1 天草

鍾会謀反の真相

今日、初めて(汗)鍾会謀反について詳しく調べましたが、その真意が全く読めません。
確かに姜維には蜀の再興というメリットがありました。しかし鍾会自身には…。また、兵数や魏という敵の大きさを考えても無謀としか思えません。そんな事も計算できない人物だとも思えませんし…。
彼の謀反について、また姜維の口説き方について皆さんはどう思いますか?

鍾会1
鍾会2
(PC)
2 大伴
逆、という考え方もありますよ。

鍾会が総大将となれたのは、他の者が時期尚早としていたのに対し、司馬昭と共に、蜀進攻に積極的な重臣は鍾会だけだったとされているからです。積極的だった理由に、クーデターを起こす為に兵を集めた、と理由付けする事はできないでしょうか?
諸葛諸の率いる兵を組み込んだ事も、こう考えれば納得できます。昭がクーデターを予感したのは何時でしょう。出兵の前ではなかったでしょうか。予感していても、鍾会しかいないと、そう発言しています。

とすれば、姜維はそこに付け込んだという見方もできるのです。チャンスを伺っていた、鍾会の企みに気付いた姜維が、それを巧みに利用した、と。

まぁ無論、仮説にしか過ぎませんが、姜維の弁舌で鍾会がその気になった、とするよりも、ありえそうな話に、私には思えます。
(F2102V/FOMA)
3 くわぁまん
二十も歳が離れた姜維おっさんに言い寄られ、おだてられたら悪い気はしないでしょうね…
(SH900i/FOMA)
4 天草
そっかぁ。歳の差まで考える余裕はなかったなぁ。友情とかが取り立てられるから、結構近いかと勘違いしちゃいますね。

実はトウ艾失脚から鍾会の謀反まで、全てが司馬昭の策略だったとしたら…。

なんて考えられません?
(PC)
5 大伴
トウ艾の死に関しては、功績の大きさ(鍾会は引き返すつもりだった)と、鍾会の反意を見抜いていたという事から、昭が鍾会の策略を利用した……という事は、蓋然的ですね。

姜維の戦術センスは恐らく、同様に優れた鍾会の目からしても、卓越したものだったのでしょう。姜維がいれば……と、鍾会は考えたのやも知れませんね。
(F2102V/FOMA)
6 天草
どうしても私が解せないのは、鍾会が魏においてそれなりの地位がありながら、また将来が約束されているようなポストにありながら、無謀とも思える謀反をしたということです。

イメージ的には厳格で慎重な人間の様に思えるのですが、野心がそれを陵駕していたってことなのかな?
(PC)
7 エイ
『鍾士季に叛意あり!と云う情報・記録そのものが捏ち上げだ』
と云うのは突飛過ぎでしょうかね(;^_^A


正史を読むと、元々から腹に一物を抱えていた様子ですから

・初めて大将として、しかもそれまでの内乱処理ではなく、内外に知れ渡る大功をあげて有頂天になった
・初めて自分の戦の構想を打ち破るような強敵と戦い、しかもその人物を味方と出来た

といったあたりが、心を曇らせたのではナイでしょうか。
(P2102V/FOMA)
8 大伴
確かに三国志が書かれたのは「当時」では無く、飽くまでも「後世」ですからね。
捏造、や記録の改算などが、陳寿以前の時代になされていた、という線は視野に入れて考えるべきやも知れませんね。
(F2102V/FOMA)
9 天草
エイ殿の説明はいつも分かりやすいですよね。

この例に限らず、魏からの謀反の例は疑ってかかる必要がありますよね。
何といっても正史自体が魏→晋が正統となってる歴史書ですからね。

ハイ松之は正史の中で反論してないんですか?
(PC)
10 エイ
裴松之は反論してないですね。

諸葛公休・毋丘仲恭らと同じトコに収められていますが、トウ士載にだけ僅かにあるだけです。
(PC)
11 天草
裴松之って、携帯で出るんだ(驚)

どういう変換方法なんですか?
(PC)
12 大伴
区点コードで7474が「裴」です。

ちなみに7447は「袁」です。良く使うので、合わせて覚えましょう。
(F2102V/FOMA)
13 趙某
あれ?「ハイ」で「裴」でますよ?機種によるのかな。
(N900i/FOMA)
14 天草
本当だ。。。

