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張飛は乱暴者?

私が三国志ハマるきっかけは張飛です!友達がゲームやっているのを見て一目惚れ(^O^)♪それから横山三国志をみて三国無双して、本屋で立ち読み程度ですが(^_^;)

みなさんは張飛をどう思いますか?粗野で酒好きというイメージはやはり強いですか?皆さん色々詳しいので色んな張飛像をお聞かせくださーいm(_ _)m
(W11K/au)
2 大伴
通俗演義での、三人の義兄弟は役割分担がしっかりとし過ぎていた為に、張飛という人はそういうイメージが定着していますね。直上径行の素直な愛すべき正義感。せんだみつおの声で暴れる、単純な人物です。張飛ファンは多いと思いますよ。皆さん恥ずかしいので隠していますが。

事実の張飛はどうだったのでしょうか?目下に憐れみをかけなかったと、三国志にはありますが。

張飛のエピソードで私が最も好きなのは、厳顔の潔さに心を打たれ、捕らえた彼を許した事でしょうか。事実の彼も、ある部分では人情家だったのかも知れませんね。
あ、張コウを油断させた、相撲大会のエピソードは、後世の創作です。張コウに大勝ちしたのは史実ですが。五十余日睨みあった、とありますから、案外短気では無かったかもしれませんねぇ(残念)
(F2102V/FOMA)
3
できれば短気であって欲しいものですね(笑)

私は張飛が一番好きといいながら、よく調べたことがないのです(>_<)したがって謎の男だな、というのが今の私の意見です。

大伴さん厳顔の話で思ったのですが、三国志中盤の張飛ってホント名将といっていいと思うのですが、死ぬ前の行動はチト納得いきません!まるで別人…ひょっとして多重人格者?
(W11K/au)
4 エイ
張益徳は最も人気の高い武将の一人ですね。

私がパッと思い付く限りでは、彼が兵を率いて負けたのは
呂奉先に下ヒを奪われて、劉玄徳の留守を守りきれなかったときだけです。
また、劉玄徳が漢中王に即位した際は右将軍に任じられ、
最後は車騎将軍にまで昇っています。

ここから推察すると、彼は
武勇一辺倒ではなく、以外と軍略があるのではないかと考えます。
(PC)
5 独眼龍李克用
関羽と並ぶぐらいなので、相当に軍略はあったと思います。
考えてみれば、あまり参謀や軍師つけられてないんですよね。大将になるほどではないが、一軍を率いるのはうまかったのではないかと思います。
酒飲みについては、当時の酒豪はあれ位飲んでたでしょう。曹操や孫権も大分飲んでるみたいですし。
(P900i/FOMA)
6 天草
ここを見てたら、張飛のイメージが変わりそうですね。

大伴殿>恥ずかしながら、張コウを油断させた、相撲大会のエピソードは…というエピソード、知りません。良かったら教えてください。
(PC)
7 大伴
何だか他の人と違って、張飛は人物としての評価が上がれば上がるほど、魅力的な人物では無くなっていく様な……強いだけでは無く、弱点の多いところが、通俗演義における彼の魅力であり、彼を窘める事によって、劉備と関羽の素晴らしさが引き立つ……という構造ですからね。

さてお尋ねの相撲大会ですが、第何回かはわかりませんが、通俗演義のエピソードです。
二一七年、漢中から張コウが宕梁に攻めて来た際、これを散々に打ち破ったのが張飛です。五十日余りも対神していたといいます。張コウは数十人と共に馬を捨て、山部の間道を伝ってやっと逃げた様ですね。
通俗演義では、この時陣に篭る張コウに業を煮やした張飛が、陣前で相撲大会を開いたとしています。これに挑発され、油断した張コウを、張飛が叩いた、と面白く脚色されています。

後は、詳しい人が捕捉して下さい(最近こればっか……)。
(F2102V/FOMA)
8
私も相撲大会というのは知りませんでした!飲み比べ(?)というのが一般的なのでしょうか。

ところで漢中大守ってなんで張飛でなくギ延なんでしょ?まあ張飛が演義通りならわかる気がしますが…
(W11K/au)
9 くわぁまん
翼徳の人気は、その行いが駄々っ子の様なところ、男性より女性に人気があります。w(゚o゚)w

