3 袁家熱愛
敗走してきた袁紹を迎えた将義渠ですが、彼は四散した兵らをまとめ、国や軍の再建に尽力したんですよね?何か、袁家のリ−ダ−的な感じがするのですが、何故出番というか記述が少ないのでしょうか?
(912SH/SB)
4 巫俊(ふしゅん)
>>3
ちなみに義渠というのは安定郡にかつてあった義渠王国とその種族のことで、羌の一種です。
義渠は戦国秦と対峙していた強大な国家でしたが、国家が解体された後は秦に従い、義渠氏は漢の高官にもなっている貴種でもあります。
将義渠はこの種族名から名前を付けているのですが、中国では蛮夷の種族名をとって子どもに名づける習慣があり、蛮夷の族群の持つ勇ましさであるとか霊力が子どもに宿ることを期待しているのだと思います。
ちなみに義渠というのは安定郡にかつてあった義渠王国とその種族のことで、羌の一種です。
義渠は戦国秦と対峙していた強大な国家でしたが、国家が解体された後は秦に従い、義渠氏は漢の高官にもなっている貴種でもあります。
将義渠はこの種族名から名前を付けているのですが、中国では蛮夷の種族名をとって子どもに名づける習慣があり、蛮夷の族群の持つ勇ましさであるとか霊力が子どもに宿ることを期待しているのだと思います。
(PC)
5 寿君
>>>13-98
朱家さん>そういえば、曹操は「劉表を討つ」件に関して荀イクと話してますから、それまでに劉備は南に敗走してただろうし、劉備としても袁紹が北に敗退した状態で汝南で抵抗するのも危険ですしね。
>>>13-99-100
巫俊さん>ご教示ありがとうございます。漢文なんとなくしか判りませんでしたが、既に墨子に発石車のような兵器の記載があると言う事ですね。
朱家さん>そういえば、曹操は「劉表を討つ」件に関して荀イクと話してますから、それまでに劉備は南に敗走してただろうし、劉備としても袁紹が北に敗退した状態で汝南で抵抗するのも危険ですしね。
>>>13-99-100
巫俊さん>ご教示ありがとうございます。漢文なんとなくしか判りませんでしたが、既に墨子に発石車のような兵器の記載があると言う事ですね。
(P905i/FOMA)
6 寿君
追記
>>>13-100
読み直した。ここに書かれてるのは、まさに発石兵器の仕組みですね?。
確か、劉曄が進言した時に、この事を参考にしての進言であったはずなのに…。宮城谷には劉曄すら出てこない…(´・ω・`)
>>>13-100
読み直した。ここに書かれてるのは、まさに発石兵器の仕組みですね?。
確か、劉曄が進言した時に、この事を参考にしての進言であったはずなのに…。宮城谷には劉曄すら出てこない…(´・ω・`)
(P905i/FOMA)
7 袁家熱愛
そうだったんですか!?義渠の名前にそんな猛猛しい(笑) 名家の出身でもあったんですね。
というか、三国志博物館を閲覧させて頂きましたら、同じ様な事しか載っておりませんでした。皆様が調べに調べて、あの短さですから、袁紹を迎えてすぐに死去したとかですかね?
というか、三国志博物館を閲覧させて頂きましたら、同じ様な事しか載っておりませんでした。皆様が調べに調べて、あの短さですから、袁紹を迎えてすぐに死去したとかですかね?
(912SH/SB)
8 袁家熱愛
すみません(汗)言い方が多少、許攸の如く傲慢っぽくなってました。
人物事典でした(笑)こちらを閲覧させて頂きましたが、袁紹と彼の逸話は非常に参考になりましたが、他の記述はやはり同じなのだな、と思った次第であります。
人物事典でした(笑)こちらを閲覧させて頂きましたが、袁紹と彼の逸話は非常に参考になりましたが、他の記述はやはり同じなのだな、と思った次第であります。
(912SH/SB)
9 朱家
>>8
『三国志』に記述がないですし、『後漢書』でも、ここだけですからね。確か、演義に登場するので、そっちのほうが驚きです(笑)
どんな人物か分かるだけの記述がないし、まあ、君臣関係ではなく、懐柔的関係ぐらいでしょうか。
『三国志』に記述がないですし、『後漢書』でも、ここだけですからね。確か、演義に登場するので、そっちのほうが驚きです(笑)
どんな人物か分かるだけの記述がないし、まあ、君臣関係ではなく、懐柔的関係ぐらいでしょうか。
(PC)
10 袁家熱愛
なるほど…。蒋義渠、謎めいた男ですね。
まぁ、それなりに優秀だったのでしょう。
淳于瓊は猛将だ、という話をよく聞きますが、西園ハ校尉であった彼ですから十分有り得ますよね?実際に彼が猛将であったなら烏巣に彼を配置したのは当然の処置だったのでは?彼が飲酒をしていたというのは、本当だったのでしょうか?そうなると淳于瓊に否が…。
まぁ、それなりに優秀だったのでしょう。
淳于瓊は猛将だ、という話をよく聞きますが、西園ハ校尉であった彼ですから十分有り得ますよね?実際に彼が猛将であったなら烏巣に彼を配置したのは当然の処置だったのでは?彼が飲酒をしていたというのは、本当だったのでしょうか?そうなると淳于瓊に否が…。
(912SH/SB)
11 袁家熱愛
最近、ヒトが少ないですね(笑) 皆さんお忙しいのでしょう。
名士:沮授について。言わずとしれた袁家の二大参謀のうちの一人ですが、字が不明だということは、沮授の字について記した書物がないのか、もしくは彼は字の儀式時の年齢未満の青年だったのでしょうか?