ハイの変換で出てきました。。。一生懸命探したんだけどなぁ(汗)
(PC)
15 大伴
関連した内容ですので、スレッド違いは承知の上でこちらに。


通俗演義において、魏将に病死は許されないのでしょう(厳密には魏将では無いが曹操の様な例外あり)。関羽との親交まである張遼ですら、史実を無視し、戦死させられています。
広陵で張遼を殺すのは丁奉ですが、何故この役目が丁奉なのかと思い悩んでいました。しかし本日一つの仮説にたどりつきましたので発言致します。

三国時代は、二国が魏を軍事的に牽制する事によって、三国のバランスが保たれ、続いていました。263年八月、魏が蜀に攻め込んだ際、呉はやはり牽制の為、寿春に兵をだしています。この時全軍の指揮をとったのが、丁奉なのです。
蜀贔屓の羅貫中は、この蜀の滅亡を救おうとした丁奉に、ある種の感謝をしたかったのではないでしょうか。だから、魏の名将を射る役柄を、与えたのだと思います。如何ですか?
(F2102V/FOMA)
16 天草
またまたスレ違いになりますが、演義っていうのは孔明死後、どこまで続くのでしょうか?

横山・横光三国志の終盤はどのように描かれてるのでしょうか?読んだ事はあるのですが、その頃は終盤に興味なかったので、うろ覚えなんです(汗)
(PC)
17 しす
>天草殿
演義は一応呉の滅亡、晋による三国統一まで描いています。
ただし前半50年孔明の死までに104回を割いているのに対し、残り50年を16回で描くという無茶っぷり。
ちなみに横光三国志は蜀滅亡までを描いており、鍾会の謀反までは描いていません。
と言っても59巻で孔明の死を描いて残り1巻で蜀滅亡までってのもスゴイですがw
それでも蜀滅亡まで描いてくれてるんだから、ある意味嬉しいかも。
姜維の死を描かなかったのは、彼を最後の主人公として描いたからでしょう。
って言うか鍾会の叛乱で終わっちゃうと「それで終わりかよ!」ってなっちゃいますから、蜀滅亡は区切りとしては良かったのではないでしょうか。
(PC)
18 天草
やはりそうでしたか…。

実は私もここを作るまでは終盤の歴史を殆んど知りませんでした。演義の影響なんでしょうね。
調べてみたら、終盤の登場人物も魅力的な人物が多いんですけどね。

ところで…
横山・横光三国志→×
吉川・横光三国志→○
の間違いでした(笑)
(PC)
19 大伴
姜維関連参考上げ。
(F2102V/FOMA)
20 ストラップ
>>>156を眺めていて不意に思ったのですが、鐘会は夏侯覇が「鐘会が朝政を取り仕切るようになれば、蜀、呉の憂いとなる(有鍾士季、其人管朝政、呉蜀之憂也)」と、非常に高く評価した人物。
夏侯覇といえば、姜維も敵として一目置いていた人物の筈。案外彼の発言が、姜維に夢を見させたのかも知れませんね。
(PC)
21 くわぁまん
劉備と孔明は約二十才違い、孔明と姜維も約二十才違いう。更に、姜維と鍾会も約二十才近く違います。

演義はわざと物語り風に仕立てられていますが、歴史は繰り返されると言う事ですかね…。(汗)
(F901iC/FOMA)
22 しす
>>21
「演義」という言葉に小説とか物語的な意味があるのに「わざと物語り風に仕立られ」って表現はおかしくないですか?
(PC)
23 天草
古スレage祭り

鐘会謀反は魏国にとって青天の霹靂だったのでしょうか?
それとも想定の範囲内だったのでしょうか?
(N902i/FOMA)
24 ストラップ
>>23
魏にとってはそうだったかも知れませんね。
しかし司馬昭は10万の軍勢を用意し、長安に進駐させていますから、司馬氏一門にはそうでは無かったのだと推測します。
(PC)
25 巫俊(ふしゅん)
そのときの魏は司馬昭専権時代でしたよね。

魏晋の政権交替にあたって、晋室の兄弟一族は結束力が高く、困難をはねのけての政権移行の過程の中に、「征蜀」を位置付けることができるはずです。

西晋の武帝(司馬炎)は州軍司令官の都督某州諸軍事職を、親族の封建諸侯(王)に任せていたくらいですから、「征蜀」司令官が自立する傾向は自然なことだったんじゃないでしょうか?