母性本能擽られる様ですな…。

吉川先生日く、雲長と翼徳の性格は正反対で、雲長は目上の者には豪胆で目下の者には優しい。一方の翼徳は目上の者には媚びを売り目下の者には厳しいと言われてました。

晩年、性格は若干緩和になったけど昔の虫が再発してしまった…。
(SH900i/FOMA)
10 大伴
酒について李さんが言及されていますので、少々当時の醸造酒について解説を。

現在は多くの手間をかけ、数度の工程に別け、良質な酒を作りますが、当時の製法は……米粉を水と混ぜ、その中に麹を投げ込み放って置く……というものでした。ですから実は、アルコール度数は極めて低く、安酒場の水割りよりも薄かったのですね。実は、かなり飲んでも酔わぬ様です。
(F2102V/FOMA)
11 天草
へぇ〜

そうなんですか!
中国のお酒ってどんなのなんだろ?杏のやつしかしらないなぁ。
張飛はどんなやつを飲んでたんだろ?
(PC)
12 大伴
現代の中国の酒は、各自で調べて頂くとして、三国時代の酒は、蒸留では無く醸造酒、しかもこしていない濁り酒、ドブロクです。感覚的には、色が白く、味と香りの薄い日本酒でしょうか。
(F2102V/FOMA)
13 天草
どぶろくかぁ。

あんまり好きじゃないけど、それしかなければ飲むだろうなぁ。
(PC)
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どぶろくってうまいのかな?飲んだことないのでf^_^;
では張飛といえどウォッカとか飲んだらアル中になっちゃう??
(W11K/au)
15 大伴
ウォッカなどは、いきなりアルコール分の高い酒になりますし、あの時代の人々には強すぎるかも知れませんね。

又、米はそれなりに高価だった様ですので、別の穀物でも作られていた様ですよ。
(F2102V/FOMA)
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麦焼酎とか芋焼酎もあったりして♪

ところで張飛の死について。部下に厳しくあたり、理不尽な要求をしたため暗殺された、でしたよね!何故彼ら(名前忘れた)暗殺することが出来たのでしょう。
(W11K/au)
17 大伴
醸す様な酒は、当時は無かったのでは無いかと思います。
詳しくはきいちさんにでも出馬願いますか。
(F2102V/FOMA)
18 大伴
書き方が悪いですね(汗)

火酒の様に、何度も醸す酒は無かったのでは無いか……と考えています。
(F2102V/FOMA)
19 天草
張飛を殺したのは、張達とハンキョウですね。

殺害方法は分かりませんが…やっぱり酒がらみで、寝込みを襲われたのかな?それしか思いつかないですよね?
(PC)
呼ばれたみたいなので♪
蒸留酒は古く見積もって八世紀頃からのようですね。日本には15世紀に沖縄、16世紀に鹿児島、別の資料では13世紀に中国(元)から始まるとか・・・どちらにせよ三国志の時代には蒸留酒があった可能性は低く、度数も低かったと考えられます。
現代で醸造酒は日本酒、ワイン、ビールくらいでしょうか・・・蒸留酒がほとんどのようですね。。
(PC)
張飛についてですが、関羽と違い、張飛はもともと資産家ですし、初期の作戦も張飛が立てているようですので、後年春秋を愛読していた関羽が智勇兼備のイメージになってますが、どちらかと言うと関羽の方が猛将で張飛は酒癖が悪いにしても、学はあったのではないかと感じます・・・
(PC)
戦歴:
徐州にて策略で劉岱を生け捕り
曹操への夜襲(失敗)
江夏の反乱をあっさり平定。
武陵で戦をせずに内乱誘発で城を落とす。
策略で厳顔を捕える。
張コウを心理作戦で破る。

こんな見方をすると、結構張飛が智将に見えてきます♪
(PC)
23 くわぁまん
国営放送の人形劇三国志で張飛の声やってたのは、今は亡き「せんだみつお」でしたね…

…ってまだ生きてたっけ?
(SH900i/FOMA)
24 天草
きいち殿>ようこそ!これからもよろしくです。
張飛智将案は根強いですね。実際そうだったと私も思ってます。彼こそ、もしかすると智勇兼備の最高の武将だったのかも知れませんね。しかし、部下に人気がないのは頂けませんね(汗)
ところで…メール欄の文字に笑いました(爆)

