1 皇澪桜

意外な才能

正史・演義で一般的には知られていない意外な特技を持った人物について語りましょう。

・イメージに反した才能 を持ってる人
・この人にしか出来なか ったこと
・あまり評価されていな いが、当代一だと感じ られる能力をもった人
(W52CA/au)
2 皇澪桜
例えば禰衡などは太鼓の打法を始めていたりと音楽的才能も持ち合わせていたようですね。どの程度だったのかはハッキリしませんが…
参照
禰衡 >>>19

あとこの人物はこんな才能はなかった!なども織り交ぜると更にいいですね。
例えば大伴さんの「荀イク無能説」なんか非常に面白いですよね。
参照
>>>163
(W52CA/au)
3 諏訪
当代随一といえば、鍾ヨウの書の才能がありますね。
王羲之以前では最高の書家といわれています。
有名なことなので、意外な才能とはいえないでしょうが。
(W51S/au)
4 しす
虞翻の易学って意外に知られてないんじゃないですかね?
まぁ私自身易学自体よくは解ってないですけど。
(PC)
5 皇澪桜
>>4
歩くのが凄く早いのってこの人でしたっけ?
才能というのもアレですけど…
医術の心得もあったんですよね?
呉は変わり者が多いのもあってか、意外な才能の持ち主が多いかもしれませんね。
(W52CA/au)
6 しす
>>5
そうそう、歩くのが早いってのもこの人の特技でしたね。
一日に200里歩けるとか。
後漢の200里と言うと80キロ強ってとこでしょうか。
仮に歩いている時間が12時間程度だとして時速7キロってとこでしょうか。
確かに早いし健脚、かと言って荒唐無稽な数値でもないですね。
ちなみに『正史三国志 群雄銘銘傳』では「古田武彦の魏晋朝短里説では15キロ」とマヌケな解説が載ってましたw。
この本、便利なんですけど、時々マヌケなこと書いてあるのが残念。
一日15キロって全然凄くないし(汗)
(PC)
7 皇澪桜
>>6
車や電車、飛行機などの移動手段になれた現代人でも普通にあるける距離ですね。
その短里説はどっからでたのか…
夏候淵の行軍速度も一般並くらいになるのかな…f^_^;
(W52CA/au)
8 しす
短里説については>>>403-5-6で語られていますよ。
古田氏の掲げる九州王朝の前身である邪馬台国を魏志倭人伝の記述と矛盾させずに九州にすっぽりおさめるための説とでも言えばいいでしょうか。
魏、晋時代は周代の一里(75メートルくらい)を用いていたという説です。
ただしまともには相手にされてないと言うか、説と呼ぶのも憚られるような内容とも思えますが。
(PC)
9 皇澪桜
どこかで読んだ気はしてましたが、このスレでしたか…
しすさん>
御教授感謝です。
(W52CA/au)
10 皇澪桜
>>3
返事が遅れましたm(__)m鐘ヨウの書道はよく耳にしますね。
鐘ヨウ自体あまり語られる機会がないように感じますし、ここのサイトに来る人は結構知ってらっしゃるでしょうが、一般的には意外な才能といえるでしょうね。
(W52CA/au)
11 雲畜斎
馬にも乗れない文官が多かった当時において、虞翻の馬術も脚力も“文官としては”なかなかな物ではないかと。
(N906imyu/FOMA)
12 諏訪
>>11
馬に乗れない人物というと厳シュンや杜預が思い浮かびますが、他にどんな人物がいますか?
あくまで彼らは例外的な存在だと思うのですが、どのような根拠で「馬にも乗れない文官が多かった」と仰るのでしょうか。

それと、虞翻が矛が巧みで歩行が達者だったことは、「虞翻伝」注の『呉書』に記述がありますが、馬術については記述が見あたりませんね。
(W51S/au)
13 しす
>>11
>>12で指摘されている虞翻伝の箇所ですが、
「征伐に参加して以来、軍吏の中で私に匹敵する者はいません」
と彼の口から語られています。
彼の言が真実ならば「゙文官としてばなかなか」というのはかなり過小評価だと思いますが。
12時間歩いて、平均時速7キロってウォーキングとしては速いなんてもんじゃないですよ。
(912T/SB)
14 皇澪桜
>>13
競歩でどれくらいの速度なんでしょう…f^_^;
というより走ってるんじゃないですかね(笑)