武帝の親族政策は、かえって八王の乱という王室の内乱を勃発させるわけですが、
その原因は、親族の内乱というだけでなく、州軍司令官たちの権力奪取の傾向にあったようです。

八王の乱も、外戚の専横に対する封建諸侯のクーデターからはじまったようですし。
晋室自体が方面軍司令官+外戚という地位で政権奪取した経緯があるんですよね。
(PC)
こんばんは。
途中から参加させて頂いているヒロサトルです。こちらでも
よろしくお願いします。

フ俊さんのお言葉が
いい線を突かれおられると思われますので、
私なりの
考察を述べさせて
いただきます。
まず司馬氏が纂奪を成し遂げられたのは、有力な政敵を効率良く葬った
からで、その一人が
司馬イ時代の、ギ朝最大の皇族曹爽であり、
もう一人が
司馬昭時代の鐘会です。そもそもギ朝自体が、
漢に於ける旧家の名門であった鐘ヨウや司馬氏の
協力の下に、纂奪を成功させた帝国です。
そのギに於ける
鐘家の当主鐘会には、
軍功こそ司馬一族には
及ばなかったものの、
権威や名声は比類無きものがあり、国内では、
当時の司馬氏専横を快く思わない勢力の支持を、一身に集めていたとも
考えられます。
もしかしたら鐘会と
一緒にショクへ侵攻した
トウガイが司馬派の代表で、鐘会が、鐘派の筆頭と言う肩書きが、あったのかも知れません。つまり司馬氏にしてみれば、
トウガイが鐘会を出し抜いてショクを攻略することで、ギに於ける絶対的権力を確立する千載一遇の
機会であり、事実
その通りに事が運んだ。しかしトウガイの功績が
余りにも巨大過ぎたため、危機感を覚えた鐘会が
キョウ維に唆されてトウガイを陥れ、トウガイは護送中に殺されてしまう。そして事の真相を知り司馬昭が長安に鐘会討伐のための大軍を結集させるも、反乱は未然に防がれた…
私はこれが、
鐘会反乱の顛末では
ないかと思います。
皆さんのご意見は
いかがでしょうか?
(PENCK/au)
もっとも
鐘会の反乱(謀反)が
未然に防がれなかったら、ギ国内では
鐘会に呼応する勢力が
ギを2分し、
ショクの残党が巻き返し、呉が混乱に乗じ、と、
天下は再び
乱れたかも知れません。そう考えれば、
反乱が未然に防がれたのも、道理かな?
(PENCK/au)
28 巫俊(ふしゅん)
>鐘会に呼応する勢力

しかして、魏の寿春の令官・諸葛誕の反抗の際も、巧妙に魏内部での内応が防止されていますので、
(具体的には司馬昭は天子を軍中に奉じたまま南征したことを指しています)

また鐘会は名望はあるとはいえ、

>当時の司馬氏専横を快く思わない勢力の支持を、一身に集めていた

という状況だったか、否かは少し鐘会を肥大にとらえてはいないでしょうか?
鐘会が軍の支持も得られずに失敗していることから、過少評価されているという向きもあるでしょうが、
といって征蜀軍の内部で指揮官殺害を繰り返した鐘会です。

そんなに魏を二分するような支持があったようにも思えません。
司馬昭の政治力と比較して、鐘会は能力が及ばなかったのではないでしょうか。

蜀の掌握に成功して持久戦に持ち込めていたら、展開も別だったかもしれないですが、鐘会は指揮下の兵員の数すら少なすぎたような気がします。

あと、ついでにまえの私の文章は、武帝の親族政策がまじってますので複雑に感じられるかもしれませんが、州軍司令官の自立傾向に歯止めをかけるべく設置されたものが、晋の封建諸侯(王)だったということです。
実際は、その封建諸侯が不信感の連鎖に陥って亡国の基をつくるわけです。

