3 大伴
まぁ別のスレッドがありますから、跡目争いはここでは語らぬ事にして……
やはり代表例としては、
魏延と楊儀
李厳と孔明
の二つでしょうか。
費イと姜維も、仲は悪かった様な印象を受けますね。
やはり代表例としては、
魏延と楊儀
李厳と孔明
の二つでしょうか。
費イと姜維も、仲は悪かった様な印象を受けますね。
(F2102V/FOMA)
6 大伴
孔明は数度の北伐を行っていますが、このうち戦術レベルでの戦闘で成功を納めたのは、第三次だけだと言って良いでしょう。魏延、王平という良将を用い、司馬懿を散々に打ち負かしています。しかし孔明は撤退を余儀なくされました。それは、補給を担っていた李厳が、物資を送らなかったからです。
孔明は李厳を、「自己の保身につとめ、国事を憂える事はなかった」と評していますし、利己主義だった事が伺い知れます。
彼はこれ程の罪を侵しても、断罪される事は無く、地位の剥奪と梓潼に流されるだけで済みました。これは孔明と仲が良かったからなどでは無く、彼の派閥に配慮した為ではないでしょうか。
孔明は李厳を、「自己の保身につとめ、国事を憂える事はなかった」と評していますし、利己主義だった事が伺い知れます。
彼はこれ程の罪を侵しても、断罪される事は無く、地位の剥奪と梓潼に流されるだけで済みました。これは孔明と仲が良かったからなどでは無く、彼の派閥に配慮した為ではないでしょうか。
(F2102V/FOMA)
7 天草
伝の最後にある、諸葛亮は自分をいつか呼び戻してくれるだろうと…という記載に、泣いて馬ショクを斬るような感じだったのかと思ってましたが、良く読んだら、自分の失敗を諸葛亮のせいにしたり、足の引っ張り合いを演じてるみたいですね。
李厳は益州の名士だったみたいですから、その人事には諸葛亮も悩んだでしょうね。
李厳は益州の名士だったみたいですから、その人事には諸葛亮も悩んだでしょうね。
(PC)
8 大伴
恐らく孔明は、派閥間のバランスなどを考慮して、人事を行っていたと思います。特に荊州を失ってからは、荊州出身者と益州出身者との関係に悩んだのではないでしょうか。
孔明が李厳を呼び戻す……という考えも、彼の派閥を孔明が意識していた事に起因するものと、私は考えます。
孔明が李厳を呼び戻す……という考えも、彼の派閥を孔明が意識していた事に起因するものと、私は考えます。
(F2102V/FOMA)
9 天草
大国・魏の話しをしたいと思います。
あれだけの人材がいれば、もちろん派閥もあったでしょが、有名なところでは、跡目争いにで問題になった、曹丕と曹植ですよね。
ところで…曹植を推した人物にはどんな人物がいたのでしょうか?彼らのその後の人事や配属に、何らかの影響があったのでしょうか?
あれだけの人材がいれば、もちろん派閥もあったでしょが、有名なところでは、跡目争いにで問題になった、曹丕と曹植ですよね。
ところで…曹植を推した人物にはどんな人物がいたのでしょうか?彼らのその後の人事や配属に、何らかの影響があったのでしょうか?
(PC)
13 天草
私は逆に曹操と同じくらいの影響力を持ってた(それくらい彼を支持する人がいた)のではないか?と思ってるんです。
つまり内部的に曹操Vs荀イクの対立があったのでは?と考えてます。
例えば…荀イクは名士達を幅広く推挙し、昔ながらの儒学を推進させてましたが、曹操は曹植を重用し、さらに知識者を集め、儒教に対して新しく文学を広めようとしてます。ちなみにこの動きで集められたのが『建安七子』でこの中国最古の文学活動が『建安文学』ですね。
これが私の推理ですが、皆さんどう思います?
