失敗として異民族移住政策を挙げているあたりではないでしょうか。
ともすれば神格化とも言える論調の中では無視されていたり取り違えられている事蹟を冷静な調子で、ただ貶めるわけでもなく説き明かしています。
(W31T/au)
74 りょう
英雄か奸雄かなら英雄かなぁ。徐州の虐殺は感情に因る発作的出来事だとおもいますが、天下統一のために「恐怖」か「徳」かどちらで治めるほうが良いか実験したってのはどうでしょう?よく日本人で例えると「信長」って言われますけど僕は「信玄」に近いかなぁて思っちゃってます。
(SH251i)
75 通
奸雄って、英雄に劣る評価なんでしょうか。私は勝ってると思いますよ。英雄って、私の中では『作られた』人物像なんですよね。その人そのものの評価じゃなくて、その人の同士達や同じ思想の持ち主達が、その人物の評価を上げる事によって自分達を正当化しようとする、そういう時に英雄という言葉が使われるんだと思います。奸雄、これはそのままその人が行った業績、もしくは行為に対する素直な評価だと思うんです。もし敵対勢力がその人物を貶める為に発した評価だとしても、奸雄とは使わないでしょう。悪逆非道とでも言うならまだしも、奸雄では奸知にたけた英雄という意味ですからね。同じ英雄なら、奸雄の方が英雄より能力の面で実際は上でしょうね。劉邦を英雄としか評価出来ないように、曹操も奸雄でいいと思います。その評価が一番彼らしい。
長々と失礼しました。
長々と失礼しました。
(P902i/FOMA)
76 朱家
横山三国志読んでて、ふと思ったけど、曹操の南征目的って荊州ですよね。
「望蜀」って、後継者問題、魏公の余波、魏王の準備とかで撤退したと思ってたけど、単純に赤壁の事?
いや〜考えた事なかったよ(笑)
「望蜀」って、後継者問題、魏公の余波、魏王の準備とかで撤退したと思ってたけど、単純に赤壁の事?
いや〜考えた事なかったよ(笑)
(PC)
77 類
はじめまして!
曹操を英雄と呼ぶのは難しいかと。
英雄とは過去の功績に対し人々から贈られる称号。なりたいからなれるものではないしなろうと思ってなれるものではないから
だから曹操はカン雄だと思います。
曹操を英雄と呼ぶのは難しいかと。
英雄とは過去の功績に対し人々から贈られる称号。なりたいからなれるものではないしなろうと思ってなれるものではないから
だから曹操はカン雄だと思います。
(F901iC/FOMA)
78 朱家
初心者掲示板で気になったけど、曹嵩の出自が夏侯氏って、ほぼ確定なんですか?出典が非常に微妙だと思うのですが…
陳寿も出自は不明だと言ってますし、陳淋も不明と言ってますし、陳淋は大袈裟に書く事はあっても、全くのデタラメを書くとは思えないんですよね。
夏侯氏でない可能性も、かなり高いと思ってます。
陳寿も出自は不明だと言ってますし、陳淋も不明と言ってますし、陳淋は大袈裟に書く事はあっても、全くのデタラメを書くとは思えないんですよね。
夏侯氏でない可能性も、かなり高いと思ってます。
(PC)
79 ストラップ
>>75
「奸雄」や「姦雄」、というのは、英雄としての資質を表す言葉であって、英雄との優劣を語るべき単語では無いと思います。
うどんと麺類はどちらが美味しいのですか?
>>78
朱家さんはご存知の事と思いますが……一応皆さんの為に説明を。
武帝紀に引く「曹瞞伝」と「世語」の記述として、曹操の父(嵩)が夏侯惇の叔父(夏侯惇の父の弟)とされています。そして陳寿は嵩の出自を明らかでは無いと述べていますが、魏書の第九が「諸夏侯曹伝第九」と、夏侯氏と曹氏を一纏めにしています。ここから蓋然的だと判断する人が多いのは頷ける事だと思います。
嵩が夏侯の家の出身かどうかはさておき、事実、この「諸夏侯曹伝第九」という纏め方から、曹氏と夏侯氏は、同郷、という以上の密接な関わりが感じさせられますね。
「奸雄」や「姦雄」、というのは、英雄としての資質を表す言葉であって、英雄との優劣を語るべき単語では無いと思います。
うどんと麺類はどちらが美味しいのですか?
