1 大伴

後漢から魏晋に至る時代の兵器

この時代、長兵ではすでに矛や戈といった物は無くなり、戟や槍の時代となっています。又、通俗演義で関羽の使う偃月刀の原形はすでに存在した様ですが、どうやら一般的では無かった様です。
短兵器も、剣は儀礼用となり、刀が主となりました。
射兵では、元戎(連弩の一種)という兵器が開発されています。
個人運用以外に目を向けても、官渡の戦いで曹操軍が使用した発石車があります。

ここでは、そんな武器について語る事にしましょう。
(F2102V/FOMA)
2 大伴
先ずは、剣が廃れた背景について、議論致しましょう。

剣→諸刃・格有
刀→片刃・格無
格≒鍔に相当
(F2102V/FOMA)
3 独眼龍李克用
片刃が良いのは分かりますが、鍔無しなのはどうしてなんですか?
(P900i/FOMA)
4 大伴
突いて使わないからでしょう。格は、突いた際に、手が刃の方にスライドする事を防ぐ目的で付けられていますから。

剣という武器は、突くのには適していますが、刃が両側にある為、切る事に向きません。何故ならば、刃を厚く両側に作る為には、身幅を広くせねばならないからです。
(F2102V/FOMA)
5 独眼龍李克用
確かに鍔はいりませんね。ためになるノ(-_-;)
(P900i/FOMA)
6 大伴
以上から、剣は主に突いて用いる武器であり、刀は斬る武器です。

恐らく剣が廃れたのは、騎馬戦術の発達だと思います。当時はすでに、遊牧民族との馬を使った戦闘経験が、随分とあったでしょうからね。
馬上ですれ違いに様に切る事は、突く事よりは簡単です。と言うか、馬上から短兵器で敵を突く、という行為が自体が廃れたのでしょう。
又、生産コストや製造期間を考えても、刀の方が良かったのだと思いますよ。
(F2102V/FOMA)
7 天草
どこかで書こうと思ってたのですが、こんな記録を見つけてました。

新亭侯漢大将…張飛の用いた銘刀。張飛は新亭侯に封ぜられると、刀匠に命じて赤朱山の鉄で刀を造らせ、「新亭侯漢大将」と名付けた。のちに范彊という者が張飛を殺し、その刀を手土産として呉に身を投じた《張飛伝集解》。

万人敵…関羽の用いた銘刀。関羽は自ら都山の鉄を採取して、「万人敵」と名付ける二振りの刀を造った。関羽は孫権に敗北したとき、この刀が敵の手に渡ることを惜しんで水中に投げ捨てた《関羽伝集解》。

実はこういう武器だったという話です。真意はどうかな?
(PC)
8 ヤスシ
二人の武器、実は刀!?
驚きです…!
確かに四メートル程の武器を馬上で振り回すのは現実感ありませんものね!

歩兵はやはり槍が主なのでしょうか?
斬るには修練、技術が必要かと思いますが、突くにはそれほど技術を必要としない為(斬ったり、突いたりしたことはありませんが…)槍などの方が良いかと思いますが…。

あと、この時代でも戦車(大砲ではなく、歩兵の一種)は使われていたのでしょうか?
六韜・三略あたりにそんな文献を見たような気がしますが、三国志に出てきた覚えが無いような…。
(PC)
9 大伴
刀というのは恐らく、刃物という意味だと思いますが……その資料自体を知らぬので、何とも言えませんね。成立は何時の時代なのでしょうか?

戦車(バトルタンクでは無くチャリオット)はすでに廃れていた様ですね。あれは平らな広い場所でしか運用出来ないからでしょうか?
(F2102V/FOMA)
10 独眼龍李克用
戦車を始めて中華で造ったのは商とされています。戦車が造られた背景はその機動力と攻撃力それに馬にまたがって戦うのは野蛮とされたからでしょう。
中国人はワンピースの服にたぶん革靴みたいに動きにくい履物で戦争に行っていたみたいですから。
北狄や西羌などの騎馬民族は当時から馬にまたがって戦っていたみたいですが、服はツーピースでズボンみたいなのにブーツを履いていたみたいです。
戦にも礼儀があった時代は平地で開戦前のあいさつみたいなのをしていたようです。さらに中華とされた場所が今より全然狭く黄河流域の平地でしか戦っていなかったのではと思います。さらに車は春秋時代になると車専用の轍があり、それにそってしか車は動かせなかったみたいです。

