1 天草
中国史辞典
皆さん、三国志以外の歴史にも詳しいみたいですね。
残念ながら私はその辺の知識は皆無に等しいので、なかなか発言できませんが、閲覧者参加型の『中国史辞典』の作成を検討してます。
ここの辞典の作りで、皆さんに自由に書き込みいただけるようにしようかと考えてますが、いかがでしょうか?
残念ながら私はその辺の知識は皆無に等しいので、なかなか発言できませんが、閲覧者参加型の『中国史辞典』の作成を検討してます。
ここの辞典の作りで、皆さんに自由に書き込みいただけるようにしようかと考えてますが、いかがでしょうか?
(PC)
3 独眼龍李克用
ここに適当に書いていくんでしょうか?
そういうものを作るなら時代別に作ったほうがいいと思います。
人物以外にも歴史的背景とか戦争・政治などの特色等も書いていくべきですかね。
そういうものを作るなら時代別に作ったほうがいいと思います。
人物以外にも歴史的背景とか戦争・政治などの特色等も書いていくべきですかね。
(P900i/FOMA)
10 子竜
大賛成です。中国史は三国志以外にも面白い話はたくさんありますからね。ただ、やるとなるならば、次のことはやった方が良いと思います。
@時代ごとにわける、もしくはいつの時代に活躍したかはっきりわかるようにする
Aフィクション、ノンフィクションをしっかり分ける
の2つです。ちなみに、ここで言うフィクションとは水滸伝、十三妹、花木蘭といった民間で作り上げられた演義作品や講談物を差します。大変な手間になることが容易く想像できますが、いかがなものでしょう?
@時代ごとにわける、もしくはいつの時代に活躍したかはっきりわかるようにする
Aフィクション、ノンフィクションをしっかり分ける
の2つです。ちなみに、ここで言うフィクションとは水滸伝、十三妹、花木蘭といった民間で作り上げられた演義作品や講談物を差します。大変な手間になることが容易く想像できますが、いかがなものでしょう?
(W11K/au)
15 李克用
〜隋っていうのは先秦からでしょうか?先秦からなら隋まで約800年(一応三国志含む)。
隋から後は清までとするなら約1300年。明までなら約1000年というところです。
隋から後は清までとするなら約1300年。明までなら約1000年というところです。
(P900i/FOMA)
27 独眼龍李克用
商のほうが周より資料が多いらしい(ほんとうかは知らないが)
四月に周の遺跡が見つかったらしいですのでそれの調査が終われば結構わかるかも。
商は甲骨や金文が残ってますから意外にたくさん知られてます。
四月に周の遺跡が見つかったらしいですのでそれの調査が終われば結構わかるかも。
商は甲骨や金文が残ってますから意外にたくさん知られてます。
(P900i/FOMA)
30 大伴
商ではなく、イン(漢字は李さんが出していたかな)の方が良いと思いますよ。
又、イン自体の人物はあまりでないと思いますし、架空の人物も扱う訳ですから、
「イン以前」
としては如何でしょうか?
又、イン自体の人物はあまりでないと思いますし、架空の人物も扱う訳ですから、
「イン以前」
としては如何でしょうか?
(F2102V/FOMA)
36 天草
大伴殿>独自タグ##BR##は使えないみたいです。改行は<br>半角英数を使ってください。
大伴殿の蒋介石の欄を修正から入れば、使い方が分かると思います。
勝手に手直ししてすいません。
大伴殿の蒋介石の欄を修正から入れば、使い方が分かると思います。
勝手に手直ししてすいません。
(PC)
38 趙某
李さんに質問です。呂尚が朝歌で肉屋をやっていたというのはどこかで読んだことはあるのですが…商に使えていたという話は知りません。詳しく教えてください。
それとヤスシさんの妲姫は文学小説のほうに該当するのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
それとヤスシさんの妲姫は文学小説のほうに該当するのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
(N900i/FOMA)
39 独眼龍李克用
実際に殷に仕えていたかはよくわからないんですが、古来より言われてきたみたいで孫子の兵法書の用間篇に殷の臣であったと書かれており、信用はできないですが封神演義に司天監(呪術的な役職、占卜官みたいなもの)になってます。
(P900i/FOMA)
40 趙某
見つかりました。下の記述ですね。他にもいろいろあさった結果、「史記」斉太公世家に呂尚は初め殷の紂王に仕えていたが、…との記述を発見しました。
ところで下の孫子の記述から呂牙は呂尚に他ならず、牙が字であったと考えるに至るのですが…。
殷之興也、伊摯在夏。周之興也、呂牙在殷。…
(「孫子」用間篇より)
ところで下の孫子の記述から呂牙は呂尚に他ならず、牙が字であったと考えるに至るのですが…。
殷之興也、伊摯在夏。周之興也、呂牙在殷。…
(「孫子」用間篇より)
(N900i/FOMA)
41 ヤスシ
趙某殿の意見に一理あるかと思います。
字に関しては注釈では如何でしょうか?
