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蜷川幸雄さん訃報に木村がコメント@

■【蜷川幸雄さんへのコメント集】
ジャニー社長「東京オリンピックを待たずにさよならするなんてずるいよ」

 「NINAGAWAマクベス」などの舞台で知られ、国際的に活躍した演出家の蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。熱心な演出指導が有名で、稽古中に灰皿を投げる伝説も。多くの若い俳優、女優の才能を花開かせた。近年は病気がちだったが、常に「誰もやっていない仕事をしたい」と孤高の演出家魂を燃やし続けた。

 ◆ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長「昭和と平成を見事につなげた人が、東京オリンピックを待たずにさよならするなんてずるいよ」

 ◆錦織一清「少年隊の舞台でお世話になりました。はじめは怖い人と聞いていましたが、いざ演出を受けてみると、とても優しく愛情にあふれた方だったということが印象に残っています」

 ◆東山紀之「蜷川さんと会う度に『またやろうな』と言ってくださいました。その言葉がうれしかったです。またご一緒したかったです。まだまだ勉強したかったです。蜷川さん、寂しいです」

 ◆植草克秀「蜷川さんとは、最近お会いする機会がなかなかありませんでしたが、体調が良くないとはお聞きしていました。まさか訃報を受け取ることになるとは思っていなかったので、とても驚いております。蜷川さんとは、演出家としてPLAYZONE’90 MASKでの劇中劇『ハムレット』、ドラマ監督としての『風ものがたり』などで演出、ご指導いただきました。とても指導に熱心な方で、すぐ怒る怖いイメージの強い蜷川さんであると思いますが、自分もご一緒した際には、『今日は怒らないから』と言われながらも、スタートが掛かった途端に間髪入れずに『バカヤロー!』と怒られた思い出が強く残っています。すぐ怒る反面、とても愛情持ってスタッフ、役者に接する他にはいないような演出家、指導者であったと思います。また蜷川作品に参加させていただけたらと思っていましたが、それも叶わぬこととなってしまいました。残念でしかたありません。ご冥福をお祈りいたします」

 ◆木村拓哉「驚きと同時にものすごく悔しいです。自分が今あるのも、当時右も左も分からなかった自分に『人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ』を教えていただけたからだと思います。少し前に『俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!』って言ってもらったことが、今頭から離れません」

 ◆岡本健一「私の演劇人生は1989年19歳の春、蜷川さん演出『唐版 滝の白糸』でのオープニングにピンクフロイドのデヴィッド・ギルモアが弾く、魂が叫んだギターの音から始まりました。蜷川さんは初舞台の私に『演劇は麻薬だ! 取りつかれるぞ!』と言っていました。毎回、稽古場では作品に対して、日本も世界もなく、宇宙レベルで、魂の底から湧き出るエネルギーを求めていました。まだ足りない、まだまだ足りないと、叫び続けていました。毎日革命を起こしていました。蜷川さんに会ってから、私は演劇に取りつかれています。舞台に立ち続けています。蜷川さんは、今も確実に別の世界から舞台を創り続け、叫び続けていることでしょう。ありがとうございました」

 ◆坂本昌行「驚きと残念な気持ちでいっぱいです。『また、いつか一緒にやろう!』と言って下さった言葉が今も心に残っています。走り続けた蜷川さん、ゆっくりとお休み下さい。謹んでお悔やみ申し上げます」

 ◆長野博「デビュー前の93年『魔女の宅急便』の初演から、デビュー後もお仕事をさせていただきましたが、パワフルで大きな声で怒鳴り、叱ってくださり、舞台に立つ上で大切な事を教えていただきました。その後、現場でたまにお会いすると笑顔で話しかけて下さったりして、また御一緒したいなと思っておりました。蜷川さんの訃報を聞き未だ信じられず、寂しい気持ちで一杯です。謹んでお悔やみを申し上げます」

 ◆森田剛「『血は立ったまま眠っている』で、初めてご一緒させてもらったとき、『やっと会えたね』と、優しく握手してくれました。舞台の初日前には、『他の人に何を言われても、俺が責任をとってやる』と言ってくれました。だから舞台に立つことが怖くなかったですし、この人の為にやりたいと思いました。『馬鹿野郎、変態』と言われながら、たくさんの愛情をいただきました。もう一回会いたかった。謹んでお悔やみを申し上げます」

 ◆岡田准一「残念でなりません。『エレクトラ』で御一緒させていただきましたが、若い自分に『枠にはまるな、壊せ壊せ、自分はなんだってチャレンジした』と導いて下さった方でした。御自身も最後までいつまで演出できるかチャレンジし、たくさんの役者さんと接し、まさに導く方だったのだろうなと思います。メンバーの森田くんの舞台も楽しみにしていたのですが残念です。イタズラ顔で褒めてくれたり、闇を突いたりしてくれた蜷川さんが忘れられません。謹んでお悔やみを申し上げます」

つづく