それと登βガイも、司馬昭に従属するだけの主体性のない人間でもなかったようですよ。
とくに彼は貧しい出身ですが、治水秘術から用兵までたけていたようなので。
(PC)
29 巫俊(ふしゅん)
鐘会が蜀で自立した際には、政体はどうするんでしょうね?
劉氏?曹氏?
(PC)
30 ヒロサトル
なるほどフ俊さんは、
噂に違わぬ英才ですね。確かにおっしゃる通り、鐘会の名声は司馬昭=司馬氏のそれに、及んでいなかったでしょう。
鐘会の謀反が成功した時の大義名分も、
曹氏か劉氏によって、
結果は大きく異なります。曹氏であれば、ショクで
長期に戦線を維持するのは難しいでしょうし、
劉氏であれば、鐘会直属の部下たちが納得しないでしょう。そして恐らくその辺が、鐘会の反乱が未然に防がれた最大の
要因でしょうね。
つまり鐘会は、
周囲の期待こそ大きけれ、本人は大したタマではなく、キョウ維によって、上手く乗せられた。
それが
実態だったのでしょう。

ダースシディアス並みに、
鐘会を惑わすキョウ維…
怖いですね〜

またトウガイについても、一廉の人物であったことは有名です。
単純に"司馬派"では無く、充分に、
第三勢力になり得た存在なのかも知れません。
司馬昭としては、
ショク平定戦で、結果的に2人の政敵を競わせ、
共倒れ。キョウ維と共に
"三つどもえ倒れ"
出来た訳ですね。
(PENCK/au)
31 朱家
>>30
ちょっと指摘させてもらいますね。
「英才ですね」
おそらく他意はなく、素直な気持ちからでしょうが、人によっては「あなたは私と議論する資格がありますね」ともなります。相手を尊敬する、意見を尊重、賛同すると、「誉める」は、必ずしも一致するものではありません。立場によって「誉める」行為は、相手に与える印象が大きく変わるので、注意が必要だと思われます。

スレに戻りますね。
郭太后の遺令を奉じてるので、曹氏でしょう。劉氏は自らが滅ぼしてますし、一度滅んだ勢力が団結するには、劉禅が鐘会を潰すという強い意思がないと無理でしょう。むしろ、司馬氏に協力して鐘会を倒したほうが、利があると考える人物も多いと思います。
しかし郭太后は…曹爽に幽閉され、司馬氏に利用され、毋丘倹にも利用され、死んだ後も鐘会に利用された(笑)
(W32K/au)
朱家さんはじめまして。まずご指摘の
「英才ですね」の件は、
失礼ですが、
意味が解りません。
どんな意味なんですか?


鐘会謀反の大義名分は、朱家さんの、
おっしゃる通り曹氏かも知れません。いや
曹氏なんでしょう。
するとキョウ維は、
鐘会に取り敢えず謀反を起こさせ、ショクの再興は、また後日の課題だったのでしょうか?
それともキョウ維は、元々ギからショクへ寝返ったのすら売名行為で、
鐘会を唆して謀反させたのも、単に、己が才能を誇示するために仕組んだ、確信犯的な策略だったのでしょうか?

朱家さんは
どう思われます?
(PENCK/au)
>>31
いやいや朱家さんの
「英才ですね」のご指摘が、やっと理解出来ました。皆さん学識の高い会話をされていて、そこで
やっと相手にして頂いたので、つい
高飛車になっていたようです。もし気分を害されましたら、慎んで
お詫び申し上げます。
(PENCK/au)
34 馬玄
初めましてm(_ _)m
鐘会謀反...自分はそこまで深く考えていません。
鐘会はかねてより司馬昭に対して二心があり、あわよくばトウ艾を謀反人として斬り自分が蜀の頭領になってくれようという気持ちがありました。それに拍車をかけたのが姜維降伏です。
当然、妙計を企てている姜維は智謀の限りを尽くして鐘会を変心させようとするはずですから鐘会が先を見通せなかったのも頷けると自分は思います。