>>78
朱家さんはご存知の事と思いますが……一応皆さんの為に説明を。
武帝紀に引く「曹瞞伝」と「世語」の記述として、曹操の父(嵩)が夏侯惇の叔父(夏侯惇の父の弟)とされています。そして陳寿は嵩の出自を明らかでは無いと述べていますが、魏書の第九が「諸夏侯曹伝第九」と、夏侯氏と曹氏を一纏めにしています。ここから蓋然的だと判断する人が多いのは頷ける事だと思います。
嵩が夏侯の家の出身かどうかはさておき、事実、この「諸夏侯曹伝第九」という纏め方から、曹氏と夏侯氏は、同郷、という以上の密接な関わりが感じさせられますね。
(F2102V/FOMA)
80 朱家
ストラップさん説明どうもです。
私が思う、陳寿の考えですが「曹操と夏侯氏は血縁だと思うが、信憑性のある史料を探せなかった」
これを前提としてるので、それ以上でも、それ以下でもないんですよね。
人物紹介などで、「夏侯氏と言われる」ならOK。「夏侯氏である」だとNGって感覚なんです。後記がほとんどなので、気に入らないだけですが、私が変なとこに細かいだけかもしれません(笑)
私が思う、陳寿の考えですが「曹操と夏侯氏は血縁だと思うが、信憑性のある史料を探せなかった」
これを前提としてるので、それ以上でも、それ以下でもないんですよね。
人物紹介などで、「夏侯氏と言われる」ならOK。「夏侯氏である」だとNGって感覚なんです。後記がほとんどなので、気に入らないだけですが、私が変なとこに細かいだけかもしれません(笑)
(PC)
81 kk。
初めまして☆いつも拝見させて頂いております。さっそくですが、自分の考えとしては、曹操は極右(保守)から見れば『奸雄(陰)』、極左(革命)から見れば『英雄(陽)』なのではないかと◇
しかし、固定した考え方に固執するのも危険だと思いますが…
あいまいでスイマセン。
>>うどんと麺類はどちらが美味しいのですか?
→そんな嫌味な返され方されたら初めてくる人から見れば、今後発言しにくくなるのでは??
いくら討論といえど、知識やテーマに対する考え方さえあれば良いモノではないと思います。
ってことで愚見失礼しました。
でゎ☆
しかし、固定した考え方に固執するのも危険だと思いますが…
あいまいでスイマセン。
>>うどんと麺類はどちらが美味しいのですか?
→そんな嫌味な返され方されたら初めてくる人から見れば、今後発言しにくくなるのでは??
いくら討論といえど、知識やテーマに対する考え方さえあれば良いモノではないと思います。
ってことで愚見失礼しました。
でゎ☆
(V902T)
82 ストラップ
(F2102V/FOMA)
三国志についても、曹孟徳様についても全くの素人ですが、傍観者として宜しくお願い致します。
私が言えそうな事は…
徐州虐殺に於けるキレっぷりの不可解さも、宛に於いて昂を失った痛手も…孟徳様が人間である証に思えます…神は『間違い』が無いかもしれません。ですが人は間違えます。
主としては完璧が望まれますが、人間としては限界があるし油断もあるでしょう。その油断が徐州であり宛であり赤壁なのでしょうか…
徐州虐殺がなければ諸葛孔明は劉備と出会わなかったかも知れず、蜀は無かったかも知れない。本当に惜しい事を…
私が言えそうな事は…
徐州虐殺に於けるキレっぷりの不可解さも、宛に於いて昂を失った痛手も…孟徳様が人間である証に思えます…神は『間違い』が無いかもしれません。ですが人は間違えます。
主としては完璧が望まれますが、人間としては限界があるし油断もあるでしょう。その油断が徐州であり宛であり赤壁なのでしょうか…
徐州虐殺がなければ諸葛孔明は劉備と出会わなかったかも知れず、蜀は無かったかも知れない。本当に惜しい事を…
(V705SH)
84 珠玉
中華史最大のダーティヒーローなんて、とある本の帯に書かれていて、なんだか気の毒なのですが、この三国時代、あの曹孟徳がいなければ、歴史は動かなかったのではなかろうか?