三国時代になって廃れるのは山岳地帯も走れるように馬に乗りだしたのが一つの要因だと思います。
(P900i/FOMA)
11 大伴
がらりと話題を代えて。

孔明という人は、新兵器の導入に随分と熱心だった節があります。一節には槍の考案者は孔明ですし、質の良い刀を軍に大量配備を試みたりしています。この様なハードウェアに頼らねばならなかった蜀の事情は他のスレッドに任せるとして、孔明には忘れてならない武器がもう一つあります。

明の時代に、孔明の元戎を推定して、諸葛弩という武器が開発されました。装箭数は10。一本つづ発射する仕組みて、複雑な構造の為、殺傷力は弱く、射程は短く、故障が多かった様です。無論、大量生産には不向きです。兵器ではなく、盗賊を防ぐ道具、と評された様です。
しかし孔明の元戎は、本伝で「連弩を損益し」という風に、功績としての書き方をしてある以上、実用的なものであったと思います(続く木牛と流馬については不明)。孫盛の魏氏春秋を引いた裴松之の注でも、肯定的です。
では孔明の元戎は、一体どんな兵器だったのでしょう?皆で推測しませんか?
(F2102V/FOMA)
12 天草
諸葛弩

篠田耕一 著
武器と防具−中国編−
より

確かに孔明が作ったものとは全く別のものと言う事が書かれてますね。

携帯で見れるかな?
(PC)
13 ヤスシ
天草殿>携帯で見れました。

この図のものは、携帯できる物の様ですね。
引いても資料でないので飽くまでも想像ですが、大きな兵器かと思っていました。
(W11H/au)
14 くわぁまん
演義はフィクションが多いのですが、孟獲配下、南蛮軍が使った武器、防具は実在したのも有るのですかね?

手榴弾のような兵器や藤甲兵の鎧などは?
(SH900i/FOMA)
15 天草
実際に孔明が開発したのは、私も大きなものじゃないかと思ってます。

上に挙げた関羽の『万人敵』という武器は、「武器と防具−中国編−」では爆薬のような書き方をされてます。しかしこれも明の時代の武器だったと記されてますね。
(PC)
16 大伴
藤甲は実在した様ですよ。

その昔、何かの資料で見た記憶があります。
(F2102V/FOMA)
17 大伴
現在の研究では、火薬を兵器として用いたのは、十世紀頃が初めでは無いかと考えられているそうです。ちょいと当時の南蛮の人々が使うのは、難しい様ですね。

さて元戎ですが、私も個人運用の兵器ではないのでは無いかと考えます。
先ず、矢のサイズは八寸。三国時代の一寸は約2.412cmですから、大体20cmと短い。しかしこれは金属製だった様です。しかも連続してでは無く、「一度に」十本放てるとあります。これは現代でいうところの、分隊支援火器(lmg等)にあたる位置付けだったのではないでしょうか?
(F2102V/FOMA)
18 ヤスシ
「連射」ではなく、「掃射」だと云う訳ですな。
(W11H/au)
19 大伴
官渡の戦いでの、曹操軍の秘密兵器、霹靂車こと「発石車」について想像してみましょうか。
車の字はついていますが……???
(F2102V/FOMA)
20 天草
車という名前がついているからには、車輪が付いていたんでしょうから、やはり大きな武器なんでしょうな?光栄の三国志や無双に出てくるようなタイプで当たりなのかな?

小さな石なら殺傷能力を持たせるために速度を持たせるような作りにしなくちゃいけないし、大きな石なら、それに耐えられる為に大きな車にしなくちゃいけない…と考えると、やはり後者のタイプかな?
(PC)
21 ヤスシ
矢倉のように木で枠を組むのは良いとして、問題は車輪にある様な気がしますが…。
車輪を付ける必要性ってなんでしょうね?
それだけ壊れ易くなるのでは?と考えてしまうのは、僕が浅はかだからですかね…。
(W11H/au)
22 天草
やっぱり機動力・移動性かな?
重すぎて、10人がかりなんて言ってたら、無防備な兵が増えるだけですもんね。
(PC)
23 大伴
私が考えるに……戦場には分解して駄載して運搬し、戦闘運用に当たっては、現場で構築、組み立て……を行った兵器だと思います。

では何故、車がついているのか。
これは、角差の修正、戦場での移動などの為に、わざわざ解体→組み立てという手順を踏むのは莫迦らしいですからね。それで、簡単な移動の為に、簡易の車輪を付けたのだと考えます。

