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諸葛孔明の空白

先日ある本をみて、亮は劉備に仕える以前の記録があまりない、というのを知りました。
彼がそれまでどんな人物でなにをしていたでしょう?
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2 くわぁまん
諸葛玄伯父さんに連ぅれられて行っちゃった…
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3 佐奈
隆中で晴耕雨読の生活してたとか。曹操から士官の話もあったそうです。
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4 天草
諸葛亮が生まれたのは181年、諸葛玄が亡くなったのが197年(献帝春秋)ですから、16歳から晴耕雨読(晴れの日は野良仕事、雨の日は読書)の生活を始めたと思われます。同居は諸葛均ですよね。

最近、ふと思ったのですが、諸葛亮はこの頃、誰と知り合っていたのでしょうか?徐庶や崔州平・石広元は名前が出てきますが、ホウ統とは会った事がないのでは?
(PC)
5 趙某
彼の姉がホウ徳の息子ホウ山民に嫁ぎ、ホウ統はホウ徳の従子であったので面識はあったのではないでしょうか。
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6 天草
趙某殿>ホウ徳とは、馬超軍から魏に降った、あのホウ徳ですか?その関係は知らなかったなぁ。驚きました!
(PC)
7 趙某
いえいえ違います。ホウ徳とはホウ公またはホウ徳公と呼ばれた荊州の有力者です。
(N900i/FOMA)
8 くわぁまん
ホウ徳じゃ無いよ。ホウ徳公だよ。

ホウ徳公は襄陽の人で、孔明を臥龍、司馬徽を水鏡と呼んだ人相見。

息子のホウ山民が孔明の下の姉を娶りました。

上の姉は誰に嫁いだんだろう?
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9 天草
ありゃりゃりゃ…知識のなさを露呈しました(汗)

ちなみにそのホウ徳公も初耳だったりします(汗)
(PC)
10 趙某
公は尊称なのでホウ徳は間違いではありません。ちなみに司馬徽が水鏡、孔明が臥龍、ホウ統が鳳雛であるとしたのが徳公です。(襄陽記)
(N900i/FOMA)
11 しす
ホウ徳公の徳公って私諡だと勝手に思っていたのですが…
根拠なしはないんですけど(自爆)
後漢書逸民列伝には「ホウ公」という記述の他に襄陽記からの注釈で「徳公」という記述が見えます。
姓に尊称をつけた「ホウ公」という呼び方は納得いくのですが、「徳公」という諱に対して尊称をつける例を見たことがなかったもので。
他にそういった例ってあるのでしょうか?
(PC)
12
ちょっと見ないうちに話盛り上がってますね!

ホウ徳?私もしりませんでしたね(汗)。あとで調べてみよ。

叔父を頼っていったというのは漫画とかでも描かれてますよね。徐州時代(幼年期)少しでも語られてる本とかないですかね?
(W11K/au)
13 くわぁまん
オススメは、陳瞬臣先生の「諸葛孔明」が良いでゃんす。
(SH900i/FOMA)
14 くわぁまん
ホウ山民に孔明の姉が嫁いだのは有名ですが、それ以外にも、かなり近親だったらしいです。

孔明の嫁さんにはもう一人女兄弟がいまして、ホウ徳公に嫁いでいる…。そして、その子供がホウ山民なのです。つまり、ホウ徳公も兄弟ならば、その子供も兄弟なのですぅ…。なんかややこしい。(~_~;)
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15 天草
少し話しはズレますが(いつも?)この頃に限らず、近親の結婚というのはどこまで許されてたんですかね?そういう決まりもなかったとか?有名どころに近親の例はありますか?
(PC)
16 くわぁまん
近親に付いてはよく解りませんが…。孔明のねーちゃん(上?)はどうも劉表配下のカイ家に嫁いだようですね…。
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17 くわぁまん
つまり、荊州は孔明親族ネット・ワークがビッシリと広まっていたのですね。
(SH900i/FOMA)
18 独眼龍李克用
最近、ここに来て無かったなあ( ̄〜 ̄)ξまあ、久しぶりということで色々言っときます。

どれくらいかにもよりますが、近親の結婚はおそらく儒教でダメだと思います(儒教じゃなくても、ダメかもしれない)。同姓間の結婚が中国では基本的にダメですから。探せば、たくさん近親の結婚はあると思いますがね。
後、できちゃった結婚とか駈け落ちなども禁止事項だったと思います。
(P900i/FOMA)
19 しす
孔明親族ネット・ワークと言えば、孔明の舅、黄承彦は蔡瑁の姉を娶ってます。
それと孔明の弟、均は襄陽の富豪習氏の娘を娶っています。
もしかしたら孔明は地縁のない荊州で積極的に名士達と交流を持っていたことになります。
隠者のような生活をしながらも内心は野心満々だったのかもしれませんねぇ。
(PC)
20 天草
しす殿>それ!私も考えました。天下三分の計を早いうちから孔明が考えていたなら、荊州という土地の大事さを彼は理解していたはず。だとすると、その可能性もなきにしろあらず…とも考えられますよね。

李殿>やはり禁止だったんだ。儒教の教えでそんな事がOKだったら、ある意味ショックかも…。
(PC)
21 門弟
漢の官人、諸葛玄の息子孔明は黄巾の乱のときに兄「諸葛勤」(呉の官人)と別れ、勉学に励むため司馬キ先生の門下生になります。その時にホウ統、法正、その他いろいろな学者と共に学びました。その後は独立して弟、諸葛均(蜀の官人)と落ち着き昔の仲間と共に山に行ったり釣りをしたり勉強したりしながら過ごしていた時に劉備が三孔の礼をした。こう覚えてます。
(W21T/au)
22 ストラップ
兄とされるのは、「瑾」ですね。
法正と学友だったという話は知りませんし、ホウ統と親しかったかどうかも怪しいと思います。孔明の学友としては、>>>202-32の人々や、崔烈の倅の州平などが良く知られているのでは?