結局、蜀も呉も、魏を越える国力は持てず、魏バーサス蜀・呉 って構図が続き、 曹操亡き後、結局は陰剣な司馬懿によって、蜀も呉もなし崩し的に呑み込まれる、何とも寂しい結末・・
蜀も呉も、魏の曹孟徳という人物がいたからこそ、血沸き肉踊るバトルを繰り広げられたのだと思います。
曹操が長生きしていたなら、三国史はもっと面白くなっていたような気がします
結局、蜀も呉も、魏を越える国力は持てず、魏バーサス蜀・呉 って構図が続き、 曹操亡き後、結局は陰剣な司馬懿によって、蜀も呉もなし崩し的に呑み込まれる、何とも寂しい結末・・
蜀も呉も、魏の曹孟徳という人物がいたからこそ、血沸き肉踊るバトルを繰り広げられたのだと思います。
曹操が長生きしていたなら、三国史はもっと面白くなっていたような気がします
(P902i/FOMA)
85 巫俊(ふしゅん)
ファンにとっては長生きしてほしいのは当然ですが、若死にしたからこそ孫策の立場が光っているように、曹操が袁譚討伐の時点で急死したりしたら、面白くなると私は賭けたいところです。
曹操は長生きすればするほど、「曹操の人生は曹操の人生」という達観が見えてくるので、若い時代の曹操の方が好きです。
曹操は長生きすればするほど、「曹操の人生は曹操の人生」という達観が見えてくるので、若い時代の曹操の方が好きです。
(PC)
86 ストラップ
(F2102V/FOMA)
87 鶴◆VYh5
お久しぶりです。鶴です(⌒‐⌒)私はどちらかといえば英雄とみます。当時、家柄や名声などが重要視されていたなかで求賢令(だったかな?)といった能力重視をとった人物。所々暴走気味なこともありますが………。( ̄▽ ̄;)
この考え方は画期的だったのでは?
この考え方は画期的だったのでは?
(P702iD/FOMA)
88 巫俊(ふしゅん)
>>86
何歳で死んでいようと、惜しいと思う人にとっては長生願望が生まれるものだと思いますよ。それに厳密さを重視して孫策の死年齢の二十六歳と曹操を比較すると、黄巾の乱が起こる以前に死んだ曹操のどこが惜しいのか?(何をすることなく死んでいるので曹操ファンなど生まれる余地は勿論無く、まず立伝されることは無い。せいぜい曹仁あたりがどこかで立伝されそのお情けで名前が正史に残った曹操は、もやは我々が知る尊敬されし曹操では無くなっている)と考えると、せいぜい袁譚討伐の途中で横死するくらいの年次でなければ、曹家は群雄として存続できず曹操が始祖として立伝されることさえ絶望的ですからね。若くして死んだといってもその人の立場によって意味が変わってきますよ。勿論正史に「若くして死んだ」と書かれる場合は我々の老弱感覚とは無関係に正史のお約束として「若い」と表現される訳です。
何歳で死んでいようと、惜しいと思う人にとっては長生願望が生まれるものだと思いますよ。それに厳密さを重視して孫策の死年齢の二十六歳と曹操を比較すると、黄巾の乱が起こる以前に死んだ曹操のどこが惜しいのか?(何をすることなく死んでいるので曹操ファンなど生まれる余地は勿論無く、まず立伝されることは無い。せいぜい曹仁あたりがどこかで立伝されそのお情けで名前が正史に残った曹操は、もやは我々が知る尊敬されし曹操では無くなっている)と考えると、せいぜい袁譚討伐の途中で横死するくらいの年次でなければ、曹家は群雄として存続できず曹操が始祖として立伝されることさえ絶望的ですからね。若くして死んだといってもその人の立場によって意味が変わってきますよ。勿論正史に「若くして死んだ」と書かれる場合は我々の老弱感覚とは無関係に正史のお約束として「若い」と表現される訳です。