姜維の確信犯疑惑ですが...自分は考えていません。姜維の掲げる北伐への絶対的な大義は『故丞相の遺志を継ぎ蜀漢を再興すること』であり、トウ艾殺害が成功し鐘会謀反が成ったとしたら即座に鐘会を斬ったのでは?と思います。
あくまで姜維の忠義を信じた上での意見です。(^^;)
駄文すみません。
(W31CA/au)
おはようございます。
馬玄さんはじめまして。「そこまで考えていない」とのご意見は、はじめましてお伺いしました。確かにキョウ維ファンの方には、心苦しい話しですが、歴史の真実に迫る意義から、また当時を生きた英雄たちに学ぶ意味から、「そこまで」考えて行きたいと思うのですが、いかがでしょうか?劉備だって散々な評価されてますし。それに、どんな生き様であろうと、学ぶべきものはあります。
(PENCK/au)
36 馬玄
ヒロサトルさん>そうですね歴史は追求することが醍醐味。自分なりに色んなパターンを考えた結果だったんですが、まだまだ甘いです。三国末期大好きな自分にとってトウ艾、鐘会、姜維は最重要。追求しまくりましょう。
(W31CA/au)
37 ヒロサトル
こちらこそ
宜しくお願いします。
馬玄さんのおっしゃる
三国志末期の最重要人物、トウガイ・鐘会・キョウ維の三人はみな、ギの人ですね。ギ朝三代皇帝曹叡が早逝してからは、曹氏の権力は急速に弱まり、
孔明の北伐に対抗する形で、司馬氏が台頭して
来ます。そんな中で、
キョウ維とトウガイはともかく、鐘会は家柄が邪魔して、生き方を自由に
選べなかったとも考えられます。そしてその事が、鐘会を謀反に走らせる結果となった。つまり
鐘会には謀反の動機が、充分にあったと考えられ
ます。しかし
"それ"が平定後間もない
ショクで発露された所に、
キョウ維の存在が関わっている思われます。つまり
キョウ維が鐘会の心の隙に、巧みに付け入ったと
考えられるのです。
そこでキョウ維は何故、
あの時期にそこまでして鐘会を謀反に走らせたのか?の疑問にぶつかるのですが、ここまではどうお考えになられますか?
(PENCK/au)
38 朱家
ヒロサトルさん、こちらこそ、出過ぎたまねをお詫びします。