如何かな?
(F2102V/FOMA)
24 ヤスシ
なるほど。
大伴殿の意見を読んで、発石した時の反動の軽減もあるのかなって考えました。
(W11H/au)
25 天草
なるほど。。。

確かにありえますね。
しかし、大きな石はどうやって運んだんだろ?…って素朴な疑問も出てきました。
(PC)
26 くわぁまん
西涼付近の騎馬民族は変わった武器を使用していたと聞いた事有りますが、どなたか知ってらっしゃいますか?
(SH900i/FOMA)
27 派手にいこうぜ!!!、大伴
騎馬民族の武器は、詳しい人にお願いするとして……

今思い当たったのですが……
「発石車」の車の字。車輪の様な円運動で石を発射する、という意味では如何でしょう?有り得ないかな?やはり車が付いていたとした方が、スマートではありますよね。牽強付会かな?

石は、そんなに大きな物ではなかった様ですよ。それよりも……当時は空気抵抗を考慮してたのかな?考慮していたとして、比較的丸い石をつかったのか、丸く磨いたか、どちらでしょう?←クイズでは無く質問です(汗)
(F2102V/FOMA)
28 天草
石の形には拘らなかったんじゃないかん?見つけてくるのも、加工するのも人手がいるでしょうし。。。

今更ですが、攻城兵器だったんですかね?同じ高さの敵を討つ道具だったのか、高さの違う敵を討つ道具だったのかな?
(PC)
29 天草
拘らなかったんじゃないかん…×

拘らなかったんじゃないかな?…○
(PC)
30 大伴
(記録に残る限り)曹操が使うまでは攻城兵器ですよ。

無論、曹操の使用後も、対物兵器には変わり無いです。
(F2102V/FOMA)
31 大伴
葛飾載斗の「絵本 通俗三国志」(京都大学文学部所蔵との事)を、挿絵で見ました。そこには、崖の上に建てられた高櫓を攻撃する発石車も描かれているのですが……これ、丸っきり大砲だよ(汗)四輪の箱に、前二門、後方三門の砲が上向きに備え付けられています……

添えられた字は崩してありますが、恐らく
「袁紹の高矢倉に 曹操発石車を(判読不能)」
……と書かれているのだと思います。楷書しか読めません。浅学で申し訳ない。


これは本邦の、江戸時代の絵でしょうか。
(F2102V/FOMA)
32 しす
>大伴さん
わし、それ持ってますよぉ!
わしが持ってるのは文庫本サイズのものでしたが、実家に置いてきてしもた。
今度確認してみます。
たぶん資料がないから適当にそれっぽいのを描いたつもりなんでしょうねw
(PC)
33 天草
発石車の絵がないか、今夜にでも探してみます。
(PC)
34 天草
こんなのしか見つからなかった。。。

発石車

ポータル三国志 カードリストより
(PC)
35 大伴
一時期流行りましたね、このゲーム。M;TGと同じルールなんですよね。
私は雑誌の付録についていた
「Lu,Bu Master-at-Arms」
というカードを一枚だけ持っています。
(F2102V/FOMA)
36 大伴
先日、諸葛蘭さんとお話しする機会があり、そこで三国志談議に華を咲かせたのですが、その時興味深い意見を幾つも聞きました。


その内の一つ。
魏、蜀、呉では、それぞれ地形、風土が大きく異なる為、発達した兵器、戦術が異なるのだ、と。

そう言われると当たり前の事ですが、なかなか思い当たらぬ事ですね。
(F2102V/FOMA)
37 天草
そうでしょうね。
特に呉はやはり水軍でしょ!

魏や蜀の水軍とは違い、特別にこんな船や武器があったとかいう情報はありますか?
(PC)
38 大伴
蜀(の孔明)が弩と刀を重視した事は、良く知られていますが、蜀という土地は険しく、大規模な機動戦には向かぬ様なのです。しかしその分伏撃に適し、弩が有効だったのでしょうね。険しければ同様に、刀の様な短兵器も有効です。逆に中原や北部では機動戦主体の戦術が発達した為に、騎馬戦術、対騎馬戦術、対々騎馬戦術などが発達し、それらに用いる兵器が発達したのでしょう。