(PC)
89 巫俊(ふしゅん)
立伝というか立本紀ですね。曹操が横死しても曹操として本紀が書かれるとすれば子孫が登極(皇帝即位)した場合のみ。
徐州大虐殺以前に横死していれば曹氏は領州牧伯の地位を追われていただろうし、許都遷都以降でも曹操が横死すれば歴史上の曹操が曹操たる由縁の主な業績が他人のものになってしまう...そうでなくとも曹操が六十六歳で死んだのちに曹家が諸葛亮に滅ぼされたりしたら、それだけで変革者としての歴史的位置は剥奪されてしまうでしょう。我々は曹家が諸葛亮に滅ぼされたくらいで曹操の評価を誤らないと思っているかと思いますが、果たしてどうやら・・・
徐州大虐殺以前に横死していれば曹氏は領州牧伯の地位を追われていただろうし、許都遷都以降でも曹操が横死すれば歴史上の曹操が曹操たる由縁の主な業績が他人のものになってしまう...そうでなくとも曹操が六十六歳で死んだのちに曹家が諸葛亮に滅ぼされたりしたら、それだけで変革者としての歴史的位置は剥奪されてしまうでしょう。我々は曹家が諸葛亮に滅ぼされたくらいで曹操の評価を誤らないと思っているかと思いますが、果たしてどうやら・・・
(PC)
90 巫俊(ふしゅん)
え〜と、つまり曹操の評価は曹操個人を単位としては評価できない部分もあると。そもそも地球と酸素が無ければ曹操も評価する我々も生きてはいないとか。
当時の風で言えば天地、今の風で言えば環境が曹操をつくったと。当時の環境によって曹操は王者に推戴されたのであり、今を生きる我々の環境が曹操の評価を決定させると考えると良いでしょう。環境は状態、条件などの意味を総括する語彙です。
当時の風で言えば天地、今の風で言えば環境が曹操をつくったと。当時の環境によって曹操は王者に推戴されたのであり、今を生きる我々の環境が曹操の評価を決定させると考えると良いでしょう。環境は状態、条件などの意味を総括する語彙です。
(N503i)
91 天草
お初の皆さん、よろしくお願いします。
ふと思い出したのですが、今手元に資料がないので、分かる方いたら教えてください。
今回思い出したのは曹操の持病の件。
曹操が頭痛持ちであった事は蒼天航路の影響でかなり知られました。
これはどこかに具体的な記述があったんでしたっけ?
もし正式に信頼できる具体的な書き込みがあるなら、その書き込みからその頭痛が本当に片頭痛だったのか?あるいはもっと複雑な病気だったのでは?という予想はできないでしょうか?
ふと思い出したのですが、今手元に資料がないので、分かる方いたら教えてください。
今回思い出したのは曹操の持病の件。
曹操が頭痛持ちであった事は蒼天航路の影響でかなり知られました。
これはどこかに具体的な記述があったんでしたっけ?
もし正式に信頼できる具体的な書き込みがあるなら、その書き込みからその頭痛が本当に片頭痛だったのか?あるいはもっと複雑な病気だったのでは?という予想はできないでしょうか?