とりあえず私は、姜維ありきの考えをしてません。
主導権は、あくまで司馬昭で、鐘会はそれに引っ掛かった。
姜維が味方した事は想定外だったはずですが、結果を想定外にするほどの影響力はなかった。
姜維が反乱に同調しても、その裏を考えない単純な人であれば、あれほど警戒される事はないでしょう。どちらが賢いかの勝負ではなく、どちらがズル賢いかの勝負であり、姜維を評価すればするほど、鐘会には敵わないと思います。
姜維は、鐘会の掌の上で、その鐘会は、司馬昭の掌の上で踊っていたと考えますね。
(W32K/au)
39 赤龍
改めて鍾会の伝読み返して見ましたが、やはりこの謀叛いまいちよくわかりません。
伝を見る限り、鍾会は司馬氏の腹心的立場として活躍し、反司馬氏の反乱鎮圧にも尽力。>>26のような「当時の司馬氏専横を快く思わない勢力の支持を、一身に集めていた」ということはまず考えられません。
とりあえず、謀叛の動機として気になっているのが「わしは淮南に在任して以来、はかりごとが失敗したことは一度もない。そのことは四海のうち誰もが知っていることだ」と言うほどの強烈な自負心です。
これ以上は考察中なのでなんともいえません。
(PC)
40 無問題
トウ艾をはめて誅殺したまではよかったが、少数の部下が反乱をおこしあっけなく鎮圧されてますね。この人も馬鹿息子リストに入れようか迷ってます(笑)朱家さんの申されてるとおり、司馬昭の掌で踊らされていたのでしょうね…。気質的に諸葛格ににていたんでしょうな彼
(W32SA/au)
そうですか。
確かに鐘会の謀反で、
結果的に一番得をしたのは、司馬昭ですものね。しかし私には司馬昭が、本当にそこまで策を巡らせたのかが、疑問です。
仮にも、
すべて司馬昭の策略だとして、それには鐘会が、謀反を起こすだけの力が残るように、ショクが
比較的簡単に攻略されることが前提になる筈です。果たして司馬昭には、本当にそこまでの予想が出来たのでしょうか?
(PENCK/au)
42 赤龍
>>41
司馬昭に関しては、鍾会を除く策略というよりも、強大な力を持った臣下がもし叛旗をひるがえしてもいいよう、当然の用心をしていたまでと考えています。
もしそのまま自分に忠節をつくすならそれでよし。力を得て謀叛を起こしたなら速やかに除けるように。
なにがなんでも鍾会に謀反を起こしてもらわないといけないわけではないと。
(PC)
43 馬玄
朱家さんの考えとは逆に、自分は姜維あっての鐘会謀反を考えています。もちろん司馬昭は鐘会謀叛を想定するでしょうし、トウ艾も鐘会が姜維を手厚くもてなした時点で謀叛を看破するでしょう。
どう考えても勝ち目の無い謀叛...単に鐘会の野心がそうさせたんでしょうか?問題はどこで鐘会の叛心が決定的なものになったかですが、やはり姜維の降伏ではないかと考えます。鐘会ほどの智将が蜀が滅亡したとはいえあっさり降伏した姜維を疑わないはずはありませんが、如何せん鐘会は諸葛亮マニア。その後継者である姜維には尊敬の念があり、その姜維の清廉で潔い態度に感動しないわけはありません。また、そんな姜維の提案に反対するわけもなく謀叛に走ったのではないかと、壮大な妄想をしています(^^;)
いずれにせよ圧倒的優位な魏国の高位にありながら独立をたくらむ野心には何だか好感がもてます。皆さんはどうですか??
(W31CA/au)
44 馬玄
続けてすみません
>>41>>42司馬昭に関しても色んな意見がありますよね。
トウ艾、鐘会、姜維の一連の話を見ていると司馬昭の方が何枚も上手なのがわかります。わずか一年でこの三人を消し去った所を考えると、全て司馬昭の策略のようにも取れますし、「我が子房」とまで評価してる鐘会を簡単に始末するとも思えませんι
(W31CA/au)
いやはや私も、
馬玄さんの「壮大妄想」と変わる所がありません。
そして司馬昭はおそらく、鐘会には謀反を
起こして欲しく無かったのでしょう。
無論起こせば、
討伐したでしょうが、
結果的に
未然に防がれた。しかしまさかあそこでキョウ維が鐘会を説得してしまうとは、さすがの司馬昭も、当の鐘会ですら?予想外だったと思います。
もしかしたら、
トウガイを陥れるべく
キョウ維が鐘会に進言し、鐘会が上奏してトウガイを
捕らえ、キョウ維が密かに
トウガイを殺害。そして
鐘会は、後戻り
出来なくなったのでは?後は鐘会が自ら策を練るも、部下に裏切られて
敢えなく頓挫。実は、
オスカー・フォン・ロイエンタールな
鐘会の謀反!?

きっとキョウ維は、
亡き孔明の姿を追う余り
成都を顧みず、ショクを
滅ぼしてしまったとの、罪悪感に苛まれて、自ら地球教を演じてしまったのでは無いでしょうか?