つまり内部的に曹操Vs荀イクの対立があったのでは?と考えてます。
例えば…荀イクは名士達を幅広く推挙し、昔ながらの儒学を推進させてましたが、曹操は曹植を重用し、さらに知識者を集め、儒教に対して新しく文学を広めようとしてます。ちなみにこの動きで集められたのが『建安七子』でこの中国最古の文学活動が『建安文学』ですね。
これが私の推理ですが、皆さんどう思います?
(PC)
14 大伴
証拠を提示する事はできませんが……苟イク派は有ったと考えるのが妥当だと思います。
苟イクは名族の出。曹操が欲したのは、彼個人の能力などでは無く、名門の声望と交遊関係では無かったかと、私はそう推測します。つまり、後に派閥となる様なネットワークがあったのでは無いかと、考えるのです。
苟イクは名族の出。曹操が欲したのは、彼個人の能力などでは無く、名門の声望と交遊関係では無かったかと、私はそう推測します。つまり、後に派閥となる様なネットワークがあったのでは無いかと、考えるのです。
(F2102V/FOMA)
15 諸葛蘭
荀イク派…
【派閥会長】
荀イク
【会長代行】
荀攸(甥)
【事務総長】
陳羣(娘婿)
こんな感じでしょうか。司馬懿なんかもこのラインに入りそうですね。
私の感覚として
@一門衆
(夏侯惇・曹仁他)
A軍部
(張遼・徐晃他)
B名士
(荀イク・陳羣他)
と、大まかに三つのグループに分類されるかと。一門衆と名士が主導権を巡って駆け引きし、軍部の支持が得られた方が主流派になる、というところで。
【派閥会長】
荀イク
【会長代行】
荀攸(甥)
【事務総長】
陳羣(娘婿)
こんな感じでしょうか。司馬懿なんかもこのラインに入りそうですね。
私の感覚として
@一門衆
(夏侯惇・曹仁他)
A軍部
(張遼・徐晃他)
B名士
(荀イク・陳羣他)
と、大まかに三つのグループに分類されるかと。一門衆と名士が主導権を巡って駆け引きし、軍部の支持が得られた方が主流派になる、というところで。
(N2051/FOMA)
16 天草
おお!
いい感じですね。
私もそういう感じだと思ってます。曹操はどちらかというと@寄りでAにも信者が多かった。
Aは生粋の軍人達で、投降将などの外様も多く、派閥というよりは現代でいう浮遊層かと。
いい感じですね。
私もそういう感じだと思ってます。曹操はどちらかというと@寄りでAにも信者が多かった。
Aは生粋の軍人達で、投降将などの外様も多く、派閥というよりは現代でいう浮遊層かと。
(PC)
19 大伴
程イクに関しては推薦者の記述は見当たりませんね。もしかしたら通俗演義の記述では無いでしょうか?
苟イクの推薦した人の代表は、戯志才を始めに、甥の苟攸、郭嘉、陳羣、鍾ヨウ、華キン、杜襲、王朗、司馬懿などです。
苟イクの推薦した人の代表は、戯志才を始めに、甥の苟攸、郭嘉、陳羣、鍾ヨウ、華キン、杜襲、王朗、司馬懿などです。
(F2102V/FOMA)
20 天草
彼ら(魏)の派閥問題で注目すべき点は曹操の皇帝就任問題ではないでしょうか?
苟イクは儒教やら、過去の例をとって猛反対していたと思いますが、推していた人間の中にも確か名士の人間がいたんじゃないかな?
私も調べてみますが、皇帝就任賛成派と反対派の名前が挙げられる人物が分かる方はいますか?
苟イクは儒教やら、過去の例をとって猛反対していたと思いますが、推していた人間の中にも確か名士の人間がいたんじゃないかな?
私も調べてみますが、皇帝就任賛成派と反対派の名前が挙げられる人物が分かる方はいますか?