文学小説に該当するのでは?と言う意見に関しては、広く意見を求めたいかと思います。
如何でしょう?
字に関しては注釈では如何でしょうか?
文学小説に該当するのでは?と言う意見に関しては、広く意見を求めたいかと思います。
如何でしょう?
(W11H/au)
42 独眼龍李克用
遂に20に到達しましたよ。中国の時代の長さからするとまだまだですね。これからの発展に期待するとします。
天草さんも参加できませんかね?無理っぽいですか?なんか興味あること調べて書いてくれたらいいんですが…ちょっとプレッシャーかけているようになりましたが、忙しいですよね。
他の皆さんもどんどん参加していきましょう(^.^)b私は李克用を調べて少し燃えつきかけだったりします(笑)
天草さんも参加できませんかね?無理っぽいですか?なんか興味あること調べて書いてくれたらいいんですが…ちょっとプレッシャーかけているようになりましたが、忙しいですよね。
他の皆さんもどんどん参加していきましょう(^.^)b私は李克用を調べて少し燃えつきかけだったりします(笑)
(P900i/FOMA)
43 天草
あ〜すいません。。。
最近、またさらに新しい事を検討中で、そちらの方に気を取られてました(陳謝)
そうですね。私も少し勉強してかかせてもらいます。
李殿もそんなに焦らずに、ゆっくり頑張りましょう。時間はたっぷりありますよ!
何はともあれ、尽力いただいている貴殿には大感謝です!
最近、またさらに新しい事を検討中で、そちらの方に気を取られてました(陳謝)
そうですね。私も少し勉強してかかせてもらいます。
李殿もそんなに焦らずに、ゆっくり頑張りましょう。時間はたっぷりありますよ!
何はともあれ、尽力いただいている貴殿には大感謝です!
(PC)
44 李克用
そうですね、張り切って書きまくっとります。
でも、明日は休暇をもらおうかな(笑)
いいサイトなので頑張らせてもらいますよΨ(`∀´)Ψ他に貢献できることあまりないですしね。
でも、明日は休暇をもらおうかな(笑)
いいサイトなので頑張らせてもらいますよΨ(`∀´)Ψ他に貢献できることあまりないですしね。
(P900i/FOMA)
47 独眼龍李克用
始皇帝書いたのでここで少し解説
始皇帝が行なった政治は、今までの王朝では成しえなかった事を実現しています。それは中華全てを一つの国とすることです。春秋初期にあった国は千をこえていたといわれます。中央で全てを管理することができないからです。
それを始皇帝はやり遂げます。でもそれは、始皇帝の力というよりは秦累代の力です。秦は代々法家の偉人、商鞅、范雎、韓非子(ちなみにこの三人は終わりが悪い)などが来ており、稀にみる法治国家となっております。天下統一できたのも法の力により、軍隊が無敵の力を誇っていたからであり、始皇帝は座っているだけで天下を獲れたといっていいんじゃないかと思います。
殷、周が行なってきた封建制度を打ち壊して中央集権を行なった事は、特筆するべきところでないかと思います。ただし、中央集権なので地方を治めるのに官を中央から派遣するのだがそれには悪弊があり、楚漢戦争の折りには全く役に立たず、あまつさえは反乱軍の味方をするなどしております。秦滅亡後の王朝は王族に地方の統治をさせるなどしています。
ちなみにあまりあてにならなかったりそれほど調べたわけじゃないんで思ったことがほとんどです。
続きはまたいつか…あるかもしれない。
始皇帝が行なった政治は、今までの王朝では成しえなかった事を実現しています。それは中華全てを一つの国とすることです。春秋初期にあった国は千をこえていたといわれます。中央で全てを管理することができないからです。
それを始皇帝はやり遂げます。でもそれは、始皇帝の力というよりは秦累代の力です。秦は代々法家の偉人、商鞅、范雎、韓非子(ちなみにこの三人は終わりが悪い)などが来ており、稀にみる法治国家となっております。天下統一できたのも法の力により、軍隊が無敵の力を誇っていたからであり、始皇帝は座っているだけで天下を獲れたといっていいんじゃないかと思います。