例えが銀英伝で
すみません。
みんな分かるかな?
(PENCK/au)
46 馬玄
銀英伝は全く疎いんでよくわかりませんが、少し調べたところ確かにオスカーの生涯は鐘会に似てるようですね。まだまだ若輩者なので"姜維が地球教を演じた"と言うのは理解できませんでしたι今度ちゃんと読んでみたいと思います。
スレ違いすみません^^;)
(W31CA/au)
47 ヒロサトル
まぁ無理に
銀英伝に当てはめることも無いのですが、キョウ維は悔しかったでしょう。
キョウ維は諸葛孔明の、
先主に対する忠誠心を
理解出来ずに、
ただ華々しい戦果のみを
引き継いでしまった…
無謀な北伐や眼前の防衛のみに気を取られて、
肝心の成都を疎かにした彼は、ショクや孔明に忠節を尽くしていたと
言うより、己の戦果のみを追求していたようにも見えます。
しかしショク滅亡により
それも潰える…しかし、成都を陥落させたトウガイを鐘会に破滅させ、さらには鐘会を謀反に追いやる。
キョウ維の方が、
鐘会やトウガイより一枚も二枚も上手だったことが分かります。が、状況がそれを許しませんでした。しかし結果は、
キョウ維の方が上手―
鐘会の謀反またトウガイの
破滅。引いては、
司馬昭の両腕となるべき2人を消して、晋の滅亡を早める原因を作ったのかも知れません。すべて、キョウ維の執念から…
それが地球教な訳です。
(PENCK/au)
48 朱家
司馬昭は、鐘会が忠誠を誓うかどうかが問題であって、姜維は関係ないと思いますよ。
劉邦も曹操も子房を手放してますからね。本家は引退だけど、殺されてた可能性は高いでしょう。あと、司馬昭ではなく、当時の人が張良のようだと言ってるので、周りがそう思うような発言、行動をしてたなら、かなり危険だと思われます。
姜維は、黄皓を何ともできなかった人で、劉禅が寵愛してても、方法はいくらでもあります。真っ直ぐな人なんでしょう。法正のような知恵、ズル賢さはないと思いますよ。
鐘会は、司馬氏政権に尽力してた人物ですし、司馬昭の才を軽視してる感じでもない。まあ、私は単純に考えていて、司馬昭ならまだしも、司馬炎(もしくは攸)の下では働けない。司馬昭が死ぬと危険になる。もっと後に反乱するつもりだったが、悟られて、今でも劉備ぐらいはやれると判断したって感じですかね。
(W32K/au)
49 赤龍
とりあえず、鍾会が叛旗をひるがえす事を決断した時期の可能性を考えると、
@征蜀以前:最初から謀叛の意志をもっていた?
A蜀侵攻中〜平定後:蜀の地に入ってから野心が芽生えた?
B姜維と接触後:姜維の説得により決断。つまり、姜維にそそのかされた?
C司馬昭長安進出後:疑心暗鬼、追い詰められての謀叛?
の4つに大きく分類できますよね。このどの時期かによって、鍾会の動機や意図も変わってきますよね。
(PC)
>>49
赤龍さんはじめまして。おっしゃる通り、鐘会がいつ叛意を持ったかによって、経緯や意図は異なって来ます。
またそのことを考えるに当たっては、
鐘会が司馬昭にある程度信頼されていること。
また鐘会は、反司馬派の中心人物に充分なり得ること。などを考え合わせ、それでも鐘会が
ショク平定戦の総司令官になっていることから、
鐘会にはまだ、
「叛意も実力も無い。
ショク平定後も心配ない」との判断が、司馬昭にはあった筈です。また
後からトウガイが別動隊を率いて出陣していることから、司馬昭は初めから「鐘会にはショクを
平定出来ない」と踏んでいたのかも知れません。結果的には鐘会が剣閣で
キョウ維に足止めされて
いる間に、トウガイが成都を落としてしまう訳ですから、鐘会の面目は
まる潰れになる。
つまり司馬昭には、
鐘会を重用。鐘会が
功績を立て過ぎない。
と云う、鐘会を配下に
しておくための、願ってもない構図が出来る。
そして鐘会には、この
状況下で謀反を起こす
メリットがありません。しかし、トウガイを陥れ、反旗を翻しているのですから、そこには何か、
相当な出来事があったと考えられる訳です。一体何があったのか?
鐘会とキョウ維の接触です。鐘会は今後のためにも
キョウ維を厚くもてなし、
キョウ維は鐘会を利用した。そう考えるのが、
妥当ではありませんか?
(PENCK/au)
51 朱家
司馬昭は約一年蜀討伐を鐘会と練り上げ、自らが動く可能性があります。「私から疑ってはならない、他言するな」食えない奴で、司馬昭の本心はともかく、鐘会は信頼されてると思ってるが、周りの将からは警戒されてると知っている。この考え方が前提。
そう思ってるのであれば、司馬昭政権で謀反する理由は考えられない。理解者を失う危険をもち、あくまで次世代の準備であると考えます。謀反はその後の事。
姜維の志を伝えるのは不可能で、旧蜀臣の心服は困る、時間をかけてはならず、鐘会の言葉の感じと合致しない。仮に司馬昭が動くように仕向けたなら、魏将に殺されるのは愚かです。信頼を失ったと思ったなら、謀反の理由になります。
普通に、トウ艾の抵抗は考えられ、長安に動くのは驚く事ではないと思います。これは、司馬昭が自分を信頼してる、才を高く評価してる前提の驚きと思われます。姜維にそそのかされたとすれば、司馬昭が動いた後でしょうね。
(W32K/au)
こんばんは朱家さんあなたの発言
>>48
>>51
は、
文法が成立していません。それではいまいち
意味が掴めないのですが、私の主張に対する
反論なのは分かります。つまり何の根拠も無く、ヒロサトルの考えは違うと主張しているのと同じです。あなたにはそれで良くても、私が困りますので、ぜひとも第三者にわかりやすい文法=
主語・述語・二人称
ないし三人称を使って
論じて頂きたいのですが、宜しくお願いします。
(PENCK/au)
53 天草
>>52