(PC)
25 しす
そういえば陳羣って劉備に愛想つかして、曹操の下に行ったんですよね。
郭嘉と陳羣のエピソード聞いた後だと、劉備の才覚に疑問を持ったってのもあるんだろうけど、劉備軍の品行の悪さも耐えがたかったのかも。
郭嘉と陳羣のエピソード聞いた後だと、劉備の才覚に疑問を持ったってのもあるんだろうけど、劉備軍の品行の悪さも耐えがたかったのかも。
(PC)
27 大伴
凌統の父操は、当時黄祖の配下にあった甘寧に射殺されていますからね。
凌統と仲が悪かったといえば、陳勤という人もいますね。操を侮辱した為に統に斬り殺されています。統は翌日奮戦し、罪を許されました。
凌統と仲が悪かったといえば、陳勤という人もいますね。操を侮辱した為に統に斬り殺されています。統は翌日奮戦し、罪を許されました。
(F2102V/FOMA)
33 八苦
孔明と李厳…孔明は李厳が本来持つべき権限を奪った。劉備は故事を孔明と李厳の二人に託したのに、孔明は文武の権を自身に集中させた。なるほど食料補給は大切な仕事ではあるが、本来は李厳が衆を率いて軍を動かし魏を伺うはずだったのだが…ね。李厳の名声向上を孔明は嫌った。或いは恐れた。この孔明の独裁感覚は、後に魏延との確執にも繋がっている。魏延の策を退けたのも、魏延の策の通り軍を動かし、成功すれば魏延の手柄、魏延の名声が向上すると軍権が奪われると考えるのが普通だと思う。
(P2102V/FOMA)
35 ユウキ
魏延や趙雲をおしのけて李厳って相当の実力者というか能力があったんでしょうね。陸遜に匹敵するなんて評価はあながち間違ってないのかも。馬ショクの本質を見抜いた劉備が後を託すほどですから。
(P900i/FOMA)
36 八苦
ユウキさんどーも。李厳にも後事を託したのは益州出身者への配慮…。なるほど、ありえますよね。劉備ならその位の配慮を当たり前にやりそうかも。けれど李厳の才を高く評価してたのも事実でしょうし…。私は三国志の派閥に詳しくないので判断つきかねます。なんとも中途半端をお許し下さい。今、このサイトで勉強し直してますから。
(P2102V/FOMA)
37 天草
私は逆に彼らに関しては、李厳に非があるような気がしますね。
諸葛亮は北征の途につきキ山に布陣した。李平が軍需物資輸送の一切を監督した。夏から秋にかけて雨が止まず、李平は兵糧搬送が間に合わないことを前線に伝えたので諸葛亮は撤退した。ところが李平は驚いたふりをして「兵糧は足りているから撤退する必要はない」と言い、自分の責任を諸葛亮に転嫁した。その一方、皇帝劉禅に「退却のふりをして敵を撃つ作戦です」と上奏した。しかし諸葛亮は李平の自筆の手紙を提出して矛盾を明らかにしたので、李平は罪を認めた。(李厳伝)
ちなみに李平というのは李厳の改名後の名前ですね。
諸葛亮は北征の途につきキ山に布陣した。李平が軍需物資輸送の一切を監督した。夏から秋にかけて雨が止まず、李平は兵糧搬送が間に合わないことを前線に伝えたので諸葛亮は撤退した。ところが李平は驚いたふりをして「兵糧は足りているから撤退する必要はない」と言い、自分の責任を諸葛亮に転嫁した。その一方、皇帝劉禅に「退却のふりをして敵を撃つ作戦です」と上奏した。しかし諸葛亮は李平の自筆の手紙を提出して矛盾を明らかにしたので、李平は罪を認めた。(李厳伝)
ちなみに李平というのは李厳の改名後の名前ですね。
(PC)
39 八苦
李厳の職務怠慢の話ですね。けしからん話です。降格、追放も止むを得ないと思います。ただ、李厳はもっと華やかな仕事をさせるべきだった。食料補給は裏方さんの仕事ですからね。李厳の怠慢は孔明への反発心が見受けられます。この様に有能の士、李厳を適材適所に配置出来ないあたり一国の宰相たる器ではないんだろうなぁと思う。劉備が崩御してなかったなら李厳は職務怠慢しなかったと思う。
(P2102V/FOMA)
40 天草
むしろ私は、李厳にそれだけの資質があったのか?という所から、疑ってしまいますね。
補給の件は確かに裏方の仕事と思われがちですか、前線に出ないというだけで、この時代では最も重要な仕事だったのではないか?と思います。
特に補給運搬の困難な蜀は最も重要な職だったのではないでしょうか?