殷、周が行なってきた封建制度を打ち壊して中央集権を行なった事は、特筆するべきところでないかと思います。ただし、中央集権なので地方を治めるのに官を中央から派遣するのだがそれには悪弊があり、楚漢戦争の折りには全く役に立たず、あまつさえは反乱軍の味方をするなどしております。秦滅亡後の王朝は王族に地方の統治をさせるなどしています。
ちなみにあまりあてにならなかったりそれほど調べたわけじゃないんで思ったことがほとんどです。
続きはまたいつか…あるかもしれない。
(P900i/FOMA)
48 大伴
「秦を滅するは胡」という予言を聞き、胡(北の異民族)を防ぐ為に、始皇帝は例の莫迦々々しい建造物を作りました。しかし滅ぼすのは暗愚な末子、胡亥でした(滅んだのは三代目の嬰の時ですが)。
まぁ予言が事実であるとすれば、上手く符合した話ですね。
まぁ予言が事実であるとすれば、上手く符合した話ですね。
(F2102V/FOMA)
50 独眼龍李克用
悪人というよりは、心が狂っております。始皇帝は、生まれたときから人質生活です。さらに十代で、王となりましたから心が許せる人間などいなかったでしょう。尊敬した人間はいて、韓非子がそれですが、死なせております。
晩年は不老長寿を望み怪しい方士などの言葉を信じて、人前に姿を見せず、わけのわからない薬を飲んで精神崩壊気味だったのかもしれません。
万里の長城というのは、一から造られたものではありません。趙や燕が造っていたのをつなげて、馬が越えられないぐらいの規模しかありません。現代の長城は、明代後期の物といわれております。始皇帝は、長城だけでなくとてつもない広さの自分の墓、横幅百メートル近くの軍事用の車道、皇帝になる前に韓の鄭国にケイ水と洛水を渠を造り水路で結ばせております。水路以外は中途半端に終わりましたが、相当な規模なので始皇帝はかなりの土木狂だったんでしょう。
秦に問題があったとすれば、太子が皇帝になれなかったことでしょう。太子扶蘇は英明であり人柄も良かったといわれます。始皇帝も信頼していたらしく長城を築いていた名将蒙恬(実際はあまり戦ってないので、名将というのは疑問だが秦においては名門の武家の子)のもとに行かせてます。これは、焚書坑儒に意見したから遠ざけられたとも言わてますが、太子から降ろされていないし、普通遠ざけるなら有力な将軍の下には送ったりはしないでしょう。さらに、始皇帝は死の間際、扶蘇に跡を継がすよう言ってます。これがねじ曲げられなければ、百年以上は秦の時代だったでしょう。末子が継いでしまうから滅んだ、というよりは宦官趙高のせいでしょう。まあ、胡亥も頭が悪かったとは言われております。
趙高についてはまた辞典の方に書いてからで。
晩年は不老長寿を望み怪しい方士などの言葉を信じて、人前に姿を見せず、わけのわからない薬を飲んで精神崩壊気味だったのかもしれません。
万里の長城というのは、一から造られたものではありません。趙や燕が造っていたのをつなげて、馬が越えられないぐらいの規模しかありません。現代の長城は、明代後期の物といわれております。始皇帝は、長城だけでなくとてつもない広さの自分の墓、横幅百メートル近くの軍事用の車道、皇帝になる前に韓の鄭国にケイ水と洛水を渠を造り水路で結ばせております。水路以外は中途半端に終わりましたが、相当な規模なので始皇帝はかなりの土木狂だったんでしょう。
秦に問題があったとすれば、太子が皇帝になれなかったことでしょう。太子扶蘇は英明であり人柄も良かったといわれます。始皇帝も信頼していたらしく長城を築いていた名将蒙恬(実際はあまり戦ってないので、名将というのは疑問だが秦においては名門の武家の子)のもとに行かせてます。これは、焚書坑儒に意見したから遠ざけられたとも言わてますが、太子から降ろされていないし、普通遠ざけるなら有力な将軍の下には送ったりはしないでしょう。さらに、始皇帝は死の間際、扶蘇に跡を継がすよう言ってます。これがねじ曲げられなければ、百年以上は秦の時代だったでしょう。末子が継いでしまうから滅んだ、というよりは宦官趙高のせいでしょう。まあ、胡亥も頭が悪かったとは言われております。
趙高についてはまた辞典の方に書いてからで。
(P900i/FOMA)