文法の注意だけで1レスを費やすのは、あまり誉められたものではなく、討論として、端から見たら苦し紛れのレスの様にも受け取れます。
スレが荒れる原因にもなりますから、気を付けて下さいm(__)m

あと言いにくいのですが…他スレでも誰かが注意してましたが、ヒロサトルサンの文の方が、妙な改行を多発されて見にくいですよ(;^_^A
(N902i/FOMA)
>>52
はじめまして天草さん。どんなに見にくくても、内容が伝わればいい
んです。だけど朱家さんの>>48
>>51は、
内容が理解出来ないと、私は言っているんです。
文法を指摘するのにレスを割かれたくなくて、
尚且つ朱家さんの
>>48
>>51
の内容が理解出来るなら、あなたが私に対する
その指摘を止め、あなたが理解する朱家さんの
主張を分かり易く、私に伝えてくれればいいだけの事です。そうすれば、私の、この無用なレスは無くなるのです。
天草さん、
よろしくお願いしますよ
(PENCK/au)
55 天草
>>54
申し訳ないが、あなたの書き込みこそ、常に長文で、内容が伝わらないどころか、読む気にならないんです。
それに加えてその見にくい書き込み方では、意味がまったく分かりません。
まずはご自分の書き込みの方法を省みるのが先決ではないでしょうか?

勘違いされていると思うので、注意しておきますが、上記の理由で私はこのスレのやり取りをほとんど読んでいません。
どこにも朱家さんの発言を理解しているなんて書いてないでしょ?

ただ討論の内容とは関係なく、文法の注意だけ書き込むなど、荒れる原因になりますから注意してくださいと言っているのです。

二度目ですから、これは館長からの警告だと思って頂いて構いません。

この件についてまだ仰りたい事があるなら、自治会掲示板(来館者交流所内)か、早馬宛にメールをお願いします。

スレ違い失礼しました。
どうぞ通常の討論に戻って下さい。
(PC)
>>55
そうですか。
それでは通常の会話に
戻らせて頂きます。

自分には朱家さんの
>>48
>>51
が理解出来ないので、
もう一度詳しい説明を
お願いします。
(PENCK/au)
57 朱家
ん?ヒロサトルさんだけに対する意見ではないですよ。
直接的に意見してるのは>>48の最初だけですね。<姜維に説得されるとは思ってなかった>に対してです。
あと>>51の姜維の箇所は、間接的に反論してますね。最初から最後まで、姜維が鐘会を操ってたとは考えにくい、と思って下さい。
(W32K/au)
58 馬玄
自分は若輩なので意見するなど恐れ多いですが、ヒロサトルさんが言わんとしている事は分かります。一言では語れない三国志の世界ですから、自分の考えを上手に人に伝えるのも一苦労ですよね(自分は苦労してます;)。
誰でも理解しづらい事には出会うものだと思います。そんな時は気軽に再返答を求めたら良いのではないでしょうか。きっと相手も快く答えてくれると思います。

訳分からないし、分かった風な事書いてすみません;
管理人さん>スレ違いの上、話を盛り返すような事をして大変申し訳ありませんm(_ _)m
(W31CA/au)
>>57結局
>>48>>51には
意味が無く、
ただ鐘会は簡単にキョウ維に説得された訳では無いと、主張なさっていると
考えて宜しいですね?
それなら鐘会にも、
元々翻意があったとする私の意見と、変わる所が無いのですが、鐘会が、敢えてあの時期に、
ショクで決起したことに、
キョウ維の働きがあったとする私の意見にも、
賛同して頂けると考えて宜しいですか?

>>58
馬玄さんあなたは、
認識違いをされています。ここでは
スレ違いになるので、
ぜひメールして下さるか、私のHPの会議室へ
お越し下さい。
お待ちしております。
尚、スレ違い
失礼しました。
(PENCK/au)