諸葛亮が幾度となく、北伐を途中で諦めたのも補給困難というのが理由なくらいですからね。
補給の件は確かに裏方の仕事と思われがちですか、前線に出ないというだけで、この時代では最も重要な仕事だったのではないか?と思います。
特に補給運搬の困難な蜀は最も重要な職だったのではないでしょうか?
諸葛亮が幾度となく、北伐を途中で諦めたのも補給困難というのが理由なくらいですからね。
(PC)
41 ユウキ
李厳自身の軍の統率力や武勇、戦略眼、名声なんかはどんな感じだったのでしょう。
益州出身の人物を見ると、自我が強く頑固で人によっては卑しい部分が時折見えるって特徴があると思うのですが。
李厳、厳顔、張仁、呉懿、孟達、法正、張松、揚儀など。厳顔、張仁、呉懿は頑固ですね。
孔明の臣賞必罰の姿勢はこうゆう益州グループの性質から来てるかもしれないですね。しっかりとした物を見せて、益州人を引き締める意味をこめて。
孔明にとって扱いづらいでしょう。孔明が好んだ人物は常識派ですよね。李厳の性質を見抜いていたのかもしれませんね。だから軍権を握らせなかった。簡単に寝返る可能性を危惧した。
逆に荊州人は知識人というか、常識派なんでしょうか。
益州出身の人物を見ると、自我が強く頑固で人によっては卑しい部分が時折見えるって特徴があると思うのですが。
李厳、厳顔、張仁、呉懿、孟達、法正、張松、揚儀など。厳顔、張仁、呉懿は頑固ですね。
孔明の臣賞必罰の姿勢はこうゆう益州グループの性質から来てるかもしれないですね。しっかりとした物を見せて、益州人を引き締める意味をこめて。
孔明にとって扱いづらいでしょう。孔明が好んだ人物は常識派ですよね。李厳の性質を見抜いていたのかもしれませんね。だから軍権を握らせなかった。簡単に寝返る可能性を危惧した。
逆に荊州人は知識人というか、常識派なんでしょうか。
(P900i/FOMA)
42 八苦
食料補給の大切さは分かりますが、もっと堅実で実直な人にやらせた方が良かったかと。実際、李厳を謹慎させて尚、息子(の李豊?だっけ?)に補給の仕事をさせてますからね。街亭の時と同じく弟の諸葛均(だっけ?)ならばソツなくこなしたかと。でも弟を重用したら、それこそ各派閥が黙ってないのか。なるほど、ここが孔明の悩みの種かもしれませんね。さて、李厳の能を疑う話ですが、物語進行上、李厳の活躍話は耳にしないんですよね確かに。そんな中から私が李厳を推す理由は、ユウキさんご指摘の通り、1、陸遜級の人材と云う記述。2、劉備が後事を託す。3、孔明が自身の北伐にあたり、万が一にも呉が裏切った場合の備えにとして李厳を配置している。2、3、を見れば劉備と孔明が絶大な信頼をおいてる武将な訳ですから、かなりのものだったと言えないかなぁ?