くわぁまん殿>まだ生きてるでしょ?何年か前に、人身事故かなんかで少しワイドショーに取り上げられましたよね。彼のギャグは全部パクリなんですよね(爆)
(PC)
面白い物を見つけたので転載☆
大酒飲みの張飛が部下の健康のためにつくったとされる薬酒がここ中の名物になっている。「保寧圧酒」といって大麦、小麦、紅高梁でつくられた酒をベースに枸杞、半夏、肉桂、大棗、砂仁などの薬草を入れた赤い色の甘い酒である。
 この辺りの人びとは張飛を敬愛していて、この酒を『張飛酒』と(以下略
ちょっと飲んでみたいです(^o^)
メール、張飛の話題ならやっぱりこれ!(他の話題でもコレにしたけど☆)
酒好きで少し頭が弱く、やんちゃ。皆に愛されるキャラクターとして、張飛は賢くてはいけないのかもしれませんね。
(PC)
そういえば張飛の剛勇を示す、長阪坡のエピソード、あそこでも張飛は林の中に伏兵ありと見せかけてそれを警戒した曹操は追撃を止めるという流れでしたね〜♪
(PC)
27 独眼龍李克用
そういえば、張飛の妻は夏侯覇のいとこらしいですね。
三国すべてに婚姻関係あるらしいですが、どうだったのでしょうかね?政略結婚の意味はあったのかな?
(P900i/FOMA)
28 天草
李殿>それについては、あまり深い意味はないと思われます。

張飛の嫁

張飛…お前って奴は…(爆)
(PC)
29 李克用
載ってたんですね、気付かなかった(;^_^A

なんて奴だ張飛…(誘爆)
(P900i/FOMA)
30 大伴
張飛のエピソードで胸を打つのはやはり、厳顔を斬れず、賓客として扱う事になるものでしょう。
張飛へ我々が抱く「人間的」というイメージの原点は、ここかも知れませんね。
(F2102V/FOMA)
31 赤龍
張飛の妻の夏侯氏の件ですが、出典は『魏略』高島俊男さんは著書の中で「遠い蜀の国の皇帝夫妻についての根も葉も無い話が、おもしろおかしく伝えられてるのを記録したのであろう」と評しています。『魏略』は信じるに足りない俗説の類も平気で記載してますから、ありそうなことです。
(J-SA05)
32 大伴
確かに裴松之は、自分が信じてもいない記述をとりあげ、
「見聞の違いから記事が異なり、それぞれ独自の説が生まれるとはいっても、事実との食い違いがこれほどまでになると、やはり実に不可解なことといえよう」
とやったり、
「(使う資料の撰者を指して)らがいろいろと記載している猥雑で虚偽誤謬にみちたこういった類の記事は、いちいち指摘できないほど数多くある」
とか、
「(異なる資料を紹介、解説し)それゆえAが正しいことがわかる」
などと、平気の平佐で書きますからねぇ。三国志中のオバケの話は、ほとんど注で書かれていますし。


しかし魏略は比較的信頼できる資料かと思っていました。
(F2102V/FOMA)
33 伏仁傑
張飛、ある人が彼を評して
「目上の人には謙虚で従順だが目下の者には厳しい。関羽とは対照的である」
と言ったそうだ。降将厳顔とのエピソードや彼自身の死のエピソードなどを考え合わせると実に興味深い。
蛇足ながら当時の酒は現代のそれよりも醸造技術がはるかに低い為にアルコール度数は極めて低くかなり盃を重ねねば酔えない代物だった、と研究されている。古代の武将が酒豪だったとは言え我々の感覚からはある程度割り引いた方が良さそうである。
(W11K/au)
34
伏仁傑さん>はじめまして!
たしかに張飛のこの二つのエピソードは、同じ人物なの?と思ってしまいますよね!私の中ではそれが魅力でもあるのですが♪
(W11K/au)
35 雪乃
皆様はじめましてm(__)m
初めてカキコします。