名士:沮授について。言わずとしれた袁家の二大参謀のうちの一人ですが、字が不明だということは、沮授の字について記した書物がないのか、もしくは彼は字の儀式時の年齢未満の青年だったのでしょうか?
(912SH/SB)
12 朱家
正史系の書籍で、沮授に関する事の多くは、『献帝伝』(もしくは、それを採用した箇所の『後漢書』)という、かなり信憑性が低いと思われる史書を採用しており、『三国志』本文だと、沮授の記述は少ないですからね。
(PC)
13 袁家熱愛
朱家様、お久しぶりです(笑)
ご教授ありがとうございます。そうですか…。やはり沮授は色々信憑性低いですね(笑)
官渡で袁紹に牢に入れられ時、夜空の星が南西に移動している様を見て、袁紹に烏巣奇襲の危険を進言したが、聞き入れられなかった、なんて逸話もありますが。
ご教授ありがとうございます。そうですか…。やはり沮授は色々信憑性低いですね(笑)
官渡で袁紹に牢に入れられ時、夜空の星が南西に移動している様を見て、袁紹に烏巣奇襲の危険を進言したが、聞き入れられなかった、なんて逸話もありますが。
(912SH/SB)
14 朱家
沮授は、本文を読む限り、政治的に袁紹と対立してるとは思えないですからね。袁譚を外に出した時「禍の始まり」と言ってるけど、後の袁譚、袁尚の対立とは直結してないですし。
官渡の戦いで手段、方法の違いはあっても、牢に入れられるはずがないし、記述もないです。
田豊は南征に反対してるし(沮授の名はない)、注釈の『献帝春秋』だと、河北制圧前に許急襲を唱えているから、方向性に違いがあるし、命を賭けて、南征を止めてますからね。
官渡の戦いで手段、方法の違いはあっても、牢に入れられるはずがないし、記述もないです。
田豊は南征に反対してるし(沮授の名はない)、注釈の『献帝春秋』だと、河北制圧前に許急襲を唱えているから、方向性に違いがあるし、命を賭けて、南征を止めてますからね。
(PC)
15 朱家
曹操が白馬で陽動した理由が、よく分からない。
袁紹は、凄い早さで曹操が徐州から戻ってきてしまい、自ら渡河しようとしてるのに、陽動したもんだから、渡河せずに軍を集結させた訳で、『献帝伝』だと、袁紹は延津に移動しており、ここから渡河したと思われます。
于禁が、延津で踏ん張ってたのだから、ここを無視して渡河しようとした袁紹は、意味不明なんだけど、陽動してくれたから、白馬と延津の両方から渡河可能になった訳です。
白馬の指揮官は、郭図か淳于瓊だと思うけど、曹操は奇襲によって壊滅を狙い、白馬と延津で黄河を守ろうとして、白馬は救出したものの、顔良しか討ち取れず、押し返されてしまい、大失敗って感じだろうか?う〜ん、もの凄いリスキーなんだけど(笑)
一応、兵力不足で引き込むってのもあるけど、その後、曹操は袁紹に付き合って広域に対峙してるから、それはないし…
袁紹は、凄い早さで曹操が徐州から戻ってきてしまい、自ら渡河しようとしてるのに、陽動したもんだから、渡河せずに軍を集結させた訳で、『献帝伝』だと、袁紹は延津に移動しており、ここから渡河したと思われます。
于禁が、延津で踏ん張ってたのだから、ここを無視して渡河しようとした袁紹は、意味不明なんだけど、陽動してくれたから、白馬と延津の両方から渡河可能になった訳です。
白馬の指揮官は、郭図か淳于瓊だと思うけど、曹操は奇襲によって壊滅を狙い、白馬と延津で黄河を守ろうとして、白馬は救出したものの、顔良しか討ち取れず、押し返されてしまい、大失敗って感じだろうか?う〜ん、もの凄いリスキーなんだけど(笑)
一応、兵力不足で引き込むってのもあるけど、その後、曹操は袁紹に付き合って広域に対峙してるから、それはないし…
(PC)