(P2102V/FOMA)
43 八苦
劉備なら益州人も荊州人も素直に従ったんでしょうね。孔明が君主の立場だったら話も変わってくるんですが、最高位とはいえ臣下の身分。その臣下の身分で絶対権力を奮おうとしても、「身分は高いかもしれないが、孔明は我等と同じ臣下の身分。」と言い、従わない輩がいても不思議ではないかもですね。臣下の身分で他者を従わせる為には圧倒的な権限を持っている必要があった。それが軍権なんだろうと思っています。益州人は変わり者が多いですかぁ。考えたことも無かったですが、言われてみると…かもね(笑)
(P2102V/FOMA)
44 ユウキ
どのような部分を見て、陸遜に匹敵すると評されたかがわかれば、なんとなく能力の程がわかりそうですね。
なんとなくですが、陸遜に例えるあたり李厳を立てる為の一言のように感じます…。変な所にこだわるのですが、陸遜…?むしろ魏の張コウならうなずけるのですが。
何か引っ掛かります。李厳は陸遜タイプでしょうか…?李厳を立てる為に引き合いに出しただけでは無いでしょうか?
同じような感じだと劉巴にもかなりの評価が与えられてましたよね。でも実際はわからない。もしかしたら実力者劉巴を立てただけかもしれない。
ただ李厳を対呉に備えさせたのは疑いようが無いですね。
なんとなくですが、陸遜に例えるあたり李厳を立てる為の一言のように感じます…。変な所にこだわるのですが、陸遜…?むしろ魏の張コウならうなずけるのですが。
何か引っ掛かります。李厳は陸遜タイプでしょうか…?李厳を立てる為に引き合いに出しただけでは無いでしょうか?
同じような感じだと劉巴にもかなりの評価が与えられてましたよね。でも実際はわからない。もしかしたら実力者劉巴を立てただけかもしれない。
ただ李厳を対呉に備えさせたのは疑いようが無いですね。
(P900i/FOMA)
45 ユウキ
李厳は優秀な人物だったと思いますが、益州人という事で全て説明できるような気がします。
@陸遜に匹敵するという話は益州人有力者李厳を立てた。
A劉備が李厳に後事を託したのは益州人に対する配慮。
B対呉に備えさせたのは李厳自身が優秀なのと共に、ショクが大部分益州人で構成されていた為、対呉で益州人が団結する為には指揮を取る人物が荊州人では無く益州人の有力者李厳が一番適任だった。
C息子の李豊に引き継がせたのは…例》三菱自動車のリコール隠しが発覚して信用回復の為、今までとは比べものにならないくらいの誠意のある対応を見せてる。↑この心理を孔明がうまく使ったのでは無いでしょうか?
あくまで推測です。
@陸遜に匹敵するという話は益州人有力者李厳を立てた。
A劉備が李厳に後事を託したのは益州人に対する配慮。
B対呉に備えさせたのは李厳自身が優秀なのと共に、ショクが大部分益州人で構成されていた為、対呉で益州人が団結する為には指揮を取る人物が荊州人では無く益州人の有力者李厳が一番適任だった。
C息子の李豊に引き継がせたのは…例》三菱自動車のリコール隠しが発覚して信用回復の為、今までとは比べものにならないくらいの誠意のある対応を見せてる。↑この心理を孔明がうまく使ったのでは無いでしょうか?
あくまで推測です。
(P900i/FOMA)
46 八苦
ユウキさんの論に反論する術が有るか考えてました。が、…やはり孔明と李厳が同格の能力の持ち主とする私の論には飛躍や無理があったかもですね。私は劉備陣営に存在したであろう派閥の力学を理解してないようです。天草さんやユウキさんとのこの議論で荊州派と益州派が存在した事はオボロゲながら理解しました。また私の的外れの吹っかけ議論をスレ通り、派閥の話に切り替えてくれてありがとうございます。
(P2102V/FOMA)
47 天草
いやいや、本当の正解なんて誰にも分からないですからね。
私達がここで推論できるのも限られた情報の中に残されたものからですから、いろんな説が出てきても構わないですよ★
では、ちょっと難しい二人に話しを変えますが、曹操と荀イクはどうだったのでしょうか?
