1 くわぁまん

商才…。

麋竺、麋芳の兄弟は商人だった為、早くから劉備の才能を見極め莫大な資金を援助しました。

彼等の先見の明は確かなものでした。しかし、最後は計算出来なかったようですね。
(SH900i/FOMA)
2 天草
麋芳は最悪ですよね。

兄弟でここまで評価が違うのも…。
他にも商人出身の武将はいたんですかね?

もしかして
士商農の順序だったかな?
工は聞いたことないな。。
(PC)
3 独眼龍李克用
昔とかなら管仲とか呂不韋他にも有名な商人出身はいます。
三国志では商人出身は…あまりいないな。劉備もある意味商人だなあ( -_-)
(P900i/FOMA)
4 くわぁまん
…ん、魯粛は今で言う投資家かな…?親父の莫大な遺産を融資してしまう処を見るとヤッパ商人かもね。
(SH900i/FOMA)
5 大伴
劉備に援助する馬商人、張世平と蘇隻がいますよ。当時の劉備は未だ二十四ですが、何らかの引き付ける物を持っていたのでしょうね。

劉備がある意味商人というのは、ワラジ売りだったからですね(笑)
(F2102V/FOMA)
6 大伴
麋竺は東海郡ク県の出身で、その地が黄海に近い事から、船舶を使用した運送業の家だったと推測されています。
彼は陶謙に州の別ガ従事を任命される程重用されていますが、彼の財産と私兵をあてにしての事ではないでしょうか?196年、劉備に二千の奴僕を提供した事からも、かなりの兵を持っていたと推測できます。
劉備は益州への侵略後、麋竺を安漢将軍としましたが、これの席次は孔明の軍師将軍よりも上だった様です。
(F2102V/FOMA)
7 天草
陶謙が麋竺の財産をあてにしたというのは十分に考えられますね!

もしかすると、劉備も彼ら兄弟を十分に利用したのかも知れませんね。
だとしたら、後に麋芳が裏切るのも…。
(PC)
8 大伴
劉備が彼の資産を当てにして近づいた可能性は、充分に有り得ると思います。事実、劉備は莫大な支援を得ていますから。
劉備という人は、まったく何も無いところから昇った人ですから、麋竺の支援は有り難かったでしょうし、これを資本とする事が出来なかったならば、早くに舞台から退場していたかも知れませんね。
(F2102V/FOMA)