飛さん>北方三国志を是非読んでみて下さいな♪張飛の違った一面が垣間見れますよ。張飛が死ぬシーンはとてもドラマチックでした。乱暴で粗野なイメージが強い張飛や呂布や馬超といった武将が、面白く表現されててとてもよかったです。

ただの小説って言ってしまえばそれまでですが…(汗)すでに読んでたならごめんなさいm(__)m
(P900i/FOMA)
36 ユウキ
雪乃さん初めまして以後よろしくお願いします(*^_^*)貴重な女性の方なのでこれからもどんどん来てくださいねΨ(^凹^ж)Ψ
僕は読んだ事ないですが機会があったら読みます!
(P900i/FOMA)
37 大伴
雪乃さんはじめまして。以後も宜しくお願いしますね。北方小説は、まぁ結局は小説(馬超は長生きするし)ですが、良質な小説ですよね。私も好きですよ。


私はガキの頃(小学校に入学した頃)、関羽と張飛のどっちがカッコイイかで意見対立し、弟と喧嘩した事があります。私は当時は張飛派でした(汗)
(F2102V/FOMA)
38 伏仁傑
飛さん>初めまして。
魅力溢れる張飛ですが私が忘れられないのは彼の二つ名。馬超は華やかな若武者を連想させる「錦馬超」関羽は有名な「美髭公」(さすがに親しい人からは単に髭ドノと呼ばれていた形跡がありますが)このように美称を奉られるタイプと、趙雲のようにただ単純に出身地が名前の前に来るタイプ…これはこれで子龍の素朴な人柄が偲ばれるようです。
しかし、張飛の場合は「燕人」
燕は戦国七雄の内、最も北に位置し恐らくこの時代も「ギリギリ中国(=文化圏)」という扱いだったと思われます。そんな中で敢えて「燕人」
今で言う「蛮人」に近い印象を受けるのは私だけだろうか。
(W11K/au)
39 雪乃
ユウキさん>以後よろしくです!北方三国志いいですよ。機会があれば是非一読してみて下さい。文庫本で@〜L冊までありますが(;=_=A

大伴さん>以後よろしくです!あはは(笑)馬超死にませんね。オリキャラいっぱい登場するし…。張飛の嫁さんすごいし(色んな意味で)。小説ですからね(汗)

張飛は戦う為に生まれてきたような人。そのセンスは抜群だと思います。伏仁傑さんの言うように、人として……蛮人のような部分があるかもしれませんね。
(P900i/FOMA)
40 たけがみ
伏仁傑さん、雪乃さんはじめまして。

私としては燕は確かに七国の最北でしたが文化先進国斉に隣接していただけあって楚や呉越より野蛮な匂いはしてこず、河北人といったような感じがします。

もっとも燕は宴につうじますから酒豪のイメージにかけたようにも思われますが。

張飛のイメージと風貌は蛮人といった感じであることにはかわりありませんが(^^;
(N900i/FOMA)
41 赤龍
参考までに、『漢書』地理志に見える燕(幽州、特に薊周辺)の習俗「思慮少なく荒々しく、いかにも軽薄だが、長所もある。それは人の急を見て難に赴くところで、太子丹の違風であろう」なんか演義の張飛に似てますね。
(J-SA05)
42 ユウキ
赤龍さんの地理の知識はすごいですね!参考までに益州や荊州なんかはどうなんでしょうか?劉備古参武将達は北方の人間が多いので南西の益州なんかとはガラっと違ったのでしょうかね?
(P900i/FOMA)
43 きいち
脱線ついでに。
今でも中国は地方によって言葉がだいぶ違いますが、劉備と古くからの配下、そして荊州組、益州組は、それぞれ言葉が通じたのでしょうか!?
それとも南蛮の時と同様、通訳を使っていたのでしょうか?会話が通じなくて困った、という話しを見た事がないので不思議です。
(PC)
44 李克用
始皇帝が字を統一してますし、それ以前にも北から南に行って宰相になってる人もいますので、通じたんじゃないかと。
(P900i/FOMA)
45 天草
方言にそんなに違いがあるんですか!?知らなかった…。

まぁ日本にもそう言われれば、聞き取れない地方の言葉はありますもんね。
(PC)
46
一般に中国語といえば北京語ですから、台湾の知人は一応北京の言葉も分かるとは言ってましたが…
(F900i/FOMA)
47 大伴
台湾語はアイヌ語と同じで伝承の文化。北京語がないと不便でしょうからね。