ですから、敵方の地で戦うという事は、地形を良く知らないとか、補給線の心配だとかと同時に、
「敵方の得意な土俵で、苦手な戦術を(地理的条件の為に)強いられる」
という事になると思います。ですから、迎撃側の陣営が、有利な様ですね。馬超が蜀であまり活躍しなかった一因も、得意な機動戦が役に立たなかったから、やも知れませんね。
(F2102V/FOMA)
39 ヤスシ
最近、ネパール(だったかな?)の「ククリ」と言う武器(短剣)を手に入れました。
山岳民族の武器で、切れ味はさほど良くなく、斧+鉈+ナイフ÷3と言った所でしょうか?
まあ重さで叩き割る感じの使い方のようです。
当時の刀剣も切れ味より重さで割るような使用法だったのでしょうね…。
(W11H/au)
40 大伴
ククリはブッシュマチェットの一種ですからね。

根本の凹みは女性器を表していると、その昔何かの本で読んだ事があります。今度調べておきますね。
(F2102V/FOMA)
41 しす
ククリ?ああ、魔法陣グルグルの…ってちっが〜〜〜う!
わしはクックリという名で憶えてました。
ネパールグルカ族のナイフで別名グルカナイフ(ってそのまんまやん)
どちらかと言うと狩猟用の武器だったみたいですね。
特異な形状は密林を進む時、草木をなぎはらうのに適しているとか。
(PC)
42 しす
三国時代は騎馬戦術の発達によって剣よりも直刀が主力兵器になりつつある時代でした。
これは重さだけでなく騎馬の突進力を利用して攻撃するのに適していたからでしょう。
ま、実際に剣より刀の方が折れにくいというのもあると思いますが。
しかもようやく青銅武器から鉄製武器に移行した時期だから製鉄技術も発達してないので、ヤスシ殿の言うとおり、斬兵と
言っても打兵に近かったのでしょうが。
ちなみに先日、青銅剣の実物を見ましたが…素材がどうのとか切れ味がどうのと言う以前にあんなので殴られたら死ぬってw
(PC)
43 天草
ククリ

こんな感じ?
(PC)
44 ヤスシ
天草殿>その通り。
鞘や刀身の細工が綺麗なんですよ。
少ない筋力で、大きなダメージを与えれる。実用性もなかなか。
使いませんケド(笑)
(W11H/au)
45 きいち
グルガナイフ、ネパール行ったとき買って帰ったんですよ〜♪今も自宅にあります。とってもかわいいですよ(^o^)
(PC)
46 ヤスシ
ところで、三国時代の船にはどんな物が有ったのですか?
楼船など名前は知っているのですが、何分山育ち…(汗)
イマイチ想像がつかないので…。
(PC)
47 天草
こんなのどうでしょう?
楼船
水上要塞

拾い物で、復元・展示しているものらしいので、本当にこの様なものだったのかは不明です。
(PC)
48 エミ
初めまして。いつも皆さんの博識に驚いてます。正史も未読の未熟者ですが、よろしくお願いします。孔明の元ジュウについて。戦略戦術兵器事典@中国古代編には、楚国の軍人の墓から出土した連ドは2本9回計18本の連発式だった。五百年前の戦国時代にそのような複雑な仕掛けが開発されているのだから、三国時代に多数の矢を連発できる大型が開発されていても不思議はないとあります。10本同時に射てても、次の10本を装テンするのに時間がかかるのでは実戦向きではないですもんね。
(D503iS)
49 天草
エミさん。初めまして!今後、よろしくお願いします。出土された連弩があったんですね。大きさはどんなものだったのでしょうか?人一人が簡単に持てる物じゃないのでは?そこが気になりますね?
(PC)
50 エミ
30センチ弱の小型の物だそうです。イラスト図によると、弩の上に箱が付いていてそこに矢を入れ、ハンドルを後ろに引いて矢を射出し、ハンドルを戻すことで仕掛けを戻し、箱から落ちた次の矢が射出できるようになる物です。弩というより銃に似ています。私は、弦を限界まで引く弩に比べ、矢の射ち出す力が弱くなるのではないかと思います。
(D503iS)
51 天草
なるほど!それが模型でなく、本物ならば、戦闘用の武器というより暗器的な武器だったということですかね?殺傷能力はさすがにないでしょ?
(PC)
52 しす
元戎の話しですか…武器マニアとしてはほっとけない話題ですねw
いわゆる連弩が出土してたのは知ってましたが、そこまで細かくは知りませんでした。
ちなみに元戎のような小型サイズのものとは別にバリスタタイプの連弩の存在も「墨子」や「淮南子」に記述があるそうです。
ちなみに明代に使われた個人用の連弩は射程が35m程度で、甲冑を着た兵士には有効なダメージを与えられず、対盗賊などに用いられ、兵器としてはあまり運用されていなかったようです。
孔明が作ったものはサイズは不明だそうですが、やはり通常の弩弓よりは射程も威力も落ちたようです。
なので通常の弩と、元戎と、2種類の弩を用途に応じて使い分けていたようです。
(PC)
53 ヤスシ
過去ログ漁り♪

この時代、騎兵ってどの様な使われ方をしていたのでしょうか??

