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SMAPが森光子さんの本葬に参列@

■森光子さん 本葬 息子ジャニーズ 68人がお別れ

 さようなら、お母さん−。11月10日に92歳で亡くなった女優森光子さんの本葬が7日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。舞台「放浪記」で2000回以上主演し、文化勲章や国民栄誉賞に輝いた大女優を惜しみ、約1000人もの芸能界の関係者が参列。中でも森さんと深いつながりがあったジャニーズ事務所からは、SMAPや嵐のメンバーら所属タレントが68人も駆け付け、別れを惜しんだ。また、一般のファンら約1300人が献花した。

 SMAP、TOKIO、嵐…。多忙なジャニーズ事務所のタレントが一日でこれだけ集まることは、どんな番組でもイベントでもありえない。25年以上も“母親”として若きスターたちを支えてきた森さんだからこそ、68人もの“息子”が勢ぞろいした。

 嵐の5人は、本葬が始まる2時間以上前の午前9時半すぎに参列。この日の夜から福岡で3日間のコンサートがあるため、あわただしく福岡へ向かった。関係者によると、本人たちの希望で、当初乗る予定だった飛行機の便を替えて駆け付けたという。

 「あなたは日本のお母さんでした。ジャニーズの僕たちのお母さんにもなってくれました」。所属タレント最年長の“長兄”近藤真彦(48)は、感謝の気持ちを込めて弔辞を読んだ。「先日、森さんのご自宅におじゃまし、線香を上げさせていただいた。お骨入れに触れたとき、本当に逝ってしまったんだな、と僕なりに気持ちの整理がつきました」。悲痛な声だった。

 タレントの誕生日やクリスマスには、森さんから手紙を添えたプレゼントが贈られてきたという。「僕の引き出しは森さんからいただいた手紙とファクスでいっぱいです。つらいときにはそのメッセージを見直し、乗り越えていきます」と、遺志を継ぐ覚悟を語った。

 また、森さんの誕生日には毎年、ジャニーズ総出でお祝いしていたことも明かした。献花後の取材で、近藤は「なかなか外に出なかった話ですが、ジャニーズ事務所のタレントがほぼ全員集まり、ホテルの宴会場を借りて、森さんとマージャンやゲームをやっていた。山下達郎さんとか、森さんにゆかりのある方をゲストに呼んで、いつも楽しい誕生日でした」と、しみじみと振り返った。

 森さんとジャニーズのきずなのきっかけは、1986年に少年隊がNHK紅白歌合戦に初出場し、審査員の森さんに「あなたのファンです」と声を掛けられたことだった。舞台でもたびたび共演し、「永遠の恋人」と言われた東山紀之(46)は、遺族のそばで参列者を見送る役目も担った。

◆戒名は「恵光院放譽花雪逗留大姉」

 森さんの戒名は「恵光院放譽花雪逗留大姉(けいこういんほうよかせつとうりゅうだいし)」。「花雪」の生涯を通して培われた恵みの光が、今後も花雪の時節にいる多くの人々の心に留まり続けるという意味が込められている。

 祭壇中央には2006年1月30日にテレビ朝日系で放送された「徹子の部屋」に森さんが出演した際のスナップ写真が遺影として飾られた。テレビプロデューサーの石井ふく子さん(86)とジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長(85)が相談して決めたという。

 祭壇は森さんの感謝と愛を表現するため、花言葉で「感謝」を表すダリア・フリージア・カスミソウと、「愛」を表すバラ(赤)・胡蝶蘭・チューリップで装飾。緩やかな半円状で中央に集まるような造形をほどこし、人との付き合いを大切にして周囲に人が集まる森さんの求心力を表した。

 祭壇には国民栄誉賞や文化勲章と並んで、一般の香典にあたる天皇陛下からの祭粢料(さいしりょう)も中央に供えられた。このほか「放浪記」の舞台姿を撮った写真や、09年の国民栄誉賞授与式で着用した着物など数多くのゆかりの品々が展示された。

 本葬の冒頭では、舞台をはじめテレビや映画、歌手活動など、森さんの多岐にわたった活動の数々を映像で紹介。会場には森さんが歌った「カーテンコール」「人生革命」「人生半ばです」の3曲がBGMで流れた。


(12/12/8(土)東京中日スポーツ)