我々がtvなどで良く耳にするのは広東語。朝鮮半島の二国は朝鮮語。私は外国語には疎いのですが、全然違うと聞きますね。
(F2102V/FOMA)
48 赤龍
現代でも方言の差は大きく、北京の方は、南の地方の言葉はよくわからないと言ってました。漢書地理志には「音声不同」とあり、漢代の『方言』という書等からも当時の方言の分布が研究されてます。その後の南北朝時代にも、北と南の言語が違うという記述がしばしば見られます。
(J-SA05)
49 佐奈
私も好きですね。張飛。飛さん同様横山さんのイメージが強いです。(^-^)
色黒で豹の額に、虎髭、環眼の容姿が有名ですが、確か、この容姿は別人の容姿なんですよね。名前は知りませんが。正史には容姿の記述は書いてないそうで、実際はどんな姿だったのでしょうね。趙雲や馬超に負けず劣らずの姿だったらいいなー。
(N252i)
50 天草
ところで、張飛って意外と正史の記述が少なくないですか?
彼がこれだけ強いんだ!という記述って何かありましたっけ?
(PC)
51 大伴
まぁ長阪の記述は有名ですから略すとして、

勇猛ぶりが関羽に次ぐものであったので、魏の謀臣程イクたちはみな関羽と張飛は一万人を相手にする力があると賞賛していた。

と書かれていますね。

>>2
>>7
>>22
後は↑この三つ参照です。


しかしこのスレッド、三分の一は酒の話題だ……(笑)
(F2102V/FOMA)
52 まりお
皆さん初めまして。まりおと申しますm(__)mよろしくお願い致しますm(__)m
張飛について。
張飛翼徳。正史では字は「益徳」と、伝えられていますよね。
張飛は強かったと思いますよ。「誰が三国一強かったか」様々な学者の考えがありますが、まず挙げられるのが呂布説。そして馬超説。そして張飛説。前者二者は省きます。張飛説としては、西涼の軍は強くて、その馬超と互角に戦ったこと。また長坂橋での一喝だと言われています。
「酒癖が悪かった」との記述は正史にはみられません。演義での脚色ではないかと言われています。その理由として、まず徐州にいた頃、呂布を下丕城に迎えたのですが、このすぐ後に呂布に簡単に城をのっとられてしまいました。あまりに強い漢がこれでは強くみられないのでは?と作者が心配して「酒に酔って職務を疎かにした」と、いう話になったわけです。
(J-N05)
53 まりお
続き。
他にもあるのですが、まだ読み途中だと、思いますので、先はお話ししません(;^_^A
更に容姿についてですが、演義ではあの様な表現をしていますが、本当は美男子だったのでは?という説があがっています。
その理由のひとつとして、張飛の娘が劉禅の正室として迎えられたこと。やはり、正室として迎えられるということは、それなりの器量だったのではないかと考えられているためです。今、そのことについて研究中みたいですよ。
そして更に今では、もしかしたら曹操は親戚かもしれないという説があります。
(J-N05)
54 大伴
>>27-31の事かな?
(F2102V/FOMA)
55 天草
なるほど…張飛=美男子説は、ちょっと困るなぁ(笑)逆に人気なくなりそう(爆)
あれ?張飛の外見は正史に載ってなかったですよね?どこから見たイメージなんでしたっけ?
(PC)
56
はじめまして、まりおさん。張飛ラブな飛といいます。

張飛美男子説きいたことあります!
私の初めての三国志は横山光輝のなので、今でも顔に傷のあるワイルド張飛像です。趙雲も堅太りのおっさんのイメージになっちゃいましたし!

そういえば張飛て呂布以外に負けたことないんじゃないですか?
(W11K/au)
57 ナガタキング
はじめまして。張翼徳さまが美男子だというのは、なかなかおもしろいですね。
男らしくて、金持ちで、家来が沢山いて、しかもケンカも強くて、正直だから、男にも女にもモテたんでしょうね。
(F900i/FOMA)
58 大伴
娘が美人の可能性が高い

張飛美男子

は蓋然性の問題では?