常識で考えれば、走行中の馬上で戟や槍を使うのは不可能かと考えるのですが…
如何ですか?
(PC)
54 天草
確か、当時の騎馬には鞍がなかったとか、言ってませんでしたっけ?

そうなら、実際に騎馬上で戟や槍を使うのはかなり至難の業ですもんね。

ということは、普通なら馬は移動手段の一つと考えるほうが無難なのかもしれませんね。
(PC)
55 しす
>天草殿
たぶん鞍はあったんじゃないかな?
鐙はなかったけど。

>ヤスシ殿
たぶんこの当時の騎兵の主力武器は直刀だったと思います。
刀は剣より折れにくいし、騎馬の突進力を利用した攻撃に適していたようです。
(PC)
56 赤龍
鞍は、戦国時代、武霊王の時からすでにあったようです。鐙が見られる最も古い例は今のところ西晋のもの。これは、片面にしかなく、主に馬に乗る際に使われたと思われます。両側についた鐙は五世紀頃、重装騎兵の普及とともに見られるようになったようです。
(J-SA05)
57 天草
これは、片面にしかなく、主に馬に乗る際に使われた…>>これはどういうことでしょう?片面とは全面だけの鎧ってことかな?
(PC)
58 大伴
鐙とは、足をかける部分ですよ。
(F2102V/FOMA)
59 天草
恥っ!!!!

ヨロイかと思って、前面だけのヨロイかと…(爆)

ドンナヨロイダ?
(PC)
60 ヤスシ
鞍はあったが鐙は無かったのか…。
と言うことは、
>>>54-42
>>>54-7
三国志の英雄達は直刀を使って戦闘をしていたと言うのが真実味を帯びてきたきがします。
(PC)
61
直刀というと形的には忍者刀みたいのですか?
(W11K/au)
62 しす
>飛さん
忍者刀とはちょっと違うかな。
古代日本、古墳時代〜奈良時代辺りまで使われていた環頭太刀が似てるんじゃないかと思います。
以下に画像探しておきましたが見れるかな?

http://al.kutikomi.net/chinkyu/5/?nu=1
(PC)
63
ほほう!刃物とか武器といったものの知識を、全く持ち合わせていない私にはとても珍しい形に見えますね!

この武器は騎乗状態から攻撃を行うのは有効なのでしょうか?それとも騎兵迎撃武器?
(W11K/au)
64 大伴
三国時代よりはちょいと古い(二百五十年〜三百年位前)ですが、中島敦の小説「李陵」に

「己の刀環を撫でて暗にその意を伝えようとした」

とあります。これは「環」と「還」の音が通じる事から、「帰ってこい」というメッセージを送るシーンなのですが、当時の刀の尻に環が付いていた事がわかりますね。
(F2102V/FOMA)
65 しす
>飛殿
直刀は当時としては騎上で用いる武器としては最も適していたと思います。
ただし、飽くまで「当時は」ですが。
なにせ鐙のない時代ですから、我々がドラマやコミックなどでよく見る騎馬戦術とは大きく様相が違っていたことでしょうし。
ちなみに余談ですが、当時孔明が部下の蒲元に3000本の刀を作らせたそうで。
この刀、鋭利さにおいて、他の刀を凌いでおり、「神刀」と呼ばれたそうです。
(PC)
話飛びまくりますが、日本てボーガンみたいな武器が使われてたことあるんですかね?三国志からかけ離れた質問ですがm(_ _)m
(W11K/au)
67 しす
>飛殿
弩のことですよね。
日本では奈良時代に弩が配備されていたらしい記述はあります。
ただ平安時代になるとそういった記述はさっぱり。
恐らくは日本という国の地形や歩兵しか使用できない弩は廃れていったのではないでしょうか。
その代わりに弓は諸外国とは違い、騎乗でも使用しやすい形に発展していくのは興味深いところです。
(PC)
68 しす
日本語おかしかったですね。