他スレと被る内容もあるかと思いますが、これって結構謎ですよね。
若い頃の二人が厚い信頼関係で結ばれていたのは、間違いないですよね?
問題は晩年。
皆さんの意見は?
私達がここで推論できるのも限られた情報の中に残されたものからですから、いろんな説が出てきても構わないですよ★
では、ちょっと難しい二人に話しを変えますが、曹操と荀イクはどうだったのでしょうか?
他スレと被る内容もあるかと思いますが、これって結構謎ですよね。
若い頃の二人が厚い信頼関係で結ばれていたのは、間違いないですよね?
問題は晩年。
皆さんの意見は?
(PC)
48 赤龍
諸葛亮と李厳を、荊州派と益州派にわけて理解する意見が多いですが、李厳は出身は荊州。諸葛亮に信頼された董和も荊州出身で益州に移住した人。私はむしろ同じ荊州人という点が気になります。
曹操と荀イクは、私にとってもなかなか結論がだせない難問です。みな様の意見を聞きたいです。
曹操と荀イクは、私にとってもなかなか結論がだせない難問です。みな様の意見を聞きたいです。
(J-SA05)
49 削除済
51 削除済
52 天草
すいません。
削除だけで説明してないのは、私が忙しかったからです(汗)もちろん御本人の要望による削除です。
てか、蛮犬殿この削除でよろしかったですか?
さて本題ですが、実は私は彼らの不仲説は間違いではないかと思ってます。
その理由は…すいません。忘れました。もう一度、調べなおします(汗)
削除だけで説明してないのは、私が忙しかったからです(汗)もちろん御本人の要望による削除です。
てか、蛮犬殿この削除でよろしかったですか?
さて本題ですが、実は私は彼らの不仲説は間違いではないかと思ってます。
その理由は…すいません。忘れました。もう一度、調べなおします(汗)
(PC)
55 天草
(PC)
56 赤龍
皇甫嵩も、董卓が朝廷の命に従わない事を責める上奏をし(従子の皇甫リは董卓を討つよう進言したが、嵩は上奏に止める)、益々両者は険悪になったようです。しかし、董卓が朝廷の実権を握った後は、周囲のとりなしもあり和解してますね。しかも董卓の御機嫌までとってるし。
(J-SA05)
60 ストラップ
今「宦官 側近政治の構造」という本を読んでいますが、宦官というのは一種の互助組織を形成していた様です。
宦官の団結心の強さを表すエピソードとして以下の様な事が書かれています(引用)。
「後漢の末、外戚の大将軍名に進が宦官全滅の計をたてたとき、これを知った宦官の首領の一人が「我らの種族を滅さんと欲するや」とひらきなおり、進をその場で斬りころした。この言葉のうちに、いってみれば宦官族としての集団的自覚と、外界からの迫害に対する強い抵抗が見出だされよう」
さて、この本では「種族」の部分に傍点までがふられているのですが、これって何処に出てきましたっけ?二つの正史、両方にありますか?
すいません。今手元に何も無くって調べられないのです。
宦官の団結心の強さを表すエピソードとして以下の様な事が書かれています(引用)。
「後漢の末、外戚の大将軍名に進が宦官全滅の計をたてたとき、これを知った宦官の首領の一人が「我らの種族を滅さんと欲するや」とひらきなおり、進をその場で斬りころした。この言葉のうちに、いってみれば宦官族としての集団的自覚と、外界からの迫害に対する強い抵抗が見出だされよう」
さて、この本では「種族」の部分に傍点までがふられているのですが、これって何処に出てきましたっけ?二つの正史、両方にありますか?