ナガタキングさんはじめまして♪以後も宜しく。
(F2102V/FOMA)
59 まりお
こんばんわ。
まあ、真意は定かではないですが、張飛が美男子であった可能性は考えられるっていう条件はないわけではないってことですよね。私としては新選組の原田左之助のイメージですね。
容姿については正史にはかかれてなく、作者の「強い漢」にみせるための脚色ではないのでしょうか。あくまでこれは推察の域にはいりますが…。
それから、張飛は呂布以外に負けたことがないというのは…、彼が大将の時の話でしょうか?ちょっと捉え方の問題なので、何とも言えませんが、一応長坂橋も負け戦でしたからね。演義では三兄弟が離れ離れになって関羽が魏に降る前夜に張飛と劉備が張飛の夜襲を取り入れてまんまと郭嘉の罠にはまって敗走しましたよね。一騎打ちでは勝つか引き分けかですが(;^_^A
飛さんはじめまして(^-^)まりおと申します。たいていの漫画や映画は張飛は三枚目ですが、横山のは以外に格好いいですよね。美男子周瑜や荀イクよりも格好よくみえるのは私だけ( ̄□ ̄;)!!
(J-N05)
60 ストラップ
そういえば討論場では未だ、張飛ロリコン説が出ていませんね。夏候淵の娘を掠った事に起因する説の様です。
(F2102V/FOMA)
61 朱家
夏侯覇のいとこだと思います。「十三、四の少女を妻とした」
現代だと間違いなく、ロリコンですけど、当時はどうなんですかね?これぐらいなら、ギリセーフかも(笑)
(EZ)
62 無問題
しかし、それって現代だったらかなりおっそろしい事件ですよね(笑)まだ十代前半の女の子が髭もじゃのおじちゃん(笑)に拉致されて妻にされたんですから。まあ、昔は十歳にもみたない子供を嫁入りさせるということも少なくなかったので朱家さんの言われる通りギリギリセーフというところですかね(苦笑)
(EZ)
63 識川
夏侯月ですか?どっからの出展かはわからないけど何故かこの名で覚えてる…地元と呼べる拠点も持たず、名士との縁が薄かった三兄弟が良家の子女を欲しがるのは当然だし、張飛が強引に夏侯の娘を貰ったのも必然だったんでしょうね。
しかし夏侯家というのがありえないチョイス…
(P900i/FOMA)
64 ストラップ
容貌は豹頭環眼、燕頷虎鬚、身の丈は九尺あまり、その声は大きい鐘が鳴り響くよう。

と、三国志平話では描写される張飛ですが、以外にも三国志では、張飛の姿形は書かれていない様ですね。虎ヒゲのイメージですが、関羽の髯の様な記述は無かったと記憶します。
(F2102V/FOMA)
65 赤龍
演義の成立を語る際、必ず言及される唐代の詩人李商隠の「驕児の詩」の一節。「張飛みたいなひげをはやしていたとあざけったり、ケガイみたいに吃っていたと笑ったりする」
これにより、9世紀頃には既に張飛の虎ヒゲというイメージが定着していたようです。
(PC)
66 しす
水滸伝の林冲の通り名が豹子頭ですが、もう一つ「小張飛」なんてあだ名もありますね。
よく本では豹子頭のことを豹のような頭と形容してますが、張飛が虎豹頭なんて形容をされていることを考えると、実質的には「張飛のような頭」と解釈すべきなのだと思います。
そういえば横山三国志では張飛の顔はまた違ったものになってますが、あれは資料がなかったのか、それとも横山先生なりの猛将のイメージを具現化したものなのかどちらなんでしょうね。
連載開始当初は資料が全然なくて困ったなんてことはインタビューで見ましたが。
(PC)
67 赤龍
林冲の容貌は「豹頭環眼、燕頷虎鬚、身の丈八尺」としるされ、演義の張飛の容貌の記述と全く同じです。つまり、豹のような頭という形容で間違いないのですが、三国志演義や講談に親しんでいる中国人には、そこから自然と張飛の容貌を連想するのでしょう。
ちなみに、ここでの「頭」は首より上、頭部全体の形を指すようです。
さらに、彼らの容貌のルーツとなったのは、後漢の班超とか。人相見が若き班超を見て「燕頷虎頸、飛んで肉を食う、これは万里侯の相だ」と言ったそうです。古くから、英雄豪傑を連想させる容貌なのでしょうね。
(PC)
68 無問題
ふ〜ん…、張飛の容姿も演義の創作なんですね。実際どうゆう容姿か気になりますね?以外と美男子だったとか?張飛美男子説はけっこうありますよね?どこかにスレがあったような…
(EZ)
69 赤龍
張飛美男子説は、ここの>>53あたりからも話題になってますよ。でも、そんな張飛はあんまし見たくないなあ(笑)
(PC)
70 劉清
みなさん初めまして↑劉清です。
私の記憶の張飛は赤壁さんの言う通りの風貌ですね。「資料」
美男子説は嘘じゃないかな?
関羽が千里行を終えて張飛が一息ついていた城まで行くときにある子供に「この先には虎顔で虎髭を生やした人間がいるから近付くな」と言われて関羽は張飛と知った。
他にも関羽や劉備が張飛の風貌を説明する時に使われていますからね。
「間違いでしたらご指摘お願いします…」