>>>128-12-14参照
(PC)
23 門弟
法正が門下生かは正直間違いかもしれません。赤壁の戦いでは孔明の「火」の一字を聞いただけで鉄鎖連艦の計を曹操側にかけ、火の回りを良くしましたし、益州侵攻のさいには孔明はホウ統に軍師の大任を任せました。あまり仲良くない人にそこまで任せれますか?赤壁も益州侵攻もホウ統に作戦の半分が掛かっていましたし、諸葛亮のやり方からして信頼しきっているからこそ劉備にホウ統の推挙を進めたと思います。他にも仲の良い人々はいるとおもいますが、ホウ統が一番メジャーなので…
(W21T/au)
24 元歎
赤壁云々は演義か小説の話だと思います。>>>230-17で『色々読んでいる』とありますが、そのほとんどが小説ではないでしょうか? 門弟さんの書きこみを見ていると、小説を鵜呑みにしているように思えます。
(PC)
25 すし
俺も文歎と同じように思います。あと自分の想像で物事を言うのはやめたほうがいいと思います。
(SH901iC/FOMA)
26 ストラップ
>>23
事実誤認も甚だしい。赤壁の戦いに関しては、>>>143を参照の事。ホウ統という人は、赤壁の戦いの以後、周瑜の属官になった人で、赤壁の戦いに関わったとする記述は、僕は全く見た事がありません。又、当時孔明がホウ統を軍師中朗将に任じたというのも無理がある話だと思います。

孔明が司馬徽の弟子であるというのも、疑わしいと思いますね。


全く調べもしないで己の妄想を書き込む事は、厚く害を為す行為です。知らない人は信用してしまいます。あまり嘘ばかりを書き込むのは感心できる行為ではありませんよ。
他の人の書き込みを見れば解るように、想像や仮説を書く時は、それとわかる様な表現で書かれていますよ。
(PC)
27 赤龍
>>26
門弟さんは、恐らく『三国志演義』及びそれをベースにした本を読まれて、それをもとに書き込まれているのでしょうね。
それを「妄想」とか「嘘」というのは、少々とげのある言い方ではないでしょうか?嘘を書くつもりでいるわけではないでしょうから。
他のスレも含め門弟さんに対するストラップさんの受け答えにかなりとげのあるものを感じ、嫌な雰囲気になってます(初心者お断りな?)。ちょっと気になりましたので。
(PC)
28 すし
全くスレ違いになってきてますねf^_^;
それはいいとして、俺はストラップさんの意見に賛成ですね。いくら小説に書いてあったからといって、事実確認しないでカキコミはしないほうがいいと思います。それにここは正史について語る場ですからね。
(SH901iC/FOMA)
>>27の意見に同意です。

ストラップサンは発言内容に十分注意を。
本当はいい人なのに、誤解されますよ(苦笑)

注意だけでは悪いので、私も一つ。。。

諸葛亮が移り住んだ場所を時代背景彼の年齢と共に考えたら、彼の若さや劉備に使える理由が見えてくると思うのですが、どなたか詳しくまとめてみませんか?←人任せw
(PC)
>>27>>29
現在結果として、「偽情報」を発信するサイトになっており、危険だなと感じました。僕としては、「嘘か本当かわからない事が書いてある」状態の方が、初心者に優しくないと考えます。それで注意する意味で、厳しい書き方をさせて戴きました。御了承下さい。
(F2102V/FOMA)
31 門弟
いえいえ自分の考えが違うなら謝ります。しかし自分も簡単に三国志を知っているわけではありません。三国志の小説、マンガ、資料などは何回も読んでますから。僕が演義よりと言われますが、実際に僕は演義の劉備に感心しています。正史に対しては非難などはしていませんが。正史の劉備には正史なりの良い所があるように、演義には演義なりの良い所があります。またその逆もあります。自分の中の劉備に対しての理想像は演義の劉備なのです。あとこの掲示板が正史について語る所ならば僕は正史の人物像と演義の人物像とを照り会わせて意見を書いているので演義だけを書いているのではありません。ただ正史は三国志を語る上で確実な歴史を書いているわけではなく、作者の人物像へ対する印象を中心として書いていると思います。そこが僕にとっては演義が本当の人物像を描いていると思ったので意見させていただきました。
(W21T/au)
32 赤龍
「正史=正しい歴史」ではない。これは当然のことです。
しかし、演義は三国時代から1千年以上もあとに作られた、大衆向け小説ということを忘れてはいけません。あくまで、娯楽作品として作られたのであり、真実の追究なんて目的にしてません。
さらにその主人公劉備は>>>56-50でしすさんが言われるように、中国の小説の主人公の「理想像」に合わせてパターン化された存在なのです。
創られた「理想像」が「本当の人物像」となりえるのでしょうか?
って、劉備の話になってますね。続きは劉備のスレの方にいった方がよさげですね。
(PC)
33 ストラップ
>>32の続きは、>>>56-56

>>>61-68も合わせて参照の事。
(F2102V/FOMA)
34 ストラップ
失礼。
上記>>>56-48
(F2102V/FOMA)