恐らくは日本という国の地形や、歩兵しか使用できないといった理由で弩は廃れていったのではないでしょうか。

と訂正します。
(PC)
69 大伴
技術の未熟な時は、複合素材の翼を作る事は困難です。当然取り回しを考えれば、クロスボウの翼は短くせざるを得ません。弓と比べれば当然弱いのです。
我が国の湿度が、その復元力をさらに弱め、兵器として弱い物にしていた可能性もあるのでは無いでしょうか?飽くまで推測です。
(F2102V/FOMA)
なるほど、湿気のことは考慮に入れてませんでした。
でも確かによく考えると日本で使われていた弩は主に対蝦夷討伐で使われていたようで出土してるのも宮城や福島など北方に集中してるんですよね。
出雲でも出土はしてますが、こちらは作りが脆弱で、恐らく祭祀用だったと言われています。
これらを考慮に入れると湿気の影響も無視できない気がします。
ちなみに日本で最初に作られた合成弓は伏竹弓といって平安中期に産まれていますから、弩が使われていたとされる時代よりやや後代になりますね。
(PC)
う〜ん。ボーガン(ドの感じがでませんf^_^;)のほうが大抵の戦いで有利だとおもうのですが…

もちろんしすさんのおっしゃる奈良時代に配備されたものでは、お話にならなかったのかも。ですがなんでも改良してきた日本人が、ほぼ諦めてしまった理由は日本の気候だけで説明できないきがしますが…。無知故の疑問です。すいません!
(W11K/au)
う〜ん。ボーガン(ドの漢字がでませんf^_^;)のほうが大抵の戦いで有利だとおもうのですが…

もちろんしすさんのおっしゃる奈良時代に配備されたものでは、お話にならなかったのかも。ですがなんでも改良してきた日本人が、ほぼ諦めてしまった理由は日本の気候だけで説明できないきがしますが…。無知故の疑問です。すいません!
(W11K/au)
73 しす
>飛殿
それにはまず弩の利点と欠点を弓と比較していく必要があります。
まず弩の利点ですが、弓よりも射程が長く、精度が安定していました。
欠点は弓よりも重く、生産効率が悪い。
動く標的に対しての命中精度が低い。
連射性に劣るということでしょうか。
で、まず重要視されるのが射程ですが、日本の合戦の場合、中国やヨーロッパに比べて比較的近距離から矢を射かけていました。
山林や勾配が多く、平地の少ない日本の地形ではそうならざるをえなかったからです。
そうなると射程やら命中精度よりも連射性能の方が重用視されてきます。
また動く敵に対し命中精度が極端に落ちるということは野戦には向きません。
弩の利点を生かせない以上衰退するのも仕方なかったと言えると思います。
他にも、盾を持たない日本独特の戦闘スタイルは甲冑もまた独特のものに仕上げてしまいました。
いわゆる今日便宜的に「大鎧」と名付けられている甲冑なんかは明らかに弩を撃つに適していません。
また「武士道」なる独特の文化の影響もあったのではないでしょうか。
武芸を奨励し特に弓馬の腕前はもてはやされました。
こういった要因が総合的に弩を衰退させ発展させなかったとは言えないでしょうか。
(PC)
74
しすさん!とても分かりやすい説明有り難う御座います!
なんかコストと武士の伊達ってあたりが特に説得力ありました!

両方持ったことあった私としてはボーガンなら、どの場面でもイケるな☆と思いましたので(^_^;)ちなみに弓は弓道のと、おもちゃくらいしか手にしたことないのであまり参考にならぬでしょうが。
(W11K/au)
75 天草
久々にこのスレを上げます。

諸葛亮の発明品『元戎』(前レス参照)の詳細を見つけました。

○裴松之の注『魏氏春秋』より
また連弩を工夫し、これを”元戎〔げんじゅう〕”と名づけ、鐵〔くろがね〕〔鉄〕で矢を作り、矢の長さは八寸、一つの弩〔ど〕で十本の矢が同時に発射できるようにした。
(PC)
76 天草
さらに武器ではありませんが、諸葛亮の発明品『木牛』について…