キムタクが酔って部下に殺されるような三国志は三国志じゃありませんよ!!
(W21T/au)
71 天草
>>70
劉清サン、初めまして♪
関羽の千里行自体創作ですから、その台詞は演義系のものからの引用じゃないですかね?

以前、このスレだったか?ソンゴクウのモデルが張飛っていう話しがありましたよね?

三国志ドラマのキャストスレで、ソンゴクウを演じる香取慎吾を挙げてる方がいましたので、何気に納得しちゃいました(笑)


張飛が二枚目でなければ、娘は張飛に似た猿顔か、母親に似た美人でOK?(笑)
(N900i/FOMA)
72 伊庭八郎
はじめましてュ

私も張飛好きなんですが、史実とは関係無しに本宮ひろしの書く張飛が気に入ってます。
正史とか読むと有り得ないんですけど…ソ

髭無し隻眼の張飛かっこいいですy
(EZ)
73 劉清
そういえば前に千里行は創作って言ってましたね…

香取慎吾の孫悟空と張飛は少し納得ですね↑笑)しかし顔は…

娘は美人で決まりです↑よくテレビとかで親父はゴツいのに娘は美人ってよくあるじゃないですか↑そうあってほしいなぁ…
伊庭さん初めまして↑虎髭のない張飛もいいかもしれませんね↑怖い中にも清潔感があるというか…↑張飛なら髭が無くても皆怖がりますしね(笑)

あと思ったのですが関羽の実子が居たらどんな人間になるんでしょうかね?スレ違いですが疑問になりました…
(W21T/au)
74 子竜
劉清さん、伊庭さん初めまして。どうぞよろしくお願いします。
>>73
張飛の娘の容貌については、前にこのスレで議論されていたと思います。張飛の娘は二人いて、二人とも劉禅のところに嫁いでいます。確かその辺りの理由から、「娘は綺麗だ」みたいな話になっていたと思います。
関羽の実子については正史に記述があります。
長男…平。関羽と共に孫権に首をはねられる。
次男…興。諸葛亮が彼の才能を高く評価していたが、早死にする。
また、実在が確認できないのですが、その下に索という息子もいます。恐らく創作でしょうが…。

それと、次からは関羽関係の議論は関羽スレでした方がよろしいと思います。話が逸脱するのはよろしくないと思いますので…。
(W31SA/au)
75 劉清
子竜さん張飛と関羽のお話ありがとうございます↑自分は正史より演技びいきなので関羽が正史にどういう風に書かれているのかが知りたかっただけなので関羽の話しは終わります↑↑

では疑問ですが、張飛って簡単に根っこがいい人なのか悪い人なのかよくわかりません…乱暴を振るうかと思えば人の役に立ったり…劉備の存在が張飛の性格を抑えていたのでしょうか?
(W21T/au)
76 趙広
自分は演技しか知らないのですが、張飛については高い評価をあげたいと思います。しっかり策を用いているところなど、なかなかの名将だったとおもいます。ですが、酒癖のせいで部下に殺されるなどは正史でも同じなのでしょうか?教えてください!
(EZ)
77 天草
>>76
酒癖のせいで部下に殺されるなどは…というのは、演義の創作だと思われます。