すいません。今手元に何も無くって調べられないのです。
(F2102V/FOMA)
62 元歎
どうも、こんばんは^^
ざっと調べてみたところ、後漢書何進伝にありました。以下、該当部分です。
入坐省闥,讓等詰進曰:「(…略…)今乃欲滅我曹種族,(…略…)」於是尚方監渠穆拔劒斬進於嘉コ殿前。
三国志では見つけられませんでした。見逃してるだけかもしれませんが…^^;
ざっと調べてみたところ、後漢書何進伝にありました。以下、該当部分です。
入坐省闥,讓等詰進曰:「(…略…)今乃欲滅我曹種族,(…略…)」於是尚方監渠穆拔劒斬進於嘉コ殿前。
三国志では見つけられませんでした。見逃してるだけかもしれませんが…^^;
(PC)
65 カバ
はじめまして。いつも皆さんの討論を見て勉強させていただいてます。ひとつ疑問に思ったんで書き込ませていただきます。
>>54
孔明と法正って仲悪かったんですかね??劉備が呉を攻めて、陸遜にしてやられた時に孔明が「法正が生きていればこんなことにはならなかっただろう」みたいな事を言ったというのを何かで読んだような記憶があるのですが…
>>54
孔明と法正って仲悪かったんですかね??劉備が呉を攻めて、陸遜にしてやられた時に孔明が「法正が生きていればこんなことにはならなかっただろう」みたいな事を言ったというのを何かで読んだような記憶があるのですが…
(W21CA/au)
67 カバ
すいません、言葉が足りなかったみたいです。
自分が言いたかったのは仲が悪いと一概に言い切れるのか??言い切ってしまっていいのか??ってことです。一方では彼の力を認める発言をしてはいるのですから…良いとは言わないまでも悪くはなかったんじゃないかなと思いましたのでσ(^-^;)
自分が言いたかったのは仲が悪いと一概に言い切れるのか??言い切ってしまっていいのか??ってことです。一方では彼の力を認める発言をしてはいるのですから…良いとは言わないまでも悪くはなかったんじゃないかなと思いましたのでσ(^-^;)
(W21CA/au)
68 ストラップ
>>67
ちくま訳が手元に無いので、妖しい訳ですが……
>>65は法正伝の「章武二年、敗績し大軍は白帝に還り往った。諸葛亮は歎じて言った「法正孝直が若し在れば、主上を制し東行の令をなくせただろう。たとえ東行したにしても、必ずや危機をさけたであろう」」
の部分ですよね?
この部分のちょっと前を読んでみては如何ですか?
「諸葛亮は法正と(意見や正確が)合わなかったが、公義の為に実力を認めていた」
とあると思います。
「仲が悪い」とは微妙にニュアンスは違いますが、わざわざ重箱の隅を突付いて喜ぶ程ではないのでは?
ちくま訳が手元に無いので、妖しい訳ですが……
>>65は法正伝の「章武二年、敗績し大軍は白帝に還り往った。諸葛亮は歎じて言った「法正孝直が若し在れば、主上を制し東行の令をなくせただろう。たとえ東行したにしても、必ずや危機をさけたであろう」」
の部分ですよね?
この部分のちょっと前を読んでみては如何ですか?
「諸葛亮は法正と(意見や正確が)合わなかったが、公義の為に実力を認めていた」
とあると思います。
「仲が悪い」とは微妙にニュアンスは違いますが、わざわざ重箱の隅を突付いて喜ぶ程ではないのでは?
(PC)
69 カバ
別に喜んじゃいませんよσ(^-^;)笑"
細かいことをグチグチ言うなと笑われそうですがこういう質なんですいません。
確かに言葉の意味上では微妙なニュアンスの差ですが、それから受け取るイメージというか感じる部分は結構違ってくると思うんです。
ホント細かいことですがそういうことを気にするタイプなもので…
細かいことをグチグチ言うなと笑われそうですがこういう質なんですいません。
確かに言葉の意味上では微妙なニュアンスの差ですが、それから受け取るイメージというか感じる部分は結構違ってくると思うんです。
ホント細かいことですがそういうことを気にするタイプなもので…
(W21CA/au)