木牛は、腹部は四角で頭部は曲線形、一本の脚に四本の足、頭部は領〔うなじ〕の中に入り込み、舌は腹についている。多量のものを載せうるが走行距離は短く、大きな用途に適し、小まわりに使ってはならない。単独走行では数十里、多数での走行では二十里行く。
曲線部が牛の頭をなし、並んでいるのが牛の脚、横になっているのが牛の領、転がるのが牛の足、上を覆っているのが牛の背、四角いのが牛の腹、垂れているのが牛の舌、曲線になっているのが牛の肋骨、細かく刻まれているのが牛の歯、立っているのが牛の角、細いのが牛の鞅〔むながい〕、手にとるようになっているのが牛の鞦〔しりがい〕である。
牛は二本の轅〔ながえ〕にすがり、人が六尺進むと、牛は四歩進む。一年分の食糧〔しょくりょう〕を載せて、日に二十里走行し、人出はそんなにいらない。
(PC)
77 天草
『正史三国志』裴松之の注では、『諸葛亮集』に記載された”木牛流馬の製作法”を引用です。

残念ながら『流馬』についてはこのあと筑摩書房の正史訳本では”後略”と割愛されているようです。。。残念!!
(PC)
78 赤龍
木牛の説明読んでもわかるように、半分以上はなんのことやらわからない説明ですよね。流馬の方は、ひたすら寸法とか羅列して、さらに意味不明。「いたずら好きの男が人を困らせてやろうと、むちゃくちゃに部品の寸法ばかりを並べたてたでたらめな製作法を書いたものかと思われる」(高島俊男)という意見にも納得。
(J-SA05)
79 天草
確かに読んでも意味不明ですし、補給物資運搬に使われていたのでしょうが、牛の形にする意味がイマイチ分かりませんね(笑)

本題に戻しますが、>>75で書いた連弩(元戎)の記述が確かなら、矢の長さは確かに20cm弱。かなり短いですよね。この大きさで人を殺傷させようと思えば、かなりの勢いが必要です。

しかも携帯用の暗器と考えれば、10本というのも多すぎる気もするし…どうなんでしょうか?
(PC)
80 大伴
>>79連弩という実用に足る兵器(武器では無い)が存在したとするならば、その裴松之の記述は信用できませんね。
(D505iS)
81 どら
同時発射と言うのは厳しいんじゃないでしょうか?ちなみに弓で2本発射をした事あるんですがヘロヘロでした。一本発射だったら頭蓋骨貫通する弓でもね。
以下想像
弦が複数ある弩(同時発射ではないので力は分散されない)と、滑車のような物で弦を引く力を増幅させる機械を別に作り、2〜3人で運用。
これなら現実味あるでしょ?
(N2701/FOMA)
82 どら
短くても質量さえ普通の矢と変わらなければ殺傷能力は変わりません。ただ羽根の位置と重心が近いと飛翔安定性が下がるので回転速度を上げなくてはならなくなり、有効距離が狭くなる。まぁどちらにせよ迎撃型の兵器なのかな
(N2701/FOMA)
83 どら
失礼
×羽根と重心が近いと
○抗力中心と重心が近いと〜
の方が分かりやすいですね
(N2701/FOMA)
84 赤龍
連弩というのは大きく二種類、同時に多数の矢を射るものと、連発式のものがあります。問題の元戎の記述、十本同時発射と、十連発どちらともとれる文らしく、元戎の実態をめぐり意見が分かれているようです。同時発射と見る人は、多くは後代の床弩のような、数人がかりで使用する大型のものと推測しています。
(J-SA05)
85 赤龍
余談ですが、明代には「諸葛弩」という連弩があったそうです。上部に着脱可能な弾倉があり、25センチの矢を十連発。しかし威力は弱く、射程わずか35メートル。
諸葛亮の名を冠しただけで、残念ながら元戎と直接の関係はないようです。
(J-SA05)
86 天草
さすがはどらさん!
武器系の話しと戦術系の話しは専門ですね(笑)

諸葛亮の発明品に関しては、実は奥さんが開発したのでは…なんて説もありましたよね?あのソースはどこだっけかな?
(PC)
87 ヤスシ
やっぱりこのスレ面白いなぁ…
ageを兼ねて、三国時代に使われた船の種類を教えて下さい。
川で使う船なので海で使う船と違いってあるんですかね?
(W11H/au)
88 雷蔵
話が変わりますが、演義ではいろいろ個性的な武器を持った武将が登場しますが、実際はどんな武器が得意だったのでしょうか?正史にはそんな記述はあるのでしょうか?
(J-T08)
89 天草
>>88
どうやら、この時代に使われてた武器は演義やゲームの中のモノとは大きく違うようで…(汗)