(PC)
92 巫俊(ふしゅん)
>>91
華陀に関係する事項で正史に出てきたような。詳しくは覚えてないですが、頭痛を患っていたとしてもそれが曹操の死亡要因とは限らないですよね。頭痛が曹操のメンタリティに深く関係した可能性はありそうですが。
華陀に関係する事項で正史に出てきたような。詳しくは覚えてないですが、頭痛を患っていたとしてもそれが曹操の死亡要因とは限らないですよね。頭痛が曹操のメンタリティに深く関係した可能性はありそうですが。
(PC)
93 赤龍
>>91
魏志の華陀伝に記述があります。以下ちくま訳から引用します。
太祖には頭痛の持病があって、発作がおこると、いつも心が乱れ目も眩んでしまうのであった。華陀が横隔膜に鍼を打つと、打つそばから苦痛が引いていった。
また少し後の文には「華陀の死後にも、太祖の頭痛は完全には治りきってはいなかった」ともあります。
ただ、私には医学の知識はさっぱりなので、どういう病気なのかはさっぱりわかんないです(笑)
魏志の華陀伝に記述があります。以下ちくま訳から引用します。
太祖には頭痛の持病があって、発作がおこると、いつも心が乱れ目も眩んでしまうのであった。華陀が横隔膜に鍼を打つと、打つそばから苦痛が引いていった。
また少し後の文には「華陀の死後にも、太祖の頭痛は完全には治りきってはいなかった」ともあります。
ただ、私には医学の知識はさっぱりなので、どういう病気なのかはさっぱりわかんないです(笑)
(PC)
94 赤龍
ちなみに、蒼天航路では、華陀の死を求賢令のあたりに絡めてますが、
曹沖が死んだ時、曹操が華陀を殺したことを後悔したこと。
曹沖は208年に死んだこと。
以上2点を考えると、華陀の死は208年以前、つまり赤壁の戦いより前には殺されていたことになります。
また、華陀を殺した時、曹操は「華陀はこの病を治すことができたが、わざと完全に治さないようにして、自分が重んじられるよう企んでいたんだ」なんていってますね。
いつの時代でも、医者に対するこの手の疑いは変わらないですね(笑)
曹沖が死んだ時、曹操が華陀を殺したことを後悔したこと。
曹沖は208年に死んだこと。
以上2点を考えると、華陀の死は208年以前、つまり赤壁の戦いより前には殺されていたことになります。
また、華陀を殺した時、曹操は「華陀はこの病を治すことができたが、わざと完全に治さないようにして、自分が重んじられるよう企んでいたんだ」なんていってますね。
いつの時代でも、医者に対するこの手の疑いは変わらないですね(笑)
(PC)
95 天草
>>94
華陀は赤壁前に殺害!?
これはかなりショッキングな内容ですね。もっと遅いものだと思い込んでましたが、意外と于吉と変わらないんですね。
本題に戻りますが…。
目が眩むみ、心が乱れるほどの頭痛ですから、かなりのものですよね?
誰か医療関係に詳しい人が居ないかな?w
「曹操は実は●●だった!」
なんて病気を特定(予想)出来たら凄いなぁと思うのですが…。
華陀は赤壁前に殺害!?
これはかなりショッキングな内容ですね。もっと遅いものだと思い込んでましたが、意外と于吉と変わらないんですね。
本題に戻りますが…。
目が眩むみ、心が乱れるほどの頭痛ですから、かなりのものですよね?
誰か医療関係に詳しい人が居ないかな?w
「曹操は実は●●だった!」
なんて病気を特定(予想)出来たら凄いなぁと思うのですが…。
(PC)
96 風水
曹操の頭痛は多分片頭痛じゃないかと思います。持病ということは慢性のようですし、目にも光が走るような症状がありますし。(高血圧かも、とも思います。)鍼は痛みによく効くそうです。また、本当にツボが腹部にあります。あらためて当時の医学にびっくりですね!
(W32T/au)
98 巫俊(ふしゅん)
東洋医学は「医学」ではないですから、(←今の研究機関の主流医学は西洋医学に征服されているため、このような表現が可能になります^^)
説明できているかというと、できてないかと思いますが、ともあれ昔の文献に出てくる鍼灸の点が当世まで伝わる漢方の長い伝統なのだと知ると驚嘆しますね。
説明できているかというと、できてないかと思いますが、ともあれ昔の文献に出てくる鍼灸の点が当世まで伝わる漢方の長い伝統なのだと知ると驚嘆しますね。
(PC)
99 天草
100getしたかったのですが…w
>>96
なるほど!
鍼は経験ないから分からないのですが、悪い部分とは関係のない所に刺すこともあるんですね。勉強になりました。
高血圧というのは面白いですね。いつもイライラしているというのはイメージとしてありますからね。
>>96
なるほど!
鍼は経験ないから分からないのですが、悪い部分とは関係のない所に刺すこともあるんですね。勉強になりました。
高血圧というのは面白いですね。いつもイライラしているというのはイメージとしてありますからね。
(PC)