これは才能とはちょっと違いますが、董卓が若い頃にキョウ族の顔役と知り合い、後に訪ねてきた者には耕牛を調理して、皆に振る舞ったという記述があるようですね。
戦功を挙げ、褒美を賜った時には、すべて部下に分け与えたという記述もあるようです。
若い頃に限れば凄くいいヤツですね〜。
(W52CA/au)
15 如水
演義だけなのかな・・・
張松は兵法書を一語一句間違わず暗唱したとか。
沢山の兵法書を学んだとか、所謂「兵法に通じた」人は沢山いたでしょうが、丸暗記したこの人の暗記能力は大したもんだと思います。有名な話ですが三國志っぽいエピソードなんで。
いかがですか?('〜`;)
(P705imyu/FOMA)
16 しす
>>14
競歩はトップクラスだと男子で時速15キロ、女子で13キロぐらいかと。

董卓と言えば彼には左右どちらでも弓を射る事ができたんですよね。
これなんかまさに稀有な才能の代表ではないでしょうか。
(912T/SB)
17 皇澪桜
>>16
董卓はたしか腹をさされながらも相手を締め殺したとか…
夏候惇が内政よりの人物ってのも演義しか知らない人には意外な才能かも知れませんね。
司馬懿の顔が回るとか…(笑)
呂布・張飛のスレでは智将説なんかも出てましたよね?これなんか三國志初心者の私にはびっくりでしたf^_^;
(W52CA/au)
18 しす
>>17
張飛って演義では深酒での失敗が目立ってるせいで忘れられがちですが、意外に知略を用いてるシーンも多いですよ。

徐州での劉岱を生け捕り
長坂橋仁王立ち
巴郡での対厳顔戦
漢中での対張コウ戦

いずれも計略を用いての勝利です。
彼は物語上トリックスターですから、子供のような大失敗をする一方で、上記のような痛快な勝利も必要なんでしょうね。私は張飛は演義でも立派な知将だと思いますよ。
(912T/SB)
19 皇澪桜
>>18
う〜ん…確かに知略をもちいているシーンも多々あるのですが、やはり豪放で粗野なイメージが強すぎるんですよね…

当時、文官が剣技に優れていると、特筆されてる人物が何人かいますが、やはり名士が武芸に励む姿ってのはかなり意外だったのでしょうか?
(W52CA/au)
20 諏訪
>>19
そもそも文官と武官の区別が明確になったのは宋代あたりからで、唐以前では士大夫も剣を帯びてましたし、帯剣するからには当然剣術を学んだでしょう。
曹丕みたいに熱中するのは特別だとしても、ある程度剣術を学ぶことはむしろ士大夫としてのたしなみだったのではないかと思います。

東洋史学者の貝塚茂樹は、刀剣を帯びていること、儒教の経書を読んで官僚になることなど、唐以前の文人士大夫と日本の江戸時代の武士との類似点を指摘しています。
(W51S/au)
21 皇澪桜
>>20
なるほど…。特別な記述がある人物は特に才能があったり、好んでいたのであって、別に極めて珍しいということではなかったのですね。
御教授感謝ですm(__)m
(W52CA/au)
22 皇澪桜
>>114-77
張飛に書画の才能ありとありますが、どの程度だったのでしょうかね…?
これなんかまさに意外な才能といえますね。
名士に取り入ろうとしてたようですが…
どんな育ちなのやら…
上にも上がってますが、張飛は演義のイメージが強い分だけ意外な才能って色々当てはまりそうですね。
(W52CA/au)
23 皇澪桜
アンカーミス(汗)
ちゃんと誘導できるかなぁ…
>>>114-77
(W52CA/au)
24 淳吉
シバイはドSってのは才能になりますかねぇ
(SO903i/FOMA)