張飛伝に書かれている彼は、張達とハンキョウ(すいません。漢字が出せない。。。)に殺害されたとしか書かれていません。


張飛の字が、演義では「翼徳」となっていることに関して、この様な解釈を知りました。
●『益』という単語と『翼』という単語が中国語では同じ発音であるという事。
●名前と字の因果関係から、張飛の飛という名前から想定して作られた。

聞きなれなかった昔は張飛翼徳の方がしっくりきてた気がしますが、今は益徳の方があってる気がしますw
不思議なものです。
(PC)
78 グリコ
演義は、翼徳 正史では、益徳 とても不思議ですね。
(P900i/FOMA)
79 天草
『我こそは燕人張飛…』

という大見得は演義の話ですよね?

『燕人』というのは、燕の国の出身という意味でしょうか?

だとしたら、正史の記載とは出身国が違う気がしますが…。
(PC)
80 赤龍
>>79
こういう場合の「燕人」というのは、漢代の行政区分である郡国の燕国を指すのではなく、春秋戦国時代の燕の国があった地域という、もう少し幅広い地域(一州くらい)を指します。
「劉備の入蜀」などと言う場合の蜀は、蜀郡を指すのではなく、益州全体を指しているのと同様ですね。
(PC)
81 天草
>>80
なるほど。納得です。

ところで…黒山の賊の頭首である、ご存知張燕ですが、『張飛燕』と呼ばれていたという記述がどこかになかったですか?
無関係だと思いますがw張飛との縁を思い浮かべましたw
夢のある話です。
(PC)
82 岳飛
>>81
漢の国が、張燕は手強く討伐が無理そうだったので飛燕将軍という雑号将軍に任じて懐柔&体面を保とうとしたんではありませんでしたっけ?
間違えていたら申し訳ありません。
(W31T/au)
83 しす
>>81
張燕ですけど、元の姓がチョ[許チョのチョね]で通り名が飛燕であったことからチョ飛燕になって、さらに略してチョ燕になったんじゃなかったでしたっけ。
張という姓は張牛角が死んだ時にチョ燕が跡を継いで頭目になり、張の姓も受け継いだと思いました。
飛燕という通り名は脚の速い者につけられるものとかって『典略』の引用で本伝にありませんでしたっけ?
手元に正史なくて確認できないんですけど。
(PC)
84 しす
アンカー間違えました。
↑のは>>82です。
(PC)
85 ストラップ
スレ違いですが‥‥‥
>>81-83
三国志本文に因ると
「燕は剽捍で捷速な事が人に過ぎ、故に軍中では飛燕と号した(嘘訳だったらすいません)」
とある様です。

>>82
平北将軍では?
(PC)
86 飛燕
張飛燕…僕のHNの由来となった人物ですね。ですが、僕はよくわかりません(汗)確か、>>85のように飛燕は、あだ名だった気がします。あと、彼が任ぜられたのは、平難中郎将ではありませんでしたっけ?
(PC)
87 ストラップ
>>86
平難中郎将は霊帝の時代みたいですね。
平北将軍は献帝から。
(PC)
88 岳飛
>>87
訂正感謝いたしますm(_ _)m
(W31T/au)
>>88
(汗)
訂正のつもりじゃ無いよ、補足だよ。

どなたかそろそろ張飛に戻して下さい。
(PC)
90 しす
張飛って217年に張コウの軍を敗ってますけど、張コウにここまで惨憺たる黒星をつけた人っていないですよね。
この戦いでの正史と演義での評価の仕方の違いが面白いですよね。
正史だと一度だけとは言え、張コウを敗ったから凄い…。
それに対し演義では敗れたとは言え、張飛と互角にやりあったのだから凄いと…。
あいずれにせよ、あまりに呆気ない死がなければ彼の評価も大きく変わったのでしょうね。
(PC)
91 天草
確かに記述の少なさから考え、後世の伝説化された張飛、脚色されすぎた張飛のせいで、イマイチ本来の姿が見えてきませんよね。

確かに多くの人が「万人に匹敵する」と評価しているわけですから、個人的な武力などは高かったのでしょうが…。
(PC)