詳しくはこのスレの>>1-10あたりかな?初期の方でいろんな方の意見が分かりますよ。
(PC)
90 赤龍
ストーリー自体は三国時代だけれども、武器をはじめ、文化、風俗、人々の動き回る舞台は演義が書かれた元、明代のものというのが演義の特徴です。張角が科挙に落第とか、普通に各地に仏教寺院があったり。これは三国志演義に限らず、当時の小説に共通する問題です。そういう時代考証なんて求められてもなかったんでしょうね。
(J-SA05)
91 しす
これは推測なんんですが、当時存在しない筈の武器が登場する理由の一つに「演出」があるのではないでしょうか。
劉備の「雌雄一対の剣」関羽の「青龍偃月刀」、張飛の蛇矛。
いずれもそれぞれの容貌同様、特徴のある武器で、それを見ただけでキャラが見分けられるようになっています。
この辺りは「水滸伝」や「封神演義」「西遊記」にしても同様です。
武器を「○○専用」にすることでキャラの個性化にも役立つというわけですね。

ちなみにケロロ軍曹じゃないけど、「○○専用」という言葉には何かしらのステータスを感じますw
(PC)
92 赤龍
しすさんの言われる演出効果はあるでしょうね。それを効果的にするには、身近な同時代にある武器の方がよかったのでしょう。特に大衆むけの講談なんかでは、イメージしやすい同時代のものの方がよかったでしょうね。
(J-SA05)
93 赤龍
というように、演義自体がこうした調子なんでで、現代に演義をベースにつくられた無双なんかで、トンファーやヌンチャクとか当時有り得ない武器がいくらでてこようが、全く問題無いと思ったりします(笑)
(J-SA05)
94 しす
やっと見つけたage
(PC)
95 天草
このスレは勉強になりますから、是非皆さんに読んでもらいたいですね♪

弓はどんな形だったのでしょうか?
つい日本の弓矢の形を思い浮かべますが、何か特別な形だったのかな?
(PC)
96 郭嘉
弓道をしていた私にとっては興味深い。日本の長弓とは違い、短弓だったので威力は強く、持ち手は中央だったのかな?あと矢尺も取らないから引くのに要する力は大差ないとか書かれていたような。詳しく調べてみようと思いましたが、今はあまり動けないので皆さんの意見をロムります(爆)
(EZ)
97 しす
まぁ三国時代の中国の弓と、後世の日本の弓を比較するのは少々酷かな。
一番解りやすい違いは郭嘉さんの仰る通り、長弓、短弓の違いというのはありますね。
持ち手も既出の通り中央です。
上部が長く、下部が長いのは日本独特のスタイルですから。
まぁ、日本でも奈良時代までは長弓と並行して短弓も使われていたようですが。
それと気をつけなければいけないのが、弓は湿度に非常に影響を受けやすい武具ですので、素材にも土地によって大きく差が出て来ますね。
例えば中国南方では竹なんかが使われていましたが、竹の取れない北方では木、あるいは牛の角、騎馬民族なんかは羊の角なんかも利用していたようです。
弦の素材も場所によってまちまちだったようですが、これはまだよく調べてないので、また次の機会に。
(PC)
98 ストラップ
>>96弓の持ち手と、利き目は大きな関係を持ちます。照準精度に大きな影響が出ることは少し考えればわかりますね。弓を引分けた時、試しに右目を瞑ってみると良くわかると思います。野球のスイッチヒッターも実際はそうなのですが、左右で同じ様に見るという事は、先ず不可能です。利き目が右ならば、弓手に弓を持つほうが、照準精度が高く、結果として命中精度に影響を与えます。


矢も、細い竹の取れる地方では矢柄に竹を用いますが、木であったり、太い竹を割いて用いたりしたようです。粛慎の矢という、石の鏃をもつ箭の話もありますね。

弓も、角やポプラの木など、様々な種類があります。又、複合弓も早くから発達していた様ですよ。
(PC)
99 ヤスシ
弩は春秋時代に発達し、三国時代では主要武器でしたが、唐になるとまた弓が主要武器になるようですね。
この頃また戦術が変わったのかな?(弩=歩兵→弓=騎兵)

>>76
木牛、流馬ですが、唐杜祐と言う人が書いた『通典』では木牛は二輪車、流馬は一輪車とされているようですよ。
(PC)
100 しす
さて、このスレも殿堂入りですね。
以下のスレに移行しますのでヨロシク
>>>268
(PC)